(4) 樹界の夢
【お題】森、機械、湖
──彼・彼女達は夢を見ていました。穏やかで優しい、幸せな夢です。時間の流れこそ滞
留するかのように緩慢で、変わり映えのしないセカイでしたが、彼・彼女達は満たされてい
ました。
視界の先に、自らを取り巻く周囲に、音も無く無数の塵が漂っています。
ゆっくりと彼・彼女達は、めいめいに手を伸ばしていました。伸ばしたままじっと動かず
に停止していました。ギチギチッとその腕も、胸元も顔も、全てがブリキのような機械仕掛
けです。軋む音の正体は、即ち関節という関節へと進む錆び付き・痛みでした。
『……』
それでも彼・彼女達は、皆穏やかな気持ちでいられました。その理由は辺り一面に繁茂す
る、濃い緑豊かな木々です。自身らが機械仕掛けの身体で佇んでいる一方、セカイは何処ま
でも拡がってゆく自然の中に埋もれていました。
しかしそれらは決して──彼・彼女達の滅びを意味しません。少なくとも心は、救われた
と感じていました。長い歳月をかけてようやく、自分達の“使命”は果たされたのだと。
『では、後は宜しく頼むぞ?』
『我々は一旦地上を離れるが……可能な限り遠隔のサポートを続ける。いつか、この大地に
かつての緑を蘇らせてくれ』
彼・彼女達を作ったのは、ずっと昔の人間達でした。当時地上は、積み重なった環境汚染
の影響により、最早人々が生きてゆけないほどにどす黒く荒れ果てていたのです。
全身フル装備の防護服越しに、人間の技術者らは言います。自分達の代わりに、大地を復
活させてくれと。その為の様々な機能を、お前達に与えたのだと。
承知致シマシタ──。この頃はまだ錆びもなく、綺麗な機械仕掛けの彼・彼女達は、そん
な与えられた命令に忠実でした。いえ、そもそも独自に判断し、従うか否かを決めるという
選択肢自体が存在していませんでした。宜しく頼む──即ちそれが使命。自分達が生まれて
きた理由……。
『任せたぞ』
『しかし、本当に大丈夫だろうか? やはり定期的に、メンテナンス要員として降りて来る
メンバーを確保した方が良いのでは……?』
『技術面では言えば、な。だがそう募って、実際に手を挙げる奴らがどれだけいる? ただ
でさえ現状、コロニーに閉じ籠もって出たがらない連中も少なくないんだぞ?』
『……』
解ってはいました。自分達を作った、人類種の抱える問題。都合。過去から後回しにされ
続けてきた課題の“尻拭い”とやらを、結局己以外の機械人形にやらせようという意図。
そもそも厳密な人型ですらない、ずんぐりむっくりな胴体に左右の作業用アームを内包し
た身体で、彼・彼女達はこの技術者らを観察していました。顔のパーツに見立て、幾つかの
図形の組み合わせと色が点るパネルをぱちくりと明滅させつつ、彼・彼女達は暫くそんな
裏事情に耐えています。
『ウォッホン! ……とにかく、土壌の復活は不可欠だ。そういうヒトの問題は私達ヒトが
何とかするしかあるまい。こいつらに、そんな事まで頼っては堕落する一方だぞ』
去り際の技術者らは、結局そうやって相手のプライドを揺さぶる形でしか迷いや不安を拭
えなかったように思われます。彼・彼女達は、少し寂しくもありました。その存在意義とし
ては、頼って欲しかったのです。
尤も、いざ他の問題も解決を命じられたとして、はたして価値を提供出来ていたかは怪し
いものでした。彼・彼女達はあくまで機械──言語的に人間達の意図する所を解読可能であ
っても、心の機微とはイコールではないのですから。高度に学び取る為には、まだまだ時間
も事例も足りていなかったのです。
『マスター。任務ヲ開始シテモ宜シイデショウカ?』
『周辺情報ヲ集積シタ結果、全域ヘノ第一フェーズ完了マデ、オヨソ七十五年掛カリマス』
『お、おう……』
『分かった。無駄話をして悪かったな。我々も直に発とう。お前達も、早速作業を始めてい
ってくれ』
永い永い、時間が経っていました。
最初の算出結果も然り。用意された個体数を全て投入していっても、各工程が完了するに
はそれぞれ同等かそれ以上の日数を要します。加えてこれと実際の成果が出るか否か、出た
としてその度合いは如何ほどかとなれば、立ち止まって無為に過ごすことは可能な限り避け
るべきだと彼・彼女達は早々に結論を出していました。自分達の、経年劣化による作業効率
の低下も試算に入れなければいけません。
……事実、現在までに、多くの同胞がその機能を停止してしまい久しくなっていました。
当初は遥か上空のコロニーから、メンテナンスの為の要員や作業に必要な物資などの補給が
届いていましたが、それも二百年を数える頃にはほぼ途絶えてしまっています。……その事
実が意味することを、彼・彼女達とて解らない筈はありませんでしたが、与えられた使命を
投げ出す訳にはいきませんでした。己の存在理由そのものは棄てられなかったのです。
土壌の汚染物を取り除き、浄化処理を施す。
浄化済みの土壌をまとめて保管し、一定期間冷却する為の設備を用意する。
培養・量産体制を取った種子を、この戻した土壌に植え、発芽を援ける。以降その生育を
阻害するあらゆる要因を監視し、排除すべく巡回を絶やさない──。
人間達からすれば、気の遠くなるような作業だった事でしょう。しかし彼・彼女達にとっ
ては、これが全てでした。それしかなく、それ以外に活動する意義はない。
ただ……永い歳月を経てゆく中で、めいめいの個体にも、ある種の“感情”が芽生えてき
たのかもしれません。形成されていったのかもしれません。たゆまぬ努力と機械仕掛けゆえ
の綿密な計画・計算の結果、徐々に広がってゆく緑の中に在って、やがてその光景や充満し
てゆく各種元素に「癒し」を憶えていったのですから。
『……』
彼・彼女達は、夢を見ていました。穏やかで優しい、幸せな夢です。
時間の流れこそ滞留するかのように緩慢で、変わり映えのしないセカイでしたが、彼・彼
女達は満たされていました。錆び付き、やがては動かなくなるであろう自身の血の通わぬ身
体に、苔生す緑や小動物さえも登って来てじゃれると、とても“心”安らぐように思えてく
るからです。
彼・彼女達は、夢を見ていました。いつかこの大地を、人間達に見て貰いたい。
永い歳月が流れ、はたして彼らは何処で行ってしまったのか? 中には今も「成功」の報
告をしようと、懸命にコロニーへの連絡を試み続ける個体もいますが……おそらくもう応え
が返ってくる事はないのでしょう。自分達は間に合わなかった。それでも、誰かに気付いて
欲しかった。「よくやってくれたね」と、褒めて欲しかった。愛して欲しかった……。
『……私達ハ、ドウカシテシマッタノデショウカ? コノ衝動ハ、明ラカニ過学習ノ結果ト
思ワレル』
『構マイハシナイサ。結果的ニコレガ、我々ニ対スル報酬ト呼ブノダロウ』
ちょこんと、栗鼠達が背中から肩に登ってはくんくんと緑の匂いを嗅ぎ、頭には小鳥達が
休憩がてら停まっています。薄らいでゆく意識の中で、個体の一つが疑問にも似た詠嘆を投
げ掛けました。別の個体が、軽く流して“問題”ではないと答えます。
彼・彼女達は、夢を見ていました。
永い永い道のりの末、ようやく成し遂げた緑溢れる大地。但しその代償として、自分達は
そう遠くない将来全滅するだろうと、残された個体らは理解していました。苔生し、錆び付
いて久しい身体が、段々と着実に鈍くなってゆくのを認識しています。ギチギチッ……。い
ずれはそっと、こうして伸ばしたアームのまま、樹の一部となり果てるのでしょうか。
(ソレモ……悪クハアリマセンネ……)
穏やかな夢でした。ゆったりとした時間でした。
ずんぐりむっくりの胴体、表情代わりの図形パネル達が、ゆっくりと明滅の間隔を広げて
ゆきます。一面また一面と、佇む個体がまた一つ静かに“息を引き取って”ゆきます。
***
「──ウーム、拙イナ。ヤハリ全体ノ抽出効率ガ落チテイル」
そうです。彼・彼女達は夢を見ていました。その外側で、これらをずっと忙しなく監視・
管理し続けている一団がありました。
人影、いえ厳密に“人間”でもありません。二足歩行、明確に言語を発して意思疎通を可
能としているものの、その姿は明らかに蟲をベースとしたような格好でした。ぴっちりとし
た補助用外骨格に身を包み、紫や緑の複眼で眼前の光景を見下ろしながら、二対三対とある
手でぽりぽりと頭を掻いています。
「ソウナノカ? 具体的ニ、ドレグライ?」
「今ノ時点デ、前月比十七・四四パーセント減。コノペースガ続クト、十八・二〇パーセン
トマデ下ガル計算ニナルナ」
「十八パーセントカ……。流石ニ減リ幅ガ大キ過ギルナ。溶液中ノ検体自体ガ、モウ限界二
来テイルンジャナイカ?」
「ダトハ思ウナ。ココ暫クハ、ズット同ジ“設定”デヤッテキタモノダカラ……」
一人二人、同僚と思しき他の蟲型人種が近付いて来て、そうああでもないこうでもないと
話し合っています。手にしたタブレット端末のようなもので、何度もグラフや数値入力部分
を書き換え、様々なケースを想定していました。ため息交じりに、彼らがふいっと、その眼
下に広がるぶち抜きのフロアを見つめます。
『──』
巨大な水槽、淡い緑の培養液が詰まったカプセルが幾つも沈められていました。加えてそ
の中には、一つ一つ“脳味噌”らしきものが浸けられており、大小様々な電極が外側を囲む
装置群と接続されているのが確認出来ます。
「慣レ、カ……」
「ダロウナ。一度上二掛ケ合ッテ、マタ新シイ仮想世界ヲ造ッテ貰ワナケレバ」
「エエ……? 絶対ドヤサレルダケダゾ? オ前ラノ管理ガナットランカラダッテ……」
「仕方ナイダロ? 誰カガ被ラナキャイケナイ仕事ダ。事ハ俺達ノ──コロニー全体ノ生キ
死ニニ関ワルンダカラ」
(了)