(1) 改魂
【お題】死神、天使、残念
『続いて、たった今入ってきたニュースです。歌手で俳優の綺羅坂凌さんが、今月十六日に
亡くなっていたことが関係者への取材で明らかになりました。同日夜、会食予定の場に現れ
なかった綺羅坂さんの自宅を訪ねた事務所スタッフが、部屋の中で倒れているところを発見
したとのことです』
ナースステーションから目の行き届く、入院棟の共用ロビーに下げられていた大型ディス
プレイから突如そんな訃報が流されたのは、とある日の午前中だった。速報と銘打たれたテ
ロップの上で、画面内の女性アナウンサーが緊張した面持ちで原稿を読み上げている。同じ
く左上には、件の若き人気歌手の笑顔が遺影のように添えられていた。
『綺羅坂さんは昨年、主演映画が海外の著名なコンクールで金賞を獲得し、俳優としても注
目されていた人物でした。葬儀は既に近親者のみで執り行われ、事務所は後日、お別れ会を
開催する予定です』
「──」
故にロビーに居合わせた人々、入院中の患者や見舞いに来ていた家族、出入りする職員に
業者などは思わずめいめいに立ち止まっては吊り下げ式のディスプレイを見上げ、大きく目
を見開いていた。彼の名はここ数年、メディアで取り上げられない日を数える方が難しいく
らいだったからだ。
持ち前の涼やかな容姿と、洗練された世界観から紡がれる歌詞、歌声。
そして最近は俳優としてもその才覚を発揮するなど、新進気鋭の逸材として世間の注目を
浴びていただけに、突然の訃報は多くの人々を驚かせた。悲しませた。
「嘘……でしょ?」
「あの凌君が……?」
「二十七ぃ!? まだ三十にもなってねえのかよ。早過ぎる」
「ああ。まさか、デビュー作が遺作になるだなんて誰も思ってなかったろうからな……」
テロップには速報の文字の横に、彼の名前と括弧書きの享年が記されている。ニュースを
目の当たりにしていたロビーの人々は、才能溢れたこの若者の夭逝を口々に惜しんだ。特に
歌手の頃から、そのルックスと曲の世界観に虜になってきた女性ファンなどは、まるで世界
の終わりかのような絶望に打ちのめされている者もいる。
「…………」
ただその中で、面々とは全く別の意味で“絶望”している人物がいた。車椅子に座り、愕
然としてニュースを見つめていた青年である。入院着姿の、まだ若いが身体は痩せ細った、
少なくとも傍目にも病に酷く蝕まれている印象を受ける。ごくり……。思わず密かに飲み込
んだ唾も、喉の動きもぎこちなく、やがてその視線は酷く下へ下へ逸れてゆく。
(ほ、本当に死んだってのか……? じゃああいつは本物の……? いや、それよりもどう
するんだよ? これじゃあまるで、俺が──)
切欠は今から二週間ほど前。彼が病室のベッドで、独り抜け殻のようにぼうっとテレビ画
面を眺めていた時のことだった。
生まれてこの方身体が弱く、二十数年の人生の大部分を病室で過ごさざるを得なかった。
その癖病は多岐に渡る上、半端に治っては再発を繰り返し、最早社会復帰云々は不可能なレ
ベルになってしまっても尚生き長らえている……。
「なるほど。これは確かに屍のような人間だ」
「っ?!」
そんな意識すらぼうっと薄れ、何処か遠くに置き去りにしようとしていた──いっそでき
てしまえば良いのにとつくづく願ってきた最中、奴は現れた。何の前触れも無く、近付いて
来た気配も無く、気付けば次の瞬間ベッドのすぐ隣に立っていたのである。
「だ、誰……?」
後ろに撫で付けた、やや白髪交じりの黒髪と黒スーツ。文字通りこちらを見下ろし、値踏
みさえしているような眼差しと、整っている筈なのに先ず本能的な恐怖が勝る強面。
青年は思わずベッドの上で身構え、この黒スーツの男に問うた。今日はおろか、自分に面
会がある予定なんて聞いていない。尤も長らく入院暮らしをするような虚弱体質の彼に、突
如として進入してきた目の前の不審者をどうこうできる道理も無かったが……。
「ん? ああ、そうだな……。端的に言えば“死神”か」
「死神?」
だからこそ、最初この黒スーツの男から自称してきた名を、彼は到底信じることなどでき
なかった。何処ぞの痛い不審者だろう。本来ならばすぐナースコールを押し、追い払っても
らうのが筋だ。
だが、本当に死神だというのなら、いっそ──。
「ふむ……。ならこういう姿の方が分かり易いかな?」
次の瞬間だった。信用していなさそうなこちらの様子を汲み取ったのか、この黒スーツの
男は少し考えてぽつり。何を思ったか片方の掌で顔を覆うと、刹那黒い炎と共にその顔面や
手が骸骨──服装も黒いボロ布のような“らしい”姿になったのだった。
「ひっ!?」
「案ずるな。意図して“視せて”いる相手以外に、我々の存在は認識できない。まあ、生来
視えてしまうような者は別だが……」
思わず大きな声が出てしまいそうになる彼の口を、自称死神の男はサッと塞ぎつつ言う。
数拍してようやく落ち着き、呼吸を整え出した姿を確認してから、改めて本題に入る。
「早速だが、お前に死期が近付きつつある。私の仕事はお前のような者の魂を確保し、冥府
へと送り届けることだ」
「……そうッスか。やっぱり俺、助からないんですね」
「ああ。今までよくもってはいたようだが。自覚はあるんだろう?」
「ええ」
痩せ細り、栄養剤のカテーテルが固定された腕をぎゅっと握り締めて、青年は問うた。
自分の体調は、自分が一番よく解っている。だがいざ、自称とはいえ死を司るような存在
にまで断言されてしまうと、正直メンタルにくるものがある。
「本当、糞みたいな人生だったな……。まあ、だらだらと生きて迷惑になり続けるよりはよ
ほどマシか」
「……」
しかしである。そう改めて、予め己の死期を知らされて自棄な台詞を呟いた彼に、この死
神を自称する男は静かに目を細めていた。じっと数拍黙り込んだ後、思わぬ提案をこちらへ
持ち掛けてきたのだった。
「一応、救済措置が無い訳ではない」
「えっ?」
「任意の誰か、なるべく無関係な者の寿命をお前に差し替えることで延命させることは可能
だ。その増えた時間でどう生きるか、病が治るかどうかはお前次第だがな」
どうする? 予想外の提案、選択肢に青年は酷く動揺した。死期が迫っているならさっさ
と来て欲しい、楽になりたいという思いが強かったのに、何故か当の死神(自称)がそんな
情報を与えてくるものだから。
自分の寿命が延びる? 他人のそれを犠牲にして?
最初こそ迷いの方が強かった。嘘か実か、そもそもこいつにとってのメリットは何処にあ
る? 別にそれで病気が治る訳でもなく、時間が延びるだけ。ならば寧ろ逆、残り少ない自
分の時間を、もっと世の中の優秀な誰かさんに分け与えた方がよほど“生産的”ではないだ
ろうか……?
(……なるべく、無関係な人間)
反芻して、彼はちらりと流しっ放しになっていたテレビの画面を見た。この日も向こう側
では、気鋭の新人・綺羅坂凌の華々しい活躍をクローズアップされている。
自分とほぼ同じ年齢にも拘らず、ああも引く手数多に皆から必要とされる人材。良くも悪
くも熱心なファンやムーブメントを生み出す、歩く話題の発信源……。
(──まるで俺が、俺が殺したようなモンじゃねえか! 確かに『世の中ってのは不公平だ
なあ』とか、あいつに言っちまったけども! ちらっと考えはしたけども!)
蘇る先日の不思議な体験。気付けばいつの間にか、霞のように姿を消していた、死神を名
乗る黒スーツの男。
あの時は幻だ、性質の悪い夢でも見ていたんだろうとすぐ切り捨ててしまったが、いざ当
の綺羅坂本人急逝のニュースを目の当たりにして彼は酷く動揺していた。青褪め、思わず頭
を抱えて項垂れる。引き続き聞こえてくる読み上げや、周囲の悲嘆を耳から引き離そうと試
みる。
……羨ましかった。自分と同じぐらいの世代でありながら、ああも違うものか。あちらは
目一杯のスポットライトを浴びて輝いているのに、こちらの人生は一度たりともそんな瞬間
など無かった。いや、入れ替わり立ち代わり襲ってくる病のせいで、そもそもチャンスすら
与えられなかった。
悔しい、恨めしい、理不尽だ。
そうした悶々とした感情が、ふと口を衝いて出てしまったのだろう。或いはずっと、彼だ
けではなく、世の中全てに対して漠然とした憎しみを抱いてきたのだろうと思う。それをあ
の男に、骸骨にも化けられる自称死神の不審者に聞かせてしまった。
どうせ死ぬのなら、ああいうキラキラした奴を道連れに……。つい魔が差して答えてしま
った絵空事が、本当に現実のものとなるなんて。
(あいつは何処だ? あいつは何処だ!? もし本当にあいつの仕業だってんなら、部屋に
戻れば……?)
震えが止まらない。割に合わない罪悪感で胸奥が砕けそうになる。
青年は尚もざわめくロビーを、独り必死に車椅子のホイールを回しつつ後にしていった。
あわよくば、もう一度あの自称死神と会って事の真相を問い質す為に。こんな心算じゃなか
ったと弁明する為に。
***
「ねえ、聞いた? 四〇九号室の黒瀬さん、亡くなったって」
「ええ……。長い間闘病されていたとは聞いていたけど」
「急に具合が悪くなって、バタバタっとって話よ。時期的にちょうど凌君が亡くなったって
ニュースが流れた後だったから、ショックだったのかも?」
「嗚呼、年齢的にも近いしねえ……」
病院にとって、ある種死は日常だ。それでもその事実はなるべく覆い隠し、対外的には寧
ろそうしたものを“治す”側であると常日頃アピールしなければならない。そうでなければ
経営は成り立たない。
院内の廊下を歩く看護士達が、そうヒソヒソと噂話をして通り過ぎて行った。先日とうと
う力尽きた、青年の長期入院患者に関するものだった。
「──」
その途中、待ち合いベンチの一つに黒スーツの男が座っていたことに、彼女達は全く気付
いていない様子だった。再び辺りがしんとなった病棟内に、今度はまた別の女性が一人、カ
ツカツと靴音を鳴らしつつ近付いて来る。
「ここに居ましたか。やはり彼は、貴方の関わった案件だったのですね」
「……これはこれは。“天使”様が直々にお出ましとは。私に何か御用かな?」
金髪金眼の、一見すればハッとするほど美しい白スーツの若い女性。
ただベンチに座ったままの彼を見下ろす眼差しは、酷く冷淡で手厳しい。加えて錯覚なの
か何なのか、彼女の背後には白く乱反射する“羽根”達がふわりと舞っているようにさえ視
える。
「今更、おべっかなんて必要ないでしょう? 貴方達と私達では。貴方……あの人間を騙し
たわね? 寿命が延びるなんて言って、綺羅坂凌を選ばせて」
「嘘は言っていないさ。“延ばすことは可能だ”とは言ったが、実際に延ばすと約束した訳
じゃない。それは、相手方自身の魂を回収した貴方がよく知っている筈だ」
「ええ。彼の死は早過ぎた。でも、それが彼の運命。お陰で彼のファンだった人間達が大勢
絶望に沈んでいるわ。これから暫くは、死神の仕事が多くなるでしょうね」
「だねえ……。正直憂鬱だよ。只でさえ、今の時代は“綺麗な魂”自体が珍しいっていうの
に。もう少し、現世のお偉方には頑張って欲しいものなんだが」
「……心にも無いことを。だったら尚の事、彼をああまで追い詰める必要はなかったでしょ
うに」
あくまで冷淡に、鼻で哂って批判を続ける彼女に、黒スーツの男はようやく顔を上げた。
尤も皮肉から直截へと変わっても、当の彼自身はまるで効いている様子はなく、寧ろムキに
なっている彼女の様子を愉しんでいる節さえある。
「いやいや。あれも死神の仕事の内だよ。淀み、汚れた魂を安易に転生させてゆけば、現世
の荒れ模様は一層酷くなる。そうなれば貴方がた天使様の管轄する“強く綺麗な魂”の確保
もし辛くなってゆく。お互い、アプローチの方法が違うだけさ。より良質なエネルギーを抽
出する為に元から採るか、その下地を作るか。彼は淀んでこそいたが、地獄に閉じ込めてお
くにはまだ業が軽かったからね……。そこで一芝居を打って、自主的に堕ちてもらった。そ
れだけさ」
「……だから邪悪と蔑まれるのよ。裁定は冥府の本庁に任せておきなさいよ」
「悪いが、これも査定の為でね。貴方がたが良質な魂を連れてくることで評価が上がるよう
に、我々もより質の悪い──現世に悪影響のある魂を収監した方が都合が良いんだ」
ポゥ。言って彼が掌から取り出した小さな黒い籠には、黒灰色に汚れた人魂が一つ収まり
揺らめいていた。
天使たる彼女が、改めてそう不快感を表明する。所属は違うが、最終的な目的は同じ──
彼にそんな理屈を返されても、善良たる魂をという自負がそれを認められないらしい。もう
一度キュッと掌を握り直して黒籠をしまい、彼は変わらず哂って言う。
「先程も述べたが、巡り回ってそちら側の利益にも適う。より多くの、汚れた魂達を我々が
収監──彼らを“洗浄”するまでの時間が長引けばそれだけ、残された者達の生は徒に搔き
乱されることも減るだろう。貴方がたにとって理想的な、綺麗な魂達の育つ環境が、たとえ
僅かであろうとも優勢になる筈だ。……違うか?」
(了)




