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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-154.September 2025
268/284

(3) 労基と焔と黒魔術

【お題】骸骨、裏取引、魔法

 太陽の光に代わって、ガス灯の並木道が辺りを照らす夜。この日ホムラは、直属の上司で

あるグレイスと共に、街中を車で走らせていた。

 明かりが届く以外は黒く暗い視界の歪、ガタゴトと断続的に響いてくる車体の振動音。彼

は黙々とハンドルを回しつつ、葉巻を咥えているこの上司の横顔を、時折居た堪れなさも兼

ねてチラ見──左手に捉えている。

「……班長チーフ。何でまた俺一人を? 事件ヤマが出たんなら、他の先輩達こそ連れて来るべきだっ

たんじゃあ?」

「お前は相変わらず、自己評価が低いなあ。だからこそだ。理由は二つ。一つは下っ端のお

前に、場数を踏ませてやる為。もう一つは──今回の事件ヤマは、お前みたいな“魔術師らしく

ない魔術師”の方が都合が良いからだ」

「??」

 それはどういう。

 訊こうとするよりも先に、グレイスはぐるりとハンドルを切っていた。フロントガラス越

しに映る街の夜景が、華やいだものからにわかに物寂しげなそれへと変わる。大通りから外

れ、路地の一つに入ったのだ。燻らせ始めてから大分時間の経った葉巻を維持しつつ、彼は

言う。

「先日、魔法局うちにタレコミが入った。提供者の知るある会社が、魔術で不正な利益を上げて

いるらしい。それも、死霊術でな」

「なっ……!?」

 故にホムラは驚いた。思わず弾かれたようにして座席シートを揺らし、義憤の表情を露わにする。

 死霊術、黒魔術、ネクロマンシー。

 これらの系譜はしばしば、死者を蘇らせ使役するという命への冒涜に加え、いざ非魔術側がいぶ

にバレた際の被害や風評へのダメージが大き過ぎるため、何百年も前に本省によって原則禁

止された分野だ。仮に実験など、行使を許可されたとしても、それは厳しい審査と制限下に

置かれる。

「大事件じゃないですか! それこそ本省が出張って来てもおかしくはない案件でしょう?

俺達二人だけじゃあ絶対足りませんよ」

「まあ聞け。そんなことは解ってる。だが、組織ってのは色々と面倒臭いモンでな。確固た

る証拠が取れてない現時点で、いきなり上が動く訳にはいかねえんだよ」

「……」

 語るグレイスもまた、本心を言えば不承不承といった感じではあったが、ホムラはそれ以

上に純粋に不服であった。告発タレコミが信用できない? その間に被害は増えてゆくんじゃないの

か? グレイスもグレイスで、そんな教え子の憤りはとうに想像ができていたのか、ようや

く葉巻をハンドル近くの灰皿に押し込んでから続ける。

「実際、今のところ民間人に直接的な被害は出ていない。そうなったら先に本省が動いてい

るし、お前も耳にしてるだろう。今夜は、このタレコミをくれた人物と接触することになっ

ている。先ずは部局の俺達が詳しい話を聞いて、詰めの調査報告をするって流れだ。少なく

とも事の真偽も判らんままでは、手の打ちようがない」

「それは、そうですけど……」

 T型の車は、年季の入った閑静な住宅街を抜け、その一角にある公園までやって来た。近

場の脇道に停め、二人は降りる。大通りのガス灯群からはすっかり離れてしまったため、目

視できる範囲は僅かだ。公園と一口に言っても、ほぼ夜闇と植木、レンガの壁に囲まれた小

さな敷地に過ぎない。

「──魔術法務局の方ですね?」

 件の告発タレコミの主は、既に到着していた。二人がゆっくりと敷地内に足を踏み入れて辺りを見

渡していると、木陰の一つから、少なからず警戒心を維持したまま声を掛けてきたかと思う

と近付いて来る。

「ああ。第三班班長、グレイスだ。こっちは部下のホムラ」

「ど、どうも」

「貴殿が、うちに一報をくれたエリオット氏で間違いないか?」

「はい。取り合っていただき、恐縮です」

 エリオットと呼ばれた男性は、一見すれば自分達側──魔術師には失礼ながら見えなかっ

た。こちらはスーツに似た黒い法衣を纏っているが、彼は如何にも、ちょうど一仕事終えて

来ましたと言わんばかりの汚れた土方着姿だったからである。

 グレイスが隣で、目に紅いオーラを宿らせて彼を凝視しているのを横目にし、ホムラは内

心はっと被りを振った。そうだ。そもそも魔法局うちやその業務内容まで知っているということ

は──。

「もしかしてエリオットさんは……魔術師、なのですか?」

「いえ、元志願者です。見ての通り、今は一般人として暮らしていますがね」

 彼は魔術こちら側だった。と言っても、厳密には過去形のようだが。

 苦笑いして指摘に応えてくるエリオットに、ホムラは少し眉を下げた。元の目の色に戻っ

たグレイスがこれを数拍、ほんの少しだけ一瞥し、改めて本題に入る。魔法局の存在を知っ

ている云々を含め、彼の言葉に嘘偽りが無いことは確認できた。

「へえ……。ちなみに、選抜の時の結果は?」

「あはは。お恥ずかしながら、三次選考で脱落です」

「三次!? かなり惜しい所まで行ってたんですね……。下手した俺の先輩に──」

「……コホン。早速だが、詳しい話を聞かせてもらえるだろうか? 死霊術を用いていると

の疑いのある会社とのことだったが」

「う、うちじゃないですよ? エボニア建設っていう、以前うちや他何社かと共同で案件を

こなしたことのある所で……。後から聞いた話じゃ、あそこは基本、余所を入れずに自分達

だけでやりたがる妙な会社なんだそうですが……」

 エリオット曰く、市が発注したとある大規模工事の施工を請け負った際、現場でエボニア

側の作業員達が“人間ではない”ことに気付いたのだという。周囲の、おそらくは自分以外

誰も魔術の素質や訓練を積んではいなかったため、工事自体はその後も特に滞りなく進んで

完了してはいるそうなのだが。

「人間の姿に偽装した、骸骨スケルトン達だったんです。自分みたいな元魔術側でもない限り、何か愛

想が悪い連中だな~ぐらいにしか視えていなかったんじゃないでしょうか? 実際人を襲っ

たりするでもなく、黙々と自分達に交ざって作業してたので……」

 ぱちくり。ホムラは暫し目を瞬き、そして頭に疑問符を浮かべた。確かに直接“悪さ”を

した訳ではない。だが、死霊術を許可なく使っていること自体が既に重大な規範違反だ。何

より魔術師の大原則たる、秘匿の義務を破っている。

「……作業員に偽装した骸骨スケルトン、か。幻惑系の魔術も並行して発動させ、周囲を欺いていると

いうことか。十中八九、制御系統の装具アイテムを用いているだろう。その会社の社長がという訳で

はなく、裏で手を結んでいる在野の術者、ないし集団が黒幕と考える方が自然か」

「エリオットさんは、その社長さんとは面識は?」

「いえ。自分も今いる会社では下っ端ですし。現場レベルならともかく、余所の会社で且つ

お偉いさんともなると皆目……」

 グレイスが、彼の証言からざっと挙げられる可能性を絞り、ホムラが駄目元ながら補足と

して訊いてみる。案の定エリオットから返ってきた答えは否だったが、そうした違反が潜ん

でいると報せてくれただけでもありがたい。精神性だけなら、彼の方がよっぽど“魔術師”

ではないか? とすら思う。

「……ホムラさん?」

「っ。あ、いえ。何でもないです」

 傍らのグレイスの一瞥。束の間、何処か陰の差したホムラの横顔を、二人はそれぞれ対照

的な様子で見つめていた。元と現役、年齢と知識量の差。だがそれよりも今必要なのは、件

の建設会社の意図が何だということだ。

班長チーフ。やっぱりこれって、単純に金稼ぎなんですかね?」

「話を聞く限りはな。だが、死霊術の悪用であることに変わりはない」

「はい……」

 現状、悪意をもって誰かを傷付けようという案件ではなさそうだった。だが魔術側の法規

違反を取り締まる立場としては、放置しておく訳にもいかない。何より、死しても尚働かさ

れている骸骨達かれらを、本来の眠りへ還す必要がある。

「エリオット殿、情報提供感謝する。その上で、もう一つ案内してもらいたい所があるのだ

が──」



 昼間の街は、一転して騒がしい。表の文明は今、良くも悪くも発展の一途に在り、あちこ

ちで競うような増改築を繰り広げている。

「……確かに、あそこ全員骸骨スケルトンだなあ。よくもまあ、あれだけ大人数の死霊を揃えたもんだ」

「これだけ人口が集中してるんだ。死者の母数自体は十分過ぎるぐらいだろ。まあ、そっち

の確認は他の面子に任せるとして……」

 そんな高く高く積み上がった家屋の屋上で、数人の黒法衣なスーツ姿の男達が望遠鏡を覗

いていた。ターゲットは遥か眼下、かなり遠くで行われてるとある工事現場。その一角を掌

握するように動き回る作業員達の真の姿を、魔術師である彼らはこの日実際に目視・記録し

ていた。望遠鏡に備え付けた、魔術的な写真機で物証として保存し、持ち帰る為だ。

「ホムラの奴、大丈夫かねえ? 班長チーフの指示とはいえ、あそこの近くまで寄ってるんだろ?

見つかったら終いだぞ?」

「仕方ねえさ。俺達の中で、実際一番“適任”っちゃあ適任だからな」

「正規の魔術師が視れば、あそこが死霊術の現場だと判る。だがそれは向こうも同じ……。

流石にこんな真っ昼間、街のど真ん中で術者本人がいるとは思わんが、少なくとも息の掛っ

た奴らに情報が行ってしまう。そうなれば、この捜査もおじゃんだ」

 自分達に宛がわれた任務をこなしつつ、彼らは彼らでそれとなく今回の采配を面白く思っ

ていない気配を滲ませる。理屈は解っていても、それがグレイスの贔屓目ではないか? と

の邪推までを否定はしないからだ。

 先の告発タレコミ以降、自分達は他班とも協力して捜査を進めてきた。物証も、今回の遠見で大方

揃うだろう。後は如何に黒幕を絞り、確実に確保するかだが……。


「──」

 同班の先輩魔術師達がぼやく、当のホムラは、工事現場周辺を独り雑踏に交じりながら歩

いていた。流石に工事をしている区画自体はぐるり高い即席壁が建てられて見えないが、そ

れでも彼は、班長グレイスから渡された端末を片手にとぼとぼ歩いては立ち止まり、何やら

黙したまま屈み込んではまた立つを繰り返している。

 石だった。一般人には判らない、それぞれに文様ルーンを刻んだ石だった。

 それをホムラは、まるで壁の向こうの作業員達のように、一つまた一つと僅かな狂いも許

されずに設置──隠すように置いてゆく。


「妬くなよ、ヴァン。あいつも色々あったし、班長チーフが直接拾ってきた奴だしな。正規を踏ん

でなくとも、面倒を見なきゃっていう責任感があるんだろ?」

「妬いてねえよ。ただまあ、班長チーフの責任感云々ってのはそうだろうなあ……。あんまり一人

で背負い込んで欲しくもないんだが」

 そう仲間の一人にからかわれ、ムッとする“適任”と口にした魔術師。一方で自分達をま

とめるグレイスには相応の尊敬を向けているようで、彼に何だかんだとチャンスを、機会を

与えがちな甘さを陰では心配している。

「まともな魔術一つも使えねえ。多少視えはする程度。基本は雑用で、誰かが守ってやらな

きゃ、早々に犯人側に潰されかねない奴だぞ? いつまでもあの人の負担になられるのも困

るんだよ」

 仲間の魔術師達は、誰も否を唱えなかった。その点は否定しなかった。

 班長チーフが連れて来た以上、あいつは同じ班の仲間だ。だがそれも、将来的には自分達と同等

か、それ以上の実力を備えてこそだ。成り行きと情けだけで生きてゆけるほど、魔術こちらの世界

は甘くはない。

「……本気で言ってるのか? あいつは──」

 尤も知っている者は知っている。知らない者は今も知らない。聞かされていない。

 望遠鏡を覗き、工事現場の偽装骸骨スケルトン達を撮っていた内の一人が、はたと覗き窓から目を離

してこちらを振り返る。振り返って、言いかける。



 始めは経営者にありがちな、人手というものをヒトと思っていないような思想からくるも

のだった。エボニア建設の社長は悩んでいた。

 仕事を受ける度に、赤字が膨らんでゆく。とかく人件費が嵩むのだ。かと言って仕事を受

けなければ、会社としては回らない。技術と経験を持った社員達を、薄給で繋ぎ止めること

は現実問題不可能に近かった。事実、上げられない賃金に愛想を尽かし、辞めていったベテ

ランも少なからずいる。明らかに当てつけで、見知った他社に移って行った──引き抜かれ

た者もいる。……正直、怒り狂いそうだった。こっちは毎日必死の思いで帳簿と睨めっこし

ているのに。てめえらを養う為に、あれやこれやと走り回っているのに。忠誠心も何もあり

はしねえ。自分達の都合ばかり主張してきやがる。


『──ならいっそのこと、挿げ替えてしまえば良いのですよ。私ならそのお悩み、解決して

差し上げられます』


 ジェイドと名乗る男と出会ったのは、そんな苦節に喘いでいた最中のことだった。

 曰く、人間を雇うから金が掛かるのだと。もしそうではない者達で仕事を回せれば、実質

人件費はゼロになるのではないか? と。

 最初、こいつは一体何を言っているんだと思ったが、いざ目の前であの“手品”を見せら

れてからは考えが百八十度変わった。土の中から出て来た骸骨達。それがあれよあれよとい

う間に千差万別の人の姿になったかと思うと、自分に忠実で何より生身の人間達よりよほど

正確に作業をこなしてくれる人員となったのだ。これが全部、私の社員……? 想定外の解

決策が向こうからやって来てくれて歓喜した。まあジェイドには、契約料と称して売り上げ

を山分けするよう迫られ、吞むしかなかったものの……。

「ああ? 一旦仕事を減らせだあ?」

「ええ。ここ暫く、当局がこの会社を疑い始めているとの情報が入りました。流石に、少々

派手に稼ぎ過ぎたのかもしれません。或いは、この前の他社との合同案件の時に……」

 夜も深まった頃、現場付近に拵えたプレハブ宿舎の自室で、エボニアの社長はジェイドか

らそんな忠告を受けていた。ぶつぶつと、後半はよく分からないことも呟いていたが、反応

は直情的だった。折角かつての落ち目からV字回復し、互いの分け前も随分大きくなってき

たところなのに、何故急に弱腰になるのか。

「仕方ねえだろう。業種的に、うちのモンだけで全部完結させる仕事ばかりじゃねえんだ。

寧ろデカくなればなるほど、そういった案件は増える」

「だからこそ、一旦体制を立て直そうと言っているのですよ。解っていますか? 貴方が今

抱えている“社員”は、人間ではないことを──」

 ちょうど、そんな時だった。言いかけたジェイドがハッとなり、プレハブの窓際へと駆け

寄って開ける。

 そこには黒法衣なスーツ姿の、魔術法務局の捜査官達がずらりと並んでいた。夜間、本日

の作業を終えてしんと静まり返っている地面の上に、こちらを一様に見上げて立っている。

「チッ、もう嗅ぎ付けてきましたか……。ロックベル! 荷物をまとめて逃げてください!

貴方が捕まれば、私達のビジネスは根っこからお終いです!」

「はあ!? ンなこと言ったって──」

 しかしそんな即座の反応、撤退の判断も、直後別方向の窓から押し入ってきたグレイスと

ホムラ、数名の捜査官達によって潰えた。言い掛けて床に組み伏せられた社長、ロックベル

を数人がかりで確保させながら、グレイスはジェイドに向かって言った。

「……ジェイド・サイモスだな? 死霊術行使及び秘匿義務違反、他七件の容疑でお前を逮

捕する。我々と来てもらおう」

 懐から魔術法務局の捜査員手帳、己の身分を示す証拠を掲げ、彼は淡々と告げた。ロック

ベルはまだ理解が追い付いていないようで、捜査員の魔術師達に押さえられたまま酷く困惑

している。「死霊、術? 魔術……?」うわ言のように呟くその様子を一瞥し、ホムラ達は

やはり社長の方は共犯者ではあっても、黒幕ではないと確信した。尤も、その割には死者の

魂達を使って随分荒稼ぎをしていたようだが。

「ま、待て! そいつを連れてゆくな! そいつが居なければ、うちの“社員”どもはピク

リとも動かないんだ! ようやく軌道に乗ってきた今、失う訳にはいかない!」

「黙れ! お前、自分のやっていることが本当に解らないのか? 死霊術を──他人の命を

弄んでいるんだぞ!?」

「き、貴様らこそ何なんだ!? 急に押し入って来て、逮捕だ何だのと……。人間を雇うか

ら金が掛かるんだ! 死人で同じ作業ができるなら、その方が良いだろう!? 私達経営者

が普段、どんな思いで勘定を──」

「ふざけるな! お前みたいな無理解のやつがいるから、俺は──!」

「止さんか! 今この者らをを詰るのは、俺達の仕事じゃない」

 双方、怒号と非難の応酬だった。魔術師側からすれば、禁止されている死霊術を、それも

非魔術そと側の世間で金儲けの為に悪用されていること自体言語道断だったのだが、社長も社長

でそんな彼らの理屈など知る筈もなく、官憲でもない連中の横暴だと怒っている。

 つい感情が、個人的な感情が表に出て熱くなったホムラ。だがそれをくわっと叫んで他の

捜査官達ごと黙らせたのは、他でもないグレイスだった。年季の入った、白髪交じりの長躯

を背にして自身も数拍黙り、この社長と在野の不法魔術師を見ている。淡々と、場の面々が

静かになったのを見計らうように、彼は告げた。

「……強いて言うなら、本来雇用されていた筈の人間を、そうではなくさせた罪か。他でも

ない今を生きる人間達を弾き出し、歪めてまで得た利益で、お前らは何をしたかった?」

「──」

 うつ伏せに押さえられたまま、抵抗しようと起こした上体姿のままでロックベルは固まっ

ていた。彼の言葉が心に響いたというのか? それとも、反駁の糸口を見出せずにいただけ

なのか?

「潮時か」

 だが一方で、もう一人の共犯者にして黒幕、ジェイドは全く諦めてなどいなかった。寧ろ

深く沈黙してしまったロックベルを見限り、直後懐から赤黒い宝玉型の装具アイテムを取り出すと叫

ぶ。

「こいつらを殺せ! 一人残らず始末しろ!」

 背後の窓から、彼がずり落ちるように仰け反ったのと、巨大な髑髏しゃれこうべがプレハブ宿舎を襲わ

んと浮かび上がったのは、ほぼ同時のことだった。

 ひいっ!? 中からでも見える、その巨大な姿に社長はすっかり怯えてしまっていた。グ

レイスやホムラ達、プレハブ内に突入した捜査員達もこのままでは噛み潰されてしまう。

 だが、彼らは誰一人として動揺してはいなかった。寧ろニッと、密かに口角を吊り上げて

哂ってさえいる。

「逃げる時間を──ぇ?」

 消えた。刹那バシュンと、空気が抜けるような高音が辺りに響き渡り、シェイド渾身の死

霊術は不発に終わったのだった。プレハブの外、残りの捜査員を足止めしようと湧いて来て

いた骸骨スケルトン達も、直後縋るように虚空に手を伸ばしては崩れ去ってゆく。

 夜空に、赤く細かく散ってゆく光達が在った。円を描くように、この工事現場区域の外周

を囲った上で、その役目を果たして消えてゆく。

「……まさか我々が、何の策も無しに突入して来たと思ったか? 悪いが“仕込み”なら念

入りに施させてもらった」

 グレイスが静かに、僅かに哂うのもそこそこに言う。相手が死霊術師、本省で長らく禁止

されている分野の使い手だと判った時点で、当人も追われ得る自覚はある筈だ。ならば逮捕

の手が及んだ時、その矛先をこちらに向けてくる反応は十二分に予想できた。

「予め、お前の使う術式を打ち消す為の秘字石ルーンを設置させた。気付かなかっただろう? 魔

術師は、魔術的痕跡には敏感だ。だがそれが、碌に魔力も無い素人の仕業なら、全く別の些

事として意識の外に置いてしまう」

 昼間、ホムラが彼に指示されて隠し回っていたのは、この為の文字通りの布石だった。

 装具アイテムとしての構造はなるべく簡素に。加えてホムラ自身が術を発動させる訳でもなく、あ

くまで行使者はグレイス自身。よほど神経質に周辺の環境を変えさせない限りは、変化激し

い街中のいち路傍の石を見い出すのは困難だろう。相手が魔術師であれば、その気配だけで

違和感の指標となり得るが、ホムラという“魔術師らしくない魔術師”が担った時点でその

よすがも絶たれていたという寸法だ。

(クソッ、クソッ、クソッ!!)

 みっともなく地面を転がり、ジェイドは屈辱に顔を歪めた。土汚れのままに夜空を一瞥し

ても、呼び出した筈のアンデット達の気配が無い。やはり発動と同時に相殺されたのだ。

班長チーフがやったぞ!」

「確保、確保ォ!」

 前方からは、魔法局の職員達が魔術の縄や武器を手に駆けて来る。後方のプレハブ宿舎か

らも、数名がロックベル社長を拘束した上でグレイスやホムラ達に従い、こちらを挟み撃ち

にすべく出て来るのが見える。

(ロックビルは……もう駄目だ。奴との商売はこれで確実に潰される)

 ぐるぐると、ジェイドは焦燥の中で思考を巡らせる。状況は既にどん詰まりで、これまで

のような荒稼ぎは難しくなるだろう。別のカモを新しく探すか? いや、何よりも先ず、今

この場を逃げ切らなければ。

(出し惜しんでいる場合ではない、か……。駒ならまだまだ、こちらに分がある!)

 彼の握っていた宝玉型の装具アイテムが、一際激しく輝き始めたのは、それとほぼ同時のことだっ

た。ホムラを含む、捜査員達の足が思わず止まる。強く強く込められた魔力の奔流。この期

に及んで、奴はまだ抵抗する気だ。奥の手を隠し持っている。

「──ォ」

『オォォ……』

 骸骨スケルトン達だった。

 それも先程のような疎らな足止め要因ではない。辺りの地面を埋め尽くさんとするかのよ

うな、数の暴力。ジェイドを守るように、再び召喚されたアンデット達は肉ならぬ骨の壁で

もって、グレイスら当局の面々に立ちはだかる。

「おいおい……。多過ぎるだろ……」

「だから、本省の増援引っ張って来てって言ったんですよ~! ガチ編成じゃないですか!

俺達は基本、下調べ専門なんですよ!?」

 行け! ジェイドが半ば自棄糞になってそう叫び、大量の骸骨スケルトン達を捜査員らへとけしかけ

る。正面の面々もそうだったが、当然グレイスやホムラ、プレハブへ突入した側の面子も同

じく襲われていた。

 カタカタと不気味に節々を鳴らし、迫ってくる人骨達の塊。

 状況は一転して劣勢、絶体絶命。このままでは奴にも逃げられてしまうところだが──。

「ホムラ」

 視界一杯に駆けて来る骸骨スケルトン達を冷静に見つめたまま、グレイスがぽつりとただ言う。ちら

と傍らで横目を遣る当のホムラ本人、後ろでロックベルを捕らえたまま慌ててる捜査員達を

尻目に、彼は懐から“鍵”を取り出した。黒鉄色に、瑠璃の小さな宝石が幾つか装飾された

印象的な鍵だ。

「イザベラを呼べ。後の面倒諸々は、いつも通り俺が引き受ける」

「……分かりました。彼らをもう一度、眠らせてあげなきゃいけませんからね」

 いつも通り。直属の上司、グレイスからの淡々とした命令。ホムラは静かに答えてこの鍵

を受け取ると、自身の左袖を掴んだ。普段同僚達と同じ、黒法衣のスーツ姿で包んでいて、

直接は見えない部分である。

(うん? 何だ……?)

 ジェイドも、防戦一方になる前方の捜査員らを暫し嘲笑っていたが、ふと肩越しに振り向

いて彼らの様子に気付いて注目。眉根を寄せてその一部始終に釘付けとなった。まるで時間

が引き延ばされたような錯覚。骸骨スケルトン達の音が、遠くへ追い遣られるセカイ。

「──」

 それは今も残る、酷い火傷の痕だった。

 袖を大きく捲って、ホムラが剥き出しにした自身の左腕。ジェイド達が思いもしなかった

その傷痕に内心驚くも、真に注意を引き付けて止まなかった違和感は別に在ったのだ。

 広く残る、左腕の火傷痕の上から被せるように巻かれた、複数の鎖で繋がれた手枷……。

「お前ら、離れろ!」

 グレイスが向かいの部下達に叫んでいた。直後カチリと、先程の鍵が他ならぬホムラの手

によって差し込まれる。鎖から解け、外れた手枷。同時少しずつ彼の腕から溢れ出す、幾つ

もの焔の筋。

『──コ、オオォォォ!!』

 信じられないといった風に、死霊術師ジェイドはこれを見上げた。従属させた多数の骸骨スケルトン

達と共に、唖然としてその場に立ち尽くしている。

 先刻、彼が呼び出した奥の手の髑髏しゃれこうべほどではないが、少なくとも並の人間サイズよりは遥

かに巨大な焔だった。輝く緋色に燃え盛る、一人の巨大な女性を象ったような焔だった。

 ビリビリと感じる、圧倒的な魔力。しかもそれが、ついさっきまで全く眼中になかったあ

の見習い小僧から噴き出しているのだと判ったことがまた、ジェイドらを混乱させていた。

輝く緋色をした焔の筋は、間違いなくあの若造から生まれて続けている。つまり術者だ。

 一体全体、今の今までどうやって隠して──?

「ガッ!? ア゛ア゛ア゛ア゛ーッ!!」

 しかしそんな疑問を差し挟む余裕など、答えてくれる親切さなど、場にはそもそも無かっ

た。次の瞬間、この巨大な焔の女性がふぅっと吐息を掛けるように骸骨スケルトン達にその高熱を浴び

せると、瞬く間に捜査員達を阻んでいた群れは消失。圧倒的な緋色の奔流に吹き飛ばされ、

塵に還っていった。加えてこれらを操っていたジェイドもまた、少なからず巻き込まれて絶

叫。手にしていた宝玉型の装具アイテムも砕けて錐揉みになる。

「……ば、かな……。こ、の、私……が……」

 実際に焔が吹き荒れていたのはどれぐらいの時間だったか。魔術に心得のある者でなくと

も、夜闇の中でにわかに輝くそれを目撃したみた者はいたのか。

 はたして、残る全兵力を投じたジェイドは、煤塗れの姿で地面に倒れていた。頼みの綱で

あった大量の骸骨スケルトン達は跡形も無く、グレイスの指示で咄嗟に魔力防御や回避に徹していた捜

査員達が急ぎ駆け付ける。

(これまでコツコツ集めてきた、三百以上のしもべ達が一瞬で……? そんな馬鹿なこと、あっ

て良い筈が……)

 確保ォ! 捜査員の魔術師らによって、今度こそジェイドは捕らえられた。魔力の縄や枷

で拘束され、もう抵抗はできない。喪失感を含めてぐったりと力なく倒れていた彼を、面々

は肩を入れて持ち上げ、連行してゆく。

「……あれが、ホムラの魔術」

「ああ。お前はまだ、実際に見たことないんだっけ? そう。厳密にはあいつの、ではない

そうなんだがな。普段は殆どの魔力を封印に充ててるから、通常の魔術は碌に使えねえって

訳よ」

 捜査員の一人が、その途中一仕事を終えたホムラを見ていた。しんと再び静まり返った辺

りの夜闇に、彼と彼を見つめる女性型の焔が互いを慰め合っているように見えた。詫びてい

るように見えた。

「ありがとう。姉さん」

「また呼び出しちゃって、ごめん」

『──』


 ***


 それは少年がまだ、もっと幼い頃の出来事だった。彼は年の離れた姉と共に、とある田舎

町の住宅街で静かに暮らしていた。両親は仕事で家を空けていることが多く、まさしく彼女

が実質的な母親代わりだったのだろう。彼女の方もまた、たった一人の姉弟の面倒を率先し

て見ていたと聞く。

『こいつは……酷い』

 大規模な魔術災害が発生したとの報を受け、当時まだいち捜査員に過ぎなかった私は現場

へ急行した。何でも、在野の魔術師が召喚実験を行って失敗し、辺り一帯を業火で焼き尽く

してしまったという。

『全くだ。これでまた、魔術界への突き上げがキツくなるぞ。秘匿も何もあったモンじゃね

え。向こう数十年は、隠匿工作が手放せなくなるだろうよ』

 同じく臨場した同僚ないし、先輩の魔術師達は、総じて辟易とした様子で辺りの惨状を眺

めていた。詳細な被害規模と実験内容を調べた上でないと正確なことは言えないが、おそら

く町一つが地図から消える、そんなレベルだと感じた。しかもそれが、私達魔術の世界にお

いてはさほど珍しいことではなく、正規の実験であったなら寧ろ“避けられない犠牲”だっ

たとすら抗弁される。

『お~い、そこ! ぼさっとするな! 魔術痕を片っ端から回収! 上が辺りを封鎖してく

れてる間に、できることは全部やり切るぞ!』

『は、はい!』

『うッス。……出来るかなあ?』

 今でも憶えている。あの時は理論理屈も何も、あちこちから呼ばれた捜査員らによる人海

戦術でもって事の処理に当たった。既に生存者の存在など絶望的。仮に見つかっても、上層

部は口封じの為に解き放ちはしないだろう。魔術師われわれは慈善団体などではない。秘匿の原則に

都合が悪ければ、人一人の命など簡単に切って捨てる。そんな存在だ。

(──ん?)

 だというのに、あの時彼らを見つけてしまったのは、運命だったのだろうか? 他の同僚

らに交じって事後処理に汗だくになっていた最中、私はふとガラリという何処かが崩れた音

を聞いた。最初は単に家屋の支えが失われたのだろうと思ったのだが、どうにも嫌な胸騒ぎ

がした。逡巡して、居ても立ってもいられなくて──走った。まるで導かれるように、その

気配がした方向へと瓦礫や火を越えて確かめに行っていた。

『なっ……!?』

 そこに居たのは、一人のまだ幼い少年。今回の犠牲者の一人なのだろう。崩れ焼け爛れた

家屋の下に半ば挟まったまま、虚ろな目をして身動きが取れなくなっている。

 何より私が驚愕させられたのは──そこにもう一人、別の存在が居たからだ。

 精霊? 人型の女性のような姿をした、緋色に燃え盛る異形。彼女(?)が、今まさに彼

を捉えようとその両手を広げている。

『おい、どうし──おわっ!?』

火精サラマンダー? いや、火魔人イフリートか?』

『グレイス、それ以上近付くな! 逃げろ! お前まで焼き殺されちまうぞ!』

『……』

 だというのに、どうしてなのだろう? 私はあの時、あの場所から動けなかった。異変に

気付いき、遅れて駆け付けて来た皆の必死の注意にも拘らず、じっとこの一人と一柱の様子

を見つめ続けていたのである。違和感、或いは不意に襲ってきた確信があった。

『待ってください。様子が変だ。この精霊、敵意を感じない。寧ろ彼を、守ろうとしている

ような……?』

『はあ? 何を馬鹿な──』

『今回の実験で呼び出された召喚物かもしれんのだぞ!? お前まで魅入られたか!?』

 同僚、先輩達の中には既に、魔力を練って臨戦態勢に入ろうとしている者もいた。一方で

私は、それが彼女を刺激することになるだけだと、ほぼ直感的に悟っていた。文字通り、火

に油を注ぐ行為だと。

『──』

 案の定、燃え盛る女性型の異形はこちらに気付いて身構えたように見えた。にわかに緊張

が走る。だが妙なのは、その警戒心はまるで何かを守らんとするかのように発揮されていた

こと。明らかに私達から背後の少年を庇うように、ずいっと自らの身体を差し込んで相対し

てきたこと……。

『まっ、て』

『!?』

『待って……。姉さん……』

 ちょうど、そんな時だった。当の少年が倒れた格好のまま、そう確かに言ったのだ。

 私達に立ち向かおうとする炎の異形、緋色に燃え盛る女性を間違いなく“姉”と呼んで、

その献身が暴走するのを止めようと──。


 ***


 そっと優しく、自らの頬を撫でて来ようとする女性型の焔の手を握り返し、ホムラは静か

に呟いた。人語らしい人語は話さないが、彼女もまたピクンと反応してその白ばんだ瞳を注

いでいる。火傷痕の痛々しい左腕に、再び鎖と枷の装具アイテムを着け直すと、彼女の姿はみるみる

内に収束して消えていった。あたかも彼の意思、労いの一言に応じて自発的に眠りに就くよ

うに、再び自ら“弟”の中へ封印される。

「……具合はどうだ? 痛むか?」

「大丈夫です。俺も姉さんも、制御には大分慣れました。そんな頻繁に出したり引っ込めた

りしなければ、このまま何とかいけそうです」

 暫く一部始終を見ていたグレイスが、そうゆっくりと彼の下へと歩み寄る。腕の枷と火傷

痕を隠すように、再び黒法衣スーツの袖を上げ直したホムラは、努めて何ともないといった

様子で手の中の黒鉄鍵を一瞥。

「──班長チーフ。任務、完了しました」

 こちらへと、改めて差し出すのだった。

                                      (了)

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