(2) ペン・クラブ
【お題】人工、破壊、物語
どれだけ時代が移り、技術が進んでも、ヒトそれ自身はさして変わらないのだろう。そう
簡単には変われないし、何より移ろう早さについてゆけない。食らい付き続けることは困難
を極める。
或いはだからこそ、愚かであり愛しくもあると云うのだろうか? 上から目線で? あた
かも全て悟ったように気取ってみせて? とかく、主語の大きい我々は碌なモンじゃあない。
「──××先生のAI?」
思わぬ拍子に報せを聞いて、その作家は目を見開くと振り向いた。自身の周り、書斎の机
には、大量の資料と書きかけの原稿用紙が散らかっている。
「ええ……。例のクラウドファンディングが集まったようですよ。その上で、計画自体はし
っかりと進んでいたみたいですね」
部屋に入って来たのは、長年顔馴染みの担当編集者だった。皮肉というか、表情こそ繕っ
て、そう何処か他人事のように言う。
とはいえ、彼はそんな得意先の態度に、そこまで目くじらを立てようとはしなかった。そ
の気など無かったし、何より先にぐるぐると、感情と理屈の歯車が音を立てて回り始めてい
たからだ。
「……財団の野郎。そこまでして、金蔓を手放したくないってか」
まだ年若く、作家としてデビューしたての頃、彼とその同期組には“先生”と呼ぶ大先輩
がいた。当時既に業界の先頭を往く代表格の一人であり、豪胆ながら艶のある描写は今でも
根強いファンがいる。彼や他の同期の面々も、随分と可愛がって貰った。
ただ作品を書き起こす為に机へ向かいっ放しになるだけではなく、寧ろ普段の生活そのも
のからごっそり変えてゆけ、自分を高める為ならば出費をケチるな──振り返ればやはり、
今の自分の基礎を叩き込んでくれた大恩人であろう。
しかしそんな“先生”も、かれこれ十年以上前にこの世を去ってしまった。当時はまだ生
意気盛りの青二才だった自分も、気付けばデビュー当時の“先生”の年齢へとどんどん近付
いてきている。一応、見た目の厳つさとふてぶてしさだけは、似ることが出来たという自負
があるが。
執筆の手を止め、盛大に嘆息を吐き出しながら呟く。編集者の方も、彼のそんな隠そうと
もしない本音をそこはかとなく受け流し、沈黙を守っている。
──今は亡き“先生”が生前残した作品達から、その文章や思考回路の癖を学ばせ、再び
この世に「新作」を出そうというプロジェクト。
彼自身、そんな話が持ち上がっていた事は以前から聞き及んでいた。随分と素っ頓狂なこ
とをするなと。或いは当の“先生”も、その異色さを以って、天国で面白がっているかもし
れないと。
ただ……それから暫く人伝にプロジェクトの詳細を聞き、実際に関わっている者達の意図
する所を知るにつれて、彼は段々とこれに正直反対するようになっていった。端的に理由を
表現するならば、それは即ち“先生”への冒涜に他ならぬと考えを改めたからだ。
少なくとも──自分が聞き及ぶ限り──件のプロジェクトの中核を占める面々は、あの人
への尊敬なんてモンは持っちゃいない。只々大きな実績と知名度があり、尚且つコアなファ
ンが確実に存在しているという点に拠って「商売」しようとしている。AIはあくまで“先
生”の模倣であって、本人じゃない。なのにいけしゃあしゃあと、亡くなった後でもその名
前を使い、作品を出そうとしている。他人の褌で相撲を取っている。ただの金儲けの道具と
して利用しようとしている。あの人の魂を、多かれ少なかれ魂を削りながら残した作品とい
うものの性質を、蔑ろにしている──。
「まあ、トシさんの言い分も解らん訳ではないですがねえ……」
沸々と。
するとふと、込み上げてくる義憤りの気配と呟きに、担当編集の男は言った。部屋の中に
入り込みもせず、縦枠にゆるっと背を預けたままで苦笑している。先程よりも、多少取り繕
う気色は薄れているように見える。
「ぶっちゃけた話、殆どの読者達にとっては、そんなこと“どうもいい”んですよ」
彼がピクリと眉根を寄せ、こちらを睨むようにする。だがこの担当編集は一度紡ぎ始めた
正論を引っ込めなかった。長年の仕事仲間、立場的にはプロジェクト側に近い者の一人とし
て、今の内に諫めておきたかったのだろう。
「作者がどれだけ苦しもうが、悩もうが、読者にとっては面白いか・面白くないかが全てで
しょう? 十分にお分かりとは思いますが。良くも悪くも、時代はどんどん変わってますか
らねえ……。読んで考える、悩む、苦しい思いをする──不快があればイコール面白くない
って結論を出しちゃうんです。時間や余力の奪い合いですよ。そりゃあまあ、書かれた経緯
とか時代背景諸々を“考察”して愉しむって方もいない訳じゃありませんが……こっちもど
んどんニッチになってゆきますよ。少数派です」
「……」
彼は押し黙る。言わんとする所、忠告される内容は解っている心算だった。あくまで自身
のこの感慨は、リアルの当人を見聞きしてきたが故の個人的なもの。大抵の他人びとはそん
な情報など知らないし、おそらくは知ろうともしない。要は面倒臭いのだ。よっぽど好きな
相手でなければ、人はそこまでの労力を厭わぬようにはならない。そもそも、仮にそこまで
“先生”を愛してくれる誰かであっても、それは既に相当量のリソースを割いてきてくれた
から。言ってしまえば、今更真っ新にしてしまうのが勿体無い──。
「昔とは違って、今は作家自体の母数も莫大になってますしねえ。だけども、その中で売れ
る・売れないの差は寧ろ酷くなっている」
「数が多いからな」
「ええ。だから結局、確実に売り捌くには、既にあるネームバリューを使うしかない……」
担当編集はそう一通り言った後で、最初の彼と同様に肩を竦めた。それはおそらく、解っ
てくださいよという迂遠な表現だったのだろう。彼も、再び嘆息こそ漏らせど、それ以上は
反論しなかった。手の中で時折万年筆を弄びながら、やるせない気持ちに暫し沈む。
「じゃあ、そういうことで。こっちの原稿、貰って行きますよ~?」
「ああ……」
それでも沈黙は十数秒。ややあって担当編集はすいっと書斎の中に入り、その一角に纏め
てあった別の原稿を回収すると、踵を返して帰ってゆく。
『──そう。トシさんも聞いたのね。私も正直、あんまりいい気はしなかったのだけど』
『ま、仕方ねえべ。“先生”の知名度なら選ばれても不思議じゃねえし……』
『ぶっちゃけ、倫理の問題ですからねえ。ある意味、経営者辺りが一番そこを綱渡りしてい
る人種じゃないですか』
しかし事件は、そんな担当編集とのやり取りから暫くして起きたのだった。その後も時折
作家仲間達と連絡を取り合っていた中、ふとした切欠で、今回のプロジェクトに予想外の反
発があったことを知る。
『う~ん……。何事も無ければいいけどなあ。ほら“先生”自身がああだったし、そのファ
ンにも過激な人がいたじゃないですか』
発端は、プロジェクトのメンバーらがそのAIを背景に記者会見を行ったことだった。資
金面の目途が付き、改めて大々的な宣伝戦略に打って出ようとしたことが、結果としてとん
でもない悪手へと化ける羽目になる。
AIが収められていた建物が襲撃されたのだ。記者会見がニュースになった際、同じく文
壇関係者へのインタビューが流され、その中でプロジェクトに対する否定的意見が幾つか挙
がっていた点も影響したのだろうと思われる。故人への冒涜──彼があの日、自身の書斎で
担当編集にぼやいた言葉そのままが電波に流れた。AIは別人であり、本人ではない。作品
に宿った魂・精神性を軽視したものである、と……。
ニュースを見た時、彼は正直気まずくてならなかった。一人画面の前で、口に手を当てて
暫し立ち尽くしていた。
確かに、自分は襲撃犯ではない。本当に実行してしまったこの人物と、何ら接点も面識も
存在しない。それでもやはり……後ろめたさがザワザワと胸の奥を刺激する。
現場の詳しい状況までは分からない。映っていたのは、AIが収められていたというコン
クリート建てのビルだけだ。尤もこうして報道されてしまっては、隠すも何もなくなってし
まっただろうが。
(壊された……? いくら何でも、そこまで実力行使することはなかっただろ……)
中継アナウンサーの読み上げる言語情報に、彼は一人絶句していた。静かに動揺を隠せな
いでいた。曰く犯人は“先生”の熱心なファンで、プロジェクトが許せなかったと。このま
ま偽りの「新作」を世に出させる訳にはいかなかったと。
『──』
時を前後して、現場となったビル内のサーバー室にワイシャツ姿の男が数人、憂鬱な表情
をして入って来た。皆首からIDカードを下げ、気だるげに辺りを見渡している。ようやく
警察も検分を済ませて去ってゆき、後には申し訳程度に纏められた、注目のAIになる筈だ
った機械の残骸ばかりが転がっていた。
「全く……。これだから素人は。作ってる側の苦労なんて、何も解っちゃいねえ」
(了)