(3) ARMORED!
【お題】正義、最弱、太陽
甲獣。それは今から半世紀ほど前に発見された、従来の生物の常識とは異なる生命体の総
称である。彼らは既存の生物と、一見似たような姿形をしている場合が多いが、その内部構
成は明らかに物理的ではない──自らの意思で霧のように“霊体化”し、他者に憑依する能
力を有している。
当時の人類は、そんな得意な力に目を付け、この不思議な生き物を利用する術を編み出し
ていった。霊装術。やがてそう呼ばれることになる技術、甲獣と契約を結び異能の装甲を纏
う能力者達は、今や社会の様々なシーンで活躍。或いは暗躍している……。
「──で、あるからして。霊装とは本来、誰か特定のものという訳ではないのです。善意で
振るえば他人びとの援けとなりますし、悪意をもってすれば文字通り、世の災いとなること
は明白です。当学科の性質上、皆さんは使えて当たり前と錯覚しがちですが」
そこは全国に幾つかある、能力者の──霊装術の使い手を育成する為の学科を持つ高校だ
った。実技授業に際し、生徒達は各々の甲獣と共に校庭に出ている。庭内は通常のそれとは
違って明らかに広大に造られており、自然物や人工物、様々な障害物が配置されたエリアや
いわゆる決闘用の石舞台など、用途に応じて使い分けが可能だ。
「二年生となり、中には準免許を取得した方も一部おられます。ですが今この時期に改めて、
その力に伴う責任を忘れないように。これから先、皆さんが善良な能力であり続けること
は、巡り巡って後に続く者達を含めた全体の利益となる筈です」
尤も授業に先だって、年配の担当教師が垂れる講釈を、多くの生徒達は軽く聞き流す程度
にしか耳を傾けていなかったらしい。ぱらぱらと彼女の方々に散開して立ち、早く霊装を使
わせてくれとウズウズしているように見える。
「その善良な能力者になるのに、そうじゃない奴を取り締まるのが一番大きな仕事でしょ?
だったらもっと俺達は強くならなきゃあ」
「そうッスよ~、先生~。早く戦らせてくださいって」
「授業の時間だって限りがあるんですから~」
「……。いいでしょう」
彼らを受け持つ、年配の女性教師。彼女はそう、一部ニヤニヤとして自信を覗かせている
男子を一瞥し、あまり多くを語らずに話を切り上げた。さも言っても無駄か──今はまだ解
らないし、解ろうともしないのだろうと呑み込んだような節。他の穏健な生徒達の少なから
ずが何となく感じ取ってはいた。特にその内の一人、要は内心、まるで自分が冷めた目で見
られているような気がして冷や冷やとする。
(今の話の流れで、よくそんなこと言えるなあ……。先生達は間違いなく、いざかち合って
みれば僕らより強いだろうに……)
ただ、そんな間にも切り上がった話から状況は進み、彼女は腕に下げていた鞄から一本の
大きな筒を取り出した。神社などのおみくじでよく見る、黒い多角柱型のそれだ。実技訓練
の始まりの前に、彼女は皆にガラガラと軽く鳴らしてみせつつ言う。
「では皆さん。ここから一本ずつくじを引いてください。先端に白か黒か、どちらかの色が
塗ってありますので、組み分けをします。今日のメニューは能力犯罪者の追跡──如何なる
環境であろうともこれを確保する、逮捕術の訓練となります。白を引いた人は追う側、正規
の霊装士役を。黒を引いた人は追われる側、逃亡する犯罪者役をお願いします」
は~い!
言われて生徒達は、一斉に彼女の下へ集まっていった。一応の順番に並んでおみくじの筒
に手を伸ばし、恐る恐るなりえいやと穴からスライドしてきた棒を取る。
「よっし……! 俺白!」
「うへえ。黒かあ」
「なるほどねえ。だから今日は、D号訓練場だった訳だ」
「倒木や瓦礫、障害物がたくさんある中で、どう相手を追い詰めるか……だな」
流石に全員で一気にやり始めると混戦し過ぎるので、訓練はある程度第何波かに分かれて
の実施となる。要も自分の順番が回ってきて、おずおずと筒の前に立った。祈るのように瞬
間ぎゅっと目を瞑って、引き抜く。
(敵役は嫌だ……敵役は嫌だ……!)
が、現実は非情である。ゆっくりと再び目を開いた彼の手元に収まっていたのは、紛れも
なく黒いおみくじ棒。ぷるぷると小刻みに全身を震わせ、ままならぬくじ運にしょんぼり。
肩にはちょこんと、全身焦げ茶色のずんぐりむっくりな小鳥型の甲獣──彼の相棒たるヴィ
ヴィが、慰めるように頬へと擦り寄ってきている。
「カ~メ~」
「っ!? か、鎌田!?」
「ほう……お前は黒か。奇遇だな。俺は、白なんだ」
すると、まるでそんな結果を待っていたかのように、見知った同級生の一人が目を光らせ
るようにして近寄ってくる。子どもの背丈ほどもあるカマキリ型の甲獣・ザザンと契約して
いる霊装士・鎌田だ。先ほど担当教師が語っていた、準免許を取得することに成功した生徒
の一人である。
ぱくぱく。彼が見せつけてきた白いおみくじ棒と、その“獲物を狙う”ような笑みに、要
は何度も声なく口を開け閉めする。大義名分、もとい配役に何も齟齬は無いのだから、彼は
存分にこちらを追いかけ回すことができる訳で……。
「ひ──あああぁぁぁぁぁぁーッ!!」
「おらおらおらァ! 待ちやがれ、カメぇぇぇ!」
結果、待っていたのはほぼ一方的な鬼ごっこ。霊体化したザザンを纏い、二刀の曲剣使い
となった鎌田は、訓練場内に配置された障害物をことごとく斬り裂きながら要を追いかけ回
していった。要もヴィヴィと、全身焦げ茶色の岩の身体のような霊装を纏って追われ役をや
るが、傍から見れば最早訓練などではない。明らかに鎌田の、彼に対する苛め・嫌がらせの
類である。
「……あ~あ。鎌田の奴、またやってるよ」
「日野も災難だよなあ。よりにもよって、あの戦闘狂に目ぇ付けられちまって」
周りも周りで、既にこうした光景は日常茶飯事のレベルにまで達しているらしく、早々に
外野モード。自分達は自分達で、振り分けられた組と役割の中で訓練をこなしている。
ハリネズミのように全身から雷を迸らせる者、左腕の蛇から炎を放射する者。全身がゴム
のように、自在に伸び縮みする者から半人半馬態の槍使いまで。それぞれが霊装を纏った際
の姿や発揮できる能力は様々だ。特に鎌田は、その中でも攻撃偏重──収納スペースを兼ね
ている全身のパーツから、無尽蔵に剣を取り出すことができるといったものだった。
そんな彼が、何故要といういち同級生をここまで目の敵にしているかには、理由がある。
「ひっ!?」
「もらったあ!」
配置された障害物も何のその。鎌田は、自身の進路上を邪魔するそれらをことごとく怒涛
の斬撃で吹き飛ばすと、必死こいてこれらに隠れながら距離を置こうとしていた要を捉えて
いた。捉えた……筈だった。
しかし待っていたのは、要のヴィヴィを纏った姿──岩の身体のような霊装によっていと
も容易く弾かれてしまう刃。ひいては相手のあまりの硬さに、刃の方が先に刃こぼれし、或
いは刀身が真っ二つに折れてしまうという結果だったのだ。
「くっ……! またか、また斬れねえのか。俺の剣を、お前はまた防ぎやがるのか!」
「そ、そんなこと言われても……。ただ、能力的な相性としか……」
「うるせえ! この俺が、ただ“硬いだけ”のお前に後れを取ることが許せねえって言って
るんだよ! 霊装科にいながら、碌に戦いもせずに最下位のお前に……!」
入学以来、要が彼に目の仇にされ続けていた理由がこれだった。片や攻撃偏重、片や防御
偏重。なまじ二年になる前の長期休み中、準免許も取得した優秀な卵である鎌田にとって、
尚も自分の刃が通らない要及びヴィヴィという存在は目の上のたんこぶであったのだ。尤も、
当の要ら自身に何かしら悪意がある訳ではない。
「……争いごとは、好きじゃないから」
「それが気に入らねえってんだよ! 戦ってこその霊装士だろうが!」
特に致命的なのは、そのお互いの価値観の差だった。事実今日の霊装術は、これを悪用す
る者達を取り締まる為に振るわれることが多い。契約甲獣や資質に恵まれた若者が、霊装科
への進学を経てプロを目指すルートが“花形”とされているのは、時代の要請でもあるのだ
ろう。
しかし、こと要は違った。周りの上昇志向に満ちた同級生らとは違って、ヴィヴィを纏う
ことはできても、荒事は基本的に苦手。普段の成績を決める模擬戦トーナメントでも、高い
防御力で耐えるだけ耐え、最終的には霊力切れ──霊装を維持できなくなっての失格扱いと
いう負け方が殆どだった。
それが鎌田には、自身の価値観と相入れずに気に食わないらしい。だからか事ある毎に勝
負を持ち掛けてきては、己の剣を証明する手段としてこの防御を打ち砕くことを目標として
いる。
(嗚呼、どうすりゃあいいのかなあ……)
言われていることは分かる。カリキュラム上も、戦闘能力は霊装士の力量を図る大きな指
標だ。寧ろ世間一般的にも、霊装士イコール対悪用者戦力と見られていると言ってほぼ差し
支えない。
それでも尚、要は内心納得はできずにいた。相棒・ヴィヴィの嘴や羽先を模したような突
起が所々にある霊装姿、焦げ茶色の岩のような身体。自分はただ彼と一緒にいたい。一緒に
いても良い免許を貰いたい……。
「この、軟弱モン──」
だがちょうど、その時だったのだ。例の如く今回も苛立ちが頂点に達し、大きく曲剣を振
り降ろそうとした鎌田と要の間を、猛スピードの冷気が遮るように通り過ぎていった。急激
な温度の低下で、茨のような氷柱がずらりと走っている。眉間に寄せた皺と、ハッとなって
振り向いた視線。そんな第三者からの一撃の主を、鎌田と要はそれぞれの面持ちで迎える。
「……鎌田君、今は授業中よ。私情で暴れ回るのは感心しないわ。先生も仰っていたでしょ
う? 貴方のそれは、霊装士全体の品位にも関わる」
青白い毛皮のコートのような、美麗なデザインの霊装。
そんな冷気の異能をを纏うのは、同じくクールな眼差しをこちらに向けてくる一人の女子
生徒だった。パキパキと、まだ少し放たれた氷の余韻をかざした掌に残しながら、他の生徒
や追いかけてきた担当教師らと共に近付いてくる。
「怜子!」
「チッ……。分かったよ。今日のところはこれぐらいにしてしといてやらあ。同じ免許持ち
のお前とまで、事を構えるつもりはねえよ」
ぱあっと、要は安堵したように苦笑いを零していた。一方で鎌田は、あからさまに舌打ち
をして霊装を解除しつつ、元の姿に戻ったザザンと共に訓練場の外周へと消えてゆく。
「ありがとう、怜子。さっきは助かったよ」
授業が終わり、先生にも少しお説教を食らってからのこと。要はヴィヴィを肩に乗せた格
好で校舎に戻ってゆこうとする彼女・怜子に声を掛けると、そう改めて礼を述べた。ついっ
と、されど当の呼び止められた本人は、至極淡々とした佇まいを貫いている。
「──気安く呼ばないで。貴方も、自分の置かれている立場ぐらいちゃんと認識したら?」
「ご、ごめん。認識は……しているつもりなんだけどね。その、やっぱり僕は、皆とは動機
やら何やらが全然違うらしいから……」
要と彼女とは、元々家が近所の幼馴染だった。しかし現在の学科に入学する前後、共に甲
獣を連れるようになってからは随分と疎遠になっている──気付けば避けられるようになっ
てしまっていた。
要はいつものように苦笑いを繕って誤魔化したが、やはり視線が刺さる感じは否めない。
纏っていた青白い毛皮のコート状の霊装を解き、怜子は数拍じっとこちらを見遣っていた。
元の姿に戻った彼女の相棒、大きな白狼型の甲獣・フブキは、対照的に長い付き合いである
要やヴィヴィをすんすんと嗅いで近寄ってくる。ごろごろと、こちらがその喉元の体毛を撫
でてやっても、嫌な表情一つしない。
「……ヴィヴィと一緒にいても許されるように、だっけ?」
「うん。全員が全員じゃないけど、甲獣を連れてるってだけで怖がったり偏見を持つ人もい
なくはないからさ」
要の動機は、ただそこだけだった。幼い頃、雨の中弱って倒れていた雛鳥だったヴィヴィ
を拾い、以来ずっと一緒に育ってきた家族のような存在。そんな彼が、ただ甲獣だというだ
けで肩身の狭い思いをさせたくはなかった──誰かに無理やり引き離されてしまうのではな
いかと怖かった。それも霊装士免許があれば、合法的に守ることができる。
「理由は分かる……けど。でもやっぱり、要は変。免許の制度だって、別にペットみたいに
連れることを想定して作られたものじゃないんだし」
「そう、だね。偉い人達的には、霊装士として、悪い奴らの取り締まりに加わって欲しいん
だろうけど……」
ただ怜子の言う通り、要も自分がそういった制度の穴、イレギュラーに収まろうとしてい
ることに対して自覚はあった。現実問題、霊装科に進んだ人間が全員プロになれるという訳
ではない──寧ろ脱落する者が相当数いるとはいえ、端からその競争に加わろうとすらして
いない手合いは、異例と言われれば異例と言わざるを得ないだろう。
(力に伴う責任、か……)
要は先刻、実技の先生が話していた一節を思い出す。
自分とヴィヴィは防御力が高いだけで強くはない、彼女が言いたかったのは別にそういう
話ではないのだろう。概して霊装術というものが強力であるからこそ、使い手に高い倫理や
使命感を求めるというもの。暗に言えば、それらに合致しない人間は甲獣を従えるべきでは
ないと取ることもできる。
「……私は、ちゃんと義務は果たさなきゃって思ってる。この子も、それは解ってくれてい
るわ。だからこそ、今みたいな成績を残せてる」
要やヴィヴィにも懐くフブキに少しむっとしたのか、怜子も若干負けじとこの相棒をモフ
る。大きな身体をしていて、その性格は案外甘えん坊なのか、彼女が構ってくれれば構って
くれたでフブキは一層目を細めて喜んでいた。事実、彼の甲獣としての能力は非常に高いと
言って良いだろう。間違っても、自分達では敵わない……。要は心持ち眉根を下げて押し黙
る。「ヴ?」肩、いつもの定位置に乗っているヴィヴィが、そんな相棒の心境を悟ってか静
かに眼差しを向けている。
(昔はもっと、四人で遊んでたのになあ……)
距離ができ始めたのは、フブキが甲獣として優秀な個体だと明らかになってからだっただ
ろうか? 昔はもっと、明るく笑っていた子のような気がする。でもいつの間にか彼の主と
して、彼女は一人先に霊装士としての訓練を積み始めた。自分とはまた別の、もっと順当な
動機で。ずっと努力してきたことも要はよく知っている。
「……あんたも、ガツンと一回勝ってやれば良いのよ。そうすればあいつも、あれこれ難癖
付けて絡んでくることも減るでしょ」
じゃ。そうしている内に、彼女は立ち止まり続けている自分を周囲に見せるのが拙くなっ
てきたのか、短く最後に一言を据えると足早に立ち去っていった。白狼を連れ、一人歩くそ
の姿も画になっている。身内の贔屓目を差っ引いてもとても。
「──」
鎌田のことかな?
数拍反応するのが遅れたが、要は彼女の言わんとしたことを何となくだが理解していた。
実際一度ガッツリと戦ってみれば、相手の溜飲は下がるのかもしれない。ただまあ、こち
らの霊装の硬さに苛立っている面がある以上、それだけで満足してくれるかは正直怪しいと
ころだが。
「……お前達は別に、戦う為だけに生まれてきた訳じゃないのになあ」
「ヴゥ?」
やがて、ぽつりとそう一言。
要は自分の頬傍で小首を傾げる、この大切な相棒を指先で撫でてやりながら暫く立ち惚け
ていた。カリキュラムや世間のニューズのあれこれが、絶えず自分達を圧し出そう圧し出そ
うとしているような気がして。
そうして、何の気のない日々がどうにか送れるものだと思っていた。もう少しこちらがぐ
っと堪えて時間が経てば、極力多くの他人に迷惑を掛けず、角も立たずに済ませられるので
はないかと考えていた。
「──あら、要君にヴィヴィちゃん。おかえりなさい。今日も……お野菜いっとく?」
その日の放課後、独り近くの商店街を通っていた要は、顔馴染みの定食屋の女店主からそ
う声を掛けられていた。彼女を含め、この辺りの住民達は、二人に対して概ね友好的な態度
で接してくれる。彼女の場合、自身が営む食堂で出た食材の切れ端などを、ヴィヴィの餌と
して分けてくれるなどの助力をしてくれていた。
「あ、はい。いつもありがとうございます」
「ヴィ~♪」
「はいはい。ヴィヴィちゃんもたくさん食べてね?」
店の方から持って来てくれた、ビニール袋入りの野菜片を、彼女から与えて貰って上機嫌
なヴィヴィ。要の肩の上で暫く、彼はお気に入りのご飯タイムを楽しんでいた。そうしてい
るとその鳴き声を聞いてか、他の商店街の面々もちらほらと顔を出してくる。
「おう、カナ坊。今帰りか」
「最近はどうだ? 霊装科に進んでもう一年以上経つが、上手くやれてるか?」
「ええ、まあ。それなりに……。他の皆と比べると、どうしても後れてはしまいますけど」
「ま、お前の性格的になあ」
「正直、別にあそこに進まなくても、とは思ってたんだよ。学校にもよるだろうが、霊装科
って基本アレだろ? 甲獣を使ってとにかくドンパチやるっていう……」
「卵が先か鶏が先か、だとは思うけどねえ。悪い奴がいるから、こっちも相応の力を揃えな
きゃいけないっていうかさ……」
「本当、悪い奴らもいるモンだ。ヴィヴィとか、こんなにも可愛らしいのなあ」
「ヴィ~♪」
あーだこーだ。ヴィヴィを猫、もとい鳥可愛がりしながら、商店街の面々は誰からともな
く要の進んだ道について心配の弁を述べている。或いはすっかり霊装術イコール荒事ツール
となった、世の向きに対して嘆きを漏らす。
「……」
現在進行形で在籍中という立場上、要は相棒とは違ってあまり多くを語れなかった。露骨
に同調する態度を見せる訳にもいかなかった。
気持ちそのものは、寧ろ彼らと同じだ。特に甲獣と接点がない──大多数の市民からして
みれば、半世紀ほど前か何かに急に出てきたこれらと、その利用がずんずんと進められてき
た世相の方に眉根を寄せたくなるのだろう。実際、何か普段の暮らしの影響があるとするな
ら、そうした霊装術を悪用した犯罪のニュースなどなのだから。
「ああ、そういや。この前怜子ちゃんも見かけたな。以前お前が話してた、でっかい白い犬
みたいな奴を連れてた」
「フブキですね。僕がヴィヴィを拾ってから暫くした後、あいつが契約した甲獣です。とい
うか、霊体化させずに連れてたんです……?」
加えて、彼らから新たに話題にされるのは、要の幼馴染についての情報。
自分としては、かなり疎遠になってしまってはいたが……当然ながら、彼女も彼女でこの
街での日常がある。何も全く皆から居なかったことにされた訳ではない。
「要君だって、ヴィヴィちゃんをいつも肩に乗せてるでしょ?」
「僕の場合は、まだ小さいからですよ。フブキって、昔はともかく今はかなり大きくなって
いるので……」
「ほぉん? やっぱ甲獣も成長はするんだなあ。ん? でもそう考えると、ヴィヴィはあん
まり昔から変わってないような……?」
異変は、そんな折耳に入ってきた。
商店街のアーケードから外に出て、通りを挟んだ向かい側、某都市銀行の店舗が入ってい
る建物を、黒いポンチョ風の衣装を纏った男が襲っているのが見えたのだった。騒ぎの音や
声がこちらまで響いてきて、弾かれたように要達が幾歩駆け出して目を細める。無残にも破
壊された店内に、従業員と思しき人達が倒れているように見える。
「能力犯罪者……!?」
「おいおい、拙いぞ」
「だ、誰か通報を──」
「いや。もう誰か来てるぞ? あれは……霊装士達か?」
するとどうだろう。現場には既に、複数のプロ霊装士が駆け付けていたらしかった。各々
が呼び出した甲獣を霊体化させ、身に纏い、異能の装甲をもってこの襲撃犯を取り押さえよ
うと動く。
『──』
だがそんな攻勢を、相手の黒ポンチョの男は腕の一振りで丸々吹き飛ばしてみせたのだっ
た。遠巻きで要達にはよく判らなかったが、どうやら衝撃的な何かで霊装士達が返り討ちに
遭ったらしい。どうっと地面を転がり、それでも尚すぐさま体勢を立て直してこの犯人を包
囲する面々。
つまりやはりと言うべきか、この男の黒ポンチョそれ自体が彼の霊装であるようだ。
「これ……俺達一旦、引っ込んだ方が良いんじゃあ……?」
「ああ。後はプロや警察に任せて避難しよう。要君も巻き込まれたくは──」
「ん? なあ、あれって怜子ちゃんじゃないか? 大分白いモフモフになってるけど」
最初は、日々世の中の何処かで起きている事件がすぐ近くまで迫ってきた。その程度の認
識でしかなかった。
だというのに、要や商店街の面々は見つけてしまったのである。その犯人に対峙する現着
の霊装士達の中に、怜子や鎌田、顔見知りの準免許保持者が交ざっていたということを。
「怜子……?」
「ああ、そっか。学生でも準免許を取ってりゃあ、ああやって現場の補助とかはできるんだ
っけ」
「にしても、最前線過ぎるだろ……。本当に大丈夫か? 大方、学校帰りとかに情報が入っ
て飛んできたんだろうが……」
大丈夫な訳がないだろう。実際一度ああやってプロ共々吹き飛ばされたのに。
気付けば次の瞬間、要は駆け出していた。ヴィヴィを肩に乗せ、ハッと気付いた商店街の
面々が制止するのも間に合わないまま、彼は一目散に道向かいへと走る。「止せ!」「危な
いぞ!」皆の声よりもずっとずっと、最早その耳には前方の交戦音ばかりが響いている。
『──ぐぅっ!?』
相手は一人。白昼堂々と犯行に及ぶ、怖いもの知らずの馬鹿だと思っていた。
しかし現場へと駆け付けた霊装士達は、己の目測が謝っていたことに程なくして気付かさ
れていた。銀行を襲い、店内の金を強奪しようとしていた相手を取り囲んだ筈だったのに、
次の瞬間には逆に吹き飛ばされていた。防御する暇もなく、目に見えない何かによって強烈
に押し返されたのだ。二撃・三撃。こちらを追い払おうとする相手の攻勢で、激しく店舗が
中から弾け飛ぶ。近所の準免許も合流してきたのが被害をより大きくした。少なくとも数で
明らかに勝っていると思い込んでしまったからだ。
「うっ……あ……? 何だよ……。何も攻撃なんざ見えなかったぞ……?」
「衝撃波、かしらね。厄介ね。これじゃあ近付けない」
大なり小なりダメージを受けながらも、よろりと立ち上がる霊装士達。
その中には今回の事件発生の報を受け、召集された準免許が何人か交ざっている。鎌田や
怜子もそんなメンバーの内だった。しかし黒ポンチョからの反撃の正体がイマイチ掴めない
以上、迂闊な攻撃・確保に動こうとするのは悪手だろう。
「……最優先は、人質状態になっている行員達の救助だ。ああも面で攻撃できる能力持ちを
相手に、彼女らを放置したまま攻略するのは拙い」
「もっと回り込め! 片方にあいつを集中させるんだ!」
それでも彼らは立ち止まらず、即座に陣形を変化させてゆく。経験豊富な前衛系のプロが
囮役に走り、肉薄を試みて自分達側に攻撃を誘発させる。刀や大槌、止めなければこちらが
やられるといった具合に。
「邪魔を──!」
(今!)
ただ本命は、そちらはでない。一瞬でも黒ポンチョが彼らに注意を向けたその隙を突き、
地面に手を当てた怜子が猛スピードで冷気を這わす。ぐるんと大きめに迂回をさせながら、
相手の足元から凍らせて身動きを封じてしまおうという作戦だ。
「よしっ!」
『……』
だが、そんな再奇襲も束の間、彼らの干渉はまたしても不利を呼ぶ。怜子とフブキの能力
で文字通り氷漬けにされてしまった筈の黒ポンチョが、数拍してその封を自ら砕いて復活し
たのだった。振動──理解をして目を見張った時には既に遅し。再度視線を向けられた怜子
は、彼の大きく振るった腕、視えない攻撃に狙われ──。
「むぐっ!!」
「?! 要……!」
立っていた。いや、間一髪のところで飛び込んできた、霊体化したヴィヴィを纏いながら
岩の身体姿となった要に庇われ、その反撃は怜子に届くことはなかった。当の彼女本人や鎌
田、そして現着のプロ霊装士達が思わず目を丸くする。
「か、カメ、おまっ……! 何でこんなとこに居るんだよ!?」
「そ、そうだぞ! お前、準免許すら持ってないのに……!」
鎌田達顔見知りからの非難。ただ肝心の要の方は、そんな声に耳を傾けている余裕さえな
かった。割って入り、辛うじてこの幼馴染のピンチを救うことはできたものの、ダメージが
全く無い訳ではなかったからだ。
(い、一瞬、意識が飛びそうになった……。耳がキィンって。何なんだ、こいつ? 見た目
だけじゃあ正体が分からない)
尤も、この乱入者に対して面を食らっていたのは、犯人こと黒ポンチョも同じである。
彼は他の面々を吹き飛ばしていた筈の自身の攻撃で、何故か倒れないこの少年のことを怪
訝な眼差しで見つめていた。焦げ茶色の、全身岩のような霊装。他の奴らの口振りからして
も、霊装士の一人ではあるのだろうが、そもそも免許自体まだ得ていない素人……?
「……よく分からんが、頑丈な野郎だな。まあいい。ならてめえも、纏めて吹き飛ばしてや
るまでだ!」
ビュッと。
故に黒ポンチョは力押しに頼み、再び激しく腕を振り始めた。まだ立ち上がれていない怜
子を庇ったまま、霊装姿の要は一身にその見えない攻撃を受ける。
「要!!」
「馬鹿野郎、格好つけやがって……!」
「おい、止すんだ! 少年!」
「見習いの君が、渡っていい橋じゃないんだ! 退け、退けぇ!」
「──関係ないでしょ! 人が、怜子が、危ないんだから!」
皆は口々に叫んでいた。だがそれ以上に、今まで見たことの無い必死の形相で叫ぶ要の反
論に、面々は思わず黙らされてしまっていたのだった。その間も、むきになって連荘される
見えない攻撃──衝撃波らしきものに、彼の硬い防御力が晒されてゆく。
(……っ。今の内に)
(回り込め! 救助を進める!)
それでも即座に要の犠牲を呑み込み、自分達ではなく彼を囮にしながら店内へ潜入してい
ったのは、流石プロ根性というべきか。
本来の目的、強盗の成就を忘れ、とにかく目の前の癪に障るクソガキに攻撃を連打し続け
たことで、黒ポンチョのヴィランは大きく気付くのが遅れた。プロ達が店内で倒れていた行
員らを救出し、加えて怜子や鎌田らも体勢を立て直して再包囲の中に加わる。尚も倒れず、
ずっと防御の姿勢のまま立っていた要の──それでも全身にヒビなり軋みをきたした姿に暫
し見入ってハッと我に返り、彼は慌てて店舗の奥側を振り向いた。
「よくやった、少年」
「これでこいつの──化けの皮を剥がせるッ!」
回り込んでいたプロ達の一部が、救出と合わせて、彼の背後からの奇襲を仕掛けていたの
だった。数拍対応が遅れた黒ポンチョは、彼らの鋭い一撃を避け切れず、その衣を幾許か引
き裂かれる。ほつけた布から、手足と胴の霊装部分に備え付けられた、アンプのような機構
が見える。
「……ッ!?」
「なるほど、音か」
「外套部分は、攻撃の挙動を悟らせない為の覆いだったって訳だな」
種明かし。面々はようやく彼を押さえ込む糸口を見つけられたと思った。音を、空気を振
動させた衝撃を集束させるのだから、視えなくて当然だろう。
「──」
フッと、要も苦笑いを零す。彼もまた、何も無策のまま棒立ちを続けた訳ではないらしか
った。たとえ自分の実力が、戦闘能力が乏しくても、時間稼ぎくらいではできる。プロの皆
が何人もいるのなら、その間に攻略方法ぐらい考えついてはくれるかもしれない……。
「ざけんなよ……。ちょこっと甲獣を使って、まとまった金を掻っ攫うだけの予定だったん
だ。邪魔すんじゃ……ねぇッ!!」
しかしである。次の一手に雪崩れ込むよりも先に、今度はまた黒ポンチョが反撃に転じて
きたのだった。「!?」『ガッ──』いや、実際のところは逆ギレ以外の何物でもない。両
手と胸元のアンプが霊力の補助アームで可変したかと思うと、その放射範囲を三百六十度全
方位へと拡大。要を含めた対峙する全員を、大音響の衝撃で吹き飛ばしたのだった。
「ぅ……あ……」
「滅茶苦茶、やりやがって……」
今度こそ、どうっと方々で倒れ伏した面々。黒ポンチョのヴィランは、ようやくスッキリ
したと言わんばかりに深く息を吐き出し、改めて店内の金庫へ足を運んで行った。霊装の強
化された握力をそのままに、無理やり金属の塊を握り潰して破壊。中の金を鷲掴みにして出
てゆこうとする。
「──よ」
「あ?」
「待て、よ。勝手に、帰るんじゃ……ねえ」
だがちょうど、その時だった。不意に彼は誰かに腕を掴まれ、視線を下げた。ボロボロに
なって突っ伏していた筈の要が、半ば執念だけで男を阻み、呟いている。流石にしつこいな
と、このヴィランは露骨に舌打ちをして振り払おうとした。払おうとして……ようやく気が
付く。
(って、力強!? まだこいつ、これだけの力が? それに何か、じゅくじゅく熱く──)
はたしてこの時、どれだけの人物が彼の異変・豹変を目の当たりにしていただろう?
少なくとも全員ではなかった。数少なくこの要の抵抗を目撃していたのは、一部のプロ霊
装士と鎌田、そして怜子だけである。多くの面々は積み重なったダメージの末に、霊装の維
持すら強制解除されてしまっていた。フブキやザザン、甲獣達もそうした意味で目撃者の一
端を担っていた。
「怜子に、幼馴染に手を出したんだ……。このまま逃がす訳には……いかないんだよッ!」
カッ。まるでそう見開くように、スイッチが入るように要は叫んでいた。腕を突いて起き
上がろうとし、或いはその豹変ぶりに動揺したヴィランからの抵抗が伝わりながらも、彼は
その手を離さなかった。ミシミシと軋むような強い力と、その岩の指先から溢れ出す赤い熱
がこれを捉え始めていた。腕から肩へ、胸元から上下全身へ。これまでずっとただの岩の塊
のようでしかなかった彼の霊装が、砕ける。
「ぐぼッ──?!」
それは半ば、縋りつくような体勢から繰り出された左ブロー。黒ポンチョもといアンプを
纏ったヴィランの霊装を上からぶち抜く、高熱を帯びた一撃に他なからなかった。
本人は勿論、周りの面々が驚愕するほどに猛烈に吹き飛ばされた男。その常識外れの破壊
力。ずっとずっと大人しいとばかり思っていた少年の怒りに、闘争心に火が点いた時、彼ら
は遂に覚醒をみた。「ヴァァァァァーッ!!」霊装として一体化した、ヴィヴィもその本来
の姿を発現して叫んでいる。焦げ茶色の、ずんぐりむっくりの小鳥ではない。まるでそんな
古い殻から脱皮したような、鮮やかに燃え盛る火の鳥。灼熱を纏う三つ脚の鴉。
「……要」
ずるり。盛大に殴り飛ばしたヴィランを一応視界の向こうに捉えながら、彼は再び立ち上
がっていた。怜子が、殆ど絶句するように呟く。
そこにはもう、ただ“硬いだけの岩”など存在しない。中から現れたのは、輝く白金の鎧
と赤い双眸を宿す、唯一無二の太陽の能力で。
(了)




