(2) 錆心
【お題】玩具、幻、時流
強過ぎる思い出は、未来の──今を生きる際の枷になる。
そうなってしまうぐらいなら、過去の類はある程度早々に切り捨ててしまうべきではない
のか? どれだけ思い出の中で、過ぎし日々を美化しようとも、現実は年々劣化してゆく。
浸っている暇なんて許されず、対応を迫られるというのに。
「よっこら……せっ!」
有休を含めた夏休みを利用し、巧一は妻子と共に生家へと帰省していた。
ただ今年のそれは、単なる里帰りというだけでは終わらない。幼少期、姉弟達と分け合い
ながら過ごした旧棟の二階から、幾つもの段ボール箱を運び出してはまた上るを繰り返す。
『──家を、小さくしようと思う』
切欠は昨冬、母の老人ホームへの入居が決まったことだった。かねてより認知症を患って
いた彼女が、とうとう日常生活すら困難なレベルにまで悪化。近隣住民らと共に一時大捜索
にまで発展した事件を経て、年老いた父も流石に自分達二人だけの暮らしは不可能だと悟っ
たのだろう。一連のゴタゴタの後、急遽集まった巧一ら子供達に、彼はそう悩みに悩んだ末
の決断を打ち明けた。
曰く、今のままの我が家では、維持管理が負担になり過ぎる。
今でこそ畳んでしまったが、若い頃父は大工──小さな工務店を営んでいた。技術は素人
よりもあるし、人手や予算もかつての伝手やその跡継ぎ、蓄えの何割かを削って捻出すると
いう。リフォームと呼べば聞こえはいいが、要するに“減築”だった。故に、たとえ実父の
言葉とはいえ、思い出の残る我が家を壊そうという提案に姉弟達の中でも意見は割れた。
『私は反対よ! そこまでしなくてもいいじゃない!? 伝手とか予算って……。どうして
その段階で話してくれなかったのよ!?』
特に強く反対したのは、長女で巧一にとっては姉に当たる初祢だった。今は結婚し、山を
三つばかし越えた他の街で暮らしているが、父のそんな突然に方針に真正面から抵抗した。
昔から気が強く、自分の意向に周りを巻き込んでゆく──歳を経て益々その悪癖部分に磨き
が掛かるばかりだと巧一は思ってきた。
『巧一。大体あんたが家に居れば、お父さん一人に負担を掛けずに済んだんじゃないの?
お母さんのことだって……』
『姉貴……。今はそういう話をしているんじゃないだろ? お袋のことは申し訳ないとは思
ってるが、問題なのはこれからだ。俺は……親父の意見に賛成だ。俺達は全員、もうお互い
にそれぞれの場所で家族を持ってる。そこをあーだこーだと言い始めたら、誰かが絶対負担
を被るって形になるだろ』
『だよなあ。距離的に一番近いのは俺ん家だが、ぶっちゃけ無理だぜ? 息子が来年大学受
験なんだ。そんな時分にごっそり環境を変えるのも拙い』
巧一とすぐ下の弟、栄二は賛成派。共に生家の外で家庭を持っており、少なくとも今すぐ
にこちらへ戻ってくるのは現実的はない。巧一は遠く県外、栄二は同じ市内在住だったが、
共に姉の主張するような“跡取り”的な選択肢は考えていなかった。
『でも、このままお父さんを一人ぼっちにしておくのは……』
にも拘らず、姉・初祢におずおずと加勢するように、次女にして末妹の双葉が兄二人にそ
んな物言いを寄越す。
末っ子なこともあり、から父や母、或いは姉にも可愛がられていた経験から、彼女もまた
この家が文字通り削り取られゆくイメージに抵抗感があったのかもしれない。『そうよね?
そうでしょう?』味方を得て、初祢が父を含む残りの面子を再度見返し──牽制していた。
巧一は密かに眉根を顰め、隣で栄二もポリポリと頬を掻いてばつが悪そうにしている。
『儂のことはいい。お前らを好きにさせたのは、他でもない儂や母さんの判断だ。元々ここ
は、若い頃に店と一緒に建てた家。歴史も何もありゃあせん』
幸いだったのは、言い出した当人である父自身が、終始意見をブレさせずにいてくれたこ
とか。年代的にはもっと、家系だの跡継ぎだのを重んじてもおかしくはないのだが……大ら
かだった母に影響されてか、それよりも子供達の“自由”を優先させてくれたように思える。
賛成・反対に割れる巧一ら四姉弟を、彼はぴしゃりと言って黙らせた。
『……若い頃から、幾つも家を建ててきたからこそ分かる。大事なのはガワじゃない。そこ
に暮らしている人間だ。あの頃は、儂がその当事者になるとは思いもせなんだが、ガワを守
る為にお前らに無理をさせる気はねえ。この家も、もう大方の役目は果たしたんだ。後はゆ
っくり、母さんを見送る時を待つのに良い按配で充分なんだよ』
『……』
結局、父本人の意向と巧一の説得でもって、生家の“減築”は初祢や双葉にも承認される
運びとなった。尤も前者、姉は明らかに渋々──妹はそもそも姉に追随していただけ──と
いった様子ではあったのだが。
「父さん。手伝うよ」
「おう。おかえり、秀人。少し休んでてもいいんだぞ?」
「大丈夫だよ。俺にとっても、爺ちゃん家の見納めになるかもしれないんだから」
「……そうだな。悪い、助かる」
さてはて、一階の廊下とかつての子供部屋を何往復した頃だっただろうか? 搬出作業の
途中で、息子の秀人が手伝いに顔を出して来てくれた。この子には父や妻と共に、墓参りの
方を頼んでおいた筈なのだが……どうやら終えて帰ってきたようだ。
いつの間にか言うようになりやがって。
巧一は内心、フッと嬉しくこそなったが、努めて苦笑程度で数拍。ちょうど持っていた段
ボール箱を手渡し、以降バケツリレー式になる。
「お~い、ただいま~、巧一」
「あなた~、戻りましたよ~。どれぐらい進みました?」
「おかえり。箱の数だけなら、もう半分は切ってる。双葉の分は知らん」
外の暑さに汗を拭いながらやって来た父や妻も、同じようにこちらの単身作業を案じてか
声を掛けてくれる。息子と共に、既に大方まとめてあるそれを移すだけの仕事。中には自分
達姉弟が幼少期、皆で使っていた二階の大部屋に放置されてた品々やら何やらが、姉弟別な
いしその他の括りで詰め込まれている。
「栄二が、せっかく綺麗にして分別してくれたのにのう……」
「ああ。あいつが近場に住んでてくれてて良かったよ。そうでなきゃ、一週間程度でここま
で片付いてすらいないしな」
段ボール箱の、口を閉じていない梱包は、同じ市内在住の弟・栄二が予め折につけては家
に来て進めてくれていた賜物だ。基本マイルドヤンキーな癖に、こういう所は妙に律義で気
が回る。巧一は、今日予定があって来れていない弟の昔を思い出しながら、本人不在で感謝
した。当初は姉弟の内誰の物だったか? という区別すらなく、雑多に埃を被っていたであ
ろうことを考えれば、ここまでもってきてくれただけでも大仕事だ。
とりあえずお膳立て──姉弟毎に分けられた荷物を引っ張り出し、当人それぞれが確認を
して処分なり再利用をする。栄二曰く、もしかしたら今ではプレミアになっている品が眠っ
ているかもしれない。売ればリフォーム代の足しにもなるとのことだったが、巧一自身は正
直、自分達のお古にそんな価値はないだろうと思っていた。元よりそんな最終系を考えて扱
っていた訳じゃない。保存状態が良くなければ、そもそも値すら付かないだろう。
姉・初祢は、自分の夫を連れ、既に嫁ぎ先の自宅へ引き上げた後だと父から聞いていた。
妹・双葉は、長らく都会に出たままだ。わざわざ嵩張るばかりの荷物を、こんな山間の田
舎まで回収しに来る動機自体、そもそも弱い去ろう。このまま丸々残し置き、本工事と共に
処分してもらう魂胆でいるらしい。──所詮、その程度の思い出か。
「お? これは……」
巧一はだからこそ、逐一箱の中身を確かめることもしなかった。封をされていない隙間か
ら覗く程度には視界に映っていたものの、足を止めていては作業にならないと、独り静かな
焦りと共に言い聞かせていたのかもしれない。
何度目かのバケツリレー方式。その途中で、ふと息子の秀人が胸元に寄せた段ボール箱の
中身の一つに足を止める。足元に一旦置き直してガサゴソと取り出し、ためつすがめつと観
察していた。彼のペースが落ちたかと、手ぶらで様子を見に降りてきた巧一に向かって、彼
は取り出したそれを見せてきながら言う。
「ねえ、父さん。これって父さんが子供の頃に買った奴?」
それはいわゆる、戦隊ヒーロー物に登場する合体ロボを模した玩具だった。五体の動物型
ロボがそれぞれ胴体と四肢になって結合、大きめの人型に可変する作りとなっている。
「……ああ、多分な。俺用の箱に詰めてられてたってことはそうなんだろう。記憶は、ぼん
やりとはあるんだが……」
「おお? 何じゃ、懐かしいのう。巧一、お前が昔、母さんに散々ねだって買ってもらった
玩具じゃないか? ほれ、何とかレンジャー? とかいう……」
途中で廊下に並べる補助に回ってくれた父も、孫が見せてきたそれを目にして懐かしげに
語る。「男の子って、本当好きですよねえ。こういうの……」片や妻の方は、夫の幼少期と
はいえ、理解に苦しむような反応を示している。
「……そうだっけ?」
「ふぅん、時代を感じるなあ。俺が子供の時よりも、ザ・ブリキって感じがするけど、それ
が逆に良い味出してるっていうか……。父さん。こういうのこそ、物によっちゃあプレミア
が付いてたりするんだよ?」
「へえ。詳しいな」
「時々テレビとかでもやってるからね。俺にも、子供の頃買ってくれたじゃん」
言って、もしかしたらと伝えてくれる息子。及びその手に握られた年代物の合体ロボを、
巧一は暫く見つめていた。ニッと笑う息子に、かつて自身もそうだった筈の幼少期を重ねて
みる。ただ……父や我が子に言われても、正直彼は内心ピンとは来なかった。どうしても自
分の目には、単に“ブリキもどきの塊”にしか視えなかったからである。
(……。秀人にも、子供の頃に……)
自分ではなく、先ずイメージとして映せたのは、息子の方。幼い頃、今よりももっと無邪
気に遊んでいたその横顔を、巧一は玩具を手にした彼に重ねていた。
かつての自分、何も知らなかった子供は、こんなブリキもどき一つで幾らでも遊べていた
ものだ。遊んでいたのだろう。現実には存在しない、劇中のヒーロー達と同じように、この
合体ロボが空を飛び、敵を打ち倒す姿を夢想して。
もしかしたらもしかしてと思い、早速スマホで市場価格を調べ始める秀人。端から期待し
ていないように苦笑い、義父と共に積み上がった段ボール箱を見上げていた妻を見遣りつつ、
巧一は静かに顰めていた。
不快だからではない。哀しかったからだ。
期せずして他ならぬ自分が、玩具一つとっても純粋に“楽しむ”ことがすっかり出来なく
なっていたのだなと、気付いてしまったから。
(まだ売って足しにしようと考えられるだけ、きちんと玩具としての愛が残っているのやも
しれんな……)
今の自分は、最早そんな発想すら無い。弟に言われるまで考えもしなかった。
只々、ゴミという名の物体としてしか認識していなかったこと。その証明。あの日、姉や
妹に思い出云々を諫めるような反論をしたが、はたして古呆けていたのはどちらだったのだ
ろう? 自分こそがそもそも、久しく幼い頃の感性を錆び付かせていたのではないか……?
『お~い、兄貴~! 親父~!』
ちょうど、そんな時だった。
廊下から見える外の道路から車が一台入ってきて、降りてきた人物が窓ガラス越しに手を
振って挨拶してくれる。この生家と同じ市内に住んでいる、弟・栄二とその妻だ。
「悪い、遅くなった」
「お邪魔します……。お久しぶりです、お義父さん。お義兄さん。恵美さんに秀人君も」
「ああ、久しぶり。散らかっているところ申し訳ないが」
「お久しぶりです~。栄二さん、歩実さん」「こんにちは。叔父さん、叔母さん」
「……気にするな。お前にはもう、大分やってもらってるんだし」
ぐるりと勝手口から回り込み、家の中からこちらまで進み入ってきた二人。巧一を含め、
場の面々がそう互いに会釈を交わしていた。予定を済ませて合流しに来てくれたらしい。
ちょうど好かった。
要らぬ自問から我に返り、振り解く切欠とするには。
(了)




