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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-132.November 2023
158/285

(3) 折詩(せっし)

【お題】本、白、凍てつく

 真っ新。文字通り何も無い画面カンバスに書き連ねようとしても、一向に捗らない。いや、先ず明

確に「書こう」と衝き動かされた──そのこと自体を楽しめていたのは、一体何時頃が最後

だっただろう?


 今に始まったことじゃあない。とうの昔に自分の動機は「書かなければ」に置き換わって

いた。気付いた時には既にそうなっていた。

 遠慮なく流れ続ける歳月の中、それでも縋り付くように、日々カレンダーを睨みながら。

間隔が空き過ぎないように。そうやって“逆算”から始まる動機付けで、寧ろどうしてそれ

が楽しいだなんて思えるものか。


 ……怒りが在った。燻っていた感情が在った。


 ずっと初めの頃、若さに任せて書き連ねられていたのは、そんな己の中のどす黒いエネル

ギーに対して“恥”を感じ難くなっていたからなのだと思う。どうして自分だけがこんな目

に? どうして他の奴らはああも上手くいっている(ように見える)のか? 何かが根本的

に、全てが大きく間違っているのではないか? と。


 黒歴史。或いは狭いセカイに閉じたまま、己の責任を顧みることを怠ってきた確たる証。


 まあ今だって、お世辞にも“大人”とは呼べないけれど。知識も経験も、特に色々なもの

を受け容れられる器も、人並みにすら届かないという自覚がある。何にせよ足りていると自

負するには、無為な時間を過ごし過ぎたという事実が横たわっている。


責任転嫁わるものがいる

反骨こそ表現の華げいじゅつはばくはつだ

思いの丈をぶちまけろぎょうぎのいいままかけるかよ


 ……確かにそういったエネルギーは、筆を進める燃料にはちょうど良いのかもしれない。

何より具体的に、書こうとするものへの矛先を定め易いという利点もある。

 だが、どんな燃料も永遠に燃え続ける訳ではないのだ。少なくなければ勢いはどうしても

弱まってくるし、無くなってしまえば補充する必要がある。


 有り体に言ってしまえば──疲れてしまったんだろう。

 人間は四六時中、義憤いかりや恨みを募らせながら生きる訳にはいかないのだ。少しずつ、当時

の自分にそんな心算はなくとも、燃やさないそうではない時間というものが増えていった。クールタイム

……だなんて表現は、少々気障かなとは思うけれど、歳月と物理的な忙しさがそうした熱を

いつしか奪っていったのだと思う。

 感情のままに。湧き上がる衝動に肯定的であること。

 しかしそれらは……やはり常に“狂気”と隣り合わせだと思うのだ。


 その意味では、結局自分は凡人の域を出ずに終わるらしい。藝術を追い求め、その道を突

き進む生き方を選ぶのなら、我々はそこに塗された狂気と共に在らねばならない。勿論、全

ての表現がそうではないとはいえ、本質的には切り離せないのではないか? こと自分の場

合はそう思う。平穏無事な日々とクリエイティブ──創造に関わる“飢え”は、まるで磁石

の両極のように相容れない性質のように感じてならないからだ。

 そして自分は、結局日和りながら前者に流れていった。そう自覚している。

 自他の激情に搔き乱されて苦しむぐらいならば、可能な限り何も感じず、言語化に努めず

ダメージを最小限に抑えよう──。たとえそんな在り方が表裏一体に、これまでの営みから

遠退いてゆくことだと理解はしていても。


『何時まで、そんなことをしてるんだ?』

 いい加減“大人”になれ。私達を安心させろ。恥ずかしいだろう?

『せめてちょっとでも、お金になるようなこととか……ないの?』

 夢を見ている余裕なんてとっくに過ぎてる。何をしてもお腹は空くし、払ってゆかなきゃ

ならないし。


 どんな熱量でもいつかは冷める。あの頃、あれだけ自分そのものだとばかり信じ込み、抱

え込んでいた沸々としたエネルギー達も、歳月と共に何処かへと霧散してしまった。あの頃

に筆へ乗せて殴りつけて以降、ずっと離れてしまって帰って来そうにはない。


 多分、良くも悪くも年を取ったからだ。歳月が流れ、ようやく自分にもああいうどす黒い

エネルギーを“恥”と認識出来るようになった──その意味では“大人”になったのかもし

れないが、それ以上に色んなものを失った気がする。いや、自ら手放しておいて、こうして

未だにうだうだと未練がましく悩むポーズをしているのだから……度し難い。


 間違いなく正義の味方、全ての元凶である悪人なんて存在しない。世界はそんなに単純で

はないし、そんな極端が許されるのは物語の中だけだろう。尤も最近じゃあ、そんな王道で

さえ“逆張り”がトレンドだったりするし、そんなトレンドに他でもない自分自身が最早追

い付けていない。心と体が方針転換を完了した頃には……二周も三周も遅れてしまっている

現実がある。

 とにかく反骨精神を見せていれば悦ばれる、という時代は大分前に廃れている筈だ。寧ろ

今では、そんな在り方は他人びとの平穏を乱すと眉を顰められがちで、いずれ特例的に許さ

れてきた藝術の領域にもその波は訪れるのだろう。とにかく楽しく、不快ではなく──誰か

の感情を揺れ動かせれば冥利に尽きるといった精神は、これからも絶滅危惧種の側へと着実

に寄ってゆく……。


『こっちは、癒しが欲しいって言ってんの!』

『元々好みが似通ってたからってだけでしょ? 自惚れんなよ』


 仮に“藝術”の域まで昇華された“狂気”に至れても、それまでに捨ててきたであろうも

のが多過ぎる。本当に、そこまでして報われるのか? 他人の評価それが勝手気ままであるよう

に、自分さえ満足出来るならそれで良いのか? そんなに、お前の衝動は特別なものだと言

うのか?

 ──少なくとも自分は、信じ切れなかった。冷め遣ってしまったのだと思う。


 何よりも「書きたい」と己の中から湧いてくるものが、ずっとずっと明るくて救いの無い

ものばかりだったから。世界はこんなに歪で、苦しくて、意味なんてものが見出せなくて。

 だけど……そんな主張ことばかり書き殴った所で、一体誰が得をするっていうんだ? わざわ

ざ誰かの時間を割いてまで、ひけらかす内容なのか? クオリティか? 仮にその誰かの動

機が気紛れであったとしても、それじゃあ不誠実過ぎる。一方的過ぎる。


 別に自分じゃなくたって、誰も困らないじゃないか。物語ならば既に溢れている。詰まる

所どこまでも我がままを通しているだけであって、恥を拡散しているだけじゃあないか。


 生まれるべきではなかった。生み出すべきではなかった。

 悲劇ばかりが浮かぶ。そんな物語達の中で、どれだけの命を死亡しょうひさせてきただろう? さ

して綿密でも、感動の為の引き立て役カタルシスでもなかろうに。


 その程度ならば、無用の犠牲ならば、生まれるべきではなかった。


 ***


 真っ新。文字通り何も無い画面カンバスに書き連ねようとしても、一向に捗らない。これで少しは

埋まったろうか? 遂に小説という体すらも、詩の括りかも怪しい。

 元より編纂──紙の本でもないのだけれど。

                                      (了)

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