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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-132.November 2023
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(5) フィア・レディ

【お題】ヒロイン、墓場、時流

 雲間から時折日差しが覗く、とある日の昼下がり。彼女は王都の一角に広がる緑地公園、

こと点々と墓標が建ち並ぶ区画を訪れていた。

 もこっとした黒いコサック帽と、所々に微細なレース模様が施された、同じく黒基調──

まるで喪服のようなドレス。

 そんな装いとは対照的に、当の彼女自身は透き通るような白い肌と蒼い瞳、長い銀髪を靡

かせて、そっと寄り添うように膝を折る。胸元には、丁寧に包装された花束を抱いていた。

これを目の前に、ある墓標の一つへ捧げると、彼女はゆっくりと静かに語り始める。

「遅くなってごめんなさい。ここ暫く、色々と忙しくて……」

 石に刻まれた名は、ラヘロス。かつてこの口一番の“英雄”として名を馳せ、しかし最期

は病に倒れて早逝した彼女の夫である。

 人々の記憶に今も残る、濃くも短い人生を駆け抜けた奉仕の人。

 国中はおろか、近隣諸国にも求められれば足を運び、その卓越した剣技と深い懐で数多く

の命を救ってきた文字通りの勇者。

 ただ……妻であった彼女自身は、そのような彼の在り方を必ずしも快くは思っていなかっ

た。事実他人びとの為に東奔西走した末に、その人生は酷く短いものだったのだから。

 早過ぎる死別。

 まだまだ若い内に、彼女は一人取り残されてしまったのだ。

「……あれだけ盛大に持ち上げておいて、亡くなったら数年もせずに忘れられる。本当、勝

手よね。今でも一応、貴方に祈りを捧げてくれる住民ひとも、いない訳ではないようだけれど」

 夫・ラヘロスの墓石には、既に彼女以外の誰かが献花した痕跡がちらほらとある。

 だが花の劣化具合や小ささ、周囲の人気の無さを思えば、ほぼ誤差のようなものである。

彼女はちらりと、名も知れぬ誰かの訪問を視界の端に映せど、その影の差した表情を崩すこ

とはない。淡々と、俯き加減のまま、今は亡き彼へと半ば恨み節のように語り続ける。

「私は……もっと貴方に自由に生きて欲しかった。もっと一緒にいたかった。他人を幸せに

しようとするばかりで、肝心の貴方自身の幸せが二の次だなんて馬鹿げてるわ。本当に、馬

鹿げてる」

 そうは言っても──。

 ただ彼女は一方で、そんな思いを仮にもっと強引に押し付けたとしても、彼の歩みを止め

ることは出来なかったのだろうなとも理解していた。その良くも悪くも真っ直ぐな性格──

己が割を食ってでも他人の為に笑い、怒り、奔走できる彼の姿があってこそ自分もまた救わ

れたのだし、恋焦がれたのだとも知っていたからだ。


『ど、どうしたんだい、そんなボロボロの格好で!? 嗚呼、綺麗な顔が台無しだ』

『良ければ話を聞かせてくれないか? 僕はラヘロス。まあ……何でも屋みたいなものさ』


 彼との出会いは、今までも鮮明に憶えている。

 元々良家の子女として生まれた自分ではあったが、父親が怪しい組織との取引に手を出し

て破産。事件の大きさから、国も表面化することを恐れて隠蔽に走ったらしく、一家は散り

散りになってしまった。当時はまだ右も左も分からず、一人路頭に迷っていた所に手を差し

伸べてくれたのが……彼だった。

 別に頼んでもいないのに。

 なのに彼は、こちらの身の上を聞いてコロコロと表情を変え、一緒になって悲しんでくれ

た。一緒になって怒ってくれた。彼の借家きょてんで一時期保護されながら過ごし、やがて自分を引

き取ってくれるという親族が現れたことで、彼との暮らしは一旦お終いになったのだが……。

どうやらその後も、彼は普段の稼業──便利屋もとい傭兵の仕事をこなしながら、時間を

作って色々と調べてくれていたらしい。そして全てが明るみにされ、事件の黒幕であった組

織が摘発され、失った名誉も回復された。彼と再会出来たのは、そうした諸々が一通り自分

の前から片付けられた後──何もかもが彼と、その仲間達のお陰であると、知ってからのこ

とになる。


(……貴方はいつもそう。声を上げていても、上げていなくても不意に何処からともなくや

って来て、色んな人を救ってゆく。私もその一人だった。あの時、貴方が何もかもを取り戻

してくれたんだと知った時、どれだけ嬉しかったか)

 だからこそ、彼女は歯痒くて仕方がない。自分も色んな他人びとも、それこそ一生分の恩

を受けたというのに、当の本人はまるで気にする様子など見せなかった。寧ろこちらが畏ま

られると困った表情かおを見せて笑い、解決したのだから良かったと──言葉通り本当にただそ

れだけを報酬のようにして振る舞う。同じようなことを、東奔西走、息をするように次々と

やってのける。

 ……これはきっと、嫉妬の類なのだろう。彼女は自分にとって唯一無二の出来事だと大事

に抱えてきたのに、彼にとっては数多の“善意”の一つに過ぎない。それは再会の後、こち

らの猛アタックの末に夫婦となってからも変わらなかった。この時既に“英雄”として名を

馳せ始めていた彼は、尚も人々の為にその力と技、真心を振るい続けた。

「私は──貴方の妻なのよ? 貴方を誰よりも、幸せにする必要があった。幸せにしてあげ

なければいけなかった」

 一人の女性として、人間として。それでも彼女の本心は、すっと彼の徹底した自己犠牲の

精神を危ぶみ続けていた。他人の幸せを願い、叶える為に奔走するばかりで、ちっとも自分

のそれを顧みようとしない。そのリソースの一部を、少しでもいいから己に注いでくれと願

っても、諭しても、終生夫の優先順位が変わることはなかった。実際、妻として大切にして

くれてはいたが……そうではないのだ。

 妻として家族として、彼女が望んでいたのは、もっと彼にのんびりと生きて貰うことだっ

た。先ずもって自分を大切にして欲しかった。まだまだ続いたであろう日々を、一緒に過ご

せればいい。ただそれだけの願い──。


『フィルミリア……。ごめんな』

『もうこれ以上、僕は君のことを守ってあげられそうには……』


 “英雄”は病に倒れた。市井の人々を、時には国の危機すらも幾度となく救ってみせた勇

者は、若くしてその生涯を閉じた。

 急速に進んだ病状に、得意の剣を握る力はおろか、ベッドから起き上がることすら出来な

い。だというのにその最期の最期まで、彼は傍らで看病し続ける彼女つまにそう謝ってさえいた。

彼女だけではない。突然の報を聞いて見舞ってくれていたかつての関係者や、王の遣いも

また、そうした姿を目撃してみていた。最期はひっそりと気配を殺すように、そんな彼らが顔を

出していない時を狙い澄ますが如く、逝った。


「──ねえ、貴方。貴方は本当に満足だったの? そこまでして誰かの為に走り続けて、命

をすり減らして。こんな短い人生で、本当に良かったの?」

 “英雄”の死は、当初大々的に取り上げられた。あまりにも早い、あまりにも偉大な損失

過ぎると、生前縁のあった多くの人々がその弔いに加わってくれた。一時は王や有力貴族達

による、国葬の実施まで構想に上がったのだが……唯一の家族であり、喪主も務めた彼女は

丁重に断った。せめて死後くらいは、静かに眠らせてあげて欲しいのだ、と。

「……」

 解っている。あの説得は半分事実で、半分は自分の我が儘だった。それに彼の弔いを盛大

に執り行うことが、王達が己の威厳を内外に示することになる──彼の死すらも、他の誰か

の良いように消費されてつかわれてしまうのが、酷く悔しかった。目の当たりにしたくないという一心

で、何とかそこまでは大事にさせずに済ませた。

 公園の中を、風がサァッと吹き抜けてゆく。彼女の帽子や銀色の髪が、大きく掻き上げら

れて揺れる。

 ……全然報われない。彼女はずっと思ってきた。

 愛する人が信じた善も、そんな彼と共に在ろうとしたこれまでの半生も。結局あの人は良

いように使われるだけ使われて、人並みの幸せすら充分に得られず死んでいった。自分や多

くの人達に、与えるだけ与えて不平等アンバランスにして──。

「ああ、此方におられましたか」

「困ります。何も言わずに出て行かれては。せめて我々の幾人かを、護衛としてお付けくだ

さいませ」

 ちょうど、そんな時だった。

 それまで亡き夫の墓標の前で一人座り込んでいた彼女の背後から、明らかに市民という形

容では済ませられないような一団が近付いて来ると、声を掛けてくる。皆揃いの軍帽や外套

に身を包み、腰にはサーベルないし銃を提げている。先刻までじっと俯き、静かに“対話”

をしていた彼女が、数拍たっぷり間を空けながら彼らを睥睨。その冷淡さを更に色濃く見せ

て言う。

「……執務室の者達には言いましたよ? 少し時間が空いたから、ラヘロスの墓に参って来ると。

この時間だけは、決して邪魔をしないようにと厳命してきた筈ですが」

 はっ。やって来た一団、軍服姿の男達はそんな彼女の台詞に、少々ばつが悪そうに応じる

も誤魔化すだけだった。

 彼女が、かの“英雄”ラヘロスの愛した女性だとは皆分かっている。だからこそ、彼女に

とってその墓参がどれだけ重要な一時かは知っている心算だし、邪険にしている所を見られ

れば悪手であるとも理解はしている。

「承知はしております。ですが……」

「貴女様は今や、かの王を討ち倒し、周辺国にもその機運を広めるに至った、我ら革命政府

の旗頭ではありませんか」

「御身は最早、貴女様お一人のものではございません故。護衛の要員については、どうかご

容赦いただきたく……」

                                      (了)

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