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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-151.June 2025
251/283

(1) 基準転

【お題】現世、車、嫌

「あっぶね!?」

 友人を町の駅へと送り届ける道すがら、本田は対向車の減速しないすれ違いに驚き、思わ

ず逆側に切り直した。幸いなのか只の杞憂だったのか、実際の互いの車体が接触した感触は

なく、当の相手方はあっという間に後方へと走り去って見えなくなる。

「ったく……。道幅を考えろよ。今少し、頭を突っ込むスペースあったろうが。“譲ったら

死ぬ病”か?」

「稀によくいるものなあ、ああいう奴。ま、急いでるんだろ。カリカリ後に引き摺るだけ損

だぜ?」

 一方で助手席に収まっていた友人・鈴木は、そう流れるように舌打ちをする彼に対し、終

始ダウナーというか悟った感じだった。「そうだがよお……」ハンドル操作と視点は既に、

真っ直ぐフロントガラス越しに正面。いつからかこの旧友は、諦めを重ね着して歩いている

ような人間になった。

「ん? 稀によくある? 日本語変じゃね?」

「……細かいことは気にするんな。ほら、前見ろ前」

 暫くの間、二人は車内で沈黙する。古里でもある朝方の田舎町は、しばしば一体何処から

湧いたか分からない程の車両が、特定ルートに詰まりがちだ。

 先刻の対向車も、出勤時刻に間に合わせるべくアクセルを踏んでいたと思われる。そして

心の中で同じく悪態を吐いていた筈だ。


 退けよ、邪魔だなあ……と。


(──それでも。身勝手な人間ってのは、確実に増えているような気はする)

 鈴木には引き摺るだけ損だとは言われたが、本田は自身の感情として悶々としていた。こ

の旧友とは違って、こちらはこの町に何だかんだと長く暮らしている。己の生活圏に好まし

くない傾向が増しているとなれば、少なくとも心地良さとは対極の流れだろう。

「ん? あそこの銭湯、潰れたのか」

「ああ。何年か前にウィルスが流行ったろ? それで、不特定多数と入浴するはいるのがそもそも

衛生的にどうなんだって騒がれ始めて……」

「あ~……」

 そんな彼とは逆に、鈴木は学校の卒業を待ち切れないかのように都会へ出て行った。過去

何度か帰省してきたことはあったが、その頻度は年々明らかに延び続けている。今日本田が

彼の復路の為に車を出しているのも、お互いの実家が近所──別な用事で送りに行けないご

両親に頼まれたからだ。

 今回が初めてではない代役ピンチヒッター。帰省の日程途中で一度久しぶりにサシ飲みもし、ぽつっと

が気付いた町並みの衰退を、彼は努めて淡々とした口調で応える。

「……そっちこそ、大変だったんじゃないか? 都会は人が多い分、罹る可能性も高いだろ

うし、色々と制限が強かったって聞くが」

「さあ? それこそ人によるんじゃねえの? 少なくとも俺は一回も罹ってないからなあ。

無料タダの内にワクチンも打ったし……。今なら解るが、ありゃあ半分集団ヒステリーみたいな

ところもあったしな」

 流れに乗じて話を振ってみたが、やはりと言うべきか鈴木は鈴木だった。

「俺としちゃあ、リモートワークな生活を満喫する良い大義名分だったぞ? まあ結一旦騒

ぎが落ち着いちまえばみえなくなれば、出社しろ圧が復活しやがったが。本当何で、面倒臭い方に戻りたが

るかねえ?」

「……」

 それこそ、職種によるだろ?

 本田は少しムッとして口に衝いて出そうになったが、密かに口元を結んでこれを呑み込ん

だ。視線は前、運転は集中。別にこいつに、他意が無いことは知っている。

(昔から、そういうとこあったからな……)

 現在本田は、近隣の工業団地内に誘致された工場の一つで働いている。故のその職業柄、

件の感染症パニックが列島中を包んでいた頃も、基本働き方は大きく変わらなかった。製品

に異物が混入しないよう、日頃からシステムとして洗浄・殺菌は常だ。多少上からの指示が

伝言ゲームとして降りてきて、従来よりも口煩くなっていた認識はあったが。

 それにしても……と、本田は思う。

 この旧友は昔から、田舎特有のルールというか不文律に対して反抗的な場面が少なからず

あった。良くも悪くも効率化の鬼というか、もっと●●を××すれば良くなるのに、みたい

な思考と言動をして年長達の顰蹙を買っていたっけと憶えている。

 だからこそ……こいつは早々に、こんな環境からは距離を取りたかったのだろうか?

 本田はなるべく、考えないようにしていたことを改めて考えてしまった。そして自身のそ

うした推測が、おそらくはそこまで的外れではないことも。

「変えたい奴もいりゃあ、変えたくない奴もいる」

「まったくだね。嗚呼、本当に面倒臭い」

「……」

 信号待ちで一旦他の車らに挟まれて止まり、動き出した後は左手へ。緩やかにカーブする

敷地と敷地の隙間への移動に、二人ともが若干身体を傾けていた。とかく年季の入った、或

いは放置されて久しそうな建物がより一層、過ぎ去ってゆく視界の中に目立つようになる。

 旧友すずきの返しに、本田はまた少し黙りこくってしまっていた。下手にむきになって応じたと

ころで、それこそ何になるだろう? 地元に残るのではなく、さっさと都会を志向したタイ

プの人間に、田舎ディスを諫めて聞き入れる筈もない。只でさえ今は、こいつと車内という

密室で一対一なのに、自分から空気を悪くするメリットもなかろう。

(……親父さんとお袋さんが今回も俺に頼んできたのって、それもあったのかなあ? あん

まり余所の家族の問題に、口を挟むのもどうかとは思うが……)

 自分はまだ、比較的若い──という表現は段々微妙な年齢にはなってきているが、それ故

に地元を悪しげに言われても、イコール自身へのダメージにはなり難い。だがもっとご年配

の、それこそ両親世代からすれば正直聞き捨てならない意見にはなるのだろう。たとえその

発言主が自分達の息子であっても──いや、息子であるからこそ、より感情的になり易く揉

め易い。そこで実際の言い合いになってしまえば、より溝は深まる。埋まることは……おそ

らく無い。価値観は世代を越えられない。普段の生活、職場でも似たような瞬間・場面に遭

遇することはある。いわんや、距離の近い間柄であるのなら。

「──泰一郎たいちろう。お前、何でこっちに残ったんだ?」

「えっ?」

 だからこそ、不意に助手席から投げられた質問に、本田は正直驚いた。おそらく目を丸く

してしまい横目を遣ると、当の鈴木は左の肘を窓ガラスに当てて頬杖を突いていた。こちら

は見ておらず、代わりに移ろう古里の景色を眺めている。

「何でって……。特に理由はねえな。何となく街に出なくても仕事はあったし、そうこうし

ている内に出てゆくタイミングも失ってたというか……」

「ふぅん……?」

 引き抜きか、それとも単純な疑問か。

 少しとぎまぎしながら応じる本田に、鈴木は素っ気なかった。或いは自身に質問にそこま

で“進展”のような期待など端からしていなかったのかもしれない。

 自分とは違い、この田舎町に残り続けた旧友ともは何を思って生きてきたのか……。

「光夫こそ、こっちに戻ってくる予定はないのか? その、ぼちぼちお互いいい歳だし」

「はっ。彼女つれのつの字もねえ奴に言われたかねえや。……多分そっちの方もねえんだろうな。

一人が楽なんだよ。万が一結婚したとしても、わざわざ不便な方に拠点を移す理由は基本ね

えからなあ」

「……そうだな」

 或いは、出来た子供の為に──とかならまだ?

 鈴木が呟きかけ、本田も頭の中に、だったらどういう状況になれば? と思い描く。

 今ももう、親やそれ以前の世代とは価値観も生活環境も違うのだ。結婚して家庭を築くこ

とが当たり前ではなくなった。何ならそれすら金銭的に、心身共にハードルが高くなってい

ると感じる。工場でもちらほら既婚者はいるが、どれも幸せそうな表情かおはしていない。只々

家族を養う為、生きる為、懸命に今という環境に縋り付いている……そんな印象を強く受け

る。かく言う自分もまたその一人だ。

 旧友ともの返答に他意は無い。少なくともこちらの田舎暮らしや独り身までを断じ、哂うよう

な意図ではないことぐらいは汲める。普段住んでいる場所が違うだけで、お互い取り巻く環

境は──選んできた生き方はさほど違い過ぎる訳でもない。ただ内心、何処かで己のそうい

った暮らし方が、他の誰かの構成員たる必死さに“タダ乗り”しているんじゃないか? そ

んな一抹の後ろめたさに時折狙われているというだけで。

「それでも……親の顔ぐらいはきちんと見とけ。いつまでも居る訳じゃねえんだから」

「んだよ。そんな小言せっきょうまで一緒に頼まれたのか?」

「一般論だ。お互い、誰かに見送られる気がないってんなら、せめてそれぐらいのバランス

はあってもいいだろ」

 結局、何だかんだと要らぬお節介をしてしまった。訥々としたやり取りを何度か繰り返す

内に、二人は目的の最寄り駅へと到着していた。

 尤も……駅とは言っても、都会のような他人でごった返すような広さも規模もなく、電車

も日に数本往復する程度のものだ。申し訳程度のロータリー兼駐車スペースの一角に車を停

め、一緒に降りる。本田は免許証や財布、スマホなど以外はほぼ手ぶらだったが、鈴木は後

部座席から自分の荷物キャリーケースを一つ、取り出してガラガラと引き摺ってくる。

「電車は……もう来てるな。出るまでもう暫く時間はあるが、行くか?」

「ああ。わざわざ足出してくれてありがとな。親父とお袋にも宜しく言っといてくれ」

「馬鹿野郎。そういうのは自分で言うんだよ」

 最後に去り際、解り切っての憎まれ口。

 二人は、既にホーム内に入って待機状態になっているワンマン車両を一瞥し、入り口前で

別れた。ゆたりと踵を返し、軽くひらひらと片手を挙げる旧友ともに小さな苦笑いで振り返し、

鈴木は独りケースごとカードを改札にタッチしてからホーム側へと渡る。

「──」

 遠くなってゆく彼の背中、再び動き出して去ってゆく彼の車をフェンス越しに見送りなが

ら鈴木は思った。やはりここは自分の居場所ではないのだと。ずっと昔に自分から捨て、普

段頭の片隅からも追い出している身で、今更な言い草だと解っているが。


『何でって……。特に理由はねえな。何となく街に出なくても仕事はあったし、そうこうし

ている内に出てゆくタイミングも失ってたというか……』


 世間一般の大半は、そういうものなのか。勿論元々が田舎住みか都会住みかでこの辺りの

前提は大きく変わってくるのだろうが、あいつのその“何となく”という惰性と年月の長さ

は、正直信じられないという感覚が強い。

 ……幼い頃から、ずっと窮屈だった。

 この世界が、この場所が、周りの大人達の価値観が古くて自分を縛るばかりだと認識して

しまった時から、自分は一日でも早くこの故郷から脱出したいと思っていた。もっと自由、

もっと気まま。そしてようやく憧れの日々に飛び込むことができても──現実は手を替え品

を替え、俺達を他人とのしがらみの中に捕えようとする。いや、人がここ以上にすし詰め状

態で集まっているのだから、寧ろ面倒が増えるのは当然だったのか。

(間違った──とまでは言わねえが、理想を持ち過ぎていたのは確かだな。要するあっちで

は、こっちで実質強制でボランティアだった諸々を、金でぶっ叩いて他の誰かに“仕事”と

してやらせてるっつーだけで……)

 本当に解る、尚も解ったつもりになるのにも、随分と年月が掛かってしまった。人生とい

いうものは、中々どうして効率化なんてのは叶わないものか。

 泰一郎あいつのように、無理して抵抗せずに骨を埋めるのも、また一つの生き方なのだろう。そ

れを今更、無理やりにでも引っ張り出そうなどとするべきじゃない。資格も、そこまでして

得られるものも……。

「……」

 鈴木はちらりとスマホ画面の時刻を見た。そろそろ乗っておかないと置き去りにされかね

ない頃合いだ。もうホームからは見当たらなくなった旧友ともの姿を切り上げ、彼は電車の中へ

と歩き出した。

 中は、時間帯の割にはぽつぽつと疎ら。いや、田舎だとこれでも人は乗っている方だった

か? 縁とドア底の境目を跨ぎ際、彼は肩越しに、またもう暫く来ることはないであろう故

郷の姿を瞳に映して物憂げアンニュイとなる。

(──泰一郎。やっぱり俺とお前は違うよ。……違っちまったんだ)

                                      (了)

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