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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-154.September 2025
269/284

(4) 君の未来図

【お題】時間、プロポーズ、恐怖

「先輩、好きです。結婚を前提にお付き合いしてください」

「けっ──?!」

 ただでさえ想定外の出来事だったのに加え、そんな台詞までぶっ込んでこられたものだか

ら、正直最初はかなり混乱した。

 彼女の名前は、水無瀬すいちゃん。同じ委員会に所属している一個下の女の子だ。普段は物

静かな性格というか、あまり感情を表に出さないタイプと認識してたため、告白される瞬間

までは全くその気持ちに気付けなかった。

 綺麗に切り揃えられた、ミドルショートの黒髪。

 元々のっぽな方とはいえ、自分よりも頭一つ分くらいは低い小柄な身体。

 にも拘らず、こんな一世一代の大勝負の時であっても、当の本人は一見淡々としていた。

ちょこんと俺の顎下から、じっとこちらを見上げて返事を待っている。

「……えっと。きゅ、急に言われてビックリしちゃって……。俺で、良いの……?」

「はい。こんな時に相手を間違う筈もありませんし」

 彼女の表情は真剣だった。真っ直ぐにこちらを見ていた。

 思わず確認するように、というか自分でも信じられずにそんな情けない言葉を返してしま

っていたが、これ以上食い下がっては本当に呆れられてしまう。何せ十数年、生きていて初

めてのことだったから、動転するものはする。

 ……ぶっちゃけ、彼女のことは可愛いなとは思っていた。委員会の仕事だって、人数合わ

せの為にくじ引きで所属することになった俺とは違い、一年生の段階で既に卒なくこなして

いる。間違いなく地頭は上なんだろう。そんなに、知らなかったとはいえ想ってもらえる

とは光栄だ。それに理性的云々よりも、いち健全な男子高校生がこんなイベントに遭遇しよ

うものなら……。

「そ、そっか。ありが、とう? 俺で良ければ。あ、でも、まだ年齢がアレだし、先ずはお

互いをもっと知りながらってことで?」

 流石に結婚云々という文言までは、この時の俺は直接踏み込む気にはなれなかった。どち

らにしてもお互い未成年ということもあるし、猶予じかんはある。もし彼女が思いの外衝動的に迫

ってきただけだったとしても、それで収まるところには収まるだろうし、お互いのダメージ

も可能な限り軽減される筈だ。実際俺も彼女のことを、委員会繋がり以外で殆ど知らなかっ

たというのも大きい。自分を好いてくれるこの後輩のことを、もっと知りたいと思った。

「……分かりました。ではどうぞ、宜しくお願いします」

 少し目を細めるようにして、翠ちゃんはぽつりとそう応じた。俺にそれとなくはぐらかさ

れたことには気付いているようで、それでもオーケーは貰えたと妥協したのだろうか。ぺこ

りと丁寧なお辞儀をして、やはり一見すると最初と同じように淡々と宣言する。



 そんなこんなで、俺は翠ちゃんと付き合うことになった。尤もこういうのはお互い初心者

なのもあって、即劇的に何かが変わったのか? というとそうでもないんだけど──。

「お待たせしました。はいこれ、先輩の分」

「サンキュー。さ~て、今日はどんな料理が……」

 午前中の授業を終えて昼休みに入ると、俺は決まって教室を抜け出し、中庭の一角に場所

を移すようになった。言うなれば指定席。傍に大きな樹があってちょうど良い日除けになる

この木陰で、合流した翠ちゃんのお手製弁当を食べるのだ。

「おっほ♪」

 ワクワクしながら蓋を開けると、今日も今日とて色とりどりの丁寧に詰められたおかずと

白ご飯が並ぶ。委員会での仕事もそうだったが、基本彼女は器用さんなのである。本人は褒

められると「必要に迫られてやり始めただけですから……」と謙遜するが、その時に頬を赤

らめているのを俺は見逃していない。お家の都合で作っていたものが、自分以外の第三者の

分まで作って来てくれている時点で相当の熱量だと俺は思う。実際付き合い始めるまで、俺

はコンビニなどで買ってきた惣菜パンやカップ麺ばかりだったから、栄養的な意味でもこの

変化は良い変化なのだろう。

「今回も美味そうだなあ。良い嫁さんになるよ」

「……そのつもりですから。では先輩、手を合わせて」

『いただきます』

 二人して手を合わせて、食べ物に感謝を。つい衝いて出た俺の言葉に、翠ちゃんはふふっ

微笑わらったことに気付いたのは箸を付け始めた直後だった。ちょっと恥ずかしい。

 全体的にしつこさを抑えた、食べる人の健康をそこはかとなく考えられた味付け。俺個人

は油っこいものも、肉系も割と好きだし体力も付くと思うのだが、もしかしなくても彼女が

そこまで考えた上で調整してくれているのかなと考えると、これもこれで良い。というか、

もう既に胃袋に馴染んてしまいつつある自分がいる。

「そういや翠ちゃん」

「? はい、何でしょう?」

 だからなのか、俺はすっかり恒例となったこの一時を堪能しながら、翠ちゃんに訊いてみ

ていた。もぐもぐと咀嚼をして飲み込み、タイミングとしてはそろそろ良いだろうか? 未

だかな? と、内心五分五分の心算で。

「その、最初の時さ? 結婚を前提に~って言ってたけど、あれってどういう理由だったの

かなあって。俺も翠ちゃんが初めてだったから確かなことは言えないけどさ? 見合いでも

ない限り、あんまり告るのとセットで言う台詞じゃねえし。一人の女の子の決断としては重

過ぎるだろ?」

「……」

 翠ちゃんはピタリと、静かに箸を止めていた。元々物静かだった雰囲気が更に深まり、次

の一手で何と返そうか思考しているさまが横顔から窺える。

 或いは、あの時はぐらかしたことを思い出して、冷めさせてしまっただろうか? そうな

らこの話題はもっと先まで封印しておくべきだが……。

「先輩は──重い女は嫌いですか?」

「え、いや。翠ちゃんが嫌いって訳じゃなくてだな!? どうしてそこまで一足飛びなんだ

ろう? って疑問に思っただけで……!」

 あたふた。だから言わんこっちゃないと俺は、心の中で俺を叱っていた。

 少なくともあの日から今日まで問題なく、穏やかに過ごせたっていうのに、自分から藪蛇

を突いてどうする? せめて本人のタイミング、向こうから話してくれるまで待った方が良

かったんじゃないか? 何か事情がありそうな気配はあったじゃないか。

「……そうですね。私も、隠したままでは駄目だとは思っていました」

 だが、幸いにも当の翠ちゃんの反応は冷静だった。後ろめたさとでも言うべきか。俺から

の、相応に日数を空けた上での質問にキュッと唇を結びながらも、そろそろ答えるタイミン

グなのだろうと決意したらしい。

「面倒臭いじゃないですか」

「えっ?」

「恋の駆け引きとか、あーだこーだと気を揉んだり、揉まされたりって」

 正直意外だった。真面目そうな彼女にしては、随分と思い切ったことを言う。それを言う

なら、毎日俺の分まで弁当を作って来てくれることだって、その面倒臭い部類に入るんじゃ

ないのか?

「恋愛のゴールって、突き詰めれば結婚の筈ですよね? なのに多くの人達は、その過程ば

かりを美化しているように思うんです。途中で別れる可能性はあるのは分かるんですが、な

ら尚の事、ずるずると冷めた関係を続ける意味が解りません。……人生は、有限なのに」

「……」

 急ぎ過ぎじゃない? そんな言葉をぐっと吞み込んで、俺は暫く翠ちゃんの横顔を見つめ

ていた。効率至上主義? 二の轍を踏みたくない? 少なくとも彼女は何か、そう捉えるよ

うになった何かがあってこの考えになったのだろう。言っていることは解らなくもない。

 特にテレビなどでやっている恋愛ドラマなんかは大抵の場合、主役のカップルを邪魔する

ようなトラブルがこれでもかと付きまとう。物理的に引き裂いてくることもあるし、当人達

のすれ違いや仲違いを誘発して一筋縄ではいかなくさせる。……まあ、ああいうのは脚本の

都合上、すぐにラブラブになられても話が膨らまないからってのが大きいのだが、現実でも

多少なりともあり得るっちゃああり得る話だ。最終的に結ばれてハッピーエンドになるにせ

よ、それぞれ別の道を往くにせよ、彼女的にはああいう展開がまどろっこしいという事か。

(ただ……それにしちゃあ、妙に深刻そうに見えるのは何でだろう? そこも突っ込んで訊

いちまっていいものか)

 勝手なイメージだが、そういう思考は基本的に男の側だと思っていた。根っからの女好き

みたいな奴は別としても、生涯の内で付き合える女性なんてのは限られている。そこで何か

選択を間違えれば、一生独身というパターンだって今の時代は珍しくない。

 人生は有限。

 話してくれている最中、翠ちゃんは確かにそう呟いた。俺の見間違いでなければ、それは

世の中を哂うんじゃなく、自らに刃を突き立てるぐらい強烈な戒めのようだった。普段物静

かな分、極端と言えば極端に触れたその言いように、俺はどうしようもなく心配になる。

「……あっ。でも、先輩が好きだって気持ちは嘘じゃないですよ? そうでなければ、易々

と結婚を前提にという告白の相手に選ぶ筈もありません」

「はは。それは……光栄だけど。だけど何でまた、俺だったの? イケメンだったり家が裕

福な奴は、他にいくらでもいるよ?」

「……先輩は、そういう基準で私が選んでいるとお思いですか? ちょっと心外です」

 だからむすっと、少し可愛い方面にむくれた彼女を見て、俺は内心安堵した。上手く話題

を逸らせたというのもあるが、やはり一番気になっていたのはそこだったから。

「そうですね……。先輩は、他の委員の方に比べてちゃんと仕事をなさっていたから……で

しょうか。自分が貧乏くじを引かされて、彼らの“楽”の為に皺寄せを食らっていると解っ

ていても、苦笑わらってやり過ごす。そういう優しさと我慢強さが、長い目で見れば本人も近し

い人も幸せにしてくれると思うから。委員会に入ってすぐの私にも、色々と丁寧に教えてく

ださったから、気付けば惹かれるようになった……のかもしれません」

「翠ちゃん……」

 訥々と打ち明けられてゆく心情。言って本人もハッと我に返ったのか、直後すぐに顔を真

っ赤にして俯いていたけれど。でも訊けて良かったと俺は思う。そりゃあ思ってもみなかっ

た褒め方をされて、こっ恥ずかしくはあるにせよ、それで俺をパートナーとして選んでくれ

た女の子がいる。その事実だけで俺はじぃんと胸に来るものがあった。多少恋愛の先に見る

着地点ゴールが、他人よりはっきりとし過ぎていても良いじゃないか。少なくとも今の俺は彼女に

惹かれている。彼女が次第に、俺へそうした気持ちを抱いたように。

 校舎の内外に、昼休みの終了間近を報せる予鈴のチャイムが鳴っていた。俺達は互いに顔

を上げ、残りの弁当を頬張った。食べ切れない分は諦め、水筒のお茶で喉を洗い流す。つい

話し込んでしまったが、日常はそんなこと関係なく変わらず過ぎ去ってゆくらしい。

「ご、ごちそうさまでしたっ!」

「はい……。お粗末様でした」

 気持ち少し慌てて。それでも手を合わせる所作は忘れなくて。

 俺達は急ぎ、それぞれのクラス教室へ戻るべく身体を起こした。告白当日あのひの真相を追求す

る会話は、そこでお開きとなった。

 奇しくも、尚消化不良だった俺の中の疑問は、後日思わぬ形で叶えられることになる。



「──あざっした~」

 それは前の学年の頃から、お世話になっているバイト先の定食屋。その日も俺は、同じバ

イトで歴の長い先輩との二人シフトで、店長の補佐をしていた。具体的には先輩が接客やら

配膳、俺が厨房中心で皿洗いやら店長からの指示、雑務をこなすといった具合。

 この日も夕陽が沈み出した後、常連や仕事帰りのサラリーマンなどで店はそこそこ繁盛し

ていた。時間帯としては少し早めにはなるが、シフトの残りはこれで最後まで夕食ラッシュ

の期間に突入する。

 先輩が食い終わり、会計の済んだ客を見送り、省略語な掛け声を投げる。なまじ仕事自体

はてきばきとしていて、笑みもニコニコ絶やさないのだから、よほど重箱の隅を突くような

面倒な客が相手でもない限り特段咎めるメリットは薄い。店長も「今の若いのは皆ああいう

感じなんだろう?」と、コック帽で隠した頭頂部をポリポリと掻いた諦めモードで久しい。

 暫くの間ふいっと、それまでいた客が捌けて静かになる一時があった。俺は俺で回収した

食器を洗ったり、テーブルを拭いたりで忙しかったが、先輩はここぞと言わんばかりにこの

暇を見て話し掛けてくる。

「蒼汰。お前、最近よく顔出すようになったけど、良いのか? そっちの学校の校則はどう

か知らんが、あんまり夜まで働いてて目ぇ付けられねえ?」

「一応、担任の許可とかは取ってますよ。そういう決まりなんで。確かにまあ、雇う側から

すれば、高校生の俺達よりも、大学生とか社会人の方が融通は利くんでしょうけど……」

「つっても、今更勝手の知らん奴を入れるのもなあ……。デカいところならともかく、その

度に一々教え直すのは面倒だ。お前らだって、別にどうしようもなく使えねえって訳じゃあ

ねえしな」

 カウンターの外側からは先輩、内側には俺と店長。形態としてはいち個人経営の飲食店で

あるため、関係性は割とフレンドリーである。一旦馴染んでしまえば。

 空いた席から肩肘を突き、先輩は続けていた。ニヤニヤと、店長ではなく明らかに俺の方

を見て言っている。

「だとよ。信頼されてるじゃん。でもいいのか? 付き合い始めた彼女……翠ちゃんだっけ

か? もっと構ってやればいいのに。デートぐらい誘ってやれよ」

「だからですよ。そのデート代を稼ぐ為にも、シフト多めにしてるんです。そりゃあ、俺だ

ってずっと居たいですけど……。良い子だとは思うんですが、何処か危なっかしいところが

あって放っておけないんスよねえ……」

「──」

 その時俺は気付けていなかった。背中を向けたまま、洗い物をしながら答えていたことも

あって、直前新たに店に入ってきたお客達が途中で足を止め、こちらを見ていたことに気付

けなかったのだ。『あっ』先輩とシンクロして声が出て、慌てて私語を止める。店長が代わ

りにいらっしゃいを言い、彼らを席へ。ちらとその内の一人が、まだじっとこちらを見てい

たような気がしたが……気のせいだろう。

「らっしゃ~せ。ご注文は?」

 入ってきたのは四人の男性。仕事帰りだと思われる、スーツ姿のサラリーマン達だった。

 先輩が、早速接客モードに切り替わり、四人をテーブル席の一つに案内する。中年くらい

のイケおじを筆頭に、もう一回りぐらい若い面子が三人。先輩とのやり取りやお互いの態度

などからも、大方このおじさんが残りの三人を飯に連れて来たといった感じなのだろう。

(気のせい……だよな?)

 だというのに、彼からの視線がちょいちょいとこっちに注がれているような気配がある。

店長は店長で第一陣の料理を作り始めているし、先輩はおすすめを聞かれて若手三人と中心

に歓談しているし。

 余計な話を聞かれてしまったかな? 暫くはこのまま、奥に引っ込んでおこう……。


「村崎、今日はもう上がれ。というか、お前にお客さんだ」

「へ……?」

 しかし結論を言うと、そんなことでほとぼりは冷めはしなかったのだ。俺自身、大分時間

を忘れて奥厨房で作業をしていると、不意に店長が顔を出してきた言った。思わず素っ頓狂

な声が出て、壁掛けの時計の針を見る。時刻は、まだシフト終わりを刺してはいない。

「でも店長。シフトはまだ……」

「いいんだいいんだ。普段からお前はよく働いてくれてるしな。偶にはこういったイレギュ

ラーも悪かねえだろう。給料はちゃんと本来分計上しとくから安心しろ。……さっきのお客

さんの一人が、お前と話したいんだと」

「ふえっ?」

 正直、何故こんなことになったのか解らなかった。店長は別に俺を責めているようではな

かったものの、そこはかとなく困り顔。間違いなくその原因は、次の一言で出た、何故か俺

を名指ししてきたという店の客。

「……あの、俺、何かしちゃいましたかね?」

「それは俺の口から言えねえなあ。ともかくまあ、会ってくれ。裏の事務所で待ってもらっ

てるから」

 そこまで根回しをされていたら逃げようもない。俺は店長がそこまで気を回したことも不

思議だったが、従わざるを得なかった。先輩にも一言かけ、早めに今日のシフトから退出す

る。先程店に来ていた四人の内、例の若い三人はもう居なくなっていた。先に帰ってしまっ

たのだろうか?

「──やあ、すまないね。わざわざ来てもらって。店主にも迷惑を掛けた」

「いえ……。あの、それで? 何でお、自分と話したいと?」

 店の裏手は、料理とは切り離してちょっとした事務用の個室が設けてある。例の中年サラ

リーマンは、その中でパイプ椅子に座ったまま待っていた。こちらがおずおずと扉を引いて

入って来たのを見ると、相手が困惑しているであろうことは想定済みで、そう努めて苦笑い

を零して詫びの一言を述べてくる。

「……私は、水無瀬吾郎という。水無瀬翠の父だ」

「!? おと──」

「いやあ、驚かせてしまってすまないね。私も、今日ふらっと入ったこの店で娘の名前を耳

にしたものだから。それも妻経由で聞いた、最近できたとおう彼氏君の名前と同じだったか

らね……。不躾とは百も承知の上で、店長に事情を話して時間を取ってもらったんだ。一緒

に来た部下達とも、一旦は普通に食事を摂った上で解散している。何も君を取って食おうと

いう訳ではないから、安心してくれ」

「はあ」

 ぶっちゃけて言う。物凄く焦った。偶々同じ名前の別人ではないかとも考えたが、俺の名

前まで一致しているというのは流石にないだろう。違ったら違ったで、この人も謝るぐらい

の腰の低さは持っていそうだし、それならこっちも取り越し苦労で片付ければ良い。

「まあ、座ってくれ」

 とはいえ、まさか“お義父さん”とこんな所で遭遇エンカウントするとは。完全に想定外だ。

 俺は促されるまま、事務テーブルを挟んで向かいのパイプ椅子に座った。何処となく厳粛

で、いざという時は一気に話し込むこの感じ、顔立ちの雰囲気は確かに翠ちゃんと重なる。

「それで……。どうなのかな? 君が娘と交際しているというのは。あの子は、君の前では

どんな感じだい?」

「は、はい。む、娘さんとは、健全なお付き合いをさせてもらっていまして……。大人しく

て控えめな時も多いですけど、芯のある良い子です。自分よりもずっと器用で、色々助けて

もらってばかりで……」

「……そうか。私が気付かない内に、あの子もすっかり年相応の女の子になっていたんだな

あ。大事にしてくれているんなら良かった。妙だと思ったんだ。いつの間にか、用意してい

る弁当の量が増えていたから」

「……」

 そこでバレたかあ。いや、家族なら必然っちゃあ必然だけども。

 ただ当のお義父さんは、曰く奥さんからのこっそり話を聞いてようやく娘の色恋に気付い

たらしい。そりゃあ父親としては不安で、期せずしてその相手と出くわしたなら何としてで

も知ってはおきたいか。……流石に、接触手段としては強引な気もするが。

「あの! 自分は!」

「分かっている。真剣に交際をしているんだろう? 目を見れば判る。それに何というか、

私と同じで嘘が苦手なタイプのようだしな。最初にも言ったが、君と娘を引き裂こうとか、

そういう理由で会ったんじゃないんだ」

「それなら、どういう……?」

 そこまで言ってお義父さんは、明らかに眉を伏せた。話すべきかどうか迷っている眼だ。

とはいえ自分からこんな場をセッティングした手前、今更退けないからか、一度大きく深呼

吸してから話し始める。

「あの子には、母親がいない。元々大人しい子なのもあって、私がそれとなく聞き出そうに

も年々難しくなる一方でね……。交際するに当たって、君がその歪をあの子から受けてはい

ないかと心配なんだ。具体的に何かと問われると、私もよく分からないのだが……」

「──」

 きっと俺は、驚きで目を見開いていたのだと思う。いやそれ以上に、この人は彼女の何を

見ているのだろう? と思う。自分の娘を、まるで異常者みたいに。

「母親? でもさっき、知ったのは妻から聞いてって」

「ああ。それは今の妻だよ。千草──あの子の母は、あの子がまだ幼い頃に病に倒れてしま

った。甘えたい盛りだったろうに、育ってゆく上で様々なことを学び取ってゆく筈だったろ

うに。その前に旅立ってしまった」

「?! そんな……」

「私もショックだったが、あの子も相当な心の傷を負った筈だ。彼女の葬儀の後、独りずっ

と仏壇の前に座り続けている悲しげな背中を見て、あの子には母親が必要だと思った。時間

は掛かってしまったが、知人の紹介で今の妻と出会い、再婚した。だが……それがそもそも

間違いだったのかもしれん。少なくともあの子にとって、母とは一人だけだった。私は余計

な世話を焼いてしまったんだ」

「……」

 彼曰く、後妻も翠ちゃんと“家族”になるべく奮闘したが、結局彼女との距離は縮まらな

かったらしい。それはあお君──彼とその後妻の子、彼女にとっては腹違いの弟が生まれてか

らは一層顕著になった。

 普段同じ屋根の下で暮らし、日常的な会話ややり取りなどには支障はない。ただ受け答え

はずっと淡々としていて、見えない壁が作られている。自分達の交際を知れたのも、その後

妻が日頃、翠ちゃんの行動を観察していたからこそのものだと読み取ることができた。

「あの子が幸せならそれで良い。ただ、これまでの経緯がある分、どうにも私達には焦って

いるようにも見えてならなくてな……。君という想いを寄せる相手に受け入れてもらえたこ

とで、自らの欠けた部分を埋めようとしているんではないかと。私達以外の“居場所”へ出

て行こうとしているのではないかと」

 嗚呼、そうか。俺はこの日ようやく理解した。何故翠ちゃんがあの時、俺への告白に結婚

を前提にという文言を入れたのか? 今もその心算でいるらしい理由が、ようやく線で繋が

った。あの危なっかしさは……間違っていなかった。

 きっと怖いんだ。自分が幼い頃、大切な母親ひとを失くして、目の前のある“家族”が不変で

はないのだと悟ってしまったから。自分の心を置き去りにして、実父が新しい妻、母を迎え

たから。それは翠ちゃんにとって、再生ではなく破壊だったんじゃないか?

 人生は有限。恋愛は面倒臭い。

 それはひとえに、少しでも長く大切な人と一緒に居たいという願いの裏返しだろう。

 恋の駆け引き的なものでくっ付いたり離れたりしている時間すら、一度喪失を味わった彼

女にとっては惜しかった。酷く無駄で非効率だと見えてしまってならなかった。だから俺に

も、この人だと決めた時にも、その理想でもって実現したかったのかもしれない。尤もあの

時の俺は、結局年齢やら何やらの“常識”に照らして、その辺りは保留というかなあなあに

したけれど……。

「きっと君は、何も知らない筈だ。だから、今夜の出会いはチャンスだと思ったんだ」

「もし今後、あの子の想いが君の重荷になってしまうようなら……解ってあげてくれ。付き

合い切れなくなったとしても、真っ向から否定だけはしないであげてくれ。あの子は今も苦

しんでいるんだ。もがいているんだ。どうか、どうか、散々な結末だけには持って行かない

でやって欲しい」

「──」

 だからこそ、俺は正直苛立っていた。沸々と別の感情が生まれつつあった。

 娘を案じ、わざわざ対面の時間を捻じ込んでまでそう頭を下げてくる吾郎さん。だが俺は

違うだろうと思った。ギリッと歯を噛み締めた。最初暫くはじっと堪えていたが、あくまで

“頼んで”くるその姿に、やがて我慢ができずにバンッとテーブルに拳を叩き付ける。

「違うだろッ!! 何で……何でそれを直接、翠ちゃんに言ってやれない!? 謝ろうとし

ない!? お袋さんが亡くなったのは病気でも、再婚したのはあんたの判断だろ! 悪化さ

せたって自覚があるんなら、先ずは謝れ! きちんと言葉で伝えろ! それもせずに、赤の

他人に丸投げすんな!」

「っ──!?」

 俺個人は、翠ちゃんのことが大好きだ。あの時の告白通り、交際が順調に進んでゆけば、

ゆくゆく本当にそういう未来があっても良いかもしれない。

 ただそんな、妙にアンバランスでグイグイ来たそもそもの遠因は、この父親達のすれ違い

だった。彼らも彼らなりに手を尽くそうとしたのかもしれないが、結果として彼女の心は家

族から孤立している。また失うのが怖くて、だけど出ても行きたくて。そんな不安定な背景バックボーン

が出来るのに至ったのは、あんた達の所為じゃないのか? 引っ込みが付かなくなった己の

都合で、端から譲る気など無かった、その見透かされた意識だったんじゃないのか?

「わ、私は……」

 頭まで下げて頼んだのだ。まさか撥ね付けられるとは思わなかったのだろう。ぶっちゃけ

俺も、ここまで頭に血が上るとは思わなかった。一喝されて尚、パクパクと口を半開きにし

て呟いている彼の姿を見て、俺は弾き飛ばすようにパイプ椅子から立ち上がる。

「あ~、もう! ならここで、本人に繋いでやるから! 掛けてやっから! 今俺に話した

こと全部、もう一回素直に聞かせてやれって!」

「い、今!? こんな時間に娘は──」

「そうやって、遠回りでやろう、遠回りでやろうとするから見限られたんでしょうが! ほ

ら、通話繋げっから! 出て!」

 懐からスマホを取り出し、タップした画面に翠ちゃんの電話番号を。

 慌てふためく吾郎さんを逃さないように、発信コールされ始めたそれを、ぎゅっと左の頬へと押

し付けて──。

                                      (了)

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