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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-105.August 2021
25/257

(5) アラート

【お題】夏、人間、危険

 頼んでなどいないのに、毎年この時期になると奴らは一斉に牙を剥いてくる。網戸を全開

にし、申し訳程度の風の通り道を作ったアパートの自室で、伸彦はげんなりと窓際から外を

眺めていた。その表情の八割方は、真っ昼間から注ぐ日差しが原因だ。

「……暑ぢぃ」

 眼下に一旦落ち、それから遠くへと放射状に広がる、不揃いなコンクリートジャングル。

 ただでさえ日差しの熱が物理的に暑いのに、加えて陽炎──視界から戻ってくるこれらが

魘されたように揺らいで見えるから、体感的な暑さも割り増している気がする。とはいえ、

部屋の中で一番風が通るのがこの位置なため、下手に奥へ引っ込んでも今度は蒸し暑さがプ

ラスされて体感が悪化するのは明らかだった。

「せめて、この五月蠅い蝉どもが黙ってくれりゃあ、多少はマシにはなるんだがなあ……」

 何より毎年、こうした向きに拍車を掛けてくる奴らがいる。聴覚的に、ひいてはこちらの

体感の度合いを否が応にも引き上げてくる──全くもって迷惑だ。そんな要らぬ合唱、頼ん

でなどいないのに。

「仕方ないだろう? 夏ってのはそういうモンだ」

「分かってらあ。マジレスするんじゃねーよ。……厭なモンは厭だって話だよ」

 時折思考に、言葉に被さるように強くなる蝉達の音。ミーッ、ミーッ、ミーッと自己主張

する、暑苦しい一押しワンプッシュ

 ちょうどそんな折だった。部屋の奥から、もう一人こちらに向かって声を掛けてくる青年

の声がする。学生時代からの友人・英紀だった。伸彦はそう、彼が自身の部屋に居ることに

対しては咎めず、寧ろごちた一言に“真面目”な回答を寄越されたことに対して顔を顰めて

いた。英紀は片手を団扇代わりにし、シャツの胸元を仰ぎながら、ちらと部屋の天井隅に取

り付けてあるクーラーを一瞥して言う。

「蝉にとっちゃあ、文字通り命がけの求愛行動なんだぜ? 時期が過ぎれば自然と脱落して

聞こえなくなるんだ。意識しなければいい。幸い、こっちには音を掻き消すぐらいの発明は

あるんだし」

 言って、棚の一角に放り出してあったリモコンを手に取り、クーラーを起動する友。

 伸彦はどうも言い包められているような気がしつつも、それ以上食い下がる理由もなく、

一旦この話題をスルーする事にした。沈黙していたクーラーが動き出し、排気口をゆっくり

と斜めに開く。後ろ手に網戸ごとガラス窓を閉め、他三方の戸や襖などにも歩いて行って閉

め切り状態を確保。冷気を自分達のいる空間から逃がさないように整えてゆく。

「ふ~……。やっぱりこの時期は、点けてないと死ねるなあ。極楽極楽……」

「他人ん家のなら電気代かからねえもんなあ? 今日だけだぞ?」

「はは。分かってるって。明日には業者が、新しいのを取り付けに来るから」

 じわじわ、その後ぐっと加速度的に。

 閉め切った室内に充満してゆく人工の冷やっこさに、英紀は生き返るといった風に安堵の

息をついていた。一方で部屋の主、少なくともこの間の電気代を負担することになる伸彦は

と言えば、そう半ば意趣返し的に嫌味を返している。

 ……尤もお互い、それぐらいで険悪になるような仲ではないことぐらい、重々承知してい

た。承知している上で、今回も融通を利かせて貰ったまでだ。割とよくある──冷房の本番

である夏場に故障し、使えなくなることは珍しくはない。友曰く、最寄の電器店にすぐ連絡

したため、取り換えにそう日数は掛からないとのこと。だがそれでも完了するまでの間、自

宅アパートにはクーラーが無い状態のため、一時的にこちらを頼った……そんな感じだ。

「まあいいけどさ。ただ、そうやってすぐ冷房に頼るから、いつまで経ってもなまっちょろ

いんじゃねえのか? 今月の電気代、幾つか払って貰うからな?」

「折半♪」

 しかし、昔からこの手の交渉事に関してこの友は抜け目がない。

 伸彦自身、そこまで厳密に取り立てるつもりは無かったが、直後にやっと笑いながらもう

片方の手を持ち上げて土産を──丸々一個の西瓜を見せてきたため、やはりそれ以上追及す

る気力も起きなかった。

 慣れたような嘆息。掲げられた彼からの手土産を受け取ると、伸彦は一旦台所へと戻って

いった。暫くして、二人分の大鉢に切り分けられた西瓜達が登場する。

「な? いいモンだろう? 暑い時だからこそ、旨いんだ」

「……」

 黙々と。英紀ともが半ば煽ってくるような中で、伸彦は自身の分の西瓜を一切れまた一切れを

食してゆく。じゅぶ、じゅぶと深い半月型になるまで赤く熟した実をなぶり、口の中と舌先

の感触で種を探る。

 混ざると面倒なので、種は種で適当なビニール袋を持ってきた。ぷっ、ぺっと適宜これの

中に種を吐き出し、また実の方を齧る。こちらに比べるとペースはゆっくりだが、隣の英紀

も同様だ。最初閉めていた窓際のガラス戸も、今は七割ほど開けている。夏の日差し──気

配の下で食べた方がやはり旨い。そんな錯覚がする。

 ミーッ、ミーッ、ミーッ! と、蝉達の鳴き声がまた喧しく耳に響いてきていた。十数分

の間とはいえ、冷房の音で意識から外れていた分、余計に気になる……気がする。ただでさ

え街の一角、何処か遠くから、工事やら車の走る音──クラクションも聞こえてくるという

のに、蝉達も蝉達でまたその合唱はエスカレートしてゆく。

 ミィン、ミィン、ミィンッ! いや……合唱などという協調性などではなく、我先に雌と

マッチしたいという競争心。まるで悠長に鳴いているのも惜しくなるのか、やがてその響き

はジジーッ、ジジーッ、ジジーッ! とより速く小刻みになる。押し退け合うように自己主

張が激しくなる。

(やっぱ……五月蠅ぇなあ)

 最早、恒例行事。実際英紀こいつが言うように、一々気に留めていたら余計に体感気温が上がる

だけだろう。或いは日本人のDNAに、蝉の声イコール熱量アップという反射が刷り込まれ

てしまっているのかもしれない。知らないけれど。

「んぐ……。伸彦、こっちにも袋くれ」

「おいよ」

 種入れ用のビニール袋を回しっこ。ぷっと中に吐き、また顔を上げる。また相手に渡し、

窓際のさんに、片方の肘で押さえてぶら下げておく。

 友は食べるのに集中しているのか、やはり蝉の音に顔を顰めるといった様子は無かった。

或いは表情に出すほどでもないと学習しているのか。

(昔から、勉強は俺よりも出来てたからなあ……。その割には、妙に抜けてるっつーか)

 さっさと食い終わって、また閉め切ろうと伸彦は思った。普段は電気代をケチったり、割

と実家時代の根性論──無闇に冷房を掛けるな的な教えもあってあまり点けない分、今日ぐ

らいは存分にその恩恵にあやかろうと考えていた。何より外の暑さ、夏の真っ盛りであると

いう現実から自身を切り離せる。当たり前と言えば当たり前だが、確かに一旦常態化してし

まうと抜け難い……。

「ごちそうさん。皮は流しに放り込んどいてくれ。後で片付けるからよ」

「ああ。閉めるか、窓?」

「気にすんな。お前が食い終わったらでいい」

 案の定、英紀の方はまだ二切れ・三切れほど残っていた。先に平らげてしまった伸彦は、

自身の食い終わった後の皮を台所にまで持っていき、捨てる。彼が半身を捩じって声をかけ

てきていたが、そこは気を利かせて急かしはしなかった。そもそもこの差し入れを、自腹で

持って来てくれた本人だという義理もある。

(クーラーも買い替えて、プラス西瓜も丸々……。何だかんだで羽振りいいよな。それだけ

稼いでるってことか?)

 嫉妬と呼べる程ではないが、一方でそんな邪推も過ぎる。卒業後は各々違う進路とキャリ

アを歩んできたため、何もおかしい話ではないにせよ。

 暫くして、英紀も一通り食べ終わり、こちらへ皮や種袋を持ってきた。前者は同じく流し

へ。後者は口を括って残飯方面へ。軽く蛇口で手や口元などを拭い、二人は改めて閉め直し

た室内で涼む時間を過ごした。あれやこれや、お互いの近況を話の種にしつつ、少なくとも

二人の“人間”にとっては快適な一時が経過してゆく。


『ア゛……ア゛ア゛ア゛ア゛……ッ!!』

 故に伸彦も英紀も、或いは街に住むあらゆる人々も、その叫びにはとんと気付いてはいな

かった。基本的に無頓着であり続けたのだ。

 ミィン、ミィン、ミィンッ! 蝉達が、その短い命を削ってまで自己主張する音。音も無

く差し込む日差しや、夏空を眼下から侵食するようにそびえ立つコンクリートジャングル。

彼らは一様に叫んでいるのに、誰もそのことに気付こうとはしない。仮に理解しても、向き

合おうとはしない者が殆どなのだろう。

『暑い! 暑い! 暑い!』

『汚れる! 空気が……汚れるッ!!』

『や、焼け死ぬ……』

『急げ、急げ、急げ! 一刻も早く子孫を残すんだッ!』

『馬鹿野郎、俺だ! 俺が先だ!』

『いいや、俺だ! 誰か俺と、つがいになってくれーッ!!』

 蝉だけではない。物陰に潜む獣も、夏空を往く鳥も、或いは海に棲む生き物達もここ数百

年の異変には気付いていた。それが惑星ほしの営みの大きな波間の一つなのか、はたまた人間の

吐き出す活動の悪影響なのかは知らない。知る由もないし、ただ当人らにとっては猛暑とい

う“現実”があるのみだ。

『木が無い……。森は、何処……??』

『おい、若いの! そっちに寄り過ぎるんじゃない! 噴き出す熱にやられるぞ! この時期は

特にそうだ!』

『ふむ……? この近海へんも暖かくなってきたのう……。もっと上流に、冷たくて十分広い場

所があれば良いんじゃが……』

                                      (了)

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