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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-138.May 2024
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(4) 悩むなら

【お題】月、諺、観覧車

 昔の文豪が“月が綺麗ですね”を“愛しています”と訳したせいで、後の恋人達が大なり

小なりやり難くなった……なんて話を聞いたことがある。

 当時は「ふ~ん?」といった程度の印象しかなかったが、まさか自分がそんなシチュエー

ションに出くわすだなんて。自惚れていいのなら、そんな文学的何ちゃらに乗っかってやれ

たのかもしれないけれど、生憎自分にはそんなキャラが似合う筈もない。務まる筈もない。


「ねえねえ、あれ乗ろうよ。あれ」

 久しぶりに休日の都合が合い、その日はるは交際中の恋人・陽菜とのデートに出陣していた。

普段は移動距離や労力などを踏まえ、どちらかの家にお邪魔するというパターンが多かった

が、今回ばかりは少し特別。新装オープンした駅ビル内をたっぷり巡り、映画にゲーセン、

買い物などを満喫した後、夜景の見えるレストランでディナー。すっかり日も沈んで真っ暗

になったネオンの下、中空の渡り廊下を、ほくほくとした彼女を見守るようにして歩く。

「あれって……。今から?」

 時折通り過ぎてゆく夜風を肌に感じながら、晴は陽菜からの呼びかけに数拍目を瞬いた。

 彼女が大きく仰いで指差す頭上には、渡り廊下の先、隣棟の屋上に建てられた巨大な観覧

車が佇んでいた。今日び珍しい、近くから見上げれば尚のこと重さで潰れないのか? と正

直不安になりそうなランドマークだ。日没後の時間帯もあって、今はその全体が赤や黄色を

中心としたライトアップを受けて輝いている。

(今日一日遊び回ったのに、元気だなあ……)

 晴は内心、申し訳ないが彼女のことをそう思った。久しぶりのガチ態勢のデート。楽しん

で貰おうと、こっちは何日も前から情報集めやスケジュール組みに奔走したのに、当の本人

はまるでそんなことなどつゆ知らずのほほん。尚も元気いっぱいに笑い、おかわりをねだっ

て来さえしている。

 ただ彼自身、そんな彼女の大らかな性格が好いとも思っている節はあった。少なくともこ

れだけ屈託のない笑みを見せ、喜んでくれている様子ならば成功だと言えるだろう。その名

の通り、まるで太陽のようなだと思う。

「……駄目?」

「ああ、いや。いいよ。乗ろう乗ろう」

 問題はあの観覧車が、何時まで開いているか、だけども。


 結論から言うと、先刻から悶々と晴が気揉みしていた不安は、そこまで今日一日のデート

プランに水を差すようなものではなかった。観覧車は日没後もちゃんと稼働していたし、寧

ろ二人が乗り口までやって来ると、係員さんが「まあ、まあ」と若干“理解った”ような笑

みで誘導してくれる。……正直、恥ずかしい。

 晴達を含めた、他何人かの客を乗せた観覧車は、ゆっくりゆっくりと音も無く空中へと転

がり始めた。街の夜景を一望できる絶好のロケーションと、何よりも密室。最初は何となく

彼女にねだられるがままに乗ってはみたが、よくよく考えればこれは“チャンス”ではない

だろうか?

「お~。やっぱり凄い良い景色、綺麗~。一度見てみたかったんだよねえ。ここ自体は前か

ら知ってたけどさあ」

「……」

 今回のデートばかりは特別。これはチャンス。

 実の所、晴は今夜陽菜にとある話を持ち掛けようとしていた。即ち交際の進展、同棲をし

ないか? という告白である。

 これまで二人は、休みが合う度に互いの家を訪ねるといった形で逢瀬を重ねていたが、そ

れもずっと続く訳ではない。最初の出会い、高校の頃から一旦の進学。その後お互い社会人

となってからの偶然の再会──交際期間自体はその半分にも満たない歳月ながらも、何だか

んだとこの関係が続いているということは……向こうもそういう意思が無い訳ではないのだ

ろう。そうだと思いたい。

 だからこそ、ずるずると歳月ばかりを彼女に強いないためにも、今日今夜という場所で彼

自身区切りを付けるつもりでいた。それが一人の男としての、けじめでもあると、ずっと考

えてきたからだ。

(……でも)

 一方で、迷う。そんな“真面目”な話を彼女に切り出して、はたして本当にOKが貰える

のか? 逆にこちら側のがっついた意思を知ったことで、急激に冷められてしまう可能性だ

ってあるじゃないか。……少なくとも彼女という人となりは、あまり堅物なそれを好まない

傾向にある。いつも笑って、その場その瞬間を楽しんで。だからこそ時に危なっかしく、気

付けば母親オカンのように面倒を見ることも珍しくなかったが……自身そんな関係性すらも嬉しか

った。楽しくて、ずっと続けばいいなと思ってきた。

「見てみたかったなら、昼間の内に言ってくれてても良かったのに」

「? うんうん。この夜景がいいの。だからこの時間まで待ってたのもあるし。あとはちょ

うどその頃になったらご飯も食べて、程よく眠~くなってるだろうから、落ち着いて休憩す

るにもちょうどいいと思ってさ~」

「……なるほど。陽菜も陽菜で、考えちゃあいたのか」

「あはは! 何かそれとなく馬鹿にされてる気がするんだけど~?」

 コロコロ。本当に丸一日遊んでも、こうも溌剌としていられる。

 声色とその笑顔から、本気で怒っている訳でないのはすぐに見て取れた。ゆっくりと昇っ

てゆく観覧車の中、その席に向かい合うではなく隣同士に座って。窓ガラスを背に彼女はそ

うこちらに言いながら楽しそうで。

(あ。月……)

 だからこそ、内心晴は彼女の後ろ、視界の中に潜り込んできた綺麗な満月を見て、ぐるぐ

ると頭の中の記憶が蘇っていた。いつかの有名なフレーズ、今自分達が置かれたシチュエー

ション。今回のデートで意識していたものがしていたものだけに、一人勝手に緊張が高まっ

てしまう。悶々と、その“失敗”ばかりがイメージされてしまう。


『……ひ、陽菜。ぼ、僕と一緒に、す、住まないか?』


 口の中ではとうに何十回、何百回と出ていた。脳内シュミレーションだって幾度もだ。

 なのに自分は──失敗した後が怖い。口ごもり、噛みがちなイメージの中の自分と同様、

どうしてこんなにも卑屈なのだろうと厭になる。お互い似たような“太陽”の名前を付けら

れているにも拘らず、どうしてこうも対照的な性格なのか。

 元凶はんにん探しならいくらでもできる。思えば思春期の頃からずっと、そうやって何とか自分や

その周りの世界に理屈を付けようとしてきたのかもしれない。

 晴の両親は、彼が幼い頃に離婚している。それ故以来、彼は父親と二人っきりで暮らして

きたため、人一倍家族というものに憧れと同時に恐れも抱えてきた。あの蒸発女と同じ血を

引いているのなら、将来自分も同じようになるのではないか? たとえ愛する人ができたと

しても、その関係を壊してしまうのではないか?


『ん~♪ やっぱり、晴君の料理は美味しいなあ。流石は調理師ほんしょく

『……そう言って貰えると、作り甲斐があるよ。ただまあ、そこまで腕が立つかって言われ

ると怪しい所だけど……』


 そこまで家事が得意ではない父に代わり、負担をかけさせまいと、覚えた料理は今や生計

の糧。しかし晴自身、そこに大きく胸を張れるといった誇りはあまりない。必要に駆られて

身につけてきた技能だったし、何より美味しさや独自色などで言えば、世の中にはもっと上

のレベルな人材がゴロゴロといる。自分ができるのは、淡々と大きな変更のない量産型だ。

陽菜かのじょに美味しく食べて貰えるだけでも十分なのに、それ以上を望むというのも贅沢は話だと

彼は常々思ってきたからだ。

(そりゃあ、陽菜にとって、僕は料理やら何やらの面倒も見てくれる“都合の良い”男かも

しれないけど……)

 では同棲、ひいては結婚までするメリットを自分に感じてくれているのかどうか? 疑い

出せばキリがない、それは確かにそうなのだが、晴には結局今日の今日まで確実なOKとい

う未来を見出すことはできなかった。思い、何度もこのまま何となく一緒に居られればいい

やと、安易に流れそうになったことか。

「大分昇ってきたね~」

 内心悶々と、勝ってくる恐れに内心激しい自己嫌悪に陥りながらも、晴は暫くの間陽菜と

の雑談に花を咲かせていた。

 今日一日回って楽しかったこと、或いはここ暫く。これまで一緒に出掛け、出向き、経験

してきた過去を思い返して笑い合ったりしみじみとしたり。

「……。晴、大丈夫? 疲れちゃった?」

「っ! いっ、いや、そんなことは……」

「あはは。そんなに必死に否定したら、肯定してるようなものじゃん。……まあ、今日は私

ばっかり楽しんでたからねえ。晴君まで同じくらい体力ある訳じゃないのに、ちょっと羽目

を外し過ぎちゃった。ごめん」

「い、いや……。謝らなくっていいよ。陽菜が楽しんでくれたなら、それで……」

 だからだろう。流石に彼女の方も、時折応答がぶつ切れになる晴を見て、ようやく察した

らしい。しゅんと、先刻まで嬉々とした状態が良くも悪くも落ち着いて、冷静に隣の恋人を

顧みることができる。そんな彼女を目の当たりにして、晴は殆ど反射的に取り繕ったが。

「──ぷっ」

 笑われた。急に噴き出して、笑われた。

「あはははっ! だ~か~ら~あ。そうやってまず自分に非があるみたいな捉え方するの、

晴君の悪い癖だよ? 晴君が私に楽しんで欲しいのと同じぐらい、私だって晴君には元気で

いて貰いたいからね? もしかしなくても気付いてないと思うけど……割と昔っからこのパ

ターンやってるよ?」

「……。そう、なんだ」

 或いはそんな反応、返し自体が彼女なりの思いやりなのか。晴は少々ばつが悪いまま、そ

う陽菜の語る、真っ直ぐな言葉と眼差しから逃げられずにいた。物理的にも、精神的にも。

二人の乗るゴンドラは、いよいよ観覧車の軌道の頂点を迎え、遥か遠くの夜空に浮かんでい

た月もぐっと近くなったように感じる。存在感に照らされる。

『……』

 暫くの間、二人は黙り込んでいた。気持ち月明りが席を照らし、互いの表情かおが分かり易く

なっているような気がする。

 い、今こそがチャンスなんじゃ……? 晴は数拍経ってようやく気が付いた。気付いて流

石にこれは、事前の間が悪かったんじゃないかと内心頭を抱える。言わばマイナスからのス

タートな訳だから。

 なのにどうしてだろう? ニコニコと、対する彼女はそんなこちらを優しい笑みで見遣っ

ているような気がした。ちらと窓際を、ガラス越しの夜空に映る満月を一瞥してから、まさ

かの向こう側から告げられたのは。

「晴君」

「月が、綺麗だね」

「──」

 気のせいだろうか? いや、そもそもこれは……男として恥ずかしくはないのか? 不意

に投げられた先制打ジャブに、晴は混乱する。

 これってそういう意味か? そういう意味でいいんだよな?

 ぐるぐるぐる。脳内で目まぐるしくその真意を量ろうとする彼を、何処となく面白可笑し

くも、彼女は妙な艶を垣間見せながら観ていて──。

                                      (了)

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