(3) 雨夜無夜
【お題】嫌、雨、洗濯機
止まない雨はないっていうけれど、それはまだ“先”がある人間の台詞だ。この土砂降り
の中、今年の梅雨時を、生きたまま越えられるか分からないような私みたいな人間を、そも
そも想定なんかしていない筈だから。
(……眠れない。ダバダバうるさいし……)
少女は灯りの落ちた病室で、じっと眉根を寄せながらも何とか眠ろうと努力していた。だ
がそんな彼女の求める安寧とは裏腹に、外の天気は朝からずっと雨。激しく打ちつけて止ま
ない雨音は、個室越しのベッドからでもはっきりと聞こえる。
頭から布団を被ってしまえば──? かと言って、少女にとってはそんな体勢の変更もま
まならなかった。あの事故の日以来、背中の神経を損傷してしまった彼女の日常は、緩やか
なリクライニング状態での座りっ放しを余儀なくしている。背中も足元も、布団などでクッ
ションを作ってもらってはいるが、不自由な身であることには変わらない。
(また、今日も寝不足なまま朝になっちゃうのかなあ……? こんな状態で、学校の勉強と
か追いつける訳ないのに……)
正直なところ、彼女はとうに己の人生を悲観していた。ここが病院だから、自分が事故の
“被害者”だからと、父や周りは何かと色んな手を回してくれてはいるのものの、それが却
って多感な年頃となった少女には更なる苦痛にばかり感じられる。
周りの大人達は、本気で自分の身体が治ると思っているのだろうか? あれから何年も経
って、何度か大きな手術もして。それでも失われた自由は、一向に戻ってこない。退院はお
ろか回復の見通しだって立っていないじゃないか。
(……お父さんも、最近は何だか忙しそうだし。辛そうだし……)
だから。
当の彼女はもう、気付けば周囲とは全く逆の思いを抱いて久しかった。自分が今ここにま
だ生きている──生き残ってしまったことで、色んな人を苦しめているんじゃないか? そ
う考えざるを得なかったからだ。
「うぐっ!?」
悶々と、昏い思考が巡る。雨音が余計に耳へと響く。
刹那、彼女は背中に走った、馴染みの痛みに顔を歪めるのだった。眠ろうとしていた目を
瞑り続けることも叶わず、短い声を上げる。湿気、気圧差──この時期の悪条件が、あの日
ぶちかまされた傷の痛みをぶり返す。「ゲホッ、ゴホッ!」思わず何度か咳き込みながら、
独り必死に呼吸を整える。こんな理不尽を、意地でも“運命”とは呼びたくはなかった。
(お母さん……。どうして私を、置いていったの……?)
***
グォングォンと布達が回る。備え付けられた椅子の一つに座り、肘掛けの片側にだるんと
体重を預けていた青年は、ふと外から聞こえ始めた雨音にようやく気付いた。室内いっぱい
を照らすライトの中からのそっと振り向いて目を凝らし、屋外の夜闇に大粒の雨が降り注い
でいるさまを確認する。
「……マジか。土砂降りじゃん。参ったなあ、今日洗いに来るべきじゃなかったか……」
彼は夜勤シフトの終わったこの日、自宅近くにあるコインランドリーへ溜まった洗濯物を
洗いに来ていた。最初は空こそ曇っていたものの、降りはしていなかったため、そのまま予
定通り利用することにしたのだが……。
(ま、どうにかなるかな? 一応、鞄に折り畳みの傘は忍ばせてあるし。何なら止むまで待
ってりゃあいいし)
目の前で駆動する、洗濯機の音で雨の降り始めに気付けなかったのが一番の要因か。
少なくともこのまま、土砂降りの中をまたアパートまで戻るのは、本末転倒になってしま
うかな? と彼は考えた。念の為に持ってきた傘、洗濯物を入れてきたバッグがあるとはい
え、全く濡らさずに持ち帰るのは難しいだろう。しくじった──落胆するよりも先に、思考
するエネルギーが無駄だとそれ以上の想像を彼は止めた。もう洗濯機の中の工程は乾燥に入
っているし、今更中断するのも勿体無い。ならばなるべく前向きに、このぼんやりとできる
時間を有効活用しよう。
(……こんなに降るって分かってれば、途中で軽く飲み食いできるモンでも買って来ればよ
かったかなあ? いや、流石にそれは周りに迷惑か……)
強いて言えば、自室でのんびりする時間がその分減ってゆくぐらい。とはいえ、別にそん
な過ごし方が必須という訳ではないし、実際無駄にダラダラするか、さっさと風呂に入って
寝るかのどちらかになるだろう。彼は静かに自嘲った。
時間も時間だからか、ランドリー内は自分以外誰もいない。その点で、まだ暫くは気兼ね
なく過ごせそうではあったが……。
(うん?)
ちょうど、そんな時だった。ふとこのコインランドリーへ、別の客が出入口の自動ドアを
開けて入って来たのである。ぼんやりのんびり、深夜帯の眠気も手伝ってふわふわしていた
意識が、この客によってにわかに引き締められる格好となる。
「──」
スラリとした長身の、尚且つ強面に部類されるスーツ姿の男。
だがそんな、普段なら思わず避けて通っていたであろう相手は、今夜ばかりは些か趣が違
っていた。要するに“ずぶ濡れ”になっていたのである。傘も差さず、ズボンの裾には泥の
跳ねたらしい汚れも……。青年は思わず店内に入って来たこの男を、驚き半分好奇心半分で
見遣っていたが、そんな眼差しに当の本人はギロリと無言で圧を返してくる。
「ど、どうも……。お兄さんも、外の土砂降りにやられた感じです? いやあ、参りました
よねえ。自分も帰るに帰れなくて」
「……」
大方、ずぶ濡れになってしまった服をどうにかする気だったのか。ただスーツなんかの繊
細な代物を、こういう所で洗えるっけ? 青年はその実、作り笑いの裏でぐるぐると思考を
巡らせていたものの、結局は全て推測に過ぎないとも分かっていた。何より愛想以上に首を
突っ込んで、彼の機嫌を損ねてしまったら、益々この場に居辛くなる。雨宿りも兼ねた待ち
時間すら許してもらえなくなる。
尤も、そんな遅上がりのいち勤め人に、当のずぶ濡れなスーツ男は興味すら示していなか
った。寧ろ彼の視線はその後ろ──何着もの洗い立て間近の服が回る、洗濯機の方へと注が
れていて……。
***
どうしてだ? 何で俺が、こんな目に遭わなきゃならない? 俺はただ、安月給でも必死
になって働いていただけだ。不平不満なんぞいくらでもあったって、それは誰もが持ってい
るものだろうと言い聞かせて生きてきた。落ち度らしい落ち度を犯したことなんて無かった
んだ。それなのに、なのに……。
(──嗚呼、もう財布が心許ねえ。かと言っていい加減食わねえと本当にぶっ倒れる……)
とあるスーパーのイートインにて、一人の若干みすぼらしい中年男が、座った席で自分の
財布を覗いていた。
残り所持金はそろそろ、千円を切りそうといったところ。
先程店内でカップうどんを買って開封、湯を注ぎ、目の前のお盆の上で静かに湯気が上が
っている。さっさと食べたい。もう何日も碌な食事もしていないと胃袋は悲鳴を上げていた
のだが、それよりも今は懐が一層寒くなってしまったことへの気落ちが勝るらしい。
スペースには他にも数人、中高年の女性や家族連れなどがぽつぽつと、席の一部を埋めて
いる。暫く膝元へ隠すように開いていた財布と睨めっこしていた男だったが、流石に麺が伸
びてしまう・冷めてしまうと、ようやく備え付けの割り箸を取って啜り始める。
「ふぅ、ほふっ、はふっ……」
今日のような土砂降り、気温や気圧が下がる日には、温かい料理が身に沁みる。たとえそ
れが高級でも何でもない、庶民の惣菜であってもだ。
「……」
だがそうして衝かれるがままに胃を満たすことに集中した後、男の内に湧き上がってきた
のは、満たされた心地ではなく、寧ろ真逆の感情だった。沸々と、過去自分の人生を一変さ
せたあの日の出来事を思い返し、只々彼は独り恨みを募らせる。
(クソッタレが。何で俺が、こんな目に遭わなきゃいけねえんだ? 惨めな暮らしをさせら
れなきゃいけねんだ? 全部……全部あいつらのせいだ。あのクソ母娘が、俺の前に転がっ
てきたから……!)
数年前、とある小さな運送業者に勤めていた男は、その運転中に歩道からバランスを崩し
た少女を撥ねてしまうという事故を起こした。加えて彼女を──我が子を守ろうと、咄嗟に
割って入るように飛び込んできた母親の方も巻き込む形で。
目の前が真っ暗になった。守り切れずに吹き飛ばされた母親は、車道に激しく全身を打っ
て搬送先で死亡。幼かった娘は、一命こそ取り留めたものの、衝突時に背中の神経を損傷し
て大きな後遺症を負った。
メディアがここぞとばかりに、男へと非難の世論を煽った。当時勤めていた会社側も、こ
のまま男を雇い続けることは損だと踏んだのか、そうそうに事実上の解雇。ほんの一瞬の、
避けようのなかった出来事に、彼はそれまで積み重ねてきた多くを失ったのだった。
(大体、社長らも、普段から無理に無理を詰め込んだスケジュールで回してたのは知ってた
ろうに……。それをいざ火の粉を被ると判った途端、自分達だけさっさと尻尾を切って逃げ
やがったんだ……結局裁判に引きずり出されてるらしいがよ……。こっちだって“被害者”
なんだよ!)
金の切れ目は縁の切れ目。そうと言わんばかりに、一度犯罪者の汚名を被ることなった男
を、妻は早々に見捨てて離婚届を突き付けてきた。決して裕福でないながらも、一緒になっ
て手塩にかけ育ててきた娘と息子も、親権ごとごっそり向こう側へ。今では一目顔を見るこ
とはおろか、近付くことすら許されない。以前会おうとして、あの女に裁判所へ泣き付かれ
たことがある。
(嗚呼、そうだ。何もかもあのクソガキのせいだ、母親のせいだ。あんなちょっと盛り上が
っているだけの歩道を、しっかり看てないでほっつき歩くからだ……。俺は被害者なんだ。
巻き込まれたんだ。俺は悪くない、俺は悪くない……!)
だが現実は、彼を“悪人”との前提で裁きを進めようとしている。何度か法廷に引き摺り
出された時、その全ては彼を“無辜”な母子を轢き殺した罪人として扱った。検察も形ばか
りの弁護士も、自分を無罪だとは端からみてはいなかった。
「──」
沸々と。憎しみばかりが再生される。いや、腹が膨れてエネルギーが供給されてゆく中、
寧ろそれは必然だったのか。
憎い。自分を陥れた、周り全ての他人が憎い。何も知らずに嬉々として石を投げてくる奴
らの、何も考えずにのほほんと“普通”を生きていられる差が憎い。
イートインの、ぽつぽつと座っていた他の客らの姿を、男は見つめていた。
自分のようにお一人様だったり、或いは幼い子と母親の連れだったり。尚更“平穏無事”
そうに見えるそんな他人らの姿に、とうとう彼の自尊心は一線を越えてしまったのだった。
──ヤってやる。ヤってやるぞぉ!!
バキリと割り箸を握り潰し、殺意に突き動かされた表情でおもむろに立ち上がってから。
***
その意味で、彼はまさしく“被害者”であった。守るべき家族を失い、或いは守ることも
自らの力だけでは到底叶わず、藁にも縋る気持ちで頼ってしまったのがその不幸への入口で
あったのだ。
「お願いです! もう一度、もう一度貸付を……!」
「貴方もくどいですね。さっきから言っているでしょう? うちも慈善事業じゃないんだ。
貸すにしても、先ずはこれまで借りた分、耳を揃えてきっちり返してもらってからじゃない
とこちらも困るんですよ」
雨脚が強まってゆく、夜の公園の一角で、二人の男が半ば言い争いになっていた。一人は
心身共にくたびれた様子の作業着男性で、対するもう一人は傘を差したスーツ姿。植え込み
で隠れた、同園内の奥まった場所。文字通り、雨の中泣き付くように追加の借金を頼んでく
る作業着姿の男に、スーツ姿の男は心底軽蔑するような目つきと声色で応えていた。元々の
強面も手伝い、その拒否には必要以上の冷たさが感じられる。
「それは……近い内に……必ず……」
「そう言って、結局先延ばしになったのが何度あります? これでも私の裁量で、上に何度
も取り成してあげているんだ。貴方の置かれている境遇を、我々も知らない訳じゃない」
「だ、だったら!」
ガシリ。自身がすぶ濡れになってゆくのも、最早気に留める余裕すら無く、作業着姿の男
は彼の胸倉を掴んでくる。傘の下、汚れが移されるように感じたのか、このスーツ姿の男は
少なからず数拍眉根を寄せた。
「……それとこれとは、また別だと言っている。例の裁判、まだ賠償は取れないんですか?
全額とは言わずとも、繋ぎにはなると仰ったでしょう」
「取れないんですよ……。相手の会社はそっちも悪い、求刑が重過ぎるの一点張りで……。
肝心の妻と娘を轢いた男も、罪を認めようとしません。証言台まで出てきても、私に謝罪の
言葉はありませんでした……」
胸倉を握ったまま、作業着姿の男は酷く悲しみに打ちひしがれたように呟いていた。
事実妻は命を奪われたのに。娘は後遺症に苦しんでいるのに。なのに現実は、一向に自分
や二人の魂を安息へと導いてはくれない。元々法律云々に詳しい訳でもなく、係争は弁護士
に任せっきりに近い状態になっているとはいえ……。
「そうですか」
まあ、今の時勢、認めたらそこで“打ち止め”になる保証なんてないですからね。寧ろ人
によっては、ここぞと更に攻撃する材料になる。リスクの方が勝る──スーツ姿の男はそう
一瞬の内に思考を巡らせ、されど実際には口にしなかった。目の前のこの“被害者”が不憫
とか、そういう理由ではない。今自分がやるべき仕事は、彼からの返済を取り付けることな
のだから。
「ですかお願いです! もう一度、もう一度……! 私の稼ぎでも、貯金の切り崩しでも、
まだ足りない! あの子の、咲那の治療に必要なんだ! あの子にこのまま、碌に動けない
人生を送らせ続ける訳にはいかないんです!」
「……知ってますよ。貴方にそうして何度も。だから、返すものを一度返せと言っている」
須賀原さん!
故に、あくまで返済しろの一点張りで話を聞いてくれないスーツ姿の金貸し・須賀原に、
彼は再三泣き付いていた。本人的には公私ギリギリの所で踏ん張っているにも拘らず、相手
はまるで汲み取らずに、情に訴え掛けようとしている風にも見える。
ふるふると、須賀原は静かに首を横に振って彼を振り解いた。追い縋ってくる彼を、多少
強引にでも突き離さなければ、延々同じやり取りばかりで埒が明かない。彼に背を向け、踵
を返しながら、呆れたように須賀原は告げる。
「大事な話と聞いて来てみれば……。いいですか、浅生さん? 今度私が貴方の話を聞く時
は、これまでの返済が行われる時だ」
だが……そんなこちら側の通牒めいた発言に、相手がいつまで経っても反応する気配がな
い。須賀原はたっぷり数拍、立ち止まったまま妙だなと再び傘を回し、後方を見遣った。土
砂降りの雨、ぬかるんで足元の土がどんどん流されてゆく水の流れ。
作業着姿の男性こと、浅生が倒れていた。
濁ったような両目を見開いたまま、雨の中仰向けに転がっていて。その後頭部に、植木を
囲んでいる花壇の石が吸い込まれていて。
「────」
改めてたっぷり、数十拍もの間、須賀原はその場に立ち尽くしていた。愕然としていたと
言っていい。思わず握っていた傘が零れ落ち、自らもずぶ濡れになってしまうほどに。
ハッとようやく我に返って、彼は浅生の傍へと恐る恐る近付いた。ゆっくりと屈み、顔の
前で何度か手を振ってみせるが、全く反応はない。一度、二度、三度。ぐるっと動かなくな
ったこの客を見渡し、須賀原は信じられないといった様子で一人おもむろに立ち上がった。
(……何てこった)
浅生さん。貴方は何て人だ。
よりにもよって災いを、うちの側にも持ってくるのですか……?
今度は別の意味で、須賀原はふるふると首を横に振る。雨や、屈んだ時の接地でスーツが
汚れてしまったことなど、正直二の次だった。それでも次の瞬間彼が取った行動は、大よそ
“保身”と呼ばれても免れない選択であったのだろう。
「っ──」
一瞬、近辺に他の人間がいないことを確認してから、彼は急いでこの場を離れる。
***
『次のニュースです。本日十九時二十四分頃、●●区▲▲▲のスーパーで、男性が周囲の客
に次々と襲い掛かるという事件が発生しました。発生時、男は店内のイートインコーナーを
利用しており、警察は詳しい動機や犯行の経緯について調べています』
「……おいおい。▲▲▲って結構近いじゃねえか。怪我人とか出てんのか……?」
その夜、宿直で勤務先の病院に詰めていた国木田は、束の間の夕食を摂っていた矢先にそ
んな報道を観ていた。テレビに映った上空からの映像は、夜間とはいえ、自身も見知った地
元の一角にある店舗のように見える。
(今のところ、そういう情報じゃねえのか。こっちに緊急が入って来てないってことは、余
所に振られたのか、或いはこれからか……?)
ずっ、ずっ! インスタントのカップ蕎麦を一層“巻き”で胃袋へ流し込み、惣菜のミニ
サラダや缶コーヒーも続けて。ただのんびりとしていた訳ではない。職業柄、休憩中と言え
ども、いつ急患が入ってくるかは分からない。テレビを点けているのも情報収集の一環……
ということにしておく。
「……厄介だねえ。中々毎度、平穏無事には終わらせてくれないか」
ちょうど、そんな時だったのである。はたして彼の嫌な予感は、しかして別の方向で当た
っていたのだから。
バタバタと、彼のいる休憩用の小部屋へ、同じく夜勤中の看護士が二人ほど慌てた様子で
駆け込んできた。彼女らの背後、廊下でも慌ただしい気配がする。国木田は二人が告げてく
るよりも早く、既にカップ麺の容器をテーブルの上に放り出しつつあった。
「国木田先生! 三〇五の浅生さんが急変です! コール鳴らされました!」
「先に見に行った子が、腰を酷く押さえて痛がってると。炎症だと思われます!」
「了解、すぐ行く! いつもの鎮痛剤準備!」
『はい!』
だんっと立ち上がりながら壁際の白衣を取り、袖を通しつつ廊下へ。報せに来た看護士ら
に別途指示を飛ばし、自身は急いで件の、長らくここに入院している少女の病室へと急ぐ。
(……嗚呼、そうだよなあ)
(これだけ土砂降って湿気てんだ。背中の古傷も痛むか……)
時を前後して。夜長降り続く雨の公園で、一人の男性の遺体が発見されていた。付近の交
番に詰める巡査が通報を受け、合羽姿で現着している。周囲にはこれといって争った形跡は
なく、被害者は花壇の石に後頭部をぶつけて絶命したらしい。
「詳しくは鑑識が来てからになるんだろうが……。こいつは拙いぞ」
「ああ。こんな雨じゃあ、仮に犯人の足跡やらがあっても全部洗い流されちまう」
ただでさえ視界の効かない夜闇、しかも少し前から続く強い雨によって、現場の保存とい
う点で状況はほぼ絶望的だった。混乱防止の為、応援に来てくれた要員が周辺をブルーシー
トで囲ったり、交通整理をしつつ検問を始めているが、正直犯人がまだ近くに潜んでいると
は考え難い。そもそも、事件か事故かも、この状態では断言が難しい。
「──ええ、ええ。そうです。見たんです、私見たんですよお!」
そうした中、公園の入り口方面で、対応する警察官に傘を差しだされた女性が妙に生き生
きとした様子で話をしている。現場側の巡査らがちらりと、そのわざとらしいぐらい大きめ
な声に一瞥を遣っていた。ふくよかな、とある中高年の女性が一人、自ら今回の事件の一部
始終を目撃したと名乗り出てきたらしい。
「私、こっちのアパートの上の方に住んでるんですけど~。一時間、一時間半ぐらい? 前
だったでしょうかねえ……? そこの公園の奥~の方で、何か言い争っている人達を見かけ
たんですよ~。暗くって、顔までははっきりと見えなかったですけど~。なよっとした感じ
のおじさんと~、スーツを着た男の人でした~。はい、はい。間違いなく──」
(了)




