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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-143.October 2024
211/286

(1) アンラック

【お題】運命、メトロノーム、禁止

 誰しもその人生は、幸と不幸の浮き沈みの連続だとよく例えられる。


 大きく高みへ上がるには、それと同じくらい深くから足元を蹴らなければならない。逆も

また然りで、高い場所を知っていなければ──落ちなければ、人は深みに迫ることすらでき

ないのだろう。

 ただ……僕個人としては、幸と不幸の間を往復し続ける、歪なリズムといったイメージが

強い。上下ではなく、右にも左にも振れる運勢。大きく片方へ振れれば振れるほど、もう片

方への揺り戻しは強力になる。そして一旦それが始まってしまえば、よほどの力で抑え込ま

ない限り止まらない……。


(──んっ)

 朝の目覚めというものは、往々にして不機嫌を伴う。折角無へと融けるように沈んでいた

感覚を、無理やり上から下から叩き起こされるような瞬間だからだ。

 遥はその日も、ピクンと一瞬眉間に皺を寄せると、一人ベッドの上で膨れっ面を浮かべて

いた。カーテンから漏れる朝の陽射し、小鳥の囀り。何の変哲もない団地暮らしの彼にとっ

て、元よりそのような自然豊かな情景など寄り添わなかった。只々狭く切り取られた、十数

年使い続けた自室の既視感だけが、数少ない安らぎだとも言える。

「……」

 むくりと身体を起こし、眠気眼を何度か擦って。

 大雑把に寝癖のついた髪を整えてから、遥は寝間着から学校の制服へ、シャツとブレザー

に袖を通しつつ支度を済ませていった。鞄は前日の内に机の横に。ダウナーに据わったまま

の視線をピクリとも逸らさず、動線の合間にこれを取って部屋を出る。廊下を折れてリビン

グダイニングへと横断すると、そこには壁掛けのホワイトボードが下がっていた。


『今日も遅くなります。

 冷蔵庫の中で適当に済ませるか、天宮さんを頼ってください。父より』


 遥は物心ついた頃には、いわゆる父子家庭だった。当の本人はいつも、訊かれると苦笑い

を零してはっきりとは答えなかったが、周囲から聞き及ぶ限りどうやら母親だった者に逃げ

られたらしい。遥自身も、殆ど母のことは憶えていない。寧ろ今でも憎悪の対象として話題

にも挙げたくないほどだ。

(もう一々、こんなルーティンことする意味なんてないのに)

 朝早くから出勤し、電気など一切点いていないダイニングへやって来て遥は思う。最初こ

そ、不慣れな二人暮らしに使えたらと父が買ってきたメッセージボードだったが、今ではそ

の内容はほぼ毎日同じ。多忙な父に代わって、親切なお隣さん一家の厚意にそのまま甘えて

しまって今日まできているといった格好だ。

 じとっと、気だるげな眼差しのまま変わらず、遥はしまっていた惣菜パンを淡々と取り出

してすぐ頬張った。形ばかりの朝食代わり。別に味わう云々なんて必要はない。もぐもぐと

咀嚼し終わり、水を入れたコップで口の中を一しきりゆずいでから、彼もこのホワイトボー

ドに父へ向けた“今日の予定”を書き付ける。

『いつも通り』

 正直、毎朝父が律義に二人分消さなければ、こんな無駄も省けるというのに。


「──おはよう。ルカ君」

 そうして自宅アパートの玄関を出ると、これまたいつものように遥を待っている人物がい

た。楚々とした小柄な同世代の少女、隣の部屋に住む天宮家の次女・歌星かほである。

「おはよう……」

 何度か靴の踵を何度か叩き、玄関の鍵を締めて。

 遥はこの幼馴染の少女からの声掛けにも、やはり淡々として表情を変えなかった──変え

まいと努めていた。今日も出てくるまで待っていたのだろう。部屋と部屋の間の壁に預けて

いた背中を浮かして、彼女は手提げ鞄の中から一つの弁当包みを遥に手渡してくる。

「はい。今日のお弁当」

「サンキュ。……つくねえは?」

「立ち番だって。先に出て行ったよ~。あ、お姉ちゃんにもちゃんとお弁当は渡してあるか

らね?」

「……抜き打ちの意味ないなあ」

「身内の特権です。そもそも、余計な物とかを学校に持ち込まなきゃ言い訳だし」

「まあ、そうだけど……」

 二人して団地の廊下を渡り、エレベーターで一階玄関へ。

 道すがら、最寄りのバス停までのいつもの移動中、遥は終始歌星のお喋りをじっと聞く側

に回っていた。もう一人の幼馴染、歌星の姉・月音つくねは先に登校してしまっているらしい。生

徒会の役員というのは面倒臭いたいへんだ

「……しかし、よくもまあ、つく姉が生徒会長になんかなれたよなあ。そりゃあ基本優秀で

外見はいいけど、生活能力皆無のポンコツだろ? あの人……」

「あはは……。でも、だからじゃない? 他の役員さんも、危なっかしくて放っておけない

みたいなこと言ってたし」

「……。やっぱ人選間違ってるだろ、それ……」

 団地もとい縦積みアパートの並ぶ住宅街を抜けて、歩道付き道路の一角に設けられたバス

停へ。遥はそう、もう一人の幼馴染が拝命することになった役職に改めて違和感を覚えずに

はいられなかったが、当の実妹の方は何となく楽しそうではある。遥も、彼女の説を否定で

きないのが何とも可笑しなところではあった。

 そうだ。自分なんかよりも、この姉妹はよっぽど魅力的だ。

 すらりとした長身でパッと見、頼りがいのある姉御肌にも拘らず、実際は抜けている部分

も多い愛されキャラ。片やそんな姉や周りの人々をお世話することが生き甲斐のような、温

厚で家庭的な清純派ヒロイン──いや、割と気心の知れた相手にはずけずけと言うタイプ。

(……本当、勿体無いんだよな)

 だからこそ、遥は常々思っていたのだった。自分はそんな好意を、心のリソースを寄せら

れるべき相手なんかじゃないと。ただ彼女らの隣に引っ越してきただけの、地方へ転勤とな

った父と共にこの街へやって来ただけの一般人。モブはおろか、固有名詞すら付かないほど

の余所者であった筈なのだ。

 こんな根暗な陰キャなんかに、貴重な青春時代を消費して欲しくなんかない……。

「あ、ルカ君。バス来たよ?」

「ほらほら、ぼ~っとしないで?」



 物心ついた頃にはこちらに来ているものだから、正直“都会”というのがどれぐらいの水

準でそう言うのかは判らない。ただ単純に生徒数といった指標で見るのなら、まあそこそこ

多い方ではないだろうか? 校門、昇降口へと向かう他の生徒達の人波に紛れる度、遥は例

によってそう思う。

「おはよう、諸君! 今日も元気に遊ぼう、学ぼう!」

 そんな、ややもすれば憂鬱になりがちな登校時の気分をぶち破るように、生徒会の腕章を

着けた女子生徒が校門前に立っていた。件の歌星の姉、現生徒会長を務める月音である。他

にも何人か、同じく腕章付きの役員の面々と、生徒指導担当の体育教諭がずらりと左右に待

ち構えてローラー作戦を取っている。

「月音さ~ん。順番逆じゃないです~?」

「漏れてる、本音漏れてる」

「うん? そうだっけ? まあいいじゃない。それより、要らない物とか持って来てないわ

よね? 制服の丈も、石山先生にチェックしてもらいなさいよ」

「だ、大丈夫ッスよ~……」

「え~。どうせなら月音会長に診てもらいたいな~?」

「おい、コラ! お前ら! 天宮の方にばかり寄るな! こっちに来い!」

『え~!』

 何だかんだで、彼女はその親しみやすさも手伝い、すっかり会長として生徒達に認知され

ているようだ。一方でそう、露骨に避けられてばかりいる体育教諭は、ややあって一部生徒

達の流れを何とか自身に配分むけさせようと躍起になっていた。そこも踏まえて、皆はからかい

の種にしていたようだったが。

「……今日も無駄に元気だなあ。つく姉」

「それがお姉ちゃんの良いところだから」

 気持ち他人のふりをしつつ、遠巻きに通り過ぎようとする遥と、クスクスとはにかんで笑

実妹かほ

 すると向こうも、こちらの存在に気付いたのか、ぱあっと良い笑顔で「お~い! おっは

よ~! 歌星~、遥~!」とぶんぶん手を振って呼び掛けてくる。必然、自分達の関係性を

知っている生徒らを含めて周囲の視線が集まるが……こと遥に関しては極力これと目を合わ

さないように努めていた。代わりに歌星が隣で、ひらひらと若干苦笑いを浮かべながら、姉

へと手を振り返している。

「ったくもう……。あの人はこういう時、空気が読めねえんだから……」

「お姉ちゃんに、悪気は無いと思うんだけどねえ」

「だからこそ、尚更性質が悪いんだよ。まったく……」

 遥はぶすっとごちた。ただでさえ、お前達姉妹は良くも悪くも目立つんだから。



「──よう。今日も夫婦出勤かい? 妬けるねえ」

 だから遥は、この“恵まれた”環境を厭だと思っていた。二人に迷惑だし、何より一々か

らかわれることに疲れてしまったということもある。

「変わってやれるモンなら変わってやるぞ?」

「~~ッ」

「歌星。そこで一々反応すんな。だからこいつらも調子に乗るんだよ」

 なら一緒に教室に入って来なければいいのだろうと思うが、そこは当の歌星が頑なに拒否

して成功した試しがない。つく姉は元々学年が違うから、そんな心配はないのだが……。や

はり客観的に見てそういうことなんだろうか? 隣で顔を赤くして、言葉を詰まらせて。だ

けども僕は、敢えて何時も突き放す。何度だって突き放す。お前には僕みたいな陰キャじゃ

なくて、もっと相応しい相手がいる筈だ。お隣さんだからという刷り込みなんかに負けない

で欲しいんだ……。

「お~い、ざわざわうるせえぞ~? ホームルーム始めるぞ~?」

 今日も今日とて、いつも通りで気鬱な一日が始まる。クラスメート達に弄られていると、

そう担任が、出席簿代わりのタブレットを片手に教室へ入って来る。


「──」

 帰り道。逃げるように一人で学校を後にして徒歩を選んでいる時、やはり自分はこちらの

側なんだと思う。こちら側がしっくりとくると再認識する。

 この日も遥は終始俯いていた。鞄を背負い、とぼとぼと家路を──かと言って、特に待つ

誰かがいるでもない自宅へは急がない。ただこの一時を重んじているだけだ。今日こそはと

待っているだけだ。

 あいつが、またこちらへ接触コンタクトを図り易いように。

(……来た!)

 ぐわん。脳裏に過ぎる、左右に大きくブレる時計の振り子のような。

 遥は次の瞬間、待ち構えていたその相手が現れる兆しを直感し、寧ろ密かに口角を釣り上

げてさえいたのだった。バッと弾かれたように立ち止まり、背後を振り返ってはたしてその

姿と対峙する。

『──選択シテクダサイ。エネルギーハ、均等ニ分配サレナケレバナリマセン』

 ぐにゃりと、空間を歪ませるようにして現れたのは、一体の奇怪な金属人形のような存在

だった。色味と質感からして銅。遥は仮に“銅人形”と呼んでいる。ゴゥンゴゥンと、胸部

の中央で左右に揺れる振り子を動かしながら、まるで壊れたレコードのように何度も同じ台

詞を繰り返しつつこちらへと近付いてくる。こちらよりも比較的長身で、何より一体誰が何

の為に作ったのかも判らない。

 ただ遥は……これと遭遇するのは、何も今回が初めてではなかった。

「またか。何でそこまで、他の誰かじゃなくて僕に選ばせようとするのかね……」

『選択シテクダサイ。エネルギーハ、均等ニ分配サレナケレバナリマセン』

 ちらと視線をその胸部、左右へと移し、口ではそう遥は呆れたように言う。

 しかし、最初の遭遇から最早数回。二ヶ月以上も経ってしまえば正直慣れたものだ。寧ろ

彼の意識は、この“銅人形”が迫る選択──その対象となった二人の人物に注がれる。

 一人は幼馴染の妹の方、歌星だった。銅色の鏡面に頬を染めた、大人しい少女の姿が映し

出されている。

 もう一人は幼馴染の姉の方、月音。同じく鏡面にむず痒そうな、ちょっと素直になれない

感じの姿が映し出されている。

「……」

 どうやらこの“銅人形”は、自分に彼女らどちらか二人を選ばせたいらしい。これまでの

幼馴染な関係ではなく、恋人として。ひいては将来の伴侶として。

 だが当の遥は、これまでずっと“銅人形”への回答を避けてきた。得体のしれない相手で

あったし、何よりその鏡面に映し出される二人の姿が、何も恋するそれだけの都合の良いも

のではなかったからだ。


 歌星の方を選ぶとする。そんな視線や呟きがあると、鏡面はあたかも未来を映し出した。

そこには自分と結婚して幸せそうに微笑む彼女の一方で、姉・月音が起業をするも後の部下

らの裏切りに遭い、失意のまま路頭に迷う姿が同時に視えていたのだった。加えて歌星の側

も、念願の第一子を身籠るも流産。深い哀しみと苦悩に喘ぐ日々が垣間見える。


 月音の方を選ぶとする。そんな視線や呟きがあると、鏡面はあたかも未来を映し出した。

そこには仕事はできても私生活はポンコツな彼女を支える為、主夫となった自分の姿。その

甲斐もあって、彼女は順調にキャリアを積んでゆくビジネスウーマンとなってゆく。だがそ

の一方で、別の男と結婚することになった歌星は人知れず、次第に彼のDVに悩まされるよ

うになった。なまじ姉と幼馴染の夫婦生活が上手くいっている分、相談する機会を見出せな

い。やがては段々と、姉妹の距離もその音沙汰も、手遅れな段階まで遠退いてゆく。


『選択シテクダサイ。エネルギーハ、均等ニ分配サレナケレバナリマセン』

 要するに、この“銅人形”はどちらかを切り捨てろと言うのだ。幼い頃から、遥と家族同

然に育ってきた、幼馴染の姉妹の片割れ。そのどちらかの不幸の代わりに、彼と選ばれた方

の一人が幸せになる未来を。

(まあこいつ自身は、そこまで考えている感じじゃあなさそうだが……)

 本当に、これが自分にあり得る未来? 当初、遥は何につけても先ず懐疑的だった。そも

そも片方が不幸になると判っていた上で“選択”することなどできなかった。

 一体原理はどうなっているのか? 何処ぞの誰かが、面白半分でこんな空想をこさえて見

せつけているのか? それにしたって標的が何故自分で、尚且つこうもしつこく繰り返して

くるのか? 現れるのか? その辺りがずっと気がかりで、遥はこの一連の遭遇からずっと

逃げるの一辺倒を繰り返してきたのだった。

(今までみたいに、ある程度遠くまで逃げればこいつは消える。でも……)

 いい加減に鬱陶しくて堪らなかった。ずっと考えざるを得なかった。

 だからこそ、彼はこの“銅人形”が再び現れる機会ときを待っていた。未来であれ幻であれ、

ここまで趣味の悪い遊びに延々付き合ってやる義理も人情も無い。

「……どちらも選ばないっていう、回答こたえは駄目なのか?」

『イエス。エネルギーハ、均等ニ配分サレナケレバナリマセン。誰カガ幸福デアルトイウコ

トハ、誰カガ幸福デハナイトイウコトデス。故ニ、エネルギーハ定期的ニ配分シ直サナケレ

バナラナイノデス』

 なるほど……。やっぱりそういう理屈か。

 遥は最初の遭遇以来、ずっと考えていた。この理不尽な化け物からの問答だからという訳

ではなく、切欠として。これまで生きてきた自分という人間の存在理由も含めて。

 要するにこの人形──どもを操っている連中は言いたい訳だ。エネルギーというか、運気

のようなものは、全体の総量がそもそも決まっていると。だからその分布に偏りが出ないよ

うに、定期的に是正してやる必要がある。白羽の矢が立つ何者か、達がいる。

 たとえその結果、明らかに不幸ひがいを被る人間が出てしまうとしても。

「……いいや。僕の回答こたえはそれだ。どっちも選ばない。僕が関わることで、二人が苦しむ未

来が判っているんなら、始めから無い方が良いに決まっているじゃないか」

 見せろ!

 大きく首を横に振って、遥はそう“銅人形”に詰め寄った。これまでの遭遇経験から、鏡

面に映る結末とやらは何も、こいつ自身の意思で作っている訳ではないと判っていた。おそ

らくはこちらの選択肢に合わせ、結果を演算して出力する為だけの人形型装置──事実彼が

そう迫って“選ばない”と表明した段階で、左右の鏡面には全く新しい未来が映し出され始

めていたからだ。

 遥のいない未来。遥が誰も選ばなかった未来。

 そこには紆余曲折を経ながらも、元同級生と結ばれた歌星の姿が在った。平凡ながらも子

宝にも恵まれ、慎ましやかに暮らす日々が在った。月音は大学時代の仲間達と、共同で起業

し、その後メディアにも取り上げられるほどのベンチャー企業として成長させてゆくことに

成功している。

「……見てみろ。僕がいなくたって良かったんだ。いなければ良かったんだ。父さんも歌星

もつく姉も、おじさんもおばさんも! 僕が生まれてしまったから、ずっと人生を縛られて

しまったんだろう!? 隣に居ただからってだけで、チヤホヤしなきゃって思い込んできた

んだろう!?」

「もうたくさんだ! 止めてくれ! 僕にそんな価値なんて無い! エネルギーが足りない

っていうなら、僕を消せばいいだろう!? 配分しなきゃいけない人間が、一人消えればそ

の分余裕ができるんだから!」

 消せよ! 消してくれ! 遥は言った。ずっとずっと申し訳なさ抱えてきた、彼なりの答

えこそがその否定きょくちだった。

 実際に視て、予想通りの画が映し出されたことで、彼は確信していた。やはりこの人形ど

もを作った連中は、人間一人一人の幸や不幸なんて微塵も興味が無い……。

『ノー。デキ……マセン。我々ガヒトヘ危害ヲ加エルコトハ、最重要ノ禁止事項トサレテイ

マス』

「だろうなあ。どう見たってお前、ロボットだから……」

 故に盛大に溜息を吐いて。一度は組み付いていた手を離しそっぽを向いて、歩き出して。

 しかし彼はとうに、そんな回答レスポンスなど予想済みだった。何度も何度も、頭の中と腕の動きで

シュミレーションを重ねて。夢見て。

 とぼとぼ、距離が離れていってまた今回も回答は保留──そう判断するように“銅人形”

が大人しくなり始めた矢先に。

「だから、こうすりゃあ良いんだろう!?」

『?!』

 次の瞬間反転し、遥は地面を蹴っていた。離れた分の距離を助走に換えて、それまで前に

抱え直していた鞄を放り投げて、この“銅人形”に向かって襲い掛かっていた。

 鬼気迫り、殺意に溢れた絶叫の中握っていたのは、大きめの金梃バール。鞄を二重底に改造して

隠し、今日までずっと潜ませてきたのだった。

 全ては、この瞬間の為。十中八九、自分の望みを“銅人形”が受け入れないと判った上で

の強硬手段。

「ロボットでも、自分の身が危ないってなったら、正当防衛が許されるんだよなあ!? 相

手を殺しちまってもいいんだよなあ!? なられよ! こっちもその気でお前を壊すから

さあ!」

 不意を突いた一撃。

 最悪、この奇怪な人形に物理的な攻撃が通じない可能性も考えたが、実際は存外見た目の

材質感並みに“銅人形”は柔らかかった。助走をつけて全力で、両手持ちのバールを叩き付

けると、思わず身を守ろうとしたその片腕がぐにょりとへしゃげる。続く二撃目、三撃目と

立て続けに叩き込んでゆく遥の強襲に、この異形は尚もプログラム通りの自分を貫こうと耐

えていた。

『止メテ……クダサイ。危険、危険。外部フレームニダメージ、内部機構ヘノ衝撃緩和、間

ニ合イマセン。警告、警告……』

「らぁっ! らぁっッ!! ほら、ほら! 消せよ! 僕を消せよ! このままじゃあお前

は、スクラップにされちまうぞ? 反撃しろ、オラッ! 自分の未来を守れない癖に、何が

“選択シテクダサイ”だ!?」

『──』

 故に、とうとうその瞬間はやってくる。不意とはいえ、剥き出しの暴力に身を曝され続け

て激しくへしゃげた“銅人形”は、遂に己の中の優先順位を書き換えたのだった。

 “人間に危害を加えない”では、今目の前で凶器を振るってくるこの少年の悪意を止める

ことができない。たとえその真意が、文字通り己を犠牲にした行為だったとしても。自身の

存在を否定しなければ、周りの他人びとを不幸にすると思い込んでいても。

『警告、警告……。緊急事態発生、緊急事態発生。優先順位プライオリティ変更。コレヨリ、当個体ノ自己

保存行動二移リマス』

 直後“銅人形”は忙しないシグナルを発した後、それまで防戦一方だった態勢を解除。遥

をバールごと弾き飛ばし、地面に転がった彼の前へと立ち塞がった。初撃で大きくへしゃげ

てしまった左腕は一旦無視して、残る右手をぐんと持ち上げる。

(嗚呼、そうだ。それでいい……)

 ぼうっと目を見開き、あたかも期待するようにこちらを見上げている彼へと、その手刀を

振り下ろし──。

                                      (了)

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