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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-142.September 2024
210/283

(5) スレイン

【お題】竜、幼女、壊れる

 古の勇者様だったり、高名な騎士様だったり。

 彼ら超人的な主人公が、竜を退治するといった御伽話は、古今東西様々な国で語り継がれ

ている。かく言う自分も幼い頃は、そうした物語を何も考えずに楽しんでいた。疑うことも

なく鵜呑みにしていたものだ。

 ただ……自分も大きくなって、曲がりなりにもそんな英雄達の背中を追うようになって。

ふと一つの疑問に思い当たってしまっていた最中だったことは否めない。普段は文字通り、

命懸けの冒険も珍しくなく忙殺され、じっと考え込む場面はそう多くはなかったけれど。

 彼らは元々、あんなに強かったのか?

 それとも“退治に成功した”から、あんなにも強くなったのか?


「──畜生! 倒しても倒してもキリがねえ!」

「いくら何でも多過ぎだろ!? くっそ、ギルマスの野郎! 絶対追加報酬要求してやるか

らなあ!?」

 その日クルトは、馴染みの冒険者仲間達と共に、街のギルドから緊急発令されたクエスト

に挑んでいた。

 その内容は、付近の山で目撃された竜種ドラゴンの討伐。尤も精々C等級の上半分ほどの実力しか

ない彼にとって、実際に割り振られた立ち位置は本丸ではなく、その出現に伴って暴走する

魔物達──突如として怯え、一斉に棲み処を逃げ出した群れの駆除。頭数に任せた後方支援

に過ぎなかった。

 それでも魔物は魔物。本能的に逃走中とはいえ、数で人里まで近付かれれば、人的被害の

危険性は高まる。他のギルド所属の冒険者らと連携し、クルトは森の中から次々に飛び出し

てくる魔物達を片っ端から斬り伏せていた。迎撃するのは森の一角に広がる、視界が通り易

い原っぱ。事前に集団暴走スタンピードの移動方向はギルドが調べてくれているため、こちらはとにかく

森の一方から湧いてくるこれらを倒し続ければいい。

「口を動かす暇がありゃあ、もっと手を動かせ! ここを抜かれちまったら、後衛組がもろ

に潰されんだぞ!」

 大人数人分はあろう魔猪へ、クルトはそう叫びながら斬り掛かり、すれ違いざまの僅かな

タイミングを見計らって斜め前方。急所となる鼻先に長剣を突き刺しながら跳んだ。大量の

血飛沫が飛び、自身にもかかるが気にしている場合ではない。断末魔の叫び声を上げ、魔猪

は刺された後も暫く走り続けようとしたが、ややあって白目を剥いて力尽きる。後方で他の

盾職タンクや斧戦士などがフォローせんと待ち構えていたが、どうやらその必要はなかったようだ。

「クルト、ナイスファイト!」

「ああ……。ったく、マッドボアかよ……。普段なら俺達が徒党パーティーを組んで討伐しに行くレベ

ルの奴らだぞ……?」

 冒険者仲間達から声を掛けられつつも、油断は禁物とふるふる首を横に振り、死んだ魔猪

から剣を抜き取る。原っぱのあちこちで、面々が森から逃げ出してくる魔物達を屠り続けて

いた。

 大人数で押し留めてからタコ殴りにしたり、前衛が押さえている間に後衛の魔術師が強力

な呪文で黒焦げにしたり。皆必死で、且つ血気盛んに満ちている。確かに最初聞いていた内

容とは随分違う湧きようだが、考えようによっては大量の素材──換金品のバーゲンセール

と捉えることもできる。己の実力と敵の強さとの天秤を見誤りさえしなければ、絶好の稼ぎ

時と言えよう。

「……少し、数が落ち着いてきたか?」

「どうだろうな。まだ森の奥からはギャースカ聞こえてるが」

「これだけの数の魔物を、逃げの一手にさせるとはな……。今回の親玉は、一体どれだけ凶

暴な竜種ドラゴンなんだか」

 しかしである。僅かな小休止からの継戦、得物を握り直して他の面々へ加勢に向かおうと

したその時、辺りが急に薄暗くなった。同時に猛烈な風が吹き、クルト達を襲った。場に現

れていた魔物達も巻き込まれ、怯えるような声を出し、辺り一帯に暫く土煙が立ち込める。

「……き、来やがった!」

本丸ドラゴンだぁぁーッ!!」

 はたして、彼らの前に姿を見せたのは、件の緊急依頼の元となった竜種ドラゴンだったのである。

原っぱや森よりも更に巨大、人間一人では到底及ばないと強制的に理解させられる、圧倒的

な存在感。

(あれ……?)

 だが、この時クルトだけは、他の冒険者達とは全く別の印象を抱いていたのだった。即ち

目の前に現れた超種族というよりも、その個体が既に負っていた痛々しい傷跡などについて

の違和感である。

『──』

 その竜種ドラゴンは、全身白亜。やや銀みかかった体色と青い瞳をしていた。足元で激しく騒ぎ、

震え上がる人間や魔物達がいるのは見えている筈なのに、全く自分からこれをどうこうしよ

うという気配がない。それに……。

(酷い傷だ。それも、まだ比較的新しいような……? つい最近、誰かと戦った? こんな

血塗れになるぐらいの力を持つ相手と?)

 思えばこの時から既に、彼は魅入られていたのかもしれない。彼らとはまた別の意味で。

この竜種ドラゴンが手負いに加えて、自分達の暮らす街にほど近い山へと移ってきた本当の理由を。

「そこまでだ、諸君」

「ここからは我々が、この竜を討ち取ろう。魔物の残党を早く狩り、速やかにここを離れる

が良い」

 続いて森の奥から現れたのは、そんな妙に上から目線で早速指示を出してくる、屈強な身

なりの一団だった。当然急に命令されたものだから、クルトを含む現場の冒険者達は口々に

反発する。

「はあ!? 何言ってんだ。あんたら、こいつはただの魔物じゃねえんだぞ!?」

竜種ドラゴンだぞ、竜種ドラゴン! 魔物の中でも、トップクラスに強ぇし知能も高い。そんな少人数でや

ろうなんて自殺行為だ!」

「大体あんたら、何も──」

「可能だから言っている。それともお前達も、まとめて狩り取られたいか? 凡人の臓物な

ど、何の糧にもならんのだがな……」

「ぼっ……!?」

「うん? ま、まさか、あんたら……“竜狩り”か!?」

 言って放たれた、常人ではない威圧感。言葉に違わない使い込まれた得物の数々と、肉体

及びその身に纏っている装備品。もとい装飾品。

 それらには全て、明らかに竜種ドラゴンから採り出した牙や角が使われていた。中には丸々の頭蓋

骨らしきものを被り、殺気溢れる眼差しを向けてくる者もいる。

(“竜狩り”……。話には聞いたことがある。竜種ドラゴンを特に専門にしている、腕利き揃いの連

中だっけか)

 クルトも、そんな彼らのオーラに気圧された一人。ただ他の冒険者仲間達とは違い、内心

の思考は既にその先を行っていた。先刻抱いた疑問が、彼らの出現によって、一層確信をも

って強化されたからだ。

「……まさかとは思うが。この白い竜を手負いにしたのはあんたらか?」

「ああ。そうだが?」

「下がっていろと言っている。こいつは──我々の獲物だ」

 言って、“竜狩り”の一団が各々臨戦態勢に入る。その重量級の武器や鎧、或いは魔術の

杖から迸る力に、場の面々がじりじりと、一人また一人後退り始めていた。当の対する手負

いの竜種ドラゴン──クルトが白い竜と呼んだ個体は、身体のあちこちにまだ鮮やかに赤い傷痕抱え

ながら、尚もこの“竜狩り”を威嚇しようとしている。

(チッ、そういうことかよ……! それじゃあ、とんだ自作自演マッチポンプじゃねえか!)

 クルトは気付いた。つまり今回の依頼も、森から湧いてきた魔物達の暴走も、こいつらが

この竜を殺そうとして起きた二次災害ではないのか? 手負いにはさせたものの、逃げられ

てしまい、結局散々周りを巻き込みながら追いかけてきた……。

「……何のつもりだ?」

「お前が何故、そいつの肩を持つ? その竜と、何の接点がある?」

「──」

 だからもう、気付いた時には身体が動いていた。そうとしか言いようがない。

 “竜狩り”達が一歩進み出ようとした刹那、クルトは彼らとこの白竜の間に割って入るよ

うに立ち塞がった。後者の側に背を向けて、大きく左右に両手を広げたまま、この高慢な狩

人達を睨み返す。

「ク、クルト!?」

「馬鹿! お前何を──!?」

「……ねえよ。こいつとは初対面だし、生まれてこの方、竜種ドラゴンを直に見たのもこれが初めて

だ」

 なのに。どうしてか彼は、同じ人間の“竜狩り”ではなく、酷く傷付けられたこの白竜の

側に立っていた。迂闊に助けに入る訳にもいかず、遠巻きから冒険者仲間達が叫ぶ。突発的

な彼の行為に強く気を揉んでいる。

 クルトはほぼ、確信をもって理解していた。理解した上で、義憤いかりを燃やす。

「てめらこそ、この竜とはどういう因縁があんだよ? わざわざ森中の魔物を引っ張り出し

て、俺達の街を危険に晒してまで殺さなきゃいけない相手なのか?」

「……何を言うかと言えば。竜がいれば殺す。そこに理由など不要だろう?」

「竜狩りは戦士の誉れ。そして屠ったその血肉を食らうことで、我々は更なる力を手に入れ

ることができる」

『──』

 やっぱり。絶句していたのは、クルトというよりは他の一部面々であったのだろう。知識

として、彼ら“竜狩り”の在り様を聞き及んでいたが故の反応だと思われる。

 基本的“竜狩り”は、自身の力を高める為に竜種ドラゴンを狩る。古来より最強と名高い同種を打

ち倒した者は、彼の者に宿っていた全てを継承できるとされる。常人を遥かに凌ぐ身体能力

然り、魔力然り。そうして“竜狩り”達はもう一体、また一体と、竜を殺さずにはいられな

くなってゆくのだ。

「じゃあ……何か? 俺達って、こいつらの尻拭いをさせられてたのか? 別に刺激しなく

ても良い竜種ドラゴンに喧嘩を売りに行って、逃げられて」

「道理でギルマスや、受付ちゃん達の反応が鈍かった筈だ」

「“竜狩り”は、実力だけは確かだからなあ……。大方、上がこいつらと対立したくなかっ

たとか、そういう系か……」

 ぶつぶつ。他の冒険者達も、ようやく今回の経緯に想像が至ったらしい。辺りに転がった

魔物達の亡骸から、急ぎ素材を剥ぎ取ろうとする意欲も湧かず、寧ろジトッと目の前の“竜

狩り”らを──言ってしまえば元凶を非難する眼差しを向けている。

「……だからどうした?」

「我々の力が増せば、それは長い目で見ても、魔物達の脅威を遠ざけるものとなる筈だ。よ

り多くの人間が、安心して暮らせる世の中になるということだぞ?」

「その為に、今要らない殺し合いをやらせろっていうのかよ!? ……話には聞いてたが、

狂ってるぞ。てめえら」

 なのに当の“竜狩り”達は、尚もこの白竜を討ち取ろうとする向きを止めない。クルトは

そんな彼らの方便を、すぐさま上っ面だけの狂気と唾棄した。他の面々も、言葉には出さな

いが概ね賛同している。背後の白竜も──何処となく目を見開き驚いているように見えた。

「……竜はあまりに強大な存在だ。一度牙を剥けば、数多の人が死ぬ。我々はそんな危険因

子を、早い内から摘もうとしているのだよ」

「構わん。邪魔をするならまとめて消し飛ばすぞ。これでこやつに逃げられでもすれば、本

当に“竜狩り”の恥となる」

「だから! てめえらの都合で俺らは──」

 しかしである。クルトがそう再三止めようとした言葉を、彼らは文字通り拳もとい剣でも

って黙らせにきた。背後の手負いの白竜を仕留めるつもりで、内一人が目にも留まらぬ速さ

で地面を蹴る。霞む軌道、辛うじて重剣が振り被られたと理解して、クルトは咄嗟に自身の

長剣で防御しようとするが。

「ガッ!?」

「──邪魔だ」

 その威力に、重さに、全く防ぎ切ることができずに斬り伏せられてしまう。剣を握ってい

た左腕から胸元に掛けて、まるで魚を下ろすが如く引き裂かれてしまう。


 ***


(うっ……!?)

 物凄く嫌な夢を見た。もう何年も昔の、まだ辛うじて人間社会に混ざっていた頃の記憶。

寝室のカーテンから漏れる陽の光に、クルトはすっかり寝坊してしまったのだなと悟った。

「父様~、おはよう~!」

「おはよう。あなた。今日は随分とお寝坊さんね?」

「……おはよう。シルヴィア、クララ」

 気分を切り替えて急ぎ身支度。不自然に境界線のような痕のある左の頬や腕を見つめ、彼

は自宅のキッチンへと降り立った。そこには艶やかな白銀の髪と肌、青い瞳を持つ美しい女

性が朝食を用意しながら待っていた。隣の食卓、子供用の椅子を乗せてある席には、彼女に

よく似た幼い女の子がニコニコとこちらを迎えてくれる。

 妻のシルヴィアと、娘のクララ。

 クルトがあの日、思わず身を挺して庇おうとした白竜──その本人との間に生まれた愛の

結晶である。

「父様、まだおねむ?」

「……ちょっとね。今朝は夢見が悪くって」

「夢? まさかあなた、またあの時のことを……?」

「ああ。もう何十年も前の記憶なのに、中々消えてはくれないらしいな」

 言いながら改めて食卓を囲み、何の気なしに流そうとする。だがクルトのそんな振る舞い

に、対する白竜もといシルヴィアは心配そうな表情を取り消さなかった。儚くこちらを見つ

めてくるそんな姿も美しい──なんて正直な感想を口に出してしまったら、流石に機嫌を損

ねてしまうだろうか?


「よう、クルト。おはようさん」

「強も畑仕事かい? 精が出るねえ」

「おはよう。……まあ、何かしていないと落ち着かないモンでさ?」

 寝坊した分も合わせて、手早く朝食を摂り終え、ぐずる愛娘クララに暫し構ってやってから解放

してもらい。

 クルトは自宅を後にして、一人集落の中を横切って行った。その間にもちらほらと、あち

こちでのんびりと思い思いの過ごし方をする村人達と挨拶を交わす。

 ──運命が大きく変わったあの日、確かに彼は生死の淵を彷徨った。

 だが、それでもこうして今も生きているのは、直後白竜シルヴィアの家族・同胞らが現場に駆け付け

たからだ。流石に何十体もの竜が相手では、猛者たる“竜狩り”達も退かざるを得なかった

らしい。尤もクルト自身、そんな顛末のあれこれを知ることになるのは、全てが遠くに去っ

てしまった後だったのだが。

「んっ……。しょっ!」

 命が助かった理由。それは他でもない、自身が守ろうとしたシルヴィアが駆け付けた同胞

達に請い、自らの血を触媒として傷を治療したからだ。半ば切断されかかっていた身体を繋

ぎ合わせたからだ。

 その荒療治の影響なのか、クルトの左半身は外見的にも大きく変わってしまっている。か

つて切断された左腕の境目辺りから指先は、彼女に似て白亜の肌質になっているし、胸元・

首元から頬に至る各所には、所々鱗のような角質が生まれては剥がれるを繰り返している。


『ううん。私は父様のザラザラ大好き! いつもぎゅーって抱き締めてくれて、ぽかぽか嬉

しくなるんだもん!』


 自宅から道を挟んだ向かい側、集落の一角に設けられた畑。

 クルトはこの隠れ里に来て以来、自ら申し出て農家のようなことをやり始めた。基本細か

な食料栽培など考えになかった他のみなとは違い、何かできることが無いと正直居た堪れなか

ったからだ。

 今日も今日とて畑に入り、成長の妨げになる雑草を手作業で間引く。最初はクルト一人だ

けの地道な作業だったが、近年では里の食料事情に寄与するからと、他にも何人かが田畑を

作って後に続くようになってきた。……良いことなのか、急かして悪かったのか。

「……ふう。このままいけば、今年は収穫量が増えそうだ」

 あの日、手負いの白竜ことシルヴィアを身を挺して助けようとしたことで、彼女や彼女の

一族からは恩人として手厚く迎えられた。勿論当初、中には人間という一括りでクルトを警

戒する者もいたが……それは他でもないシルヴィア自身が説得なり、威嚇なりをして黙らせ

たらしい。曰く、実際あの時彼が“竜狩り”達の前に立ち塞がって時間を稼いでくれていな

ければ、里を襲われて散り散りになった面々が救出に合流・到着するのが間に合わなかった

だろうとも。


『お父さん、お母さん! 私、彼と結婚します! 反対するなら一緒に出てゆくから!』

『お、落ち着きなさい、シルヴィア。そんな剣幕ではクルト君も怖がってしまうだろう?』

『……私達は反対しないわよ。彼はあなたの命の恩人、娘を“狩り狂い”から守ってくれた

雄だもの。長い間生きてきたけれど、そんな人間なんて見たことがないわ……。しっかり支

えてあげなさい』


 彼女の両親、つまりは今やクルトにとって義理の両親でもあるシルヴェスタとハールヴァ

イア夫妻。彼らやシルヴィアに限らず、実は竜種ドラゴン達の多くは、普段人の姿を取って隠れ住ん

でいるらしい。本来の巨体のまま過ごしていれば、すぐ“竜狩り”達に目を付けられて襲わ

れてしまう──そんな歴史、いたちごっこを延々と繰り返してきたからだ。

(それでも俺だが、この里にいる唯一の人間だっていうことには変わらない……)

 ゆったりとした時間。思い思いに過ごし、一見すればとても平和で、争い事など無縁であ

あるかのような彼らの集落。とある竜族の隠れ里。

 クルトは農作業の傍ら、ぼうっとこの穏やかな風景を眺めていた。休憩がてら静かに息を

整えていた。今ではすっかり落ち着き、人口も回復しつつあるが、一時はあの“竜狩り”達

の襲撃を受け存続の危機にあったという。流石に場所は、当初から大きく変えざるを得なか

ったが。

 ぎゅっと、随分竜化の進んだ左腕を見つめて、クルトは物思いに耽る。嗚呼いけない、こ

ういうことになるから、何か没頭することを作ろうとしたのに……。せめて思い出すのは、

幸せな記憶で良い。愛する妻と娘と、自分を受け容れてくれた里の竜達みなと。どのみちもう、

自分は人間の街には戻れないのだから。

「あなた~!」

「いたいた~、父様~!」

「! シルヴィア、クララ……」

「父様、そろそろお昼だよ?」

「お弁当。作ってきたから、一緒に食べましょう?」



 里にほど近い川辺の木の下で、家族三人揃って昼食を広げる。最初は如何せん竜的な味覚

で調理されたものばかりの食卓だったが、段々とシルヴィアも夫のそれに合わせて繊細な技

術を身につけていった。自分の都合ばかりですまない……。過去何度かそうした旨の申し訳

なさを紡いだことはあったが、寧ろ逆に窘められた。曰く愛する人の為、自身が変わってゆ

くのもまた愛おしいのだと。実際クルトが里の住人として迎えられてから、皆の衣食住に対

する要求値は上がったように思える。……やはり、何だか申し訳ない。

「はい、あ~ん」

「あ~ん♪」

「んぐっ……。ふ、二人同時はふだりどふぢばぢょっと……」

 自分で食べられるからと言っても、シルヴィアはここぞと言わんばかりに与えたがる。そ

んな母を見て、クララも無邪気に真似っこをしたがる。クルトは、夫としても父としても、

受けずにはいられない。左右からほぼ同時に、卵焼きや煮ころがしを差し出されても。

「んふ、んぐ……。美味い」

「ふふっ、良かった。私も大分、加減が板についてきたわねえ」

「私も私も! このお弁当~、母様と一緒に作ったんだよ?」

「へえ、そうなのかあ……。偉いぞ」

「えへへ~♪」

 人間側の社会的には、自分はとっくに戦死扱いされているだろう。或いは良くても、生死

不明という格好か。どちらにせよ、あの“竜狩り”達との一件以降、世の中の動きとやらは

まるで分からない。時折別の里の、新聞屋を営んでいる同族などが人里の情勢を伝えてくれ

るものの、正直すっかり興味関心というものが失せてしまった自覚がある。時間の流れと感

覚が、明らかに人里のそれとはかけ離れてしまって久しい現実がある。

(……結局俺は、どれだけ人間を辞めてしまっているのだろう?)

 愛する家族との団欒。自然豊かな、穏やかでゆったりとした時間。

 ただ一方で、瀕死の重傷から蘇る為だったとはいえ、少なからず竜の血が入ったこの身体

ではたしてあとどれだけ長く生きられるのか? クルトの目下の心配はそこだった。きゃい

きゃい、自身と妻の膝の上で無邪気に笑う、娘・クララを見つめて彼は願う。

(この子が成長してゆく姿を見ていたい。ずっと、シルヴィアとも一緒にいたい……)

 そんな願いは、はたして己の領分を越えたものなのだろうか? 既に竜、されど半端なま

まのこの身体と心は、いつかこの子の成長に追い越される可能性が高いのだ。

 その前に、正真正銘シルヴィアと同じになれたら……。

 悶々と、密かに思い悩む彼を、当の彼女はそっと手を添えてきて包み込む。

「もう。またあなたったら、全然違うこと考えてる」

「えっ? そ、そうかな……?」

「そう。あの時からずっと一緒。黙っていれば済んだのに、自分の気持ちに嘘が吐けない」

 まあ、それが良いんだけどね……。本人も惚気だという自覚はあるのだろう。シルヴィア

は言いつつくねくね、クルトと指を絡ませ合い、妖艶に微笑わらった。……本当にこれだから。

なまじとんでもなく寿命が長い分、一度熱に浮かされれば一生ものなのか。いや、自分には

勿体無いぐらいの美人で、すっかり器量良しになって。

「大丈夫。一族わたしたちがついてるんだから。一緒に頑張りましょう? 次に産まれてくる、この子

の為にも」

 クララがにこにこ。幼いが故に、実際よく解ってはいないのだろうが、ただ両親が仲睦ま

じく自分を愛してくれるならオールオッケーといったところ。加えてシルヴィアは、クルト

からするりと一旦絡めた指を話すと、そう少し膨れかけの自身の腹を愛おしく撫でる。

「……二人目かあ。竜的には、結構ハイペースなんだろう?」

「そうねえ。私ぐらいでも独り身なんてざらにいるし……。でもお父さんもお母さんも、名

前をどうしよう服をどうしようで楽しそうだから」

「あの二人はちょっと、デレ過ぎだと思うんだ。クララが産まれた時だっておんおん泣いて

て、俺の分までもっていかれた感があってさあ……」

 ふふふ。クルトが案の定、苦笑いと言うか遠慮しがちな様子に、彼女はまたしても優しく

微笑わらっていた。

 種族の垣根なんて何のその。本当にいざとなれば、再び一族総出で──。

「おお、おお! やはり間違いない! お告げは本当だった! 人と竜、種族を越えた縁を

体現せし神子よ!」

『……』

 ちょうど、次の瞬間だったのだ。家族三人、川辺の木陰で過ごす穏やかな時間に割って入

るように、仰々しくこちらを礼賛するような台詞が聞こえてきた。クルトとシルヴィアは、

ほぼ同時に愛娘クララを背後に隠し、気持ち身を乗り出してこれを注視する。如何にもといった豪

奢な神官服を着た男と、その部下らしき黒法衣の面々が、突如大挙してクルト達の前に現れ

る。

「……何だ、お前達は?」

 怪しい。ことクルトの第一印象はそれだった。妻や娘を守る為にも、その正体だけは早々

に見破っておかなければならない。

「嗚呼、怯えさせてしまって申し訳ない。我々はクルジュ法国より参りました、“竜教団”

の者です。人と竜、人と人ならざる者。今は異なる人々を結び、この世界に真の愛と平和を

もたらすべく邁進している、伝道者であります」

『……』

 ちらりとシルヴィアと顔を見合わせ、されど彼女からは小さく首を横に振る合図があるだけ。少な

くとも彼女及びその一族の生の中で、そうした勢力が存在してきた事実はなさそうだった。

クララクララで、訳の分からぬまま後ろで頭に疑問符を浮かべている。

 そうなると、何処ぞの新興宗教か……? 一体何処で、俺達の情報を得た?

 一応国名も名乗り、妙にこちらを崇拝しているような言動を滲ませるが、如何せんもう長

い間その辺りの情勢には疎い。何より、かつて冒険者時代に培ってきた野生の勘が、こいつ

らを信用するなと言っている……。

「人と竜、互いに種族の垣根を越えし架け橋となったご夫妻、そしてお二人の愛の結晶であ

る神子様。どうぞ我ら“竜教団”へお越しください。我々は皆様を盛大に迎え、世に知らし

める用意ができております。全ての人々に、真実の愛を示す時を待っていたのです!」

(こいつ……)

 クルトは確信していた。朗々と、さも自らの演説に酔っているかのようなこの豪奢な神官

服の男に、彼は吐き気を催すような邪悪を嗅ぎ取っていた。シルヴィアも彼の、夫の傍らを

離れず、同時に愛娘をこの男達の正面に立たせないよう、ぎゅっと背中に回し続けている。

「さあさあ! 行きましょう! 今こそ知らしめる時です! 些末な違いで争い続ける醜き

魂の持ち主どもを、この世から! 一人残らず!」

                                      (了)

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