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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-147.February 2025
235/284

(5) ××たい姿

【お題】炎、裏切り、無敵

「あ。ねぇねえ、例の放火魔、また出たっぽいよ?」

「マジ? これで何回目だっけ……?」

 通勤途中の電車内で、正人は不意にそんなやり取りを耳にした。自分が掴んでいた吊り革

の側、その斜め向かい奥の席に座り込む女子高生二人が、スマホの画面を覗きつつ見せ合い

っこしつつ話している。

 例の放火魔とは、十中八九少し前にテレビで大きく取り上げられた奴のことだろう。

 どうやら点けられて全焼した屋敷の住人が、メディアにも露出している有名資産家の娘で

あったらしく、その死に両親である当人らが号泣している姿が連日放送されていた。良くも

悪くもネームバリュー故だったのだろう。当初は事件を悼む声と、一部金持ちへの僻みが籠

もった“ざまぁみろ”的な言説が広まったりもしたが、結局犯人は見つからないまま現在に

至る。そのため、度々列島各地で起こる火災が放火だと判明すると、もしかして奴が? と

いう推測が今もネット上を中心に湧いては消えを繰り返している。

「……」

 尤も正人自身は、終始スンと無表情のまま電車の揺れに身を任せていた。ふいっと耳に届

いてきた噂程度に捉え、まともに取り合おうとはしなかった。実際、周囲の殆どの乗客は、

そもそも彼女らの他愛もない雑談を聞いてすらおらず、ぼうっとめいめいの世界に──朝一

番のダウナーに沈み込んでいる。


『毎回毎回、キラキラした姿ばかりアップしてたからだろ。ヘイトの百や二百も溜まるさ』

『そうでなくとも素顔に場所に日時にと、特定できちゃう情報をネットに上げちまうのは今

の時代、どう考えても悪手よ』

『それはそう。ただネイティブ世代って、その辺警戒心薄いのデフォルトだしなあ。家に火

を点けた奴が一番悪いってのが大前提な訳で……』


 大々的に件の令嬢の犠牲が報道された当初、ネット上ではそんな“自己責任”論的な意見

が飛び交う場面も珍しくはなかった。犯人が捕まっていない以上、どういう経路で彼女の居

場所を突き止めたのか──そもそも彼女を殺すつもりで火を点けたのかも分からないが、総

じて彼女のような“上流階級”の立ち振る舞いを、しばしばリスクとして捉える向きは今も

根強く在る。

(……やっぱり、目立たないのが一番だな。落ち着くにも時間が掛かるし、何かにつけて掘

り返されるし……)

 職業柄、人目を引かなければならないという者もいるにはいるのだろう。だが少なくとも

正人にとっては、大よそ世間に騒がれることは他の大多数と同様、歓迎すべき状態ではない

と認識している。

 今日もこうして、独り電車に揺られて通勤している間だってそうだ。周りの者達同士、万

が一何か悪目立ちするトラブルを招いてしまったり、或いは巻き込まれるような出来事があ

れば……基本損失が生じるだけだ。だからこそ自分も他人も、じっと息を殺して押し黙って

いる。お互いの存在は車内でギチギチに詰まっているのに、相手に“ここに居る”ことを悟

られないよう、皆が必死になっているように彼には思えてならなかったのだ。

『次は~東扇台~、次は~東扇台~。お出口右側、です』

 ちょうど、そんな時だった。ぼんやりモヤモヤと思考を巡らせていた正人の耳に、職場最

寄りの駅名がアナウンスされるのが響いた。他にも少なからぬ乗客らが反応し、降りそびれ

ないよう移動を始めている。

 嗚呼、有意義でない過ごし方をしてしまった……。

 彼はそんな顔も知らない他人びとに混ざりつつ、やがて空気を抜くような音と共に開いた

扉を潜って、ホーム側へと降りてゆく。



「──吉住君、こっちの処理も頼むよ」

「はい」

「吉住君~! 頼んでおいた資料できた~?」

「ええ。こちらに」

 通勤ラッシュの黒だかりを縫って抜け、今日も職場へ。

 正人はこの街の一角に支社を構える、とある商社の事務方として働いている。名前を聞け

ば大抵の人間が「ああ、あそこかあ」と当たりが付く程度には名の知れた企業だ。業種柄、

日々大量の取引に伴う事務手続きの少なからずを、彼はチームの一員として担っていた。あ

ちこちで忙しなくPCを叩く面々に混じりつつ、今日も今日とて彼の下には仕事もとい他人

のタスクもずかずかと持ち込まれる。

「……」

 立場的に上司となる相手を始め、先輩の女性や、時には同期にまで。

 それらは事実上、彼らが自身を“便利に”使っても良い奴と認識している証左に他ならな

かったが、正人個人は別にそれでもいいやと思っていた。多少は仕方ないと諦めていた。声

を掛けられる度に反応し、終われば短時間でグッと集中モードに戻る。


『正人。貴方はたくさん勉強しなさい? 良い成績を残して、良い学校に進んで、良い会社

に就職するの。そうすればお父さんみたいな、良い大人になれるんだから』


 やる事が無くなれば、自分は空っぽだという自覚が幼い頃よりあった。彼は母親に言われ

るがままに、期待されるがままに、そんなレールの上を滑る人生を歩んできた。

 幸い父親譲りの地頭があったためか、勉強そのものは苦ではなかったこともある。意味を

理解するよりも、記号として脳に詰め込まれる情報。ただそれを適宜引き出し、応用してさ

えみせれば、周りの大人達は褒め称えてくれた。……この程度のことで。当の彼自身、たっ

た一人を除いて。


『ちょっと、何を読んでるの!? こんなくだらない物、読んでいる暇があるなら勉強しな

さい! これはお母さんが捨てておきますからね!』


 何処かで周りの人間を見下していた。少なくとも父や母は、自分達が“上”だという意識

が高いようだった。

 だからなのだろう。息抜きに漫画やゲームを触り始めた少年時代の彼を、彼女は烈火の如

く怒って許さなかった。目の前で取り上げられ、破り捨てられる。中にはクラスメートから

借りていた物もあったのに、結局それらを伝えることも出来なかった。

 ……思い返せばきっと、その頃からだった。貸した遊び道具を取り返しの付かない状態に

し、尚且つ流行りの話題にも乗って来ずに教科書と睨めっこばかりしている。

 彼は徐々に、同じ年頃の子供達のコミュニティから外されるようになっていった。彼自身

も、誰かの意に沿わないことが周りを不快にすると“学習”し、そうした境遇の変化を仕方

ないものだと受け容れる努力を始めた。


(私は……。普通の人間でなければならない。少なくとも、この社会で生きている内は。成

員として振る舞うべき場所においては)

 両親の言葉に、周囲の期待に応えてゆく内に、正人は大人になった。大よそ世間的に恥じ

ることのない企業に勤め、日々を淡々と生きている。そこにはしばしば“ずるい”誰かが自

分を使ってはくるが、結果的に経済が回るのなら構いはしない。……目立ってはいけないの

だ。たった一人の我が儘で、目下一つのダイナミズムとして機能しているものを面と向かっ

て壊すなど。

 注目されてしまうではないか。

 ようやくこうして、自分なりの“平穏”を手に入れたのに。もう誰も、これ以上自分に頑

張りを強いることのない世界となったのに。



 ほぼ毎日決まった時間に起き、電車に乗って出勤し、日没を背負うように帰路に就く。

 誰かの見咎められるような、目立たず平たなルーティンの中に身を潜めるよう、彼は声一

つも漏らさず意識し続けていた。自分なんかよりももっと上の、優秀で衆目を集めるような

誰かを見てくれていればいい。その方が何かと、こちらにとっては都合が良い。

「……」

 その日の夜、すっかり日の落ちた街の片隅を正人は歩いていた。方々でネオンの明かりや

街灯が通りを照らしているが、それでも昼間に比べれば数え切れないほどの“死角”がそこ

には生まれる。誰も自分に注目することなく、それぞれの家に帰るのだろう。或いは仲間と

夜通し、飲み歩いて享楽を味わうのか。

 冬も序盤から中盤に移ろおうかとしている時期だった。正人は黒いフード付きのコートを

羽織り、フードを目深に被り留めると、一軒のアパートの傍を通り掛かっていた。

 じっと黙したまま、片手にしていたスマホ画面を一瞥する。そこには結婚して間もない歳

若い男女が、互いの指輪をこちらに見せ付けながら笑っている姿が映し出されている。

(……此処だな。明かりも点いている。中に居るのは間違いない)

 するとどうだろう。彼はちらりと頭上を──アパートの角部屋、上階の一室に人気が在る

のを確認すると、懐からビンに詰めた小さめの布切れを数枚取り出した。壁際の継ぎ目、表

面と建物本体の境目辺りにこれを屈んでギュッと押し込むと、次いでマッチ箱を擦る。


 布切れ達は“湿って”いた。

 じんわりと、鼻を衝くような臭いが、夜闇の中を溶けてゆく。


 そっと手を離した途端、炎は大きく上がり始めた。アパートが高熱に包まれ、近隣を含め

た住人達が異変に気付いて逃げ惑い始めるまで、そう長くは掛からなかった。

「か、火事だーッ!!」

「逃げろ! 急いで外に逃げろ!」

 轟々と、地面から棟全体を呑み込むように火の手が昇ってゆく。周囲にサイレンが鳴り響

き、怒号交じりの声が方々から聞こえるようになった。着の身着のまま、或いは手近に届い

たと思しき荷物を詰め込んで、アパートの住人達が一人また一人と外に飛び出してくる。血

相を変えて、つい先刻まで安心できる場所だったそれが焦げ落ちてゆくのを、彼らは呆然と

して見上げるしかない。

「ち、畜生……。何でだ? 何でだよ? 俺はただ、普通に暮らしてたってだけなのに」

「消防はまだか!? このままじゃあ、全部焼け落ちちまう!」

「通報はしてくれてる。ただ、この辺が路地裏で入り組んでるせいで、車が思うように乗り

入れらんないとか何とかで」

「け、結局、私達は見ていることしか出来ないの……?」

「くそっ! 大体火元は何処なんだ!? こんなになるまで、何で誰も気付かなかったんだ

よ!?」

 騒ぎを聞き付け、次第に集まってくる野次馬・人だかり。

 一方で肝心の消防車は、第一陣がようやく近辺まで来ていたものの、密集地形な交通事情

が災いして遅れていた。焦りや悲嘆、住人達は様々な感情でアパートの外に集まってこそい

るが、最早元の暮らしが絶望的なことは明らかだった。

「どうして……。どうして、こんな……?」

「やっと俺達二人の、新しい暮らしが始まると思っていたのに……」

 そんな中に、一組の若い新婚夫婦がいた。正人が通り掛かった際、自身のスマホに、ネッ

ト上にその幸せっぷりを投稿していた張本人達である。

 他の住人らと同様、二人は肩を寄せ合って嘆き、憤っていた。まさか他でもない自分達の

身に、このような理不尽な不幸が襲ってくるなど思いもしなかった。強固な理由もなく、幸

せな生活を送れると思っていた。信じて疑わなかった。

『──』

 吉住正人は観察してみていた。そんな彼らの様子を、どん底に叩き落されて絶望の色を浮かべ

る横顔を、じっと周囲の野次馬に紛れて見つめていた。

 嗚呼、やはり良い……。

 絶頂に居る人間が墜ちる時、苦痛に歪む表情を見せる時、それこそが彼にとって最も悦び

を感じる瞬間だった。今や段々と物足りなくなり、自らそういった状況を作り出しては収穫

することが生き甲斐になった程に。

「……」

 正人自身、こうした自分の感性が“普通”ではないことは重々解っていた。それでも生ま

れ持った己の性、人生の中で長らく真っ向から否定され続けた至上それへの強烈な反動として、

彼はどうしても止めることができなかった。

「どう……して? どうして……?」

 正しく美しいものよりも、醜悪で且つ壊れてゆくものを。

 気付けば彼は、後者にしか心惹かれなくなっていた。ニッと小さな、本当に僅かな弧を口

元に浮かべ、彼は燃え上がる火の手とそこに項垂れる夫婦らを見つめていた。ただ一人、自

分だけの娯楽を味わう為に、彼女らを見つめていた。

                                      (了)

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