(2) 夜長の呪
【お題】風、音、人工
昼間、他人の声や気配にあれほど意識を奪われ消耗する癖に、夜部屋で独り音楽を聴いた
り緩く掛ける扇風機の音はさほど気にならない。虫の音も不愉快ではない。……根本的に、
人間が厭いなんだろうなあと改めて思う。
『●●君、こっちの整理頼むよ』
『●●さん、ちょっと(私の為に動いてくれて当然でしょう?)』
『あ~、疲れた~……。あ、ちょっと。何ぼさっとしてんのよ? 重たい荷物があるんだか
ら運んでよ!』
『いくら休みだからってゴロゴロと……。そうやって家に籠ってばかりじゃあ、すぐに駄目
になるんだぞ? 聴いてるのか? おい!』
……五月蠅いな。「休み」の日は「休み」だろうが。別の“仕事”をする日の筈じゃあな
いだろ? 何当たり前みたいに手前の都合を捻じ込んで来やがる? 「休み」の意味解って
るか? 「休む」んだよ。普段、職場でも家でもおかなきゃならないルーティンを捌いて、
今日もこの日を迎えたんだ。
僕の聖域に、すけずけと上がり込んで来るんじゃあない。僕はあんたの人足の為に、此処
に居るんじゃあない。
……根本的に、人間が厭いだということは、人間として生きることに向いていないという
ことだ。
太古の狩猟・採集生活にしろ、現代の飽和した文明の中に暮らすにしろ、その恩恵を受け
ようとするのなら対価を払うのが筋だ。狩りや採集に加わったり、彼・彼女らを支える何か
しらの役割を担ったり。“会費”を払わない者は会員ではない。……解っちゃあいるんだ。
今日びだってタダ乗りする奴は嫌われる。甘い汁だけを吸って、自分だけは楽しようとする
なんて。それが“自由”だと宣うものだから。勿論皆が皆が、己の与え与えられで他人の価
値を測らないし、上だの下だのと目くじらを立てる訳ではないのだろうけど……。
それでも、大なり小なり「ずるい」を抱えて生きている。そう視える誰かを探している。
(……)
解っている。僕は、個は無力だ。
識っている。生まれて今日まで育ててもらった恩、報いるべきだということ。何よりそう
した役目──与えられてきた側から与える側へ、自らを成長させ続けなければならないとい
うこと。命と義務と文化のバトンを、次の世代に渡すことを至上とするサイクルの中に、僕
達は生きているということ。
嗚呼……。厭だ。
なのに僕らは、現代っ子の片棒を担いできた。たかが十年数十年の毒にどっぷりと浸かり
切って久しいのだ。大きなサイクルとやらに従わず、代わりに己の個に対し盲信する。
旧い価値観だ。塗り替え、克服べき抑圧だ──どう足掻いたって、物理的に減らしていっ
た番いとその仔は戻らぬだろうに。その上でまだ、かつてのコミュニティの利益だけは基本
変わらず享受できると信じてやがる。
『新しいってことは、正しいことって訳でもなかろうに』
『既に在るとか、続けられてきたってのは、少なくも何かしらの理由があるってことだよ?
相応かどうかはものによるけどねえ』
『“保守的”で結構。拘り過ぎて学ばないのも問題だが、古臭いからぶっ壊せも大概ではな
いかね? 未来の形に責任を持つ気がないなら、結局どちらも邪悪には違いないのだから』
思うがままに、己個人一人が快適に過ごそうとすることがそんなに“悪”であるのなら、
いっそ生きることなんか辞めてしまえと思う夜は幾度もあった。しがらみで、面倒臭くて。
それでも暴力に訴え出る訳にもずに、こちらが大きく距離を取ろうと努めているのに……手
前らはそんな一時すら軽んじてきやがる。削り取っても「どうってことないでしょ?」と、
気遣いの俎上にすら載せないのさ。
糞が! 糞が!! 糞がッ!!
俺(私)が関わる付き合い、過ごし方は有意義な時間。お前(僕)が独りで好んでいる時
間は、得体のしれない無駄な時間。イコール「どうせ暇」。
分かっちゃいたことだが、個は無力だ。群体と同じ景色が視えなければ、同じ空間に居る
ことすら苦しい。
……まあそれは、相手方にとっても同じか。
話したってどうせ伝わらない、相変わらずそっちの“雑音”を押し付けるだけだとほぼ端
から諦めている。守りに入っている。お互い何でだろう? 聞く耳もありゃしないと思って
いる。歳月ばかりが過ぎ、多くは比較的早々に上っ面に留まる。ただそこに居るだけ、同じ
空間に一時的に居るだけ──同じ夜長も、全く違った過ごし方と感じ方で幾度となく越えて
きたのだろう。別の誰かの可能性なんて、想像するだけ無駄で。
夜は好い。他人の声が小さくなる。誰かの音を聞かずに済む。その為に部屋で一人籠って
いても、基本はそこまで目くじらを立てられない。
勿論、何処に住んでいるか、環境次第でその勝手もピンからキリまではあるんだろうけど
も。都会ならばずっと誰かが起きている。遠くで走り去る者の、或いはカーテンの隙間から
潜り込むネオンの明かりが“整った”聖域に水を差すことがあるかもしれない。
僕は田舎だ。他人が厭なのに、そのヒトが一番醜い姿で現存する環境。でもだからこそ、
大抵の人間は若い内に就職や結婚で出て行くし、戻ることはない。帰省したいと思ってくれ
るのは、きちんと想ってくれる誰かがそこに待ってくれているからだと僕は思う。間違って
も頼んでもいない期待や理想像を押し付け、それに歯向かう度に癇癪を起こして憚らないよ
うな人間では。
……夜は好い。たとえ一時とはいえ、誰にも邪魔さない空間に浸れる。たとえ一度のそれ
に限界が存在するにしても、僕のような人種はきっと、これがなければとっくに壊れ直して
いるだろうから。
書きたいものを、気力や体力が続く限り。
描きたいものを、その技術や想像力が追い付く限り。
感じたいものを、大切にしまい込んだその箱から取り出して。取り出すことを許されて。
他人が苦手だ。他人と触れ合うことを避けたい。それは今まで経験してきた中で学習して
しまった面倒臭さであり、新たな関係をゼロから、能動的に築いたところで……という恐れ
と諦めが綯い交ぜになって久しい姿だと理解している。
ヒトはすれ違う。
ヒトは醜い。
ヒトは何処でも集団を作り、いずれは瓦解する。
世の物語の多くは、得てして“人間賛歌”の物語だ。だが僕は長い間、昔からずっとそん
な向きに馴染めなかった。反骨神ばかりが湧き、都合が良過ぎると憤った。作劇の都合、輝
かせるも曇らせるも執筆者の匙加減次第ではあるけれど。
それでも……ただ順風満帆なだけでは面白くなかった。中々面白く感じることができない
でいた。数多の困難を乗り越え、勝利や正義を成す。手に取る者はそこにカタルシスを見出
して「面白い」とする。
でも僕は、そこへ目が向かった。惹き寄せられるのは、いつだってその困難を生み出して
きた、いわゆる“敵”達の群像だ。醜さと保身と、浅慮と悪意。英雄の為に踏み付けられ、
それが当然とされる前提のセカイに生み落とされて尚、その役目を全うする。大部分の彼ら
の方が、よほど「人間的」ではなかったのか? 僕らそのものだと身につまされるほどの造
形がしばしば名演とされるなら、何故もっと彼らを“賛歌”しないのだろう……? それは
結局、誰もが悪人よりも善人でありたい、悪役よりも主人公でありたいという露骨な我欲の
肯定に他ならないのではないか……?
僕は娯楽を愛する。
僕は娯楽を愛したい。
僕は娯楽を生み出したい。
幼い頃自分は、娯楽を何処か悪いものだと思っていた。故に終ぞこれまで堪能する術を知
らなかった。これからもきっと、長年に渡り「全力」をやってきた人々には敵わないのだろ
う。それでも自分なりに、紐解き直したいと願う。あちこち散らかりっ放しだけれど、思う
がままに取り込ればと願う。
時間を忘れたい。
時間は過ぎてゆく。どれだけ「待って」と呼び止めても、構いやせずに。
だからこそ夜は独りで居たかった。誰にも邪魔されず、少なくとも同じ何かを共有し、楽
しめる一時に変えて、昼間の消耗すらも忘れて……。
それこそが、娯楽が娯楽として機能した瞬間ではなかろうか? 真髄ではないだろうか?
得体のしれないことはない。楽しんでいるんだ。ただそれが、すぐ目の前や近くを通り掛か
る誰かにとって、理解もできないしする心算もないというだけで……。
「──」
外でバイクの音がした。時刻表示を見る。おそらくは新聞配達のお兄さんだ。エンジン音
が近付いて来て、止まってまた遠退いていった。これもまた一つの役割だ。
嗚呼、気付けばもうこんな時間になってしまった。今夜もまた、規則正しく床に就くタイ
ミングを逸してしまった。
今から寝れば……どれぐらい睡眠が取れるだろうか? 足りるだろうか?
身体に良くないことは分かっている。肝心の脳味噌も、ベストコンディションとは離れて
しまう要因だとは分かっている。
それでも、この一時だけは。
(了)




