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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-145.December 2024
221/284

(1) 銀と緑の

【お題】森、裏切り、魔女

「“苗巫女ドゥルイジ”を殺せ! 生かしておくな!」

 時代はまさに、激動のそれを迎えつつあった。

 木々を切り拓き、山々を掘り進め、ヒトは木や石ではなく鋼を見出すに至った。併せて火

を熾し、操る術を磨き上げ、やがて彼らは敵を滅ぼす為の武器へと変えた。ヒトは自然の付

属物などではない──彼らの中のある種の“復讐”心が、急速かつ着実に拡がってゆく過渡

期に、かの趨勢は在った。

「そうだ! そうだ! 奴らは根絶やしにしなきゃならねえ!」

「銃士隊の皆さん、宜しくお願いしますぜ~?」

 ただ……現状その物理的な版図は、今も尚一進一退の攻防を繰り返している。

 鋼と火の軍勢──“鋼術”と名付けられた、一連の科学の恩恵を受けた銃士隊らの奮戦が

あっても、各地でこれを盛り返してしまう者達がいるからだ。

 それが“苗巫女ドゥルイジ”と呼ばれる、不思議な力を持つ女性達だ。彼女らはただ其処にいるだけ

で草木を生やし、その成長を助けてしまう。いずれは辺り一帯が森となり、より鬱蒼とした

自然が形成されてゆく。加えて……何よりヒトにとって不都合なのは、そうして彼女らが関

与した森には、既存の生物に比べて明らかに強靭且つ凶暴な“蟲”達が巣食ってしまうとい

う点にある。

「ああ、勿論!」

「任せておきたまえ。その為に我々、銃士隊がいる。次回の遠征も、必ず……」

 “蟲”達は概して、自分達の棲み処、即ち森を破壊しようとする人間を集中して襲おうと

する性質があった。これまでも多くの開拓民がその犠牲となり、その度に銃士隊がこれを討

伐──最終的には付近の森を、丸ごと焼き払うといった手段を採ってきたが、歳月を経れば

森は徐々に再生を始めてしまう。放っておけば、元の鬱蒼した地域に戻ってしまう。どれだ

け“鋼術”を梃子に開発を進めていっても、一旦“蟲”達の根付いた森は容易には禿山や更

地のままではいてくれない。

「ありがとね~。これからも、応援よろしくぅ」

「もし“苗巫女ドゥルイジ”と思しき女を見つけた場合、最寄りの詰め所や駐屯地に報告してくれると

助かる。悪は、元から断たなければ」

 だったら……その元凶を滅ぼす他ない。

 故に現在では、こうした“蟲”達や森を生み出せる“苗巫女ドゥルイジ”の一族は、激しい弾圧の対

象となっていた。こと“鋼術”や開発の恩恵を受ける人々は、こぞって彼女らを探し出し、

文字通り根絶やしを強く望むようになっていた。元々、開拓民の護衛官的な立ち位置でしか

なかった銃士隊達のことも、今ではイコール巫女や蟲を狩る職業だと認識している者が殆ど

だ。事実、そうした需要もあってか、各国の同隊は年々その政治的影響力を増しているとも

聞く。

(──そういうあんたら兵隊さんの飯を用意してるのも、俺達農民のお陰なんだがねえ)

 とある日、故郷から最寄りの石畳の街で、スティーブはそう内心後方から聞こえてくる住

民達の声に悪態を吐いていた。道向かいの大通りに、何処ぞの銃士隊の一団が帰還して来て

いるらしい。文言だけ聞けば実に物騒な──憎悪を剥き出しにした人々と馬上の彼らのやり

取りに、彼は正直言って辟易をしている。

「どうかしたかい? 難しい表情かおして」

「! ああ、いえ……。急に物々しくなったなと思いまして……」

「ああ、銃士隊の皆さんが帰ってきたからだよ。基地のあるような街じゃあ大体似たような

モンさね。鉄道やら鉱山で働いてる連中にとっちゃあ、彼らは必要不可欠な“英雄”様だか

らねえ」

 並行する露店区画の馴染みの店に、スティーブは自身の育てた野菜を降ろしていた。背後

からぶん投げて来られるような人々の歓声に、この女店主も多少思う所はあるのか気を遣っ

てくれる。

「英雄……ですか」

「まあ、血の気が多そうってのは間違ってないだろうけどねえ。実際、出迎えてる彼らの中

には、家族や親しい人間を“蟲”にられたって人間も少なくはないだろうから」

「……」

 店主の言いたいことも分かる。“蟲”達による開拓地の襲撃と、その人的被害の話などは

スティーブも人伝に聞いたことはあった。だが彼自身、そうした現代の最前線とは縁遠い田

舎暮らしをしているせいか、いまいちピンときていないのも事実だった。

 言葉少なく、故郷から引いてきた荷車の木箱から、一つまた一つと大玉の野菜を露店奥の

空きテーブルに並べる。ゴトンと、殺し殺されとは無関係の作物だけが、視界いっぱいに鎮

座してゆく。

「要は害獣みたいなものでしょう? 刺激するから襲われるんでは……?」

「しーっ! まあ、そうかもしれないけどねえ……。あんまり、街の中でそういうことは言

わない方がいいよ? あんたもまとめて“敵”認定されかねないから」

 数拍じっと考え込みながら納品をし、ぽつと呟くように投げ掛けた一言。スティーブのそ

れに、店主は思わず苦笑いを零しながらもそう暗に窘めてきた。人だかりの向こう、凱旋よ

ろしく去ってゆく銃士隊とその支持者達の人ごみへと一旦視線を遣ってから、彼女は再び繕

い直した笑顔で言う。

「あんたの所の野菜は、いつも美味くて新鮮だからねえ。うちとしては、そんなことで失い

たくはないんだよ」

「……ありがとうございます。誉め言葉として、受け取っておきます」



 納品を終えて空っぽになった荷車をロバに引かせ、スティーブは街を出た。その日の内に

来た道を戻っていた。

 元より自分は仕事の用事、育てた作物を降ろしに来ただけで、観光に来た訳じゃない。何

より呑気に長居し、宿を取るような金銭的余裕など持ち合わせていない。あんなギスギスし

た場所は好きじゃない……。

(“蟲”かあ。少なくとも俺は、今まで見たこともないし、知り合いがどうこうって経験も

ないからな……。そうでなければ、また違った考え方になるんだろうか……?)

 気持ち程度に舗装され、ゆるゆるとずっと先まで続く街道を進みながら、スティーブはぼ

んやりと考える。“蟲”だけに限らずとも、積み荷を狙う盗賊などに狙われるような可能性

だってある。今後は街に出掛ける際、護衛の一人や二人雇った方がいいのかもしれない。

(うん?)

 ちょうど、そんな時だったのだ。ロバのゆるゆるとした歩みに揺られ、つい意識が舟を漕

ぎそうになっていた次の瞬間、彼は視界の向こうに異変を見た。道の真ん中に、誰かがぐっ

たりと倒れている。ハッと我に返り、急いでロバを進ませた。一旦停めてから荷車を降り、

おっかなびっくりにこの行き倒れの主に近付く。

「だ、大丈夫ですか!? 何処かお怪我は……?」

 一人の若い女性だった。年格好はおそらく自身と近い。淡い金髪を肩ほどに切り揃え、薄

緑の刺繍が一部入った白いローブを着ている。

 そっと背中から上半身を持ち上げ、声を掛けてみたが、反応はなかった。気を失っている

のか、一向に目を覚ます様子が無い。口元や胸元に耳を近付けてみる。……辛うじて呼吸は

しているようだ。目立った外傷こそなかったが、そもそも全体的に汚れてくたびれている。

この衰弱ぶりでは、放っておくと命に関わる。

(どうする? また街に引き返すか……? いや、ここからならまだ村の方が近い。お婆に

診てもらおう。時間が無い)

 何処の誰かなどは分からなかった。それでも、このまま見なかったことにして立ち去れる

ほど、彼は非情にはなり切れなかった。

 暫しの躊躇い、戻るか進むかの逡巡。二択の内、スティーブは後者を採った。急ぎ、ぐっ

たりしたままの彼女を荷車まで運び込むと、そのまま再度ロバを全速力で走らせる。


「──んっ」

 それから数日。故郷の農村、スティーブの自宅のベッドで、件の女性はようやく目を覚ま

した。自分がまだ生きていること、見知らぬ場所で寝かされていたこと、全てに最初言葉少

なく驚いていたようだった。だがそれも次の瞬間、当のスティーブが外から戻ってきたこと

で事態は良くも悪くも進み始めることとなる。

「あっ、目が覚めたんだね? 良かった。何処か……まだ痛む所はない? 一応、お婆が一

通り手当てはしてくれた筈なんだけど……」

 十中八九、農作業をしていたのだろう。衣服はあちこちが泥で汚れ、鼻先にもそれらしい

黒ずみが付いている。こちらの姿を認めて、慌てて近付いて来ようとしたが──途中で気付

いて袖にゴシゴシ。「ちょっと待ってて」一旦外に出てすぐの井戸で手や顔を洗い、服の泥

もざっと落としてからまた戻って来た。その間も彼女はじっと、この自分を介抱してくれた

のだと思われる男性を不思議そうに、若干の警戒心も含めて見つめている。

「……貴方、は?」

「ああ。そうだった、名乗ってなかったね。僕はスティーブ。この村──の外れで暮らして

るただの農民だよ。君は何日か前、街へ商品を降ろしに行った帰りに見つけてね。とりあえ

ず村まで連れて帰ってきたんだ。あ、お婆ってのは、村に住んでる薬師のお婆ちゃん。君の

手当て諸々をしてくれたんだ。後で報せにも行かないと……」

 ニコニコ、わたわた。

 慣れない作り笑いを浮かべながらも、彼は必死で、次何をすればいいか? を頭の中で急

ぎ整理しているようだった。こっちを向いて語り掛けてきたり、ぶつぶつと実際に口にして

説明口調だったり。おそらく彼自身、眠ったままだった彼女のことを脇に置き過ぎて後回し

になっていたのだろう。

「そう……だったんですね。ありがとうございます」

「礼には及ばないよ。あんな道のど真ん中で倒れてたら、誰だってそうする。実際、君を助

けたのは俺っていうよりはお婆達だしね。君が寝ている間も、時々顔を出してくれてたし」

「……」

 暫くの間、二人の間に沈黙が横たわった。おそらくは、少なくとも彼女の側は遠慮や困惑

のそれが理由だったのだろう。おずおずと助けてくれた礼を述べはしたが、それでもちらち

らスティーブの方を見遣れど、次に何を口にすべきか迷っているようだった。彼は意識して

かしないでか、微笑わらった。まだ寝起きだから、病み上がりだから──とにかく優先すべきは、

彼女が再び元気になることだと。

「まあ、ゆっくり休んでるといいよ。まだ起きただけで、身体も本調子じゃないだろうし」

「……ああ。となると、何か精の付く食事がいいかなあ? だけど俺、栽培のそだてる方はやってて

も、調理つくるのはあんま上手くないし……」


 彼女の名前は、クラリネといった。曰く元住んでいた場所が襲われ、一人路頭に迷ってい

たらしい。

 スティーブ達村の面々は、そんな彼女を温かく迎え入れた。元を正せば彼の責任──持ち

込んだ種ではあったが、境遇が境遇だけに誰も無碍に追い出せなかったというのも大きい。

 実質村の主治医であるお婆と、何よりスティーブの献身的な看病により、やがて彼女はす

っかり元気になった。加えていつしか彼女は彼と共に、その生業である農家の仕事を手伝い

始めたのである。

『いいよ。そんな気を遣わなくても』

『だ、駄目ですっ! せ、せめて何かお役に立てないと……!』

 若い二人の男女。なし崩し的とはいえ、同じ屋根の下。

 彼らが次第に親密になってゆき、それが恋心となってゆくのに、事実時間は掛からなかっ

た。寧ろこうなったらいいなと、村の皆があれやこれやと裏で気を回してくれていたという

節すらある。

『……ま、あいつには、もうちっと幸せになって貰いたかったからなあ』

『偶然とはいえ、自分で嫁さんを引っ張ってきたんじゃ。儂らがやいのやいのと言う筋合い

なんてなかろ?』

 ただ──スティーブはその頃、一つの疑問にぶち当たっていた。他でもない彼女の事だ。

 確かに自分は成り行きからクラリネを助け、そのまま一緒に暮らすようになった。身寄り

のない辛さ、哀しみは自分もよく知っているから。だからこそ、独り路頭に迷ってしまった

と聞いた時、何とかしてあげられないかと思うようになった訳だが……。

「今年も作物の育ちは良好だな。これなら街の市場に卸しても、十分な収入になるだろう」

「ふふっ。そうですね……。なら良かった……」

 今は亡き両親から受け継いだ、村の中でも外れに位置する畑と我が家で、彼は豊作となっ

た野菜達を検めながら言う。にこりとクラリネも、すっかりこなれた作業着姿でその傍らに

立ち、健康的な汗に清々しく微笑んでいる。

「……でも、妙なんだよ。元々うちは、というかこの村自体、そこまで恵まれた土壌じゃあ

ない筈なんだ」

「へえ。そうなんですか?」

「なのに、ここ何年かはずっと豊作続きだ。解るかい? クラリネ。君が俺を手伝ってくれ

るようになってから、ずっとだ」

「──」

 彼女は、思わず押し黙っていた。スッとそう言いながら言葉を向けてきたスティーブを、

じっと見つめたまま緊張したように固まっている。その言いよう、次の言葉が何なのか、こ

の時点で既に勘付いてしまったかのように。

「君は──“苗巫女ドゥルイジ”なんだろう?」

「……っ」

 表情かおを歪めたクラリネ。回答こたえはそれだけで充分だった。スティーブもやはりといった様子

で静かに頷き、改めて掌の中で零れる作物達を見つめた。だがしかし、そこに彼女への“批

判”というようなものは無かったのだ。

「“苗巫女ドゥルイジ”は植物の生育を促せる。何もない所から森を作れるぐらいだ。畑一つ、小さな

村一つなら十分可能なんだろう。最初、元住んでいた場所というのも、隠れ里とかそういう

ものだったんじゃないかな?」

「……はい」

 到底隠し切れないと悟ったのだろう。彼女が自身の正体を認めるのは早かった。或いは、

せめて先延ばしにせず、今の関係をスッパリ終わらせた方が良いと考えたのか。

「ごめん、なさい。騙すつもりはなかったんです。ただ、貴方や村の皆さんがあまりにも良

くしてくれるものだから……。何か、恩返しができないかって思って、それで……」

「うん。分かってるよ?」

「えっ?」

「あ~、えっと……。勘違いしないで欲しいんだけど、俺は別に君が巫女の血を引いてるか

らって、村を追い出そうとかそんなの考えてないから。というより、最初からそうなんじゃ

ないかってのは、気付いてたしね」

「!? ど、どういうことですか? 最初からって、私──」

「“苗巫女ドゥルイジ”は、其処にいるだけで草木が生えるんだろう? 憶えてないかい? 君を村ま

で運んできた時の荷車……あれ、村に着いた時には草や花でいっぱいになってたんだ。勿論、

すぐに綺麗に取り除いておいたけど。古くても、まだまだ現役な商売道具の一つだからね」

「あっ……」

 泣き出しそうなその眼は、絶望から嬉し涙のそれへ。

 スティーブは必死になって弁明しようとするクラリネに、直後慌てていつもの苦笑いを零

すと言い直した。加えて自身、とうに彼女の正体に勘付いていたことも。その上で、皆と共

に村へ受け入れたことも。

「……まあ、世間一般? 街の方じゃあ、君達みたいな一族は随分目の仇にされているよう

だけど。でも、この辺りは元々森や山に囲まれた田舎だ。開拓云々なんて縁遠いし、“蟲”

の被害なんてのも聞いたことがない。俺達はただ、安定して今までの生活を送れればそれで

いいんだよ。無理に背伸びをして、この景色を壊さなきゃならないなんてことは、ない」

 何より──スティーブは言った。君は今まで一度も、“苗巫女ドゥルイジ”の力とやらを、悪用なん

てしたことは無いじゃないか。寧ろ俺達の援けになろうと使ってくれていたんじゃないか。

「あ……」

 じわりと、クラリネの涙腺がまた緩む。やっと自分の心配が、杞憂だったと理解する。

「それだけで、君はもう、間違いなく信頼できる。俺の大事な……女性かぞくだ」

「──っ!」

 少なくとも、スティーブ本人にとっては、何か企みがあって述べた言葉ではなかったのだ

ろう。ただそれが一部始終をこっそりと覗いてみていた村人達、何より当のクラリネ自身には

“そう”としか聞こえなかったのは言うまでもなくて。

「おうよ! よく言った! うちの村にとっても大恩人の嬢ちゃんを、今更追い出すなんて

外道のするこった!」

「いや~、めでたいめでたい! いい加減はよくっ付けと思ってたが、とうとうお前も勇気

を出したかあ。ま、俺には分かってたがな?」

「え、えっと……?」

「ふむ。めでたきことは良いことよ。ただクラリネ、村の者以外には自身のそれはやはり口

外せん方が良いじゃろうなあ。どれだけ儂らが今の暮らしに満足しておっても、“鋼術”の

連中はお構いなしにあちこちを禿山にしてきよる。奴らに見つかれば、矛先を向けられるの

は避けられんじゃろうて」

「……そう、ですね」

 二人の目線からすれば、何だか急に村人達が湧いてきた。妙にお祭りムードでスティーブ

を胴上げし出すかと思えば、しずしずと進み出てきた村長がそう、クラリネに改めて現実的

な助言を加える。

 自分が実質プロポーズをした──皆の歓迎、態度でようやく気付いたスティーブは顔を真

っ赤にして慌ててていたが、対する当のクラリネは満更でもない様子。頬を赤らめてもじも

じと指先を絡め、村長やお婆、村の皆からの祝福も素直に受け取っている。ぐしっ。時折零

れる涙を、袖で拭っては微笑んでいる。

「アタシの見立てからすれば、“蟲”も“苗巫女ドゥルイジ”も、連中が見境なしに森を切り拓こうと

するから現れるようになったとは思うんだがの……。少なくともアタシが子供の頃は、そん

な者らが出たなど聞いたこともなかった。それこそここ二・三十年──例の“鋼術”やら開

拓が、あちこちに広まってからの出来事だと記憶しとる」

「そうなんですか?」

「うむ。儂もお婆と同意見じゃな。少なくとも儂らの世代ですら、そんな化け物の話は聞か

されてはこなんだ。もしかすると、昔からいるにはいたのかもしれんが……」

「どうかねえ? ならうちのみたいな田舎ほど、真っ先に“蟲”達に襲われていそうなモン

だが、実際は逆。街の人間ばかりとも聞く。……思うに、もしかすると“蟲”達は、自分達

を生んだ“苗巫女ドゥルイジ”の領域には立ち入らないといった掟でも持っているのやもしれん」

 真実のほどは判らない。ただ現実として、国は“苗巫女ドゥルイジ”を“蟲”達を生む元凶と見做し

ている状況があるだけだ。用心し、悪目立ちしないに越したことはないのだろう。「豊作の

テコ入れも、程々にな?」村長からのそんなやんわりとした一言に、彼女は若干目を丸くし

てコクコクと頷いていた。存外、既に怪しむ声は村の外からあったのかもしれない。


 ***


『ママ~! また私だけ仲間外れにされた~!』

 幼い頃の記憶、母はいつも私を包み込んでくれた。いつだって巫女の力を気味悪がられ、

除け者にされて帰ってきた私を、よしよしと宥めて語ってくれた。私のどうして? に対し

て、こちらを一方的に擁護するでもなく、相手の子達を一方的に悪にするでもなく。

『あらあら……。そうねえ、やっぱり自分に持っていないものを持っていると、人は怖くな

っちゃうものねえ。でも貴女の持っているそれは、私も持ってる。ママのママ、そのまた前

のママからずっとずっと。貴女に繋がる今まで……』

『??』

 当時から何となく、自分の血筋が“普通”とは違うことはぼんやりと把握はしていた。尤

もそれが、文字通りの迫害レベルの扱いだったなんてのは、もっと未来に故郷を銃士隊達に

焼かれてからようやく理解したきづいたことなのだけど。

『クラリネ』

『うん?』

『私達は、埋もれた歴史の上に生きてるの。何度も何度も繰り返して、その度に灰の中から

生き延びた人達が手を取り合って。……それでも、時間が経てば人は忘れてしまうわ。だか

らきっと、神様は私達にこの力を授けてくださった。もしまた皆が誤った道に進み始めたな

ら、今度こそ止めてって。ゆっくりと再生はしてゆくことはできても、その時その時に失わ

れた命までは戻らないんだからって』

『……ママぁ、むずかしくてよくわかんないよう』

『いいのよ。クラリネ。今はまだ。だからね? 愛する人を見つけなさい。いつか何処かで

出会える、貴女がずっと一緒にいたいと思える人と、家族になるの。命を宿して、育んで、

私達を次の世代へと繋ぐの──』


「パパ~!」

 畑から戻ってくると、家のすぐ前で娘が待っていた。こちらが農作業で泥まみれになって

いるのにも拘らず、満面の笑みでそう呼び掛け、駆け出して来て……。スティーブは一瞬迷

ったが、その無邪気さには勝てない。つい条件反射気味に、この愛娘からの飛び込みハグを

受け止める。

「こ~ら、ティララ。パパの泥んこと一緒になっちゃうでしょ? ちゃんと着替えた後にし

なさい?」

「え~。でも私好きだよ? 土の匂い。泥んこでも、パパと一緒だし」

「……もう」

 出会ってから一体、どれだけの歳月が経っただろう。スティーブとクラリネは、村人達の

後押しもあって結局夫婦となった。今や愛娘・ティララを儲け、幸せいっぱいの日々を送っ

ている。

「あはは……」

 これも母は強し、という奴だろうか? 彼女が生まれ、且つ自分にベッタリになってきて

からは、クラリネもすっかり母親としての振る舞いが板に付いてきた。単純に嫉妬のような

気もしなくもないが……。スティーブは娘を抱き留めたまま、苦笑いを浮かべる。まあ実際

泥汚れを、この子に擦り付けたい訳でもない。

「ほらほら。一旦離れて? 手も顔も洗ったら、お昼にしましょう? あなたもお疲れ様。

もう少し休み休みでいいのよ?」

「ありがとう。だがまあ、キリのいい所までは進めておきたくてさ? 昔みたいに、そこま

で君の力に頼りっ放しにする訳にもいかないのだし」

「そうだけど……。頼っては欲しい、かな?」

 ほ~ら。右側と左側、父と母で手一つずつを繋ぎながら、愛娘ティララの身体を軽く宙に持ち上げ

る。きゃっきゃ! と楽しげに笑う彼女を見て、スティーブもクラリネも頬を緩ませていた。

家の前、畑へと延びる道を往きながら、家族三人して中へと入る。

『──』

 浮いては着き、着いては浮き。

 そんな愛娘かのじょの足元に、ふわりと小さな芽の幻達が、生まれては消えてゆく。

                                      (了)

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