表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-103.June 2021
15/257

(5) アイロニカ

【お題】卒業式、指輪、増える

『この先何十年、君と一緒に暮らしたい。分かち合って行きたい』

『僕と──結婚してください』

 おめでとう! 君は独り身であることから卒業した! 若気の至りか、はたまた恋は盲目

と云う奴か。ともかく君は晴れて、自ら墓場への道を進む選択をした訳だ。

『……はい』

 それにお相手さんの方も、随分と紅潮してあてられているじゃないか。それとも一般論として、女性

の方がより強かであると云う例に漏れないのかな? 君が意を決し、箱を開けて差し出して

みせた指輪を見つめて、言葉少なく目頭を熱くしている。

 全くもって厄介なのは、このプログラムが必ず相手を──他の誰かを一人以上道連れにして、始め

て成立するという点に尽きるだろう。何とも恐ろしいことだ。


『それでは……新郎新婦のご入場です!』

 おめでとう! 君は生まれの家一つであることから卒業した! どうやら交際時に両家と

の顔合わせは済ませていたようで、プロポーズ後の挨拶もそれほど揉めなかったらしい。幸

運なことだ。いや、すんなり進んだことが、はたして祝福と同義だったのか……。

 時世柄、挙式はなるべくスマートに。それでも、両家の結び付きを確認する“儀式”とし

ては、全くやらない訳でにもいかなかった。

 幾つかの白い円卓を囲んで、二人を迎えてくれる出席者達。君と細君はお揃いの白い正装

とドレスに身を包み、設えられたホテルのいちフロアに姿を現した。……そうさね。一生に

一度あるかないのかイベントだ。少なくとも、愛の熱に中てられている今にとっては。

『──健やかなる時も、病める時も、この者を愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?』

『はい。誓います』

『誓います』

 嗚呼……傑作だ。

 普段それほど、神にも仏にも信仰を捧げてもいない若人達が、こうして都合の良い時だけ

場に祭り上げて証人とする。問いかける方も問いかける方で、君達のことなんかこれっぽっ

ちも知りはしないというのに。

 君は随分緊張していたようだけど、彼女はうっとり夢見心地のよう。

 そう、これは君達が望んだ“夢”なのだと、いずれ知ることになるだろう。何せ我々が生

きているということ、日々を営んでゆくということ、それ自体が己の意思で始めたものでは

ないのだから。


『ほ~ら、よしよし……。ママがついてまちゅよ~?』

 おめでとう! 君は養われる存在から卒業した! 細君に続き、彼女との間に儲けた新し

い生命。新しい家族。それは即ち、君の背負う“枷”が増えたということだ──父親として

の義務や使命感と呼んでいれば世話ないが。

 ふとした拍子でグズり出す我が子を、彼女は優しく抱いたままあやしている。

 ……嗚呼、気付いた君も傍へと寄っていくのかい? その緩んだ表情すら、やはり我々に

仕組まれた反射プログラムだというのに。実に幸せそうに、生まれて程ない赤子を二人して囲む。ゆっ

たりと、穏やかな時間が流れてゆく。

『お疲れ様。どうだった?』

『ええ、ぐっすり寝ているわ。いっぱい泣いて疲れちゃったんでしょうね。起きたらまた忙

しくなると思うから、ミルクの準備をしておくわ』

『分かった。それまでは暫く休んでいると良いよ。僕が看ておく』

 お願いね──? 産後の忙しなさ、不安を少しでも和らげてあげようと、君は可能な限り

そのサポートに努めていた。それが新米の父親としての、何より彼女の伴侶パートナーとしての責務・

誠意だと信じていたからだ。

 うむ。実に初々しい。そしてやはり……若さに任せた短慮と熱病なのだ。

 だってそうだろう? 君が彼女を娶らなければ、子を成さなければ、これほどまでに変わ

ることは無かったのだから。変わらざるを得なくなる、必要自体生じなかったのだから。


『父さ~ん!』

『おっ? キャッチボールか? いいぞ。これでも父さんは、学生時代野球部でな……』

 おめでとう! 君は育てられる存在から卒業した! 細君との間に儲けた息子はすくすく

と成長し、活発で好奇心旺盛な少年へと変貌を遂げていた。この日も家族三人、休日を利用

して近くの公園を訪れ、暫しの娯楽に興じている。

『本当にいいの~? 部員とは言っても、レギュラーじゃなかったんでしょ~?』

『え?』

『こ、こら! 目の前でバラすモンじゃ……! ははは。何、お前も頑張れば、きっと父さ

ん以上に活躍できるようになるさ』

 ばつが悪く君は苦笑わらって、息子から渡されたグローブを一つ手に嵌めた。まだ幼い少年は、

きょとんとそんな二人の昔話を聞いていたものの、すぐに君と遊べる喜びの方が勝ったら

しい。『いっくよー!』快活に叫び、目一杯力を込めて球を投げる。当然、コントロールも

何もあったものじゃあないが、君は笑顔でこれをキャッチしては放り返していた。巧い下手

は関係なく、こうして今はただ思い出を作ってゆければ充分なのだと。

『ん……いいぞ。次はもっと全身を使って投げてみろ』

 学年が上がってゆくにつれ、細君は息子の成績を心配しつつあった。お世辞にも、物覚え

が良いとは言えなかった。

 それでも君の方は、元気に育ってくれれば御の字だと思っていた。自分もそこまで、勉強

が得意だった訳ではないというのも、一因にあったからではあろうが……。ともかく穏やか

で幸せな日々は、気付かぬ所で移ろい始めていた。やはり男とは、その意味で節穴を標準装

備した生き物なのだろう。


『だから前から言ってるじゃない! このまま下がり続ければ、あの子の人生の選択肢自体

がどんどん狭くなるのよ!?』

 おめでとう! 君は愛しいだけの家庭から卒業した! 息子は成長を続け、されど年齢に

比してそのやんちゃ振りは激しさを増してゆき、ようやく気付いた頃にはすっかり君の手に

は負えないほど逞しくなっていた。細君とも、顔を合わせる度に口論ばかりしている。

『だからってなあ……。それで机に押し付けた所で、あいつが素直に勉強に精を出すとでも

思ってるのか?』

『あなたはあの子に甘いのよ! 今自分の置かれている状況を知らなきゃ、この先何十年も

苦労するのはあの子自身なのよ!?』

 有り体に言うと、教育方針の違いであった。大学受験がそう遠くない未来に迫る中、当の

本人があまりにもそのことに無頓着なように見えてならず、彼女はしばしばヒステリックを

発症していたのである。

 一方で君は、あくまで己の歩む道は自らの意思で決め、切り開いてゆくべきだとの理想が

先に在った。本人が──息子がそこまで成績優秀な生徒でないことぐらいは知っている。そ

れでも彼は、ただでさえ多感な時期でもあるし、自分達の都合を押し付けた所で反発される

だけだろうとも解っていたからだ。

『あなたは気楽で良いわよねえ……! 息子がどうなろうが、自分にはそこまでダメージが

行く訳じゃないから……!』

『ああ?! そんなこと、一言も言ってないだろう!? お前こそ、あいつの為だあいつの

為だと言う癖に、心配しているのは自分の面子プライドじゃないか!』

『何ですって!?』

 売り言葉に買い言葉。細君は先に感情的になるべきではなかったし、君もそんな逆撫です

るような文句をぶつけるべきではなかった。……いや、破綻など元より二人の間には控えて

いた。ただお互いに、積極的に認めるべき理由がなかっただけなのだろう。

 あの頃の“蜜月”など、とうの昔に終わっているのだ。

 先ずもって相手のことを知らなければ、そもそも別離などということは起こらない……。

『あいつはもう、自分なりに考えて行動できる! バイトだって文句一つ言わず、真面目に

勤め上げてるじゃないか。両立できないなんてことはない!』

『どうせ遊ぶ金欲しさでしょう? 私は最初っから、反対だったわよ。実際、あの子がおか

しくなっていったのは、自分で小遣いを稼ぐようになってからじゃない!』

 価値観の違い──なんて言ってしまえば実に楽で、安っぽい。だが事実、夫婦全体の三組

に一組がそうした諸々の理由で離婚している。判断力が欠けていれば、忍耐力もまた何処か

ですっぽ抜ける性なのかもしれない。

『──』

 この時、終ぞ二人は気付く事はなかったのだ。

 ちょうどバイトから帰って来ていた、当の一人息子が、扉の向こうで君達のぶつかり合い

を聞いていたという事実に。もう何度目とも判らなくなっていた、彼の辟易に。


『俺、調理師になるから』

 おめでとう! 君は子育ての最盛期から卒業した! ギスギスし始めて久しく、息子の受

験がいよいよ視界に入ろうとしていたその日、君と細君は当の本人からそう告げられたのだ

った。努めて淡々と、ぺいっと目の前に放り出された専門学校の資料──申請書には既に必

要な項目が書き込まれており、後は入学金と共に提出するだけとなっている。

『ちょっ、調理師……? 大学じゃなくて? 確かに、良い資格ではあるけど……』

『ああ。正直意外ではあったがな……。たがまあ、お前が選んだんだ。やってみなさい』

 彼女は“普通”の進学を望まなかったことに戸惑っていたようだったが、君はほら見ろと

言わんばかりにこれを一瞥、息子の旅路を祝福した。

『……別に、許可とか欲しい訳じゃねえから。必要な金やら何やらは、大方貯めてあるし』

 ただ、当の息子の方は終始むすっとした表情のまま。報せてくれたのはあくまで一応の義

理を通すといった理由でしかなく、曰くその進学・一人暮らし用の資金は、これまでバイト

で稼いできた貯蓄を使う──あんた達にはせびらないとのこと。

 彼なりの反骨心と、現実的な解決策なのだろう。

 君も彼女も、随分と驚かされはしたが……ここまで用意されて反対してしまう訳にはいか

なかった。バイトが出来る年齢になってから、てっきりその時々の小遣い欲しさにシフトを

入れていたのかと思いきや、予想以上に先を見据えていたのだから。

『で、でも。本当に足りるの? 困ったら頼っても良いんだからね?』

『五月蠅えな……。俺はここから出てえんだよ! 足りなきゃ向こうでも、バイトして辻褄ぐ

らい合わせる』

『あんたらの手は、借りねえ──!』


 実際言葉通り、息子は入学が決まり次第、瞬く間に荷物をまとめて実家を出て行ってしま

った。君はその長年溜め込まれていたであろう行動力に驚き、細君は急に棄てられたような

心地でおろおろとしていたが、結局止める術はなかった。せめて盆・正月ぐらいは帰って来

いとアプローチは続けたものの、当人が出てゆく前にこちらに向けた反発心かんじょうの通り、再び彼

が戻って来ることは無かった。

 単純に忙しいというのも、勿論あったのだろう。

 ただ何よりも……お互い引っ込みが付かなくなってしまったのだろう。君や細君の方にそ

の心算がなかったとしても、君達の間の時間はある意味止まったままだったのだ。その現実

に気付かぬまま、君達は無為に歳月ばかりを消費したのだから。

『……』

 子の独立は、言ってしまえば二人が冷め切ってしまう遠因には十分過ぎたのだろう。定年

を迎え、お互い家に居る時間が長くなればなるほど、細君は君の気配を疎むようになった。

君も細君の気配に気を張るようになった。それこそ最初数年は、シルバー枠で半ば無理矢理

別々の空間に暮らせるよう努めたものの、長くは続かない。

 ずっと一緒に暮らしたい、分かち合いたい──若かりし頃に誓った筈の愛は、やはりとい

うべきか、今や取り消したいレベルの黒歴史となってしまった。……ほら、言ったこっちゃ

あない。


(……結局、死ぬ時は皆独りなのだなあ)

 とかく、かつて在った全てを取り戻すには、何もかもが遅過ぎた。歳月ばかりが下り、自

らには老いがひしひしと纏わり付く。細君との仲も冷めたまま、さりとて互いに離縁するほ

ど地力が備わっているでもなく、適度な距離感を置きつつやり過ごすしかなかった。

 一人息子も、終ぞ戻って来ることはなかった。風の噂では、紆余曲折ありながらもきちん

と卒業し、立派に料理人をやっているらしい。生憎人生の伴侶パートナーは見つけておらず、見つける

気もないようだが……それもまた個の選択だろう。少なくとも君は、細君ほどそこに拘りは

しなかった。

 君は病に倒れた。それは今に始まった事ではなく、概ね老いによる終焉のカウントダウン

のよう。繰り返す入退院、良好と不調の中で、他ならぬ君自身はもう先が長くないことを悟

っていたのかもしれない。『私が死んだら、全て妻と息子に──』遺るものを何とか旧知の

専門家に託し、君はいよいよ臥せった。寝たきりになってろくに動かせくなった身体、最早

霧散してぼやける意識こそがデフォルト。同じくすっかり老け込んでしまった細君が、傍ら

の主治医や看護師達と共に、はらはらと目を見張っている。

『あ、あなた。あなた、しっかりして!』

『…………』

 おめでとう! 君はその人生から卒業した!

 惜しむらくは畳ではなくベッドの上? 遺した者達への心配? 極限まで薄くなって伸び

てゆき、やがてプツンと音もなく、途切れてゆく意識たましい

 おめでとう、おめでとう。随分と大きく回り道をして来たじゃないか。

 だがもう大丈夫。後は何も考えず、思う存分“休む”と良い──。

                                      (了)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ