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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-150.May 2025
250/284

(5) シ・イ

【お題】残骸、海、可能性

 足首辺りまでを常時浸けるような、水源と呼ぶには如何せん浅く広範な水面。


 周囲一帯、地平線の遠く遥かで若干濁ったような空色とぶつかるそこで、貴方はぽつねん

と独り立っていました。三百六十度、視界を大きく遮るものはほぼ無く、巌のように凝り固

まった塊状の何かが、所々で大きめに突き刺さっている程度のものです。

 いえ……正確には独りではありませんでした。

 ふと気付くと、少し離れた所に別の誰かが座り込んでいるのが見えます。ゴソゴソと、浅

い水に浸かった地面を弄っているようです。


 ──何をしているんですか?


 貴方は気になって、その人物の下へ近付いてみることにしました。気持ち斜め後ろから掛

けた声。相手は一瞬ちらりと肩越しにこちらを見、動きが緩みましたが、作業の手自体は止

まりません。

「あんたこそ、何でこんな所に? ここはよっぽど用がなきゃあ来ない場所だが?」

「……」

 質問に質問で返すとはいい度胸だ。

 貴方はこの人物、彼のつっけんどんな態度に少しムッとしましたが、努めて衝動を深く呑

み込みました。相手の男は不思議な人物でした。草臥れた上下と、目深に被った帽子なども

あって歳を食っているように見えますが、一方でじっとその横顔を見つめていると存外若い

ようにも見えるのです。

「ここは……墓場さ。我々が散々に捨ててきた、過去達の墓場。今あんたがそうして立っと

る足元自体、積み重なりに積み重なって、今や岩盤のように変質してしまっている」

 言われてみれば……。

 貴方は促されるように、足元へ視線を落としていました。確かに最初、ただの汚い岩の塊

だとばかり思っていたそれが、よくよく見てみるとスクラップの寄せ集めのように認識でき

ます。それだけではありません。中には動植物──少なくないヒトの顔が、そこにはびっし

りと埋まっていたのです。

 貴方は思わず目を見開いていました。言葉なく驚き、踏み締めていた足裏を離そうとしま

す。ですが避けれど避けれど、周辺一帯は漏れなく件の岩場。結局貴方や彼が立ち、座り込

んでいる場所は、曰く過去達の上に他ならないのでした。

「……」

 こんなに、たくさん。

 故にぽつりと零れた貴方の声。されど対照的に、草臥れた帽子のかれは嗤っていました。屈

み込んだ姿勢はそのままに。しかし次の瞬間、誰かの苦悶を圧し固めたような頭部を掘り起

こして。

「何を今更驚いている? さっきも言っただろう? ここは過去達の墓場だ。我々が散々に

弄び、捨て、そして忘れ去っていった者達の集積地。言うなれば罪の結晶だよ。人によって

は、とかく先人の叡智と形容びかしたがる者もいるがね」

 目の前で捏ね繰り回している姿も加わっているのだろう。彼の言い分には何処となく──

明らかに棘を含んだ意図がありました。

 罪……?

 僅かな反応、露悪の臭い。

 はたしてこれも錯覚なのか。彼の掘り起こした人の顔や他のうずもれた誰か達が、総じて辛

く苦しく怨嗟の念を抱いているようで……。

「何をしているか、あんたは訊いたな? 見ての通り、我々は“彼ら”を取り上げている。

膨大な過去を忘れ、或いは知ろうともせず今ばかりを浪費する人々に、己らの教訓つみを知らし

める為だ。折につけ提示し、踏み止まらせる。改めて考えさせ、必要な軌道修正をさせる。

それが我々の使命だからな」

「……」

 さて貴方にとってのそれは、彼の傲慢と映ったのだろうか? それとも使命と聞き、益々

何者かと思ったのだろうか?

 じっと、たっぷりと間を置くように貴方は黙っていました。一人また一人、積み重なった

過去じめんからかつてのヒトやモノを掘り起こしては検めているこの男に、貴方はとうに“正解”

など無いと分かっていても問い掛けます。

「……眠らせておけ? もう十分苦しんだ? 違うな。それは“加害者”の台詞だ。罪人の

言い訳だ。彼らの姿を見ろ。彼も彼女も、圧し固められても尚、苦しみ悶え続けている。あ

んたはこれを見て見ぬふりをする気か? あくまで関係ないと突き離すか?」

 男は言いました。それは貴方にとって都合が悪いから──時間が過ぎる中で他人びとに忘

れ去られ、やがてなかったことのように飽きられれば、それ以上責められる機会はぐっと減

るからだと。逃れる為に待っているのだと。

「たとえそれが目を背けたくなるような醜さでも、惨たらしい事件でも、我々は過去を保存

しなければならない! 記憶を継承してゆかなければならない! 誰かの思惑の為に捻じ曲

げられ、抹消されてはならないのだ! 消されてからでは遅いのだ! 特例を許せば、担保

されなくなる! いつか活かすべき日が来た時に、再び取り出して学び直すことも叶わなく

なるんだぞ!? それを解っての発言か!?」

 それまで未だ鷹揚としていた彼の様子が、にわかに攻撃的へと変わります。

 撤回しろ! 貴方が何となく発した情念に、彼は彼の中で罰すべき悪徳を見つけたようで

した。貴方は眉根を顰めます。

 ……目の雨で苦悶の人々や事物の残骸を掘り起こし、並べ使命だと抜かす輩に、理想通り

の清廉さなどあるものか。

「忘れて欲しい者もいる? 皆ずっと憶えている訳じゃない? それがっ! 加害者側の言

い分だと何度も──何?」

 貴方は改めて問い直しました。

 あんた達がどれだけ頑張ったとしても、この墓場の全てを掘り起こせる訳じゃない。どの

苦悶を取り出し、どの悲劇喜劇を伝えるのか? それ自体が既に、あんたの独善じゃあない

のか? 何より使命だの教訓だのと言っておきながら、肝心の当人の意思なんてちっとも確

認していないじゃないか──。

「なっ、何なんだ、お前は! いきなりやって来て、解ったような口を利いて……!!」

 それはあんたも同じだろう。ここは本来、誰のものでもないのだから。貴方は深く息を吐

き出しながら言いました。その眼には、最早相手に対する遠慮というものがありませんでし

た。明確な対立、気に食わないという“敵”認定が露骨に透けて見えます。継いだ言葉に端

的に表れています。


 自己紹介ご苦労さま。邪魔だからそこを退いてくれ──。


「馬・鹿・に・するなあアァァァァーッ!!」

 男もそこでようやく、堪忍袋の緒が千切れてしまったようでした。自分の考えが正しいと

思っていた分、真っ向からそれを否定され且つ反論が止まってしまったことで、自身のプラ

イドが許せなかったのでしょう。言うに事欠き、実力行使に出てきたのです。くわっと狂っ

たように叫び、物理的にこちらを取り押さえようと襲い掛かります。

「……っ」

 されど貴方は、これを後ろに跳びながらかわしました。元々彼の“演説”が熱を帯びてき

た頃合いから、少しずつ文字通り引いていたというのもあります。

 余裕を失くして諸手を上げ、捕まえようと何度も方向転換をしてくる相手。貴方はそれを

大きく避けては逃げ、避けては逃げを繰り返しました。

 背を向け、駆け出す自身の身体で隠した大きな岩塊。浅い湖面と地面に突き刺さっていた

最寄りの過去達ひとつ

「ぐべっ?!」

 男は勢いがついていたが為に避け切れず、貴方が寸前でかわして目の前に迫ったこれと正

面からぶつかっていました。衝撃で大きく仰け反り、白目を剥き、彼はどうっと暫し背中か

ら倒れ込みます。

「…………」

 大人しくなった、そんな相手を尚も注意深く警戒しながら、貴方はぐるっと気持ち迂回気

味に来た道を戻り始めました。駆け寄ったのは掘り起こされた一角。先程まで、男が使命だ

と宣いつつ弄り、取り出していた過去もの達です。

 その内の一つ、彫り起こされかけの断面から貴方は、とある見知った顔面を──或いは大

切な誰かだったそれを慎重に掬い上げます。

 残すか残さないか? 別に迷ったり話し合うこと自体は否定しない。

 だけどその決定を、本来当人かもっと近かった人間がすべきだったものを、勝手に押し付

けるんじゃない。代表面するんじゃあない。

 バキリ。両手で包み込み、ぐっぐっと力込めて。

 貴方は掬い上げた顔面それを砕きました。遺志を継いで、思いを汲んで足を運んで。当初の目

的を、貴方はようやく遂げたのでした。

『──』

 ふと気付けば、遠く方々にも同じく旧知かこを拾い上げている他人びとが視えます。尤も彼ら

は一様に半透明で儚く、じっと俯いて祈りでも捧げているのか、こちらを認識しているよう

ではありませんでした。それでも構いませんでした。どのみち互いに触れ合うことは出来な

いのですから。

 足首を浸す水、圧し固められた岩肌と濁り気味の空。

 天と地、過去と未来は、こちらがあーだこーだと言わなくても繋がっているのです。

                                      (了)

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