表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-147.February 2025
231/284

(1) アラアバキ

【お題】犬、墓標、伝説

「……弔いとはその実、故人自身の為ではないと云う。寧ろ残された側、それから先を生き

ざるを得なくなった者達の為の儀式なのだと」

 周囲を切り立った壁に囲まれた、射し込む陽も充分に届かない暗い森の奥深くで。

 騎士甲冑に身を包んだ来訪者の足音に、独りじっと座り続けていた男が呟いた。長く伸び

っ放しな灰色の髪と共に、背を向けたまま、己は目の前の粗く削られた巨岩──何かの碑と

思しきそれを気持ち仰いでいる。

「何かしらの“区切り”を用意してやらなければ、立ち直ることすら叶わない者達がいる。

後を追いかねない者達がいる。それは、生を是とする現世にとって、都合の悪い現実だ。故

にこそ、永くこれらの営みは物申すことすら許されぬ習わしであり続けた。既に彼の者は眠

っているのだから、起こすべきではない。今更後の者達が、世俗の都合で捻じ曲げて善い筈

などないと」

「……」

 だだっ広く、それでいて酷く物寂しい谷下の空間。足元の草原はとうにしなびて鮮やかさ

を失い、寧ろある種の湿り気を宿している。

 騎士甲冑の来訪者、言葉少ない若き戦士にゆっくりと腰の剣に手を当てさせ、臨戦態勢を

取らせるには十分だった。そんな遠く背後で微かに鳴る金属や布地の擦れる音に、灰髪の男

は静かに嘆息を吐く。

「……ここまで辿り着いたということは、道中の“守り人”達を破ったか。まったく、人間

は変わらぬな。ただ一人、友の眠りすらもわざわざ妨げに足を踏み入れる──英雄譚への憧

れか、或いは好奇心か。どちらにせよ、その無粋に粋で応じてやる義理は併せ持っておらぬ

ぞ?」

 それまで悠然と背を向け、巨岩碑の前に座っていた男が、直後傍に刺していた特大の剣を

地面から引き抜いた。轟と衝撃が周囲を伝い、鬱蒼とした草木が揺れる。立ち上がりながら

騎士に振り向いたその体躯は、明らかに常人のそれよりも高かった。

 溢れる警戒心と、殺意を込めた赤い瞳。掘りの深い歴戦の猛者と解る風貌。

 纏っていた服装こそ、東国風のゆったりとした上衣に、ボロ切れのような大きなローブを

被せたものだったが、その下に鍛え抜かれ絞り込まれた肉体が宿っているさまは想像に難く

ない。何より、己の身の丈に迫る特大剣を片手持ちしている時点で只者ではないのだから。

「──っ!?」

 次の瞬間だった。巨岩碑の前に立ちはだかるように相対したこの灰髪の男が、霞むような

速さで掻き消える。地面を蹴った、騎士が理解するや否や、その剛剣が彼の頭上へと振り下

ろされていた。咄嗟の判断で騎士は左腕の盾と抜き放った剣、全身のバネを総動員してこの

初撃をいなすことに全力を注ぎ、何とか直撃だけは免れる。

 正面から防御していれば、おそらく耐え切れなかっただろう。先程まで彼の立っていた場

所が大きく剣閃によって抉れ、この灰髪の男が得物をだらりとぶら下げ、ゆっくりとこちら

を睥睨する。大きく後ろに飛んで距離を取り直し、騎士は改めてこの強敵と対峙した。

「死ね! 貴様の剣も、墓標の一つに加えてやろう!」

 そこからは終始男が優勢な、激しい剣戟が繰り広げられた。巨大な筈の得物を手足のよう

に鋭く巧みに繰り出す彼に、この若き騎士は苦戦を強いられる。武器同士の間合いも、おそ

らくは積んできた戦闘経験の絶対値も。辛うじて攻撃と攻撃の間に差し込む形で、彼も男の

身体へ刃を撃ち込む他ない。風圧と威圧と。だがそうした一撃はどれも、相手への決定的な

ダメージにはならなかった。

「ぬんっ!!」

「ッ! ッ……!!」

 まさか、一見ゆったりとした服装は、懐を狙ってくる剣の威力を殺す為?

 或いはただ単純に、自分の剣技が浅いのだろう。灰髪の男からの反撃を二度・三度、すん

での所でかわし、若き騎士はゴロゴロと草の地面を転がった。慌てて立ち上がり、既に跳ん

できた彼の追撃を今度は前へ。すれ違うような格好で上半身を捻り、相手の横っ腹へと一撃

を打つ。今度は衣の緩衝にも競り勝って肉体を捉えたが、男の怯みは瞬き一つにも満たない

一瞬だった。返した特大剣の柄頭の殴打を受け、逆に彼は大きく吹き飛ばされる。ゴロゴロ

と、またしても草の地面を転がり、されどすぐ己の剣を突いて立ち上がる。そんなこの若き

騎士の食らい付く様子に、灰髪の男はゆっくりと近付いて来ながら眉を顰めていた。

「……筋は悪くない。ここまで私の攻撃をいなし続け、生き長らえているだけでも大したも

のだ。だが、それだけでは私を退けることなど叶わぬぞ?」

 何度か体格差でもって懐に入られ、受けた彼からの反撃箇所をそっと擦りながら灰髪の男

は言う。さも自分の力が強大で、且つ異質であると認めているかのような。

「──」

 それでも尚、敢えて立ち塞がらんとする姿勢のままな彼に、この若き騎士は口を開いた。

実際に有無を言わさず剣を向けられた以上、伝わるかどうかは分からない。それでも彼はこ

の灰髪の男に、自身がこの谷へやって来た目的を話して聞かせる。

「“聖騎士ハールディア”の墓を捜して……? ふん、やはりお前も他の者達と同じか。奴

の英雄譚を鵜呑みにし、死後も尚縋る! お前達の所為で、奴は死んだというのに!」

「……! ……!」

 若き騎士は、直後更なる憎悪の眼差しを向けてきた男に、慌てて首を横に振っているよう

に見えた。尤も甲冑のフルフェイスで素顔は終始隠れ、窺うことは叶わない。

 灰髪の男は、聞く耳を持たずに彼も“同類”と判断。攻撃をより苛烈なものへと切り替え

る決意を下した。地面を蹴り、大きく空中へ跳ぶと全身を横回転させながら突撃してきた。

咄嗟に騎士の方も大きく後ろへ跳んで避けようとしたが、着弾の衝撃波まではかわし切れな

かった。盛大に吹き飛ばされ、されど次の瞬間にはもう、男が剛剣を振り下ろしに掛かって

いるのが見える。土煙の向こうから、これを引き裂いて迫ってくる。


 聖騎士ハールディア。その昔、数多の冒険を繰り広げた優れた剣の使い手であり、その功

績は後世にも英雄譚として伝わっている。中でも特に有名なのが、“災禍の獣”と呼ばれる

怪物を討伐したという逸話だ。

 当時人々に恐れられ、世を震撼させていたという凶悪な魔獣。

 ハールディアはある時、単身その棲み処に乗り込み、三日三晩の激闘の末に破った──滅

びの運命を変えたとされている。彼の英雄としての名を確固たるものとした、騎士を志す者

ならば誰もが憧れる物語だ。


「奴は、私を討ち取ってなどいない! 確かに私達は死闘を繰り広げたが、互いの力を認め

合って友となった! 元より人間を襲ってなどおらぬ! 人間達が一方的に、古来より我ら

が暮らしていた森に侵入してきただけのこと! それを、姿を見ただけで化け物と──!」

 最初より明らかに激しくなった灰髪の男、もとい“災禍の獣”の猛攻に晒され、若き騎士

は防戦一方になっていった。

「ッ……!! ……ッ、……ッ!!」

 いなし、ねじ込む隙間も塞がれるよう。

 特大剣による、文字通り力の暴風の中で、彼は追憶と共に咆哮していた。構えた盾は大き

くへしゃげ、剣も刃こぼれし始める。やはり真正面からの殴り合いでは分が悪過ぎる。

 灰髪の男は、急速にその姿を変えていた──いや、本来の姿に戻ったと表現した方が正確

なのだろう。髪色と同じ体毛を湛えた、更なる巨躯の人狼。沸騰するように肥大化した人外

の筋力が、目の前の騎士を装備ごと押し潰さんとしていた。そこには明らかに、人間という

種族への怒りと、ハールディアを友と呼ぶ高い知性が混在する。

「王や取り巻き達は、奴が私と友誼を結んだことが気に食わなかったらしい。お前達から見

聞きする奴の英雄譚とやらが、総じて私を討ったになっている時点で察せる。……それだけ

ならまだ良かった。だが連中は尚も満足せず、奴を逆賊として吊し上げたのだ! 後世には

英雄と、自分達に都合の良い物語だけを広めて! 奴自身の幸福を奪っておいて!」

 らあッ!!

 丸太のような太い尻尾と併せた、駄目押しの回し蹴り。ボロボロの騎士は防御するも為す

術なく吹き飛ばされ、今度こそ立ち上がれなかった。甲冑の上からも全身に血飛沫の赤が溢

れ始めている。それほどの怒りが、灰色の人狼に力を与えていた。

「ハールディアの墓を捜していると言ったな? そうだ。ここが奴を弔った場所。厳密な最

期の地はここではなかったが──私や一族の者が運んできた。奴は最期まで、私達を頼ろう

とはしなかった。逃げ込む先をこの谷にしていたならば、王はここぞと言わんばかりに私達

を根絶やしにする口実にするだろうと……。馬鹿な話だ。その優しさが、お前を窮地に陥ら

せてしまったというのに」

「……」

 若き騎士は、まだ辛うじて息があるようだった。怒りの合間、記憶の波が寄せては返す毎

に語る人狼の“真実”に、彼はじっと耳を傾けているようにも見える。それとも、只々最早

立てないほどのダメージを受けてしまったからか。

「連中は自分達の里に、奴の偽物の墓を作って象徴としていると聞くが……。お前は何故、

それが本物ではないと知った? それとも偽物だという話は、今のお前達にとっては公然の

秘密なのか?」

 彼は答えなかった。大きく胸を上下させて荒い呼吸を整え、近くまで寄って見下ろしてく

るこの人狼を、ぼうっと視界の中に捉えているだけである。暫く人狼は答えを待っていたよ

うだが、彼に応じる余力も残されていないらしいと断ずるや否や、ざらりと得物を逆手に持

ち変えて構える。

「……まぁ構わん。新たにもう一本、友の前に供える標が増えるだけだ。奴の墓を、私の正

体も見た以上、どのみち生かして返す訳にはいかんからな」

 せめて、止めの一撃ぐらいは楽に──。人狼は口封じというよりは、介錯に臨むような面

持ちで剣を持ち上げた。振り下ろし、そのままこの侵入者を刺し貫こうとし……。

「ッ!」

「ガァ──ッ?!」

 ちょうど、次の瞬間だった。相手の軌道が見えた刹那、この若き騎士はカッと残る力を振

り絞り、彼の足元から掬い上げるようにすれ違いの剣を撃ち込んできたのである。振り下ろ

さんとする相手の右腕、向かってくる逆手剣の狙いを捻じ曲げつつ、渾身のカウンターで勝

敗をひっくり返す為に。

 青白く輝く巨大な刀身だった。既に元の片手剣は激しく刃こぼれし、途中で折れてしまっ

ていたが、それらを補って余りあるほどの魔力の塊が、剣の形状をして人狼の側に突き刺さ

っていたのである。流石に対する当人も、これには驚愕して目を見開いていた。深々と腕を

貫かれ、或いは胸元を少なからず抉られたダメージをもろに受け、口から溢れた血を零す。

「まさか……魔法剣? 奴と、ハールディアと同じ……」

「──」

 これが若き騎士の奥の手。先祖から連綿と伝えられてきた秘伝の技。

 かつての友と同じ技を目の当たりにして、人狼は激しく動揺しているようだった。これは

偶然か? それとも後世で使い手が増えたのか? その答えは、他でもない当の騎士が教え

てくれる。

「何? お前が、奴の子孫……? 先祖の本当の墓を捜す為に、遺言を成す為に……?」

 コクコク。彼もまた満身創痍ながらも何度も頷き、答える。道中及び今し方までは、打ち

明ける猶予もなくなし崩し的に戦わざるを得なかったが、それもそれで自身がこの谷にまで

足を運んだ目的には適う、とも。

「私を解放してくれ? 自分が死んでしまえば、あいつはきっと悔やむだろうから……?」

 それは人狼こと、友・サイカの行く末を案じた、ハールディアもう一つの遺言であった。

騎士曰く、自らが国に疎まれ追われる身となる寸前、彼は妻子や一部の信頼できる者らに事

の真相を全て打ち明けていたのだという。その上で、もし友が自分の復讐や思い出に囚われ

たままになってしまえば、たとえ刺し違えてでも止めさせて欲しいと。

「……」

 もぞもぞと面貌を取って、この若き騎士は苦笑わらっていた。

 先祖代々から伝えられてきた、とんでもない“宿題”。親族の多くは関わり合うことをせ

ず、そもそも知ってすらいない者が殆どだったが、騎士となった自分にはその遺志を遂行す

る義務がある。王都に在る件の墓が偽物と知った時、彼の途方もない捜索の旅が始まった。

自身のルーツ探しも含めた、過去の清算の為。何より先祖が願った“友”の幸せの為。

「……そうか。あいつめ、余計なことを……。よりによって、自分の子孫まで巻き込んで、

私になんかに……」

 面貌の下にあった彼の顔は、かつての友の面影があった。似ていると思った。

 人狼、かつてサイカと名付けられた男は、そのままゆっくりと言葉を途切れさせながら場

に崩れ落ちていった。カウンターでもろに入った魔力の剣は、彼に期せずして深手を負わせ

たのである。

 若き騎士の青年も、己の魔法剣を維持する余力を失って、とうとう意識を手放した。フゥ

ッと掻き消える青白い剣状の塊。サイカが倒れ込むのと同様、そのまま眠るように、暗い谷

底に漂う静けさの一部となって。

                                      (了)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ