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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-155.October 2025
273/284

(3) イノセンス

【お題】悪魔、廃人、関係

 彼女が物心付いた頃には、既に両親の仲は冷え切っていました。幼子の日々、自身に思い

出したように掛けられる甘い言葉よりも、互いに壁一枚隔てた向こうで罵り合う言葉や、姿

ばかりが記憶に残っていました。彼女は終生、その“原風景”に苦しめられることになった

のです。


「そうやってまた仕事仕事って……! 逃げてるだけじゃない! 解らないからって、私に

陽向ひなたを全部押し付けて!」

「そっちこそ、何度言やあ解るんだ!? お前らを養う為に、こっちは毎日毎日働いてんだ

よ! 下げたくもねえ相手に頭を下げて、要らねえ手間ばかり増やされて……。自分ばっか

り被害者面するんじゃねえよ!」

「何よ!」「何をお!?」

「……」

 理由は何なのか、相手への不満は何処に在るのか?

 少なくとも幼い少女に、当時の事情など解る筈もありませんでした。ただ現実として、二

人の口論はほぼ毎日のように繰り返され、日常を蝕んでゆきます。そして彼女自身も気付か

ぬ内に、その心を歪め壊してゆくには十分過ぎるものでした。

(……お父さんとお母さん、いつもケンカ)

(私が悪いのかな? 私がいるから、二人とも仲良しにはなれないのかな……?)

 結果、自然と彼女は寡黙で大人しいとなり、園でも他の子供達と外で駆け回るよりも、

専ら一人静かに部屋の中で遊ぶことを好む性格を形成してゆきました。

 特にお気に入りだったのは、絵を描くことです。床いっぱいに画用紙とクレヨンを広げ、

思うがままに自分の中の、自分の目に映る世界を描く……。それは彼女にとっての対話であ

り、日々蓄積し続ける心のダメージを分散する捌け口だったのかもしれません。

『! 陽向、また……!』

 尤も母親からはしばしば、その画用紙に収まり切らずにクレヨンで“汚し”てしまいがち

なその拙さあくへきを、己の不機嫌と割増しで注意されることも多々あったのですが。


(また……)

 さりとて両親の不仲は、一向に和らぐ気配がありません。寧ろ月日を重ねる毎に、悪化し

てゆく一方のようです。

 その日も彼女は、別の部屋で激しく口論している二人の声を聞いていました。最近では偶

に、物が飛び交い始めるような時もあり、その度彼女の胸奥はキュッと締め付けられていま

した。かと言って不安になって覗けば、心配して止めようとすれば、そんな時に限って二人

の意見は一致するのです。「危ねえから、お前は引っ込んでろ!」「今、大事な話をしてい

るから……ね?」

 私のせいだ。彼女は強く思うようになっていました。

 それでも止めなきゃ。幼い心には二人を“切り捨て”られなくとも、ただ仲良くして欲し

い、笑っていて欲しいという願いだけはありました。

 何枚何十枚と画用紙を広げて、クレヨンの色彩を擦り付けて。その指先からはいつも、太

陽の下で笑って並ぶ自分達家族三人の姿が描かれますが、決まっては最後はぐちゃぐちゃに

塗り潰されます。真っ黒に、或いは真っ赤に。父の顔も母の顔も塗り潰して、笑顔で照らす

太陽も抹消されます。我が家も自分自身の姿も、黒くぐちゃぐちゃで、目に涙のような楕円

がぶら下がっています。

『──オォン? 悲シイノカイ?』

 ちょうど、そんな時でした。彼女が散々黒く塗り潰していた画用紙の一枚から、ぬるりと

酷くのっぽな黒い影が這い出てくると、問うてきます。その両眼は白く濁っており、口もギ

ザギザの歯がびっしり生えていました。手や足の先も鉤爪のように鋭く、背中からは骨組み

だけのような翼、お尻からは長く先端が三つ又に分かれた尻尾が伸びています。

「…………。あなた、誰?」

 黙々とクレヨンを握っていた手も、流石に止まっていました。彼女は急に現れたこの黒の

っぽを見上げ、逆に問い返します。ただ当の本人(?)は、それでも尚きょとんとしている

ようで。

『誰ァレ? オ前ガオデ喚ンダ。ドウニカシテクレッテ、オデ喚ンダ』

「えっ……?」

 最初、彼女は何が起きたのさえもよく解っていませんでした。ただ自分と一緒に、疑問符

でゆっくりと互いに首を傾げる動作をし、黒のっぽ自身に害意は無いように見えます。

『……アイツラ? アイツラ、ウルサイノ、オ前悲シイ? 黙ラセタイ?』

 するとどうでしょう。暫く対応に困っていた彼女の脇からヌッと文字通り身体を伸ばした

かと思うと、彼(?)はダイニングを隔てた、絶賛口論中の両親を覗き込み始めたのです。

彼女もバレたら拙い──首を突っ込んで火の粉を被るのは厭でした。こっそり開けたドアの

隙間から、二人してこの一部始終を観ています。

『オ前、手出ス手出ス。指ト指デ、四角作ル』

 黒のっぽが言いました。ドアの隙間から覗く、両親の姿を収めるように、彼はL字にした

両手の親指と人差し指で長方形を作りました。彼女も、促されるがままにこれを真似、一旦

彼をチラ見してから長方形を覗きます。

 指と両親、視界を通すその空間が次の瞬間、ぐにゃりと波打ったような気がして……はら

りと一枚の画用紙が足元に落ちました。ゴトン、と色とりどりのクレヨンがそこに加わって

いました。紙には間違いなく自分の、普段描いているようなデフォルメ柄で、激しく言い争

っている両親の姿が描かれています。

『ココ、消ス。白ク塗ル。ソシタラアイツラ黙ル。シバラク忘レル』

「……」

 正直なところ、彼女はずっと半信半疑でした。何もない空間から、突如画用紙やクレヨン

が出てきたこともですが、そもそも言えばこいつもです。手品とかそういう奴なのかな? 

幼心ながらにも、既に彼女の感情は冷め切っていたのかもしれません。

(白く……? 絵の中の二人だけでも、黙らせろってこと……?)

 クレヨンの中から白色のそれを取り、画用紙の中に描かれていた、口論する両親の斜め頭

上。字はぐちゃぐちゃに重なってよく判りませんでしたが、いわゆるフキダシ部分をごしご

しと、上から白く塗り潰していって……。

『──』

 するとどうでしょう。それまで今にも取っ組み合いにまで発展しそうだった、ドアの隙間

の向こうの両親が、急にスン……と大人しくなったではありませんか。

 ぼうっと焦点の合っていない、相手がそこに居ることすらも、もしかしたら認識していな

い眼。半開きのまま、たっぷり数十拍出なくなった言葉。

「……さっさと着替えてなきゃ」

「晩ご飯、作らなきゃ……」

 二人はめいめいに、うわ言のように呟き、お互いあさっての方向へとぼとぼ歩き去ってゆ

きます。

『ドウ? コレデオ前、悲シイ悲シイ無クナル? オ前嬉シイ?』

「……」

 彼女は暫く、そんな一部始終を呆然と見つめていました。他ならぬ自分のやったことなの

だと、否応にも理解させられます。一方でこの黒のっぽは、自分も手本を見せて彼女にさせ

た一連の不思議な力で、二人を大人しくさせられたと無邪気に喜んでいるようです。笑顔と

呼べるのかどうかは判りにくい造形をしていますが、少なくともこちらに向けてくる声色は

子犬のような人懐っこさです。

「……陽向」

『ウン?』

「私、陽向っていうの。その、ありがとう」

 彼女は言いました。ぼそっと、慣れない感じでそう名乗り、今度は傍らの黒のっぽの方を

見上げます。数拍黙ったままでしたが、相手もようやく自分のそれを訊かれたのだと理解し

たようです。

『ア、エット……。オデ、名前ナイ。オ前──ヒナタ付ケテ?』

 彼女は、思わず瞬きしました。少なくともそれが“契約”だということを、以降ずっと自

分も相手も縛られることを、知る由もないまま。

「……じゃあ、クロ。真っ黒のっぽさんだから。いい?」



 突如自分の前に現れた黒のっぽ、クロから不思議な力を与えられた彼女は、その後も両親

の喧嘩が激しくなる度にこっそりそれを使うようになりました。暫く忘れる──クロが言っ

ていた通り、一度黙らせても、時間が経てばまた元通りの険悪な仲に戻ってしまう二人の為

に、彼女は何度も何度もその力を使い続けました。ただ仲良しでいて欲しかっただけだった

のです。同時にそれは、自らの心の安寧でもあったことを……はっきり自覚するようになっ

たのは随分と先のことではありましたが。

「──ひ~なた~。今日放課後、カラオケ行かない? 南高の子達も来る予定なんだ。久し

ぶりに盛り上がると思うんだけど」

「あ~……ごめん。今日、バイトあるから……」

 しかし成長するにつれ、彼女は積極的に力を使わないようになりました。こと思春期、学

校という閉鎖的な環境と他人の眼が顕著となり、避けられないレベルにまで変容してきた現

在となっては、最早いち女子生徒として目立たず騒がず過ごそうとすることに全精力を傾け

ていると言っても過言ではありません。

「そっか……」

 この日も一日の授業が終わり、皆がいそいそと帰り支度や部活へ出て行こうとする頃合。

 彼女もクラスの女子グループから、遊びに行こうと誘われましたが、ぎこちない苦笑いを

浮かべて断ります。尤も相手も相手で何となく読めてはいたのか、或いはそのフレーズを出

されれば引き下がらざるを得ないのか、それ以上食い下がっては来ませんでした。ヒソヒソ

と、教室を出て行きながら他のメンバーと話す声が耳に届きます。

「だから言ったじゃん。陽向は付き合い悪いいんキャだって」

「仕方ないよ。小さい頃から施設育ちだし、お金も貯めないと……」

「そういや、部活もあんまり続かなかったんだっけ?」

「美術部ね。まあ、お金も時間も掛かるし、進路にするには不安定過ぎるしねえ……」

「勿体無いよね~? あんだけ絵が上手くって、文化祭でも大助かりだったのに」

「──」

 聞こえてるっての。特段露骨に抗議するでもなく、彼女は努めて視線を逸らしてやり過ご

す方を選んでいました。知ってか知らずか、グループの彼女らは好き放題に話しつつ、教室

から姿を消します。

 静かに密かに深呼吸。今に始まった事ではないと思いながらも、心中彼女の気分は陰鬱で

した。他人の事情を突っ突くだけ突っ突いて、無責任に将来のことまで口出ししてきやがる

からです。

(もうあんまり、絵は描きたくないし……。あんなことになるなら、二度と……)

 他のクラスメート達のざわめき、気の緩みに紛れながら、彼女も一人教室を後にしていま

した。鞄の取っ手を両肩に通すようにして背負い込み、スカートのポケットに両手を突っ込

んだままとぼとぼと歩いてゆきます。


『またこんなに散らかして! 汚れるから止めないさって言ったでしょ!』

 それは忘れもしない、幼き日の事件。黒のっぽのクロと出会い、不思議な力が使えるよう

になってから一年近くが経った頃、彼女は不意に部屋へと入ってきた母親に初っ端どやされ

たのでした。不機嫌──この前“消した”フキダシの効き目がもう切れた……? 叱られて

いる内容よりも、彼女は内心そんなことを考えていましたが、事件はちょうどそんな上の空

な最中に起こったのです。

『ったく、もう。というかいつの間にこんな紙もクレヨンも沢山……? あの人ったら、私

に黙ってこの子に。自分の味方にする気ね?』

 苛々、むかむか。

 訊いていもないし、答えてもいないのに、母親はそう決め付けて恨み節を吐くと画用紙の

内の一枚を手に取りました。『あっ……』彼女が小さく声を上げるも、当人は気付く筈もあ

りません。彼女が何回か前に、両親を指の長方形に収めて生み出した絵の一つ。言い争って

いる二人の斜め頭上のフキダシを、白いクレヨンで塗り潰してある絵です。

『何よこれ? 私達が話しているところでも書いてたの……? 止めなさいって言ってるで

しょ。もう、こんなゴミ──』

 母親としては、辺りいっぱいに広がる紙屑の一つにしか見えなかったのでしょう。その前

に当の娘にも断らず、ぶつくさと呟きながらこれを破り捨てようとします。

『み──』

『ひっ……?!』

 “真ん中から縦に割け”ました。折り畳み、画用紙を手で破り捨てようとした次の瞬間、

他ならぬ母親自身がその身体を真っ二つにされ倒れたのです。ばしゃっと飛び散る大量の赤

色。画用紙達は汚れ、一瞬の静寂が訪れました。彼女は一体何が起こったのか判らず、只々

ガクガクと震えています。

『ア~ア、破イチャッタ~。ソンナコトシタラ、自分ニ返ッテクルダケナノニ。ア、デモ、

コレデ本当ニ、ヒナタニトッテハ静カニナルノカナ?』

 ぬっと、何処からともなくクロが姿を見せて、この割かれた母親だったものを見下ろして

いました。どういうこと……? 問うよりも前に、彼女は理解してしまっていました。今母

が破いたのは以前使ったクロの画用紙。フキダシを白く塗り潰すことで思考を消せるなら、

紙に描かれた当人を損なえば、現実の当人も同じ目に遭う……?

『ど、どうして!? どうして教えてくれなかったの!? 止めなかったの!?』

『……? ダッテ訊カレナカッタシ。ソレニコイツハ、ヒナタヲ苛メル悪イヤツダロウ? 

チョウド良イジャナイ』

 まだ幼かった彼女は絶句していました。言葉の通り、クロには本当に悪意が無い。請われ

なかったから答えなかったし、陽向以外の人間はどうでもいいのです。呆然として。改めて

教えてくれと頼むと、クロはいつもの調子で言うのでした。

『出シタ絵ハ、コウシテモウ一度、四角ノ中ニ収メルト消エルヨ。タクサンアッテ怒ラレル

ナラ、残リハシマッテオイタ方ガイイノカナア?』

『…………』

 その後、彼女は回覧板を持ってきた近所のおばさんによって発見され、警察の──その後

養護施設への預かりとなりました。まさかクロと彼女自身が原因だと周りの大人達が分かる

筈もなく、事件は犯人不明のまま未解決として処理されました。

 尚、画用紙が破れられたのと同じ日に、父親の方も出勤先で“二つに割けて”亡くなって

いたことが判っています。


(バイトまでまだ、暫く時間あるなあ……。キョウ達に乗ってれば良かったかな)

 とぼとぼと。学校を出ていつもの見慣れた商店街を通りながら、彼女はぼんやり取り留め

の無い思考に揉まれていました。クラス教室で、ああ言って断りはしたものの、実際は勤務

時間以外は暇なのです。現在の自宅──施設の自室に戻っても、他の入居中の面子が騒がし

くて心安らぐとは言えません。

 周りの人通りは疎ら。近所から買い物に来ているご老人や、何処かへ遊びにでも行こうと

しているやんちゃそうなお兄さん、宅配のトラックなどが確認できるくらいです。

 ぼうっと、自身もただ通過してゆくだけの筈でした。いつものように、今日この日も、決

して約束などされない未来の為に只々備え、自分を抑え付けて過ごすだけの時間に過ぎませ

んでした。

「ひゃあッ!? ま、待ってくれぇぇ~、ひったくりだ~!」

「……っ!?」

 まさにちょうど、そんな時だったのです。彼女の後方からどさりと人が倒れ込む音が耳に

届いたかと思うと、高齢の女性が一人おろおろと手を伸ばして叫んでいたのでした。思わず

他の通行人らと共に振り返った彼女。ですがその間に犯人と思しきサングラスの男は、女性

の荷物と思しき風呂敷包みを片手に商店街の通りを疾走してゆきます。

「嘘……」

「おい、こら!」「止まれ~ッ!」

 果敢にも事態に気付いたあんちゃん達が叫び、動き出しますが、とうに先手を取っていたサ

ングラスの犯人男の方がずっと速く、追い付きそうにありません。このままではお婆さんの

荷物はまんまと持ち逃げされてしまうでしょう。

 ──気付いた時には、陽向かのじょは弾かれるように駆け出していました。

『オンヤ? 捕マエルノ? アイツ、ヒナタニ悪イコトシタ奴ジャナイヨ?』

「私にじゃなくても、お婆ちゃんが困ってるでしょ! そこまで私も腐ってはないの!」

 あの日以来の経験で、クロが自分以外の人間には視えないことは判っている……。

 彼女はグラサン男の背中を追いながら、気配だけで話し掛けてくるクロにそう半ば苛立っ

て叫んでいました。ズザザッと踏ん張ってブレーキをかけ、男を真っ直ぐ斜線上に捉えたま

ま、一旦路地裏の一つに身を潜めます。

(よし。この位置なら誰も見てない。これなら……!)

 彼女は両手親指と人差し指でL字を作り、二つ合わせて長方形のレンズを掲げました。か

つてクロが現れ、教わった不思議な力。それを今回は斜線上のグラサン男に向かって使いま

す。ぐらりと揺らいだ枠内の視界に、画用紙とクレヨンの束が転がり落ちてゆきます。

 ぱしりと画用紙を取り、足元のクレヨン達から茶色を選択。物陰で薄暗く、アスファルト

の凸凹で描き辛いながらも、彼女は絵の中の男の両足に、丸く結んだ縄を描き足しました。

「ぐべっ?!」

 するとどうでしょう。道の向こうで人々の追跡を振り切ろうとしていたグラサン男が、突

然前方へ突っ伏すように倒れた込んだではありませんか。「あいつ、転んだぞ?」「分から

んが、チャンスだ!」同じく追ってくれていた親切なお兄さん達が、不意の出来事ながらも

これを幸いと猛スパート。何故か両足首を縄で結ばれて動けなくなっていた、この犯人を馬

乗りになって取り押さえることに成功します。

「あ痛、たたたた……!」

「大人しろ! お婆さんの荷物返せ!」

「おい、誰か警察! 警察に110番!」

 現場はにわかに、騒然となっていました。白昼──というより夕刻前の大胆な犯行という

状況も然る事ながら、攻防の一部始終を目撃していた人々は、その不自然な犯人の転倒に少

なからず不審の眼を注いでいたからです。

『──アレ? イイノ? 皆ノトコロニ出テ行カナクテ』

「行かないわよ。証人とかになっちゃったら、色々面倒だし。院長先生達にも迷惑掛けちゃ

うだろうし……」

 表向き、目前で繰り広げられていたひったくり未遂は、この正義感溢れる男性達によって

防がれたという流れになってゆきました。荷物は取り返され、お婆さんは彼らに何度も頭を

下げてお礼を述べていました。彼らも彼らで「当然の事をしたまでです」とあくまで謙虚。

通報を受け、現場へ駆け付けてきた数名の警察官にあれやこれやと事情を説明した後は、誰

とも判らず再び人ごみの中へと消えて行ったのでした。

「……あれ? なあ、さっきこいつの足に縄みたいなの掛かってなかったか?」

「え? いや、憶えてないけど……。無いじゃん、そんなの」

 彼女はそんな事態の収拾をそっと見守りながら、足元にあった先程の画用紙及びクレヨン

に、改めて両手で作った長方形を。出した時と同じように、視界の枠の中が一瞬揺らいだよ

うに見えたかと思うと、これらは音もなく誰かに知られるでもなく忽然と消えます。ふいっ

と、彼女は遠回りして現場を後にして行きます。

『良カッタネ、ヒナタ。悪イ奴懲ラシメラレテ。モットモット、ヤッテモ良インダヨ?』

「ふんだ。その口車には乗らないからね? あんたのやったこと……赦した訳じゃあないん

だから」

                                      (了)

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