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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-140.July 2024
196/283

(1) セイキュウ

【お題】暁、プロポーズ、危険

 割と自分は、ぼんやりとした部類だという自覚ぐらいは持っている。

 だが……何も今、こんなタイミングを狙い澄まして襲ってくることはなかろうに。


(拙い! 拙い拙い拙い! あれだけは、何がなんでも失くす訳にいかない……ッ!!)

 その日勘太郎は、交際中の恋人と会う為、暫くぶりの外出をしていた。職業柄、下手をす

ると月単位で研究所ラボに籠っていることも珍しくないため、前回と少なからず姿形を変えた街

の空気に呑まれていたというのもある。

「ま、待て! 泥棒ぉ~!!」

 彼は、そんな出先でひったくりに遭ってしまったのだった。

 しかも盗られてしまったのは、この日恋人に渡そうと密かに持参していた小箱──彼女へ

贈る筈だった婚約指輪。小さなダイヤを嵌め込んだ銀のリングである。

「──」

 こんな真っ昼間に? 人ごみの中で?

 突然のアクシデントに“何故?”を咀嚼しているような暇は無かった。すれ違いざまにぶ

つかられた瞬間、ポケットに違和感を覚えることができたのがまだ幸いだったか。

 サアッと血相を変えて叫び、犯人と思しき人物の背中を追う。休日で賑わう大通りだとい

うのに、一方で相手の動きは俊敏だった。頭からすっぽり人相を覆う、フード付きのマント

に身を包み、わたわたと駆け出す勘太郎から距離を話してゆく。

「待っ……! まっ……!」

 息が切れる。

 勘太郎はこの時ほど、普段出不精な自身を恨むことはなかった。必死に手を伸ばし、追い

縋ろうとするのに、犯人にはまるで届かない。視界には入っているのに、明らかにあいつが

怪しいとバレバレなのに。行き交う人波にも阻まれて、もたつく足は中々思うように前へと

進んではくれない。

「泥、棒……! 泥棒ッ……!!」

 だが同時に、彼は別の一抹の違和感も憶えていたのだった。

 これだけあからさまなのに、こんなにも叫んでいるのに、まるで周囲の他人びとに反応が

ない。所詮は他人事だから見て見ぬふりこんなものなのか、それともこちらの訴え自体を信じてもらえ

ていないのか?

 確かに傍目から見れば、三十過ぎのおじさんが奇行を──あのマントの相手を追い立てて

いると取られる可能性が無いとは言い切れないが……。職業柄と生来の出不精、イケメンと

は程遠い顔立ちというだけで、世はそんなにも我に人権を与えずなのか。

(いや……おかしい。何がなんでも、これは妙だぞ?)

 ただ勘太郎も、伊達に知的フィールドに稼業を置く一人ではない。

 つい先走る被害者感情、妄想的なあれこれ。しかし眼前で現在進行形の事実だけを拾って

ゆけば、あまりにも不可解な要素が多過ぎる。

 一つ。仮にひったりくりの一部始終を目撃してみていなくても、こちらの叫びなり騒ぎに反応

する人間が出るのは普通であるにも拘らず、そんな様子が一切見られないこと。

 二つ。大体もって今追っている犯人の格好だ。こんな真っ昼間にフード付きのマント、正

体を隠しますよと全身で主張しているような姿が目立たない筈がない。実際自分も、相手が

そんな格好をしているからこそ、何とか見失わずに追えているというのもある。


 ザリ、ザリッ。時折耳にざわつくノイズのような音。

 まさか本当に誰も、僕達が追いかけっこしていることを“認識”していない……?


「──」

 マントの犯人がややあって、不意に大通りから路地の一つへと吸い込まれるように折れて

いった。勘太郎も慌てて人ごみを掻き分けてこれを追い、中へ入る。

 見失わないようにと前方の相手に目を凝らすが、内心は一分一秒と費やされるこのトラブ

ルに焦っていた。時刻を見ようにも……スマホはズボンのポケットの中。悠長に取り出して

いる暇すら惜しい。ギリッと、半ば無意識に唇を噛む。

(くそっ! 急がないと……! 葵との待ち合わせまで、後一時間を切ってるんだぞ!)


 交際から三年近くになる恋人の名は、鳳葵。いつも微笑を湛え、淑やかな雰囲気を漂わせ

ている、今や絶滅危惧種と言ってもいいほどの大和撫子な女性──実際いい所のお嬢様だ。

 そんな、本来出会う要素すらない彼女と彼が知り合えたのは、ひとえに彼が普段勤めてい

研究所ラボにあった。詳しくは知らないが、どうやらお偉いさん方同士の繋がりで、時折こち

らへ同伴していたらしい。その時偶々顔を合わせて話をしたところ、案外気に入られたのか

ちょくちょく会うようになり、交際へ……といった流れ。同じ研究所ラボの仲間達からも、随分

と妬けられたり弄られたりしたものだが、それはそれとして正式にお付き合いをしてきた以

上、自分も男として態度を決めなければなるまい。

 自惚れでなければ、今やお互い憎からず想っていると思う。そもそも彼女の実家側から、

よく交際なんて許してもらえたなと。

 だからこそ、今日今回のタイミングでと研究しごとの合間を縫って準備してきたというのに──。


(一体給料の何か月分……いや、金額の問題じゃなくて!)

 勘太郎は犯人を追って、右に左にと路地裏を折れてゆく。ザリ、ザリッ。耳に時折こびり

つくノイズに眉を顰めながらも、去来するのは彼女との思い出。

 確かに一介の無名研究者とお嬢様とでは、住む世界が違う。それでも無理を押して、彼女

が自分を想ってくれているのならば、全霊を以って──。

「もう逃げられないぞ、観念しろ!」

 一体どれだけ追跡を続けた頃だったろう? やがて彼は路地裏の行き止まりに、マントで

人相を覆い隠した犯人を追い詰めた。「大事な物なんだ、返してもらうぞ?」慣れない凄み

を作って迫り、じりじりっと距離を詰める。ようやくはっきりと見える距離、相手もこちら

に正面を向いて相対したことで、この人物の詳細が色々と判り始めた。

「──」

 内心正直驚いたのは、どうやらこの犯人はまだずっと年若いらしいということ。マント付

きフードという、明らかに周囲からは浮いたそのいでたちを選んだ背格好は、自分より一回

回りも二回りも小さい。大体、十五~六歳ぐらいだろうか? それぐらいの若さなら、あの

“飛び回る”ような身軽さも納得と言えば納得だが……。

「でしょうね。だけど、そうはいかない」

 彼が本当に度肝を抜かされたのは、次の瞬間だったのだ。

 犯人、フード付きのマントを被った人物がぽつりと答え、懐から何かを取り出した。刹那

コォッと黄金色に輝きを強めたかと思うと、それはこの人物の身体を文字通り“宙に浮かせ

始めた”のである。

「?! 浮い──」

「おかしいとは思わなかった? 貴方があれだけ私のこと、泥棒泥棒って叫んでいたのに、

誰も助けてはくれなかった。まるでそもそも、貴方を“認識すらしていない”みたいに」

 目深にフードを被った声の主、若い年格好の人物は、少女だった。目の前で起こり始めて

いる出来事と、よもやの性別。何から驚いたらいいかすら迷っている勘太郎に、彼女は淡々

と続ける。

「全部、これのお陰。今から七年後、貴方が発明することになる“星球スフィア”の力の、ね」

 少女がマントの中から取り出して見せてきたもの。それは彼女の掌に辛うじて収まる程度

の、金属の枠とガラスのような半透明に保護された球体だった。輝きを放ち始めた先程の黄

金の光は、この球体内から発せられているようである。“星球スフィア”──そう呼ばれた球体から

溢れる、一見すると麗しい輝きの靄は、彼女に絡みつくように漂いながらその重力をまるで

無視したように浮遊させている。

「…………」

 勘太郎は、絶句していた。いや、もっと言えば困惑していた。ぐるぐると脳裏には色々な

思考こそ過ぎれど、先ず口を衝いて出るのは凡庸な定型句テンプレートでしかない。

「何故だ? 何故君が僕の研究を、それもまだ未完成も未完成な筈のそれを持っている?」

 フードの下で、少女が静かに目を細めたような気がした。まるでその言葉を待っていたか

のような、予想していたかのような。疑問は程なくして、明かされた。

「──貴方が発明したと言ったでしょう? 私は未来から来たの。こうして掌に収まるほど

の大きさに、ほぼ無尽蔵と言ってもいいエネルギーを生み出せる夢の永久機関。資源を巡る

人類の争いに、終止符を打つことができる貴方の夢──」

 でも。彼女は呟いた。

 未来から来た? 発明された後の世界? 勘太郎は正直耳を疑ったが、もしあの研究が実

を結んだ後だというのならば、不可能ではないか。従来では膨大なエネルギーが必要になる

と試算され、実現の見通しの立たない他の技術が、この“星球スフィア”によって実用段階まで進め

ば或いは?

「人間は変わらなかった。便利な無尽蔵のエネルギーが手に入ったことで、色んな国の軍事

力も大幅に強化されていったわ。それこそ、今の貴方がいるこの時代の“抑止力”すら比較

にならないぐらいの。貴方は、その切欠を作ってしまったのよ」

「……」

 にも拘らず、少女が浮かない様子で語っていた理由は──やはりそういうことなのか。勘

太郎は適切な言葉を掛けてこそやれなかったが、内心忸怩たる思いに駆られた。荒唐無稽な

夢も、未来から来たと自称するトンデモ少女の存在も。長年続けてきた研究の果てがそんな

ものになると突き付けられて、はいそうですかとすんなり引き下がれる筈もない。

「だからわざわざ、僕に研究を止めろとでも言いに来たのかい? でもそれとこれ──盗み

の件は違うだろ。返してくれ。これから人と会う約束をしているんだ」

「違わない! 解らないの!? 貴方が“星球スフィア”を完成させられたのは、あの女がいたから

なのよ!」

 しかし対する少女も、今度は感情を剥き出しにするように言った。真に迫った、憎悪の籠

もった声だった。葵だと知っている……? 勘太郎は思わず全身を強張らせた。戸惑う彼へ

と、この少女も改めて深く深呼吸を一つ。まるで説き伏せんとするように語り始める。

「そもそも、あの女が貴方に近付いたのは、貴方の研究に鳳グループが興味を持っていたか

らよ。今はまだ発展途上だけど、将来研究が実を結んだ時に身内に抱き込んでいれば、その

技術を全て自分達のものにできる」

「ッ!? そんなことは──」

「本当に思い当たる節はない? この時代には既に、鳳グループは貴方の研究に相当な額を

支援していた筈だけど」

 顔面がサァァ……ッと青褪めてゆく。口ではつい強がってはいたが、勘太郎自身も彼女の

言葉に思い出される記憶がちらほらとあったからだ。

 確かに葵は、鳳グループ社長のご令嬢。うちの研究所ラボと懇意にしている点は事実だった。

それに、おそらくはあからさまな肩入れをカモフラージュするためと思われるが、研究所ラボ

資金が安定し出したのは自分達が交際を始めた頃──。

「貴方は騙されてるのよ。そうしてホイホイと研究が完成してしまった結果、未来の人類が

直面したのは“星球スフィア”を利用した兵器の脅威……。それまでの暮らしがひっくり返るほど便

利になった以上に、その暮らしを破壊する馬鹿どもで溢れ返るようになってしまったのよ」

「……」

 にわかには信じられない。だが少なくともこの少女の手には、自分が長らく構想してきた

研究の“完成品”が在る。完成した未来を知り、その未来から来たとする主張すらも或いは

叶えてしまうほどの未来の派生技術。まだ若いが、大の大人を撒こうと思えば撒けてしま

えるほど、肉体を俊敏に強化する作用。空中浮遊までやってのけるエネルギー。

「だから──」

 追い詰めたつもりが、追い詰められていた。

 ふわり。愕然とする勘太郎の視線を上げさせながら、少女は更にゆっくりと宙へ浮かぶ。

いつの間にか大通りの人波から──いや、そもそも同じ空間なのかすら怪しい周囲の静けさ

と異様な無機質感に包囲されたまま、彼は彼女を見上げていた。やがてそっと手伸ばし、目

深に被っていたフードが脱がれる。凛とした強い意志の瞳がこちらを見下ろしている。

「あの女との結婚は諦めて。パパ」

 今日贈る筈だった、結婚指輪入りの小箱と“星球スフィア”を手にした少女。

 その顔立ちは、彼が知る最愛の女性ひとのそれに、とてもよく似ていた。

                                       (了)

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