(5) 鏖殺マン
【お題】才能、陰、無敵
「スマホが……爆発?」
まだ朝のホームルームもいない頃、勝手気ままにざわつくクラスの教室で、牧はそう狐に
摘ままれたような表情をしていた。周囲の雑音、手の中のスマホ。何より目の前では、そん
な反応も含めて楽しそうに笑っている友人がいる。
「うん。多分弄ってる途中にドッカーン! って。D組の松尾君らしいよ? 他の子からの
また聞きなんだけどさ、何日か前から急に来なくなってたみたいで」
「ふぅん……?」
他人の不幸をそう嬉々として話すのもどうなのか? 彼女は内心反応に困っていたが、か
といってこの目の前の友人を諭してやる勇気も持ち合わせてはいなかった。
よくあるような、女子高生同士の他愛のない噂話──ただそう単純化して片付けてしまう
には、件の情報は穏やかではなかった。実は牧自身、最近増えてきたこの手の事件の報道は
しばしば耳にしていたし、自分も他人事ではないかもしれないと不安を抱き始めていたから
だ。口から衝いて出る返答とは裏腹に、記憶の引き出しから、これまでの被害者・犠牲者の
情報が頭の片隅を駆け巡る。
「まさかうちの学校でもねえ……。偶然じゃあないの? 安いからって、何処のメーカーか
も分かんない端末使ってたら破裂した~、みたいな」
「どうなんだろ? 流石に詳しいことまでは私も知らないからねえ。まあ、繋がりがあるの
かは謎だけど、最近似たような事件が増えてるし……ニュースにする側は便乗し易いっての
はあるのかもね」
実際友人の方も、既に起きている他のケースとの関連性があるのかまでは分からないとい
った様子だった。彼女が存外に冷めた反応だったことで、我に返った部分があったのかもし
れない。少なくともここ暫く、立て続けに起こっているスマホやPCなどの端末爆発事故に
より、何十人もの死傷者が出ている。それがいよいよ、自分達の暮らす日常の圏内にまで迫
ってきたと捉えるべきなのであって……。
「落ち着くまで、スマホとか触らない方がいいのかなあ?」
「え~? 無理っしょ。私達の生活そのものだよ? 牧はあんまり使い込んでる方じゃない
からいいけどさあ」
「自分で自分の首を絞めたくないだけだよ。顔も知らないのに、付き合いばかり増やしても
しんどいだけだし、突き詰めれば連絡手段とちょこちょこ検索出来れば充分だしね」
だから牧としては、割と本気でネット断ちをしてもいいのかな? とさえ思っていた。原
因や対象となるメーカーが判明すればどうとでもなろうが、現状また何処そこで爆発と報道
が続いている以上、触らぬ神に祟りなしって奴だろう。
「ん~……。いやまあ、言いたいことは分からんでもないんだけどねえ。実際誰かの裏アカ
とか見つけちゃうと、正直凄い凹む」
「探さなきゃいいのに……」
「だってえ! 課金してるゲームのポストとか見るじゃん? 大事な情報はチェックしなきゃ
じゃん? そうやって色々飛んで飛んでしている内に、色んな人のアカウントに流れ着い
て、つい何やってんのかな~ってログを……」
とはいえ牧自身、己のそういったスタンスが同年代の子達に比べれば、大分少数派の部類
に入ることぐらいは理解していた。実際目の前の友人なんかは、典型的なヘビーユーザーで
ある。一度触りだすと、何となくネットの海をうろうろ。大抵の人にとっては、今や単純な
連絡ツールというよりも娯楽の詰まった玩具箱みたいなものであって──。
「おい~ッス。お前ら座れ~、ホームルーム始めるぞ~!」
ただ、そうして友人と駄弁っていたのも束の間。次の瞬間、担任教師がクラス教室に入っ
て来たことで、彼女を含めた周りの皆が忙しなく各々の席へと戻り始める。
(爆発、かあ……。あれだけ騒いでても、周りはいつもと変わらないのに……)
朝のホームルーム中も、その後の授業中も、牧は結局集中力が湧かずにぼんやりと一日を
過ごした。昼下がりの陽射しを少々疎ましく思いながらも、帰宅部な彼女は独り通い慣れた
道を朝とは逆のルートで歩いてゆく。
頭の中には、尚も今朝友人からも聞いた“端末爆発事件”のイメージがあった。
とぼとぼと歩を進めながら、何となく取り出した自身のスマホ。そこそこ使い込み、され
ど今この瞬間爆発しそうな気配は微塵もない。掌から伝わってくるのは無骨な金属の感触ば
かりで、少なくとも異常に熱を持っているといった異変は見受けられない。
「……」
画面を親指の先でタッチし、慣れたフリック入力で暗証番号。ホーム画面に並び、カスタ
マイズされたアイコンから一つのSNSを呼び出す。
本来この手のサービスは、能動的に共通の趣味などを梃子として色んな人々と繋がること
を想定・目的としているが、牧自身はあくまで情報収集のツールとして利用していた。電車
の遅延や、何か大きなイベント事、友人らが話すトレンドをざっくり追うといった用途ぐら
いなもので、少なくとも自分から何か発信することはない。理由はシンプルだ。何かを言っ
て、変な奴に絡まれたら、無駄に労力を使わされる──別にその誰かを否定したい訳でも、
ましてや“議論”などしたくもないからだ。
(あっ、またすり抜けてきちゃってるや……。この辺のワードもブロックしとかないと)
何度かタイムラインをスワイプしていると、ふとそんな“議論”に熱を入れるユーザー達
の投稿が現れてきた。牧は若干苦虫を噛み潰したように、その表示を更に下へと送ると、外
枠のサブメニューからとあるオプション設定を呼出。この話題に引っ掛かりそうなワードと
議論していたユーザー達を次々に非表示リストへと放り込んだ。タイムラインを動かし、数
拍人知れず大きく嘆息を吐く。
彼女が使っているのは、ここ一年ほどで人気を得た、フィルター機能に特化したアプリ。
従来の他のSNSなどに備え付け、指定したキーワード及び発言者のIDそのものをこちら
から見えなくするという優れ物である。
最初は何人かの友人に勧められて使い始めたのだが、これが思いの外自分の利用スタイル
と相性が良かった。何よりアプリの方から『他にもこんなキーワードも?』やら、折につけ
て課金をアピールしてくるポップアップが一切無いのがストレスフリーだ。実際、開発者は
どうやって利益を得ているんだろう? と疑問に思ったこともある。
(ま、便利で且つ完全無料なら、使わない手はないわよねえ……)
事実件の紹介してくれた友人らも含め、このフィルターアプリを入れている子は周りに相
当数いるらしい。今朝の彼女もそうで、基本は自分に突っかかって来るような無礼者をNG
に突っ込んでいるらしい。それはそれで相手方の悪口が、知らぬ所で増えてゆく一方になる
のではないかと思うのだが……。
「あっ」
ちょうど、そんな時だったのである。新たに非表示にするワードを設定し、再びタイムラ
インを眺め始めた牧の下に、またしても別な話題で口論しているユーザー達が目に映ってき
たのだ。加えて彼らは先程の者達よりも、そこそこインフルエンサーなようで、既に互いの
投稿に拡散や『いいね!』が沢山積み上がっている。
例の如く、彼女はすぐにこれも非表示リストに放り込もうとした。次から次へと、本当に
どいつもこいつもしょうもない……。だがその際、彼女は誤タップにより、内片方陣営の投
稿の一つに『いいね!』を押してしまったのだった。勿論すぐに気付いて押し直し、面倒に
巻き込まれぬ内に退散しようとしたのだが。
(……? 画面に何か)
しかし彼女の行動は、そこで打ち止めになってしまった。取り消す暇もなく、直後突然画
面が、スマホ全体が熱を帯びて光り出し──。
***
その日彼は、自宅アパートの部屋に鳴らされたチャイムを受け、没頭していた作業の手を
止めた。右手のマウスから手を離し、作業用のクラシックBGMを流していたヘッドフォン
をそっと外して傍らに置く。
玄関のスコープを覗くよりも前に、扉は開いた。辛うじて記憶にある、アパートの管理人
を引き連れて、スーツ姿の男達数人が立っていたのだった。険しい面持ちをし、少なくとも
通常の来客とは思えない。彼らは怯えている管理人を後ろに置いたまま、めいめいに自身の
身分証──警察手帳及び令状を見せてきて告げる。
「矢田逸だな? 不正アクセス禁止法違反の容疑で逮捕する」
スーツ姿の男達は、皆が総じて強面で歴戦の猛者達だった。一連の事件──スマホやPC
が突如として爆発、今や数千人にも及ぶ死傷者を出したフィルターアプリの開発者として、
彼を捕らえに突入して来たのである。
「……やや遅めの五分五分。思ったより優秀なんですね、この国のサイバー班も」
だが当の本人、この男性・矢田は、そんな自らの窮地に際しても酷く落ち着いていた。寧
ろこうなることは分かり切っていたと言わんばかりに、気迫を増し増しにやって来た刑事達
を採点するかのような発言をする。
「強がっていられるのも今の内だぞ。これからお前は容疑者として取り調べを受けるんだ」
「確保ォ!」
ばたばた。刑事達は一斉に部屋の中へ上がり込み、碌に抵抗もせず突っ立っている矢田を
速やかに取り押さえに掛かった。余裕綽々な様子に怖気付くような、甘いチームではない。
これだけ世間を騒がせた事件の犯人ならば、何かしら罠を張って待ち構えていても不思議で
はなかったからだ。
「──」
なのに結局、矢田は驚くほどあっさりと捕まった。逃げる素振りすらなく、玄関方向へ回
したオフィスチェアに座ったまま、刑事達によって後ろ手に手錠を掛けられてしまう。
(妙だな……。こうも簡単にいってしまうと。所詮は頭脳労働ばかりで、いざ肉弾戦になっ
てしまえば弱いだけなのか?)
一行のリーダー格、撫で付けた黒髪の刑事がぐるりと室内を見渡しながら眉間に深く皺を
刻む。矢田の暮らすアパート内は、生活に必要そうな家具すら押し遣られ、代わりに幾つも
のサーバー機やPCが並べられた異質な空間だった。アプリ開発者、根っからのエンジニア
であれば、これぐらいの魔改造はよくあることと言えばよくあるのかもしれない。だが、そ
んな一般論以上に、彼はこの男が纏う不気味さにどうしても違和感を拭えないでいた。
「お前のことは色々と調べさせて貰ったよ。以前は中々いい所にも勤めていたそうじゃない
か。なのにどうして……? それだけの技術と才覚があって、何故もっと世の為人の為にエ
ネルギーを向けられなかった?」
同情している訳ではない。只々彼にとっては疑問だっただけだ。妙だったし、いち技術畑
を知る者として残念だっただけだ。「班長……」部下の何人かが言葉を挟もうとしたが、続
けられなかった。同じく思う所はあったのだろう。
彼らに引き起こされ、ゆっくりゆっくりと玄関の方へと連行されてゆく矢田。だがその通
り過ぎようとする横顔には、ニヤリと寧ろ不敵な笑みすら浮かんでいて──。
「ふふ。何を仰います。私があれを作ったのは、世の為人の為を想った、その一念ですよ」
「何……?」
「サイバー対策に関わる貴方がたも、ご存じでしょう? 今のネット空間には、不毛な議論
が多過ぎる。いや、互いに擦り合わせることさえ知らぬ、議論などとは到底呼べない口汚い
勘違いどもだ。……私はね、平和にしたかったんですよ。あんな極端で粗暴な連中が大手を
振るっていちゃあ、誰も安心して発信できやしない。思いを綴ることさえ出来ない……。少
なくとも私達開発者は、あんな地獄絵図の為に、各種プラットフォームやアプリを作ったん
じゃないんだ」
「……だから、そういった連中を片っ端から爆殺したと? それこそ、言論封殺の典型じゃ
ないか。お前はもう開発者じゃない。ただの人殺しだ」
ひっひっひっ! だというのに、このリーダー格の刑事に論破されたというのに、矢田は
尚も引き攣ったような笑い声を漏らしていた。狂気だった。彼と、中堅以上のメンバー達は
早々にこれをしょっ引き去ってしまおうとしたが、次の瞬間一行の足は止まることになる。
驚愕し、思わずこの男の方を見遣ってしまうことになる。
「何か貴方がたは、勘違いされているようで。あのフィルターアプリはあくまで、ユーザー
の“位置を調べる”為の物に過ぎませんよ。あれ単体に、先方の端末を熱膨張爆破させるだ
けの機能はありません」
「な──」
『何だって!?』
故に刑事達は、廊下側の管理人が激しくビクつくのも構わずに叫んでいた。もしかしたら
矢田のハッタリという可能性もあったが、既に手錠を嵌められ、拘束された時点でそんな発
言をしても状況は変わらない。自身が逮捕・投獄されゆく道筋には違いない筈だ。
「ほう? ならお前は、逐一標的にした人々を遠隔で攻撃していたというのか? 何百、何
千人にも膨れ上がったこれまでの被害者を」
「はははっ、幾らなんでもそれは無茶だ。私が組織人でもあれば話は別ですが、こんな冴え
ない中年の独り身に出来る訳ないでしょう。別途プログラムでも──仕込まなきゃね」
ある意味、問い詰めたかった事件の核心。
だが今このタイミングで、知る予定ではなかったもの。
矢田は驚く彼らをニヤニヤと眺めながら語った。何処か恍惚の気配を醸し出しながら、さ
も食い付いてきたと言わんばかりに、少しずつ開陳したヒントを大きなものにしてゆく。
「……私はフィルターアプリとは別に、特定の情報のやり取りが行われている端末に向かっ
て自爆行動を取る、そんなプログラムを作ったのですよ。不毛な議論や扇動、ひいてはそれ
らに乗っかかる者達。彼・彼女らのレスポンスをAIで判別し、アプリの位置特定と連携し
て端末内へ突入。過大な電力負荷を起こし、端末ごとその者を吹き飛ばすというものです」
刑事達の表情が、明らかに憤怒に支配されてゆくのが目に見えて判った。既に自分達が捕
らえているにも拘らず、尚も彼をその場で叩き伏せたくなるような。そんなこちら側の想定
の甘さも含めて焦らせ、苛立たせる事実。
「そしてそのプログラム達はつい先程、ネットの海へと放流し終わりました。もう誰も、あ
の子達を止められません。自ら学習し、コピーを作り続けるあの子達は、これからも平和の
為に障害となる者達を排除してゆくでしょう。浄化、浄化! 汚物は徹底的に消毒しなけれ
ば!」
ははははは!
一同は愕然とした。そんなものを、この男は自分達が突入してくる前にインターネット上
へ解き放ったのだと主張する。真偽は──程なくして判るだろう。自分達が彼を逮捕し、物
理的に関与できない状況を作り出しても尚、被害が変わらず出続けるのならば。
「さあ皆さん、しかとお聞きになられましたか? 作り出したのはこの私、矢田逸。しがな
い元プログラマーであります!」
『!?』
「しまっ──!」
加えて非常に拙かったのは、この突入と問答の一部始終を、矢田が始めから隠し撮りをし
て全世界に発信していたこと。
気付いた時には、もう遅かった。彼の台詞と視線、そのオフィスチェアの肘掛けを覆う布
の下に仕掛けられていたカメラと配線を、刑事達の何人かが殆ど反射的に掴んで引き剥がし
た。最早取り返しが付かないことは解っていても。それでもこのイカレた男の演説を、国内
外に垂れ流させる訳にはいかなかった。自分達の沽券にも関わることだった。
「おい、急いでカメラ切れ! 潰せ、回収しろ!」
「班長! どうします!? 自爆ウイルスもそうですし、ここのやり取り──」
「とにかくすぐ上にも報せろ! それともうこいつを喋らせるな!」
「うッス!」
バタバタ、ガゴン。リーダー格の怒声にも似た指示に他の刑事達が駆け出し、或いは恍惚
の高笑いをしていた矢田を、再三強かに床へと叩き付ける。今し方見つけたカメラは無力化
したが、はたしてこれ一台だけなのか? 同じことを考えた面々が一斉に狭い室内を家探し
し始める。激しくなる騒々しさに他の住人達も顔を出し始め、一体何事かと管理人の後ろか
ら顔を覗かせる。
「くそっ! 俺としたことが……!」
愉快犯? それとも自己顕示欲を拗らせた大馬鹿野郎? リーダー格の刑事は舌打ちをし
つつ、この再び押さえ付けられた元凶を見下ろす。怒りの声色で、自らのミスも含めてこれ
からどうすれば最善かを急ピッチで考え始める。
「ふふふふ……良い。これで、良い……」
一方で当の元凶・矢田は、痛め付けられながらも寧ろ本懐を遂げられて満足そうだった。
カメラは見つかって引き剥がされたが、発信は直前までバッチリ行えている。今頃ネット上
では、一連の事件の黒幕として自分の顔と名前が知られゆくだろう。……これで良い。これ
も全て、計画の内なのだから。
“共通の敵”が存在すれば、たとえそれが一時的なものであっても、人はその間大きく争わ
ずに済む。外側の脅威に対抗する為、大枠だけでも結束せざるを得ない。内側は、その意味
では一先ず“平和”になる──。
(了)




