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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-134.January 2024
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(4) オールド・ジップ

【お題】業務用、激しい、正義

 事務仕事ならば、人付き合いは最小限で済む筈──もしそう考えているとしたら、大きな

間違いだ。寧ろ組織の内側と外側の板挟みに遭う確率が高くなり易い。調整役、と言えば聞

こえは良いが。

「遅いぞ! たかが判子一つに何時まで掛かってんだ!?」

「も、申し訳ございません。他のお客様とも並行して手続きしておりますので、もう暫くお

待ちくださると……」

 要所要所、通り道を除くラインを衝立で隠した向こう側から、ふとそんな苛立つ男性の声

が店内に響いた。衝立の奥側、事務スペースの自席でパソコンに向かっていた私は、ついっ

と目を細めて視線を遣る。

 窓口スペース、店内に入ってきた利用客に応対するカウンター席の一つで、若い女性行員

がそう怒鳴り声を上げるこの男性にあたふたと頭を下げていた。昼過ぎの時間帯と時期的な

要因が重なってか、彼以外にもこの日支店うちに足を運んでいる客は多かった。

 そんな、明らかに悪目立ちする状況であるにも拘らず、件の男性──黒のハンチング帽を

被った白髪だらけの初老客は、自分の用件が遅々として片付かないじゃないかと抗議の詰め

寄りを行い始めたらしい。他の周囲の客達も、フロアの同僚らも、にわかに穏やかではなく

なった場の空気にピンと張り詰めている。

(……ああ、面倒なタイプに当たっちゃったかあ。鈴谷さん)

 ちょうどこの初老客を担当していたのは、配属三年ほどの若い行員だった。普段から物腰

柔らかく気優しいため、少しずつ窓口にも着くようになっていただった筈だ。小さな間仕

切り越しに、他の窓口係の行員達がそわそわしているのが見える。とはいえ、暗黙の了解と

して、一々全員が慌てふためく姿を見せてもいられないというのが心苦しい。

「なら早うせい! こっちだって昼休み削って来とるんだ! ……全く、後ろにも人数がい

るだろうに。悠長な」

 まあ、言い分が解らない訳ではない。ただでさえ、自分達のような地銀へと赴くのは大抵

の人間にとって億劫の類ではある。基本平日の昼間に限られるし、窓口対応している時間も

短い。だがそれは、手続きの順守をおざなりにしていい理由にはならない。多数の顧客から

資金を預かっている以上、こちらも厳格な運用を維持する責任がある。

「……」

 鈴谷さんは、傍目からも怯えた様子に見えた。それでもぐっと私情を堪えて、黙々と手元

の端末や書面を照合している。一旦少し窓口から離れた初老客が、暫く苛々と腕組みをして

いたが、やがて手近な待ち合い用のソファに戻って行った。ちらちらと、おっかなびっくり

でこちらを見てくる中高年の女性客の隣へとどっかり座り込むと、何か思ったか彼女に対し

てまで愚痴り始める。

「儂らの金を、殆ど強制みたいに集めておいてよお。やれ身元だ何だとしつこいんだよ。あ

んたもそうは思わんか? こっちだって都合ってモンがあるのに時間ばかり取るし、そうか

と思えば耳にタコが出来るくらいに携帯でどうのこうのと勧めてくる……。ああいうのは、

向こう側がとにかく楽したいからじゃろ? 信用ならん。だから儂はこうして直接来とる」

「はあ」

 ……こっちだって、色々な業務があるんだ。何も応対だけが仕事だけじゃない。皆で手分

けをして、それでも中々手が回り切らないこともあるぐらいだっていうのに。

 いけない事とは解っていても、私は内心そうこの老人に悪態を吐きたくてうずうずした。

実際急に隣で延々と“演説”された女性客も、大分困惑した声色を漏らしている。

(一から十まで解って貰えるとは、個人的にも端から思ってはいないが──この手の無理解

というか頑なさは、どうしようもないな。私達だって人間だぞ? 業務の効率化を、楽をし

て何が悪いんだ?)

 はっきり言って、というより実際に迷惑になっている。鈴谷さんが精神的に大分ガッツリ

やられたんじゃないかと思う。

 あいつらだけ楽をしてずるい──そういった本音ロジックは、割と世の中の随所で幅を利かせてい

る動機付けではあるが、基本的にやらかす内容は足を引っ張ることぐらいだ。とかくリソー

スを食う。縮減したい技術側の思惑など意に介さず、ずかずかと土足で入り込み続ける。旧

来までのやり方が出来るものだと思い込んでいる。

 スマホやパソコン周りを“理解出来ない”というのは、正確な表現ではないのだろう。厳

密にはもっと、言わば“理解したくない”とでも呼ぶべきか。時代と技術の変化に、歳を重

ねた心身が拒絶反応を示すのだと、私は解釈している。複雑に耐えられなくなるのだろう。

そこで感情に、怒りに任せてゴリ押そうとする。実際、歳を取ると抑制のタガが弱くなると

聞いたことがある。

 ──父もそうだった。昔から、寡黙で生真面目な仕事人間だとばかり認識していたのに、

定年退職して暫く経った現在ではすっかり“怒れる老人”となってしまった。実家の母や妹

からも、時々扱いあぐねている旨の近況報告を聞く。

(老いるというのは……厭なものだな。私もまあ、あと十年・二十年もすれば他人のことを

言えなくなるか)

 或いは今の若い子達からは既に、似たような括りで見られているか。

 カタカタと、表面上は他の同僚らと同じく、キーボードを忙しなくタイプして必要な文面

の作成を続けるポーズ。頭の私情と指先のタスクは別行動だ。やるべき業務は日々隙さえあ

れば積み上がってゆくものなのだから、とかく捌いてゆかなければ間に合わない。思うこと

はあっても、それらは別に仕事を捗らせる追い風にはなってくれない。

「お、お願いします」

「あいよ」

 通り道からこちら側のスペースに入って来て、鈴谷さんが先程の決裁を貰いに来た。担当

の統括役が確認後、判を押し、再び彼女に渡す。それを持って、再度彼女が初老客の待つ窓

口へと戻ってゆく。

「お待たせしました。こちら、証明の本紙と控えになります。ご確認ください」

「おう。やっとか……。ちんたらしおって」

「申し訳ございません」

「それしか言えんのか!? ったく、最近の若いモンは──」

 結局この初老客は、痺れを切らして以降、終始不機嫌のまま本来の用件を済ませると帰っ

ていった。応対した鈴谷さんに労いの言葉もなく、そのまま踵を返すと自動ドアの出入口か

ら通りの向こうへと消えていった。十秒、二十秒……。気配が完全に遠退いて、ようやく本

人も周りの面々もホッとしたようだった。とはいえ、まだ店内には彼の残した何とも言えな

い重苦しい雰囲気が残る。

「──お疲れ様、鈴ちゃん。一旦代わるわ。少し休憩してて?」

「あ、はい。すみません……」

 そうしていると、このタイミングを待っていたのか、別のベテラン女性行員・本郷さんが

彼女の肩を軽くポンポンと叩き声を掛けた。私がこの支店に配属された頃からいる、勤続年

数で言えばそれこそ大先輩だ。残った他の客達、普段は鈴谷さんとにこやかにやり取りして

くれている常連な面々も、内心不安だったり心配だったりしたのだろう。彼女が窓口から立

つのを批判するような感じではなく、逆にホッとした仕草をする御仁も見受けられる。

「お待たせしました~。受付番号三十七番でお待ちのお客様、三番のカウンターへお越しく

ださ~い」

 てきぱき。残りの客達を本郷さん他、数名の窓口担当が対応してゆく中、ふと今度は奥か

ら支店長が事務スペースこちらへと顔を出してきた。「鈴谷君。ちょっと」ちょいちょいと手招き

をし、自席で一息ついていた彼女を、大きな衝立裏に呼び出して暫し。彼女は彼に何度も頭

を下げながら、その表情は幾許か軽くなっていたように見えた。支店長も支店長で、気にす

る事はないよといった風に苦笑わらう。

 ……おそらく、先程のゴタゴタを聞いてフォローに動いたのだろう。

 この辺りの風通し、環境の良し悪しも、詰まる所“縁”だと考えれば大分博打だな? と

は思う。私自身、配属が此処でなければどんな風になっていたかも分からない。そう考える

ならまだ、彼女はマシな方なのか? いや、一つの場所を絶対的な基準点に据え過ぎるのも

危険だ。それこそ歳月と共に、あの初老客のような路を辿りかねない。

「戸津さん」

 ちょうど、そんな思考の最中の事だった。

 どうやら他の客達が一通り捌け、こちらに入ってきた本郷さんが、私の下へと近付いて声

を掛けてくる。先に支店長、統括ではないのかと思ったが、その手の中に小さなメモを隠し

持っているのを認め、すぐに意図する所は理解した。一旦キーボードを叩いていた作業の手

を止めると、私は彼女へ視線を仰ぐ。

「さっきは大変でしたね」

「ええ。鈴ちゃんが参っちゃう前に……とは思ったんですけど、あの子が頑張りたい感じだ

ったので、ひとまず様子見で。他の人が出て、あのお爺さんを刺激しちゃうのもどうかなと

思いまして」

「……聞いていただけですが、少し荷が重かったような気もしますがね。まあ、あれだけ露

骨ならば、いざという時にはこちらもやりようはあるでしょう」

「あらあら? 怖い怖い……」

 店内には、トラブル防止の為に監視カメラが幾つか設置されている。私は本郷さんの、そ

の実少々やらしい保身込みの言葉に、微妙な平静を保つよう努めていた。こんな歳の、そこ

まで直接交流のある若い子どうりょうという訳ではないが……時々ああいう輩と当たるのは不憫だと感

じてしまう。それを職務中、覆い隠さなければならないことも。

 ちらと衝立の陰、自席で改めて休憩を取っている彼女を一瞥する。面と向かっての悪態は

正直言って、性格が悪いとしか言いようが無いし、管を巻きたければ居酒屋辺りでやれ──

いや、それはそれで、飲食業あちらの従事者達に迷惑か。

 ……物理的に対面しての、目に見える格好の悪意ならば、それでもこのご時世まだマシな

方なのかもしれない。現行犯で証拠が残るからだ。ネットなどの匿名空間ならば、より陰湿

で頭数も多い攻撃に曝され得る。勿論、比較して如何こういう話ではないのだろうが。加え

て先の彼の場合は、ただ単に後者という手段そのものを使えない・使わないという選択肢の

狭さも一因にある筈で。

「あ、そうそう。これ、さっきのお爺さんの名前と住所。控えておきましたのでどうぞ。終

わったらキチンと、処分しておいてくださいね?」

「ええ、勿論。その辺は抜かりなく。ではすぐに、要注意人物ブラックリストに加えておきます」

                                      (了)

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