(1) 傀儡ノ王
【お題】人形、兵士、消える
戦争の悲惨さの大半を占めるのは、街一つ国一つといった物理的な損害以上に、その地に
住まう人々の命や生活が失われることだ。広い意味での、精神的な損害だ。
だったら……そもそも“人間”が戦わなければいい。攻めるにせよ守るにせよ、各々が今
に至るまでに歩んできた人生、関わってきた他人びとの思いが付随してしまう“命”を消費
して突き進む行為なのだから。
故に、誰もが悲しみに包まれる。憎しみに駆られ、結果戦いが戦いを呼ぶ──。
「お、おい! 人形兵どもが帰ってきたぞ!」
はたしてこれで何回目の凱旋だろう。前線で勝利を収めた軍の面々が、ヴァルムスの都へ
と帰還を果たしていた。城壁の門前近くにいた市民らが、ぞろぞろとこれを潜ってくる姿を
認めると弾かれたように駆け出し、周囲の皆へと知らせる。
ただ……そんな彼らの反応は、どちらかと言うと“興奮”よりも“恐れ”を多分に含んで
いるように見えた。帰還した面々を皆で迎えるというよりは、寧ろその通り道に自分達が入
ってしまわないように──かち合うことそのものを、避けようとするように映る。
「ヴァ、ヴァルムス王国、万歳~……」
「万歳~……」
殆ど形だけの、面々に向けられる祝福の掛け声。
それはひとえに、今回の戦が自国から仕掛けたものであるという負い目が少なからず影響
しているのだろう。凱旋、王城へと向かう行列をおずおずと、道の左右に散って固まった市
民らが見つめている。事実、鎧を着込んだ当の兵士達も、何処となく全体的に肩を落として
の行進といった印象だった。
『──』
尤も、軍・民双方が終始重苦しい雰囲気に呑まれていた一番の理由は他にある。軍勢の中
に、そもそも“人ではない”味方が交じっていたからだ。一見すれば、雑に編まれただけの
木枠の傀儡──人形兵と人々が呼ぶ魔術仕掛けの兵が大小様々、物一つ言わず不気味にこの
凱旋に同行していたからである。
小型の個体達は、辛うじて人間と似た大きさや形をしているが、その腕は一対ではなく三
対。剣に槍、盾などの様々な武装を必要に応じて持たされているらしい。行列の中でも特に
数が多いことから、質よりも量で敵を磨り潰す運用であると判る。
中型の個体達は、言うなれば人馬一体型。下半身が馬のような四足構造になっており、機
動力に長けていると思われる。斧槍による突撃型と、弓を背負った遊撃型。或いはその馬の
背中部分に友軍を乗せて運ぶこともできそうだ。
そして大型の──人々から一際目を引く個体達は、文字通りの切り札なのだろう。巨体故
に動きは鈍重だが、一度その大槌のような拳を振るえば、並の城壁など簡単に粉微塵にして
しまえる。頭部には篝火のような網器が付けられており、状況によっては敵陣を焼き払うと
いった作戦にも使えるらしい。
「……ちらっと話には聞いてたが、実際に見ると圧巻だな。そりゃあ、こんなのが徒党を組
んでやって来れば隣国もボロ負けする訳だ」
「しかもあいつらを作ったのが、たった一人の魔術師っていうんだからなあ……。もしこれ
が逆だったらと思うと……」
ひそひそ。緊張が横たわる左右の人ごみの中で、そう一組の市民が圧倒されつつも嘆く。
既に噂に──公然の秘密となってはいたが、そもそも今回東征が決行されたのも、件の魔
術師がこの人形兵達を実戦投入できるまでに持ってこれたからだと言われている。
「……」
頼もしさと恐れと。
ややあって二人を含めた市民らの視線は、誰からともなく、行列の一角を歩む一人の陰気
な青年へと向けられていた。ヘンリクス・ビナー。此度の快進撃、その立役者たる王国付き
魔術師の一人である。
「おお、戻ったか、ヘンリクス。此度の戦果も見事であったようだな? 褒めて遣わす」
「はっ……。有り難き幸せ。詳細な報告については、後日正式に文書としてまとめた上で提
出させていただきたく……」
一旦前線からの帰還を果たすもそこそこに、ヘンリクスは王城へ呼び出されると、すぐ
さま謁見の場が設けられた。玉座の間でヴァルムス王は、上機嫌にふんぞり返ったまま彼
の帰還を労うと、その豪奢な衣装に押し込んだ小太りの腹を擦りながら笑う。
「ほほほ……良い良い。将らの報告でも、お主の人形兵の活躍ぶりは繰り返し届いておるか
らの。それよりも今は、この勢いを殺さぬことだ。此度の開戦以来、我が国の領土は大きく
盛り返した。長年国境線を巡って奪い奪われ、争ってきたレークフルトを、一気に押し潰す
ことのできる絶好の機会であろう? 奴らの東端──海岸線まで到達すれば、内陸国たる我
が国にも、海という広大な資源が手に入る。更なる発展が見込めるのだ」
「……」
そんな青写真を描く王の前に跪いたまま、ヘンリクスは終始寡黙を貫いていた。
こちらは一旦、補給諸々の為に戻ってきただけだ。何か作戦全体に関わる指示でもあるの
かと思いきや、用件それ自体ははっきり言って大したことではない。勿論、国威高揚の場と
して当事者を呼び、讃える意義が解らない訳ではないのだが……。
「それは、陛下のお望みのままに。ただ現実問題、攻め落とした各砦や街の統治も並行して
進めなければなりません。万が一、本隊の退路が断たれてしまえば絶望的ですので……」
「うむ。それは分かっておる。じゃから、それぞれに事後処理用の部隊を配置していってお
るだろう? お主がこうして何度か戻って来られているのも、そのお陰ではないか」
「……はい。現地でのあれこれは、上将軍の皆様にお任せしています。自分はあくまで魔術
師。学者ですので……」
「ふふ、欲がないのう。此度の戦は、間違いなくお主の人形兵がいなければこうも上手くは
進まなんだ。相応の褒美を求めようとも、罰は当たらんだろうに」
ヘンリクスは自身の立場を、今回の戦争──ひいては後に続くであろう政治的な駆け引き
の中には置くまいとしている節があった。ヴァルムス王はこれをあくまで謙遜の類と見てい
たが、当の本人の淡々とした受け答えは変わらない。この場、玉座の間の左右で控える家臣
団や騎士達の視線も時折視界の端に捉えつつ、彼は続ける。
「……それならば、追加の“駆動結晶”の材料を少々」
「人形兵の核となっているアレだな? よかろう。儂らで用意できる限りは好きなだけ使う
といい」
「はっ。有り難き幸せ」
「しかし……。味方ながら恐ろしい者どもよ。ヘンリクス、お主があの人形兵どもの運用を
提案してきた時、最初はあんな木偶人形で本当に戦えるのか? と正直思っていたが……。
あれは実に良いな。生身の兵とは違って死なず、その核さえあれば幾らでも作り直せる。身
体の方の材料は、廃材なり何なりでも替わりが効き、そもそも起動さえしてれば魔術によっ
て並大抵の攻撃では傷を与えることも難しい。しかもこちらの命令には絶対服従! これほ
ど戦争に向く発明はない!」
「……」
一見すれば粗悪な人型でしかない人形兵だが、その体内には彼の魔術で作られた、心臓部
とも言える拳大の結晶石が埋まっている。ヴァルムス王も絶賛する通り、基本この結晶が破
壊されない限り、人形兵は動き続ける。たとえ腕の一本、足の一本が損壊しても、そもそも
痛みや恐怖など感じる筈もなく命じられたままに敵を襲い続けるのだ。ヘンリクスは補充の
約束を取り付け、黙したまま改めて深々と頭を下げていた。
多くの魔術は原則、使い手がその場で呪文を唱えるなどの必要があるが、人形兵に関して
はそれを個々の駆動結晶が行ってくれる。予め覚えさせた無数の動きを、制御装置である緑
の指輪を持った人物の指示によって、ある程度臨機応変に放つ。要所要所が攻略される度、
彼が何度も戻って来れているのは、現場の上将軍達にこれらを支給してあるためだ。
「次の街が落ちるのはいつ頃になるかのう? もう少し、ダタル川の砦を押さえれば、奴ら
の都はすぐそこだ」
「……上将軍の皆様の指揮次第ですが、そう長くは掛からないでしょう。損耗した人形達や
補給さえ済めば、じきにその報告もお聞きになられるかと」
うん、うん。
ヴァルムス王は終始上機嫌、さも自らの力だと言わんばかりに、何度もヘンリクスの言葉
に頷いていた。家臣達や場に詰めていた騎士らがギリギリと、戦争前までは一介の王国付き
魔術師に過ぎなかったこの青年に眉を顰めている。
彼の指に嵌められた、赤い宝石の指輪──最上位の命令権を持つ制御装置を忌々しく見つ
めながら。
「──まったく、あのビナーという男。陛下に取り入りおって……。学者だという自覚があ
るのなら、その通り自身の部屋に閉じ籠っておれば良いものを」
「仕方がありますまい。陛下に、我が国にとってレークフルトとの紛争は、長年頭を悩ませ
てきた難題でしたからな。そこに人形兵という、相手には無い強みを持つ大部隊が転がって
きたのです。浮き足立つのも無理からぬことでしょう」
謁見が済んだ後、そそくさと王城を去ってゆくヘンリクスを横目に、城内の者達はここぞ
と言わんばかりに陰で不平不満を漏らし合った。
「──実際、強いのは分かる。過去これだけ我が国がレークフルトを押した戦は無い。だが
これでは、我々騎士団や軍そのものの存在意義が……」
「彼が直接、前線を指揮しようとしていないのが幸いですかね? まあ、今回遠征を命じら
れた上将軍達に、制御装置? なる物が渡されているそうですし、餅は餅屋というつもりな
のでしょうが……」
長年、国境を巡って争ってきた隣国との戦況が、ガラリと大きく自分達有利に傾こうとし
ている。その点において不服な者はいなかった。だが、そんな急激な変化は同時に、これま
で両国の絶妙なバランスの上で食い繋いできた者達にとっては脅威だった。もしこのまま奴
の人形兵がレークフルト全土を制圧でもしようものなら、この国の主力が丸々自分達と入れ
替わってしまうかもしれない。
「──いやあ、心配し過ぎでは? 所詮は人形、数で敵を磨り潰してゆくことはできても、
政治までは真似できますまい。ビナーも言っていたように、あれはあくまで使い潰せる、便
利な道具に過ぎませんよ」
「うぅむ……」
道具。そう、人形兵達に基本自我など無い。ただ制御用の指輪を身につけた者の命令に忠
実であり、壊れても何ら心が痛まない──元より命ですらないただの傀儡だ。そんな存在に
嫉妬し、心を搔き乱されているのは人間の方。勝手に作り出し、勝手に使い潰し、勝手に脅
威に感じている。ただ、それだけの筈なのに……。
「右翼、第三から第五、第八から第九! 人形達に続け! 相手の隊列が崩れた所へ、一気
に風穴を空けるんだ!」
ヴァルムス王国による、隣国レークフルトへの侵攻は、以後も怒涛の勢いで進んだ。王が
望むように東へ東へ。かつて互いに一進一退で争っていた国境線をとうに越えても尚、その
版図は歪にレークフルト領内へと延びていった。数で呑み込む小型、機動力をもってヒット
アンドアウェイに長ける中型、そして相手の防御ごと粉微塵にする大型。人形兵らを露払い
として運用し、王国軍は次々に隣国側の要衝・街を落としていった。但し。
「いいか? 狙うのはあくまで軍属だ! 逃げる市民は追うな!」
「目的は制圧であって、攻撃じゃない。彼との“約束”を忘れるなよ?」
前線の指揮官、指輪を託された上将軍達は、何故か一様にそんな指示を繰り返し人形兵や
部下達に下して戦っていて──。
「……む? セルジュ、何をしている? その椅子はまだ儂の物じゃぞ?」
それは今回の開戦から暫く、王国軍がちょうど大きな平原地帯に差し掛かろうとしていた
頃だった。玉座の間に出てきたヴァルムス王が、ふと玉座に座っている自身の息子──王子
の姿を認めた。何かの悪ふざけか? 思って尚も何処か諭すような口調で近付こうとしてい
たのは、やはり油断だったのだろう。
「いいえ。もう、貴方にその資格はないのですよ。父上……」
対する王子、セルジュの返した言葉と態度は、しかして王の想像する範囲内にまるで無か
ったものだった。
性格としては寧ろ、大人しい方。
武人というよりは文官寄りで、王城の魔術師達ともしばしば学問を──。
「今更情なんて掛けないでください。俺との約束を、破る気ですか?」
「!? ヘンリクス。お前、何故……?」
ちょうどそんな時だった。本来の立ち位置とは逆で向かい合う、国王親子へとぴしゃり水
を向けるように、次の瞬間この玉座の間へとヘンリクスまでもが姿を現したのだった。謁見
の予定などは無かったのだろう。流石にこれにはヴァルムス王も驚き、思わず目を見開いて
いる。
「何故って……この状況でまだ解りませんか。貴方の味方はもう、何処にも居ないと言って
いるんですよ。ヴァルムスは今後、セルジュ殿下の下で再出発することになる」
「なっ!? なっ──!? う、裏切ったのかぁ!! ヘンリクス!!」
「……裏切るも何も、俺は始めからその為に、王国付きの魔術師になったんだ。その方が研
究の為の予算も、施設も充実しているからな」
寡黙で従順な頭脳。そう思い込んでいた王は、自身とは対照的に淡々と語る彼に、青筋を
立てながら吼えていた。睨み付けていた。はあ……と、わざとらしく盛大な嘆息を吐き、改
めて玉座に腰掛けたままのセルジュを一瞥すると言う。
「おい、お前達! 何をしている!? こやつらを捕らえんか!」
「無駄ですよ。そいつらはもう、全部俺の作った人形達です。貴方には何一つ従わない」
「に、人形……? だが……」
言うなればクーデターの真っ最中。にも拘らず、しんと誰一人動かない場の近衛兵達。
ヴァルムス王は彼にそう知らされて、信じられないといった様子で兵達を見渡していた。
少なくとも自身の目には、普段から見覚えのある、王国でも指折りの騎士達ばかりで……。
「誰が、人間そっくりの人形兵は作れない、なんて言いました? 人相さえ把握できていれ
ば、見た目なんてどうとでもなります。少しは違和感ぐらい覚えるんじゃないかと思ってま
したが……全然でしたね。少しずつ、本物と取り換えてきたんですよ。あ、勿論、本人達は
無事です。金やら何らを渡して、余所へ移って貰いましたから」
「──」
王はそこでようやく、自分がずっと謀られていたことを知った。ヘンリクスは始めから、
自分を貶める為に、件の人形兵を紹介してきたのだ。
動力源は、謹製の結晶石。粗雑に編んだ木偶人形でも機能するとしていたのは、おそらく
取り換え作業が完了するまでの印象操作。カモフラージュ……。
彼が赤い腕輪の制御装置をかざし、王の叱責では微動だにしなかった近衛兵──に似せた
人形兵達が動き出す。ガチャ、ガチャリと鎧を鳴らし、切っ先を向けて王を取り囲む。
「もしかして……。セルジュとも、始めから?」
「ええ。研究棟へもよく足を運んでくださっていましたし、俺達の研究にも理解を示してく
れていました。何より貴方のように、力に溺れて戦争を愉しむような方ではない。……だか
らこそ、途中で全てを話し、協力者となってくれたのです」
「……」
セルジュは黙っていた。或いはここで下手に自分が直接動けば、実の父に手を掛けたとの
悪評が拭えなくなるとの算段だったからか。
ただヘンリクスにとっては、そうした点はどうでも良かった。そもそも彼の目的は、玉座
でも何でもなかったのだから。
「ヴィトーという街を憶えていますか?」
「む? ああ、忘れるものか。かつて我が国と、レークフルトの国境に位置していた街だ。
十数年前に、奴らの攻勢を受けて奪われてしまっていたがな」
「ええ。俺の故郷は、あそこなんですよ」
「……何?」
じっと王を見つめて。ヘンリクスは語る。その瞳はもう、郷愁の念や美しい思い出といっ
た輝きは無く、只々暗く何処までも汚れ切ってしまっていた。気持ち眉根を寄せる王に、彼
は数拍独白を止めた。言葉を整理する為、或いは王が自身の故郷のことを憶えていてくれた
からか。
「……あの頃俺はまだ、何の力も無いガキでしてね。誰も守れなかった。両親も妹も、仲良
くしていた友達も。皆あの襲撃のせいで死んだ。俺だけが生き残ってしまった。街自体は何
とか全滅せずには済んだけれど、俺にとってはもう無くなった場所なんです。だから俺はず
っと、あの時の復讐をする為だけに生きてきた」
「復讐……? なら相手が違うだろう!? あの時攻めてきたのは、レークフルト側の軍勢
であったろうが! 儂らは守ろうとしたのだぞ!? 急ぎ兵を送って止めたのだぞ!? 感
謝されても、恨まれるような──」
「同じだろ!! お前らがずっと昔から、意地になって攻めて攻められを続けてきた所為で
父さんや母さんは死んだんだ! ミリィは矢に刺されたんだ! アルフもブレンダも、クリ
スティナも、みんなみんな死んだんだ!!」
それでももう過去には戻れない。あくまで攻撃側は隣国だったと主張する王に、ヘンリッ
クは今まで見せたことのないような怒気と大声でこれを遮る。
憎しみの火が灯っていた。瞳から失われた輝きの代わりに彼が得たのは、以来ずっとひた
隠しにしつつも絶やさなかった、復讐という名の存在理由。
「……貴方も、俺の発明品を見て賛同していただろう? 生身の人間なんて使うから、戦争
ってのは悲惨になる。双方損害が大きくなり過ぎて、宙ぶらりんのまま中断せざるを得なく
なってくるんだと」
「だから、俺は人形兵を作った。あれから随分と時間が掛かっちまったが……。さぞかし使
い心地が良かったろう? 人間じゃなく、物だからな。無駄に命を散らせず、あんたらのく
だらない陣取り合戦に終止符を打てる」
「父上。貴方は、彼の報告書を一体どれだけ読んだ? あれだけ圧倒的な兵力を実現しなが
らも、彼は無関係な市民を極力殺さないようにしていたんだよ。わざわざそれを条件に、出
陣を命じられる予定だった上将軍らに指輪を渡してね。……こじ付けかもしれないが、彼は
本当に“領土だけ”を奪わせたんだよ。人間さえそこからいなくなれば、そもそも国境だ何
だと言って争いが起こることはなくなる」
「……」
絶句するヴァルムス王。ヘンリクスとそれを捕捉するように続けるセルジュを、彼は尚も
信じ難いといった様子で見つめていた。
怒りよりも、じわじわサァッと理性──いち為政者としての頭の回転が、この状況に対し
て適応をし始める。
この国にも、レークフルトにも向けられた復讐。陣取り合戦。領土だけを奪わせる……。
「っ!? だから平原か!」
「ああ。理解が追い付いてきてくれて助かる」
「ヘンリクス達が最初、前線を押し上げようと急いでいたのは、あの辺り一帯に戦況を持っ
てゆく為だ。あの一帯は草原だらけで、街などはほぼ無い。我が国とレークフルト、双方の
緩衝地帯とするには、もってこいの立地だったんだ」
「……二度と、あの日のような出来事を起こさない為には、境目に街があってはいけない。
だから復讐も兼ねて、彼らにはあそこまで下がってもらうことにした。そして次はあんた、
この国だ。正直、王とか政治なんて興味ないんだが、殿下にそこは後の事を考えてくれと頼
まれてしまってな……。じゃあ、殿下がやってくださいよという話になった」
「……無茶苦茶だ。そんな勝手、許されると思っているのか!? お前一人の報復の為に、
祖国も隣国も巻き込んで!」
「お前が言うな! 大体、今回の侵略だってノリノリだった癖に。お前らの言う長年の争い
も、俺の味わった苦しみも、動機としてそこまで差があるものでもない……。なのにどうし
て、俺だけが堪えて、お前らは堪えなくていいんだ? ……理屈じゃないんだよ。俺は復讐
すると決めた。それ以外も、以上も、知ったこっちゃない」
『──』
王は思わず憤った。自身の野心を棚に上げ、この独り善がりな害意を隠していた男に。
だが当然ながら、対するヘンリクスもまた声を荒げる。少なくとも、彼という人間の半生
とは、今日この時の為に続いてきたことに間違いはなかった。かつて守れなかった者達の後
を追うでもなく、死ぬことを先延ばしにしてまで、為さなければならなかった復讐。王も、
言わば内通者として交友を続けてきたセルジュも、そんな宙ぶらりんな思いを前に適切な言
葉が見つからない。
「……喋り過ぎましたね。それでは殿下、後は宜しくお願いします」
「ああ。しかし我が国から始めた事とはいえ、本当に父上の首でもって此度の戦に幕を引け
るのかは……」
「くっ!? ま、待て! セルジュ、お前達! わ、儂が死んだら、この国はッ──!」
かくして、後世“悪夢”の異名で語られる、ヴァハムスによる第七次レークフルト侵攻は
幕を閉じた。人形兵という、極めて異質な兵器による一連の進撃は、結局同国中枢で起きた
内乱──皮肉にも人間同士の感情が原因で終止符が打たれたのだった。
父たる先王を排したセルジュ新王は、彼の強硬路線に反発していた者達を中心に体制を立
て直すと、レークフルト側に父の首を差し出して謝罪。両国間による不戦条約が結ばれるこ
ととなった。実の父すら引き摺り下ろす非道の男か、或いは“悪夢”を終わらせた英雄か。
どちらにせよ、当のレークフルトを含む人形兵の出現に震撼していた周辺各国にとって、王
の代替わりは胸を撫で下ろした案件であっただろう。
ただ……彼らがもっと驚き、困惑する事件が程なくして起きた。件の終戦の地、両国の緩
衝地帯となった平原の真ん中で、元凶であった魔術師・ヘンリクスが焼身自殺したのだ。し
かもその際、自身が発明した人形兵や研究資料の一切合切も一緒に。
『──』
公に自ら語ることすらしなかったため、当人の意図は分からない。だがおそらくは、他の
誰よりも人形兵の恐ろしさを知っていたからこそ、自分の死後に悪用されることを防ごうと
したのだろう。
あくまでこれは、自身の復讐の道具であって、元より他人に渡すつもりなどない。
何より後世誰かの手に渡り、かつて故郷を襲った理不尽が繰り返されるなら、この復讐も
きっと無意味になる……。
人々は口々に嘆いた。陰に表に罵った。本当に、何処までも自分勝手な男だったと。
はたしてそれも計算の内だったのか、それとも期せずしてそうなっただけなのか。
彼が自らを焼き、命を絶った件の平原は、今も人々が忌み嫌って寄り付かず“平和”な姿
を保っている。
(了)




