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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-139.June 2024
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(1) 稼兵

【お題】過去、影、廃人

 それはずっとずっと昔、もっと取り回し利く“引き換え券”として考え出されたことが始

まりと云われています。

 綺麗な貝殻、珍しい形の小石──長らく物々交換をしながら暮らしてきた人々にとり、そ

の手持ちを手放しても良いと認めてくれるような価値を目指して。確かに最初は違和感なり

抵抗はありましたが、この仕組みが画期的だったのは、次のような点にあります。


 一つ目は、保存性の向上。

 従来の物々交換では、特に食べ物のような痛み易い品の場合、どうしても時間的にも移動

距離的にも制約が生じてしまいます。ですがそれで代用すれば、一旦の取引自体は成立をみ

るでしょう。肝心の品の受け渡しは、互いの都合が良い時に改めて出向き出向かれが可能と

なるのです。取引──合意が結ばれる過程と共にせず、新鮮な食べ物などを入手・提供でき

る機会がぐんと増えます。

 二つ目は、保管のし易さ。

 先程と重複する部分もありますが、それは大荷物にならず且つ特段痛んでも駄目になると

いう心配が少ないため、圧倒的に“貯めて”おくことが容易になります。嵩張り難いため、

携行にも便利です。強いて言うならば、失くした時、現物よりも気づき辛いといった性質も

ありますが……。

 三つ目は何よりも、交換に際する価値基準が明確になること。

 それまで、人々が欲しいものを手に入れようとする時、既に持っている相手との交渉はど

うしても先方が有利になっていました。加えて個々の交渉力──弁の立つ立たないがその成

果に大きく影響するため、しばしばこちらが“損”をするレベルでも相手の交換条件を呑ま

なければならず、水面下で諍いの火種が燻ってゆくといった事態も珍しくはありませんでし

た。ですがそれを用いれば、相手方も極端に有利な条件を突き付け難くなります。数値化さ

れたそれが幾つあれば、同じような欲しいものが手に入るのか? 現在で言う相場なるもの

が形成されてゆくことで、皆が一々神経を擦り減らして交渉するという労力を大幅に削減す

ることが可能となったのです。これは特に、集団の中で立場の弱い者にとっては幸いであり

ました。


 ただ……残念ながらそれの誕生は、必ずしもこれまで人々が付き合ってゆかざるを得なか

った問題の全てを解決した訳ではありませんでした。いえ、寧ろ長い目で見れば、更に様相

は根深く困難になってしまったのかもしれません。或いは……それがヒトという生き物の限

界だったのか。


 それの浸透は、人々の暮らしを大きく変えてゆきました。即ち日々の暮らしに必要な現物

ではなく、万能の引き換え券であるところのそれを如何に多く持っているか? その大小が

今度はお互いの力関係を突き付けるバロメーターとなってしまったのからです。

 それによっていつでも引き換えられるということは、結局現物を多く占有している状態と

あまり変わりません。少なくとも、それの利便性に乗り掛っている者が多ければ多いほど、

持つ者の権力ちからは大きくなる一方でした。皮肉にも、便利にしようと知恵を回して共有された

結果、一番己の首を絞めたのは他でもない弁の立たない者──立場の弱き者達であったので

す。


『もっと欲しい』

『足りない』

『たくさん持っている奴が偉いんだ。だったらどうすれば一番になれる?』

『なぁに、簡単なことさ。他の奴から……奪えばいい』


 文字通り、血で血を洗う歴史の始まりです。

 それまでただ生きる──食べる為に殺してきた人々は、今度はそれという引き換え券の為

に同胞を襲うようになりました。かねてより力をつけてきていた者達は、日々の糧以外にも

戦いの為の品も蓄えてきたからです。点々と中小の集団として暮らしていた彼らは、徐々に

互いを警戒しながら暮らすようになりました。草っ原の中の我が家を、深い堀や頑丈な柵で

ぐるりと囲い、容易に奪われないように。引き換え券も、自分や大切な誰かの命も。守る為

に戦わざるを得ませんでした。仮に足ることを知っていたとしても、相手もそうである保証

など無いからです。


 ……以来、ヒトは繰り返してきました。

 糧を獲るのではなく作る。追いながら棲むのではなく、作るのに適した場所へと根を下ろ

す。時代の節目節目に、多くの者が良かれと思って様々な発明をしましたが、どれもが結局

それへと変換されてゆきます。より効率良く成果が上がり、手間が省けるようになっても、

今度はそうした発明で先を走り出した優位を保ちたいがために他人を虐げる仕組みを作り上

げるようになっていきました。

 力ある者らがこぞって、虐げられる者達の苦しみなど聞く耳など持たず。

 巻き上げ、詰み上がってゆくそれを誇りながら、しかし同時に他の誰かに奪われることを

酷く恐れるようになりました。

 それは一対一、個人同士でも起こっていった出来事でしたし、集団──いわゆる国と国と

の間でも生じてゆきます。

 必然の結果でした。ひいてはヒトの限界でした。

 多くの血が流れ、そして歳月と共に忘れられてゆきます。記憶とは曖昧で、往々にして己

らにとって偏重してゆくもの。歪んだ上で、美化されてゆくもの。殺った側は綺麗さっぱり

忘れても、られた側はずっとずっと憶えています。時間がそこで止まって──壊されてし

まったのですから。

 かくして彼らは当然噛み合わず、世代を経て再三。厖大な数の犠牲を出し続けて、ようや

く事の深刻さに気付いて立ち止まろうとするのでしょう。ただこれまでの歩みが、決して今

この時の彼らを容易に留まらせてはくれず──。


「──」

 嗚呼、そうです。そうですとも。

 アスファルトの地面。林立するコンクリートジャングル。

 何もこれらは、遠い遠い昔のお話ではなくて。今にも連綿と続いている、言ってしまえば

忌々しい“興ってしまった”延長線上にある現実であって。表面的には大分誰も彼もが大人

しくなったものの、そうであることが優位性だとも知っていて振る舞っていても、荒れ狂っ

ている誰か達は今も大勢います。寧ろつんと澄ました彼らを、先祖代々の仇として憎み続け

てさえいるのかもしれません。

 闘争は……今も尚続いています。血をすぐ目の前で流さなくなった、見せなくなったとし

ても、おそらく秘めた本質は変わらなくて。何処か遠い土地で慟哭する他人びとを、知って

も尚放ったままにし、何ならそれを荒稼ぎする好機とさえほくそ笑んでいる。どれだけ綺麗

な理想を掲げようとも、実際にやっていることはあべこべで。でも、いざ自身のそうした姿

を突き上げようとする者達が現れても──徒党を組んでも、きっと彼らは認めません。清濁

併せ呑むこと、大人になること。少なからずが内心、思っている筈です。


(××を許せば、●●を更に増長させる! ここで踏ん張らねばならないのだ!)

(そうして自由に声を上げられるのも、お前達が恵まれているからに過ぎないというのに)

 或いは。

(文句を付けたいのなら、相応の額を積んでこい。やることそのものは他人に丸投げしてい

る分際で、よくもまあいけしゃあしゃあと……。偉そうに……)


 引き換え券それをたくさん持っている人間が一番偉い。持てるように考え、動き、成功を収め

てきた者達を、どうして同じくそうしようとすらしない者が超えられようか?


 闘争は……未だもって続いています。

 多く有している者こそが優秀であり、目に見えた証。そうした価値観は他でもない、日々

彼らに批判的である者達の大群こそが担保しているというのに──疑いすらしない。

 肉体から流れるものが血ならば、精神から流れるものは涙です。時代が変わっても、巧妙

に姿形を変えても、人々に強いている本質は同じなのですから。

 持っていなければたちまち不安に襲われ、狂ったように己が身を差し出してまで掻き集め

ようと奔走するそれ。或いは奔走する彼らをしばしば体の良いカモとし、一部の者達が益々

積み上げる成果物としてのそれ。手段は問わず、今や地上のありとあらゆる悲喜こもごもに

紐付けされた、貴方や私を翻弄して止まない引き換え券。


 名を、貨幣と云います。

                                      (了)

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