(3) 偶像である
【お題】戦争、幻、銅像
私は人間ではない。銅像である。この国の都、その一角に切り取られた緑地公園を背に、
かれこれ十数年の間立ち続けている。
私に名は無い。この姿はあくまでも借り物──過去、この国で革命を起こし、現在に至る
大元を作った豪傑の一人のものだという。確か『トードーさん』と人々は呼んでいたか。
断片的な知識でしかないが、本来力ずくの変更とは、正統な手段とは見做されない筈なの
だが……。どうやらこの国の人々は、そこまで深くは考えないらしい。
『~♪ 腕を前から上に上げて、大きく背伸びの運動から~♪』
「あらあら、おはようございます。朝から精が出ますねえ」
「そちらこそお元気そうで~。今日も良い天気で気持ちいいですわねえ」
「……もしもし。はい、今先方のオフィスに向かっている最中です。後二十分ほどで到着し
ますので」
幾度か繰り返された戦火と、或いは大小より多くの災害と。それでも人々は、今日という
日を生きている。
かつては汗臭い鉄と血の気配、酔っ払ったような大声がしばしば目の前に屯していたもの
だが……一時に比べれば、今は随分と大人しくなった。祭にも似た。いや、あれとは全く趣
が違う。
あそこまで一つの熱量に染まる事は、もうないのだろう。気付けば今は、寧ろそういった
ものを冷ややかに観ている者達が必ずいるし──良くも悪くもバラバラの景色を愉しんでさ
えいるかのようだった。ゆっくりと、歩んでゆくように。立ち止まったり、足踏みをするよ
うになって久しい。許されるようになったとも言えるし、一方で“迷って”しまう者達も少
なからず出るようになったなあと思う。
……妙な話ではある。
私は別に、この像の人物そのものではないのに。いつの間にか意識が生まれ、私を私と認
識しているだけの、命なのかも怪しいナニカだというのに。
「ご、ごめん! 遅くなっちゃって……!」
「う、ううん。大丈夫。僕もついさっき来た所だから……」
そんな私の姿形は、人々にとっては随分と有名な人物のものらしい。
という訳で、そんな偉人の銅像である私の下には、昼夜問わず私を目印にして待ち合わせ
をしようとする者が頻繁に姿を見せる。公園へ体操をし来た者、ジョギングに来た者、或い
はただ通りすがった者。色々な者達が群れを成しているが、やはり観ていて心地良いのは、
こういう純粋な若人達だ。
頭の上からつま先までめかし込み、だけどもそれを自然体の中に隠そうとしている少女。
そんな、自身の恋人になったばかりの彼女の登場に、とぎまぎしている少年。
……良い。
私の記憶が確かならば、この子達の逢瀬は今日で三回目だったか。少年の方も、照れ隠し
にそんな嘘を吐きおってからに。かれこれ二時間近く前から、私の足元でうずうずそわそわ
しながら待っていただろう?
二人は、暫く互いの顔を直視し切れずに黙っていた。それでもチラチラッと相手の様子を
窺っているのだから、うむ。初々しい。というより、周りの行き交う者達にも確と目撃され(みられ)
ているのだが……その辺を突っ込むのは野暮か。
「今日は……映画だっけ?」
「うん。この前、美咲が面白そうって言ってた奴。相変わらず好きだよね、ああいうB級?
って系」
「べっ、別に良いでしょ? ご都合主義な他人の三角関係とかよりも、馬鹿みたいにサメが
竜巻になって飛んでる画の方がまだ“それっぽい”もん!」
「い、いや、まあ……。僕は別に良いんだけどさ?」
かと思えば、そんな半分キレたような口調で捲し立てたり、そんな彼女を受け容れつつも
苦笑っていたり。
いやいや。君達のいちゃつき具合も大概だぞ──? 私は思うが、銅像である。見下ろす
ことは出来ても、喋ることは無い。思っていても表情などは変わらず、只々眼下の移ろう風
景を観続けるのみであった。
二人は恐る恐る、しかし次の瞬間にはお互いに手を繋ぎ合って、道向かいのアーケード街
へと歩いて行った。微笑ましい。そう言えば最初、彼らが私の前で待ち合わせをした時、あ
そこにあるファストフード店に少年の方が居たのだっけ。
『信じらんない! 明日九時に“東藤さんの前”ねって話だったのに、何で向かいの●ック
で待っちゃってたの!? 滅茶苦茶探したんだからね!?』
『え? だ、だって東藤さんの前って、そういう意味じゃあ……?』
『もう! もうもうも~う! そういう天然要素はもっと後でいいのに~! 折角の初めて
のデートなのに~! うわ~ん!!』
流石に店の中で説教するのは迷惑だの思ったのだろう。今日のようにばっちりめかし込ん
だ彼女は、そんな風にぷりぷりと怒りながら彼を私の下まで引っ張って来て、暫く半分泣き
ながら叱っていた。私は二人のやり取り、待ち合わせに至るまでの経緯を知らないが、少な
くとも彼女の方は凄く楽しみにしていたのだろうと思われる。……だからこそ、少年の方が
慌ててこれを宥め、平謝りした結果、逢瀬は無事再開。現在まで二人の交際は順調に進んで
いるようだった。ある意味でこうした光景も、この国が平和になった証なのかもしれない。
私は人間ではない。銅像である。この場所に、この辺り一帯がまだ石造りの駅前だった頃
から、正面出入口と向き合うように建ち、その移ろいを延々と見続けてきた存在である。
人々の姿は……まだずっと質素だった。忙しなく朝夕をその駅舎へと吸い込まれ、たっぷ
りと日が傾き始めてから出てくる。吐き出されるように溢れ、再び街の何処かへと散逸して
ゆくかの如く。
ビラが撒かれる。曰く戦が始まる、前線が奮戦している。今日は何処そこで勝利し、何人
の敵兵を殺害した。鉄と血と、皆が一丸となって酔い痴れているかのような時代の雰囲気、
視界に映る色。あれがはたして、私の観た嘘偽りない現実だったのか? 未だに分からない
節がある。……それだけ、今という時代があの頃とはかけ離れて違っているからなのか?
私という物の、銅像の記憶も、劣化してゆくものなのか──。
「何でだよ! 何で急に!?」
「東藤さんは、ここにあるから東藤さんだってのに……。寂しくなるなあ」
「この町のシンボルだしねえ。町の人間は勿論、観光客だって毎年結構来てるじゃないの。
それをいきなり……」
「ま、仕方ねえさ。もうかれこれ百年近く経ってんだろ? 顔も随分擦り減ってるわ、汚れ
が目立つわで、何処かで取っ換えなきゃならんタイミングは来てたんだろうし」
関係があったのかどうか分からない。ある時を境の私の前には、役所の人間や業者と思し
き一団と、私も良く見知った地元の人々の一団がしばしば現れるようになった。言い争いに
なることが増えていった。
……どうやら私の、トードーさんとしての器は、歳月の経過で直す必要が出てきているら
しい。なまじ台座を含めて人の身長よりも高く、銅像が故に重い。地震などの揺れで万が一
崩れてしまえば、すぐ足元で待ち合わせをする者の生命に危険が及ぶ。詳しくは分からない
が、この像が作られた当時と今では、その基準が大きく違っているようだ。地元の人々から
は、半ば唐突に発表された内容に抗議する者も少なくなかったようだが……結局押し切られ
たらしい。その辺は、ある意味あの頃と変わらぬ構造なのやもしれない。
「ほら退いて、退いてくださ~い!」
「シート入りま~す!」
嗚呼。私の立ち惚けもようやく終わる。なまじ意識を持つようになって以来、待つ者と合
流してくる者の組み合わせはごまんと観てきたが、私にそのような相手はいなかった。ただ
の銅像なのだから当然だが、正直……虚しくはあった。辛かった。
集まった地元民らを円形に遠ざけるようにしながら、役所の人間立ち合いの下、私の周り
に褪せ緑のシートが吊り下げられ始めた。作業中に土埃などが飛ばないようにする為だろう
か? 次いで重機──かつての兵隊達が乗り込んでいた物とは比較にならないほど、大きな
それを駆り、腕部分の先が私を掴んだ。ミチミチと、実感は湧かないが猛烈な力で台座から
引き抜かれてゆくのが解る。……私の身体は、こういう造りをしていたのか。今更ながら、
最期に思うのはそんなことだった。
「東藤さ~ん、東藤さ~ん!」
「ありがとう~!」
シートで隠れた向こう側から、人々の声が聞こえる。彼らも勘付いているのだろうか?
たとえ取り換え──見た目こそ新しい、件の豪傑の姿となっても、今まで建っていた私とい
う存在はきっと消えて無くなってしまうのだろうと。失われるのだろうと。
礼を言うべきは私の方だ。やはり喋ることは叶わず、伝わりはしないだろうけれど。
私に、心をくれてありがとう。どうか新しい銅像になっても、彼が貴方達を見守り続けま
すように……。
(了)




