(3) 匣には
【お題】消える、箱、闇
(……?)
キャンパスへと向かう近道の途中、藤木はふと道端に見慣れぬものが落ちていることに気
が付いた。
何となく──理由を問われれば、十中八九そんなふわっとした程度の気紛れでしかなかっ
たのは事実だ。だが彼は、進めていた足を止め、数歩戻って近付いていた。怪訝と興味本位
が混じった眼差しで、これを覗き込む。
掌にギリギリ収まるかどうかぐらいの、白く透き通った小さな立方体だった。最初、プラ
スチックか何かと思ったが、目を凝らしてみる限り違うように思えた。質感は寧ろもっと金
属質というか、冷たく転がっている印象がある。
(何だこりゃ……? 誰かの落とし物か? いや、そもそもこの辺を通る人間なんざ限られ
てるだろうに)
藤木の今いる場所は、大通りから外れた街の陰、ビルとビルの隙間から曲がりくねる路地
裏だった。元より車が入り込めるスペースではなく、徒歩ないし自転車ぐらいなら通り抜け
られる程度の幅しかない。自分のように、最短距離で大学へ──もっと言えば人ごみとかち
合いたくない人間ぐらいしか、知ってもいないし利用もしないような路だ。
(そもそも、何に使うかも分かんねえし……)
彼はたっぷり数拍この奇妙な小箱を眺めていたが、終ぞ外見からはその正体も、何故こん
な隅っこも隅っこな場所に転がっているのかも見当は付かなかった。
かと言って、このまま見て見ぬふりをして立ち去る訳にもいかない。なまじ己が普段よく
使うルートだからというのもあって、仮に後日これを探し回っているような誰かを知ってし
まったら、居心地が悪い。
実際、半分以上はそんな自分本位の言い訳で繕った好奇心に過ぎなかった。
とりあえず拾っておこう。スンと小さく鼻を鳴らし、屈んだ体勢のままこの白い小箱へと
手を伸ばして──。
「ッ!?」
痺れた。ほんの一瞬だったが、指先が小箱に触れた刹那、ビリッと静電気のような刺激を
感じた。藤木は思わず眉間に皺を寄せたが……変化があったのはその一瞬。後は何の異変も
なく握られた手の中に収まっただけ。頭の上に、疑問符と疑問符。軽く舌打ち。実際に触っ
た感触も、やはりプラスチックのような柔らかさではなく、硬い金属のような丈夫さと密度
を覚える。
(……何なんだよ)
結局彼は、そのままモヤモヤしつつも背中の鞄を開けてこれを捻じ込み、再び己の通う大
学のキャンパスへと向かい始めた。
講義の時間にはまだまだ余裕があるが、あまりギリギリに入ってしまうと、前側数列ほど
しか席が空いていないことが多かった。平々凡々、ぐーたら学生の身としては、教員のすぐ
目の前というポジションはいただけない。そこまで熱心に、講義一コマ一コマに全力を注ぎ
込むといった心算など毛頭無い。
奇妙な白い小箱の正体、その片鱗が明らかになったのは、それから数日が経ったある日の
夕暮れだった。その日出席予定だった講義を全て受け終わり、下宿先のアパートへと帰って
来た後、彼はネット通販で注文していたグッズを配達員から受け取っていた。玄関先で手早
くサインと再戸締りを済ませると、段ボール箱を抱えて部屋の中へ。ガタゴトと若干大雑把
に荷解きをし、目当ての品を取り出していたのである。
「ん~♪ やっぱ今回も出来が良いなあ。コレクションが捗る捗る……」
これまでも蒐めては愛でてきた、推しのアニメキャラのフィギュア。これまでの分と共に
部屋の一角に据えた保管棚へと移して、暫し独りにやつく。あっちやこっちから。角度を変
えて何度も楽しむ。中学の頃からずっと続いてきた、彼の数少ない趣味の一つだった。
「っと、その前にこのゴミを片付けないとな。壊さないようにとはいえ、やっぱ嵩張っちま
うから邪魔──」
ちょうど、そんな最中の出来事だったのだ。
ハッと我に返り、バラした空の段ボールが占拠した室内を、跨ぎつつ並行して片付け始め
る藤木。その際、そうぶつくさと呟きながら、窓際に寄せてあったテーブルの端──数日前
に拾っていた例の白い小箱ごと片手を突き、視線を遣った次の瞬間、まるでその意思に呼応
したかのように猛烈な吸引力が小箱から発生。あっという間にこの空の段ボールを呑み込ん
でしまったのである。
「……え?」
最初、たっぷり数拍、彼は一体何が起きたのか解らなかった。
ただ期せずして掌の中に収まっていた、且つ今間違いなく空の段ボールが跡形もなく吸い
込まれていった、この白い小箱をまじまじと見つめていたのである。
以降彼は、この摩訶不思議な小箱を暫く使ってみることにした。色々と個人的な検証を重
ね、幾つか判ったことがある。
一つ。何故かは分からないが、この白い小箱状の物体は、自分が手にして“捨てたい”と
思うものを指定すると、さながらワームホールよろしく猛烈な吸引力を発揮してこれを取り
込んでしまうらしい。最初の時もそうだったが、基本吸い込めるものの大きさに制限らしい
制限はなく、実際試してみたもの全てがぐしゃっと中空で歪むように圧縮されていた。
二つ。逆に、一度吸い込まれたものを任意に取り出す……といった機能は無いらしい。
当初はポンポンと面白いほどに処分に困っていたゴミや、日々の生活ゴミなどを取り込ま
せていたのだが、うっかりまだ使える調味料だったり飲食店のクーポン券が巻き込まれてし
まった時は焦った。焦って、取り出そうとしたのだが、そもそもやり方が分からない。腕を
突っ込める訳でもなし。吸い込ませる時にように小箱に命じてみても反応は無し。藤木はこ
の頃から少しずつ、己が拾ってきた物体に恐れを抱くようになっていた。
三つ。少なくとも自身が持っているこの小箱は、他人には扱えない。
流石に気味が悪くなり、工学部の知り合いに相談してみた所、彼が手に取ってみても同様
の現象は起こらないことがこの時判明した。
認証……的な何かが既に行われたのだろうと本人は言う。事実、思い当たる節はある──
最初この小箱に触れた際、ビリッと静電気のような痺れに見舞われたアレだ。尤もこの工学
部の友人は、肝心の小箱の正体につて、自分でもさっぱり分からないと終始お手上げ状態だ
ったのだが。
四つ。判った……というよりは、色々と試してみている内に気付いた、変化の類だ。
どうもこの白い小箱、最初に頃に比べて随分と黒ずんできたように見える。いや、明らか
に全体的に黒くなっている。もしかしたらもしかしなくても、使用する度に黒ずみが進行し
てきている? ということは、一見無尽蔵に見えても、消耗する何か──容量的な限界それ
自体は存在すると考えるのが自然だろう。
何でもかんでも吸い込めて、綺麗さっぱり消してしまえる、便利で不思議な道具。
最初の内は、てっきりそんなお宝だと思っていた。よくは分からないが、自分は良いもの
を拾ったと思っていた。
だが実は……そうではなかったとしたら?
文字通り、吸い込んだゴミは本当に消えてしまったのか?
それともこちらからは見えていないだけで、全く知らない場所などに送られているに過ぎ
ないのか?
「──はあッ、はあッ!」
朝から降り続く雨で、街の輪郭がぼやける中、その日藤木は件の小箱を抱えたまま一人駆
けていた。何かから逃れるように、守られたいと願いながら、自身がずぶ濡れになるのも構
わずに走っていた。転びそうになりながらもじっとはしていられなかった。
「はあッ、はあッ……!! くっそ! 何なんだよ!?」
「俺が……俺が“消したい”って思ったからなのか? 物だけじゃなかったのか? これか
ら一体、どうすりゃあ……?」
事件はつい十数分前に起きた。キャンパスに居た彼の下へ、以前色々と調べてくれた工学
部の友人が現れ、この白い小箱を引き渡せと要求してきたのだった。険しい表情でもって、
真っ直ぐ深刻に。
『それは間違いなく、今の科学ですら説明が付かない代物だ。教授にも訊いてみたし、僕も
あちこち文献を当たってみたけれど、どういう原理で動いているのか? 何の目的で誰が作
ったのか? それすらも分からない』
だからこそ、一介の素人が持ち続けるには危険過ぎる。正式に大学が預かって、然るべき
調査をするべきだと思う。
そう彼から告げられた時、藤木は──咄嗟に拒んだ。自分の手元から、この未知数ながら
圧倒的な力が失われることへの恐れ。友から告げられた“教授にも訊いた”。頭の中をぐる
ぐると駆け巡ったのは、そんな自分でも解せないほどの衝動的な執着と、仮に小箱の存在が
明るみに出た際に及ぶ自身への被害の程であった。
『わ、渡せない!』
『こいつは……俺のモンだっ!!』
刹那、抱えていた白い小箱から猛烈な吸引力が発生し、この友人を呑み込んでしまったの
は次の瞬間。あっという間の出来事だった。目の前で起きた事件、それがほぼ間違いなく自
らの所為で起きてしまったことを理解し、藤木は直後友人を救うことではなく己の保身へと
走った。ややあって異変に気付き、集まり始める他人びとの気配から逃げ出すように、藤木
は胸元に小箱を隠して学内を脱走。行く当てもなく街を転がり回って現在に至る。
(俺が……。俺がこいつで、小澤を……)
走り通しだったが故に、激しく息を切らして肩を震わせる藤木。その胸元には、今やすっ
り黒く染め上がった件の小箱があった。
先刻の、友を吸い込んでしまったことも、機能の一部でしかないと言わんばかりに沈黙し
たままのそれ。藤木は何度も揺らし、呼び掛けたが、例の如く一度吸い込まれたものは戻っ
て来ない。入学後に出会って以来、自分なんかにも親しくしてくれた彼とは、もう二度と言
葉を交わすことさえ叶わない。
「──おい。あれ、何だ?」
「ッ?!」
だから最初、ふと耳に届いたその声が、自分を指しているものだと思った。
しかしよく澄ませてみると違う。道行く人々が一人、また一人と、遠く視界の向こうに捉
えた別の何かを指差している。あまりに突拍子が無さ過ぎて、唖然とした様子で空中を仰い
でいる。
『オ……。オッ、ォッ、ォッ……。オッ……』
凄まじく巨大な──何か色々なものが片っ端から一塊になり、さながら怪獣のように蠢い
ている物体。全体的に色味は汚く褪せ、漏らす鳴き声も酷くたどたどしい。焦点の合ってい
ない、そもそも肉体としてきちんと結び付いているかも判然としないシルエットが、ゆっく
りのたのたと街の遠景を進んでいる。他人びとの悲鳴が、こだましている。
「何──。いや、あれは……」
藤木も始めは、居合わせた周りと同じように驚愕して突っ立っていた。明らかに人の身で
敵う訳のない巨体に、あんぐりと口を開けて見上げていた。
しかし、同時に言いかけてハッと気付く。巨大生物ようで生物ではない。まるで“色んな
ヒトやモノをごちゃ混ぜ”にしたような全容。自分はああなり得るかもしれない現象を、道
具を、一つだけ知っている。
(まさか……)
胸元に抱えた件の小箱。今や真っ白ではなく、まるで吸い込んできた者達の怨嗟でも宿し
ているかのような黒ずみに染まった小箱。
もしかして他にも誰か、こいつを使った奴がいるのか? それでもって──そもそも自分
は取り出し方というのは分からないのだが──あんな化け物、合成生物を解き放ったとでも
いうのか?
(……止められる。もしかしたら俺なら。被害が大きくなる前に、あいつもこっちに吸い込
めたなら)
つい先刻、自ら友人を“口封じ”したどの口が言うものか? 勿論、藤木自身の脳裏にも
そんな批判はあったが、一方でこの小箱をこのまま“使い損”にしておくのも善くないこと
だとも考えていた。
罪滅ぼし? 挽回? 保身やらヒーロー気取り、或いはあれが何だか判れば、今からでも
小澤を助け出せるのではないか? とも思っての行動だった。
段々と明確に逃げ出し始める人々。次第に明らかになってくる敵のスケール感。
正直、二重三重の恐怖と緊張で四肢は震えていたが、藤木はゆっくりとほぼ黒ずみだらけ
の小箱をかざし──。
「えっ?」
***
事の推移を見守っていた彼らが目撃したのは、不意に“生成”が完了した個体に立ち向か
おうとした、もう一人の保持者だった。
おそらくは、自身の持つ装置で目の前の脅威を除けると踏んだのだろう。馬鹿というか、
自己愛が強過ぎるというか。事実、既に“生成”に十分な蓄積量ギリギリだったらしい彼の
それは、最期に他ならぬ彼自身を取り込んでプロセスを完了させた。真っ黒な立方体となっ
た正面にぱちりと一つ眼が開き、中からボコボコと新たな生成物が誕生する。
『──●◎.×▼◆□◇◎(そら見ろ。俺の方がよく育ったじゃないか)』
『△××◆○◎.■●○×☆◇●(畜生……負けた。つーかあいつ、碌なモン食わせてなか
ったな?)』
そうすっくとビルの屋上から顔を覗かせたのは、同じ服装に身を包んだ、少し身長差のあ
る二人組だった。
全体的に、暗く錆鉄色で統一されたヘッドギア型の頭部。その隙間を埋めるように横三本
の点灯するラインが入ったヘルメットが、彼らの人相それ自体を全く不明にしている。首か
ら下も、丈夫なライダースーツのような防護服に着込まれていた。上から更に同色のマント
を羽織っているため、背丈以外は本当に区別が付かなく見える。
『◆▽▲×◎◎◇××★;●△△×○■□▼◎(仕方ねえだろ? こっちが直接“材料”を
選んじゃいけないってルールがあるんだから)』
加えて彼らのやり取りは、重苦しいスチーム音のようなだけで、全く我々には理解の及ば
ない言語だった。眼下で現在進行形、紛れもなく自分達の仕向けた小箱で人々が危険に晒さ
れているにも拘らず、二人は呑気に、尚もそう互いの“勝負”について分析を交わしてさえ
いる。
『▼□●●×◎◎.×△.◇◆★□☆◎.◇◆▽△◎(そうだけどよお……。ちえっ、今回
もお前の勝ちか。また驕りかあ)』
『◆◇;■◎□☆☆△◎;(ははっ! 上手い飯、期待してるぜ?)』
二人のうち背の低めな方は、わざとらしく肩を落として。高めなもう一人は、呵々と笑う
ようにふんぞり返って。
だが彼らは、次の拍子には気を取り直してと言わんばかりに、懐から何やら新たなツール
を取り出していた。藤木が拾った白い小箱と、見た目は同型──しかしこちらは既に全体が
錆鉄色に染まっており、立方体を形作るフレームにも薄い金縁が入っている。
『──×◎●.□□×▼▽■◎(じゃ、ぼちぼち回収作業といきますか)』
『◎○◆◆□□▲△☆.●〇××▼◆★◎●◎(実際に先生の所に持って行かないと、俺達
の勝ち負けも分からないしな)』
(了)




