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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-135.February 2024
174/288

(4) 窪(ホール)

【お題】暗黒、湖、未来

 最初に“それ”を見つけたのは、一人の地元の釣り人でした。

「……何だこりゃあ?」

 休みの日、何時ものように近くの山中にある小さな湖へと。彼が目の当たりにしたのは、

普段見慣れた水面の中心が、ぽっかりと黒い穴を空けている光景でした。土色でくすんだ水

色を、穴の真っ黒さが霞ませるように音も無く佇んでいます。

「こんなのは、先週にはなかった筈だが……」

 のんびりと釣り糸を垂れる、そんな楽しみも吹き飛んでしまい、彼は暫くこの変わり果て

た湖の姿をまじまじと見つめていました。

 前回ここに来てから、今日までの間に一体何が起きたのだろう? 穴が空いているという

ことは、底の方が何かの切欠で崩れ、水が抜けたのか?

 だが……それにしては妙だ。彼は眉根を寄せていました。何故なら真っ黒に空いた、真ん

丸の穴の淵で、残りの水がピタリと絶妙なバランスで留まっていたからです。

(どっちにしろ、もうここで釣りは出来ねえなあ……)

 不可思議。

 ただ一介の釣り人かれにとっては、目下数少ない楽しみが奪われたショックの方が大きかった

ようです。ちゃぷ……。今や膝下ほど、すっかり下がってしまった水位の中を進んで、恐る

恐る穴の中を覗き込んでみます。

(……やっぱ、気味悪いぐらい暗ぇな。どうなってんだ? これ)

 湖の外周から見えていた以上に、穴本体は塗り潰したような暗闇に包まれていました。お

っかなびっくり、間近まで来て見下ろしてみても、内側は全く見えません。まだ時刻は午前

中だというのに、まるでここだけが夜を切り取って貼り付けたかの如く──いえ、それ以前

に僅かな光すら通っていない、そんな印象を受けます。

「落ちたら確実に死ぬな……」

 殆ど直感的に、彼は理解します。それでも念の為、或いはこんな事態でも好奇心の方が尚

優勢なのか、彼は一旦足元の水底から手頃な小石を拾い上げると、中へと投げ込んでみたの

でした。

 落下したそれは、あっという間に塗り潰された黒色の中に消え、暫くじっと耳を澄ませて

みても何かにぶつかったような音──穴の底に辿り着いた証などは聞こえてきません。

「…………」

 たっぷりと間を置いて、盛大に深呼吸。もとい嘆息。

 少なくともこの穴が、自分達の常識の通じない何かヤバいものであるということだけが解

りました。それだけで充分でした。今日もここまで背負ってきた釣り竿や餌箱、水を張った

小振りのクーラーボックスを軽く揺らし直し、彼はやがてトボトボと来た道を引き返し始め

ます。

「しゃーねえか。母ちゃんには今度こそ、デカい魚釣って帰って来てやるって大見得を切っ

て出て来ちまったけど……」



「──いやあ、本当にドデカい穴が空いてんなあ。最初聞いた時は、てっきりお前の作り話

かと思ったけども」

 ただそんな不可思議な出来事を、自分一人の秘密にしたい訳でもなく。出来る筈もなく。

 例の如くボウズで帰って来たおっとを、自宅に居た妻は今回も呆れ顔で迎えたのですが、この

日はちょうど旧友もであるご近所さんが訪ねて来ていたタイミングだったのが転機となりま

した。

『ははっ、またか~』

『い、いや。これには深い理由わけが……』

 茶化してくるこの友人にも思わず彼が弁明したことにより、件の不思議な穴の存在が二人

に知られてしまいます。更にそこから田舎特有の情報網──彼の弁明ほらばなしをこの友人が直接確か

めに行ってやろうと言い出したことで、噂は時間を追う毎に広まっていたのでした。現地に

戻り、気付いた時には二人と渋々後からついて来た妻、近隣住民や地元消防団といった大所

帯が件の湖周辺を囲み、信じられないといった様子で突如現れた謎の大穴を眺めています。

「寧ろ、今回も作り話の方が良かったですよ……。あなた、一体どうするの? こんな大事

になっちゃって」

「どうと言われてもなあ……。俺はただ、何時も通り釣りをしようとしてただけで……」

「だが、第一発見者はお前だろう? 良かったじゃねえか。大当たりだぞ?」

「こんなモンで欲しくはねえよ! 大体お前が悪ノリするから、面倒そうな事に──」

 元の水位がガッツリ下がってしまっていても、多くの住民・野次馬達は湖の外周から動こ

うとはしませんでした。一方で立場のある側、話を聞いて駆け付けた消防団員達は、果敢に

も穴の傍まで近寄って色々と調査を試みています。

「じゃあ、投げるぞ? 3・2・1!」

 緊張した面持ちの中、隊員の一人が握り締めていたのは、いわゆる蛍光棒。人工の緑色に

照らされたそれを、残る面々と合図と共に穴へと投下。行方をじっと目で追い始めます。

 要するに、やろうとしていたことは釣り人かれが最初に確かめた内容と同じです。小石と棒の

違いはありますが、結果投げ込まれた蛍光棒はあっという間に闇に呑まれて光を失い、たっ

ぷり数分耳を澄ましてみても一向に音は聞こえてきません。

「……相当に深いな」

「ええ。底自体はあっても、遠過ぎてここまで聞こえないだろう」

「役所の方とは連絡取れたのか? 土木はこの穴のこと、知ってたか?」

「いや。向こうも初耳みたいだったよ。現在確認中だとさ」

「誰かが作ったって訳じゃないのか……。となると、地盤沈下か何かか……。しかしこれだ

け大規模なものとなると、付近で何かしら予兆があってもおかしくないのに」

「その辺も、集まってる人達にも訊いてみましたが、誰も心当たりは無いって言ってました

からねえ」

『う~ん……』

 少なくとも、大多数の素人じゅうみんより専門性がある筈の彼らでさえも、結局この大穴の正体につ

いては何も結論が出ませんでした。互いに腕を組み、苦々しく唸る。各種行政機関にも並行

して報告・照会するも、手掛かりはまるで見つかりませんでした。

 ちゃぷっと揺れる小さな波紋。穴の淵、ギリギリの所で留まり続ける浅瀬と、そこから見

下ろせる暗闇をじっと見つめている団員達。

「とりあえず、辺り一帯の封鎖はしとかないといけないだろうな。これが何であれ、人が落

っこちたら先ず生きては帰れまい」

 しかし、そんな現状真っ当な判断は必ずしも効果があるとは限りません。それと事態が進

んでゆく“早さ”は、また別問題だったからです。

「──やっべ。こんなの見たことねえや」

「怖~い。でもめっちゃ映えそう。撮っとこ撮っとこ♪」


『何か地獄の入口みたいな場所が見つかったらしいよ』

『画像これ。●●市の山ん中だそう』

『え? 本物? コラとかじゃなくて?』


 対応の最初期、現場に足を運んでいた野次馬の一部──若者を含めた何人かが、それぞれ

軽い気持ちで大穴の画像・映像をSNSに投稿し始めたのが全ての切欠でした。田舎の噂話

ネットワーク、それらの比ではない規模と加速度を以って、件の湖が全国・全世界へと拡散

されていったのです。



『“真っ黒湖”さえあれば、ゴミ問題も解決するんかね?』

『結局未だに、あれが何なのか判ってないんだっけ?』

『文字通りの底なし穴って感じだしなあ。画像見たことあるけど。確かに分からんモンに頼

っちまうのは怖いな』

『でも実際、もう大分業者とかが捨てまくってるって話じゃん?』

『そりゃあ、あれほど連中にとって都合の良い“ゴミ捨て場”はないしな』

『棄ててる物にもよるけどなあ。個人情報とか入ってたらちと心配……』

 いつしか大穴の空いた湖は、通称・真っ黒湖と呼ばれるようになりました。相変わらず湖

の中央にぽっかりと空いた巨大な穴は、何もかもを呑み込んで掻き消してしまうほどの深さ

と暗さで、実際そこに目を付けた悪徳業者や個人などが、こっそり封鎖区画に忍び込んでは

不法投棄を繰り返すという問題を引き起こすようになっていました。皮肉にも、そういった

悪用を事前に防ぐ為の工事──湖周辺を覆う壁の建設時に関係車両用の進入ルートを整備し

たことが、彼らの不正を助長する結果となってしまったのです。

 或いは……人。

 要らなくなった物同様、処分に困った人間をこっそり殺めて捨てるか、直接突き落とすか

する。嘘か本当か世間では、しばしばそんな黒い噂すらも、この湖にまつわる都市伝説とし

て語られるようになりました。事実毎年行方を眩ましてゆく人々の幾人かは、この場所が見

つかって以降、そうした悪意らの犠牲になったのかもしれません。

『──アツシ? 誰だそれ?』

『──はは、何言ってんだ。あそこはもうずっと前から空き家だろうが』

『──違う! 違うんです! あいつは、あいつは……確かに存在してた! 俺と同じ大学

に通って、就職して。中々慣れないサラリーマン生活を送ってふらふらになりながら、それ

でも一生懸命頑張ってたんだよ!』

『──どうして皆、忘れてしまったの……? 私は主人あのひとが居なくなった日のことを、今でも

はっきりと憶えてる。息子だっているし、人生これからだったのよ? なのにどうして、そ

んな初めからいないみたいな……?』


「パパー!」

 段々と、世間的には忘れられつつあった真っ黒湖。ただ事態はその間も確実に、文字通り

他人知れず進んでいっていたのです。

 とある売り物件を買い、件の湖がある街の一角に引っ越してきた一家がいました。

 異変が起こったのは、彼らが一通りの荷解きを済ませて休憩していた頃。退屈になって庭

へと出ていった幼い息子が、何の気なしに玩具のスコップで手近な土を掘り起こしていた最

中の事でした。

「? どうした、拓馬?」

「パパ~、あのね~。何かボロボロでカチカチのが出てきた~」

「うん……? これは……缶か?」

 庭先から呼んでくる息子に応じ、指差された地面の方を見てみると、確かにそこには酷く

古びた円筒状の缶と思しき一部が顔を出していました。どうやら遊んでいる内に掘り当てて

しまったようです。興味津々。家の奥から妻も何だろう? と顔を覗かせているのを確認し

て、まだ若きお父さんである彼は、二人を傍に座らせてから円筒缶を開けてみることにしま

した。

 ただのゴミか? それとも、いわゆるタイムカプセル的な何かか……?

 はたして中から出てきたのは、一冊のボロボロの本。後者で正解のようです。しかしパラ

パラと暫くその中身を捲っていく内に、彼らは予想外の情報を伝えられることになったので

した。


『この日記を誰かが見つけてくれるのは、一体何年後になるだろう? 或いは何十年? 何

百年? それでもいい。私という人間がここにいた。この時代で息絶えたということを私の

家族に報せて欲しい。2024年。私があの“真っ黒湖”に突き落とされた頃の。

 この日記を手に取ってくれた貴方には、正直信じ難いかもしれないが……私は今この時代

の人間ではない。先程述べたように、本来は2024年時点で三十六歳。妻と娘、両親の五

人で慎ましく、これからも暮らしてゆく筈だった。

 私を陥れた犯人──同僚の××から、●●市の真っ黒湖を見に行こうと誘われ、その大穴

に落とされた際は、正直死んだと思った。だが実際はどうだろう? 次に目を覚ました時に

私は、全く知らない場所へと飛ばされていた。いや、厳密には同じ場所──1988年の●

●市だったんだ。

 結局こうして紙に残すぐらいしか出来なかったし、にわかには信じられないかもしれない

だろうが……どうやら私はあの穴から過去の時代へとタイムスリップしてしまったらしい。

最初こそ必死になって、何とか元の時代に戻ろうとしたが……終ぞその方法は見つからなか

った。この時代では地理が大分違っているし、何より一番の手がかりだった真っ黒湖は、こ

ちらでは大穴すら空いていない(正常と言えば正常なのだが)。

 だから私は、この時代に骨を埋める覚悟をした上で、この日記を遺すことにする。せめて

元の時代の家があった場所の、出来るだけ近くにこれを埋めておく。叶うならば家族やその

子孫辺りに届けばいいが……そこまでは分からない。ただこの日記を見つけてくれた貴方に

は、何としてでも伝えて欲しい。家族に、地域の皆に、それと国に。

 真っ黒湖の大穴は、ただの便利なゴミ捨て場じゃない。

 詳しい仕組みは解らないが、私のように間違いなく過去の何処かへと繋がっている──』



「そうか。もうこれ以上、個別の業者達を縛り上げるのは難しいか」

「はい。只で政府の過干渉だとの声が根強く、現行法で個々のケースを立件するにも、肝心

の物証が穴の中に消えてしまっている訳ですから。前後の様子は、監視カメラで捉えられて

はいるのですが……」

 時は現代。遠い地方のいち事件を知る由も速さもなく、都心に居を構える首相官邸では、

日が沈んでも尚執務が続いていました。部下達の報告に、時の総理は淡々と、しかし静かに

苦渋の面持ちをしています。

 話題に上っていたのは、通称“真っ黒湖”の不法投棄問題でした。何年か前に突如として

見つかったものの、結局未だにその正体も、これをゴミ捨て場として悪用する者達への抑止

策も掴みあぐねているのが現状です。過去何度か周辺の封鎖壁を増築、人員やカメラを配置

するなどの指示は出してはきたのですが、それでも遠路遥々投棄を目論む輩は後を絶ちませ

ん。延々、終わりのない抑止維持に、予算は膨らむ一方です。

「最近では、自ら身投げする様子を配信するなんていう者もいたりして……もう半ば無法地

帯ですよ。せめて落っこちていったものを回収さえ出来るようになれば、状況も大分変わる

んですがね」

「……深過ぎてクレーンやヘリでも到達出来ないんだろう? 専門的な技術の問題に関して

は、彼らに何とか試行錯誤し続けて貰うしかないな。我々は我々で、地道な検挙を続けてゆ

くしかあるまい」

「ええ……」

 しんと静まり返った執務室に、そう重苦しい沈黙が横たわっていました。総理も現実的、

努めて“政治”側として打ち得る手段カードを切ろうとはしますが、正直手詰まり感は否めません。

既存の科学で何とか分析が可能ならまだしも、そもそもにそれすらままならぬのですから。

「本当に、あの穴の正体は何なのか──」

「失礼しますっ!」

 ちょうど、そんな時でした。静かに嘆息を吐こうとしていた総理らの下へ、また一人別の

部下が執務室へと転がり込んで来て言います。その報告に、彼らは勿論、時の政府や国民は

更なる混乱を来たすことになるのでした。

「どうしたんだ? そんなに慌てて」

「た、大変ですっ! こ、今度は▼▼市に、例の大穴が!!」


(うん? 水……?)

 事態は少しずつ確実に、そして他人知れず進み続けていたのです。

 ある年の春先のことでした。とある地方都市の山間で、黙々と草刈りをしていた一人の男

性が、ふと頬に水滴のようなものが落ちた感触を覚えて空を仰ぎました。ですが今日の天気

は朝から晴れ。遠く山向こうに幾つか雲の筋は見えますが、とても雨が降って来そうな気配

ではありません。

(気のせいか……)

 そしてそう思い、男性が再び作業に戻ろうとした矢先。

「──おい、あれ何だ!?」

「何か、でっかいのが落っこちて来てるぞ!」

 彼が踏ん張っている草地の道向かい、舗装された県道を走っていた車が、にわかに次々と

路肩に停車し始めました。中から人々が出て来て、口々に空を指差して叫んでいます。興奮

気味に、或いは恐怖心。彼もまた草刈りの手を止められた格好で、そのざわめきにつられて

空を見上げたのでした。

(? 何──)

 強いて言うならば、ブロック状の何かでした。

 大小様々な、仄かに碧みがかって発光する金属のような塊。少なくとも明らかに現代の科

学技術では作れない、再現出来るようなイメージのないそれらが、ボロボロと気付けば虚空

から落下してくるのが見えます。

 廃棄物ゴミ

 何となく痛んだり、へしゃげているようにも見えるブロック状の塊達に、彼らは誰からと

いう訳でもなくそんな印象を抱くのでした。

                                      (了)

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