(3) iine!
【お題】星、歌手、ヒロイン
「お前、変な付け方してるんだな」
「? 何が?」
齣と齣の間の空き時間、キャンパス内のカフェテラスでスマホ片手に暇を潰していると、
友人の飯田がひょっこり後ろから画面を覗き込んでくると言った。須藤は一瞬眉根を顰めた
が、次の瞬間には真顔に戻ると訊き返す。
「評価の星だよ。お前、見かける時いっつも星三じゃね?」
「……普通ぐらいなら真ん中だろ? 良ければ四か五にしてるし、悪ければ下げるし」
「知らねえのか? それ、出品側からしたら迷惑らしいぞ? 平均点下がるし。基本は星五
にして、不満点があれば減らしていくって方が、海外だと普通なんだと」
「ふぅん……?」
先日、ネット通販で購入した余所行き服の履歴ページを画面に映したまま、須藤はこの豆
知識を披露する学友を一瞥すると曖昧に呟いた。
スマホの液面上には、タップした星五段階の内の三。実際、思っていたほど生地が上等で
はなかったため、減点には変わりなかろうが……。
「それならそうと、説明でも書いときゃいいのにな」
「そこはローカルルールっつーか、暗黙の了解みたいなモンなんだろ。寧ろ俺達日本人の方
が圧倒的に少数派な訳で……。基本外人って陽キャだからなあ。いわゆる国民性の差かね」
「……」
友人曰く、陰キャ──初手が星五ではないせいで、レビュー界隈だと日本人は煙たがれが
ちなのだそうだ。そこに悪意があろうとなかろうと、数字上の押し下げ要因になるのなら、
確かに避けられる理由にはなってしまうのだろう。
(流石に、決め付けが雑過ぎやしねえか……?)
そりゃあ文化的なものもあろうが、全員が全員そうとも限らないだろう。うろ覚えだが、
向こうは向こうで、陽キャに振る舞うことへの同調圧力が強いとも聞く。その意味では、国
内だろうが国内だろうが五十歩百歩なのだろうと思う。
「満点以外は付けるなってか?」
「本音としちゃあそうだろうよ。それでも低評価を付けたがるっつーか、俺様は不満だぞ!
って奴が逆を張るんだろ」
「まあ、実際ちょいちょい見かけはするけども……。なら、俺みたいに“普通”だった奴は
黙っておく方がいいのかねえ? 一応エールのつもりで押してたんだけど」
時間の無駄だとの判断が先にあった。須藤は正直辟易したものの、飯田が言う雑な括りに
一々反論することもせずに飲み込む。
文章まで添えることはしなくとも、反応があることで、商品・作品を世に出した相手方の
励みになるだろうとぼんやり思っていた。それなのに……当の彼や彼女にはまるで逆の印象
を与えかねないのなら、甲斐がいないじゃないか。ここにいるよと手を挙げることが、馬鹿
みたいじゃないか。
「……嗚呼。だから“いいね”ボタンが出てきたのか」
「うん? あ~、全員同じ点にすればってこと?」
「ああ」
飯田は言う。
「可能性はあるかもな。ただ実際、それはそれで、押された数で競うモンになってるがよ」
皆が皆、評価して欲しいからやり始めたのではない。続けてゆく内に、或いは巡り合わせ
やら事前の宣伝が噛み合って、評価が後から追い付いてきたり、さもスタートダッシュを果
たしたかのように見えるけども。
だな……。須藤はそう小さくごちながら、ネット通販のページを閉じ、スマホをズボンの
ポケットの中へ押し込んだ。するとそれまで厭な──少々脱線の過ぎた雑談を吹っ掛けてき
た側の筈の飯田が、今更のように訊ねる。
「そういや、お前がお洒落グッズを買うなんて珍しいじゃん。やっぱりアレか? 例の彼女
さんか?」
「……悪いかよ。流石にデートともなりゃ、着ていく服だって選ばなきゃ失礼だろうが」
「はははは! そうかそうか。なら精々、彼女さんから星五を貰って来なよ」
バシバシと肩を叩いてきながら笑い、この学友はドヤ顔をしつつこちらに言う。
いやお前、ついさっきまで擦ってた話題に戻してんじゃねえよ。……どっちだ? 俺が元
から、満点を取れねえって前提の言い草か?
彩乃との出会いは半年ほど前、普段の通学で使っている駅の構内で起きた。
いつものように、須藤が目的の電車が入って来るホームへと向かっていた途中、行き交う
人々の中で蹲っている同年代くらいの女性が目に入ったのだ。しかもその小柄な身体をぷる
ぷると震わせ、明らかに具合が悪そうな表情。にも拘らず、周りは一向に──時々ちらりと
一瞥をくれる者もいたが、急いでいるのかリスクを抱え込みたくないのか、見て見ぬふりを
してスルー。須藤は気が付いた時には既に、駆け寄っていた。
『おい、おい、あんた! 大丈夫か──!?』
「悪ぃな。結局人ごみん中通っちまって」
「ううん……大丈夫。充輝君とお出かけするの、楽しいから」
休日の昼下がり。交際を始めてから何度目かのデート途中で、須藤と彩乃はアーケード通
りの一角にあるカラオケ店へやって来ていた。二人分の小さめの個室を取り、中へ荷物を置
いて先ずはゆっくりと休憩。店内のBGMが廊下の外から漏れてくるのを聞きながら、須藤
は人ごみが苦手な彼女に謝ったが、当の本人はそう努めて優しく微笑っている。
「そう言われると……。でも、無茶はするなよ? 絶対だぞ?」
「ふふっ。分かってるよお。心配性だなあ、充輝君は」
ただ、こうして心配してくれる相手が居るだけで彼女自身としては嬉しいようで、恥ずか
しくなりながらも念を押す彼にゆったり。天井から下がっているモニターや、テーブルの上
に並べられているサイドメニュー表などに視線を移して、目一杯に情報もとい刺激を享受し
ようとしている風にも見える。
(……最初の時が最初だったから、当たり前だろ。今も人前とか、他人が多いところに慣れ
ないのは変わってねえんだから)
初めての出会いも、通勤・通学ラッシュの人ごみの中でキャパを越え、体調を崩してしま
ったまさにその時だったと後で知った。田井彩乃。須藤とはまた別の大学、女子短大に通っ
ている保育士志望の女性。尤も、件の症状で実際にそういった職場で働くことは半ば諦めて
しまったらしいが。
『で、でも。資格は持っていたって損は無いし……。子どももお歌も好きだし……』
根本的に、穏やか且つ鋭敏な性質の持ち主なのだろう。交際前後からの付き合いの中で須
藤は理解していた。
だからこそ、互いの都合がついてデートにとなった時も、基本は家の中のそれで済ませよ
うと提案しているのだが……当の彼女は頑張って一緒に“出掛けよう”としがちだ。思い出
を作りたい、恋人らしいことをしたいという思いが勝っているのだろう。それはそれで嬉し
いし、尊重してやりたいのだけれど、正直いつキャパ越えになってしまうか心配ではある。
なのでこうして、折につけては屋内、彼女の得意な歌で時間を過ごせるカラオケ店などを予
めルートに組み込んでいるのだが……。
「どうしたの? 充輝君も歌わない?」
「あ、ああ……。とりあえず、一曲目は彩乃がいけよ。その間にドリンクも注文しとくから
さ?」
もぞもぞと前のめりになって、セッティングをしている彩乃。
不意にこちらに小首を傾げる視線を投げられて、須藤は少し照れ臭かった。言葉通り初っ
端は譲り、無料券でついてくるドリンクをそれぞれ決めた。彼女がタッチパネルの機械で入
力をしている間に、室内電話で注文を済ませる。
「~~♪」
そうして彼女の、優しく澄んだ歌声が響き始めた。
(……やっぱ、上手いよなあ。聴いててサア~ッと心が洗われるというか……)
恋人・彩乃は歌が得意だ。須藤がしばしば、屋外の人ごみを避けつつ“お出掛け”をする
為にカラオケ店を選ぶのには、ひとえに彼個人もその歌声に惚れ込んでいる点が大きい。
流石はと言うべきなのか。卵が先か鶏が先か。緊張しいが故に半ば諦めているとはいえ、
保育士を進路に選んだ理由の一つが、子供好きなのと仕事で歌を歌えるからというものだっ
た。幼少期から習っているというピアノを含め、少なくとも音楽周りのスキルは既に十分な
ように須藤には思える。仮にそれらを差し引いても、是非聴いてみたい──彼にそう思わせ
るぐらいに、彼女の歌は魅力的だった。優しい音色とバラード調。曲と噛み合えば、本人の
雰囲気と相まって、まるで単独ライブを聴いているような心地になれる。
「好いねえ。これを聴くためにデートしてるまである」
「も、もう……。褒めたって何も出ないよお」
一曲目が終わって、パチパチと須藤の惜しみない拍手。彩乃はやはりというべきか、正面
から褒められるのには慣れていなかった。再び室内に戻る、店内のルーティンするBGMや
宣伝番組の映像。ちょうどその折に店員が頼んでいたドリンクを持って来たので、一旦受け
取り見送ってから、互いに軽く喉を潤すことにする。
「いや実際、やろうと思えばこれで食っていけるレベルだと思うぞ? 正直。でもまあ」
「──人前で、お金を貰ってまで歌う、歌わなきゃってなると……無理かなあ」
「だよなあ……」
褒める須藤と、謙遜を通り越して少し怯える彩乃。彼女の性分、これまでの付き合いから
判り切っていたことだが、やはり惜しいなと須藤は正直思う。ただまあ、保育士という以上
にハードな職種になることは間違いないのだから、無理強いなどできる筈もない。
「……歌は、趣味のレベルで充分だよ。それに聴いてくれる人が、こうしている訳だし」
「お、おう……」
もじもじ。そんなことを面と向かって、頬をほんのり赤く染めて伏し目がちに言ってくる
ものだから、須藤も恥ずかしくて死にそうだった。言い換えれば、自分以外に聴いて貰わな
くても構わない、なんて告白と同義なのだから。
「えっと……。次は充輝君も歌う?」
「あ、ああ。そうだな……俺はまあ、聴いてるだけでもいいけど……」
とはいえ、一方的に喉を酷使させる訳にもいくまい。おずっと、半ば話題を切り替える目
的でそうマイクを渡してくる彼女に、彼は口ごもりながらも呟いた。それなら一緒に……。
時には二人で歌えるような曲を選んだり、或いはまた彼女のソロで楽しんだり。若い恋人は
暫く、個室での甘酸っぱい一時を過ごした。
「──充輝君、充輝君っ!」
だが、問題は思いも寄らぬところから湧いて出てきたのである。件のカラオケデートから
数日が経った頃、キャンパスの外で待ち合わせた彼女から、須藤は泣きつかれるようにその
出来事を知らされた。見せられた彼女のスマホ、拡散された内の一つと思しきショート動画
に、個室内で歌っている彼女の姿と美声が記録されていたのである。
「何だよ……これ……」
「た、多分、この前のデートの時の……。喜代ちゃんが気付いて、もしかしてあんたじゃな
いの? って見せてくれて。私もどうしたいいのか分からなくて……」
喜代ちゃんというのは、確か彼女と同じ短大の友人だった筈だ。動画は少し引きの画且つ
何か狭い所から覗いている格好なのか、肝心の彩乃本人はブレまくって映っていたが、歌っ
ているラインナップや個室の内装、服装なども当日のものとみて間違いない。
動画には『【速報】激ウマの娘見つけた!w』との題で、既に十数万の“いいね”が付け
られている。
「何処のどいつだ。普通に隠し撮りだろ。これ……」
おそらくは状況的に、偶然か何かで通り掛かった元の撮影者が、こっそりこちらのドアを
開けた上でカメラを向けていたのだろう。意図的に男──自分を映さないようにもぞもぞ動
いている気すらある。こんな輩が、すぐ近くに潜んでいたことに気付けなかったなんて……
彼氏失格だ。須藤はモヤモヤ、メラメラと、自分で自分を許せなかった。
「くそっ! 彩乃。これ、周りの奴どれだけ知ってる?」
「え? う~ん……。喜代ちゃん以外からは聞いてないよ。喜代ちゃんも、こういうのを他
人に言い触らすような子じゃないし……」
だからこそ、当の彩乃の側もまた、つい苛立ち声を上げてしまった須藤に半ば反射的なビ
クつきをみせていた。彼も一瞬しまったと思いつつ、何とか冷静に状況を整理しようと幾つ
か質問や意向を聞き出そうとするが、正直頭の中が綺麗にまとまっている筈がない。怒りが
先に沸々と湧いてきて、とてもじゃないが冷静ではいられない。
「……とりあえず、動画ん中で通報はマストだな。無断で撮られたって言えば、何もしない
訳にもいかなくなるだろ」
「う、うん……」
問題は、この大元・最初の発信者の下まで辿り着けるかどうかだ。ショート動画としてア
ップされたのがいつ頃かにもよるが、間違いなく日が延びれば延びるほど、取り返しがつか
なくなる。
「……大体」
「? 充輝君?」
「大体、何勝手にダシに使ってんだよ! 勝手に、ポイントにするんじゃねえ!」
何よりも、須藤はぶち切れていた。突然の怒声にビクッと全身を強張らせる本人を前にし
つつ、彼は自分の恋人が──その声色が“自分以外”の不特定多数に知られてしまったこと
に対し、強い憤りを覚えていたのである。
(了)