(2) 零の番
【お題】森、ヒロイン、ロボット
「ま、丸尾さん。すっ、好きです! 僕と付き合ってください!」
意中の同級生を校舎裏に呼び出し、その日蒼は一世一代の告白を実行に移した。目の前に
はきょとんと驚いた様子の少女が一人、一瞬自分の身に何が起こったのか理解できずに立ち
尽くしている。
「……わっ、私……と?」
全体的に小柄なためか、気持ちぶかぶか気味なブレザーの制服と赤リボン、所々毛先の跳
ねた栗色交じりのボブヘアー。何よりも動揺して、不安そうにこちらを見る真ん丸な目。
コクリ。蒼は頷いた。唇を結んで内心ギリギリのところで取り繕い、嘘じゃないんだ真剣
なんだと伝えようとする。
確かに、クラスではあまり目立たず、同性からもどんくさい系の娘として若干下に見られ
ている部類なのだろうなとは知っている。でも……そんな周りからの評価と、自分の恋心は
全くの別だ。寧ろ何で解らないんだと、折につけて腹立たしく思ったことさえある。
ただ当の彼女、丸尾零奈は尚もばつが悪そうにもじもじとしていた。
「……えっと、一條君。何で私なの? 私より可愛い子ぐらい、クラスにもクラスの外にも
いっぱいいると思うんだけど……」
「そ、そんなこと言われてもなあ……。ひ、一目惚れしちゃったものは仕方ないっていうか
何というか……」
もじもじ。そして今度は、蒼の方も小恥ずかしそうに。
暫くの間二人は、お互いに顔を赤くして佇んでしまった。相手の顔をまともに見ることも
中々できずに、曖昧な時間だけが流れる。遠くグラウンド方面から、放課後の練習に勤しむ
運動部員達の掛け声が聞こえてくる。
「……本気、なんだ」
そうしてたっぷりの沈黙の後、先にそれを破ったのは彼女の方だった。ぽつりと、自身に
言い聞かせるように確かめるように呟くと、改めて数拍じっと何やら考え込んでから、意を
決して彼の顔を見上げる。
「一條君。もし、もしもなんだけど、私が“人間じゃない”って言ったら……どうする?」
「へっ?」
だからこそ、終始真剣な眼差しでそうこちらを見つめてきた彼女から投げ掛けられた言葉
に、蒼は最初戸惑った。少なくとも──普段クラス教室で過ごしている時の姿からも、冗談
を言って誰かをからかうようなタイプの娘ではない。一瞬眉根を寄せはしたが、彼はともか
く切り出された話の続きを促すことにした。真意を確かめなければ、どうするもこうするも
ないのだから。
「それってどういう……?」
「……私ね? ロボットなの」
きっと知ったら怖がられる。まるでそんな恐れ、悲しみを堪えるかのように、彼女は今に
も泣き出しそうな表情で答えた。きゅっと唇を結び、短くそうだけを言う。数拍の間、何と
返せばいいのか分からずに蒼も黙り込む。ぽかんと、黙り込む。
ロボット? どう見ても小柄で可愛らしい、同年代の少女にしか見えないが。
そんな漫画みたいな話、本当にある訳が……。つまりはアレか? ああ見えて、実はそっ
ち方面の妄想がたくましいとか、そういう娘だったのだろうか?
「ご、ごめんね! びっくりしたよね? そうだな……。実際に見てもらった方が早いか」
だがちょうど、次の瞬間だったのである。流石に突拍子もない告白で疑われていることぐ
らいは察していたのか、逆にこちらへ謝ってきながらも痛々しく苦笑。それでいて何を思っ
たか、右手で左腕をぐっと掴み始め、ミシミシッと不相応を鳴らし始めたのだである。
「──ッ?!」
外れた。いや、断面からうねうねと銀の配線みたいなものが見えているから、無理やり引
き抜いたのか。
蒼は愕然としていた。自分の目を疑った。本当に彼女は、言うや否や自分の腕を文字通り
引き千切ってみせたのである。血も出ず、双方の断面は明らかに人体のそれではない。均一
な銀色の配線型のような何かが、無数に集まって彼女という身体を形作っているらしいとい
うのが判る。
「な、何して──!?」
「あっ。だ、大丈夫だよ? くっ付ければすぐ元に戻るから。ほら」
正体が云々というよりも、蒼は咄嗟に悲鳴じみた声を上げていた。そこまで、自分を壊し
てまで証明することなんてなかったじゃないか。だが当の彼女、零奈自身は心配する彼にや
はり苦笑いを返し、宥めるように言う。実際引き抜いた左腕を上腕側の断面に押し付けるよ
うにしてやると、互いの銀色配線が絡み合って瞬く間に修復を始めてゆく。千切れた断面や
痕も綺麗さっぱり消え、見た目には人間の女の子と再び見分けがつかない程に戻った。数度
ギチギチと確かめるように五指が動き、彼女は哀しい苦笑みと共にもう一度こちらの顔色を
窺って言う。
「……ね? 私は人間じゃないの。だから──」
***
四時限目、昼休みを告げるチャイムが校舎内に鳴り響いた。蒼達の教室でも、直前まで教
鞭を執っていた古典の老教師がおずおずと教材をまとめて出てゆき、クラスの面々がどっと
解放感に包まれる。
「ふい~、終わった終わった」
「あ、蒼君。お弁当……食べよ?」
するとこちらもいそいそ、彼の席へと大きめのランチ袋を握った零奈がやって来る。お?
と蒼が振り向き、その薄ら頬を染めた様子にこちらも小恥ずかしくなる。近くの同じ男子達
が軽く背中を小突き、ニヤニヤと笑う。「ひゅーひゅー」ベタな効果音でからかってくる者
もいる。
「ほうほう? 今日も彼女さんからのお出迎えか」
「か~、見せつけてくるねえ。お熱いこって」
「……うるさいなあ。ごめん、レイちゃん。行こっか?」
そんな悪友達にじろっと横目を遣りつつも、一方で恋人へのフォローも忘れずに。周りの
目があることはとうに判り切っているため、彼はそそくさと彼女と共に教室を後にして行っ
た。それでも残された男女問わぬクラスメートの面々は、やっかみ半分微笑ましさ半分とい
ったところでそんな二人を見守っていた。ヒソヒソと噂し合っていた。
「一條君、すっかりデレデレよねえ」
「まさかゼロちゃんととは……。大人しい子だと思ってたのになあ」
「でも聞く限り、告ったのは彼の方みたいよ? 好みだったんじゃない? ああいうタイプ
がさ?」
「ふ~ん。やっぱ男って、ああいうのが好きなんだ……?」
女子生徒の一部がそうじろりと、残った男子達を見遣る。それはやっかみか、或いは上辺
の属性だけでとりあえず手を出す野郎どもへの牽制か。ビクビクと、半ば巻き添えになった
面々が顔を引き攣らせたり、ふるふると小さく首を横に振ったりしている。
「はい、どうぞ。蒼君の分」
「うん。ありがと」
あの日の告白以来、昼休みは決まってB棟──特別教室の集まる別棟の軒下へ場所を変え
るようになっていた。軒の陰やL字型の構造が上手く視界を遮ってくれるし、何よりここか
らはちょうど綺麗な花壇や桜の木が見える。二人並んで座り、のんびりと時間を過ごすには
もってこいの隠れスポットだった。
零奈が、大きめのランチ袋から自分と蒼二人分の弁当箱を取り出し、いつものように渡し
てくれる。蒼は優しく笑って受け取ると、ウキウキして蓋を開けた。ご飯に玉子焼き、揚げ
物にサラダ、色とりどりのおかずがとても綺麗に盛り付けられている。
「ん~、美味そう♪」
「ふふ。今日も上手にできているといいけど……。じゃあ、手を合わせて」
『いただきます』
愛する恋人の、手作り弁当を突きながらの昼休憩。
蒼にとっては今や、この一時の為に学校に来ていると言っても過言ではない。実際一口目
から、その味付けは薄めベースながらも絶妙で、どれだけ彼女が愛情を込めて腕によりを掛
けてくれているかが解る。
もきゅもきゅ。暫く蒼は、隣で同じくちみちみ咀嚼をしている零奈と共に、このお手製弁
当に舌鼓を打っていた。
「ああ、美味い。本当にレイちゃんは料理上手だよなあ。この前は僕の破けた体操服まで縫
ってくれたし……」
「一度覚えてしまえば何てことはないもの。後は記憶領域から再生するだけ」
「……」
嗚呼、そうか。淡々と言う彼女の横顔を見て、蒼は思い至る。彼女は人間じゃない。人間
と見分けがつかないほどそっくりで、人間と同じように考え学ぶ、規格外のロボットである
のだと。
尤も当人は直後ハッと我に返り、自分の言い方が拙かったとでも思ったのだろう。あわわ
と弁当箱を膝上に置き、両手をばたつかせて必死に弁明しようとする。大丈夫──蒼は苦笑
いこそ浮かべたが、別段咎めるつもりも何も無かった。自分はそこまで料理ができる方では
ないが、多分人間だって何かしらを突き詰めるレベルにまでなれば、彼女の如く“最適化”
を少なからず経ているだろうから……。
『す、すげえ!』
『ふえっ?』
そう。あの時も彼女に正体を明かされた時、最初に湧き上がったのは恐れなどではなく尊
敬だった。ガキだったとも言えるのかもしれないが、まるでアニメや漫画の世界から飛び出
てきたような存在が目の前に──しかも好きになった相手がそうだと分かって、思わず興奮
のまま捲し立てる。
『ロボットっていうか、サイボーグ……? 自己再生までできるなんて、知らない間に技術
は進んでるんだなあ』
『え、えっと……。定義的にはアンドロイド、かな? 私の身体は特殊な液体物質の集まり
だから、生身とはまた違うし……。核の周りに、人型のそれが大量にくっ付いているってイ
メージ』
『へえ……』
当の零奈本人が気圧されている間も、蒼は暫く興味津々といった様子で彼女のすぐ近くま
で近寄り、その手や頬、赤面した表情を触ったり見つめたりして確かめていた。
実際に左腕を千切り、またくっ付けてを見せてもらっていなければ、到底信じることなど
できなかっただろう。少なくとも直接触れ、観察する限りではとてもロボットらしい要素は
見出せもしない。
『……怖がら、ないの?』
『うん? そりゃあ、いきなり腕を引き千切り始めた時はびっくりしたけどさあ……。でも
そっか、自分で直せるなら問題ないもんね。だけど無茶は無茶だよ? そんなことはしなく
ても大丈夫だから。ねっ?』
尚も戸惑っていた彼女に、彼はフッと微笑って言う。
『今の時代、二次元と結婚した人だっているんだ』
『大体僕が好きになったのは、丸尾さんだからであって、ロボットだから人間だからって理
由じゃないし──』
「……そういうところだよ、蒼君」
「??」
あくまで一人の女性として受け止め、違和感に従わない彼に、零奈はぽつりと言った。尤
も当の本人にはか細過ぎて聞こえなかったようだが。
昼食はややあって二人とも食べ終えた。持って来た水筒やペットボトルのお茶を入れ、暫
くぼんやりのんびりと、隠れスポット的なこの小さな園芸空間を眺める。
幸せな一時だった。特に零奈にとっては予想だにしていない日々であった。ずっとずっと
ロボットであること、人間ではないとバレないように細心の注意を払いながら生きてきた中
で不意に現れた、そんな自分を丸ごと受け容れてくれる人。そんな誰かなど、今まで“あの
人”以外にいなかったから……。
「あ、そうだ。蒼君」
「何?」
ちょうど、そんな時だったのだ。彼女がふと思い出したように顔を上げ、傍らで気持ちく
っ付くように座る恋人へと呼び掛ける。
蒼も同じくその視線に倣った。背丈の関係で見下ろす格好となる。ちょこんと、全幅の信
頼を置いてくれている、と思う眼差しで掛けられる声色がまたむず痒い。しかも直後、告げ
られた内容が内容だけに。
「今度のお休み、蒼君って予定ある? 蒼君のことお母さんに話したら、一度直接会って話
がしたいって言ってて……」
「お義母さん!?」
思わず大きな声が出た。脳内変換がお互い微妙に違っていたであろうことは、この際黙っ
ておく。
そ、それってもしかして……? 蒼はぐるぐると慌ただしく回り出す思考へ必死について
ゆこうとした。外のデートは告白成功以来、何度か行ったが、お家デート、しかも親御さん
同伴というのは初めてだ。というよりもこれは寧ろ、事実上のご挨拶ではないのか?
(……うん? お母さん?)
ただそこでふいっと蒼は狼狽を止める。彼女は人間はなくロボットだ。自分でそう打ち明
け、証拠も見せてくれた。だとすれば生物学的な“母親”というのは居ない筈だが……。
「ええと。お母さんっていうのは、つまり……?」
「! あっ。そうだね、普段からそう呼んでるからつい……。うん、蒼君の考えている通り
だと思う。私を作ってくれた博士、だからお母さん」
「なるほど」
案の定、というか他に辻褄の合うパターンは無いのだろうが。
蒼は改めて頷き、考えた。その生みの親、博士とやらがわざわざ自分を呼んで話したいと
いうのはどういう用件なのだろう? 表向きは母親との顔合わせではあろうが、その実は別
な目的があるんじゃないか? それこそロボットだとバレている現状唯一の人間である自分
を、口封じの為に消してしまおうとか……。
「……?」
ちら、と零奈の方を見る。当人はこちらの逡巡には思い当っていないのか、頭に小さく疑
問符を浮かべながら返事を待っていたようだが。
そう言えば。あの日告白が成功した後日に訊いてみたことがある。もし正体を明かされた
時、自分が怯えて拒絶し、逃げ出そうものならどうしたのかと。
『その時は──記憶を消させてもらっていたと思う。今までもそうだったから』
言って、片手の人差し指表面がずるりと剥けるようにスライドし、淡い翠色のペンライト
のような形状になった。何でもここから発せられる光を直視すると、対象に記憶を操作する
ことができるらしい。万が一の場合に備え、組み込まれている機能の一つなのだと。
……今までも。つまりは過去にも彼女には、何人か言い寄った男達がいたことになる。蒼
は正直モヤモヤとした。嫉妬なのだろうということは解っていた。だがそれ以上にも腹立た
しかったのは、彼女の正体を知って態度を一変させた彼らに対してだ。事前に……という状
況がほぼ不可能であったとはいえ、そんな辛い思いになりかねない呼び出しを重ねようとし
ていたのか。殆ど人間そのものな彼女のAIを、傷付けかねなかったのか。
(そうだよな。本人はホッとしても、親御さんは──博士はまだ不安がっているのかもしれ
ない。消したがっているのかもしれない)
正直、誘いを受けることには迷いがあった。そんな可能性が浮上してきた以上、何の警戒
もなくただ“ご挨拶”だけで済むというのは楽観的に過ぎた。
「蒼……君?」
しかし、迷い沈黙すればするほど、今目の前にいる彼女の不安を刺激してしまう。少なく
とも彼女自身は告白を受け入れてくれ、信頼を寄せてくれていると思う。そう信じたい。僕
だってその気持ちには変わりはないのだから。
「……分かった」
実際どれぐらいの間だったのだろう? 故に蒼は大きく息を吸い意を決してから、結局そ
う誘いに応じることを決めた。パアッと表情を明るくする彼女に、彼は微笑う。ズボンのポ
ケットからスマホを取り出し、一応スケジュールを確認してから具体的な日時を詰めてゆく。
「土曜は──途中からバイトあるから、日曜でも大丈夫? 朝からの方がいい? それとも
午後の方が都合良い?」
日曜日の午前中、自宅近くの公園でいつものように待ち合わせて、零奈が手を振って駆け
て来るのを視界に映す。
緊張からか、これまで以上に早起きして一張羅を厳選し、蒼はその日を迎えていた。家を
出る前、流石に両親にも何かあるのかと勘繰られ──おそらく交際はバレているんじゃない
かと思われるが、つっけんどんにかわして無視。正直一時間近く前から待っていた。
嗚呼、今日もレイちゃんは可愛いなあ……。思わず緩んだ頬を自分で叩き、同じく余所行
きのワンピース姿の彼女と合流。彼女の住んでいる自宅へと初めて訪れる。
(ここが……)
その家は、街の中心部から大きく離れた、郊外のまだ森の残るエリアに在った。在った、
というより埋もれていた、という表現の方が正しい。まるで人目を避け、隠れ住むかのよう
に建てられている。
「はい、到着。ここが私の家だよ。やっぱり……遠かったよね?」
「あ、いや。大丈夫。普段からそこまで遠出しないから慣れてないってだけで……」
気遣ってくれる彼女の困り顔が悩ましい。同時に愛おしくも思えるのだから、嗚呼自分も
大概やばいなとは思う。蒼は彼女に案内されながら、木々をこっそり切り拓いた家の進入口
へと入って行った。辺りが一面森に囲まれているとはいえ、玄関先は割と綺麗に整理整頓さ
れている。よく分からない置物やコンテナ、手作りの木製椅子やテーブル──時々外で団欒
でもしているのだろうか? 花壇やそういった類のものは無い。
「お? 来たね。そこに立ってるのが、例の彼氏君?」
すると予め待機してくれていたらしく、白衣を引っ掛けた女性が一人、軒下の脇からとす
とす歩いて近付いて来た。零奈と似た髪色を緩く後ろで結んだボサボサめ、眼鏡と着古した
Tシャツ、ジャージという如何にも“博士”といった風貌のスタイル。
「あ、はい。初めまして、一條蒼です。娘さんとは真剣に交際を──」
「ああ。そういう堅苦しいのはいいわ。惚気話なら、零奈から散々聞かされてるから」
「お、お母さん!?」
何であれ、第一印象が大事だ。蒼は思って即座に深くお辞儀をし、そう挨拶をしようとし
たが、対する母こと丸尾博士はすぐにそれを片手で振るって流す。ニヤニヤとちらり“娘”
を見て放った一言に、零奈も顔を真っ赤にして反応している。
「ははは。今日連れて来るってんだから、分かり切ってるでしょうに。とりあえず中に上が
りましょうか? 零奈、彼にお茶請け持って来てやってくれる?」
「ええ? 用意してなかったの……?」
「いや~、研究し出すと忘れちゃうからさあ。ほらほら、地下の保存庫にある分、適当に見
繕って来てよ」
「……仕方ないなあ」
彼女は立ち話もなんだろうと、ついとこちらに手招きをして玄関のドアへ向かってゆく。
途中で零奈にそう指示をし、用意すら無かったことを抗議されるも、いつものことといった
風に弁明して促す。「ごめんね? 先に行ってて?」家の裏側へ回ってゆく彼女を見送り、
今度は博士の先導で、蒼は丸尾家の中へと足を踏み入れた。
「お邪魔しま~す……」
家の中は、特段変わった様子がある感じでもなかった。
リビング、ダイニング、キッチン。強いて言えば家族構成が少人数だからか、その規模は
全体的に小さめで、且つ居住スペースの奥に金属質な──研究室と思しき別棟が扉の向こう
に増築されているらしいということ。
「まあ、座って。あの子を遣ったとはいえ、そこまで時間は稼げないだろうしね」
「……? それはどういう……?」
蒼はリビングに通され、ソファの一つに座らされた。向かって斜め前に彼女、丸尾博士も
座り、さらっとそんな不穏な台詞を吐く。
「君も解っているんでしょう? 今日呼ばれたのは、ただの挨拶じゃないってことぐらい。
何せあの子は人間じゃない。それを判っても尚、あの子を好きだと君は言ってくれた。今ま
でなかったからね……。だからその覚悟は本物なのか、信頼に足る人物なのか? 生みの親
として私は直接確かめる責務がある」
「……」
やはりか。尤もこの言い回しだけでは、純粋に“娘”を思って自分を試そうとしている母
親像という印象が強いが。蒼はきゅっと唇を結び、居住まいを正して彼女を見た。質問はす
ぐに飛んできた。
「蒼君って言ったわね? 君は本当に、あの子と交際を続けるつもりなの? 途中で捨てた
りはしない? あの子は人間じゃない──ロボットよ。私達が作り上げてしまった、心も体
も人間ではない何かなの。もし周囲にバレでもすれば、君自身も厄介事に巻き込まれるかも
しれない。それでもいいの?」
「はい。僕は、レイちゃ──零奈さんさえ良ければ、これからもずっと一緒にいたいと思っ
ています。少なくともそのつもりでいます。僕は好きになったのは、人間だからロボットだ
からじゃない。彼女が彼女だったからです」
蒼はほぼ即答した。予め自分の中で自問自答しながら、練り上げてきた回答を返していた。
嘘は言っていない。ロボットだろうが何だろうが、彼女は彼女だ。正体を知った今でも、
この気持ちに偽りなどあるものか。確かに“普通”の──人間の女性と結ばれ、家庭を築い
て子供を産み育てというルートからは外れてしまうかもしれないが、今日びそうじゃない人
達だっていっぱいいる。告白の時話したように、二次元と結婚した例もある。
「……ふむ? 本当にあの子が好きなのねえ。聞いた通りか……」
ぶつぶつ。丸尾博士は言う。惚気話、もとい彼女の正体を知った上で尚も関わり合いを続
けている人物、という情報は既に伝わっている筈だ。その土俵で下手に誤魔化しを混ぜ込も
うとすれば、間違いなく突かれる。ひっくり返す格好の材料を与えてしまう。
そもそも、この人の狙いは何だ? 彼女との交際を止めさせる為か? その割には安易に
家に上げているし、時間稼ぎと称しながらもきちんとお茶請けを持って来させようともして
いるし……。
あと、気になる点がもう二つ三つある。
彼女はさっき“私達”が作って“しまった”と言った。つまり零奈の生みの親は少なくと
ももう一人以上はいることになる。なのにそれらしい姿は今のところ見ていない。研究室の
方にでもいるのだろうか? 何より作ってしまった、という表現は、まるでその行為を後悔
しているとしか聞こえず──。
「そんな怖い顔をしないでちょうだい。今日君を呼んだのは、第一に礼を言いたかったから
よ。あの子の正体を知って、それでも変わらず受け入れて愛してくれる男なんて、今までた
った一人もいやしなかったからね……」
だからこそ、蒼は少し拍子抜けした。淡々とした口調はそのままだったが、不意に変わっ
たその声色は間違いなく感謝のそれだったからだ。
静かに目を見開いて、彼はじっと彼女のことを見遣る。眼鏡の奥の瞳が、フッと一抹の憂
いを帯びながらも優しくこちらを見ていた。
「……彼女のこと、本当の娘のように思っているんですね」
「ええ。実際、その為に作ったんだからね」
「え──?」
そして彼女は語り始める。何故零奈という、人と見間違うほどの精巧で異次元の技術を詰
め込んだ存在を生み出したのかを。その原因となった自らの過去を。
「私は元々、東欧のとある国で研究者をしていた。その頃に旦那とも知り合ってね。あの頃
は楽しかったわ。こっちとは違って、研究にもたくさん資金援助があったし。やがて娘も生
まれて、幸せの絶頂だった。この子の為にも、一層頑張らなくちゃ──そうお互いに励まし
合っていた矢先のことだった。娘が、レイナが急死したの」
「っ……!?」
「まだ赤ん坊だったからね。私達がもっと細かくついてやるべきだったんだ。そうすればあ
んなことにはならなかったかもしれない。悔やんでも悔やんでも悔み切れなかった。もし生
きていれば今頃、あの子と──零奈と同じぐらいの歳になっていた筈よ」
場に落ちた沈痛な空気。蒼は目の前の丸尾博士、かつての一人の母親が背負ってきた十字
架を思うと迂闊な慰みの言葉すら掛けられなかった。言葉など見つからなかった。只々、続
くその昔話に耳を傾けるしかない。
「やがてどうしても諦めることができなかった私達は、ある計画を立てた。全てはもう一度
あの子に、レイナと会う為。これから得られる筈だった幸せを、もう一度取り戻す為」
幸か不幸か、彼女とその夫は優秀な科学者。生物工学とAIという、それぞれの畑を最大
限に活かし、二人は寝食も惜しんで研究に没頭し始めた。
解ってはいた。一度失われた命を蘇らせることはできない。だから可能な限り“再現”す
る。その為に変幻自在に形状を変えられる、半液体の新素材まで開発し、生前の娘の情報を
込めた核を包んだ。成長する娘の姿をそこに見出そうとした。
「……ただ機械で似姿を作ったとしても、それ以上の何かにはなれない。歳月が経てば、周
りも全く年を取らないその子を怪しむのは目に見えていたしね」
だからこその、変幻自在な新素材。形を特定しないことで、彼女達は自分達の“娘”が歳
月と共に疑似的な成長を遂げられるようにしたのだった。プログラムで制御することもでき
るし、何より身を守る機能・装備等も仕込める。そんな可変性云々の時点でそもそも“娘”
な訳はないのだが、一度走り出した二人は止まらない。タガの外れた稀有な才能は、只々愛
する者を取り戻したいという欲求の為に注がれたのだ。
「あの、レイちゃんはこのこと……?」
「ええ。知ってるわ。そうでなきゃ、あの子も私を“お母さん”なんて呼ばないもの。どれ
だけ人の姿を真似られようが、人の心を学習できようが、自分は人間じゃない──ある意味
私達よりも聡明なあの子が、自分のルーツにぶち当たるのは時間の問題だったしね」
「……」
なるほど、経緯は分かった。
だが蒼ははたっと、次の瞬間にはまた別の疑問に気付いていしまう。まだ語られていない
側面が在ることに気付いてしまう。彼女もそんな彼の様子の変化を、すぐさま見透かすよう
に続けた。寧ろこれからが本番だった。
「あら? 中々冷静ね。そう。一連の出来事はこれだけで終わらなかった──いえ、やっと
報いが返ってきたと言うべきかしら。……狙われたのよ、私達の技術が。当時私達が所属し
ていた、研究所を運営する国にね」
彼女曰く、人でありながら人ではない、変幻自在に化けられ運用次第では様々な武装を隠
し持つことも可能な画期的な兵士──軍事力としての価値に目を付けた国のエージェントに
よって、ある時彼女らは襲撃を受けたのだという。気付いた時にはもう遅かった。二人はま
だ幼い姿だった零奈と共に、逃げるようにその国から脱出を図ったのだった。
「……ミゲルは、夫は、その最中に死んだわ。私と零奈を逃がす為に、自ら囮になってね。
それからは昔の伝手を頼って幾つかの国を経由し、こっちに亡命したの。こんな辺鄙な場所
で暮らしているのもそれが理由。まあこっちの政府も政府で、私にまだ利用価値があると踏
んでいるから、わざわざ匿ってくれているんだけど」
正直、そこまで過酷な過去だとは想像していなかった。私“達”なのに、彼女しか姿がな
かったのは、そもそも当人が既に死んでいるから──蒼は益々迂闊な言葉を差し込むことな
どできなくなっていた。彼女の言い口からして、今こうしている間も政府のエージェントが
こちらを監視している可能性だってある。
「君は知らないかもしれないけど、三年ほど前から、あの国で私達の技術を転用した機械兵
が実験投入され始めているって情報もある。あの辺りは昔から国境を巡って小競り合いが絶
えないから、尚の事優位に立てる新兵器が欲しかったんでしょうね。一応、私やミゲルが逃
げる前に、可能な限り研究資料は処分した筈なんだけど……」
それでも、現実には彼女達の技術が悪用されつつあるのだという。尤も蒼にとっては遠い
何処か別の国のことで、普段触れもしない世界で、まるで実感など無かったのだが。
「蒼君」
ちょうど、そんな時だった。
悶々と、到底今すぐ纏まりの付かない思考に翻弄されていた蒼の前に、彼女は何を思った
かすっくと立ち上がり、すぐ目の前まで近付いて来ていた。白衣のポケットに突っ込んだ手
をもぞもぞと動かし、頭に疑問符を浮かべてこれを見上げようとした彼に、ある物とをポン
と掌に乗せて手渡す。
「これは……?」
一見するとそれは、小振りなサイズの金属の塊だった。黒く長方形の何か。本体中央には
スライド式のボタンが一つ取り付けられており、試しに触ってみるとその操作に連動して先
端の金属パーツが迫り上がる。二本の支柱で内部から押し出され、何かを捉えるような構造
になっている。
「今日貴方を呼んだのは、これを託したいというのもあったの。……零奈の身体は、さっき
話した半液体の新素材と核から成ると言ったでしょう?」
「ええ。本人からもそんな話を聞いたことがあります」
彼女、零奈の“生みの親”たる丸尾博士は一瞬哀しい表情をみせた。哀しそうに辛そうに
眉間に皺を寄せ、一旦深く息を吐き出してから言う。
「……それは、その素材ないし核の組成を崩す効果のある、特殊なエネルギーを発生させら
れる装置よ。スタンガンの要領で体表面か、核に直接押し当てれば、相手はもう元の姿を保
っていられない。要するに、殺せる」
「!?」
蒼は弾かれるように後退った。掌から件の装置、特製のスタンガンが落ちる。
だが彼女はそんな反応はとうに織り込み済みなのか、再びこれを拾うと怯える彼の掌に乗
せ直した。何故? 盛大に生じている彼のそんな疑問符に応えるように、彼女は努めて淡々
と真意を明かしてゆく。
「あの子は……確かに人間と見間違うほどに精巧に作られた。これからも少しずつ、歳月の
経過に合わせて“成長”した姿に調整してゆくでしょう。普通に過ごしている分には、誰に
もその正体は分からない。でも」
ぎゅっと握り締めた白衣の外の拳、涙の気配のする瞳。
そうだ。蒼はそこでようやく思い直したのだった。少なくとも彼女は、彼女の亡き夫は、
何よりも幼くして亡くした娘ともう一度会う為に一連の研究にのめり込んでいた。その果て
にようやく“誕生”した零奈を、愛娘を、見捨てる訳がない。見捨てられる筈が無い。
「私も同じように老いてゆく。いつまでもあの子と一緒にはいられない。メンテは可能な限
り続けるつもりだけど、いつかは私も死に、独りぼっちになってしまう日が来るわ。いえ、
それまでにあの国から刺客が来るかもしれない。この国の政府がいつ裏切ってくるかも分か
らない」
そうか。零奈をわざわざ自分達から引き離した理由は、これの為だ。蒼は再び、丸尾博士
から握らされたスタンガン型装置に視線を落としていた。
単に愛娘が頻繁に聞かせてくれる、最近できた彼氏に興味があったからではない。
……いや、やはり分からない。何でこんな物騒なものを、自分に?
「あの子を一人の女の子として受け入れてくれて、尚且つあの子から信頼を寄せられてる貴
方にしか頼めないことよ。今すぐじゃなくてもいい。あの子と一緒になってあげて? 私が
いなくなった後も、大丈夫なように」
「っ、お義母さん?」
思わず吐いて出た言葉。これが自惚れでないのならば、彼女から懇願されたその“一緒”
の意味するところはそうなのだろう。
仰いだこちらの表情に、彼女は哀しげに微笑んだ。ようやく見つかった自分以外の協力者
に、ずっと独りで抱え込んできた願いを託そうと。
「もし貴方達の前に刺客が現れるようなことがあれば、その装置で奴らを追い払って」
「! はいっ!」
「それでも敵わなければ、もしあの子が捕まってしまうようなことがあれば──あの子を殺
して」
「……!?」
それはきっと、彼女の“母親”であるからこそ果たせないと予感してきた結末。いざ最悪
の事態が訪れた時に、自分達夫婦の生み出した技術がいよいよ悪用されて拭えない“罪”と
なる前に、負うべき責務だった。
(了)




