(3) 脱色。
【お題】白、赤、洗濯機
思想は、嫌いだ。
夜もすっかり更けたコインランドリーで、彼はそう独りでじっと座ったまま思考を反芻し
ていた。ゴゥンゴゥンと回るドラム式のそれと、向かい合うようにどっかりと木椅子に腰掛
け、彼は長い沈黙を保っている。
背もたれに体重を預けたその姿は、やや小太りで白髪交じりのごく短いポニーテール。真
っさらな丸首の白シャツにくすんだベージュのズボンと、一見すれば何処にでもいそうなお
じさんだ。
「……」
真っさらは好い。何色にも染まらず綺麗だから。
真っさらは好い。誰一人から歪められずにいる証だから。
でも──そんな状態はすぐに終わらる。終わらされる。上も下も、右も左も、イエスなの
かノーなのかも。どいつもこいつも、自分と同じ色でなければ不安なのだ。こっちは素晴ら
しいのだから、或いはいずれ“敵”の色に変わってしまうかもしれないからと、頼んでもな
いのに理由を持ち出して染め上げようとする。大抵の場合、周りの環境や他人が拒否権すら
与えず、その癖いざ当人が少しでも塗り替えようとすると“裏切者”だと喚き散らす。
「……」
思想は、嫌いだ。
だから彼は繰り返し洗っていた。繰り返し繰り返し、真っさらに戻るまで色を落とすよう
努めた。
ぼんやりと、木椅子に座ったまま考える。だけども突き詰めれば、こうして“真っさらが
好い”と考えること、それ自体もまた一つの思想だと言える。
彼は少し、首を揺らした。ゆっくりと目を開いた。
いけない、いけない……。思ってパァン! と、刹那己の頬を片側から撃つ。霞む視界と
飛沫のような目くらましが暫く舞い、引いてくる痛みと共にそれらは薄れていった。
真っさらに。努めて忘れ、真っさらに。
それが彼の、己に課してきたルールであり、在りようの根幹でもある。
「…………」
ゴゥンゴゥンと、ドラム式のそれが回っている。今日もまた真っさらにするには時間が掛
かりそうだった。
何色でもない。その為に彼は仕事を選ばなかった。Aから頼まれればBを始末するし、B
から頼まれればAも始末する。Cから、Dから、Eから──相手が誰であろうと同様にだ。
自分はともかく、周りの一切合切に色が付いているならば、彼らのいずれにも染まらない
ことが、己を真っさらに保つ逆説的ながら唯一の方法だと彼は信じている。連中もそういう
相手だと、とうに知っている筈だ。なのに未だ、互いが互いを染め合おうという動きは絶え
る兆しは無い……。
「……」
ズボンのポケットに突っ込んでいた手で、得物を取り出す。彼は使い込まれた一丁の拳銃
を手際良く分解し、黙々とメンテナンスを始めていた。カチリ、カチリ。跳ねて戻るバネの
音と、パーツ。一通り挙動を確かめ終わった後、元の姿に改めて組み直すと、それは再びズ
ボンのポケットの中へ消えていった。
思想は、嫌いだ。
ならばそういう奴を、片っ端から消してしまえば真っさらになるのかな?
振り返れば彼の半生は、そんな狂ったような賭けに費やされたものに等しかった。真っさ
らであったなら、真っさらにしなければ。
ただ実際は、そう“しよう”とすればするほどに己の手も服も赤黒く汚れ、その度に念入
りな洗い落としが必要だった。若かりし頃の彼は、次第に考えを改めることとなる。具体的
には徹底して態度を変えたのだ。
“自分から”真っさらにするんじゃない。
お互いが各々に、勝手に潰し合ってくれるんならそれが一番良い。肩入れとは色だ。そも
そも能動的であること自体が矛盾している。
「……」
真っさらに、真っさらに。
彼は静かに瞑想する。ドラム式の音、ランドリーの外から漏れ届く都市の生活音。全てが
すぅっと遠くなる。自分の埒外へと隔離される。
薄れさせることだ。決まらないことだ。
真っさらということは、何にでも染まってしまい得るということ。汚れてしまうというこ
と。だから洗う。何度も、何度も何度も、何度でも。ひいては自分という色さえも抜き取っ
て、洗い落として。
それだけでも足りないから……頼まれた相手も消す。善悪なんていう色も無き為に従う。
当然上書きされれば切って返すこともある。他人はそれを“裏切り”と呼ぶのは識っている
が、全てはニュートラルであり続ける為だ。ひいては受動的に、色の染まった箇所が減りゆ
くことに寄与する為だ。
思想は、嫌いだ。
なのに、解っていてけしかけようとするのだから──自分達の色を拡げようとするのだか
ら、駄目だ。
真っさらでいる、真っさらを願う。
その為には、力を付けなければならなかった。
「……」
ああ、また“考えよう”としてしまっている。
彼は再び自分に向けて一発を放ち、吹き飛ばされた意識と思考に安堵した。霞む視界と飛
沫の目くらまし。やがてぐるりと正常が戻ってくる。改めて自分という色を、じわりじわり
と希薄に圧し殺してゆくことができる。
邪魔が入ったのは、それから暫くしての出来事だった。
「──見つけたぞ、忠本ォ!!」
夜更けのコインランドリーに怒鳴り込んで来たのは、そんな場違い感甚だしい一人の男。
後ろに撫で付けた髪に、上下ばっちりと決まった黒スーツ。そのいでたちと第一声からして
とても堅気の人物とは思えない。
叫びながら靴音を近付けてくる男に、忠本はちらりと横目の一瞥こそ遣ったものの、身体
ごとこれに振り向くことはしなかった。木椅子に座ったまま、背中を向いたまま。男は怒号
を保ったテンションで続け、直後懐に伸ばした右手から銃を突き付ける。
「随分と落ち着いてるじゃねえか……こっちは散々探し回ってたってのによお。それとも観
念したか? そうだよなあ、オヤジを殺したのはてめえだからなァ!」
この裏切りモンが!
男との距離は既に二メートル内。店内もそこまで広々としている訳ではなく、引き金を引
かれてしまえばまともに避けることは難しいだろう。
「……」
しかし彼は、微動だにしていなかった。変わらずに沈黙を守ったまま、ゴゥンゴゥンと回
るドラム式のそれをじっと見下ろしているようにも見える。
裏切者──また勝手なことを言う。
そちらからの依頼は済ませた。ならば新しい依頼に基づき、次の標的を始末することの何
がおかしい? 仕事は受けたが、そちらの組に“染まる”とは一言も言っていないし、内容
にも入っていなかった。本人達も評判諸々を含め解った上で、契約書にサインしたとばかり
思っていたが……。
「死ねやァ!」
引かれる引き金。銃口から捩れつつ、火花を上げながら迫り出す弾丸。
解ってはくれないんだなあ。引き延ばされたような時間の中で、彼は胸の内で嘆息を吐い
ていた。驚くべきことに忠本と呼ばれたこの人物は、自分が今まさに至近距離から撃たれた
ことよりも、もっと別の心配をしていたのである。
さて……面倒なことになった。折角薄く薄く色を落としていたのに、これではまたやり直
しが必要になってしまう。
真っさらでいたいのに、真っさらを願うのに。
なのにせめて、他に強いることをせずに諦めても尚、お前達は誰かを染めようとする営み
を止められないのか……。
「──ッ!? あ、ああ? 俺なんで、こんな……??」
はたして、彼は無事だったのである。
男は気付いた時、目の前に広がる光景に数拍思考が停止した。今し方自分が撃ち殺した、
仇を取ったと思っていた相手の倒れた姿が、“全く別人”の、しかも血塗れた死体“達”に
変わっていたからだ。
体格も年齢も、ひいては性別すら違う男女数人の死骸が、しんと静まり返った店内の一角
に折り重なっている。男はあまりにも不可解な結末に酷く混乱した様子で、硝煙燻る銃を片
手に右往左往する。
(どういうことだ? 俺は確かに、忠本を……。いや、そもそも撃ったのは一発だけだ。こ
んなにぶち転がされてる筈がねえ。こんな奴らは巻き込んじゃいねえ。一体何が起きた?
何をしやがった? 忠本の奴は一体、何処に消えたんだ……?)
いや、それ以前に。男ははたと、冷や汗を首筋に伝わせ自問する。
あそこに居たのは、本当に忠本だったのか……?
『──』
街全体がすっかり夜に呑まれて眠った一角、大通り沿いの歩道を、忠本は独りてくてくと
歩く。
まったく、人が良い感じに耽っていたところに水を差してきて。何も解っていない押し付
けで逆上してきて。ちょうど希薄だったから良かったものの、あんな急に襲ってきたらびっ
くりするじゃないか。
これじゃあまた、洗い直さなくてはいけない。真っさらにしなければならない。
(……う~む。やっぱり彼は、依頼されている顔の中には居ないなあ……)
記憶の中の引き出しを、一つ一つ丁寧に開けては確認し直しつつ。
時折ネオンの光がちらつく、アスファルトのジャングルには、何処からともなく生温かい
風が吹き抜けていた。
(了)




