(4) ブックマーク
【お題】矛盾、物語、燃える
フォローしていた絵師さんがまた一人、音沙汰が無くなり始めた。目に見えて更新頻度が
落ちてきたことに気付いてしまった。
……いや、厳密にはもう「漫画家」先生か。僕も読んでいた、大手投稿サイトで好評だっ
た彼女の作品を、同じく名の知れた出版社が拾い上げて書籍化が決まったのだという。
主要なキャラクター達が集まり、報告と喜びの様子を描いたイラストが投稿されていた。
ぶら下がるツリー形式のコメント欄にも、次々と祝福の書き込みが表示されている。
「──」
ただ僕は、そんな様子を内心冷めた気持で閲覧していた。元々こうやって可視化されてい
る他人びとのように、積極的にコメントなりスタンプなりを送った経験は皆無だけれど。
正直「またか」と思った。
お仕事としての執筆、商業作家として多忙になったからだと理屈は解っていても、感覚と
してはまだ一つ好いていた絵柄や作品世界が遠くへ行ってしまうという思いが強かった。も
うこれからは、気軽にこの人の創ったセカイを見れなくなるんだなあ……と、そんな都合の
良い「残念」にうじうじとしながら。
『おめでとうございます! 絶対に買います!』
『早速予約しました!』
要するに僻み? 勝手に身近な相手だと錯覚して、勝手に幻滅しておいて。
こういうのが、いわゆる“厄介ファン”って奴なんだろうか? 少なくとも客観的には、
他のユーザーみたいに毎度毎度コメントをしているでもない以上、向こうにとっては認知す
らしていない全くの他人な訳だから。そんな奴がそれこそ急に、否定的なことを捲し立てて
みろ。周りからすれば、アンチ以外の何者でもない……。
大体もって、いつまでも無料で読める訳ではないだろう? 奉仕するだけの誰かではいら
れないだろう?
個人差があるとはいえ、こういう場所へアップしている以上、彼女だってああいう夢を抱
いていた筈だ。ならばそれが叶い始めた段階で、我が事のように嬉しくなるのがファンとい
うもの。
僕も学生時代、友人の同人誌を手伝ったことがある。だからこそ……と宣うのはおこがま
しいかもしれないが、何かを創り出すという営みは物凄いエネルギーを消費する。時間も、
体力も気力も。そこまで“コスト”を注いで世に出してくれた商品に対し、読みたいと願う
なら相応の対価を出すというのが筋というものだ。カネだから何となく善くはない、は悪し
き価値観になるべきだ。払うことでいちファンとしての責任を持ち、何よりその作り手への
敬意を示す数少ない手段となる筈なのだから。
だから……僕はファンではないんだろうなと思った。金を出す、足を運ぶという一手間を
惜しみ、サッと隙間に読めなくなることに陰が差した時点で、僕は離れるべきだった。距離
なんて始めからずっと遠いままだった。知られようともしなかった。
『寧ろ今まで、ほぼ全話普通に読めていたことがありがたかったんだよねえ。最近は有料枠
も使ってくれていたけど』
『先生の漫画がようやく認められて、私も嬉しいです』
そうさ。僕は捻くれ者だから。顔も知らぬ同士で和気藹々と、テキストだけですら親交を
深めるということにずっと昔から違和感があったし、多分これからも能動的にああいう陽の
下には出られない。こそっと空き時間にスマホを開けて、関連イラストをスクロール。そん
な中で何気なく惹かれた作品があれば、作者ページまで遡り、暫く他のラインナップを眺め
てからUIのフォローボタンを押す。
人によって使い方は違うんだろうけど、僕の場合はそんな感じ。以降巡回したい作者さん
のリスト、備忘録としての意味合いが強いんだろうなと解釈している。実際この手のサイト
は、フォロー済み作者のイラストや漫画のみを新着順で表示する形式になっているし、それ
が一番訴求性が高いのだと知っている。特にもっと新しい何かを……。能動的に探そうとい
う行動へ指が伸びない限り、大抵の過ごし方・使い方はそんな手元の“キープ”分を引き寄
せ直すことになる訳だから。
……それも、また一人埋もれる。一体これで何人目だっけ? フォロー済みの一覧を開い
て確かめようとし、そのページ数の多さに我ながら「ウッ」と短く言葉を詰まらせた。
見ていた時期、見ていなかった時期。度々波が寄せては引いてを繰り返し、バラつきは決
して少なくはないのだろうけど。
最後に更新された年月日が、既に数年単位で止まってる面子が結構いた。何なら気付かぬ
内に利用登録すら解除され、作品プレビューすらなく『退会したユーザーです』のアイコン
のみで一人分を埋めている者もいる。……救えないのが、僕自身その作者が誰であったかを
最早憶えていないということだ。何かの切欠で、アイコンだったり表示名を変えてしまう場
合もあるにせよ、自分の思い入れは所詮そんなものだったか? 不意に空虚さが胸を通り抜
けて情けなくなる。死にたくなる。備忘録だと内心銘打っていた機能はどうした? 印象に
留めておく為のフォローなのに、すっかり心太式に忘れていっているではないか。比較的最
近の何人かばかりを新着で見かけ、他はすっかり鳴りを潜めていたことに気付いてすらいな
かったではないか。
(で、今回彼女もいずれ、そこに加わってゆくことになる……。自分の中では)
何とも言えない後ろめたさに溜め息を吐きそうになり、僕は努めてそれを押し殺した。軽
く膨らませもして横一字に結んだ口と鼻の穴から、スーッと空気が漏れる。視界に持ってき
ていたスマホをズボンの上着の懐にしまい込んで、代わりに昼休み中のオフィスを眺めた。
「──おう、決まりな」
「だが折角キャンプに行くんなら、もっと人数が多い方が……」
ちらと、デスク数列分向こうで何やら──大方週末のレジャーを企画しようとしていた陽
キャな同僚が、こちらを一瞬見てすぐに視線を逸らした。自分は何も見なかったかのように
周りの面々と再びあーだこーだと話し始めていた。
(心配すんな。そういうイベントなんざ、誘われても行かねえよ)
どうせ僕は陰キャ側ですよだ。社交辞令を真に受けて、数合わせで顔を出したところで、
精神と時間をドブに捨てるだけでメリットなど殆ど無い。強いて言うなら上司・同僚とのコ
ミュニケーションだが……そんな場を設けないとまともに詰めの話もできない時点で、端か
ら深め合えるような関係性など存在しなかったと理解した方がよほど互いの為だ。僕は給料
を貰いに来ているのであって、他人による他人の陰口を聞く為に来ているんじゃない。それ
らをやったからって、別途賞与が出るでもなし。
「……」
いや、他人の事なんか言えないな。僕だって実際、こうして“埋もれる”ように暮らして
いるじゃないか。そうしてもう長いこと、それが当たり前で一番楽だと思っている……。
『そりゃあ──自分の思う話を書けるのは自分だけだからじゃねえか? どれだけ腕のいい
誰かに頼めたとしても、そいつを完璧なラジコンに出来る訳でもないんだし……。ま、やっ
てることは本来、黒寄りのグレーではあるんだがな』
昔、友人の同人誌を手伝っていた時期、彼に何故二次創作をするのか? と訊いたことが
ある。最初こそ頭に疑問符を浮かべ、こちらの他意などおそらくは気付いてもいない様子だ
ったが、少し思考を巡らしてから答えたを憶えている。
自分の思う話。
今また、あいつとのことを思い出したのは、十中八九彼女の商業作家化で僕自身が決して
共感されないモヤモヤを抱えた矢先だからだろう。要は独占欲的な何かなのだろう。この人
の作品は好きだが、あまり周りからワーワーと騒ぎ立てられたくもない。ただ面白い、楽し
いと思う作品世界を描き続けて欲しい──手前勝手、自分勝手と言わずに何と言おう?
あいつは、今も同人活動を続けているのだろうか? それとも、流石に社会人になってか
らは忙しくて、遠退くか辞めてしまったか。
……生憎、僕はあいつのように、自分で創れるだけの技量も知識もなかった。憧れたこと
もない訳ではなかったが、早々に己の限界を悟って諦めてしまったというのが実際のところ
だろう。だからこそあいつの熱量は羨ましかったし、頼まれた時は手伝いもした。……その
経験で更に、自分では無理だとの思いが強くなってしまったけれど。
書籍化が決まったあの絵師──漫画家先生のフォローも、僕は今までのように忘れてしま
うのだろう。懐事情と熱量で追い付けず、恨み節を呑み込んでフェードアウトする。それが
いつしか主語述語すら逆転して、記憶の内からも改竄されてゆくのか。
(暫くは、フォローを増やさないようにしよう……)
実質三十分もない昼休憩の終わりが迫る中、僕は密かに思った。フロアの壁掛け時計の針
を眺めて、懐に放り込んだスマホの感覚から先ずは意識の外に置こうと試みる。
推し活って云うんだっけ?
いい加減、せめて一巻目ぐらいは、お礼の意味も込めて製品版を取ってみなくちゃな。
***
(──ああ、これか。うちの辺りにも入荷されてて良かった。それだけ有名になったってこ
となんだろうなあ……)
数日後のことだった。僕は仕事帰りに時たま寄る書店へと足を延ばし、棚のほぼ一列分を
埋めている件の漫画本を手にしていた。投稿サイトでは白黒版のままアップされていること
も珍しくなかった彼女の作品世界が、文字通り物理的に本物になっていることに、情けない
ながらも内心グッとくるものがある。
親心? 違うな。僕は成長やスキルアップになんて関わっていないし、何なら彼女自身の
努力の賜物だ。ファンでいる心算なのと、一方的な距離感の誤解は別物だ。後者は絶対に避
けなければならない。只でさえ中々、彼女を含めたフォロー済みの作者さんの商品を、僕は
網羅できている訳じゃないんだし。
安月給の中でこういう支出は、本来なら“余分”なものに分類される筈なんだけど。
手に取って、レジへ持って行こうとした。何ならこういう時でないと機会はないのだし、
折角だから他の気になっていた作品もあれば買ってゆくか……。
(うん?)
ふと、とある客が目に留まったのは、ちょうどそんな時だった。
目深に帽子を被った、ジャンパーと厚手めズボンの男。年齢は僕よりも一回り近く上ぐら
いか。今日は仕事が休みだったのか、それとも勤務を終えて日没頃の今、来店したのか。
気持ち遠巻きのコーナーで、平積みにされていた新作本の山をじっと見下ろしている。種
類は漫画だったり小説だったり、複数が縦横に収まっているようだった。
「──」
或いは僕が何となく妙に思い、目に留まったのは、この男が終始コソコソと周囲を気にし
ながら辺りをうろついていたように見えたからだったのか。
てく、てく、てく。
何度か平積みの一角を通り過ぎたり戻ったりし、次の瞬間ズボンのポケットからおもむろ
にジッポライターを取り出し──。
「おい、何やってんだ!?」
「っ……?!」
気付いた時にはもう、僕は反射的に動いていた。近くの本棚に件の本を置いたのとほぼ同
時に、この男へ向かって叫び、突進する。向こうも向こうでこちらの動きは予想外だったよ
うだ。
「はっ、離せ! 離せぇぇぇーッ!!」
当然ながら、閉店時刻も近くなっていた店内はにわかに騒然とし始めた。何だ? 何だ?
と、他の居合わせた客達がこちらを覗き込んでくるのが何となく分かってはいたが、身体の
方はそれどころじゃなかった。思った以上に激しく抵抗する男を組み伏せて、僕はその両手
首を強く掴んだ。ギチギチと締められ、思わず男の手からジッポライターが──蓋が開きか
けていて、少し気付くのが遅ければ点火させられていたであろうそれが床に転がる。
「!? 火……?」
「店員さん、店長呼んで! 店長!」
「いや、警察だ警察!」
「兄ちゃん、ナイスプレイだ! そのまま押さえてろ、離すなよ?」
何人か、威勢の良い他の客が取り押さえに加わってくれた。というか、寧ろ僕の方が邪魔
ですらあった。
体格も勇気も格段に上の彼らに、バトンタッチで押さえ込まれ、この目深の帽子男は暫し
喚き散らしていた。もし僕の勘違いなら大変なことになっていたが……どうやら本当に予感
した通りのことをこいつはやろうとしていたらしい。幸い点火まで届かなかったことを確認
し、慌てて駆け寄って来た店長さんらしき人物に、僕は拾い直した男のジッポライターを手
渡す。
「離せ、離せ! 退け、退け! それは……消さなきゃならないんだあ!」
はっきりとした事情は分からない。だが男の抵抗ぶり、執念じみた言動から、どうやらあ
の平積みされた作品の一つに不満があったらしい。「あんな改変、原作を汚しやがって!」
なるほど。古参気取りの原理主義的な動機か。
(……馬鹿野郎が)
実際息切れしていたことも手伝って、僕はそこから先の台詞を口にまでは出せなかった。
だが一方で自分にまだこんな熱量が残っていたのかと、正直驚くぐらいの義憤りでもって、
僕は沸々とこの男を睨んでいた。……同族嫌悪? 尚も醜く縋り付こうとする、男の抵抗を
見つめていた。
馬鹿野郎が。どれだけ思ってたものと違っても、一線を踏み越えちまったら愛だの何だの
言う資格なんて無くなるんだぞ? ファンを名乗ることすら許されねえんだぞ?
(了)




