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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-140.July 2024
200/284

(5) Channel EYES

【お題】砂、幻、ヒロイン

 大病なり事故を経験した人間は、それまでの価値観がごっそり変わるとはよく云うが……

ここまで“目に見えて”だなんて聞いていない。そもそも自分は、別に頼んですらいないと

いうのに。

「──」

 街の中心部、人だかりに自ら出掛けてゆくなど久しぶりだ。りょうは目深に紺の地味なキャッ

プを被ると、なるべく他人の注目を浴びぬようにコンクリートジャングルの一角を渡ってい

た。

 ビルとビルの隙間、地上と交差する立体的な空中回廊もとい長めの歩道橋を進み、前後左

右の往来と気持ち距離を保ちながらじっと目を細めている。

(やっぱり……“視え”る)

 ただでさえ、密度の少なくない人の流れ。

 しかし彼にとっては、もっと頭を悩ませてならない問題がそこには広がっていた。本来在

るであろう他人びとの姿、その上にザザザッと、まるで彼ら個々人が“現在進行形で塵にな

ってゆく”さまが瞳には映し出されていたのだった。

 少しずつ、だが着実に、彼らの身体を崩壊させてゆくような。

 尤も──当の本人達はまるでそのことに気付いている様子はない。皆何食わぬ顔で、今日

という日を謳歌しているように見える。或いは明日のことなど考える余裕もなく、ある意味

既に死んだような目で目的地へ急いでいるらしい者もいる。

「……」

 彼、灰音瞭の視る世界がかのように一変したのは、三年前にバイクの轢き逃げ事故に遭っ

てからだった。

 無茶な運転で交差点に入って来た相手のバイクが、避け切れずに自身へと接触──頭部を

含めた身体のあちこちを縫う大怪我を負わされたものの、医師達の必死の手術によって一命

を取り留めたのだが、いざベッドの上で意識を取り戻した彼に待ち受けていたのは……文字

通り掛け値なしの“地獄”だった。

 最初こそ、何かの後遺症だと信じて疑わなかった。実際当時の主治医に何度も訴え、検査

をしてもらったのだが、眼や脳にそれらしい異常は見つからず、結局事故のショックによる

精神性のものだろうと片付けられてしまった。


『違う! 本当に視えるんだ、本当に!』

『どうして分からない? あんたら自身のことだぞ……!?』


 だが、やがて主張すればするほど周りには狂人扱いされ、一時は精神病院に入れられそう

になった。仕方なく、怪我自体はその頃ほぼ治っていたこともあり、半ば急かされるように

退院したのだが……あの時から視える世界は、一変した風景が元に戻ることはなかった。今

日訳あって外出しても、老若男女、ひいては彼・彼女らが時折連れているペットにさえ件の

“塵に還ってゆく”ような崩れが被さっている。本当に何故、あんな状態で正気でいられる

のか? 瞭は色んなものが信じられなくなっていた。

 今日だって、あいつらが繰り返し繰り返し訪ねて来なければ、きっと……。

(……今更、俺に会いたい人間なんているのかよ)


 ***


 退院後、相変わらず視え続ける他人びとの姿について口を噤みながらも、厭でも視えてし

まうが故にいくつか解ったことがある。

 一つは、どうやらこの眼で視える塵の崩れ──細かい砂のように身体から落ちているその

頻度や量は、当人らの“寿命”に比例しているらしい。まだ若い中高生や園児、学生の辺り

はそこまでバラバラと塵が出ているさまは目立たないのだが、これが歳を経るにつれてどん

どん激しく無視し切れないぐらいになる。当人らは何も気にせず、こちらとやり取りしたり

通り過ぎたりしてゆくのだが、こちらとしてはそもそも塵になってゆく毎秒の量が多過ぎて

本来の姿すら見え難い時がある。そしてそんな誰かは──経験上、そう遠くない先で亡くな

ってしまっている。

 二つ目は、量だけでなくその“位置”もある程度重要な情報らしいということ。

 例えば勤め先への復帰後、隣の部署のお偉いさんが、腹から随分と大量の塵を撒き散らし

ながら働いている様子が視えた。元々、典型的な中年太りで、お世辞にも健康的とは言えな

い人だったが……「量がまた増えたな」と思った翌々日、急死したと知った。心筋梗塞だっ

たらしい。その体型からすれば妥当かと思いつつ、まだまだ働ける歳での発症には、周囲も

多かれ少なかれ驚いていたようだ。ただ一人、瞭だけは、内心ああやっぱりと自らの得てし

まったこの眼を呪う他なかったのである。

 そして三つ目──彼が視えるようになった“崩れ”の発生は、何も生物だけに限った話で

はないということ。

 人間などのナマモノほどではないが、気付けば視界にさえ入っていれば、彼はモノの寿命

すらもある程度判ってしまうようになっていた。要するにそれは、その物体・構造物が持つ

強度の限界などを指すのだろう。

 あの日も、彼は半ば身体が先に動くようにして関わってしまった。


(うん……? あれは……)

 それはまだ、職場に復帰して何とか新しい景色に慣れようともがいていた頃。その日用事

で雑居ビルの前を通っていた瞭は、ふと頭上高くに吊るされていた金属パイプ──上階での

改修作業用に組まれようとしていた、足場のパーツを視界に映して戦慄する。

 “崩れかけ”ていたのだ。金属パイプと、これを吊るしていたクレーンのワイヤー。その

継ぎ目辺りから、明らかに普段よりも見慣れていない量の塵が噴き出している。今にも、千

切れようとしている。

 加えてちょうどその折、視線を正面に戻せば、自分の少し先を進んでいる女性が一人──

このままでは落下したパイプの直撃を食らってしまう人間が。

「っ! 危ねえッ!!」

 殆ど、反射的な行動だった。彼は瞬間、自分が“視た”状況から彼女に降り掛かる惨事を

予見したと同時、そう叫んで疾走。彼女を抱えるように前方へ転がり込んだのである。

 ワイヤーが千切れ、金属パイプが落下してきたのは、その直後の出来事だった。現場に鳴

り響く轟音と砂煙、居合わせた人々の絶叫。周囲は一時騒然となった。一歩間違えば自分が

あの下敷きに……? 彼に抱えられた、この若いOLと思しき女性が、たっぷり十数秒経っ

てからその事実を理解して震える。


『灰音君。ちょっといいかね』

『? はい……。何でしょう?』

 だが、事態は彼自身を、思わぬ方向へと追いやることとなる。

 危機一髪だった件の救出劇を演じた数日後、彼は職場の上司から直々に空き会議室へと呼

び出されたのだった。いつも生真面目で、眉間に皺を寄せているような性格ではあったが、

今回の上司のそれは普段にも増して険しかった。

『……正直に答えて欲しい。これに映っているのは、君で間違いないかね?』

 差し出されたのは、上司のスマホ。そしてその画面に再生されたのは、あの日自分が無我

夢中で助けたあの女性と、金属パイプ落下後の混乱。一部始終。

『え、ええ。自分です。この前、偶然出くわしまして。それで……』

『ほう? 偶然、か……』

 まさか、あの現場で悠長に撮影している暇人にんげんがいたとは。

 しかし対する上司の反応は全く違っていた。特に他意もなく、寧ろ善いことをしたぐらい

に内心思っていた彼を、この上司は思いも寄らぬ方面から指弾してきたのである。

『あの事故があったことは、私もテレビのニュースで観た記憶がある。幸い怪我人の一人も

出なかったのは奇跡だったのだろうが……灰音君。あれを仕込んだのは、他ならぬ君なので

ないかという声が上がっている』

『……はあ!?』

 最初、何を言っているのかよく分からなかった。だが上司があくまで淡々と、自身に上げ

られてきた事実のみを報告してくると、彼もようやく自分の“過ち”に気付かされたのだっ

た。

『妙だとは思っていたんだ。例のバイク事故からの回復と退院、それは素晴らしい。だがど

うも復帰以来、君はやけに“壊れそうになる”備品が判っていたね? 尾藤君の骨折や行田

君の胃潰瘍も。……少し前から、社内では噂されているんだよ。君がそうなるように細工を

していたからなんじゃないか? と。入院中の後れを取り戻そうと、わざと自分の実績を作

ってアピールしようとしているんだろう、と』

『……そんな訳』

 ある筈ないじゃないですか!

 反発しようとしたが、刹那この上司の目を見て彼は、灰音瞭はハッと喉を詰まらせた。他

ならぬこの目の前の上司自身が、まるで灰色に濁ったような──隠し切れない嫌疑心を宿し

た眼をしていたからだった。

 ふるふる。ゆっくりと首を振る。否定はしたが、少なくともこの上司が納得してくれたよ

うには思えなかった。じっと、代わりに暫くこちらを見つめてきてから言う。

『私個人としては、大分無理のある主張のようには思うのだがな……』

『後日、弁明の場を設けようとの話が出ている。もし何か事情わけがあるなら、その際に話して

くれるでも構わない。要は、彼らが引き下がりさえすればいいんだから』


 ***


 正直に話せる訳がなかった。実際問題、自分自身でもこの眼が何なのか、よく判っていな

かったのだから。

 瞭は、その後結局設けられた弁明の場でも追及を受けるばかりで、事故後に視えるように

なった景色については打ち明けられなかった。話したところで、自身の“犯行”を正当化す

る為の妄言だと罵声を浴びせられるのは目に見えていたからだ。

 なら──どうする? 瞭は、自分が職場を去るという選択をした。それがどのみち、自分

を疑う人間にとっては状況証拠おすみつきと解釈されるだけだろうと解ってはいても、そうせざるを得

なかった。少なくともあのまま、職場に残っていてもわだかまりは残り続けるだろう。自分

もそうだし、全く関係ない他の社員達にまで迷惑を掛け続ける訳にはいかない。何より──

早々に事実上の圧を掛けてきた会社側を、もう信用などできない。

「……」

 歩道橋の中空から、あの時現場となった雑居ビルが見えていた。流石にあれから何か月も

経ち、改修作業とやらも済んだらしく、近辺は何もなかったかのように日常の往来を取り戻

していたが……正直内心モヤモヤとする気持ちは残る。願わくば、もう二度と近付きたくな

い、元凶の地になってしまったのだから。

「お~い! あんちゃん~! こっちッスよ~!」

「に、二上にかみ。こ、声が、大きい……」

 そうして彼が、ふと道すがらかつての因縁の場所を遠巻きに、思わず足を止めていた最中

のことだった。彼の先を歩いていた二人組が、明らかにこちらを振り返って叫ぶ。ついて来

いと急かす言葉を投げてくる。

 一人は、モサモサした髪型で目が隠れた、比較的小柄で陽気な青年だった。

 もう一人は、彼を二上と呼び、彼とは対照的にかなりの長身でありながら小心者そうなお

どおどっぷりをみせる男性。

「……分かってる。すぐ行く」

 まるで旧知のような距離感だが、実際のところ瞭にとって、この二人は今朝出会ったばか

りの他人である。いや、あの冤罪と退職以来、彼にとって自分以外の全てが敵だった。なま

じ視えるからと、良かれと思って取った行動が全てを台無しにした──異常者なら異常者ら

しく、このまま本当におかしくなってしまおうかと鬱屈していた矢先、だったのに。


 何でも、彼らはとある人物から依頼を受け、自分を捜しに来た探偵らしい。

(……探偵ってもっと、コソコソ隠れながらやるモンじゃねえの? 真正面から訪ねて来ら

れたって、警戒されて当たり前じゃんか)

 実際自宅のアパートのチャイムが鳴らされ、覗き窓から彼らを見た時、瞭は居留守を使っ

てやり過ごそうとした。実際何度かはそうした。だが彼らは、繰り返し繰り返しアパートを

訪ね、こちらが出てくるのを待ち続けたのだ。

『ええと……。灰音瞭さんのお宅で間違いないですか?』

 怪しさマックス。ぶっちゃけ、近所迷惑で警察を呼ぼうかとも考えた。ただ前職の件もあ

って、もうこの手のゴタゴタを自分から作るのが億劫だっただけだ。

 自分に会いたい人がいる。

 何が目的かは知ったこっちゃないが、それさえ済めば、こいつらもいい加減家の前をうろ

ちょろしなくなるだろう。


「──あいよっと。ご到~着。ここが、俺っち達の職場です」

「ええと……“能見探偵事務所”? “どんなものでも探します”?」

 二人に案内された先は、街の雑踏からふいっと切り離されたかのような、ビル群とビル群

の間に挟まれた路地裏の一区画だった。そこには確かに事務所らしき二階建ての──少なく

とも住宅ではない半鉄骨の家屋が居を構えており、達筆な字の木板看板が下がっている。

「い、依頼人には既にこちらに来てもらっています。所長達が、お話し相手になっていると

思うんですが……」

 長身の小心者、自己紹介時に大森と名乗った側の男性が、そうおずおずとした口調で瞭を

案内し、事務所の玄関を開けて階段へと上がってゆく。彼と瞭、その後ろを二上が挟む込む

ような形でついて来る。何気に、逃げ出さないような布陣なのだろうか。

「お? おかえり~。例の彼、連れて来れた~?」

「ばっちりッス。紹介しますね。うちの所長」

「はいはい~、どうも。この探偵事務所の代表をしております、能見です。よろしくね?」

「は、はあ……。どうも」

 メインの事務所フロアと思しき二階の広間には、事務用のPCや書類棚に囲まれて座る四

人の男女が既に顔を揃えていた。

 一人は、そう初対面限らずひらひらと手を振る、人懐っこそうな女性所長・能見。静かに

自席のPCを操作するばかりで、こちらを一瞥しただけの不愛想な青年が一人と、そんな彼

と瓜二つの顔立ちをした女性が一人。そして。

「あっ」

「……? あっ!」

 忘れる筈もない。瞭があの落下事件の際、助けた女性の姿が。

「えっと……。もしかして……?」

「ええ。依頼人というのは彼女。貴方にどうしても、助けられた時のお礼がしたいと、うち

の事務所を訪ねて来てね」

「……ネ、ネットでここの噂を知ったんです。何でも探し物の成功率百パーセントだとか。

顔もおろか、名前も全然知らないままだったから、どうにかして……。でも……」

 ただ、そんな彼女の一生懸命さとは裏腹に、彼は内心次の瞬間ウッと唸ってしまった。言

いながら彼女がおずおずと鞄から取り出し、見せてきたのは、忘れもしないあの時の一部始

終が撮影された投稿映像だったのだから。

「……ここに映っている人物だと聞いてからは、すぐに捜し出せた。その上でそいつら──

うちに二上と大森が貴方のお家にお邪魔したという訳です。……訳あって、少々強引な手を

採らせてもらいましたが」

「そうそう。いや~、でも今回も見つかって良かったよ~。これで貴方がホイホイついて来

てくれなかったら、うちのアピールポイントが嘘になっちゃったからねえ」

「……自覚があるんなら、もうちょっとやりよう考えてくれよ。所長なんだろ?」

 あはは。能見は笑っている。瞭は目一杯嘆息を吐いてやった。

 解っている。この手の人間は、何だかんだと自分の筋的なものは決して曲げることのない

タイプだ。

「その……。あの時は、本当に有難うございました。もし貴方が庇ってくださらなければ、

今頃私は」

「あ、いや……。いいんだ。俺が勝手にやったことだから」

 件の依頼主、あの日の彼女はぺこぺこと何度も頭を下げ、瞭に謝っていた。彼も彼で、ど

う応えていいものかと迷って言葉を濁す。誰かによってネットに投稿されていた──それだ

けは手掛かりとして知ったとしても、まさかこちらがその所為で会社を追われるような格好

になってしまったことまでは知らないだろう。知る必要もない。自分があれを“悪手”とし

て首を絞めたのは、こちらの責任だ。彼女に気を病ませる道理など全く無い。

ゆいちゃん」

「はいは~い。と・り・あ・え・ず。コーヒーでもどうぞ?」

「あ……。どうも」

「い、いただきます……」

 そんな最中、能美が結と呼んだ女性、先の瓜二つの女性の方が、手馴れた様子で二人分の

コーヒーを淹れてくれる。コトンと、硝子の応接テーブルの上に相対して置かれる。

(……あんまり、気持ちが晴れはしないな。善いことをしても、俺自身に返ってきたデメリ

ットの方が大き過ぎるからか)

 くいと控えめに一口。思考しながら彼女の様子を窺う。

 元々こういう性格なのか、或いはこちらへの気負いや見知らぬ探偵どもたにんがわんさと周りを

囲んでいる状況だからか。随分と彼女は緊張しているように見えた。件の眼にも塵はそれほ

ど流れていない。致命的に具合が悪いという訳でもなさそうだ。

「──依頼人さん?」

 だが、それでも様子がおかしいことに気付いたのは次の瞬間だったのだ。ガクンと、一口

二口飲んで俯き加減だった彼女が、明らかにそれだけでない理由で前後不覚。応接テーブル

に突っ伏して動かなくなってしまう。

「!? 依頼人さ──!」

「大丈夫ですよ。ちょっと、こちらも用があって眠ってもらっただけですから。二時間もす

れば目が覚めます」

 だというのに、この所長・能美以下、探偵事務所の面々はあたかも始めから計画していた

かのように割って入って。ハッと、半ば反射的に睨むように顔を上げたこちらを、じっと品

定めするように見つめていて。

「……最近の探偵は、随分と好き勝手なんだな。自分らの依頼人すら罠に嵌めてまで切り出

そうっていう用件ってのは何なんだよ?」

「まあまあ、そう怒らないでください。いえ──憤っているのは、自分自身にでしょうか。

またしても自分の所為で、誰かを巻き込んでしまった。哀しみと怒りの色が混ざるようにし

て増えています。元々あった、黒く染まった部分へ割り込むように……」

「あ゛?」

「所長。彼には迂遠な言い回しより、もっと直接伝えた方が良いと思いますよ。“過去”の

言動を視てみても、彼の性質はどちらかというと衝動が勝っています」

「はいはい。解ってるわよ~。私もちょっとぐらい、いい格好したいじゃない?」

「……」

 何を言っている? 瞭は自身でも遠慮が効かなくなってくるぐらい、能見達をギロリと睨

み付けていた。瓜二つの青年の方、PCを叩いている不愛想な彼の進言も軽く受け取り、彼

女は気持ち居住まいを正した。応接テーブルの上には、相変わらず依頼人の熟睡した寝顔が

張り付いている。

「灰音瞭君。貴方は──周りの人間には視えないものが視えている。そうでしょう? 例え

ば他人の病気を抱えた部位や、今にも千切れそうな宙吊りの金属パイプ。モノの限界、ない

し消耗具合が視覚情報として捉えられてしまう……といったところかしら?」

「っ!?」

「正解みたいね。今回、彼女からの依頼で貴方を捜していたのは、何も彼女の為だけではな

いの。貴方が私達のように、何かしら切欠で全く異なる世界を視れるようなった、特別な眼

を持つ人間の一人だと睨んだから」

「……ちょっと待て」

 まさかとは思った。瞭は一旦片掌を突き出し、能見の話を止めさせる。

 “私達”? その言い方じゃあ、まるで……。

「ええ。私を含めたここにいる全員が、それぞれ特殊な“眼”の能力を持っている。さっき

お薬で眠ってもらった彼女──芳野さんを除いてね」

 まさか。一旦止めたというのに、それでも能見は語る。或いはそういう“眼”によって、

こちらの考えていることさえも筒抜けになっているというのか。

「私は他人の感情を“色”で視ることができるわ。怒っていると赤っぽく染まる部分が多く

なるし、悲しんでると青っぽく。喜んでると黄色、リラックスしていると緑、とかね。あ、

黒はもっと複雑よ? その人の根っこにまで張ってしまった絶望だったり、執着だったり。

一時の感情の変化だけでは表し切れないような心模様は、どうしても他の色すら塗り潰して

しまうのよ」

「……」

「ちなみに、俺っちの“眼”は他人の視界を視る、ジャックっす。他人から他人へ乗り移れ

ば、内部調査もお手の物!」

「わ、私の“眼”は遠視──肉眼では届かない位置の相手を視る“眼”です」

「今回兄ちゃんを見つけたも、この咲太郎の能力あってこそなんだぜ?」

「さく……? ああ、名前」

「そそ。大森咲太郎。で、俺っちは二上欣也」

「じゃあ私、私はねえ──」

「止せ、結。そんなベラベラ自分達のことを」

「え~! だってお兄ちゃん、この人、私達の仲間になるかもしれないんだよ? 自己紹介

ぐらい済ませておかないと」

「……まだ所長が、その話すらしてないから止めたんだ。……悪く思うなよ? こいつらも

こいつらで、それぞれ苦労してきた者達だからな」

「あ、ああ……」

 そして能見のカミングアウトを皮切りに、待っていた痺れが切れたのだろう。瞭が、朗々

と説明される彼女の能力について唖然としていると、続いて二上と大森、瓜二つの女性の方

こと結が各自の“眼”を話そうとした。ただ彼女に関しては直前、双子の兄たる不愛想な青

年の方が、一旦皆を落ち着ける意味でも割って入ったのだが。

「……本当に、あんたらも視えてるのか? 俺みたいに、周りの人間が視ているだろうもの

とは全然違う風景を」

「その筈よ。さっきキン君とタロウ君が話したように、能力自体は千差万別、個人差が大き

いようなのだけど。貴方のように何かが被さって視える、というパターンは、私やレイ君の

方が近いかしらね」

「レイ?」

「……古寺怜だ。俺は見つめた対象の“過去像”が被さって視える」

「同じく、双子の妹・結で~す。お兄ちゃんとは逆に、見た相手の“未来”が視えるっぽい

んだよねえ~。本人の行動次第で結構コロコロ変わるから参考程度だけど」

「それは……凄い、な」

 残る面子、双子の兄弟・怜と結。瞭はさらっとそう自己紹介を受けて、そんな能力が本当

に存在することの方に寧ろ驚いていた。事故以来、自らに現れた異質な“眼”に関しては正

直半信半疑であった部分が少なからず燻っていたからだ。

 しかしここまで、その個々の内容が違うとはいえ、同様の能力を持つ人間が集まっている

となると──。

「……元々うちの事務所はね、私を含めた“ちょっと”他とは違う眼を持ってしまった子達

を保護する目的で作ったの。探偵業というのは表向き。勿論、運営には何につけてもお金が

掛かるから、仕事としてはちゃんと仕事もするんだけど……」

 能美は語る。今回瞭を、依頼人・芳野を通じてここへ連れて来ることに拘ったのは、同志

になり得ると考えたからだと。彼女から件の投稿映像、当時の瞭が頭上の金属パイプを誰よ

りも早く見上げていた姿を見て、もしかしてと推測したからだと。

「芳野さんを助けた時、貴方は明らかに頭上の金属パイプを──ぶら下げているワイヤーが

切れると確信したからこそ、彼女を決死のダイビングキャッチで助けた。つまり常人では気

付けなかった対象の綻びを、貴方だけは明確に“視て”知ったことになる」

「……」

「悪いけれど、貴方のことは事前に調べさせて貰ったわ。貴方は三年前、バイクに轢かれて

生死の淵を彷徨った経験がある。……私達も同じよ。事故や事件、病気、その切欠はまちま

ちだけど、皆“眼”にまつわる能力に目覚めた人間には、共通して脳や神経系に一度大きな

ダメージを受けた過去があるの。おそらくそれは……私達の中の“チャンネル”が、全く別

のものに切り替わったためだと考えてる」

「チャンネル……?」

「ええ。例えばテレビも画面一つの本体一つだけど、幾つものチャンネルを切り替えて違う

番組をとっかえひっかえ観るじゃない? あれと一緒で、私達の視ている世界というのも、

ひょっとしたら切り替え一つで全く別の姿として視認されるんじゃないかと思うの。ヒトが

ものを視る仕組みって、もう当たり前みたいに教科書でも習うけど、それって別に映し出し

た像がイコール本当の景色──人体の外だっていう保証では無いでしょ?」

「うぅん……?? 随分と小難しい話だな……」

 瞭は眉間に皺を寄せ、もう途中から首を傾げて疑問符を浮かべっ放しだった。

 能美曰く、いわゆる“普通”に視えている世界が世界の姿とは限らない。もしかしたら自

分達のような“眼”でしか捉えられない姿があるのかもしれないし、或いはどちらもまだま

だ本当の世界でないかもしれない。

「……まあ、問答みたいなことは置いておいて。要するに、私達は貴方をうちの一員として

迎えたいと思ってるの。……さっきも言ったけど、貴方の現状は既に調べさせてもらってい

るわ。次の働き口を探しているのなら、よければうちに来ない? 見ての通り、小さな事務

所だから、前の職場ほど満足にお給金は出せないかもしれないけど……」

 故に、彼は暫し迷った。彼女らはこちらの事情を既に把握していて、その上で“同胞”と

して自分を囲おう──迎え入れたいとしている。芳野のコーヒーに薬を仕込み、眠らせてか

ら本題に入ったのもその為だろう。当の彼女が実害を被っているとはいえ、ある意味こちら

に気を遣ってくれたとも言えるのか。

「でも……」

「それに、ただ俺達は貴方の事情だけを理由でスカウトしたんじゃない。貴方の“眼”の特

性は、使い方次第で多くの人々を救う切欠になるだろう。彼女──芳野氏の時も、貴方は自

らの危険を顧みず、真っ先に飛び込んでこれを助けた。復帰後の職場でも、ガタの来た機器

や同僚の不調を見抜き、予め対策を取るよう進言したり動いた。……結果は貴方の内情を知

らない者達からの排斥だったが、それは何も、貴方自身が彼らと同じ土俵まで堕ちてゆく道

理にはならない筈だ」

 躊躇う。それでも尚、予想外にも能美の言葉を継いで語ってきたのは、事務所メンバーの

内でも怜だった。既に素行は調査済み──その上でこれまで彼が、瞭がやってきたことを否

定せず、寧ろその可能性にこそ今後とも目を向けるべきだと。裏切った者達を、わざわざ裏

切り返すことなどないのだと。

「ははは! 中々好いこと言うじゃんか、怜! そうだよ、なあ兄ちゃん? あんたが一体

何をしたって言うんだ? タマを取ったでもあるめえし。分からねえからって、異物扱いしや

がってよお!」

「……触るな、暑苦しい」

「ふふ。でもレイ君の言う通りだと思うわ。それに今後、私達のような“眼”の持ち主の存

在が、いつ世に知られるかも分からない……。だからこそ、私達は人を助けるの。この力が

偶然に生まれた忌むべきものじゃなくて、一つの個性として受け容れられるように」

「……」

 快活に笑い、肩を寄せてくる二上。それを鬱陶しそうに振り払おうとする怜。

 能見はそんな部下達のやり取りを微笑ましく一瞥してから、改めて瞭に言った。仲間に加

わってもらえないかと打診してきた。

 瞭は暫し押し黙る。テーブルの上で尚も眠っている芳野、同じ“眼”によって世界が一変

してしまって尚、前向きに生きようとする者達。

 ……自分は、辞めてから今日まで、一体何をしてきたのか?

「分かったよ。ぼちぼち貯金もヤバくなってきてたとこだ。ちと都合が良過ぎるかもしれん

が、その話、乗らせてもらう。ただ俺は……探偵業なんて全く経験がねえぞ? それでも本

当に大丈夫なのか?」

「はは、大丈夫大丈夫。うちだって素人と、プロの間みたいなモ──んがっ!」

「問題ない。必要な知識や技能は、追って修めればいい。こちらから持ってきた話なんだ、

貴方に最初から過分な負担を強いるべきではない」

 淡々と応じる怜に口を無理やり閉じられ、二上がじたばたともがいていた。おろおろとす

る大森に、結がげらげらと笑っている。そんな面々を少し眺めて、こちらに視線を向け直し

た所長・能美は、改めて居住まいを正した瞭に向かい合って微笑む。

「ええ……。ようこそ、当探偵事務所へ。私達は貴方を歓迎致します」

                                      (了)

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