(3) 折詩(せっし)
【お題】本、白、凍てつく
真っ新。文字通り何も無い画面に書き連ねようとしても、一向に捗らない。いや、先ず明
確に「書こう」と衝き動かされた──そのこと自体を楽しめていたのは、一体何時頃が最後
だっただろう?
今に始まったことじゃあない。とうの昔に自分の動機は「書かなければ」に置き換わって
いた。気付いた時には既にそうなっていた。
遠慮なく流れ続ける歳月の中、それでも縋り付くように、日々カレンダーを睨みながら。
間隔が空き過ぎないように。そうやって“逆算”から始まる動機付けで、寧ろどうしてそれ
が楽しいだなんて思えるものか。
……怒りが在った。燻っていた感情が在った。
ずっと初めの頃、若さに任せて書き連ねられていたのは、そんな己の中のどす黒いエネル
ギーに対して“恥”を感じ難くなっていたからなのだと思う。どうして自分だけがこんな目
に? どうして他の奴らはああも上手くいっている(ように見える)のか? 何かが根本的
に、全てが大きく間違っているのではないか? と。
黒歴史。或いは狭いセカイに閉じたまま、己の責任を顧みることを怠ってきた確たる証。
まあ今だって、お世辞にも“大人”とは呼べないけれど。知識も経験も、特に色々なもの
を受け容れられる器も、人並みにすら届かないという自覚がある。何にせよ足りていると自
負するには、無為な時間を過ごし過ぎたという事実が横たわっている。
『責任転嫁』
『反骨こそ表現の華』
『思いの丈をぶちまけろ』
……確かにそういったエネルギーは、筆を進める燃料にはちょうど良いのかもしれない。
何より具体的に、書こうとするものへの矛先を定め易いという利点もある。
だが、どんな燃料も永遠に燃え続ける訳ではないのだ。少なくなければ勢いはどうしても
弱まってくるし、無くなってしまえば補充する必要がある。
有り体に言ってしまえば──疲れてしまったんだろう。
人間は四六時中、義憤や恨みを募らせながら生きる訳にはいかないのだ。少しずつ、当時
の自分にそんな心算はなくとも、燃やさない時間というものが増えていった。クールタイム
……だなんて表現は、少々気障かなとは思うけれど、歳月と物理的な忙しさがそうした熱を
いつしか奪っていったのだと思う。
感情のままに。湧き上がる衝動に肯定的であること。
しかしそれらは……やはり常に“狂気”と隣り合わせだと思うのだ。
その意味では、結局自分は凡人の域を出ずに終わるらしい。藝術を追い求め、その道を突
き進む生き方を選ぶのなら、我々はそこに塗された狂気と共に在らねばならない。勿論、全
ての表現がそうではないとはいえ、本質的には切り離せないのではないか? こと自分の場
合はそう思う。平穏無事な日々とクリエイティブ──創造に関わる“飢え”は、まるで磁石
の両極のように相容れない性質のように感じてならないからだ。
そして自分は、結局日和りながら前者に流れていった。そう自覚している。
自他の激情に搔き乱されて苦しむぐらいならば、可能な限り何も感じず、言語化に努めず
ダメージを最小限に抑えよう──。たとえそんな在り方が表裏一体に、これまでの営みから
遠退いてゆくことだと理解はしていても。
『何時まで、そんなことをしてるんだ?』
いい加減“大人”になれ。私達を安心させろ。恥ずかしいだろう?
『せめてちょっとでも、お金になるようなこととか……ないの?』
夢を見ている余裕なんてとっくに過ぎてる。何をしてもお腹は空くし、払ってゆかなきゃ
ならないし。
どんな熱量でもいつかは冷める。あの頃、あれだけ自分そのものだとばかり信じ込み、抱
え込んでいた沸々としたエネルギー達も、歳月と共に何処かへと霧散してしまった。あの頃
に筆へ乗せて殴りつけて以降、ずっと離れてしまって帰って来そうにはない。
多分、良くも悪くも年を取ったからだ。歳月が流れ、ようやく自分にもああいうどす黒い
エネルギーを“恥”と認識出来るようになった──その意味では“大人”になったのかもし
れないが、それ以上に色んなものを失った気がする。いや、自ら手放しておいて、こうして
未だにうだうだと未練がましく悩むポーズをしているのだから……度し難い。
間違いなく正義の味方、全ての元凶である悪人なんて存在しない。世界はそんなに単純で
はないし、そんな極端が許されるのは物語の中だけだろう。尤も最近じゃあ、そんな王道で
さえ“逆張り”がトレンドだったりするし、そんなトレンドに他でもない自分自身が最早追
い付けていない。心と体が方針転換を完了した頃には……二周も三周も遅れてしまっている
現実がある。
とにかく反骨精神を見せていれば悦ばれる、という時代は大分前に廃れている筈だ。寧ろ
今では、そんな在り方は他人びとの平穏を乱すと眉を顰められがちで、いずれ特例的に許さ
れてきた藝術の領域にもその波は訪れるのだろう。とにかく楽しく、不快ではなく──誰か
の感情を揺れ動かせれば冥利に尽きるといった精神は、これからも絶滅危惧種の側へと着実
に寄ってゆく……。
『こっちは、癒しが欲しいって言ってんの!』
『元々好みが似通ってたからってだけでしょ? 自惚れんなよ』
仮に“藝術”の域まで昇華された“狂気”に至れても、それまでに捨ててきたであろうも
のが多過ぎる。本当に、そこまでして報われるのか? 他人の評価が勝手気ままであるよう
に、自分さえ満足出来るならそれで良いのか? そんなに、お前の衝動は特別なものだと言
うのか?
──少なくとも自分は、信じ切れなかった。冷め遣ってしまったのだと思う。
何よりも「書きたい」と己の中から湧いてくるものが、ずっとずっと明るくて救いの無い
ものばかりだったから。世界はこんなに歪で、苦しくて、意味なんてものが見出せなくて。
だけど……そんな主張ばかり書き殴った所で、一体誰が得をするっていうんだ? わざわ
ざ誰かの時間を割いてまで、ひけらかす内容なのか? クオリティか? 仮にその誰かの動
機が気紛れであったとしても、それじゃあ不誠実過ぎる。一方的過ぎる。
別に自分じゃなくたって、誰も困らないじゃないか。物語ならば既に溢れている。詰まる
所どこまでも我がままを通しているだけであって、恥を拡散しているだけじゃあないか。
生まれるべきではなかった。生み出すべきではなかった。
悲劇ばかりが浮かぶ。そんな物語達の中で、どれだけの命を死亡させてきただろう? さ
して綿密でも、感動の為の引き立て役でもなかろうに。
その程度ならば、無用の犠牲ならば、生まれるべきではなかった。
***
真っ新。文字通り何も無い画面に書き連ねようとしても、一向に捗らない。これで少しは
埋まったろうか? 遂に小説という体すらも、詩の括りかも怪しい。
元より編纂──紙の本でもないのだけれど。
(了)




