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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-137.April 2024
181/284

(1) ライツ

【お題】ヒロイン、悪、歪み

「いえ。それでは効率が悪いのではないでしょうか?」

 電話対応や、相互に指示が飛ぶ時ぐらいしか誰も喋らないというのに、彼女の声は無駄に

びんと響くかのようだった。

 同じフロアをぶち抜くお隣さん、二課の一角からそう“あの”調子が聞こえてきて、半田

は内心またかよと眉を顰める。

「う~ん、突き詰めればそうかもしれませんがね……。ただ私の一存ではどうも。関わって

いる他の皆さんにも意見を聞いたり、周知する必要がありますし……」

 主任のデスクを挟み、物腰柔らかな中年の男性社員と、小柄な女性社員が話している。

 それとなく耳を澄ませてみる限り、どうやら事務手順についての物言い──提案であるら

しい。

 確か年齢的には、そこまで差はなかった筈だが……。遠目からの体格差が打ち消されてい

るのも手伝って、半田にはまるで彼女が主任かれを詰めているように見えた。

「あらあら? 今日も主張が強いねえ、迎井さんは」

「……あんまり声に出すな。こっちに飛び火するだろうが」

 モヤっと。彼女が“悪目立ち”する瞬間に半田がいつも抱く感情は、往々にしてそんな好

くない方のそれだった。自席の後ろ、同僚の柳ヶ瀬が事務椅子を回してこちらにヒソヒソと

話し掛けてきたが、正直そうしたおちゃらけすらも半田は受け止める余裕が無い。寧ろ彼女

を揶揄するような言動を見咎められ、その口撃の矛先を向けられることの方が面倒臭い──

何があっても避けたい。

「悪ぃ悪ぃ。ただまあ……白城主任も大変だなって。毎度毎度、彼女の正論パンチをどう捌

くかで大分気ぃ遣ってるぜ? あれ?」

「だろうな。なまじ上にも下にも腰が低い人だから、余計に貧乏くじを振られちまってる気

がする。部下の管理は仕事の内、と言えばそれまでだが……」

 柳ヶ瀬はにたにたと嗤い、また自席の作業に戻ってゆく。半田も二言・三言、彼にそんな

認識を返しながらも、やはり意識の上層に在るのはある種の苛立ちだった。或いは一々気に

なってしまう自分自身を叩きたかったのか。

(言ってることは筋が通ってても、その通し方にも作法ってモンがあるんだよ。その辺やっ

ぱり杓子定規というか、ああ“例の枠”なんだなあというか……)

 彼女、迎井は俗に云う障害者雇用として入ってきた、パートタイムの社員である。半田自

身、フロアこそ同じでもそれほど直接的なやり取りは少なく、精々事務的なことや提出など

で相対する程度だ。

 それでも、拘る部分には妙に頑なだったり、淡々とし過ぎて本心の読み難い彼女を彼は正

直苦手としていた。出来ることなら、こちらから積極的に関わりたくはなかった。

「──分かりました。では皆さんにお願い出来ますか? 必要があれば、私も追って説明に

加わりますので」

「えっ。あ、うん……。伝えてはみるよ……」

 例えば。今ちょうど現在進行形のように、それとなく“手間が増えるから後にして”的な

ニュアンスを醸し出しても全く伝わらないし、往々にして額面通りに受け取る。向こうはあ

くまで大真面目に言うものだから、主任かれもつい言質を取られた格好になって困ってしまって

いた。

 これまでも、特に普段の業務に支障が無かったのだから、部署うちの勝手通りにさせてくれて

も──そんなこちら側の都合も、おそらく逐一説明しなければ解っては貰えない。実際半田

自身も、AではなくBでは? と疑問を投げ掛けられ、そうではない理由を説明するのに随

分緊張させられた。尤も投げ掛けられる方と同様、きちんとその理由に筋が通っていれば、

納得してくれるのも早いには早いのだが。

「えっとね、迎井君? 効率も大事だけど、人数を使って正確さを担保するのも大事なこと

だと思うんだ」

「はい。どちらが良いかは、内容によりけりですから」

 彼女の去り際、主任は苦笑いを押し殺しながら反論めいた一言を述べたが、当の本人はさ

っくりと首肯しただけでぶつ切り。会話の流れ通り、一旦彼がこちらの意見を他のメンバー

に伝えてくれると解釈した上で待つことにしたらしい。とたとたと、時折足元が絡みそうに

なりながらも踵を返し、自分の席へと戻ってゆく。

(……大変だなあ)

 努めて他人事、他人事。

 半田は既に、自分の仕事セカイに戻った柳ヶ瀬と同様、ついっと横目の視線を正面のPCに戻し

て作業を再開した。どっさりと溜まった資料の山、次回のプレゼンの用意。ただでさえ毎日

やることはごまんとあるのに、頼んでもいない“改善”まで対応を迫られるのはぶっちゃけ

迷惑だ。何にしたって、リソースを割くことには変わらないというのに。



「──ねえ、あの子。また主任に直談判したんですって?」

「そうそう。●●の手順とか、書類の置き場とか。ぽんぽん変えられたら困っちゃう」

「仕事をしているのは、自分だけじゃないのにねえ? 何様のつもりかしら?」

「主任や補佐も、もっとはっきり言っちゃえばいいのに……」


 だからだろう。社内・部署内で彼女のことを快く思っていない人間は、存外潜んでいるら

しかった。給湯室やトイレの前、昼休み中の廊下。半田が日々何気なく通るオフィス内のあ

ちらこちらで、気付けば同じパート従業員を中心に、そんな陰口を度々聞くようになった。

或いは心証の悪さはもう少し以前からで、自分が認識するよりも早く彼女らのようなコミュ

ニティ内では既に固まりつつあったのか。


「あんまり強く言ったら、それを盾にまた文句を言われるからでしょ? やあねえ、何だっ

け? 障害者枠?」

「やっている仕事ことは、私達とそんなに違わない筈なんだけど……。ちょっと不公平かも」

「しー! あんまり直接言ってると、本人に告げ口されちゃうわよ~? 今の時代は色々と

怖いからねえ。私達も“自衛”しないと」

『だよねえ~』

「……」

 あまり、聞き耳を立てていて気持ちの良いものではない。正面切って雑事を増やすのか、

陰でコソコソと空気を悪くすることに熱心なのか、その程度の違いでしかない。半田は早々

に忘れようと廊下を突き進んでいった。小休止を終える前に、エントランス奥の自販機コー

ナーで缶珈琲を一本。ぐびりと飲み干して気持ちを切り替える。

 今の時代は色々と怖い。確かにその一点では強く同意する。ただそれは、ひとえに従来ま

での社会が、人を様々な同調圧力で押し潰してきたことへの揺り戻しだと半田は理解してい

た。理解している心算でいた。わざわざ正面切って、そうした昨今の向きへと反抗する意欲

は勿論、メリットだって皆無だ。自分が白城主任のように、直接彼女のような部下を管理・

指導する立場にあったならともかく、現状積極的に関わる義務も義理も何もないのだから。

 ……強いて言うなら、ただ一つ。傍目にしていて、空気を害するきにくわない。それだけだ。



「なあ、半田。いつの間にか迎井さん、会社辞めたみたいだな? 知ってたか?」

「? いや……。えっと、誰だっけ?」

「二課のパートさんだよ~。よく白城主任に直談判してた人。まあ、俺達とはそこまで接点

なかったし、忘れてたのも無理はねえけど」

 自身でもあまり善い感情ではないということは、大なり小なり自覚はしていたのだろう。

半田は実際それから数ヶ月単位で、彼女の存在をすっかり意識の外に捨て去ってしまってい

た。ある日、柳ヶ瀬ほか数人の同僚と飲みに行った際、そう彼女が辞職した話を聞かされな

ければずっと記憶から欠落したままだった。

「てか、柳ヶ瀬。お前よく憶えてんな。パートさんなんて他にも結構いるだろ? うちだけ

じゃなく、余所の部署にだって」

「俺も俺も。言われてああ、例の枠の……ってことぐらいしか」

「? 同僚の顔ぐらい憶えて当たり前だろうが。商談でも、お前ら同じこと言えんの?」

『……』

 サラリとそう、さも必須技能といった風に応える柳ヶ瀬に、半田達は数拍黙り込んだ。彼

のそれもある意味で、ぐうの音も出ない言い分ではある。会社の中だろうが外だろうが、相

手ありきの商売である以上、互いの協調・協同というものは不可欠な訳だから。

「でも何でまた? 契約更新の時期って、もうちょっと前じゃなかったっけ? その話って

実際いつ頃だったんだ?」

「う~ん、俺も実はよく知らねえんだよ。ただ人伝でそういや居なくなったなってのを聞い

てさあ」

「……飯時ぐらい、仕事の話は忘れろ。つまみが不味くなる」

 同席したやや寡黙な同僚の一人がそうごちつつ、自分のカウンター席に並べられた肴に箸

を伸ばす。既に皆で乾杯はした後で、件の話は酒が進んでゆく最中にふいっと出た話題の一

つに過ぎなかった。「だな」「まあ……何かあったんだろ」めいめいにグラスに口をつけ、

飯を咀嚼する中、半田もそんな一人として会話の流れに聞き耳を立てる。

「……何度か、彼女が白城主任と井筒補佐に連れられて、会議室へ入ってゆく姿を見たこと

がある。思えばあれは、水面下で話し合いがなされていた時だったのかもしれないな」

「へえ」

「何だよ。忘れろって言ってる割に、随分憶えてるじゃん」

 バシバシ! 酔いの回ってきた柳ヶ瀬に景気良く背中を叩かれ、この寡黙な同僚が不意に

そんな証言をしてくれる。主任だけじゃなく、補佐まで……? 半田は喉に生ビールを流し

ながらも、内心それが中々に深刻ではないかと勘繰った。個別に、しかも上司とそのまた上

までが一緒になって彼女を呼び出すとは……何が拗れたのか。いつかのフロア内での直談判

だけでは飽き足らず、他にも“悪目立ち”があったのか? それとももっと、別の……?

「まあ、変に頑固だったり潔癖だったりで、あんまり好かれてはいなかったらしいってのは

聞いてたなあ。女ってのは怖いね」

「女? 社員うちのか?」

「そそ。空気を読む、気を遣うってのも仕事の内だからねえ。俺の記憶してる限りでも、彼

女はその辺だいぶガン無視してた気がする。ほら、あれだよ。ロジハラ」

「ロジハラ……」

 正直、あまりそう言った揶揄ことばを使うべきではないと思ったが、少なからずその節はあった

のかな? と半田は振り返る。

 自分が書類の不備を指摘された時も、言葉が一々何と言うか攻撃的だった。本人的にはあ

くまで淡々と、事実だけを挙げていたに過ぎないのかもしれないが、それが却って威圧的に

映ってしまうことはよくある。まあ、かと言って白城主任のように、誰彼構わず腰の低さを

発揮すればいいという訳でもないだろうが……。その辺は本当に相性と言うしかない。

「今の時代、一人二人辞めるのは別に珍しいことじゃないだろ。お前らもその女子達も、あ

ること無いこと言ってたんじゃないか? 特に上から何か話が降ってきた訳でもないなら、

要らん詮索は止しとけ」

「……そうだな。少なくとも今は、飲む時!」

「おいおい。ちったあ加減しろよ? まだ明日も勤務あるんだぞ?」

「大丈夫大丈夫~、俺は酒強い方だから~」

「あー、もう! そう言ってすっかり出来上がってんじゃねえか! こっちは、野郎を家ま

で送り届ける趣味はねえぞ!?」



 だが事態は、そんな友飲み時の楽観から大きく方針転換を余儀なくされることとなった。

半田達がいつものように出社してきたその日、他でもない迎井かのじょが会社を相手取り訴訟を起こ

したとのニュースが広まったからだ。

 曰く、不当な理由で解雇されたことへの精神的損害と謝罪を求める──彼女はただ自分の

都合で辞めたのではない。会社側からの圧力を受けて辞めさせられたのだと。


『正直どうしようかと迷いましたが、今回法的な手段を取らせていただきました』

『私の受けた理不尽が、然るべき判断の下に晒されることで、同じような経験をした人達へ

の援けとなればと思い、決断した次第です』


 弁護士と共にメディアの取材を受けた彼女は、画面の向こうで確かにそう語っていたのだ

った。半田らが記憶していた頃と同じように、良くも悪くも真っ直ぐに“正しさ”への強い

拘りでもって。


「──畜生! あの女、よりにもよって裁判なんて起こしやがった!」

「嗚呼、よほど納得いかなかったんでしょうね……。こちらとしても色々、説得しようと試

みはしたんですが……」

「だが実際、本人に届いてなかったからああいう言動に出たんじゃないのか? どうするん

だ? このままじゃあ、うちの評判はガタ落ちだぞ!?」

 内外に走る動揺。特に報道による“先制攻撃”を受けた社内では、事の顛末に関わった課

の管理職や取締役級、直接の上司だった白城主任が一堂に介して急遽話し合いの場を設けて

いた。主任かれの若干のんびりとした、聞きようによっては他人事のような反応に、他の面々は

得てして感情的になって慌てている。

 全ての発端は、水面下で彼らに突き付けられた直談判だった。尤もそれは迎井個人からの

ものではなく、他の女性パート社員や一部男性社員が徒党を組んで行ったもの。


『もう私達も我慢の限界です。彼女を、迎井さんを辞めさせてください』

『仮に駄目だと仰るのなら、我々全員がこの会社から出てゆきますので……』


 事実上、彼女一人を追放する為の企みと言って良かった。彼女があまりに単独で自己主張

が強く、このまま共に仕事を続けることは無理だと主張することで、彼ら上層部を“脅迫”

するような手法だった。

 はたしてそれは卑怯だったのだろうか? 記者会見した彼女のように、格好こそ違えど、

文字通り己の首を賭けた権利の行使だったのだろうか?

 二課長や井筒補佐、白城主任から始まった社内側の面子は、当初かなり頭を悩ませた末に

選ばざるを得なかったのだ。一人の権利を守る為に、多くが非正規とはいえ、実際の業務を

回してくれている複数の人材を切るのか? それとも元凶と指弾された彼女ひとりを切るのか……?

「ええ。何度も呼び出して、説明したんです。皆がこう不満を述べているから、もう少し控

えてくれ、と……」

「なのに彼女は、まるで解ってくれなかった! 自分は何も間違ったことは言っていない、

提案を一旦受理してきたのはそちらじゃないか、と! そうじゃない、そうじゃないんだ!

お前が我を張ることで、職場の空気が悪くなってるんだと! 何度も説明して止めさせよう

としたんですよ!」

 でも……。井筒補佐は二課長の発言を受け取り、カッと瞬間激昂するように叫んだ。当時

のことを思い出したのだろう。密かに会議室に集まっていた取締役らも、流石にその変貌に

若干引き、互いに顔を見合わせる。彼曰く、結局こちら側からの説得に応じない彼女を、契

約更新の時期を待って切るしかなかったのだという。それ自体も、その時が来るまで徒党を

組んできた側の面々を、宥めすかすので大変だったのだとの嘆き節も付け加えて。

「……白城君。そもそも、君が彼女を甘やかすからだよ。然るべき時にはきちんと撥ね退け

て、組織こちらの都合を解らせてやらねば。有り体に言って──舐められていたんじゃないかね?

この人なら、無理が言える、みたいな」

「どうでしょう……? 今となっては、もう本人の正直な所を訊くのは難しいかと……」

 そんな怒りの矛先、飛び火を被せられた主任としても、さてどう答えるのが正解だろうか

という戸惑いの方が大きかった。確かに内々での辞職要請、説得の場で彼女が呑み込んでく

れた様子はなかったが……まさかここまで強硬な手に及んでくるとは想像していなかった。

事の真偽、正否がどちらにあれ、メディアにああ露出した時点でこちら側のダメージは敗け

越しのレベルで大きい。

(誰か、彼女に入れ知恵をした者がいる……? 会見に出ていた弁護士か、それとも……)

 社員達には、まだ報道以上のことを知らせてはいない。既にめいめいが速報を目にして動

揺していることだろう。こちら側の説明を求めてくるだろう。

 白城達や上層部、会議室の面々は人知れず頭を抱えた。元々大手と呼べるほど大きな会社

でも、強い会社でもない。もしかしたらこの一件で、自分達は破滅するかもしれない。

「──本当に、要らぬことをしてくれたものだ。彼女は己の正しさの為に、会社うちを道連れに

する心算か?」

「冗談抜きでそうなりかねませんな。主張の強い人間は嫌われる……それが結局、当人には

納得云々以前に受け入れ難いことだったのか」

「嗚呼! こんなことになるなら、最初からあんなのを採らなきゃ良かったんだ! お情け

に、補助金の為に作った枠で会社自体が傾くのなら、元も子もない……!!」

                                      (了)

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