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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-156.November 2025
279/284

(4) ACUTA(アクタ)

【お題】前世、人形、主従

 後に迷宮ダンジョンと呼ばれる巨大な構造物が、ある日突然空から落ちてくるようになってから、四

十年余りが経とうとしていた。

 最初こそ──今でもそうだが、着弾した地点周辺は文字通り吹き飛び甚大な被害に見舞わ

れるため、住民らの怒りは苛烈を極めたものの、その後も同様の事例が世界各地で散発。次

第に各国は、いつ終わるとも限らない発生と復興の為の莫大なコストよりも、目の前に文字

通り降って湧いたこの異文明の巨塔群に目を向けるようになった。即ち進入路を見出された

迷宮ダンジョンに分け入り、人類の発展に資し得る様々な文物を発見・持ち帰ることで報酬を得る人々、

通称“探索者”の官民挙げての制度化である。

 混迷の時代。突如やって来た新時代の黎明期。

 ある者は未知なる巨塔を攻略せんという野心がために、ある者は大地の荒廃を招いた元凶

への復讐を胸に秘めて。或いは只々、一変したこの日常で日銭を稼ぐ為の手段として。


『はん、何が探索者だ。こっちは毎日、必死の思いで暮らしてるってのに……』

『誰彼構わずあのデカブツに招いてたら、治安なんぞ悪くなる一方じゃないか。実際、連中

絡みのトラブルは話題に事欠かん』

『結局国は、私達を見殺しにする気なの!? ふざけんじゃないわよ! 自分の故郷が半分

以上吹き飛ばされても、同じことを言える訳?!』


 各地の迷宮ダンジョンもとい、異文明の巨塔が突き刺さった地区は、いつしか個々の思惑を抱いた探

索者や当局の出張機関、これらに敵愾心すら向ける市民達といった三つ巴の混戦模様を呈す

るようになっていた。

 陰日向に罵倒され、或いは混沌の中からも立ち上がり、ハングリー精神や活気に満ちて。

 今日も今日とて、彼らはまた、この正体不明の構造物の中へと潜ってゆく……。



(──う~ん。中々これ! って感じの物が無いなあ。とりあえず持ち運べる分だけ回収し

ておくか)

 シフトの空いている休日を利用して、一樹は最寄りの迷宮ダンジョンを訪れていた。連日入場希望者

でごった返す行列を突破した後、彼は丈夫なリュックや幾つかの装備を携えて内部を一人探

索。無秩序に転がっている何かの機械だった物らを見繕い、ためつすがめつリュックの中へ

と押し込んでいく。

 一口に迷宮ダンジョンと言っても、その佇まいはゲームや漫画で出てくるような、如何にも“攻略”

してください的な印象は受けない。大地に深々と突き刺さり、巨大なボーリング装置の筒部

分にも似た塔内は、寧ろ同心円状・規則的に大小無数の部屋らしき空間と通路が広がる一種

の収容施設かのようだ。特に頭上を仰ぎ、それらが上から下まで吹き抜けと構造になってい

るのを目の当たりにする際に痛感する。階層が隔たれば細かな部分を視認することすら難し

く、それでも自分達探索者が活動できているのは、塔全体を構成するこの未知の金属が、常

に淡く碧い光を纏っているからだ。

(もっと知識を付けて、高ランクの探索者にでもなれば、自分でどんどん取捨選択もできる

ようになるんだろうけど……)

 ガサゴソ。残骸の山を前に屈み込んだまま、一樹はもう何度目とも分からない二律背反に

悶々としていた。

 基本的に自分達一般人は、迷宮ダンジョン産の遺物や技術については素人だ。ただ当局出張所の受付

窓口に持ってゆけば、査定された上で買い取り額を振り込んで貰える。換金率の高い品を厳

選できれば、それだけ一回の探索で得られるリターンも増えるし、探索者としての貢献度も

上がる。各種研究の進捗に寄与する者として、より高いランクの探索者免許ライセンスへの更新、昇格

を可能とする早道である訳だ。

 ただ……一樹はそこまで、探索者としてのランクに拘っている側の人間ではなかった。仕

事の合間、副収入的な目的で潜っているに過ぎないし、その頻度も不定期だ。ただでさえ現

在も尚未知の領域が多く、入れ込めばその分危険が付きまとう。程々に稼いで、程々に冒険

という非日常を愉しむ。いわゆる“エンジョイ勢”に括られるのだろう。

(俺は生まれた頃にはもう、あちこちに迷宮ダンジョンが在った世代だけども。人によっちゃあ、探索

者をやってるって聞いただけで目の敵にしてくるし、結局誰かとパーティーを組もうとか、

そういうガッツリとした探索とは縁遠くなっちゃったんだよなあ……。ま、気楽にやれるっ

て意味では性に合ってたんだろう。うん)

 対して“ガチ勢”な探索者達は、互いにパーティーを組み、各地の迷宮ダンジョンを真剣に踏破しよ

うとしている。中には専業で潜り、装備や諸々の準備の為に多くの資金を投じて活動してい

る者も少なくないと聞く。実際高ランクの探索者とは、それほどの覚悟と努力を続けなけれ

ば成り立たない存在なのだ。自分のように、ただ何となく周りの流行りに乗っかって免許ライセンス

取ったような手合いとは違って。

「……」

 よっこらせ。およそパンパンに詰め込んだリュックを閉め、彼は肩紐に腕を通しながら立

ち上がっていた。

 高ランクの探索者達は今こうしている間も、もっとずっと地下の階層を探索しているのだ

ろうか? 一基につきこれだけ巨大な構造物だ。そう簡単に尽きるとはイメージし辛いが、

遺物に依った新たな社会はいずれ行き詰まる。その延命の為にも、今自分のいる階層の吹き

抜けからは見渡せないほど暗いまだ見ぬ底へ、より危険を承知でも追加の素材や新たな技術

の鉱脈を追い求めるのだろう。

 本当に、ご苦労なことだ。

 一樹は独り、静かに深呼吸をしてから振り返る。今日はもう、こんなところで帰らせても

らうとしよう。ぐるっと、踵を返した体勢に合わせて視界は背後に切り替わり──。

「……」『……』

「ぎゃあああああああーッ?!」

 すぐ後ろにいた。彼がついさっきまで屈み、換金素材を見繕っていたどこかから、一体の

半人半機の化け物がじ~っとこちらを観察していたのである。思わず叫び、悲鳴を上げ、相

手も相手で急に爆音を出されたからか、若干仰け反ったような動作を返してくる。

怪物クリーチャー……!)

 これもやはり、いわゆるゲームや漫画に出てくるような造形とは趣が違うが、世界各地の

迷宮ダンジョンに出没する敵勢存在である。自己責任がルール化されているとはいえ、ともすれば油断

したところ襲われ、命を奪われる探索者は後を絶たない。

 一樹は弾かれたように大きく後ろに跳び退き、腰のツールベルトに手を伸ばした。さっき

のリュックはその場に置いて来てしまったが、命あっての物種。今はこの状況を切り抜けた

後で回収し直せばいい。

彷徨う者ワーカーか。これぐらいなら、俺でも……)

 半人半機もとい金属骨格の上に、所々人工的な皮膚が残存したゾンビ風のクリーチャー、

通称ワーカー。動きこそ鈍重で、攻撃方法のワンパターンだが、振り下ろしてくる両腕の力

などの身体能力は常人のそれを遥かに越えている。組み伏せられてしまえば独力で抜け出す

ことは困難だろう。一樹はツールベルトから、掌大よりやや大きめな金属筒を取り出し、持

ち手部分のスイッチをオンにした。直後ヴォォン! と、碧の圧縮されたエネルギー光の刀

身が伸びる。

 探索者向け戦闘装備の一つ、エナジーサーベル。元は迷宮ダンジョン内から回収された機材を分析し、

武器として組み上げた代物だという。現在ではクリーチャーとの会敵時に探索者達が振るう、

近接用メインウェポンの代表格だ。

 よたよたと、大きく両腕を上げて距離を詰めて来ようとするワーカー。その動きに合わせ

て一樹はサーベルを握り締め、姿勢を低くして構えた。ぺたぺた、ぬちゃっと足音の感覚が

早くなってゆく。そのすれ違いざま、相手が加速をつけ切って攻撃が振り下ろされる前に、

彼はこの個体の身体を上下真っ二つに斬ったのだった。上半身は勢いのまま、彼との位置関

係的に背後へ転がってゆき、正面の下半身は制御を失ってぐらりと後ろに倒れる。

「はあ、はあ、はあ……! やっぱ、何度やってもこの手の感触ばかりは慣れないな……」

 サーベルの刀身を軽く振るって払い、一樹は乱れた呼吸を整えながら、先ほど置いて来て

しまったリュックの方へと歩いた。肩に引っ掛け直して回収し、サーベルのスイッチも切っ

て再びツールベルトの挿し込みに。がっつりと“攻略”に勤しむ探索者達にとっては避けて

は通れない道だが、彼のようなあくまで小遣い稼ぎが目的の者には刺激が強過ぎる。

「収穫も渋そうだし、やっぱり引き時だなあ。今の内に、さっさと帰って──」

 だがちょうど、そんな時だったのである。思わず嘆息を吐いて外へのルートに向かおうと

した一樹を、背後からの文字通り断末魔の叫び声が押し留めた。何事!? と慌てて振り返

ると、そこには先ほど斬り飛ばした筈の、上半身だけのワーカーが弓なりに声を上げた体勢

のままガクンと沈黙。そのまま動かなくなってしまう。

(おいおい……)

 機能停止になる前に、とんでもない置き土産をしていきやがったんではないか?

 事実、一樹のそんな悪い予感は的中した。程なくしてワラワラと、あちこちの曲がり角か

ら何体何十体ものワーカーが、一斉に姿を現したのだから。

「畜生! あいつ、最期の最期に仲間を呼びやがった!」

 言って、悪態を吐きながら弾かれたように走った。最初はよたよたと遅かったワーカー達

も、次第に駆け足になってゆき一樹を追って来る。部屋の中のままでは拙いと判断した一樹

は、辺りを見渡すと通路に繋がっている内の一つへと目星を付けて走った。途中何度か分か

れ道を左右に見遣り、取り出したスマホの地図作成マッピングアプリで実際の確認を取りながら、とあ

る場所へと向かう。

 そこはより道幅が狭くなっている通路だった。彼はその片方の入口に陣取り、向かって来

るワーカー達を見据えたまま、ツールベルトから反転L字型の装備を起動。右手に短銃を握

るが如く構え、これを迎撃しようと試みる。

 これもまた射撃用メインウェポンの代表格、エナジーガン。近接・遠距離、最低でもこの

二種は用意しておきたい戦闘用装備だ。広い部屋で散開されれば、数で劣る自分が袋叩きに

遭う。ならば逆に隘路へ陣取り、なるべく一対一の構造で迎え撃った方がまだ可能性はある

と考えたのだ。

「──っ」

 握る右手と下から添える左手。迫るワーカー達を前に、ごくりと息を呑む。

 大丈夫。大丈夫だ。今度はなるべく頭を吹き飛ばして脇潰しを図るようにだけ気を付けれ

ばいい。後は組み付かれそうになればサーベルに持ち替える。

『……』

 はたしてそのような頭の中の作戦は、上手くいかなかった。ちょうど彼が逃げ込んだトン

ネルのような幅狭の通路。その頭上天井部分に、別種のクリーチャーが一体、張り付いてい

たからだ。刹那フッと視界の半分が暗くなったのを感じ、一樹は思わず自身の頭上を仰ぐ。

「!? しまった、這い寄る者スパイダー……!」

 金属の球体関節で繋がれた、四対の脚と半球ドーム状の胴体。元から敵頭上からの奇襲や監視を

想定されていたのか、眼と思しきパーツも胴体の正面というよりは背中部分に寄る形で備わ

っている。

 反応できた時には、もう遅かった。先端が鉤爪のようになった四対の脚の内、正面側の一

対が直後振るわれ、彼は大きく仰け反った。ざくりと斬られた、苦痛の表情を浮かべ、幅狭

通路の壁の一角に叩き付けられる。

「お──わあぁぁぁぁぁぁッ?!」

 だが幸か不幸か、そこはちょうど別のルートに繋がっていたのである。接触した身体、そ

の圧力に反応してからフッとそれまで壁だった部分が消え、彼をダストシュートよろしく暗

がりの向こうへと転がり落としてゆく。スパイダーもワーカー達も、一体何が起こったのか

理解していないのか、直後また元の壁の外観に戻った細道をうろうろ。渋滞しながら行った

り来たりを繰り返している。


「……いっつぅ、ああ」

 そうしてどれだけ気を失っていたのだろう? 或いは実際そこまで時間は経っておらず、

フゥッと意識が飛び掛けただけだったのか。

 彼が、一樹が落ち着いた先は、更に見覚えのない部屋だった。先程よりもずっと大きく、

尚且つ深い。塔内の素材で総じて灯っている筈の碧い灯りでも、正直心許ないぐらいには暗

さが勝っている感じがする。

(何処だ、ここ? 落ちたらしいってのは分かるが……どのぐらいの深さだろうか? これ

は戻れるかどうかも分からねえぞ……)

 先だってのスパイダーから貰った一撃と、ここまで転げ落ちてきたダメージで腕や顔など

のあちこちを怪我していた。特に鉤爪を掠めた左の二の腕は出血が目立ち、一樹はズボンの

ポケットからハンカチを取り出して覆うように結ぶ。無いよりはマシの応急処置だ。そもそ

も探索者向けの防護ジャケットを着ていければ、今頃腕を丸ごと持っていかれていたかもし

れない。

 きょろきょろと、暫く暗さに目が慣れるまで辺りを見渡した。

 辺りは所狭しに遺物機械の残骸が積み重なっているようで、さながらそれは自分達の社会

で言うごみ処分場のようなイメージを持った。

(ゴミ……)

 静かに目を細めたまま、一樹は思う。妙に腑に落ちるといったところか。

 そうだ。他の迷宮ばしょまでは行ったことがないのではっきりとは言えないが、基本同じような

外観だという話からして、そもそも自分達が迷宮ダンジョンと呼ぶそれは、迷宮ダンジョンではないのではなかろ

うか? こう……もっと露骨な、ロマンも何もない施設としての機能だけというか……。

(──む?)

 まさにそんな最中だった。一樹はふと、残骸の山の中にあるものが混ざっていることに気

付いた。気付いてしまった。まさか? 思ってゆっくりと近付いて行き、すぐ足元に見下ろ

したそれを目の当たりにして疑惑は確信に変わる。

「こいつ……“ドール”か?」

 雑多な機械の山に埋もれ掛けていたのは、ボロボロで剥き出しになりつつあった頭部と首

から下。背骨部分から胸元、左肩と右腕の肘辺りぐらいまでが辛うじて残っていた、いわゆ

る“ドール”──この異文明が使役していたとされる機械人形の残骸だった。一樹も探索者

の端くれとして、知識でこそ知っていたが、こうして実物を見るのは初めてだ。

「ほう。実際はこうなってるんだなあ。益々SFとかでいうアンドロイド──これってもし

かして、持ち帰ったら換金率凄い奴?」

 だからこそ、こんな状況になってもまだ、欲に目が眩んでしまうなどというのは珍しいこ

とじゃあない。一応、目下の追跡を免れたという安堵感に入り込まれたからという訳では、

決してない。

 ガサッ……。残骸の山を気持ち四つん這い気味に登り、この“ドール”の残骸が手に届く

距離まで迫った。ちょっとした衝撃で壊れてしまうかもしれないから、慎重に。だが仮に掘

り起こせても、これを安全に運べるだけの収納スペースは? 安牌を捨てることになってし

まうが、いっそリュックの中身を全部出してしまえば或いは……?

『──』

 しかし、彼のそんな皮算用は脆くも崩れ去ることとなった。それ以上に想定外の出来事が

彼を襲ったのだ。

 原因は、血。先刻スパイダーから貰った一撃で負傷していた左腕から、ぽつんとその一滴

が不意に“ドール”の残骸に落ちてしまったと思うと、刹那このガラクタ一歩手前だった素

体は自動的に再起動を開始。周囲の機材や塔内に残留する碧い光、何かしらのエネルギーを

も吸収しつつ急速に本来の姿形を再構築。目の前で、一人の少女の姿へとやがて形成を完了

してしまったのである。

「あ……? えっ……?」

『遺伝子情報を取得。これより当個体の所有者権限は貴方に譲渡されました、マスター』

 思わず驚き慌てふためき、すぐに碌な言葉が出ない一樹。

 だが一方で、当の少女の姿になった“ドール”は至極淡々としていた。久しぶりに人工皮

膚を含めて万全の状態に戻れた自身の感触を、掌を握ったり開いたりして確かめている。

「つーかそのゴスロリ服、何処でどうやって……」

『ごすろり? そのような呼称なのですね。了解しました』

「いや、待て。そういうことじゃなくて……」

 一樹は、急になだれ込んできた情報量に混乱していた。俺がマスター? 遺伝子情報を取

得? ってことは、やっぱさっき垂れた気がした血のせいか? おいおい、どうすんだよ。

俺の知識が正しければ、確かこいつらってかなり貴重だった気がするんだが……。

『マスター?』

「ええと。お前はここで……寝てたのか?」

『そのようです。廃棄されていました』

「廃棄って、お前……。じゃあ迷宮ここって、やっぱ──」

 愛想皆無の表情で、淡々と“ドール”がちょこんとこちらを見上げている。先ず何と言葉

を掛けてやればいいいのか分からなかったが、当人の返答から何となく事情は分かりかけて

きたような気がする。ただ今そこを突っ込んで訊いてしまうことも、訊く資格が自分にある

のかどうかも、一樹には判断しかねた。

 大体何で、こうすんなりと言葉まで通じている訳? 服まで自動生成されている訳? そ

れも遺伝子情報? どれだけ技術力高いんだ。迷宮ダンジョンを、俺達の国に落としやがった連中は。

「……いや、いい。それより今は、ここから脱出する方法を考えないと。目覚めさせちゃっ

たとは言っても、多分報告必須だろうしなあ……これ」

『? はい』

 静かに小首を傾げたドール。おそらくはこちらのぼやきに、というより、脱出する方法と

いうキーワードに反応したのだろう。スッと頭上を仰ぎ、何やら瞳の奥で演算をしているよ

うな挙動が見える。そう上手くいけばいいが……。期待半分疑い半分ではあったが、一樹は

努めて気持ちを切り替え、彼女に話し掛けてみることにした。

「俺は深沼一樹。お前、名前は?」

『設定されておりません。前回機能停止した時点で、各種データはリセットされております

ので。或いは型番という意味でしたら、読み上げますが……』

「いやいや、いい。覚え難かったり呼び難かったりじゃあ、名前の意味がねえだろ?」

 視線を切り替えて、淡々と応じる“ドール”の少女。一樹は苦笑わらい、少し考え込んだ。じ

っと彼女を見つめて、口元に軽く手を当てた握り拳を離す。

「なら……。“フタバ”ってのはどうだ?」



「──えっ? もしかしてその子、機械人形ドールじゃありませんか?」

 迷宮ダンジョンから辛くも脱出したその足で向かった当局の出張所窓口では、案の定連れられたその

人影を見て大層驚かれた。一応、道中の混乱やら騒ぎを抑えるため、拾った布などで人相を

隠させてはいたが……如何せん場にそぐわない背格好と服装で、何よりその特徴的な無機質

の瞳と胸元の結晶クリスタル状の機構は彼女・フタバの正体を如実に物語っていた。受付の女性が思わ

ず発した叫びに、居合わせた他の探索者達や係員、警備要員の軍兵らが一斉に驚愕の眼差し

を遣ってくる。


「え、ええ……。クリーチャーに追われて、逃げていた先が偶然隠し通路でして。そこの残

骸の中にこいつが」

 ふむ、ふむ?

 しきりに頷きながら、メモを取り始める受付の女性。次第に騒がしくなってゆく周囲の空

気感と、少なからぬこちらを変質者のような眼で見る視線。

(ねえねえ。本当にあの子、ドール?)

(そうなんじゃない? 受付の人がああも驚いてるんだし)

(あの男の人、よりにもよって、あんな小さな女の子を……)

(ロリコンなんだろ? 確かあいつらって、起動に使った人間のDNAを元に最初の姿形を

決めるっていうし)

『──』

 聞こえてんだよ。

 正直一樹は苛としていた。程なくしてげんなりとしていた。

 ヒソヒソと、あーだこーだと憶測を話し合う他人びとを背に、一樹とフタバは受付からの

事情聴取と報告を急いだ。尤も彼女自身は殆ど自発的に発言をしなかったので、主に一樹が

慣れぬやり取りに苦心させられたのだが。担当してくれた係員──出張所窓口の受付嬢は、

一通りの経緯を聞き終えてメモをまとめ上げると、改めて丁寧な物言いで結んでくれる。

「──なるほど。事実関係は把握しました。そちらの“ドール”を現場で起動し、所有者と

なったのは、意図的なものではないと?」

「はい。やっぱ……できれば寝てたまま状態で帰って来た方が良かったんですかね?」

「そうですね。“ドール”自体が希少性の高い遺物ですし、加えて今の所支障なく動作もし

ているとなれば。迷宮管理局に一度納品してもらうことがベストではありますが、今回は状

況も状況です。貴方が彼女を悪用なさらない限り、処罰のようなものは下らないと考えて良

いでしょう」

 正直一樹はホッとしていた。もっと上がひっくり返さないとも限らないが、これで即戦利

品の横領だの何だのと難癖を付けられずには済そうだった。実際クリーチャー達に追われ、

転げ落ちた先もマッピングできていなかったあの状況下で、こうして五体満足で帰って来れ

たのはフタバのお陰だったからだ。同じ異文明の産物だからか、或いは単純に性能が高いと

うだけなのか、最短且つ安全の帰り道は全て彼女が先導してくれた。

「ただ一応、私達だけで全て決めてしまう訳にもいきませんで、一旦所長や幹部の皆さんに

もお話をしていただくと……」

 いや、訂正。安心はできない。先の受付嬢や他の同僚達も、中々ないケースにどう対応す

ればベストなのか? 自分達に非が向かない立ち回りは何なのか? を真剣に考えている。

不安そうにしている。あせあせ、わたわた。言ってまた呼び止めて、二人は壁を挟んで急ぎ

奥の部屋へ消えてゆく彼女を見つめながら、もう暫く針のむしろに置かれる羽目になってしまっ

たのだった。

「あ、あの……。肝心の素材の換金……」

『マスター、彼女らは何者でしょう? 何故我々の処分場ランドフィルに、人々があのように押し寄せて

いたのですか?』


 かくして一介の末端探索者だった彼は、異文明のドールという忠実なしもべを従え、それ

まで迷宮ダンジョン探索を一変させた。

 前回機能停止。した時点でリセットされた筈の記憶。それでも基本的な情報というか知識

は、尚も保存されているものなのだろうか? それでいいのか? おそらくは当局も明かさ

れては都合の悪いそれもあるだろうからと、一樹はなるべく外部でそのような話題は振らな

いことにした。フタバにも極力、能動的な開示は控えるように指示を出しておいた。

 探索において、特に目に見えて改善したのは、素材回収量の増加だ。一人から二人という

人数のそれ以上に、彼女が常人を遥かに越えて力持ちだったからだ。今までリュックに詰め

て入る分が限界だったそれを、彼女は軽々と両手に担いで運んでしまう。勿論そのせいで天

井につっかえたり、クリーチャーとの遭遇に不利になりはしたが、そこもまた他ならぬ彼女

自身の性能の高さがことごとくを上回っていったのだ。

 ……ある程度高ランクの探索者パーティーは、一体かそれ以上、自分達のドールを所有し

ていると聞く。実際それも高ランクであることの特典の一つのようだ。本来なら当局が重要

な研究対象とするそれを、更なる発見の為に供与されるという体で。

 フタバも、その例に漏れない活躍ぶりを見せてくれた。素手でも充分にワーカーだのスパ

イダーだのを圧倒する戦闘能力を有してはいたが、手近な残骸群から得物を再構築──長柄

の片刃斧、背丈の倍はあるハルバードを自在に振り回して戦う姿は、内心一樹自身も恐怖を

覚えたほど。ただそんな彼女が味方になってくれている限り、探索は毎度大きな成果を挙げ

て推移していった。安全マージンを取って潜れる階層も広くなり、いつしか小遣い稼ぎ程度

で始めた探索者活動は、確実に彼という人間とその周辺を変えてゆくことになる。


『マスター。今日は迷宮ダンジョンに向かわれないのですか?』

「はは。そうずっと入り浸りする訳にもいかないでしょ……。そもそも俺の本業はしがない

サラリーマン。フタバも普段は、もっとのんびり過ごせばいいよ」


 ドールという強戦力を連れている手前、どうしても悪目立ちはする。

 だからというのもあって、一樹は徐々に広くなり過ぎた探索者としての活動を抑制する向

きを取り始めていた。メリハリとも言おうもので、反面本業の勤め先からそれとなく探りを

入れられた一件があったことが大きい。普段はいそいそと職場へ出勤し、休日シフトになっ

た時は、三回か四回に一度ほどのペースで迷宮ダンジョンを利用する、といったサイクルへと変わって

ゆく。

『……』

 フタバは苦笑いを浮かべて朝、アパートの玄関を出て行くスーツ姿の主を、只々淡々と見

送った。戦うこと、主に仕えることを意図的に運用から避けられているとは理解していなが

らも、その方針に異を唱える理由もなくじっと日がな家の中で座っていた。

 何かやれることはないかと室内を見渡したりもしたが、主の──馴染みの薄いこの文明で

の生活はまだまだ学ぶことが多過ぎる。そうこうしている間に主は帰って来て家事もして、

そして二人で一緒に夕食を摂る。基本的に内部回路でエネルギーを循環させられるため、自

身は必要はないが……同伴すると彼が嬉しそうに微笑わらっていた。

 優先順位が、一つ増えた。



 事件が起きたのは、そうしたバディな日々を送るようになって暫くした頃。数週間ぶりに

迷宮ダンジョンへ訪れ、二人がいつものようにたんまりと塔内の素材を回収し、そろそろ引き上げよう

と来た道を戻りかけてた矢先のことだった。

「──よう。Cランク昇格おめでとさん」

 大部屋の出口、進行方向を塞ぐように探索者パーティーの一団が陣取っていた。思わず目

を細めたが、記憶する限り面識はない。リュックに詰めた素材と、フタバが同じく背負う倍

以上のそれ及び得物ハルバード。にやにやと哂っているその下卑た態度に、一樹はさっさとやり過ごし

て離れようと思う。

「ああ、ありがとよ。……そこ通るから退いてくれ」

「おおん? 俺達に対して指図かあ? ついこの間まで、末端のFランクだったてめえがよ

お!」

 案の定と言うべきか、何ものはや。彼らはあくまでこちらの邪魔をしに来たらしい。開口

一番の台詞からして、ランクを追い抜かれたことによる嫉妬か。一樹はおくびに出さなかっ

たが、結論を言えばどのみち彼らの鬱憤はこちらへのその矛先を向けられていたのである。

「ズルしやがって! てめえのそれは、その人形ドールありきだろうが! 回収率もクリーチャー

も、全部そいつにおっ被せててめえだけがいい思いをしてる!」

「……だったら、あんた達も探せばいいだろ? 管理局でも供与はしてた筈だし。俺だって

偶然見つけただけなんだ。もっと上のランクの奴らも連れているし、ルール違反みたいなこ

とは局からも言われてないぞ?」

「うるせえ! 関係ねえんだよ! てめえだけが楽して、のうのうとガッポリ稼いでやがる

のが許せねえっつってんだ!」

 話が通じない。まあ、難癖ありきなのだろうなとは分かっていたけれど。

 ジト目で感情的になる一方の彼らを見つめ、一樹はさてどうしたものかと考えていた。隣

ではそっとリュックを下ろし、得物を取り出そうとしていたフタバを制する。

『……マスターに対する害意を検知。排除しますか?』

「止せ。お前が人に危害を加えてしまったら、後々面倒なことになる」

 或いはそれを更に、強請り集りのネタにでもする気か。一樹はげんなりした。そういった

妨害行動に熱量を注げるなら、探索の方に注げばいいだろう。そこで安易に相手を下げよう

とするから、俺なんかみたいなポッと出の奴にランクを抜かれたんじゃないのか?

 だからこそ──次の瞬間、彼らの突き付けてきた要求に、一樹は刹那形容し難い怒りに襲

われた。彼らが何をしたいか、何を意図しているか透けて見えて隠そうともしないが故に、

それだけは絶対にあってはならないと心と記憶が叫んだからだ。

「俺達にその人形ドールを寄越せ。お前よりも上手く使ってやる」

「そうそう。良いご主人様になってやるぜえ? 見た目はガキでも充ぶ──」

「黙れ。フタバは渡さねえぞ。大体、マスター権限ってのはそうホイホイ変えられないって

聞いてるんだが?」

 一団のリーダー格は嗤う。

「おう。そうだな。実際まだまだ分かんないことは多くてよお……。だが一つ、それをでき

る状況ってのがあるのさ」

「──前任者の死亡、ってのがな」

 気付いた時には、既に遅かった。このパーティーの面々と相対していた隙を突かれ、一樹

は背後から音もなく現れた新手の探索者れんちゅうのなかまに、チャキリと反転L字の銃口を突き付けられてい

たのだった。

 驚いて肩越しに振り返ろうとし、目の当たりにした、この男から霧散してゆくホック付き

マントの装備。

 ……しくじった。

 あれは確か、エナジーマント。通称・カメレオン。本来は気配を遮断してクリーチャーに

悟られず、身を隠して移動する為の補助装備だった筈……。

『マスター!』

「おっと動くなよ? てめえも、そこの人形ドールも、抵抗する素振りを見せたら撃ち殺す。特に

人形ドールの方は死活問題だもんなあ? マスターがいなくなったら、てめえらは遅かれ早かれ機

能停止するんだろ?」

「何……?」

「あん? 何だよ、マスターの癖に詳しいことは知らねえのか。まあ俺達も、学者先生から

聞いただけなんだがな……。元々奉仕用に作られたんじゃないかって。血やら何やらで認証

するのも、その一環だろうって話だ」

 だがそれ以上に、一樹の関心を引いたのが彼らのそんな又聞き話だった。敢えて黙ってい

たのか、それとも訊かれなかったから答えなかっただけなのか、少なくとも自分の場合は今

初めてここで知った情報である。

「ぶっちゃけ、どうでもいいがよ。お前もどうせ、迷宮ここのゴミの山から引き揚げたんだろ?

またゴミに戻ろうが、もう一回起こし直しゃあいい。今度は俺達が美味しい思いをするんだ

よ!」

 フタバはそんな──。言葉にならぬ憤りで彼らを睨み付け、されどすぐ背後で銃口を向け

られている一樹は、迂闊には動けなかった。フタバも主の危機に何とかしようと隙を窺って

いるようだが、リーダー格の発言が本当ならば、尚の事動けまい。

 何とかこちらが先に、彼女を動かせられるような状況に持っていかなければ……。

「なあ。深沼をるよりも先ず、人形ドールの方を一旦潰しておいた方がいいんじゃねえか? も

し本気で暴れられたら、俺達でも手が付けられねえし……」

 そんな中で、メンバーの一人が仲間達に提案をしていた。当初はさっさと自分を始末して

権限を奪う気だったらしいが、こちらの突っ撥ねた態度と不意打ち役の台詞に改めて警戒。

機能停止までのタイムラグで死なば諸共に走られれば、あっさり全滅しかねないと考えたよ

うである。

「それもそうだな……。おい、そっちはがっちり押さえとけよ? こっちさえ黙らせちまえ

ば、後はどうとでもならあな」

 リーダー格の男も、少し考えて方針変更を決めたようだった。一樹を背後から狙う仲間に

引き続き牽制を指示すると、残りの面子と共にフタバを取り囲んで一斉にエナジーガンの銃

口を向ける。

「やっ、止めろォ!」

「黙ってろ! 殺されてえのか!?」

 咄嗟に叫び、動きかけた一樹に、背後から銃身の殴打を。

 囲まれたフタバも、そんな主の様子が気がかりで未だ手は出していなかった。じっと彼ら

を観察し、抜け出す隙を見計らっていたようにも見える。或いは主が殴られた瞬間、条件反

射的に視線を遣ってしまっていたのか。

「やれ!」

 そしてリーダー格の男が叫んだ直後、面々が引き金を引き出す。セカイが、感覚の全てが

スローモーションに呑まれたような錯覚に陥りながらも、一樹は同時に動き出していた。

 殴られ片膝を突いた体勢のまま、ちょうど足元に素材をパンパンに詰めたリュックが転が

っているのを認めた刹那、これをパシリと手に取って振り向きざまの反撃。「おぐっ?!」

得物を弾き飛ばされ、大きく仰け反った背後の探索者の隙を突き、一目散に地面を蹴って走

り出す。

「──は?」

 撃ったのは、人形ドールに向けてだった筈だ。一旦先に壊して再起動させ、自分達の為に働く戦

力として仕立て直す筈だった。

『マス、ター……?』

 なのに実際転がっていたのは、深沼の方だった。まるでこのガキを庇うようにこちら側の

一斉射撃に割り込み、彼女に覆い被さるように強く掻き抱いて全弾を肩代わりしていた。

 予想外の行動に目を見張り、唖然とするリーダー格の男以下探索者パーティーの面々。や

やあって自分が庇われたのだと理解し、困惑した様子で主に呼び掛けているフタバ。

 一樹かれは応えなかった。ただ虚ろな眼で、じっとその場に蹲っている。丸めた背中を中心に、

彼女に回した腕や肩、更に転がり込むように突っ込んだ勢いのまま脚にも被弾しており、面

々の人数分の箇所からじわりじわりと赤黒い染みが占有率を増してゆく。

『ッ──!』

 ぎゅっと強く結んだ唇。フタバが得物の斧槍ハルバートでぐるり周囲を一閃し、土埃と火花を散らせ

たのは次の瞬間だった。呆気に取られて大きな隙を晒していた面々は、これを殆ど反射的に

回避することに精一杯で、気付いた時にはもう二人の姿は無くなっていた。別の意味で焦り、

忙しなく周囲を見渡す面々。最初一樹に反撃を貰った者も、ようやく痛んだ頬を擦りつつ駆

け寄って来る。

「チッ……。逃げられたか」

「探せ! このまま外に出しちまったら、面倒事になるのは俺達の側だぞ!」


 自分の身長よりもずっと大きい主を担いで、機械人形ドールのフタバは待ち伏せを受けた区域か

ら、一旦猛スピードで離脱した。道中徘徊するクリーチャー達も、時に無視して時に瞬時の

判断でルートを変更して。やがて人気の無い、静かで小振りの部屋に身を潜めると、彼女は

そっと一樹を下ろした。彼は尚も一斉射撃を受けた際のダメージで碌に動くことも出来ず、

細かく荒い呼吸を静かに繰り返している。

『……何故ですか? 私だけならば、彼らからの集中砲火も、ほぼ問題なく捌けていたので

すよ? 仮に多少被弾しても、私達ドールには自己修復機能があります。素材と回復までの

猶予さえあれば、何ともなかったのです。ですがマスターには、そういったものは無い』

「そう、だな……。あいつが話してたこともあるし、俺は間違った判断をしたのかもしれな

い。でも何でかなあ? 気付いたら身体が、勝手に動いてたんだよ……」

 はは。弱々しく自虐的に笑う彼を、彼女は困惑した様子で見下ろしていた。自身もしゃが

み込んでそんな主の状態をスキャンし、同時に機械人形ドールでは不可解なその言動に適切な返答

が見つからない。

『それ以上は喋らないでください。傷が悪化します。とにかく一度、外に出て医療を──』

 言い掛けて、刹那彼に手を握られた。最初はこちらの提案を拒んだのかと考えたが、それ

も違う。着実に霞んでゆく視界と記憶の中で、一樹はこの相棒であり“家族”の顔をじっと

見つめていた。走馬灯の如く思い起こしていた。

 ……始めから解っていたんだ。どういう理屈で動いている技術かは今もよく分かっちゃあ

いないが、ドールの再起動に必要な物が遺伝子情報──あの時落とした一滴の血なら、そこ

に俺自身の記憶が一緒に込められていたのかもしれない。そうとでもしなければ説明が付か

ない。本当、憎らしいぐらい最適な反応アンサーだ。

 殆どジャンク同然だったこいつを、この姿で再生させてくれたことは、それだけ俺がずっ

と内心後悔していたからだったのだろう。こじ付けでも良い。間違っていても良い。少なく

とも一緒に過ごせた時間は、偽りなく幸せだったのだから。

「今度は兄ちゃん、ちゃんと守れたかなあ……? “双葉”……?」

『──』

 穏やかに微笑わらったまま、彼は二度と動かなくなった。

 失われてゆく熱と、各種センサーが伝えるバイタルの沈黙。暫くの間、永遠にも錯覚する

ほどずっとずっとその場で彼を抱え続けた後、フタバかのじょは己の奥底から絞り出すような声を漏

らす。ほぼ文字通りに全身が震える。

『……どう、して? どウ、し、テ』

 刹那脳裏に、記憶領域の中で激しく生じ始めるノイズ。彼と暮らし、迷宮ダンジョン探索に駆け回っ

た日々に加え、これまで覚えすらなかった映像が一つまた一つと割り込んでくる。防護服に

身を包んだ人型、何人もの“主”達が、淡々とこちらを顧みぬ態度でレバーを下げた。ガコ

ンと足元の床が開き、自分や周りの同胞らが一斉に落ちていく……。

『ア、あァァ。アアア、ァァァァ……ッ!!』

 バチバチと、碧い奔流が彼女の全身に現れ始めた。苦しくのた打ち、骨格の付き方とは無

関係にその姿が歪む。漏れ出る声は、次第に獣じみたそれに変わり始め、咆哮しそうなほど

仰いだ天井も、長年の劣化で一部に穴が開いている。他フロアの光が差し込んで来ている。

『また……なのデすか? 貴方達はまタ、私達ヲ棄てルというノデすカ……??』

 身勝手な人間の都合。

 一方的に押し付けられる人間の妄想、執着。

 互いに争い、足を引っ張り合って憚らない人間の醜悪。

 絶望して、繰り返して。思い出してしまった人形かのじょは──。


 ***


 はたしてどれだけの日々が経っただろう。その日迷宮ダンジョンの奥深くには、徒党を成した大勢の

探索者達の姿があった。上位ランクであるAやB、複数のパーティーが念入りな武装を身に

纏ってフロアの一つを進んでいる。

「報告にあった最後の場所は……大体この辺りか」

「ああ。最初のDランクパーティーが皆殺しにされたのを皮切りに、以降はランクも何も関

係なく、出会っちまった探索者達を片っ端から襲っては姿を晦ますこと十回以上。他の奴ら

とは明らかに殺意が違う。まだ外には出ていないらしいってのが、せめてもの救いだよ」

 慎重に慎重を重ね、緊張した面持ちで辺りを見渡す面々。今回彼らがここまで潜って来た

のは、通常の宝探したんさくではない。とある目的の為、とある標的を追って、その目撃情報がもた

らされた直近の地点まで降りて来たのである。

「まあ、今後もそうはならないって保証はないんだが……」

「! レーダーに反応有り! 間違いない、奴だ! 来るぞ!」

 相応の広さがある筈のフロアの壁をぶち破り、一行の前に巨大なクリーチャーが現れたの

は、ちょうどそんな時だった。噴き出るように上がる大量の土埃と衝撃、碧色の光を纏う瓦

礫が直撃しないように防御を固め、陣形を維持して踏ん張る。踏ん張って、やがて霧散して

ゆく土埃の中から姿を露わにしたその巨体に、一同は思わず息を呑んだ。

『……』

 フロアの天井の高さに届かんとするかのような、人馬型の巨躯に所々除く金属質の骨格。

幾度も自己改造を加えたと思われる隆々とした肉体の頭部には、こちらを血走った眼光で睨

む牛頭の異形があった。既に興奮状態にあるのか、何度も鼻息を荒くし、何より両手でガシ

リと握った巨大な斧槍ハルバードに力を込めている。

「っ、出やがったな!」

「……おい。報告で聞いた内容よりもデカくないか? それに四つ足側の胴体部分、取って

付けたような腕まで生え掛けてるぞ」

「タイムラグだろう。俺達が依頼を受けて、準備を整えここまで潜ってくるまでの間に、相

手も素材やら何やらを色々取り込んだんだろう。……五体満足で帰りたきゃあ、死に物狂い

で戦え」

 Aランクパーティーのリーダー格を務める探索者を筆頭に、次の瞬間それぞれが一斉に得

物を抜き放った。重厚な両手剣型や、片手剣・短剣などの二刀流。大槍と盾のセットに二丁

拳銃、携行機銃サブマシンガン、自身のほどある大砲型など。スイッチを入れて、淡く碧い光の凝縮した無

数の刃や砲口が、この相対する巨大な人馬牛頭の怪物へと向けられる。

「──迷宮ダンジョン管理局からの依頼に基づき、これより対象クリーチャー、識別名“虐殺せし者ディアボロス

の討伐を開始する!」

                                      (了)

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