(4) ツリーズム
【お題】裏取引、童話、剣
王都から遠く離れたとある辺境の村に、一つの伝承が残っている。かつて魔物の王を討ち
取った勇者が、一時期この村に滞在していたらしい。
凱旋後、王国からの士官の誘いを断った彼は、以降各地を放浪したと伝えられている。そ
んな日々の途上、村に湧く小さな温泉で疲れを癒したのだそうだ。知る人ぞ知る、遠い昔の
御伽話である。
「──大丈夫かい、兄ちゃん達? くれぐれもはぐれないようにな?」
昼間の陽射しさえも半ば遮るほど鬱蒼とした森の中を、四人の人影が歩いている。一人は
山歩きに慣れた様子と服装で、残り三人は如何にも素人といった都市出身の人間。詰まると
ころ観光客だった。案内役を務める村人の後を、旅行気分の軽装に身を包んだ青年ら三人組
は、若干苦戦しながら追っている。
「わ、分かってるよ……」
「こんな所で遭難したら、冗談抜きに命の危機だからなあ」
「はは。流石は“勇者”エドル縁の場所だ。そう易々とは近付かせてはくれない……か」
多少道は剪定され、整備されているものの、森の中を突っ切るそのルートはそこかしこで
草木が生い茂っている。
青年達は時折、そんな進路を塞ぐ大小の枝葉を掻き分けながら、この村人の背中を見失う
まいと真剣になっていた。森の入る前はまだ余裕綽々、今回お目当ての一つとして楽しみに
していた場所へ足を運べると喜んでいたが、見事に田舎の洗礼を受けた格好だ。
「まあ俺達も、つい最近までそうだと知らなかったからなあ……。ただでさえこの辺は見て
の通り、木が密集してる。迷い易いし、季節によっちゃあ大型の獣も出るから、村の連中も
好き好んで出入りはしないしな」
この中年の村人曰く、目的の場所は普段同じ村の面々もよほどの用が無ければ無理に立ち
入ることもない区域。彼が偶々当代の管理人をやっていたため、青年達観光客三人組は案内
してもらえることになったが、そうでなければ既に迷っていてもおかしくなかっただろう。
「……それだけ人目に触れてこなかったからこそ、今日まで残っていたんだろうな」
「そもそもエドルが放浪の旅に出たのって、当時の王様の勧誘を蹴ったからって説もあるん
だっけ? だからこういう、都から遠く離れた場所に言い伝えが残ってる」
「そうだな。俺も割と史実に近んじゃないか? って思ってる。冷静に考えれば、魔王をぶ
ちのめせる程の力の持ち主が、自分の下に付いてくれずにうろうろしてるんだ。他の国に盗
られるぐらいなら……なんて発想になっちまってもおかしくない」
踏み締める土の感触、音。繰り返し掻き分ける枝葉の重み。
彼らが今回、わざわざ街からこの辺境の村までやって来たのは、とある噂話を耳にしたか
らだ。数百年前、魔物の王を討ち取った英雄・エドル。そんな彼の放浪譚の一つが残るこの
村で、彼が使っていた剣が見つかったらしい。深い森の奥、今では誰も近寄る者がいなくな
ってしまった遺跡の一角で。
「あんたらも物好きだねえ……。まあ、手間賃を払ってくれるんなら構わないが。だがあん
まり長居はできねえぞ? 日が沈んじまう前に帰らねえと、俺達四人揃って夜の獣どもの餌
になっちまう」
この管理人、案内役を頼まれた中年の村人は、そう冗談交じりに笑いながらも進む速さを
緩めることはなかった。事実彼らから代金を受け取った上で、件の遺跡への先導を請け負っ
て現在に至る。互いに折り重なる木々は、少しずつ刻一刻と昼下がりの明るさを削ぎ取って
ゆくかのようだった。
分かってますよ──三人組の内、リーダー格と思しき青年がそう眉間に皺を寄せて言う。
彼はまだ住み慣れた村の一部ということもあって、多少なりとも余裕があるのだろうが、自
分達からすれば正直笑えない冗談だ。
「っと、噂をすれば何とやら……。兄ちゃん達、着いたよ。勇者様の、秘密の訓練場だ」
はたして、刹那凛とした空気に包まれたのは、気のせいか。
時折左右にくねる道を分け入って暫し、四人は遂に件の遺跡へと辿り着いた。森の中にぽ
つんと、明らかに円く人為的に切り拓かれた広場のような空間。それこそ数百年近い歳月を
経て、石積みの建物群はほぼ、廃虚にように点在するばかりになっていたが……そんな中で
も別格の存在感を放つ物があった。大きな岩に突き刺さった、一本の古びた長剣である。
『おおっ!』
「あ、あれが……。あれが“勇者”エドルの聖剣……」
若き青年達三人組は、その姿を認めるとぱあっと表情を明らめた。にわかに興奮冷めやら
ぬ様子で近付いてゆき、しかし途中でこの岩と剣の周りに縄の規制線が敷かれているさまに
立ち止まった。少なからずジト目で管理人の村人を見遣る。
「……仕方ねえだろ。あんたらみたいな物好きの中には、保存も糞もなく触り回ったり、こ
っそり削ぎ取って帰ろうなんてする奴もいてな。流石に対策しねえと拙いだろって話になっ
たんだよ」
故に彼は寧ろ、青年達にそうたっぷり間を置いてから、腕組みをしつつ一言。観光地と化
した現地住人達による、苦肉の策であるようだった。正直残念──急に“現代味”を目の当
たりにしてしまったが、そういう事情なら仕方ない……。三人はお互いに顔を見合わせこそ
したが、彼にそれ以上抗議の類は行わなかった。意識してかせずか、ここでゴネれば自分達
もまた、村人達にとっての“迷惑な観光客”の一例になってしまいかねない。
「貴方に案内を頼んで正解でしたね」
「だな。まあ、そもそも辿り着けなかっただろうが」
結局彼らは暫し、肝心の“聖剣”には触れることなく、周囲の遺跡群を存分に観察して回
った。地元の人間ですらあまり立ち寄らない森の奥、そこに奇跡的に残されていた歴史。森
の静けさも相まって、かつての“勇者”が辿った足跡に深く思いを馳せる。
「……ふう。エドルも、人気の無いこの場所が気に入ったのかなあ?」
「さてな。どっちかっつーと、村の中にあった温泉とかじゃね? 昔は今ほど街道も整備さ
れてなかっただろうし、有り難かった筈だぜ?」
「うんうん。宿に戻ったら、もう一回入ろうか」
管理人の村人は、じっと規制線の傍に立ったまま彼らに参加しようとはしなかった。彼ら
が彼らなりの興味関心で、一見朽ちかけているだけのこの場所に意義を見い出すのなら、邪
魔はしないでおこうと考えていたのか。或いはもっと別のそれか。
「おう、そうしてやってくれ。で、どうだい……? 満足かい?」
だからこそ、一しきり堪能したらしいとタイミングを見計らって掛けてきた彼の言葉に、
三人は少し言い淀んだ。互いに欲を出したくないというか、正直まだ心残りはあると言いた
かったが、自分がその言い出しっぺになるのを躊躇っていたというべきか。
「ええ、まあ……」
「そうッスね。その、そこの“聖剣”を、触ったり抜けないか試させてもらえればもっと良
いかなあ? って……」
ただ結局、そういった欲は完全には捨て切れなかったらしい。三人組の一人、一番小柄で
お調子者っぽい青年が、なるべく軽い感じで言ってみる。あわよくばといった感じで頼み込
んでみる。
「俺の話聞いてたろ? 変なことをする奴が出だして、対策してるって」
「あ、はは。そうッスよねえ……」
「……まあ、乱暴に扱わないと約束するんなら、多少大目に見てやってもいいんだが……。
ほら? ここには俺達以外に居ないだろ? それ相応の、な?」
最初こそ、管理人の村人は難色を示していた。だがお調子者の彼がそう頭を下げるポーズ
を見せると、少しずつその態度が変わりだす。
彼ら三人に向かって、片手でちょいちょいっと握る仕草。
要するにこれ以上何かを要求したいのなら、上乗せで出すものを出せということだ。
「! ああ……」
「そういうことなら……。ほらよ」
「まいど。じゃあ、特別にちょこっとだけ触らせてやるよ。くれぐれも、壊すなよ?」
他の誰が見ているという訳でもない。管理人と三人はすれ違いながらこそっと追加のチッ
プを受け渡しすると、規制線の縄の先に佇む、古びた剣の刺さる岩へと再び近付いていった。
今度は管理人の方も、後ろで見ているだけで止めない。
先ずは言い出しっぺの、お調子者な青年がおずおずと岩の上に立った。緊張した様子で剣
の柄を両手で握り、ぐっとこれを抜こうと力を込める。
「ぬぎ……ぎぎぎ……ッ!! だ、駄目だあ……。ガッチリ刺さってて、うんともすんとも
言わねえや」
「本当かよ? じゃあ次は俺に貸してみ? っ! ぬんッ! ぬおおおおおおお……ッ!!
嗚呼、本当だ。びくともしねえ」
「おいおい……。お前ら、あんまり無茶すんな。壊すなって言われたとこだろうが。まあ、
どれ俺も。んっ!? すげえな。こんな錆びだらけになっちまってるのに、こうも深々と刺
さって抜けないモンなのか……」
代わる代わる、さながら御伽話の選定のように。
しかしこの青年三人組は結局、誰一人としてこのエドルが使っていたとされる剣を抜き放
つことはできなかった。それどころか、僅かでも動かすことすらできなかった。
「よっぽど、強い力で突き刺したんだろうなあ……」
「それも、今の今まで残っているほどに。岩を割ってしまうこともなく……」
「凄いなあ! やっぱ“勇者”エドルは凄かったんだな!」
三人目が早々に諦め、岩から降りる。残りの二人とも合わせて、彼らは今は亡き英雄の力
の片鱗を実感したようで、口々に感嘆の弁を述べていた。今度こそ、満足したようだった。
特例として触らせてあげていた、この一部始終を見守りもとい監視していた管理人の村人が
小さく苦笑いを零しながら言う。
「ふふっ。気が済んだかい? さあ、そろそろ戻ろう。のんびりしてると、本当に森の中で
一晩を明かさなきゃいけなくなっちまうぜ?」
辺境の村に、今日も日没がやってくる。山々の稜線の向こうへと姿を隠してゆく夕陽と共
に、周辺はじわりじわりと暗がりの中へ呑まれていった。村内の家屋や観光客向けに増改築
された温泉宿など、この時間になってもまだ灯る橙色の明かりが、代わりに点々とその存在
感を遠巻きから増してゆく。
「──よう、コパン。そっちからってことは……奥の森に居たのか?」
「お疲れさん、ザック。ああ。今日も例の遺跡っつーか、剣を見たいっていう物好きな連中
を案内してたからな」
「ああ、それで……。つーかお前、まだそんな阿漕な商売やってるのか……」
森の出入口へと続く道と、村の製材所方面から続く道。双方の交わる辺りで先程の管理人
ことコパンと、同じく村人の一人で木こりのザックがばったりと出くわしていた。日没の迫
る中、それでも相手が何をしていたのかを知り、肩に担いだ斧と共にやれやれと苦笑いを浮
かべるザック。反面けろっとしているコパンに、彼は続けざまに語る。
「“勇者様の使った剣”なんて大嘘……。ありゃあ、お前ん家の蔵から出てきた、ただの錆
びた剣だろ」
「いやあ? 分からんぞ? 勇者様が大昔この村に寄っていたのは事実なんだ。その頃の剣
やら何やら残っていてもおかしくはないだろう? それに俺は……勇者様の“聖剣”だとは
一言も言っていない。勝手に思い込んで、わざわざカモられに来る奴が悪い」
「ったく……。そもそも本当にあれが値打ち物なら、台座ごと溶接した上で埋めるなんて真
似はしねえだろうが。バレたらこっちにも飛び火するかもしれねえんだぞ? 稼ぐんなら、
もっと地に足の着いた仕事をしねえか」
はははは。彼の本性──件の観光スポットの真実を知る同じ村人からの苦言に、されどコ
パンは嗤っていた。屁理屈を並べ、あくまで自分は自分なりに金を稼がせてもらっている。
こちらが頼んだ訳でもなく向こうから金を背負ってやって来る……。
何年か前から、にわかに“勇者”縁の地の一つとして知られるようになり、遠く都市部か
ら観光客が押し寄せるようになった。古くから村に湧いていた温泉も、彼らを呼び込む材料
として大仰に整備を。変貌を余儀なくされてゆく故郷の光景に、彼はずっと思うところがあ
ったのだった。
「……勝手に群がって来て、平和で静かな村を壊し始めたのは奴らだ。だったらこっちも、
少しぐらい美味しい思いをしたって構わねえだろ?」
俺達には、その権利がある。
(了)




