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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-135.February 2024
171/284

(1) 草野君の憤懣

【お題】天使、ツンデレ、悪魔


「──優羽、優羽! 起きなさい!」

 彼の一日は、幼馴染のそんな気忙しい声掛けから始まる。

 カーテンから零れる日差し、鳥の囀り。頭にガンガンと響く、彼女からの揺さぶりに、優

羽は更に布団を被った。たっぷりと間を置いてから絞り出した声は、まるで死人のように掠

れている。

「あと五分……」

「駄~目! 朝の五分は貴重なのよ? 大体その台詞、一回言ったから待ったんじゃない」

(そこは一応待ってくれてたのか……)

 妙に律義なんだよな、コイツは。彼は未だぼんやりする意識の中で、そうふんすと腰に両

手を当てて立つ幼馴染の少女を、ベッドの中から恨みがましく見遣った。

 金髪のサイドテールと碧眼。聖良せいらはいわゆるハーフの女の子だった。未だ寝惚け眼なこち

らとは対照的に、当人はビシッと学校の制服姿に鞄を携え、準備万端の態勢を整えている。

「……別に俺の事なんか放っておいて、先に行けばいいんだぞ?」

「だったら毎朝キチンと、私が確かめに来る前に起きて、支度を済ませておきなさいよ。今

日もとっくに出ちゃったけど、お父さんとお母さんからも宜しく頼むって言われてるんだか

ら」

 自虐も含めて。言い合いで勝てる訳でもないことは、とうに解っている。それでも優羽は

ダウナーな声色のまま、そうぽつりと突き放す言葉が出てしまっていた。にも拘らず、案の

定この負けん気の強い幼馴染は、逆にそんな皮肉を返して反論。自身の両親──彼にとって

も事実上の“養父母”である二人の名前が出され、優羽は布団の中で静かに嘆息を吐く。

「分かったよ……。支度するから、出てろ」


 最早これも、何時もの日常と言えば日常と呼べるようになったのだろうか? 少なくとも

あの事故から七年が経った今も、自分には尚も違和感が付き纏ってならない。叶うことなら

彼女や、小父さん・小母さんの厚意から抜け出したいと思っていた。何処か此処ではない遠

くへ逃げ出したかった。

「──お待たせ」

 パジャマから制服に着替えて階下に降り、顔を洗ってパパッと簡単に朝食を済ませて。

 玄関の扉を開けると、これまた何時ものといった風に聖良は鞄を手に提げたまま待ってく

れていた。こちらの姿を認めると、フッと金髪のサイドテールを揺らし、微笑む。一旦そん

な彼女に背中を見せつつ家の鍵を閉めて、優羽は彼女と二人並んで歩き出した。

「少しずつ、温かいが暑いぐらいになってきたわねえ」

「……そうだな」

 学校への道すがら。春の穏やかさも少しずつ解け、変質しつつある晴れ空を見上げる。

 文字通り絵になるような佇まいで気持ち一歩先を行きながら、聖良はゆったりと季節の移

ろいを感じ取っているようだった。一方で優羽の方はと言えば、生返事の心此処に在らず。

いや、元より本当の自分なんてものは七年前のあの日に置いてきてしまった。

(変われないのは、俺だけか)

 住宅街から堤防道へ。自身の生家と聖良一家──三上家が隣り合う一角は遠く景色の向こ

うへと消える。

 今から七年ほど前、彼は交通事故により突如として両親を失った。

 奇跡的に生き残った彼はその後、お隣さんで家族ぐるみの付き合いをしていた三上家に引

き取られ、実質聖良の両親に後見人となって貰っている……のだが、現状当の優羽自身がそ

んな現実を呑み込めないでいる。

 形の上では未だ元の「草野」姓のままだし、住まいも生家の方に一人残らせて貰えるよう

懇願した。とはいえ、一介の高校生に遺された資産を切り盛り出来る訳もないし、小父さん

達には余分な面倒を掛けさせているのだろう──優羽も頭でこそ理解はしていたが、心がど

うしても付いて来てくれなかった。事故の起きたあの日、その後のドタバタのままに家も何

もかも手放してしまったら、二度と戻れないような気がして。父と母が生きていたという証

も、二人の息子だという歴史すらも、一緒に切り捨ててしまうように思えて。

「……優羽?」

「ん? ああ、すまん。ぼ~っとしてた。未だ眠くて……」

「そう」

 おそらく、しばしばそうやって過去の記憶に思いを馳せているさまを、聖良の方も気が付

いてはいるのだろう。暫く二人して何時ものように通学ルートを歩いていたが、ふと彼女か

らの呼び声で我に返り、優羽は思わず最後にそう付け加えた。明らかに目を細め、こちらを

見遣っていた視線を前に向け直したのが分かる。

「……忘れろ、なんて言わないわ。私があんたの立場だったら、もっと落ち込んでいたかも

しれないし。でも、何時までも悔やんでいたら、きっとおじさまとおばさまも報われない」

「──」

 だから。本人的には、あくまで励ます心算で言ったのだろうが、彼が内心最初に抱いた感

情は憤りだった。ギリッと、静かに奥歯を噛む。

 お前が、二人を引き合いに出すんじゃねえよ……。幼馴染で、半分姉のような存在。それ

よりも先に、まるで“人質”を取るかのような諭し方に反発心が湧いた。理解はしている。

コイツは基本的に優等生タイプで、だからなのか時々情緒に欠ける表現をする場合がある。

つい正論というか、現実的・建設的な方向でものを語ろうとする。

(いけねえな。また苛ついちまって……)

 結局この日も学校の着くまでの間、他の会話らしい会話は無かった。二人きりで何かを話

すという状況自体、段々とあちこちから合流してくる生徒達の人波に呑まれる格好で、自然

とそういった内容は互いに避けて通るムードになっていたと表現した方がいい。

「ウィ~ッス!」「おっは~」

「おはよう。三上さん、草野君」

「おはよう。柊さん、棗さん、棗君」

「……声がデカい。寝起きだっつの、こっちは」

「はははは! 三上が一緒で朝からお疲れかあ? 羨ましいな、お──いべっ!?」

「お前こそ、朝から何シモ発しとるんじゃ!? 自重しろっての! この馬鹿弟!」

 校舎の昇降口から階段、クラス教室へ。

 中に入ると、既に見知った顔の大多数が登校していた。特に一緒にいることが多い双子の

棗姉弟や、聖良と同じ優等生タイプの柊辺りとはすぐ互いの姿を認めて挨拶が飛ぶ。……前

者二人のボケツッコミも、朝から飛ばしている。

「ああ、元子ちゃん、そんな殴ると倫太郎君が……」

「あ゛? いいのいいの。こいつは、頑丈だけが唯一の取り柄みたいなモンだから」

「ヒドイ。優羽~、弟は辛いなあ。常日頃こんな理不尽な仕打ちが待ってるんだぜ?」

「……別に俺は、聖良の弟でもないし、なる予定もないぞ?」

 因みに、七年前の事故に関しては、それ相応に付き合いの長いクラスメート達には既に知

られている所だ。棗弟・倫太郎の返しはまあ、半分くらいが冗談めかしているのだろうが、

優羽本人の希望もあって現在も元の「草野」姓で周りには通っている。将来的には──現在

も実質面倒を見てくれている三上家から、養子の打診を受けてはいるが、優羽自身これを断

ってきた。割と真顔で、辟易気味で。双子の姉から鉄拳制裁を喰らって泣きついてくるこの

悪友に、優羽は淡々と冷めた口調で言う。

「……頑固者」

 ぽつり。一方で、当の名指しされた聖良は、そうあーだこーだと煩い二人が聞き取れない

くらいの小さな声で、少し唇を尖らせて呟いていた。鞄を自席の上に置いて、中の教材やら

ノート、筆記具などを机の中にしまい込む。何処か哀しそうに、友である柊も静かに苦笑い

を浮かべて佇んでいる。

「お~い、お前ら、席に着け~! 出席取るぞ~!」

 そうこうしている内に担任がやって来て、思い思いに散らばっていたクラスメートらが均

等に戻ってゆく──大よそこれが、優羽やその周りの人間達にとっての日常だった。中断さ

れる雑談や悪ふざけ、物思い。一旦は半ば強引と条件反射によって回収され、優羽や聖良を

一日のルーティンの中に組み込んでゆく。



(むっ……。またこの気配)

 昼休み。ここ数ヶ月、聖良にとって最も歓迎しない瞬間が訪れようとしていた。周囲は午

前中の授業から解放された、弛緩した空気に包まれているが、彼女だけは鞄から“二人分”

の弁当包みを取り出しつつ、早くも警戒態勢を取りつつある。

「ゆ、優羽──」

「先輩~! お昼食べましょ~!」

 だが、今日も機先を制することは失敗してしまった。聖良がちょうど反対側、廊下側半分

の列にいる優羽に呼び掛ける声を掻き消すかのように、元気いっぱいの声と少女の顔がひょ

っこりと扉の向こうから姿を現した。にぱっと、赤毛のショートヘアがお目当ての人物を見

つけてご機嫌に笑っている。

「おう。つーか目立つから、その登場は止めろって言ってるだろうが」

「え~? だってえ、こうでもしないと先輩があ~」

「……」

 優羽を挟んで、相対する射線軸。現れた赤毛の後輩は、明らかにそう背後で「ぐぬぬ」と

なっている聖良を視界に捉えていた。

 挑発的な眼差し。だというのに、当の優羽はと言えば──基本的にはパッと見素っ気ない

態度でこそあるものの、彼女がわざわざ誘いに来ることまでを否定はしていない。実際呼ば

れてそのまま、聖良を振り返りすらせずに、席を立って近寄って行っていたのだから。

(優羽──)

 聖良や当の本人以外の、周りの面々はとうに勘付いていたのだろう。誰からともなくでは

あったが、この二対一の構図を、クラスメート達はただ一様に固唾を呑んで見守っていた。

下手に刺激しないという選択肢しかなかった。

「行くぞ」

 間違いなく一瞬、去り際に肩越しで優羽は聖良を一瞥したが、それだけだった。彼女が渡

そうとしていたであろう、自分の分の弁当包みも無視し、この後輩の少女と連れだって教室

を出てゆく。「は~い♪」当の彼女本人も、ご機嫌な様子で且つ勝ち誇ったようなドヤ顔を

聖良に向けていたのだった。

「……あらあら。こりゃあ本格的に、あいつを後輩ちゃんに盗られちゃったかねえ?」

「っ!」

「倫太郎! あ~、ドンマイ。聖良。大丈夫大丈夫、あんたには幼馴染っていう絶対的なア

ドバンテージがあるんだから」

 二人の姿が完全に遠退いた後、割と空気を読まずに開口一番、ぶちまける棗弟。割と間に

受けて唇を噛む聖良に、元子はこの弟をぶん殴りながら慌ててフォローに入っていた。同時

に優羽を含めた──最初は五人で食べていたお昼時の席に近付こうとしていた柊も、さてど

のタイミングでこの輪に入れば良いものかと進みあぐねている。

「痛い! 痛い痛い痛い! 分かんねーぞ? あいつ自身、割と捻くれ者というか基本受け

身だから、あれぐらい解り易いくらいぐいぐい来て、好意の溢れてる娘には弱いんじゃない

のか?」

「そう……なのかな?」

「倫太郎! だからあんたは──!」

「おお、落ち着いて、元子ちゃん。聖良ちゃんも、そう落ち込まずに……ね?」

「……」

 ストン。手にしていた弁当包みを一個、鞄の中にしまい直して、聖良は結局今回も残る学

友達との昼食という形に落ち着かざるを得なかった。無理やり優羽と合流を──あの急に彼

へ接近してきた女子は気になるが、おそらく彼の性格的に、その選択はより彼を意固地にさ

せてしまう悪手となるだろう。

(困ったな……。私は一体どうしたら?)

(私は彼を、守らなきゃいけないのに……)


「先輩~、良かったんですか? 何か三上先輩、先輩の分のお弁当も用意してくれていたみ

たいですけど」

「知ってる。前からそうだったしな。また夕飯にでもするよ。……正直、厭になってるって

のはあるんだ。俺の事情も知ってて、色々心配してくれてるのは解ってるんだけどな」

 昼休み、校舎内の人気から二歩三歩と離れた裏庭の木陰。

 優羽はここ暫く習慣になっていた、とある後輩の少女とのランチタイムを過ごしていた。

当の彼女からやはり煽られるように、そう指摘されるも、あくまで彼自身は淡々として応じ

ている。いや、努めてそう振る舞うように自分に言い聞かせているというべきか。

 幼馴染が用意してくれた弁当の代わりに、ある程度ストックしてある惣菜パンを一本。赤

毛の彼女の横でそれらを開けて、もしゃもしゃと咀嚼しながら、そう何となく重い口も折に

つけて開いてしまう不思議がある。

「あいつ──聖良の奴、事ある毎に俺の傍に居たがるをかんりしたがるからさあ。息が詰まるんだよ。そりゃ

あ、小父さんと小母さん含めて世話になってるし、理屈で言えば従った方が良いんだろうけ

ど……後ろめたくってさ。もう一年半ほどの辛抱だ。学校さえ卒業すれば、後は何とでも働

きながら一人で生きてゆける。聖良達に、迷惑を掛けずに済む」

「……」

 赤毛の少女の名は眞夜。去年、ひょんなことから学内で迷子になっている所を見つけ、入

学式の会場まで案内してやったことが切欠で懐かれるようになってしまった後輩だ。今では

こうして昼食を共にし、七年前からのあれこれも話せるようになった間柄だ。

 尤も、優羽の方から自発的に話すというよりは、例の如く彼女の方がぐいぐいこちらの事

を訊き続けてきたから……という表現が近いのだが。

 ちょこんと毛先の撥ねたショートヘアを揺らし、紙に包んだハンバーガーを頬張りつつ、

彼女は優羽のそんな横顔を見ていた。自分で煽っておきながら、若干きょとんと、本人的に

は真面目モード。たっぷり十数拍、或いはかねてから考えていたことなのか、普段の明るい

声色のトーンを落として言う。

「先輩、偉いですねえ。でもそれ、多分伝わってないですよ? 三上先輩も大概ですけど、

先輩も基本ツンケンしてますもんねえ」

「……否定はしない。だがまあ、別にそれならそれでいいかなって俺は思ってる。出てゆく

心算なら、そこまでガッツリ入れ込んで話し合って……とかいいだろ。最初は、父さんと母

さんと過ごしたあの家を空っぽにする訳にはと思ってたんだが、段々どうでも良く──無理

だって解っちまってさ。親戚連中も遠くて、ならいっそ、必要最低限のものだけ回収して売

っちまおうかとも思ってるんだ。纏まった金になれば、一応小父さん達への恩返しにもなる

しな」

「要するに手切れ金ですね」

「ヤな言い方をするなあ……。まあ、いざ実行したらそう取られるか……」

 惣菜パンを引き続き咀嚼しつつ、時折ペットボトルのお茶を口に含む。何となく仰いだ空

は今日も青く、陰鬱な気持ちとは裏腹な景色は続く。眞夜から的確な返しを貰って少々眉根

を寄せたが、自身もそういう意図でもあるとの自覚はあった。要するに“自由”になりたい

のだろう。恥も仁義も二の次にして。

「……ねえ、先輩」

 故に次の瞬間、彼女から発せられた言葉の数々は、優羽にとって思いがけない起爆剤とな

ったのであった。不意に問われ、何の気なしに視線を向けて。少なくともこれまでの付き合

いから、真面目モードでの話だと直感するわかるものだと感じ取り、待つ。

「そもそも先輩のご両親は、本当に“事故で亡くなった”んでしょうか?」

「え──?」

「だって……おかしいじゃないですか。少なくとも二人が死んでるんですよ? それだけの

事故なのに、相手側からの謝罪も賠償も何も無し。いくら遠方に集中しているからといって

も、ただ偶々お隣さんだっただけの三上先輩の一家に、親族である先輩のことを丸投げしま

すかね?」

「それは……あの頃はまだ、俺も子供だったから。謝罪なり賠償なりも、小父さんと小母さ

んは多分代わりに受けてただろうし……」

「それは、推測ですか? 実際にお二人から訊いて確認した話ですか?」

「いや、そうじゃないけど。何となく、大人達だからそういうモンだとばかり思って──」

 これ一体、どういう事だ? 優羽は正直内心で酷く混乱していた。眞夜という、自分の中

では割と“アホの子”側だとばかり思っていた後輩が、突如そんな理路整然とした問い詰め

をしてくる。明瞭に答えられない自分がいる。この七年、自分は肝心なことをキッチリと訊

いてこなかったのか? ただでさえ不安定な三上一家との関係性に、これ以上分かり易くヒ

ビを入れたくなかったのか?

「……妙です。先輩と知り合って、ご両親を失ったっていう事故の話を聞いて、私も色々と

考えてみたりしたんです。でもそれじゃあまるで、先輩の記憶自体が……」

 ぶつぶつ。揺らぎ続ける優羽に、されど彼女は尚も疑問の声を紡ぐことを止めなかった。

眉間に皺を寄せて不安がる彼に向かって、やがてその言葉は、更なる核心へと迫ってゆくこ

ととなる。

「先輩。怒らずに聞いてください」

「そもそも先輩に、三上聖良という幼馴染は“本当に存在する”のですか?」



「──はあっ、はあっ!」

 疎遠が音信不通のレベルへ発展してゆくのに、そう時間は掛からなかった。いや、明らか

に早過ぎると悟ったからこそ、聖良は大いに焦った。

 何時もの日常、草野優羽のセカイが決定的に破綻し始めた証左ではないか──? 彼女は

そんな嫌な予感に駆られて、気付けばすっかり顔を合わせなくなった彼を街のあちこちへ捜

し始めていた。息を切らして姿を探し、五感を研ぎ澄ます。

 だがそうして何日、何週間が経とうとしていても尚、当の本人を見つける事は叶わなかっ

た。学校の──彼繋がりで学友として知り合ってきた面々からも、既にその綻びを指摘され

て怪しまれてしまっている。水面下で騒ぎになりつつある。……拙い状況だった。何時かは

解消すべき関係性であるとは理解していたものの、こうも当初の思惑とは真逆の方向性で発

現するなんて。

(優羽、優羽……何処へ行ってしまったの? 貴方、このままじゃあ本当に──)

 はたして、彼女の不安は目に見える形で的中することとなった。その日も独り街の方々を

捜して回っていた最中、不意に件の彼本人が目の前に現れたのだった。

 明らかに“普通”ではない雰囲気を身に纏って。

 その背後で、勝ち誇ったようにこちらを見下して高所に布陣する、眞夜と共に。

「……確か、一色さん。いえ、悪魔デーモン

「何だ、判ってたんだ? 随分とのんびりさんだね。彼は、あんなに苦しんでいたっていう

のに」

 普段の制服姿とは異質──いわゆる露出多めのパンクファッションに身を包んでこそいた

が、それよりも聖良の目を引いたのは、彼女の背の黒い翼と尻尾、及び額の赤い角だった。

キリッと睨み、そして訂正してきた聖良に、眞夜こと悪魔の少女は侮蔑を隠さない。

「あんた“達”なんだよね? 彼の両親の命を奪ったのは。他の悪魔どうぞくと戦っている最中、偶

然通り掛かった所を巻き添えにしてしまったんでしょう?」

「……」

「ここ暫く、色々調べて回っていたの。彼も何か思い出しかけたみたいでね。そうしたら案

の定、七年前にあったっていう事故は記録からして無かった。揉み消されてた。そりゃあそ

うだよね? 加害者側がず~っとすぐ傍に居たんだもの。全部あんた達、天使エンゼルの仕業でしょ?

自分達に都合の悪い記憶を消して、操作して、彼を監視する為に傍に置き続けたんだ。

三上聖良なんていう、元々存在しない幼馴染なんて設定まで捏造して」

「…………」

 眞夜曰く全ては七年前、聖良達天使エンゼルの小隊が、自身の同族の一人を追跡。激しい戦いにな

ったことが切欠だったと語った。そんな現場へ運悪く、車で移動中の草野一家が接近。知ら

ずに放たれた攻撃が彼らを巻き込み、結果本命の悪魔デーモンにも逃げられてしまったとも。小隊の

メンバー、天使エンゼル・セーラと現場の面々は、その後辛うじて一命を取り留めた優羽少年を保護

──もとい監視下に置き、事件の隠蔽を図ることにしたのだと。

「お前が……お前が全部奪ったんだな? 幼馴染だなんて嘘を吐いて、俺を飼い殺して」

「どうして俺も死なせてくれなかったッ!? お前らが父さんと母さんを殺したんなら、今

更ガキ一人の命ぐらい、同じだろうが!」

「違う! あの時の貴方は、重症ではあったけど、貴方は──魂が酷く壊れかけていた。私

達の、悪魔デーモンを滅する為の一撃を生身で受けたんだもの。放っておけば死ぬだけじゃなく、最

悪“堕天”して怪物になる危険性すらあったの。そこの女、悪魔デーモン達に使役される尖兵として」

「ちょっとお。私まで雑に一括りにするのは止めてくれな~い? そもそも自分達の命令に

従わないからって、人間や私達を地上に堕としたのは天界そっちでしょ~? どっちが酷いかなん

て、今更比べる意味すら無いと思うんだけどな~?」

 ふりふり。赤毛や背中の翼を揺らしつつ、悪魔デーモンの少女はそう、必死に反論する聖良こと天使エンゼル

を一蹴した。唆され、或いは自ら違和感に気付いて七年前の事件を洗い直し、真実を知っ

た優羽もまた憤怒に染まって叫んでいる。裏切られたショックと後悔と。様々な負の感情が

綯い交ぜになって、その全身に赤黒いオーラを滾らせている。

(拙い……。本当に、彼はもう“堕天”し掛かっている!)

 弁明はおろか、あくまで己の正体を隠すことすらも、最早悪手となってしまったか。

 セーラは自身の身体から、じわじわと黄金のオーラを練り始める。金髪のサイドテールは

大きく風圧で揺らぎ、碧眼も力の昂ぶりと共に次第に同じく変色してゆく。

 優羽本人を騙すことになっても、その魂が“堕天”してしまうことは何としても防ぎたか

った。それが任務中、誤って彼の両親の命を奪ってしまった自身の責任でもあったし、償い

だと言い聞かせてきたのだから。

「っていうかさ~? 彼の魂を“正しく”したいんなら、そんなビシバシ厳しくばかりして

ちゃあ駄目だよ。もっと優し~く、ヨシヨシしないと。そっちの方が簡単だしね? たった

五・六十年そうやって付き添ってあげるだけで、従順なおいしい魂の出来上がり。他の子のやりよう

のもよるけど、私は小食だから、一人そういう子がいれば長くご飯には困らないしね」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ッ! 聖良ァァァーッ!!」

 にししっと、文字通り小悪魔的に嗤う眞夜。優羽も遂にその赤黒いオーラに呑まれ、筋骨

隆々とした怪人へと変貌を遂げてしまった。思わず眉を顰める──絶望の表情に叩き込まれ

ようとするセーラの下へ、新たな仲間が現れた。

 それはかつて、優羽が聖良の両親として認識していた男女と、他数名だった。

 白い翼を背中から生やして飛び、着地して合流。目の前で繰り広げられる光景にめいめい

がじっと目を凝らし、件の少年がとうとう助からなかったのだと悟る。

「……隊長、副隊長。先輩方」

「そうか。結局彼は“堕ち”てしまったか」

「残念です」

「セーラ、一度ああなった魂は元には戻りません。辛いでしょうが」

「ええ……分かっています。私が彼を──斃します」

 負の感情に呑まれて完全に“堕天”した魂は、二度と元には戻らないことはおろか、暴走

の果てに更なる悲劇、絶望する人間達を生む。

 三上夫妻もとい、所属小隊の隊長らに促される中、聖良こと天使エンゼル・セーラは覚悟を決めた。

大きく膨れ上がった力の奔流が、背中に大きな純白の翼を、更にその全身に甲冑や盾、光

の刃で編み上げられた剣といった武装を生み出す。

「許サナイ! 許サナイ! 許サナイ!!」

『──』

 時間を追う毎に理性を失ってゆき、咆哮する元優羽。眞矢こと少女姿の悪魔デーモンは、そんな彼

を愉しげに見つめ、けしかけていた。

 刹那、獣のように跳躍する少年だった者の赤黒い体躯。

 セーラと合流した天使エンゼル達は、これを本来の姿と力でもって迎え撃ち──。

                                      (了)

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