(5) レヴェル
【お題】屋敷、主従、幼少期
『社長? ああ、まあ強引な人ではあったかなあ』
『リーダーシップと言えば聞こえは良いけどね。実際業績は悪くなかったし、状況に応じて
色んな商売に手を出してたから、地頭はあったんだと思うよ?』
『色んな意味で“自由”な人という印象でしたねえ。その分、周りの人達は苦労していそう
ですけど……』
彼の人となりについて訊ねられた際、彼を知る人の殆どはそう言葉を濁した。何も彼に限
った話ではないのだろうが、人の評価・価値とは元来多面的なものだ。
ただ、それでも──人は誰かを、その一面でもって評価したがる。近付き、真に“理解”
するよりも“決めて”しまう方が楽だからだ。誰に対しても誠実であろうとすればするほど
に、その人生は他者達によって瞬く間に占拠されてしまうだろう。有限なリソースを無遠慮
に喰われ、その生涯は往々にして中途半端になる。
博愛とは、犠牲だ。
少なくとも相当の覚悟をもって臨まなければ、臨み続けなければ、貴方はきっと裏切られ
たもの達や失ったものを思い激怒するだろう。絶望するだろう。……そうした犠牲の果て、
やり切った誰かだけが、きっと“聖人”になり得る。
だから、人は群れるのだろう。
似通った価値観の──好きなものと嫌いなものが共通した、理解のずっと手前で妥協した
誰かとつるんでいる方が、ずっと気楽だし現実的だからだ。
***
「おい、何やってんだよ! “どん草”」
かつて少年達は、誰からという訳でもなくグループを形成していた。それ自体は別にあり
ふれた、何処の学校でもあちこちで見られる景色。
ただ違っていたのは、その関係性が歪だったということ。リーダー格を中心に、複数の少
年達が一人のメンバーを“下”に見る、いわゆる苛めの構造だったということ。
「ご、ごめん……努君。や、やっぱり僕には、外野は……」
「だからって内っ側できびきび動けんのか? いいから突っ立ってろよ」
少年達は放課後、馴染みの空き地で草野球をしていた。体格に優れた子らが多い中、その
内の一人が打った白球がセンターを守っていた少年──明らかに彼らとは違って小太りの、
運動の苦手そうな男の子の方へ飛んだ。しかし彼は案の定、その打球を取ることが出来ず、
エラー扱いとなって走塁はぐんぐんと一周する。ようやくわたわたと白球を拾いに行き、内
野へと投げ返した頃には、相手チームの得点が大きく嵩んでいた。ピッチャーマウンドで皆
を指揮していたリーダー格の少年が、そう彼に怒鳴りながらも、その訴えに耳を貸す様子は
ない。
「なあ、努~。やっぱあいつ、ベンチに置いときゃいいんじゃねえの?」
「出来るならやってる。でも今日、人数ギリギリじゃん。あんなのでも使うしかねえだろ」
「……」
ひそひそ、というよりもグラウンド間で聞こえるぐらいあからさまに。
他のメンバーが、この小太りな少年を引っ込めるように助言していたが、リーダー格の彼
はこちら側の頭数を理由にそれが出来なかった。ニヤニヤと時折少年を見遣っている面々と
は違って、その表情には本気になって相手チームとの勝負に臨む苛立ちがあった。
「ごめん……」
「謝ってる暇がありゃあ、しっかり守れ! 俺に言ったって何も変わりゃあしねえぞ!」
こと彼と、小太りの少年の関係は小学校入学以来、ずっとこんな感じだった。
体格や度胸に優れ、皆をぐいぐい引っ張るリーダー気質の彼とは対照的に、小太りの方の
彼はいつも行動がワンテンポ・ツーテンポ遅く、皆の足を引っ張りがち。彼からすれば、な
のに一向にその不得手に対抗策を打つこともしないものだから、次第に顔を見る度に苛々さ
せられていた。加えて低学年から中学年──この時期子供達にとって、他のコミュニティな
ど皆無な時代。同じ学校に入れられた稚魚は、どうしたって影響され合う。
『植草? お前なんて“どん草”で十分だろ。なあ、どん草?』
『登ってくるんじゃねえ! お前は……“下”だ!』
何時しか、彼がこの自分よりも劣ると見える同級生につけたあだ名は、瞬く間に周囲の仲
間達の間にも広がっていった。
言葉はやがて態度、態度はやがて暴力に。一度築き上げられた認識は、少年達に彼を文字
通り踏み躙らせた。反抗的な気配、同じ高さへ並び立とうとする意思。それら全てを張り倒
し、靴底の下へ捻じ込ませた。たとえ一時でも、所詮は数年限りの密度でも。
……他人を理解することは難しい。自分のことすら、正確に見つめて且つ受け容れること
が困難である場合が少なくないというのに、どうして自分ではないそれを解った気でいられ
るのだろう? 彼・彼女らは仲間だと言い切れるのだろう?
苛めはなくならない。人が群れれば、いずれ敵か味方に分かれるからだ。相手より上だと
思った者が下の者を虐げ、彼らの心の安寧が担保されるからだ。中心的人物でなくとも、傍
観者であっても、そうした在りように異を唱えないのなら“共犯”だと云う──それはそう
だろう。少なくともその誰かが“標的”となっている間は、自分が狙われることはないのだ
から。誰だって自分が可愛い。虐げる側も、虐げられ得る側も。子供だから、大人だからと
いう話じゃない。
子供達はちゃんと見ている。大人達の仕組み、用意された閉じたセカイの中で、彼らも同
じように日々誰かを“苛め”ているじゃあないか。顔の見えない誰か達が、たった一つの汚
点をさも鬼の首を獲ったかのように、一斉に攻撃しているじゃないか。やがて飽きてそんな
ことも忘れ去り、また同じような右に倣えを繰り返しているじゃないか。
『ただ運が悪かった』『昔のことだ』
『苛める側も悪いが、苛められる側も悪い』『付け入られる隙を減らすのも、処世術』
『必ずしも、こちらとしては全員を守れる訳じゃない』『大事にはするな』
『悪いけど……。そいつの為に、心中までする気はないよ』
或いは、こんな台詞すらも嘯かれる。冗談交じりに、云われることがある。
『学校ってのはある意味、理不尽の予行演習をする場所だから──』
***
「へいへ~い……」
その日、下地は自宅のインターホンが鳴るのを聞き、一旦キーボードを叩いていた作業の
手を止めた。小奇麗に整えられたリビングから立ち上がり、壁際の画面に映し出された玄関
の人影を確認する。
どうやら、荷物が届いたようだ。帽子を被った制服姿の配達員が箱を抱えて立っている。
「こんにちは。下地努さんのお宅で間違いなかったでしょうか?」
トントンと木目滑らかな廊下を渡り、玄関の鍵を開ける。対面した配達員はいわゆる肥満
体型ではあったが、同時に体格もガッシリして見た目ほど不健康には見えない。ただ、あち
こちを歩き回っている分、汗や呼吸の乱れはあるようだったが。
貼り付けられた伝票に書かれていた、差出人の名前を確認する。ああ、あいつか……。彼
はすぐその顔と見当が付き、小さく頷く。
「こちらにサインをお願いします」
「あいよ、ご苦労さん」
荷物を片手分受け取りつつ、その上に置かれたグリップ型端末にペンを走らせる。その間
もじっと、配達員の男はこちらの様子を見つめていた。
「……良い家ですね」
「ふふん? だろう? 稼ぎ相応に良い家に住まなきゃ、周りに舐められちまうからなあ。
特に上のオッサン連中。まあ俺自身は、住み易けりゃあ前のままでも良かったんだけど」
すると男が、サインを終えるまでの繋ぎがてら、そんなことを言ったものだから……下地
はつい得意げになって話してしまっていた。淡い空色の混ざった白を基調とした、簡素だが
中々値の張る注文住宅だ。男も立地や門構えを見て、富裕層の類だと認識していたらしい。
「何か、ご商売でも?」
「ああ。一応会社をやっててね。最近は有難いことによく儲からせて貰ってるよ」
「なるほど、通りで。これだけ立派でしたら、ご家族も快適ですね」
「ははは……いやいや。今まで付き合った女性は何人かいたけども、特定の誰とって感じに
はならなくてねえ。悠々自適な独身貴族さ」
そうですか。タッチペンと端末を彼から返却され、この配達員の男はぽつっと小さく呟い
ていた。流石に喋り過ぎたか? ただ、そんなことを思い直す下地ではない。煽てれば上機
嫌になる、良くも悪くもそんな性格の人物である。
改めて届いた荷物を受け取り、よっこらせと抱えている下地。即ち、ガッツリと両手が塞
がっている状態だ。
「……やっぱり、僕だとまでは気付かないか」
「うん──?」
刹那、配達員の男が動いた。下地の塞がった両手、荷物で半ば遮られた視界を逆手に──
予め見込んだ上のタイミングで、ポケットに忍ばせていたナイフを取り出して。
「ガッ?!」
避け切れなかった。完全にただの配達員だと思っていたのと、物理的に荷物へ重心が取ら
れていたのもあって、下地は突如凶器を向けてきた彼の初撃を食らってしまっていた。首筋
にザックリと切り傷を負う。ぼたぼたと、自分のものか? と信じられないぐらいの血が零
れ落ち始める。
「ア゛ッ……お前、何す……!」
何が起こったのか、最初下地はよく解らなかった。ただ完全に虚を衝かれ、明らかに首と
いう殺意をもっての攻撃を受け、彼は荷物の段ボール箱もその場に落としていた。半ば反射
的に押さえ、それでも止まる様子もなく生温かい感触の首を守りつつ、大きく膝を突いた格
好の自分を見下ろすこの男を睨みつける。
「……植、草。お前、まさか“どん草”か……?」
そこで彼はようやく気付いたのだった。配達員の男、その制服の名札に書いてあった名前
と、まるで自分を知っているかのような先程の台詞。
体格はすっかりガッシリに変わったようだが、この肥満体系の陰気な雰囲気は憶えがあっ
た。ずっと昔、まだ地元の小学校・中学校に通っていた頃、自分とツレらがよく“弄って”
いた同級生──。
「その呼び方は嫌だった。あの頃からずっとな。お前は……それでもう憶えてしまってたみ
たいだが」
配達員、いやかつて自分が苛めていた“どん草”が、今になって殺しに来た? 配達員の
姿はカモフラージュか? ぐるぐると、出血で力が抜けてゆくのを感じながら、下地はそれ
でも目の前で起きた凶行から逃れる術を考えだす。
植草が、ナイフを手にしたまま再び近付いてくる。ぽた、ぽたと下地の返り血がその刃に
たっぷりと付いている。静かな口調、どす黒く殺意に燃えた瞳。それまで目深めに被ってい
た帽子で気付くのが遅れたのだろうか。段々と息を荒げながら、下地は言う。
「何で今更……。こんなことして、只で済む訳ねえだろうが」
「僕も、最初はそんな心算はなかったんだよ。ただ担当するようになった地域の中に、お前
と同じ名前の家があることに気付いてさ。まさかと思って調べてみたんだ。そしたらお前、
会社を興して随分羽振りが良いみたいじゃないか。さっきもペラペラと、こっちが確かめよ
うとしたこと以外にも喋ってくれるし……」
嗚呼、あれは確認だったのか。俺で間違いないかどうか、他に邪魔されそうな同居人・家
族の類はいないのか。
しくじったなあ……。下地は思った。まさか云十年も経ってから、あの“どん草”に復讐
されるだなんて。
命の危機があった。それよりも先に、彼なりの自尊心というものがあった。ふらつく身体
に鞭打って、彼は自分を見下ろしてくる植草と相対する。
『次のニュースです。本日十六時十二分頃、●●市在住の会社経営、下地努さん三十七歳が
刃物を持った男に刺され、死亡しました。刺した男は、××急便配達員、植草一太容疑者三
十七歳。容疑者は現場に駆けつけた警察官らにより、殺人の現行犯で逮捕。周辺は一時騒然
となりました』
『調べによると、植草容疑者は被害者とは小学校・中学校の同級生で“ずっと恨んでいた”
と供述しており、下地さんも複数回執拗に刺されていることから、警察は怨恨による事件と
して捜査を進めています』
「──お前は学校を出た後、社長にもなっていい思いをしてきたかもしれないが、僕の方は
散々だった。人が怖くなって、何処に行っても仕事が長続きしなくて……。これでも全部、
お前らの所為だ。お前らが僕の人生を滅茶苦茶にしたんだ!」
「……」
吐露される自分への恨み、激しい殺意。
しかし肝心の下地自身は、そんな強い感情を向けてくる植草を見て、寧ろ別のことを考え
ていた。少なくとも“合理的”ではなかった。
なのに彼は──かつてこの男を苛めていたグループのリーダー格は、命乞いや撃退するこ
とよりも、目の前の復讐に燃える植草を吐き捨てる言葉を選んだのである。
「……ガキの頃の話だろうが。いつまで言ってやがんだ。ねちねちねちねちと……」
迫る植草。握り締めたナイフは、更に長年の怒りを蓄えて振り上げられようとしている。
今度こそまともに突き刺されば、命はないだろう。だというのに下地は哂っていた。おそ
らく偶然とはいえ、大人になった自分を見つけてしまったかつての舎弟に言う。
「他人の所為に……するんじゃねえよ」
「そんなだから今も、お前はずっと……“どん草”のままなんじゃねえのか……?」
「──」
あの頃ならともかく、卒業した後のお前の人生まで。
おそらく下地は、そんな部分も意図してはいたのだろう。だが首筋からの出血が増してゆ
く中、身体の自由や思考力が薄れてゆく中で、そこまで逐一丁寧に“言い返す”ことも既に
出来なくなっていた。理解も、共感もする気などそもそも無かったのだ。
間近まで詰めていた植草。彼はそんな憎き相手の煽りに一瞬ピクリと止まり、しかし直後
“壊れ”た。まるで獣のようなけたたましい叫び声を上げ、下地に猛然と襲い掛かる。押し
倒し、全体重を乗せて四肢を塞ぎ、赤黒くギラついた眼で再び血濡れのナイフを振り下ろし
た。何度も何度も突き立てた。
何度も 何度も 何度も 何度も 何度も 何度も 何度も
(了)




