(3) 溺哀
【お題】海、地獄、空気
始めに言っておくと、私はいわゆる霊魂や、死後の世界というものを信じていないタイプ
の人間だ。いや、厳密にはそんなもの在って堪るかと思っている、と表現した方が正しいの
だろうか。
『──黙祷』
この日、この国のあちこちで、一斉にヒトの群れが目を閉じて俯きがちになった。たかが
一分、されど一分。哀悼の意と云う、圧倒的大多数の“外野”のパフォーマンスの為に。今
を生きる人々を、束の間ながらも“過去”へと縛り付けて。
……ずっと違和感があった。十●年前のあの日、己の肉親に犠牲者が出た後も、私はこの
一塊を美しいとは思えなかった。醜い、しつこい、腹立たしい──未だにこのモヤモヤを的
確に表現出来る語彙を、私の心は見出せずに彷徨っている。
(もういいんだよ……この画は)
スマホの画面からも、あの日の犠牲者らを悼む集会の記事が、各社によりこぞって載せら
れているのが確認出来た。道すがら、思わず独り眉を顰める。誰も彼もが深刻そうに、苦し
そうに。だけども、どれだけ寄り集まった所で、その痛みは根本的に消え失せはしない。
本人が、忘却に努めなければ。
『だってそうだろう!? 兄貴が死なせたようなモンじゃねえか!』
『そもそも、素直に跡を継いでりゃあ、二人を逃がせられる人間になってた! 傍に居た!
お袋はともかく、親父を拗らせた元凶が今更出しゃばってくるんじゃねえよッ!』
故郷の港町で、父は代々続く漁師の一人だった。
毎朝陽も出ぬ内から船を出し、沢山の魚を箱いっぱいに獲って帰って来る。ただ……とか
く良くも悪くも職人肌で、ぶっきらぼうな彼とは、私はお世辞にも良好な関係とは言えなか
った。長男でありながら家業ではなく、学校卒業後すぐに都市部で就職。一人暮らしを始め
たことを、弟を始め古里の知り合いの少なからずは快く思っていなかったらしい。
実家を含めた周辺地域一帯が大地震に見舞われたのは、そんな日々の夜半だった。
突然の出来事、次々に詳報が飛び込んでくる当時の混乱。土地柄、漁港及び沿岸部に集落
が集中してきたことで、各地は直後襲ってきた津波によって壊滅的な被害を受けた。年老い
た私達の両親も、そんな犠牲者の一人──仕事道具が気になって作業小屋に向かおうとし、
結果迫る波に呑まれて終ぞ見つかることはなかった。
弟や父の漁師仲間の話では、姿を見かけた者達が慌てて止めようとしたものの、頑として
聞く耳を持たなかったという。晩年漁師であることに、己の存在価値を全振りするようにな
ってしまったが故の最期だった。地震後、交通網の復旧を縫いながらようやく帰省を果たし
た私を待っていたのは、そんな弟達からの爆発した不満と罵声だった。
「……」
すぐ父の跡を継がなかったのは、お前も同じじゃないか。
私と違ってやんちゃを沢山して、それでも二人からは可愛がられて。だから遠回りをして
でも、結果的には地元に──父と同じ漁師に落ち着いた。ちゃんとその背中に憧れられたん
だ。尤も兄が先に、連綿という名の圧から逃げ出したというのもあるが。
例の如く、報道では被災によって失われた命、彼・彼女らの“絆”を殊更強調するドキュ
メンタリーが多くなる。だが──私のそれが一方で一般的とも思っていないが──全員が全
員、あのような温かい関係性ばかりではなかった筈なのだ。素直に失われた命を惜しむので
はなく、宙ぶらりんになったまま二度と戻らない。そんな逝った者と遺された者という在り
方も、画にこそならずともごまんと散らばっている筈なのに、だ。
『──次は、白木那~。次は白木那~』
「! おっと……」
路線バスを乗り継ぎ、かつての商業地区へと向かう。少しぼうっと昔を思い出していた余
韻も手伝ってか、降り立ったバス停から広がる景色は何処となく懐かしさすら感じる。
いや……。実際には幻覚なのだろう。あの日から十●年、見渡す限り瓦礫の山・廃墟同然
と化していたこの地域は、文字通り一度死んだのだ。そこから必死に復興に心血を注ぎ、新
しい家屋が建つようになって、故郷の姿は面影こそ匂えど全く別物へと変わっている。事実
整然と再開発された通りは尚も、店舗らしい店舗は疎らだし、流れる町の空気感は穏やかな
ようで仄暗い。この地に遺され、且つ残ると決めた者達でようやく回るようなった、そんな
印象を暫くの観察で私は得る。子供の頃、馴染みのあった店や看板がまだ残っているのがせ
めても救いだろうか。
「いらっしゃいませ~」
ただ、歳月は確実に移ろっていると感じた。記憶にある生花店を訪れると、奥から出てき
たのは若い女性の店員。店主の孫か誰かだろうか? それとも地元の若年世代? かと言っ
て、あまりじろじろ見ていても不審がられるだけだ。寧ろ私を知っている人間が相手でない
方が好都合だと考えれば良い。
「本日は、どんなご用件でしょうか?」
「……小さいのでいい。献花用の花束を、一つ頼む」
私はいわゆる霊魂や、死後の世界というものを信じていない。昔から妙に冷めていた生来
の性もあるが、正直あの日に両親を失った経験が大きく影響していると言わざるを得ない。
“ご冥福をお祈りします”──子供心ながらに思ったものだ。どうしてああも苦しんで、
或いは海に沈んだまま帰らぬ人となったというのに、死後の世界とやらでも生きなければな
らないのだろう? あまりに酷じゃないか。おじさんが、おばさんが、父や母が、一体何を
したことによる報いだというんだ? 幼い頃、ぼんやりと目の前の社会で交わされていた景
色への疑問が、あの日を境にして急に明確な形となったような気がする。
ならばいっそ、死ねばそのまますぐ塵になって消えてくれた方が、本人的には救いではな
かったか? 私達生きている側ですら、代謝という形で日々肉体を構成する物質が入れ替わ
っている。本当に生と死の循環と言うのなら、もっと物質的であるべきだ。たとえ命という
状態を失ってしまっても、二度と直接語らうことが叶わなくなっても、今もこの世界の何処
かでその要素として漂っているのなら……見守られていると考えることも出来なくはない。
『何年経っても、忘れることなんて出来ませんよ』
『あっという間の十●年でした。私達は、まだまだです』
しばしばこの手の追悼ドキュメンタリーや記事を見ると、そう苦しみを湛えつつも気丈に
振る舞う人々の姿が言葉を漏らす。当時無関係だった他人達も、こうした情報に触れること
で、同じ痛みを味わった心算になる。
……個人的な意見だと改めて断っておくが、寧ろ私は逆の感慨を持っている。失った誰か
のことを忘れられない、事ある毎にぶり返してやって来る取材。それらは彼・彼女達を念入
りに蝕み直す“呪い”のようなものなんじゃないか? と。他人の涙を撮る為と、当事者ら
が思い起こす負荷が、どうにも釣り合ってないように思える。……無かったことにしろ、だ
なんて言わない。ただ少しずつ記憶から薄れ、目の前の日々に没頭してゆく──未来を生き
てゆくことの方が、よっぽど故人にとっては供養になる筈だ。少なくとも私はそう思う。昔
ながらの職業人であった父なら、クヨクヨして一向に前へと進まない息子を、きっと引っ叩
いても歩かせようとしただろうから。
祈りは内省。己や過去と向き合う為の時間を作ること。
弔いは儀式。その実故人を悼むという以上に、遺された者達の気持ちを整理する“区
切り”としての側面が強い。勿論、物理的に遺体を処分するまでのプロセス、という身も蓋
もない理由であったりもするのだろうが。こと宗教というものが絡むと、物事は途端にやや
こしくなる。それは海外に目を向けてみても、各地の紛争等で明らかな訳であって……。
「──」
店を出て、海沿いを目指して道を歩く。子供の頃には無かった、真新しいアスファルトの
舗装面や、視界を高く遮る防潮堤が海原の向こうとこちら側を切り分けて久しい。
必要なことだと分かっている。弟の言葉を借りれば、父の自棄の遠因を作った私が今更ノ
スタルジックに浸る資格もなかろうが、正直を言えば寂しい。過去の災害を教訓として、恐
れを抱き続けて、私達はいつまで生きていられるのだろう? 追悼の集まり、継承。貴方の
ことは忘れないから──リアルタイムで被災した私達の世代ならまだ良い。だがそれ以上、
もう既に遠い“過去”となった今の子供達に、過剰にそれらを刷り込むのははたしてどうな
のか? 洗脳ではないのか? ひいてはそれは、自分達の“呪い”すらも次の世代に継がせ
ている所業にはなり得ないか……?
多分、私が子供心ながらに違和感を覚えていた理由はその辺りなのだろう。確かに過去、
そんなことがあったね、だから気を付けようねと学んだとしても、それは同時に●●と思う
の押しつけと表裏一体だ。何かに対する恐れ、怒り。行為の本質としては、海外で長年いが
み合う者同士と何が違うのだろう? 元凶となった当時のことを、今の者達は全くもって実
体験として知らない。なのに先に「歴史」だけを教えられて、あいつが悪い、あれがああな
ったから我々は酷い目に遭った。態度を、強いられた……。
(……それはもう、呪いと呼ぶ他ないんだよ)
毎年同じ日に、同じ時刻に、同じ場所で。
本当に有志だけならば構わない。一部の者達で、静かに思いを馳せるだけなら構わない。
だが天による災いであろうが、人による災いであろうが、一億総出で頭を垂れなければなら
ないといった風潮が出来上がってしまっているのは酷く歯痒い。それじゃあ、まるで敗戦直
後と同じじゃないか。私達は何も学んでいないと言っているようなものだろう?
仕事の途中であっても、その手が止まり、歳月が一時だけ“過去”に戻る。そんな小さな
セレモニーが日常の一部と化す。思い出し、嘆き苦しむ誰かが増える。繰り返し繰り返し、
壊れたレコードのように、メディアが当時の映像を吐き出して「歴史」を刷り込む。
“儀式”は過ぎたんだ。たとえ個々の心が未だ当時を彷徨っていても、私達は今目の前に
ある現実を進んでゆく以外に無いというのに。
本当に故人を悼んでいるのなら、繰り返してはならぬと戒めたいなら、その祈りを強制す
る教義を止めろ。哀しみに浸る悪癖を根付かせるな。過去に囚われ、出られなくなることを、
先に逝った彼らが本当に望んでいるとでも思っているのか……?
(ただいま、父さん。母さん)
すっかりガチガチに補強された海岸線。私は都市部から数時間かけ、ようやくこの場所ま
で辿り着いた。されど半休、普段オフィスで業務に追われている私自身を解放するのに、今
回もどれだけ先行してシフトを詰め込んだか。
スマホで見ていた追悼行事は、その殆どが午前中のもの。中には当時と同じ、真夜中に開
く所もあるようだが、現実問題として普段の生活リズムとの整合性は取り辛い。
海岸へと続く堤防道の切れ目には、あの日の犠牲者を弔うための慰霊碑が建っている。黒
い墓石のような、小さめだが天へと真っ直ぐ伸びる石柱だ。既に集まりは散会し、辺りに人
影は無い。代わりにその根元には、参加者達が残していった花束が幾つも置かれている。
(本当なら、私も同じ時に参加すべきなんだろうが……夏輝に見つかったら揉めるのは目に
見えているからなあ。あいつとも、いつかはきちんと話し合わないといけないんだが……)
両親が遺体すら無く逝ってしまって以来、弟夫婦とは顔を合わせることすら避けるように
なって久しい。実家があった場所も津波で押し流され、二人の位牌や仏壇を作って管理して
いるのも弟と義妹だ。私が二人を弔おうとするには、こうして別の場所をこっそり訪ねて代
えるしかない。
先刻、生花店で買ってきた花束をそっと重ね、暫く手を合わせる。散々他人の祈りにケチ
を付けておいて、自分は……と毎度この時になると考えるが、全く足を運ばなくなればなれ
ばで、弟達に陰口を叩かれる気はする。私はまだ、努めて忘却られてはいない。
かつてとは大きく変わってしまった海岸線、慰霊碑の傍から見下ろす向こうに、私がまだ
若かった頃、海辺を臨みながら一人黙々と漁に使う網を繕っていた父の背中が蘇る。
『──春信。お前には、やりたいことってえのは……ねえのか?』
止してくれよ、父さん。
そもそも家業以外無かった人間が、そんなことを訊いちゃあ。
(了)




