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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-140.July 2024
198/285

(3) 善と悪

【お題】悪魔、悩み、正義

「──婆ちゃん。荷物持つよ」

 少年は“正義の味方”に憧れていた。まだ幼い頃、火災現場から文字通り身を挺して自分

を救ってくれたような、今も名も分からない誰かヒーローのように。

「嗚呼、すまないねえ……。じゃあお願いしようかねえ」

 下校中の道すがら、彼は横断歩道の入口で立ち往生しているお婆さんを見つけた。背中に

は風呂敷包み、足元にも二つ四角い鞄を置いてある。おそらくは行き交う交通量と自分の足

では渡り切れないのでは? と迷っていたのだろう。

 荷物の内、後者二つを声を掛けながら拾い上げると、お婆さんはヨボヨボとこちらを見上

げつつ礼を言ってくれた。ニカッと、少年は心底嬉しそうに、そしてさも当たり前だと言わ

んばかりに応じる。

「なぁに。いいってことよ。困った時はお互い様ってね?」

 お婆さんの代わりに歩行者信号のボタンも押してあげて、通りの車達がしっかり停まった

のを確認してから、彼は彼女を先導しつつ横断歩道を渡ってゆく。そんな、まだ若い少年の

善行を目の当たりにしたみせつけられたからか、左右両側の運転手達は思わずフロントガラスの奥で微笑ん

でいた。或いは多少なりとも斜に構え、他人事のふりをしていた。

「そっか……。婆ちゃん、お孫さんに」

「ええ。最近ようやく自分の店を持ったらしくねえ。招待して貰ったんだよ。本当なら、お

爺さんも一緒に連れて行きたかったんだけどねえ」

「……」

 白線で描かれた梯子の上。お婆さんはそう、期せずして出会ったこの親切な若者に、自身

の境遇や街へ出てきた理由を話して嬉しそうにしている。一瞬、言いかけてまた微笑みに戻

ろうとしたように見えたのは、錯覚ではないのだろう。彼は特に何かを言う訳ではなかった

が、少なくともそこで腹を決める。

「分かった。ここで会ったのも何かの縁だし、その待ち合わせ先まで案内するよ」

「おや? 本当かい?」

「ああ。しっかしアレだな、そのお孫さん。お婆ちゃんの体力とか、もうちょっと考えて場

所を指定してやりゃあいいものを……」

 片方の腕を、荷物の結び目の輪っかに通して、彼は取り出したスマホで地図を確認しなが

ら気持ち眉を顰める。

 お婆さんから聞いた目的地は、そのお孫さんが営むレストランに程近い公園だった。だが

彼からすれば、彼女が降り立つ最寄り駅を待ち合わせにするべきだろうと正直思ってしまっ

たためだ。

「ははは……いいのさ、いいのさ。あの子も忙しいだろうからねえ。パッと出て、パッと戻

って来れる方が都合が良かったんだろうよ。呼んで貰えた、それだけであたしは充分さ」

 尤も、当のお婆さん本人はそれほど気にした様子でもなく苦笑わらう。少年は再び気持ち眉根

を顰めたが、納得しているというのならそれでいい。焼きたくはあったが、久しぶりの再会

にヒビを差し込むようなお節介は流石に余計だろう。最後まで案内を買って出た彼に、お婆

さんは何度も何度も嬉しそうに頭を下げている。

「本当、良かったよ。世の中捨てたモンじゃないねえ。実際こうして、あんたみたいな良い

子にも出会えたしねえ……」


「──あ、あそこです! あのお婆ちゃんを引っ張ってる、怖そうな人!」

「ふむ……?」

 時を前後して、そんな二人の後ろ姿を追っている面々がいた。社会人数年目ほどの若い女

性二人組と、彼女らに急かされて現場に赴いた、同じく若い制服姿の警察官が一人。

 ごつくて怖い男が、お婆さんから荷物を奪って行きました──通報を受けて交番から出動

した彼だったが、どうも報告と実際の様子には違いがあるように思える。

(確かに、あの男……少年? は、随分体格も良いし、強面そうだが……)

 ただ一度通報を受けて合流した以上、こちらの独断で彼女らを突っ撥ねてしまうのもそれ

はそれで問題がある。ともかく本人と隣のお婆さんに追い付き、一旦話を聞いてみないこと

には……。

「あ~、君君! ちょっといいかな?」

「?」「あらあら、何でしょう?」

 女性達をやや後方に待たせておき、自分は一人小走りで道の先へ。

 努めて慇懃を装い、且つ警戒しながら声を掛ける。この老婆の物と思しき荷物を両手に持

っていた少年と、当の老婆自身がそれぞれこちらに気付いて振り向いた。……確かに凶悪そ

うだ。彼女の方が高齢で身体が縮んでいるであろうとはいえ、この少年の体格それはかなりガッ

シリとしている。何より人相が紛うことなき“悪人顔”である。

 老婆は、本当に何故声を掛けられたか分からないといった様子で、キョトンとしていた。

 一方で当の少年──下手をすれば、この警官すら威圧し返しかねないごつくて強面の人物

は、こちらの身分を察してすぐさま若干厭そうな表情かおをしていた。それがこの若い警官を、

結果的にチリッと反発の方へと傾かせたのだが──。

「君がそのお婆さんから、荷物を盗んでいったんじゃないかと通報があってね……。確認さ

せてもらいたいんだが、事実かい?」

「……あ~、違うッスよ。俺はただ、この婆ちゃんの待ち合わせ場所まで、一緒に荷物を持

って行ってあげてただけッス」

「そうだよ? あんた、お巡りさんだろう? 駄目じゃないか、他人を見た目で判断しちゃ

あ。この子は良い子だよ? 道を渡れずに困ってたあたしに、親切に声を掛けてくれて荷物

まで持ってくれたんだ」

「はあ……。そうでしたか……」

 現場に来て何となく、そうではないかとは思っていた。若い警官はちらっと、道の向こう

でまだ様子を見ていた例の女性二人を、話が違うぞといった目力で睨み返した。向こうも向

こうで“思っていた状況と違う”と察したのか、ばつ悪そうに──だが特段こちらへ合流し

て来て謝罪するでもなく、そのままそそくさと人ごみの方へと逃げ去ってしまう。

「お~い、若林~! ちょっと待つんだ!」

「! あっ、先輩……。どうしてここへ……?」

 ちょうど、そんな時だった。彼女らと入れ替わるようにして、もう一人の制服警察官がこ

ちらへ向かって駆けてくるのが見えた。彼とは対照的な、歳相応の落ち着きと威厳を保った

ベテラン巡査である。

 若林と呼ばれた、この若い警察官が姿を認め、出迎える。逃げるように立ち去りかけてい

た女性二人組と、このベテラン巡査も一瞬すれ違いはしたが、彼もまた二人を咎めるよりは

先ず誤解を向けた少年と老婆の方が先だと判断したらしい。

「お前が、“強面の少年”絡みの通報を受けたと夏生から聞いてな。……やっぱり君だった

か、雑賀君」

「あはは。どうも、お久しぶりッス」

『??』

 若林、或いは老婆の方も頭に疑問符を浮かべている。まるで以前からの顔見知りのように

やり取りを交わした後、このベテラン巡査──馳は言った。この一見すれば、迫力満点の不

良なのでは? と勘違いされそうな少年を指して紹介する。

「お前はこっちに配属されて日が浅いからな……無理もない。彼は雑賀善則、日頃から人助

けの類に熱心ないち高校生だよ。この辺りの住民の間じゃあ、そこそこ顔が知られているぐ

らいには有名でな」

「っ……! そうでしたか。す、すまないね、君? 私も妙だな、とは思ったんだが、通報

があった以上、無碍にする訳にはいかなくてね……」

「ははは。いいっスよ。割とよくあるんで。まあ、面識ない相手だと、どうしても怖がられ

ちまうツラしてますからねえ……」

 同じ交番の大先輩・馳からそう紹介され、完璧に誤解だと判った瞬間、若林は慌ててこの

強面の少年・善則へと頭を下げて謝罪した。片や当の本人はもう自身の人相が故の茶飯事な

のか、苦笑を浮かべつつも怒っている素振りはない。

「そうかい、そうかい。やっぱり根はいい子なんだよねえ。見ず知らずのあたしにも親切に

してくれたんだから……。若いお巡りさん、次からは気を付けておあげね?」

「え、ええ。それは勿論……! 申し訳ありませんでした!」

「まあまあ、若林。そう硬くなるな。俺も、雑賀君のことは早めに伝えておくべきだったし

な。すぐに実例が出て分かるだろうとは思っていたが……」

「いや、そこは早めに引継ぎしといてくださいよ」

「はははは! すまんすまん。個人的に顔見知りでも、あくまで君はいち市民だからなあ」

 善則に負けず劣らず、大人基準でガタイが良く、やや色黒の馳が呵々と笑う。当の本人と

のこなれたやり取りや若林の反省を眺めて、老婆はフッと綻んだように微笑わらっていた。背中

の風呂敷包みを気持ち負い直し、さてと道行きを本筋に戻すように言う。

「……さて、と。それじゃあ、あたしはそろそろ行くとするかねえ。坊や、残りの道案内頼

めるかい?」

「ああ。じゃあ馳さん、若何とかさんもこの辺で」

「おう、頼んだぜ」

「若林です。……割と根に持ってるな?」

 そうして改めて彼女は、善則と共に待ち合わせの場所へと再出発していった。

 顔見知りの少年を見送る馳と、ジト目で突っ込んでいる若林。善則は微妙な笑いで否定も

せず、されど次の瞬間には彼女の荷物二つを両手に抱えて歩いてゆく。


 ***


「ただいま~……」

 嗚呼今日も、善いことをした。善則はその後老婆と彼女の孫との再会を見届けてから、よ

うやく下宿先のアパートへと帰って来ていた。すっかり時刻は夕方になり、昼間の学校生活

分の疲労は蓄積している筈なのに、こういうことがあると気持ちは寧ろるんるんと軽くなっ

てしまう。

「──お、おかえりなさい」

 通学の都合上、現在は親元から離れて一人暮らしをしている善則。

 そんな彼のアパートには、もう一人別の同居人がいた。いや、正確には、ある程度定期的

に訪ねて来ては待っている友人・知人というべきか。

 黒いローブのような上下に身を包んだ、銀髪金眼の少女だった。明らかに日本人という感

じではない。何処か異国の──場合によってはこの世界の存在ですらないかもしれない、そ

んな儚げな可憐さを宿す少女。

「よう。来てたか。腹減ったのか?」

「うん……。なるべくノリ君の、負担にはならないようにしてるん、だけど……」

「いいっていいって。ちと待ってな。鞄とか片付けてすぐ用意すっから」

 彼女がつっと、自発的に視線をあさっての方向へ向けたのを確認し、善則は肩に引っ掛け

ていた学校の鞄をベッドの上に放り投げる。制服の上着をハンガーに引っ掛け、楽な格好へ

となった。「もういいぞ」言われて、少女が再びおずおずとこちらを向く。ストンと、青い

ラグが敷かれたフローリングの上に互いを見て座り、数拍妙な沈黙が流れる。

「どうかね? 俺、十分溜まってる?」

「う、うん。大丈夫。それじゃあ……“いただきます”」

 するとどうだろう。この少女は遠慮がちながらも、次の瞬間がばっとその口を開けると、

彼の全身から漂うオーラのようなものを吸い始めたのだった。深く息をするように、水分な

り麺でも啜るように。やがて彼から漂っていた輝橙のオーラのようなものが、その量をぐっ

と減らして元の状態に戻る。

「……ん。今回も美味しかった」

「そっか。お粗末さんでした」

 ぽんと手を合わせる彼女に、善則はニカッと笑う。彼女は若干頬を赤く染め、静かに口元

を拭っていたが、その手のデリカシーを彼はあまり解していないようだった。只々彼女が、

その出自の特異性からくる困難を一つ、凌げた。その点において“善い”ことをしたと安堵

する。

「……今更だけど、やっぱりノリ君は変わってる。私が“悪魔”だって知っても、こうして

エナジーを分けてくれるんだもの」

「はは。それはお互い様だろうよ。“悪意の味”が苦手な悪魔なんて、聞いたことねえよ」

「ううっ……」


 二人の出会いは、本当に偶然に偶然が重なったものだった。ある時、空き缶やビンを拾い

がてら下校ルート沿いの河川敷に降りた善則は、その橋の下でぐったりと衰弱して倒れてい

る彼女を見つけたのである。

 ──お腹が減った。最初その原因を聞いた時、善則は正直爆笑してしまった。ただ当の本

人、悪魔の一人である彼女・トアにとっては、文字通り己の存在の瀬戸際に関わる大問題で

もあったのだ。

『わ、私達悪魔の主食は、人間達の負のエナジー。怒りとか憎しみとか、そういう誰かに対

する悪意の感情を食べることで、私達は人間界こちらでも存在を維持できる……』

 しかし、彼女は悪魔でありながら、そうした負のエネルギーで“腹を下して”しまうとい

う難儀な体質の持ち主だったのである。食わなければ消えてしまう。だけども食ったら食っ

たで、猛烈に拒否反応を示す──本人の自己分析曰く、現代の人間のそれに、自分の心身が

負けてしまっているのではないか? とのこと。

 だからこそ、トアは偶然とはいえ、自分に迷わず救いの手を差し伸べてくれた彼に──視

るからに正のエナジーに溢れている彼のそれで、食事を代替できないだろうかと提案したの

だった。幼い頃から“正義の味方”に憧れ、自分にそうした善行の証が宿っているらしいと

聞いた時、彼に断る理由などなかった。元より目の前で、一時は死にそうになっていた女の

子がいて、助けない選択肢などなかった。試しに件のエナジー、善意の感情とやらを食わせ

てやったところ……彼女の体質に見事一致。以来彼女に頼み込まれる形で、定期的に自身の

それを提供するという関係性が続いている。


「まあ、いいんじゃねえの? 悪魔らしくない悪魔がいたって。俺もこのツラをしてるモンだ

から、どれだけ善いことをしたって悪人扱いされちまってさあ……。知り合いになった爺ちゃ

ん婆ちゃんとかはもう大丈夫だけど、未だに面識のないガキとかには泣かれちまうし、今

日もどっかの姉ちゃん達に泥棒か何かに間違われたしなあ……」

「えっ!?」

「ああ、大丈夫大丈夫。馳さん──前にも話した、知り合いのお巡りさんも来てくれて、誤

解は解けてるよ。……多分、きっと」

「きっと? 何でそういう言い方になるの?」

「あ~、えっと……。その、俺を通報した当の姉ちゃん達、すぐに逃げちゃったから……」

「はあ!? 何でそこで捕まえないんですか、濡れ衣でしょう!? その場から離れた後な

らいざ知らず、明らかに悪いの、その人達じゃない!」

「いやあ……もう慣れてるし。それにこっちが顔真っ赤にして追いかけても、別にメリット

なんかねえだろ? 手伝ってた婆ちゃん放り出す訳にもいかなかったし……」

「……」

 だからこそ、今日も今日とて“善行”を積んできた彼に降り掛かったトラブルについて、

寧ろトアの方がぷりぷりと怒ってすらいた。彼女自身、彼という人間がそうした悪人評とは

対極にある性格だと分かっている分、尚更に。

 ただ当の本人、善則自身は、既に過ぎたこととして気にも留めていないようだった。逆に

我が事のように怒ってくれる彼女にすら、申し訳ないといった雰囲気を醸し出している。

「うう……。また私とノリ君の立場が逆に……。やっぱり、人間っていうのは分かんない」

「はははは! 悪魔にそう言わせてりゃあ世話ねえよなあ。ま、世の中色んな奴がいるって

ことよ。俺みたいな見た目とやってることが真逆な奴もいるし、そうでない奴もいる。別に

それでいいんじゃねえの?」

「そう……なのかなあ」


 ***


 ノリ君こと、雑賀善則君は“正義の味方”に憧れている。

 出会ってそれほど日が経っている訳じゃない私は、その全部を知ってはいないのだけど、

以前ちらほらと話してくれてはした。本人的には、少しこそばゆいような、だけどとても大

切な思い出なんだなということは分かる。

 かつて、幼い頃の自分が命を救われたから。もしかしたらあの時潰えていたかもしれない

命を延ばしてもらった分、同じぐらいかそれ以上“お返し”をしないと。

 ……多分、彼の深層心理には、そんなある種の脅迫観念的なものが渦巻いている。ただで

きれば、これまでもこれからも、本人にそういった“理由”を自覚して欲しくはないなと思

う。これは私の我が儘だ。或いはもしかしたらそうなった時、もう今までのように彼の溢れ

んばかりの正のエネジーを貰えない──宿せない身体になってしまっているかもしれないと

恐れるから。

『お~い、そっち行ったぞ~!』

『パスパス~! サイドから捻じ込め~!』

「──」

 ノリ君が学校に行っている間、私は時々その様子を覗きに来ていることがある。お腹が空

いたらお家まで行って、帰って来るのを待っていればいい。一旦実体を解いて、霊体化すれ

ば壁の一つや二つどうってことはない。勿論、本人から許可は貰ってのことだけども。

(学校、かあ)

 彼は親元を離れてまで、この体育会系に強い高校へ進んだそうだ。理由はさっき彼が憧れ

ているといった“正義の味方”──消防官なり警察官になるため。その理想へ突き進むには

一にも二にも身体が資本だということで、常に鍛えられる環境を選んだらしい。実際授業で

も休み時間でも、彼は一際活躍を見せている。元々そういう素質はあったのだろうけど……

能動的に努力の方向性を定めたことは大きい筈だ。きっと、色んな困難がこの先待ち構えて

いたとしても、彼はそう簡単に足を止めないだろう。そうで……あって欲しい。

(……私もそれまでには、彼から離れないと駄目だよね)

 視線を、フェンスの遠く向こうから手元に戻して、ぎゅっぱぎゅっぱと掌を閉じては開い

たり。

 あの日、ノリ君に出会ったお陰で、私の力もすっかり元通りに回復した。今では偶に彼の

下を訪ねてエナジーを貰うだけで、大分長い間活動を続けることができる。それ以外の理由

でも全然構わない、本人はそう気安く歓迎してくれているけど──そんな優しさに甘えちゃ

いけないことぐらいは、流石の私でも解っている。

 私は、悪魔だ。人間じゃない。

 でも私は、きっと間違いじゃなく、彼のことを──。

「……?」

 ただの質量を得た霊体なのに。人間ではないのに。

 顔が火照るように熱を持つ感覚に襲われていた。そんな筈はないと、ふるふる勝手に一人

で首を横に振っていた。

 だけど私は忘れていたのだ。もっとずっと前から気を付けなきゃいけなかったんだ。

 次の瞬間、こちらへ近付いて来る足音に気付き、私はハッと我に返って振り返り──。


 ***


(手紙が指してる場所は、この辺の筈だが……)

 その日、自身の下駄箱に手紙が差し込まれていることに気付き、善則は一人校舎の裏手に

位置する奥まった突き当りへと足を運んでいた。手紙の内容はただ今日の放課後という時間

と、この場所を指定して待っているというだけのものだったが、学生生活のイベントでこの

ようなシチュエーションと言えば一つしかない。

 ずっと顔が怖い、ガタイが怖い、全体的に悪人面──もう何人か殺してそうなど散々と言

われて続けてきた俺にも、いよいよ春が!? 最初こそ浮かれていた善則だったが、時間が

経って少しずつ冷静になるにつれ、別のことを思い出していた。……トアには何て報告すれ

ばいいだろう? いや、そもそも俺以外に、悪魔であるあいつって視えるんだっけ……?

「来たわね」

 だが一抹の夢想と不安を抱えて赴いた先には、全く逆の光景が待っていた。

 即ちこちらに敵意ビンビン、警戒心剥き出しの視線を向けている、妙な白装束の少女と、

その足元でボロボロになって転がっている見知った少女──トアの姿である。

「っ!? トア!」

 こいつは誰だ、何をした? 思うよりも先に、善則は彼女の下へ駆け寄ろうとしていた。

しかし他でもない、この神官服のような白装束姿の少女が立ちはだかり、刹那チャキリと白

銀の銃を向けてくる。気付けば彼の四方八方──奥まった校舎裏の隙間という隙間、木々の

物陰のあちこちから、同様の衣装に身を包んだ面々にも銃口を向けられている。思わず目を

見張って足を止めてしまった善則だが、それでも真っ先に問い質さなければならないことは

はっきりしている。

「……何なんだ、てめえ。てめらがトアをヤったのか?」

「一応クラスメートなんだけど……。この仕事着かっこうじゃあすぐにピンとは来ないかしら。二つ

目の質問にはイエス、とだけ答えておくわ」

 凛とした切れ長の目に、肩甲骨辺りまで伸びた長い栗色髪。

 クラスメート、その一言に善則は「うん?」と頭に疑問符を浮かべたが、すぐに当の彼女

本人がわざとらしい溜め息でもって自己紹介を始める。

「天原咲耶。一から十まで教える義理はないし、とりあえず“教会”所属のエージェントと

だけ名乗っておくわ。私達はこの辺り一帯の地区担当なの。現世に潜み、人々の悪感情を扇

動して食らう、悪魔達を見つけ次第滅ぼす為に……ね」

 悪魔。そのフレーズが出た瞬間、善則は彼女らが“敵”だと悟った。

 視える視えない云々と心配していた、先刻までの自分が恥ずかしい。そうこうしている間

に、いや多分時系列的にはもっと前から、トアはこいつらに見つかって酷い目に遭わされたの

だ。沸々と、無言のままに怒りが溜まる。

「最近、ちょこまかとこの辺りで目撃されていたから、皆に連絡して討伐することになった

のだけど……見ての通り中々“消えて”くれなくてね。私達の使う、この聖別された武器に

倒れれば、こいつらは元居た場所に──地獄の底に強制送還される筈なのだけど……」

 言って、神官装束の同級生・エージェントの咲耶は、ちらりとこちらを見遣った。発言の

通り、確かにトアは彼女らの攻撃を受けたのかボロボロになって倒れている。彼女らが個々

に握る白銀の銃や装飾剣など、本来悪魔をこの世から追い出す為の武器は硝煙を燻らせ、既

に一度その威力を如何なく発揮したと思われる。

回路パスが、こいつをこの世界に留めている。そしてそれは、他でもない貴方へと延びている

わ。貴方は気付いていないかもしれないけど、貴方はこいつと既に“契約”を交わしてしま

っているのよ」

「契約? 何だよ、それ」

「例えば、恨んでいる誰それに復讐をしたいから力を貸せ、その代わり成就したら負のエナ

ジーをいただく……大体はそんな感じの、字面だけを見ればギブアンドテイクの約束よ。尤

も契約した側の人間が突き進むのは破滅への道だし、そもそもエナジーを吸われた時点で殆

どが命を落とす。一方的な搾取でしかないのよ」

「……」

「だから今日、貴方をこうして呼び出させてもらったわ。こいつの回路パスから貴方を引き剥が

す為の。そうすればこいつはきちんと消える。貴方も破滅から逃れられる。……普段なら、

事情を知る人間を増やさないようこっちで秘密裏にやるんだけど、今回結構結び付きが強力

でね。最悪引き剥がした反動で、貴方に害が出かねない。それに貴方は、一部の住民達に好

意的な評価を得ている。それがたとえ常軌を逸していたとしても、私達“教会”は貴方のよ

うな“善人”を見捨てない」

 人は見かけによらぬ、とは言ったもので──。

 さもそんな、ナチュラルにこちらを下に見ているかのような言い草に聞こえた。あくまで

向こうは、自分を善良な一般人として保護しようとしているらしいが……当の善則自身にと

って、そのような方便は意味をなさなかった。

 一方的な搾取? 回路パス? 俺の破滅? 常軌を逸してる?

「……ふざけんな。俺は何度もトアにエネジーとやらを分けてやってるが、実際こうしてピ

ンピンしてるぞ? 大体そいつは悪魔なのに、悪感情とやらで食中りを起こすんだよ。だか

ら俺みたいな、お前らの言う常軌を逸したお人好しとやらのそれで、ようやくまともに飯に

なってんだ。破滅云々なんぞなりようがねえだろ」

「……解っていませんね。悪魔とは、その存在自体が罪なの。絶えず侵入してくる、排除し

続けなければならない害悪なのよ」

「天原。どうやら彼は、相当洗脳が進んでいるようだ」

「穏便に記憶だけを消去して、回路パスを解くのは難しいかもしれんぞ」

「──」

 自覚するほどの苛立ち。吐き気がするような自己主張。

 はあ。こちらが列挙した弁明に、咲耶はまるで聞く耳持たない──話にならないといった

様子で露骨に溜息を吐いてみせた。周りの同胞らしき白装束らも白装束らで、口々と勝手に

こちらがトアあくまの手に落ちたと決め付けている。

(何でてめえが、そんなことを決められんだよ)

 ズン……。もしかしなくても、自分は今物凄く怖い表情かおをしているだろう。善則は思考の

片隅で自覚はしていた。だが止まらない。トアを──只々不器用で、でも本当はとても優し

いだけの友を、上っ面だけで侮辱するこいつらを俺は許せない。

 何よりこいつらは、実際にトアを傷付けた。武器なり何なり、彼女を見るも無残にボロボ

ロにし、血塗れにして床に転がしてやがる。

「……ノリ、く……。だ、だめ……」

「いえ。全く試さないというのは乱暴でしょう。一度消去剤を飲ませた上で、それでも効果

が現れないのなら──」

 ア゛ッ?!

 直後だった。霞むような速さで踏み込み、至近距離にまで詰めた善則の左ストレートが、

咲耶の顔面に叩き込まれていた。数拍遅れる面々の悲鳴。いや、それよりも早く、当の咲耶

自身が言葉を手放しながら、その端正な顔立ちを盛大にへしゃげさせていた。存分に保持さ

せられた位置エネルギーを解き放ちながら、スローモーションの世界終了と同時に激しく全

身を打ちつけて吹き飛ばされてゆく。

『天原!』

「ノ、ノリ君!?」

「──」

 事実、べったりとその拳には返り血がついていた。敢えて校舎裏の行き止まりへと彼を呼

び出したがために、いざ貰った反撃で辺りの壁や植木は幾箇所も抉れ、じっと殺気を漂わせ

た善則を見上げるように咲耶の身体が転がっている。

「くそっ! やりがった!」

「おい、天原! 無事かあ!?」

「俺達と同じエージェントと言っても、相手は女の子だぞ? それをこいつ──」

「ああ!?」

 ぶつくさ。動揺が大部分、しかしある意味これで大手を振るってこの少年を“悪魔の僕”

として攻撃できると算盤を弾いていた面々に向かって、それまでたっぷりと一撃後の余韻の

中にいた善則がメンチを切って振り向いた。既にボロボロになっていた──学校生活中の彼

を覗きに来ていた折、彼女らに囚われてしまったトアも、自身の為に激怒してくれたと解っ

ていたとはいえ……その変貌に不安や焦燥を隠せない。

「駄目、駄目! ノリ君!」

 私のせいで。私のせいで。

 彼が、美味しくなくなってぞうおにおちてしまう──。

「ガッ……、ハッ……! その速さ、パワー……。やはり貴方はもう、悪魔の……」

「んだよ。結構頑丈だな、おい。正直結構ブチ切れて、つい殴っちまったってのに」

(あ、あれ……?)

 咲耶は戦慄していた。顔面をぐちゃぐちゃに殴られ、血だらけになりながらも、彼の左腕

からどす黒い靄が渦巻くのを視ていた。悪魔と繋がったことで、常人を超える力が発現しつ

つあるのではないか? と。

 一方で、その実質上の“契約”相手である悪魔・トアは、彼が一瞬見せた好くない変貌と

その後の鎮静化に内心驚いていた。確かに彼女も、咲耶を殴った直前後に負の感情──闇が

左腕を中心に覆い、拳が強化されたのを視た。

 だが……それだけだったのである。散々友を、トアを辱めた面々のリーダー格たる咲耶を

一発盛大にぶん殴り、闇はスンと鳴りを潜めてしまったのである。意識か無意識か。直後彼

の発した切り替えの早さを象徴するように、いとも容易く抑え込まれて消えたのである。

「これでお相子イーブンだ。てめえらは一度、トアを酷い目に遭わせた。だから俺も、てめえを同じ

ぐらいボコボコにした」

「それでもまだ──こんな真似を続けようっていうんなら、その度にもう一発ずつ、てめえ

を殴る。いいよな?」

                                      (了)

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