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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-154.September 2025
267/284

(2) メシヤ

【お題】陰、禁止、機械

 友人が飲食店でバイトを始めたと聞いて、少し驚いた。自分もさほど他人の事は言えない

が、あいつは間違いなく“大人しく性格”だからだ。

 まさか、引っ込み思案な己を変えるべく、無理にでも真逆の環境に……?

 だが、当の本人にそれとなく訊いてみた感じでは、別にそういう訳でもなかった。


『ああ、ううん。そうじゃないんだ。寧ろ僕みたいなタイプの方が合うっていうかさ』

『何なら今度、うちにおいでよ。美味しさを保証するよ? まあ、店のルール上、特別扱いは

できないけど……』

『……??』


 そんなやり取りもあり、後日自分は予定の授業コマが済んだタイミングで、件の店へと足を運

ぶことにした。

 キャンパスを出たのは、少しずつ西日が自己主張を強めようとしていた頃──夕食には少

し早いが、何やかんやと空腹ではある。講義中に眠くなるのが目に見えているからと、昼は

あまり量を摂らないことが多いのも一因なのだろう。

(聞いてた店は、この辺の筈だが……)

 友人あいつから聞かされていた地理と、店の看板を探し、暫く目的地の周辺をうろうろする。

 件の店は、お世辞にも立地に恵まれているとは言えなさそうだった。大学や関連施設が並

ぶ大通りからも大きく外れ、方向的には正反対。飲み屋街エリアのほぼ北の端、路地裏の一

角にひっそりと、その店は営業していた。

(食事処『黙々亭』……。こんなのほぼ民家じゃん。予め名前を聞いてなきゃあ、見逃すと

ころだったぞ……?)

 一見すれば、隣接する他の平屋群と大差はない。辛うじて壁の木目と被っている店の看板

や、正面の戸に下がっている木製のすだれぐらいなものだ。何の気なしで通り掛かっただけでは、

高確率でスルーされる。それぐらいとにかく地味で、目立たない。

(飲食店、なんだよな? 商売する気あんのか?)

 正直、第一印象は決して良いものだとは言えなかった。

 あいつの話じゃあ、腕は確かなようだが、今日び“良いものならば売れる”なんてのは幻

想だ。現実は寧ろ逆で、ある種初動や折につけ、どこまでバズらせたかで売れ行きに天地ほ

どの差が付くものなんじゃないのか? そりゃあまあ、中長期的な戦略マーケティングとなればまた違って

くるのだろうが……。だからと言ってこれでは、まるで“端から受ける気なんぞない”と踏

ん反り返っているかのようで……。

「──らっしゃ~せぇ~」

 とはいえ、ここまでうろうろと足運んでおいて何の成果もなしというのは癪に障る。ええ

い、ままよと自分は意を決してこの正面の引き戸を開き、店内へ入って行った。同時に内側

に付けられていたらしい鈴がチリンチリンと鳴り、カウンター奥で作業している青年──お

そらくはバイト君の一人がそう、馴染みある省略系な挨拶テンプレを寄越してくるのが聞こえる。

 店内は、平屋の形状そのままに奥へ向かって真っすぐ縦長の構造をしていた。入って左手

側にはカウンターと間仕切りされた席が等間隔に並び、右手側にはお代わり自由式らしい、

お冷やお茶の入ったピッチャーとグラス、湯飲みのセットが幾つか。各種調味料も浅皿の中

に一まとめにしてある。早めの腹ごしらえなのか遅れた昼飯なのかは分からないが、既に幾

つかの席には先客がそれぞれ一人ずつ座っていて、黙々と食事を摂っている姿も見える。

「……らっしゃい」

 大将は、先程のバイト君とは違って如何にも厳つい、紺の作務衣を着たおじさんだった。

先客の何人かと同様、ちらっとこちらを一瞥するだけで愛想などは無く、ぶっきらぼうにそ

んな形だけの台詞を口にする。口にするや否や、調理の続きに戻ってゆく。

(また癖のありそうな……。でもあいつからすりゃあ、働きやり易い店だって言ってたんだよな

あ)

 特段席に案内されるでもなく、入ってすぐの所で立ちぼうけ。

 ただその理由は、ふいと視線を店内の右側に遣ったことですぐに解った。そこにはちょう

ど後ろのスペースを間仕切りと共に隠すのも兼ねた券売機が設置されていて、何より幾つも

の“注意事項”がお品書きよろしく貼り出してある。


『注文はこちら(券売機)から』

『私語厳禁 撮影厳禁 覗き見厳禁』

『店内禁煙 電話は外で』

『上記を破る、及び騒がしくされる方は退店願います 店主』


(……なるほど?)

 要するに、飯は振る舞うからお前らは黙って食え。他にゴチャゴチャ求めるな。大よそそ

んな感じなのだろう。実際カウンター席は間仕切りで、一人一人が孤立した状況を作ってあ

るし、当の客達も店名通り黙々と食べ続けていて私語などは全く聞こえない。

 何となく、友人あいつの言っていた意味が解ったような気がした。店のコンセプトとして黙食を

掲げているなら、確かに大人しい性格のあいつでも店員は勤まるのだろう。最初にこうして

券売機──食券制になっている点が大きい。これなら“接客”する側の負担は大幅に抑えら

れるし、客側もあれこれ余計なことを考えなくていい──気を回さずに済む。

(ったく。そういうことなら先に言えよなあ……。とにかく、注文注文、と……)

 連なる間仕切りの向こう、カウンターの内側奥で、見覚えのあるエプロン姿の人影がこち

らを見てドヤ顔をしていた。当人あいつだ。今日もシフトだったらしい。そしてあの時語っていた、

特別扱いはできないという言葉通り、それ以上何か干渉してくるでもなく更に暖簾の向こう

へ引っ込んでしまう。大将ともう一人のバイト君、三人で今日は店を回しているようだ。

(これにするか)

 おそらく時間帯などで替えてはあるのだろうが、メニュー名と値段、ボタンに加えて実物

の写真の縮小コピーが貼ってある。少し悩んでから、今回は唐揚げ定食を選んでみた。自販

機と同じく、先にある程度金を入れてから額面内に収まるものを選択できる。券売機の中か

らは、選んだメニュー名と「6」の数字がミシン目でくっ付いたレシート。どうやら空いて

いる席から順番に埋まっていく方式らしい。

 入口から数えて六番目、他と同様に小さな間仕切り板で左右から挟まれた空間に腰掛け、

正面のカウンター側から顔を出してきた友人に先程のレシートを手渡す。彼が大将にこれを

片手に報告。声もなくコクリと頷いたのを自分は遠巻きに見ていた。その間も調理を続ける

手、手際の良さは全く止まる様子がない。

(……確かに、これは“楽”だな)

 外の食事、それも会食となると、イコールお喋りをしながらというケースが多い。寧ろ飯

を口実に、同じ時間を共有することそのものが目的だったりもする。根掘り葉掘り私的な事

を訊かれたり、訊き出さなければならなかったりする。

 正直、自分もそういった暗黙の了解的な空気は苦手だ。飯を食いに来た筈なのに、味も腹

が膨れるのも実感するより先に、もっと別の物事にエネルギーを割かされる感覚。かと言っ

て露骨に避け過ぎていれば、ふとした瞬間に爪弾きにされていたのだと気付く。

 ──だから何年か前までの、流行り病の影響で世の中が自粛ムード一色に染まっていた頃

の方が、個人的には過ごし易かった。非接触が勧められ、許されていた。この席毎の仕切り

板だって、その頃のスタイルを引き継いでいるだけかもしれない。

 ワイワイと賑やかに会食するのと同じぐらい、一人じっくりと舌鼓を打つ選択肢があった

っていいじゃないか……。

「お待ちどお」

 そうして暫く過去を思い出しながら待っていると、大将のぼそっとした一言と共に注文し

た料理が差し出されてきた。

 こんがりと綺麗なキツネ色に揚がった唐揚げが、ゴロゴロと六つ。そこに新鮮なキャベツ

の千切りやキュウリの輪切り、小盛りのポテトサラダが添えられ、彩りのバランスを取って

いる。そんなおかずだけでも結構なボリュームなのに、同じぐらい艶々の白ご飯はお茶碗に

こんもり。見た感じ吸い物に近い味噌汁に、小さな青黒い陶器皿に乗せられた沢庵まで付い

ているときた。

 ごくり……と、思わず喉が鳴った。取った箸を片手に静かに手を合わせ、早速メインの唐

揚げを一つ、口の中に運んでみる。

「!? ~~ッ!!」

 咀嚼し切るまでもなく、次の瞬間広がったのは、予想を遥かに超えた肉感。かと言ってあ

りがちな、強めの脂っこさが見事に抑えられた優しい味わい。

 危なかった。もう少しで声が出てしまいそうだった。あれだけ注意書きで静かにしろと念

を押されているのに、間仕切り越しに他の客達も食べているのに、叫んでしまっては摘まみ

出される。それだけは避けたい。最後まで食べたい──そう衝き動かされるように踏み止ま

るぐらいには、美味かった。もしかしなくても、二十年ちょいの人生の中で過去一かもしれ

ないと本気で思った。肉汁の旨味が逃げてしまわない内に、白飯を掻き込む。

(何だよ……これ……!)

 美味い。滅茶苦茶美味い。あんな不愛想なおっさんから、どうしてこんな繊細な定食が生

まれるんだ? ってくらいには驚いていた。疑問に思って自分なりの答えを導く。そうじゃ

ない。寧ろ逆で、これほどの味を追求する為に他の要素を切ったんだ。愛想、接客に係るリ

ソースや無駄話など。およそ飲食店という看板を出しているのに、まるでそれらを全部逆張

りして掛かるようなスタンスは、今日び馬鹿正直なレベルまでに出すものの質に拘り抜く為

なのだろうと。

 一個目、二個目、三個目。

 他のメニューも食ってみないと確かなことは言えないのだろうが、基本的にこの大将の作

る料理はどれも“優しい”のだ。しつこくなく、定食という形でなかったら何個でもいけそ

うなぐらい。添えられている千切りも輪切りも、ポテサラや白飯、汁物に至るまで。何処か

らどう合わせ技で口の中に入れても、互いに邪魔をしないよう絶妙なバランスで味を整えて

ある。そんな気がした。どんどん白飯が進む。千切りと唐揚げを絡めて放り込み、吸われた

脂がこれまた、ちょうど良いしなっとした状態を作ってくれる。味噌汁で一旦口の中をリセ

ットし、別の組み合わせで咀嚼を愉しむ。時々沢庵も摘めば、優しく低空飛行する舌に活を

入れることもできる。

「──っ、はあっ……」

 結局最初の一口から、殆どノンストップで平らげてしまった。物凄い満足感が腹を、胃袋

を中心に全身へと行き渡る。正直もっと食べたいぐらいだ。

 驚きと感動と。そうやって密かに予想以上の出来で打ちひしがれていたこちらを、カウン

ターの奥で友人あいつがニヤニヤと見ていた。『どうだ、美味いだろ?』別にお前が作った訳じゃ

なかろうに。満面のドヤ顔で。実際ぐうの音も出なかったモンだから、思わず席を立ち、後

ろの飲み物テーブルへと背を向けた。ピッチャーからお冷をグラスに入れ、持ち帰りながら

火照った喉をクールダウン。いや、これは最初に付いていたのと同じで、お茶の方が良かっ

たかな?

「……」

 気付けば大将が、軽く自身の手をタオルで拭いながら前を通り過ぎていた。相変わらず外

見は厳つく不愛想だが、なるほどあいつの言う通り腕は確かだった。こんなに美味い晩飯は

久しぶりだったように思う。記憶に残る一時だったと思う。

「ごちそうさんっした」

 正直を言うとまだ余韻に浸りたかったが、あまり長居し過ぎてもアレかなと思った。追加

したお冷をちびちび飲み終えたタイミングを合図とし、自分はそうカウンターの向こうに居

る大将に向かって一言。本当に美味い飯を食わせてくれた礼を述べて席を立った。実際、他

の先客達の何人かは、こちらが腹を休憩させている間に出て行っていた。注意書きの通り、

特にテンション爆上げでお暇するでもなく、まるでそう在るのが普通のようにそっと。

 それでも自分は──お礼を言わずことばにせずにはいられなかったんだ。

「あざ~っした~」

 尤も、代わりに応えてくれたのはもう一人のバイト君ではあったけれど。大将もちらっと

こちらを見遣り、認識はしていたから聞こえていなかった訳ではないのだろうけど、最後の

最後まで寡黙な人だった。料理に集中したいという理由以外にも、ただ単に喋るのが苦手、

みたいなことは十分あり得そうだった。


「……ふぅ」

 食った食った。

 店を出た頃にはすっかり日も落ち、暗くなりつつある路地裏に足を踏み出して、来た道を

戻る。元々辺り一帯が飲み屋街なのもあって、活気付くのはもう二・三時間ほどは後になる

だろう。そういう意味では、ちょうど良いタイミングで来られたのかもしれない。仕方ない

とはいえ、外のざわめきだって静かに舌鼓を打つには妨げになるだろうから。

(あいつには礼を言っとかないとなあ……。良い店を知れた)

 少なくとも店のスタイル的に、万人受けはしないのだろう。いや、寧ろ人気になって客が

殺到し過ぎては本末転倒だからそれで良いのか。ついぞ直接大将と話はしなかったものの、

あの注意書きの列を見ればコンセプトは明らかだ。飯が口実ではなく、コミュニケーション

の添え物ではなく、只々とにかく中心である場所が欲しい。静かに食べたい。人によっては

栄養補給の「作業」としか捉えられない者もいるのだから……。

(個人的にはもう、リピート確定だな。もっとあの大将の、他の料理も食べてみたいし)

 あ、でも……。

 ホクホクと、半ば夢見心地で帰宅の途に就いてバラつく思考を、自分は次の瞬間繋ぎ止め

ていた。はたと戒めた。

 あの店の毛色からして、露骨な“常連”風を吹かせるムーブは嫌われるだろう。ただ内心

気に入ったから、繰り返し訪ねるだけだ。

 いち客として入って、今日と同じように、黙々と静かに食べればいい。

 独りであっても救われていればいい。自由が、いい。

                                      (了)

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