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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-135.February 2024
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(3) 超人論

【お題】過去、才能、糸

 自分は、サバンナに放り出されれば真っ先に死ぬようなタイプの人間だと思っている。要

するに“強者”ではない。何かしらこれといって突出したものを持っている訳でもない、殆

どの他人にとっては名前すら無いモブAである。


『快挙! ●●選手、その強さの秘訣を探る!』

『半世紀に及ぶ山奥暮らし! 夫婦の辿った激動の人生とは?』

『史上最年少!? ××だらけの天才少年!』


 ……今に始まったことじゃあないが、巷というかメディアってのは、どうにも“成功者”

を持ち上げたがる。一旦目を付けたなら大々的に囃し立て、自分達と同じ▲▲だと、雑に一

括りにして勝手に誇りたがる。彼(彼女)と同じなのだと、安い慰みを浪費し続けることを

恥とも思わない。

(何でああいうのと、同じ土台に立てると思ってるんだろうな……?)

 それが大衆というものだろう? と、言われてしまえばまぁそうなんだろうが。

 だが俺は、この手の話が盛り上がる時、寧ろ内心では酷く落ち込んでいるパターンが圧倒

的に多い。彼(彼女)に比べて自分は……と、己の貧弱さを逆に思い知らされるようで、ど

うしても周囲のノリというかお祭り騒ぎに加わることが出来なかった。

 どうせ一週間もしない内に、別の話題で笑ったりきれいさっぱりキレたりするわすれるんだろう?

 そういった冷めた目が染み付いてしまったという点も、原因の一つではあろうが。


 別に、俺特有の問題だった訳じゃない。多分、世の中の大多数の人間が当て嵌まってきた

半生の筈なんだ。

 少なくとも物心付いた頃から、自分は周りから○○が上手いねと称賛されてきた側じゃあ

なかった。自覚としても、何か一芸に秀でていたという記憶もないし、何年も何十年も熱中

して磨き続けた分野がある訳でもない。

 要するに──「普通」だった。可もなく不可もなく。突出して、妬み嫉みの対象にされる

よりは空気に徹する方が賢明だと、子供ながらに理解していたし、まあ何とかなるのだろう

と日々そこまで深く考えずに生きていた。毎日を無難にこなせる方が、周りの大人達も手が

掛からなかったというのもある。流されるがまま、何となくそれが「普通」だという多数派

のレールに乗っかって、いずれ大人と呼ばれる歳になってゆく。ぼんやりと曖昧ながら、未

来というのはそうこうしている内にやって来るのだろうと考えていた。勉強、勉強、勉強。

凡庸でも地道に積み上げてさえいれば、俺なんかでも一応そこそこの仕上がりにはなってい

るのだろう、と……。

 ただ実際は、そうはならなかった。特に明確な目的も無い──無理くり語彙を取ってくる

ならば、熱量パッションの乏しい低レベルの学生では、急激に旅立ちのスタートラインに立とうとする

周囲のそれに全く勝てなかった。追い付けずに、呑まれて焦って、己を責めた。気付けば、

他の人間はどんどん「これ!」というものを見つけて──或いはでっち上げて、文字通り人

が変わったように去ってゆく。

 違和感しかなかった。突如として裏切られたような心地だった。

 そして最後には、自分を“壊す”しかなくなって……俺は落第ドロップアウトした。以来何度か入退院を

繰り返し、処方される薬が欠かせなくなり、現在に至る。


『また有給やすみですか。本当、常識の範囲内でお願いしますよ?』

『はい。すみません……』


 ……子供の頃、もっと自分の好きなこと・得意なことを見つけてきめて、のめり込むべきだった

のだろうか? いや、あっても伸びしろなんて凡人止まりだったろうし、家庭環境もそこま

で余力があったようには思えない。何せ当時まだガキ、将来のキャリア形成なんてものを、

打算も含めて考える頭も無かったろう。

 才能というのは、あくまで特定のステータスの初期値が高いだけ、みたいな話はしばしば

聞く。要するに、持って生まれた性質を活かすも殺すも、本人の努力(と周囲のアシスト)

次第──ただ俺としては、その努力すること・持続できること自体もまた才能なんじゃない

か? と思っている。周囲の理解やら練習環境、促してくれる存在がいたどうかも、結局は

運みたいな要素が強い訳で。

 まあ、人間誰だって平等……なんて思っちゃあいない。生まれ落ちた時代、場所、色んな

要素でどう転ぶか分からないなんてのは大前提だ。それでもやっぱり、早い内に自他から己

の強みを見出せる環境であったなら強い。仮に才能として超一流ではなかったとしても、塵

も積もれば何とやら。一角の人間になれる可能性はぐんと高まる筈だ。何より人間慣れって

のは怖いもので、延々と何か一つをやり続けている内に何だかんだと“適応”してしまう生

き物であるとも、俺は知っている。親父がそんな一人だった。時代の流れに押し負け、家業

を畳まざるを得なくなるまで、あの人はずっと同じ仕事一本の人だったから。


 だから──だからこそ俺という“弱者”は、画面の向こうでああも持て囃されている連中

を歯痒い思いで見つめている。少なくとも褒められた態度じゃない、それは頭では分かって

いるのだけど、快く賛美の輪に加わることが出来ずにいる。


 要するにああいう“成功”例を推進するってことは……“超人”以外の人間が益々認めら

れなくなってゆく、ということじゃあないのか? 時に時代錯誤、古臭いやり方でも美談に

挿げ替えて、一人また一人紹介して憧れさせる向きは、同時にそうは“なれない”俺達のよ

うな人間を絶望させるものだと気付かないのだろう。

 病、怪我、家庭の事情。そうなってしまった理由は人それぞれではあるが、皆望んで落ち

てきた訳じゃない。確かにその一因に、己の弱さがあったのかもしれないが……かと言って

現実がこちら側に合わせてくれる筈もない。義理もない。寧ろ“超人”が持て囃される時代

においては、そういった人間はどんどん居ないことにされてゆくのだろう。透明で未知の、

無害化されるべき何か──きっとそんな存在になる。


 超人でつよくなければ、生きられない。それは解るが、正直言うと窮屈だった。

 超人でつよくなければ、生きてはいけない。まるでそんな言われよう。本当に視えるもの、視せ

られるものばかりが、大手を振るって居場所を奪う。


 入院中に出会った他の患者達や、後々就職先で病んでしまったと聞いたかつての旧友達。

 俺個人が見聞きした人間達が全部、ああいう誰かと彼(彼女)らを持て囃す手合いによっ

て、弾き出される。そんな瞬間を許すような気がして、俺はどうしてもあの手の輪には加わ

ってこれなかった。『要するに僻み』『だから弱者なんだろ』──多分そうなんだろうし、

否定したってそういう言葉を強化するだけで虚しかった。


 じゃあ、今からでも“努力”すればいいじゃないか。


 言うのは簡単だが、それが出来りゃあ苦労しない。そもそもここまで落ちていない。

 少なくとも俺は、もうプツッと切れてしまった。最初盛大に心と体がぶっ壊れて病院に放

り込まれたあの日に、そういった前向きなプロセスさえも俺の中では失われてしまって久し

いような気がする。それを病と呼ぶのか、怠慢と呼ぶのかは人によるにしても。

 大体これまで落第ドロップアウトせずに努力し続けられているような人間、ひいてはその上澄みにまで登

り詰めた“超人”に、今更追い付ける訳がねえだろうがよ……。

 自己満足で良いってならまだしも、どうせ半端じゃあ視認する気さえ無い癖に。

                                      (了)

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