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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-143.October 2024
214/285

(4) 災苑

【お題】才能、十字架、ヒロイン

「よし、このの名前はひかるだ! 私達にとっての……希望の光だ!」

 その日彼女は、とある街で開業医を営む父と、これを支える母との間に生まれました。母

親譲りの細目と若干ウェーブのかかった髪質。夫妻待望の第一子となる女の子です。出産後

落ち着いた病室で、彼は妻からそっと生まればかりの我が子を抱き渡されると、普段の柄に

もなく感動に震えた様子で叫びます。

「ふふっ。大袈裟なんだから……」

「光ちゃん、ですか。良い名前ですね。お二人の願いの通り、きっと素敵な女の子に育つと

思いますよ?」

 出産を終え、ベッドの上でそう苦笑いを浮かべる妻と、この日父娘おやこの対面に同席していた

看護師からのエール。

 その誕生は──祝福されたものの筈でした。されたものでなければなりませんでした。両

親も、周囲の人間も、当初は全く疑うことなど無かったのです。


「光ちゃん~、そろそろ教室に戻りましょ~?」

 幼少数年の頃から既に、彼女はその非凡さを──他の子供達との明らかな違いの片鱗を見

せ始めていました。両親の愛情を受けてすくすくと。一方で開業医という職業柄、比較的早

い段階から保育施設に預けられることの多かった彼女は、しばしば担当した保育士達にそう

した“異質さ”を目撃されてもいたのです。

「……」

 彼女は幼い頃から、とても大人しい性格でした。友達と一緒に外を駆け回るよりも、一人

でじっと本を読んでいる方が好みらしい女の子でした。或いはふと、目に留まった蟻達の行

進や梢の鳥、他人様が散歩させている犬などを延々観察しているような、強い知的好奇心の

持ち主でした。

 それは施設──こども園に預けられている間も変わりません。休み時間が終わり、他の子

供達が教室へと誘導されてゆく中、変わらずじっと蟻の営巣を屈み込んだまま見つめていま

す。保育士の女性が彼女の後ろ姿に気付き、ぶんぶんと手を振って声を掛けても、深く集中

しているのか微動だにしません。

「ひ~か~る~ちゃん?」

「!」

「教室、戻ろっか?」

「……うん」

 最初こそ、保育士らも勝手の違いに苦慮していましたが、いわゆる“変わり種の子供”な

ど今日はそこまで珍しくはありません。幸い、彼女自身は特に癇癪を起こすでもなく素直に

言うことを聞いてくれるため、しっかりと近くまで寄って丁寧に接してあげれば済む話でし

た。ちょっと他の子達と、興味や歩幅が違うだけ……。馴染みの保育士にようやく気付いた

彼女は、少し名残惜しそうにしながらも蟻の巣から離れてゆきました。そっと差し出された

掌をちょこんと握り、やはり物静かなまま一緒に教室へと消えてゆきます。

「──光の、友達付き合い?」

「ええ。前々から大人しい子だというのは分かっていたけど……園の先生からこっそり向こ

うでの様子を聞いてね? 友達と遊ぶより、一人でじっとしていることが多いらしいの。大

抵は何か、興味を引かれたものを観察しているようなんだけど……」

「勉強熱心で結構じゃないか。この前も遊びに来ていた子と一緒に出て行っていたし、全く

付き合わない訳じゃないんだろう? 人間、性格はそれぞれだ。光達みたいな子供だって例

外じゃない。私は寧ろ、将来有望と思うがね」

 そして両親も、時折娘の発揮し始めていた性質にはかねてより気付いてはいました。園へ

我が子を迎えに行った妻は、そう夫に相談めいた会話を投げたこともありましたが、彼はま

だ可愛さが勝っているのか深刻には捉えていません。寧ろ他の子達とは違う、知的な素質と

すら見做して歓迎さえしていたのです。

「この前だって、動物の図鑑をねだってきたろう? あれから暫く、家でも舐めるように読

み込んでいたようだし、根っからの勉強好きなのさ。そうした興味・関心が将来に繋がって

くれるなら、親としても一安心じゃないか」

「……そうねえ。そうだといいんだけど……」

 それは暗に、医者かぎょうを見据えてのことだったのかもしれません。

 母親は少し言い淀んだ様子を見せましたが、すぐにいつもの穏やかな佇まいに戻っていま

した。束の間の休憩、椅子に白衣を引っ掛けた空間に同居して、二人は何度目かになるこの

手の話題を切り上げます。


 事件は──それから二年と経たぬ内に起こりました。夫妻の間に産まれた二人目の子供、

彼女にとっては弟に当たる赤ん坊が、在宅中の不注意で急死してしまったのです。

 突然の出来事に一家は、近隣住民は騒然としました。特に目を離してしまったからだと、

自責の念に駆られる母親のそれは、傍から見ても悲痛な叫びそのものでした。

 もう一度。望まれて生まれた筈の子。

 小さな命が、ほんのちょっとした掛け違いで呆気なく死んでしまう事実。

「あ゛……あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!! ごめんね、ごめんね……てる。私が、私

がちゃんとみてあげられなかったから、こんな……こんな……!!」

「違う。お前が悪いんじゃない。私だって……同じだ。仕事が忙しいからと、結果お前に負

担が掛かり過ぎていた……」

 赤ん坊の葬儀の折、その後続いた失意の日々。酷く心が折れ、泣き腫らすようになってし

まった妻を、夫は幾度となく慰めていました。責任の一端は自分にもあると、さも己に言い

聞かせるようにして分け合おうとしました。

 医者は人の命を救う仕事。なのに、一番身近な筈の我が子すら守れずに何だ──直接そう

言っていた訳ではなかったのかもしれません。ただ折につけ、失ったものの大きさに打ちひ

しがれる両親の背中を、残されたかのじょは間違いなく見ていた筈です。

「……」

 少なくともそんな出来事が、彼女の“原風景”となったことには疑いようもありません。



 歳月は流れ、彼女は大学生となっていました。国内でも有数の医学部へと進み、奇しくも

両親と同じ道を選んだのです。

「──あ。あれって、永倉さんじゃない?」

「今日もクール、というかお高く止まってるわよねえ……」

「まあ実際、成績は毎年ぶっちぎりだし……。人付き合いが悪い以外、ほぼ完璧超人みたい

でしょ?」

「でもうちの男連中は、毎月ダース単位で玉砕してるって聞いたわよ? 本当にまあ……」

「……」

 ただ良くも悪くもマイペース且つ、親譲りの頭脳故に、この頃彼女はキャンパス内でも孤

立を深めていました。言ってしまえばやっかみや嫉妬です。

 なまじ当の本人がまるで意に介さない立ち振る舞いなため、日毎にそうした周りからの負

の感情──陰口はエスカレートしていっていました。尤も同級生らも認めざる得ない通り、

医学部生としてはすこぶる優秀であったため、学部や教授などからは寧ろ高い評価を受けて

いたのですが。


『……わたし、お医者さんになる。色んな病気の人をみたい。テル君の分も……』


 普段、真面目で勉強熱心でこそあった彼女が、ある時そう自らの胸の内を語った時、両親

は大層驚かされました。母は亡き息子の名に大粒の涙を零し、父は感涙で男泣きした後、そ

の夢を全力で後押しすると約束して。

 ずっとずっと、彼女は両親の仕事に憧れていたのでしょう。子供の眼からみれば、まるで

魔法のように調子の悪い人達を治す医者という仕事。生来の知的好奇心の強さは、かつて失

った弟の存在と共に、そのメカニズムないし技術へと向けられたのです。

 以来それまでの蓄積と猛勉強の末、彼女は国内有数の医学部への進学を果たしました。在

学中も実習を始め、その学びに衰えは見られず、寧ろ年々熱心になってゆくように見えたと

当時を知る者達は語ります。立ち振る舞い、性格こそ物静かではあるものの、内に秘めたる

使命感は全くの真逆──燃え盛って止むことを知らぬようだと。

 そして卒業後、彼女は駆け出しの研修医から始まり様々な現場を転々。ただ只管に技術を

磨き、貪欲に最先端の知識を吸収し、腕利きの女医としての実績を積み重ねて行きました。

その名声に、加えて美貌に、多くの病院が彼女を引き抜こうとアプローチを掛けてきました

が、結局当の本人は何処か一ヶ所に留まることはありませんでした。

 あくまで目的は、迷える患者を救う為。

 難病に喘ぐ患者がいると聞けばたとえ単身でも飛んでゆき、画期的な新薬の研究が形にな

ったと聞けば、世界の何処であろうとアポを取る──。人は彼女を、まさに理想の“名医”

だと信じて止みませんでした。喧伝して止まなかったのです。



「──おはようございます、皆さん」

「おはようございます。先生」

「おはよう~、光センセ!」

「ほほほ。今日もありがたや、ありがたや……」

 そんな彼女が、終の場所として開いたのは、奇しくも故郷に程近い地方の山里でした。

 時期はちょうど、自らの道を後押ししてくれた両親が亡くなった──送り終えてから暫し

後のこと。それまで散々、やれ腕利きの美人女医だの、現代の聖女だのと持て囃されて正直

嫌気が差していたのかもしれません。その半生を文字通り、全て医療に捧げた時の人は、都

会の喧騒を離れて残りの夢を見続けることを選んだのです。即ち件の山奥に、自身のこれま

で築き上げてきた私財を投じた医院を。特に難病に苦しむ患者や、身寄りがいなかったり遠

方過ぎる人々を集中して受け容れる、住居型の施設ホスピスを。

 決して規模こそ大きいとは言えずとも、入居した患者達は日々を穏やかに過ごすことがで

きました。基本的には彼女が自ら、一人一人迎え入れた彼らの診察や治療を行い、中にはそ

れまで完治すら叶わなかった患者も健康を取り戻す──卒業してゆくといったケースまで出

るようになりました。1年365日、ほぼ休みなしで自分達に向き合ってくれる彼女を、入

居した患者達は老若男女問わず慕っていました。幼少期、学生期。医師として独り立ちして

から何十年と歳月が流れていましたが、彼女は今日も今日とて白衣に袖を通すと、施設内の

皆々に挨拶して回ります。

「……はあ。やっぱ良い人だなあ、永倉先生」

「べっぴんさんだしな。あれで結局結婚とかしたことないって話だろ?」

「それだけ仕事一筋だったんだろう。それか、あんまりに完璧過ぎて隣に立っていられる男

がいなかったか」

「違いねえ!」

 入院服姿の中年男性と、まだ少し若い青年が、それぞれロビーの一角で通り過ぎて行った

彼女について話していました。本人もすっかり中高年──言ってしまえば婚期というものは

逃してしまったタイプではありましたが、それはそれで野郎どもの評価アップには一役買っ

ていたようです。尤も、そんな下世話に興じられるほど容態が安定している患者は全体の半

分も居れば良い程で、多くはそれぞれの個室で今も病と闘い続けているのです。


『──崇史、崇史かい?』

「おう。どうしたんだよ、お袋? こんな夜遅くに……?」

 ですがそんな終の棲家の真実を、とある人物が伝えようと試みていました。持病のため、

同居しての介護が難しいと判断された息子夫婦の下へ、一人の老婆が個室ベッドで毛布を

被りながら電話を掛けています。息子はスマホの画面に映った母の名に、思わず眉を顰めて

いました。

 普段から帰りが遅いもので、繋がったはいいものの。確か、とっくに日付が変わっている

こんな真夜中ならば、施設内はガッツリ消灯時間になっている筈……。

『出してくれよ。ここから、出しておくれよ。あたしの病気はいい。ここに居たんじゃあ、

養生も何もないんだ。楽に死ぬことすらできないんだ……!』

「ああ? お袋、滅多なこと言わないでくれ……。そりゃあお袋の脳味噌は、他の医者に匙

を投げられるぐらい、酷くなっちまってるけどよ……」

『そうじゃないんだよ!』

 実の母親からの、そんなともすれば自暴自棄と聞こえる台詞。

 息子は困ったように、嗚呼またかと宥めるように応じていましたが、徐々に彼女の訴えが

尋常ではないことに気付かされます。まるで病状云々ではなく、自分達が預けた場所──永

倉先生の施設ホスピスそれ自体を非難しているような……?

『あの女は、医者なんかじゃない! 医者の皮を被った化け物だよ! あたしは知ってるん

だ! あの女は、あたし達の身体を弄んでる! 散々苦しむように、壊れてゆくように弄り

回して、その様子を愉しんでるのさ! ただなまじ腕自体は良いモンだから、ある程度愉し

んだら本当に“治し”て退院させちまう。そうならずに“お迎え”が来たって奴になること

も少なくないんだろうがね……』

 ヒソヒソ。ベッドの上で毛布に包まり、灯りの消えた病室内でこの年老いた母親は少なか

らず興奮気味に訴えていました。自分をここから出してくれと息子に懇願していました。

 ただ……当の彼は、全くそんな言葉を信じなかったのです。必死になって叫びを隠しなが

ら、わざわざ夜中に電話まで掛けてくる耄碌した母に、寧ろ呆れた様子で嘆息を一つ。改め

てあり得ないと結論付けて宥めようとします。

「お袋。永倉先生はいい先生だ。先代の頃から俺達もお世話になってる。学生の頃から、あ

の人は優秀だったんだぜ?」

『知ってるよ! だからじゃないか。あたしは見てたんだ! あの子が小さい頃、弟ちゃん

が亡くなった時も涙一つ流してなかった。親御さんはわんわん泣いてたのに! ……もしか

したらあの時も、あの子が自分で──』

「わざわざ街での地位や名誉を捨ててまで、こっちに戻って来てくれたんだ。そんなことを

言うモンじゃない。……一旦寝ちまえば、妄想も落ち着くから。とにかく今夜は寝な?」

『違う! 本当なんだよ、信じてくれよ! 崇史、あの女は本物の──』

「はいはい。お休み」

 プツン。このまま聞いていれば、また例の如く妄想を延々と垂れ流し続けると判り切って

いたため、彼は半ば強引に通話を終わらせていました。電話の向こうで母がまだ話そうとし

ていた気配こそ聞こえてはいましたが、こっちだって眠い。疲れてる……。しんと静かにな

った夜中の台所で、彼は一人ふうと気怠い深呼吸をします。


「──轟さん? 駄目じゃないですか。こんな時間まで起きていちゃあ」

「ッ!?」

「もうとっくに、消灯時間は過ぎてますよ? いけませんねえ……。そんなこと、したら」

 まさか電話が切られる寸前、当の母がいつの間にかベッドの傍に立っていた彼女に見つか

り、その一見穏やかな線目で昏い圧を加えられていたとは知らずに。


「……あら? あなた、まだ起きてたの? 電話?」

「ああ。お袋がまた、ホームシックになっててな……。まあ一晩経ちゃあ落ち着くだろう。

まったく……。ただでさえ認知ボケも進んで、身体もガタがきてる。先生にはあんまり迷惑を掛

けたかねえんだけどなあ」

                                      (了)

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