(5) 楔のモロハ
【お題】幻、ヒロイン、剣
琴葉の日常に異常がきたし始めたのは、彼女が復学を果たして間もなくのことだった。い
や……厳密にはもっと前、入院中の時点で既に違和感は横たわっていた。ただそれを、彼女
自身、目を逸らして見ないよう努めてきただけだ。これ以上、理不尽な目に遭って堪るかと
いう意地があった。
「──どうしたの、コト? 何だか難しい表情してるけど」
「う、ううん……。何でもない」
「そう? まだまだ病み上がりなんだから、無理だけはしちゃ駄目なんだからね?」
「はは……。ありがと」
学校への道すがら、親友の麗からそう心配の言葉を投げ掛けられる。
表向き怪我はすっかり癒えている、もう大丈夫だと振る舞いがちな琴葉にとって、彼女か
らの眼差しは嬉しくもあり心苦しくもあった。
隣を歩き、覗き込むような仕草をする、コロコロと愛らしい小柄な姿。
この親友に、琴葉はやはり繕って苦笑いを浮かべてしまう。
(……言える訳ないじゃない。あんたの身体に、ドデカい刃物が刺さってるよ~、なんて)
およそ三ヶ月ほど前、家族旅行中に交通事故に遭い、一時は生死の境を彷徨いながらも目
覚めたベッドの上。その瞬間から強烈に飛び込んできた違和感。
自分の世話に動き回る看護師や主治医、果ては同じく一命を取り留めた両親や他の入院患
者に至るまで。彼らの腹には、大小差こそあったが、総じて大きな刃物のような塊がその身
を貫くよう斜め下に向かって刺さっていた。錆鉄のような、鉱石のような。加えて人によっ
ては、更に同様な質感を持つ角錐やら針が幾つも刺さっている──最初こそ、目の前の光景
に酷く狼狽え、やれ痛くないのか? 日常の動作にさえ支障が出るレベルではないかと訊ね
返したものだが、どうやら当人達は全く気付いてすらいないらしい。
視えているのは何故か自分だけ……。
状況を理解した琴葉は、以降下手にこの異変を口にすることを控えるようになった。もし
かしたらおかしいのは自分の方で、目にまで何か後遺症が及んでしまったのではないか?
と、本気で不安になった夜も少なくない。
ただ……入院生活と並行してやがて行われるようなったリハビリでも、終ぞ医師や療法士
からこの視覚異常については語られることはなかった。寧ろ彼・彼女達は、手術で少なから
ず縫い痕が残ってしまったこちらの今後を気遣い、可能な限り運動能力だけは取り戻してあ
げようと一生懸命だったように思える。……尚の事、そんな親身に水を差す気にはなれなか
った。
(お父さんもお母さんも。皆が刺さってること以外は、他に変わったことがある訳じゃない
しなあ……)
幸い、手足などに麻痺が現れることはなかった。その所為で、この視覚の異変──ひいて
は脳の何処かにダメージがあって、それが原因なのではないか? 病院側もそこまで検査せ
ずに見逃したのではないか? と素人ながらに勘繰ってはみるが、無事退院して二週間ほど
が経った今となっては分からない。事故前も事故後も、変わらず友人として接してくれる麗
の存在を有難く思いつつも、琴葉は自分がそんな異常を彼女に視ていることを正直後ろめた
く思っていた。
「……やっぱコト、調子悪い? 先生には言っておくから、保健室直行する?」
「だ、大丈夫だって~。確かに本調子……じゃないかもしれないけど、只でさえ入院してた
分、授業も出席日数も遅れてるんだから」
あはは。それでもやっぱり苦笑いを。口を衝いて出た言葉は、さりとて今現在進行形で直
面している事実だった。
そうだよ。いい加減、こんな後遺症かどうかも判らないことでぐるぐる考えてばかりいて
も仕方ないんだから。先生達も、多少家の事情は考慮してくれても、ずっとという訳にはい
かない。言い訳にし続けて怠けていたら、いずれ黙認は苦言に変わる。周りの子達からだっ
て、どう思われることか。……麗が珍しいだけで、基本そこまで付き合いの無かった面子は、
今も何となく私のことは腫れ物扱いだし。
「──」
初夏、朝日の差し込む並木道を二人して歩いてゆく。「それでね? それでね?」今日も
麗からは、入院間にあった様々なエピソードが仕入れられる。
しかしながら、琴葉は内心そんな話を右から左へと受け流してしまうことが多かった。耳
には入っているが、記憶にまで届いていない。自分達の通う高校に近付くにつれ、他の生徒
達の登校する姿が視界に映るにつれ、正直それ所ではなかったからだ。
彼も彼女も皆、腹に刃の塊が──全身に大小無数の棘が刺さりに刺さっている。
「──で、あるからして。この数式をスマートに解くには──」
昼間の授業中。入院前も入院後の今も、板書された内容はどうにも難解な呪文の類に思え
てならないらしい。担当教員の教え方による差もあるにはあるのだろうが、如何せんその講
釈は、往々にして取っ付き難さを助長しているばかりのように思える。
(う~……。そもそも前提になってる内容すら、私にはまだ未知の領域だってのに……)
琴葉は暫く板書と睨めっこをしていたが、やがてトスンと机の上のノートに顔を落として
いた。必死に写した、形跡はある。だが今回も集中力やら何やらが早々に音を上げてしまっ
たようだ。
ちらりと、教室の反対方向──廊下側の一角に座る親友を見る。彼女もこちらが苦戦する
のを予想していたようで、ちょちょいっと自身の板書したノートを見せてアイコンタクトを
送ってくれている。ありがてえ……。どうやら今週もまた、彼女の世話になりそうだった。
何から何まで、本当に心強い。
「源さん? 余所見をしている余裕が貴女にあるとお思いで?」
「はひっ!? す、すみません……。頑張って追い付こうとは、しているんですけど……」
「……宜しい。分からない所があれば、途中でも授業後でも、訊きに来てください。古家先
生からも、事情はお聞きしておりますので」
「はい……」
と、そう弛緩した横顔を見られたらしく、目敏くこの女教師に皆の前で注意を受ける。思
わず身体がビクンと跳ね、琴葉は言い訳がましく言葉を返していた。少なくとも反抗的でい
ようという意思は無い。それ以上に、変に目立って周りから目を付けられるのが面倒という
だけだ。だというのに、故意なのかどうかは分からないが、この女教師は学年主任の名前を
出してまでそう念を押してくる。本人的には多分、既に“気に入らない”フェーズに入って
いるのだろう。ざわざわと、微かに他のクラスメート──主に一部の女子達からの視線も快
くはない。
(ご、ごめんね。コト)
(麗が悪い訳じゃないでしょ。ほら、集中集中)
ジェスチャー越しにそう謝られ、構わないと軽く留めて。琴葉は再びこの時限の授業内容
に向かい合おうとした。根本的に学習量が足りない、追い付いていない──とうに分かって
はいながらも、せめてポーズだけは従順であった方が賢明なのだ。ちらちらと、否が応でも
視界に映る、クラスメート及び女教師全員に刺さっている刃を努めて意識の外へ退ける。手
の中でくるくると、時折シャープペンを回しながら板書と睨めっこを続ける。
「……」
ただこの時、彼女も麗も気付くことはなかった。
同じクラス教室、その後方の席で、自分達をじっと観察している男子生徒の眼差しを。
「あれ? コトは?」
「う~ん? 三浦さん?」
「今日って部活じゃなかったけ? ほら、この前プール開きがあったし」
「ああ……」
ただ平穏に暮らしていたかった。一度は大きな災難に見舞われたからこそ、これからはあ
んな目とは縁遠い日常の有難みが身に染みている。
放課後、琴葉はふと親友の姿が無いことに気付いて他の女子らに訊ねていた。めいめいに
お喋りをしていたり、スマホを弄っていたり。基本気だるげに、記憶の引き出しから引っ張
り出してきた返答を聞いて、琴葉もそう言えばと思い返していた。帰宅部な自分とは違い、
麗は水泳部に所属している。小柄な体格では難儀しそうなものを、当の本人は「浮かんでい
るのが気持ち良いから」と笑っていたのを憶えている。
そうか……プールか。
一緒に帰ろうかと思ったが、部活なら仕方ない。琴葉は鞄を肩に引っ掛けつつ思った。ふ
っと自身の長袖を見る。今でこそまだ服で隠せているが、もっと暑くなって衣替えが始まれ
ば、この下にある縫い痕付きの腕を皆に曝すことになってしまうのだろうか? 気合いで長
袖のまま……という選択肢も無くは無いが、正直そこまでガッツがもつ気はしない。元々そ
んな堪え性のある性格ではない。
(その辺も、また麗に相談しようかなあ? 先生は……駄目だ。女の先生ならまだしも、男
は基本そういうの、言われなきゃ配慮もしないだろうし……)
だからまさか、その当の親友があんなことになっているなど、この時琴葉は思いもしてい
なかった。あれだけ友達思いで明るくて、部でもムードメーカー的な存在であると聞き及ん
でいた彼女が。
「──どうしてあんたが! 私の方が先に好きだったのに! どうして、どうして!?」
怒号に気付いたのは、琴葉が仕方なく一人先に帰ろうとしていた最中。校舎の裏門への最
短ルートを通っていた時、聞き覚えのある声とそれに怯える気配を感じて、琴葉は思わず足
を止めて曲がり角の奥を覗き込んでいた。まだ制服姿の親友ともう一人──あの生真面目そ
うな先輩は、確か同じ水泳部の部長だった筈……。
「そ、そんなこと言われても……。告白してきたのは向こうだったし、そんな面識がある訳
でもなかったし……」
「自慢!? この期に及んで、私に当て付ける気!? 前々から思っていたけれど、やっぱ
りあんたってとんだぶりっ子ね! 部員達の士気も緩々、真面目に記録を伸ばそうって意識
も低い……。あんたみたいな遊び気分で入部してくる子がいるから、全体のレベルも落ちて
しまうのよ!」
「──」
詳しい経緯はよく知らない。だが二人のやり取りから推測するに、どうやら親友が部長の
想い人に告白され、その事実を知った彼女に問い詰められているらしい。……逆恨みもいい
所じゃない。琴葉は正直呆れたし、腹立たしくもあった。親友を害そうとしているという点
は勿論だが、それ以上に自身の僻みから出ている悪意をああも本人へズバズバと……。実際
当の麗は、突然の罵倒の数々にすっかり怯えて参ってしまっている。
(さ、流石にこれは、助け舟の一つでも出さなきゃ──うん?)
だがちょうど、そんな時だったのだ。
少なくとも琴葉の目には、異変と映った。今朝の親友と同様、この部長にも胴を貫く刃の
塊が突き刺さっている。
親友と違ったのは、その刃がチリチリと、まるで罵倒を吐き出すのと呼応するかのように
少しずつ霧散。小さくなっていたように見えたことだった。代わりにあの大小無数の棘が、
罵倒の度に麗へと新たに刺さってゆく。……もしかしなくてもあれは、他人から向けられた
悪意。受けたダメージがそういう風に視えているのか? だとしたら、その中でも一番大き
く、且つ今現在進行形で削れていっている部長の刃の塊は……?
「う゛ッ!?」
はたして、そういった厭な予感というのは的中するものだ。琴葉は次の瞬間、目の当たり
にしてしまった。部長から朽ちてゆく刃の塊。それらが最早視認出来ないほどに小さく消え
去ってしまったと思った矢先、突如として彼女が苦しみ出したのだ。この一部始終を隠れて
視ていた琴葉も、目の前でビクビクと縮こまっていた麗も驚いて言葉を失う。
「あ゛、あ゛……あ゛……ヴ……ウ゛ア゛ア゛ア゛ァーッ!!」
当然と言えば当然なのか? 朽ちて無くなった刃の後、彼女の胴にぽっかりと空いていた
のは大きな穴。その不気味な空虚さと対比されるように、全身に刺さっていた大小の棘も突
如として激しく脈動して膨れ始める。
メキメキッと。まるで化け物のようだった。いや、実際化け物と呼ぶ他無いのだろう。少
なくともこの時、琴葉にはそう視えていた。まるで意思を持ち始めたかのようにうねり、拡
大してゆく棘と穴から吹き出す強風に包まれ、刹那部長は異形──全身赤黒い棘付きの殻に
覆われて変貌してしまったのだ。『──ッ!?』思わず絶句する。琴葉も、眼前でその剥き
出しの害意を向けられた麗も。
事実、異形と化した部長はそのまま、荒々しい雄叫びと共に彼女へと襲い掛かり──。
「どっ……らぁッ!!」
だが間一髪、これを文字通り間に割って入って防いだ者がいた。同じく制服姿の、一人の
男子生徒だった。トン、と。気付けばその傍らには、ローブらしき衣装で身体を隠している
中学生くらいの少女がもう一人。
「……ふう。間に合った。おい、無事か? それとそこのお前。見てたんならさっさと助け
ねえか。確か普段から仲良かったろ?」
「えっ──?」
怒涛の展開。合気道の要領で体勢をいなされ、盛大にすっ飛んでいった異形部長。
そんな当人の彼から急に話を振られ、麗共々こちらに振り向かれたものだから、琴葉はす
っかり虚を衝かれてバレてしまった。「コト? 何で此処に……?」親友からも戸惑いの言
葉を向けられて、正直第一声何と返したらいいか分からない。というより、一体全体今何が
起こっているのかも分からない。
「えっと……誰、だっけ?」
「一ノ瀬だよ。お前らと同じクラスの、一ノ瀬陽! まあぶっちゃけ、俺もそこまで顔と名
前は一致してなかったがよ……。三ヶ月も病院に入ってりゃあ忘れもするわな」
なので先ずは彼の正体について。おずおずと曲がり角の陰から近寄り、訊ねた琴葉に対し
て、このクラスメートの男子・陽は若干セルフツッコミ気味に言った。
但し目下の状況が状況だけに、そう悠長に詳しい説明まではしてくれなさそうだった。彼
の隣にいたローブの少女が、吹き飛ばされた先で起き上がっている異形部長を見て言う。
「陽。あの人」
「ああ。典型的な“放ツ”の鬼だな。こっちに向かってる間にも聞こえたぞ。運悪く本人に
ぶちまけてる間に、呪いを出し切っちまったか」
「ハナツ……? 鬼? の、呪いって何よ?」
「詳しい話は後回しだ。とにかく源、お前は三浦連れて隠れてろ。あいつは俺が殺る」
レン! 陽は混乱する琴葉達に振り向くこともなく、既に臨戦態勢を取っていた。そう呼
ばれたローブの少女がバサリと胸元を晒し、琴葉は思わず目を見開く。
「! その子……剣?」
「ああ。やっぱお前も視えるようになったんだな。退院して来てからの様子でもしかしてと
は思ってたが……」
ローブの少女、陽にレンと呼ばれた彼女の胴には刃が刺さっていた。それもただの錆鉄の
塊ではなく、明らかに武器としての形状を維持したもの。赫い熱を湛えて、今にもその身を
壊してしまいそうな。
「ア゛……ア゛ア゛ア゛ッ!!」
「悪いがよお、先輩。そんなナリじゃあもう、あんたの恋路は絶望的だろうよ」
再び襲い掛かってこようとする異形部長、もとい放ツの鬼。そんな彼女に対し、陽はレン
の身体からこの高熱の剣を抜き放つと、慣れた所作でザンッ! と構えた。ショーテルのよ
うな、やや湾曲した刃。その部分を中心に、グツグツと巌のような柄全体が炎を纏い出す。
うらあッ!! そして彼は、直後激しく地面を蹴って鬼とぶつかった。本来なら常人では
防ぎ切れないであろう膂力を押し留め、且つ今度は一方的に灼熱を孕む斬撃を二度三度と叩
き込む。
「ちょ……!? 一ノ瀬、何してんの!? 相手は部長さんよ!?」
「無駄。放ツ鬼になってしまった彼女は、もう止められない。私達のような、剣士の力が無
ければ」
「剣、士?」
「というか、貴女誰? 一ノ瀬君の妹さんか何か?」
少し離れた位置、しかし現実の目の前で突如として繰り広げられ始めた剣戟。戸惑いっ放
しの琴葉と麗を制するように、レンは淡々と答え始める。
「私は……陽に救われた者。一度は鬼になりかけた所を、人間のままでいさせてくれたの」
「う、うん? よく分かんないけど……。一ノ瀬をあのままにしておいていいの? 先輩も
何かおかしくなっちゃったし、先生とか警察とか……」
「無駄。鬼が視える人間は限られている。例えば生死の境を彷徨った経験をした者、精神的
に追い詰められて、セカイが一変するような経験をした者。そういった人間でない限り、鬼
や呪いは認識すら出来ないし、そもそも干渉も不可能」
「……」
「あの。じゃあ部長は」
「正直五分五分。陽が今、私の剣で戦っているけれど、彼女を蝕んでいる呪いの殻を破壊し
ても元通りになる保証は無い」
「そんな……!」
親友が傍らで絶句していた。だがそれ以上に、琴葉はこのローブの少女・レンの話す内容
に強く揺さぶられていた。
鬼。にわかには信じられないが、部長を化け物に変えてしまったものは呪い──さっきの
麗への嫉妬なのだろうか? そうしたものが視える、ああいう化け物として視認出来てしま
うのは自分のように、一度生死の境を彷徨ったりした経験を持つ者のみ……。
「呪いを破壊できるのは、同じ呪いだけ。だけどその力も、使い方を間違えば彼女と同じよ
うな末路になる」
『……』
琴葉は尚も揺らいでいた。麗もジクジクと、静かに良心の呵責に苛まれ始めていた。彼女
と、放ツの鬼なる化け物に変わってしまった部長を何度か交互に見つめて、じっと俯き加減
になりながら押し黙っている。
「チッ……。為りたての割には随分元気だな。こいつは少々骨が折れそうだ」
「私の、私の……所為なの?」
「えっ?」
「私が、部長の好きだった人を、盗るような勘違いをさせたから……あんな」
轟と時折弾ける炎と舞いながら、陽が一旦こちら近くまで下がってきた。鬼化した部長は
想定上に凶暴だったようだ。するとちょうどそんな折、ぶつぶつと麗が呟き出した。思い詰
めた様子で、そっと頭を抱えて。「! 拙い」レンが逸早くその異変と原因に気付いて目を
見張る。琴葉と、戦いの最中の陽も、まさかもう一人の変貌が待っているなど予想もしてい
なかったのだから。
「私、の。私ノ、わた、わタ、ワタ、私ノ、ノノノノ、所為ッ!!」
よりにもよって、今度は麗の身に変化が起きてしまったのである。頭を抱え、過ぎた自責
に侵されたその身体は、彼女の動揺に呼応して無数の棘を鬼の外殻として纏わせ始めた。声
はやがて反響する唸り声となり、視るも醜く鬼の姿へと変わっていった。琴葉の顔がサァッ
と青褪める。レンもレンで、切羽詰まった表情で戦闘中の陽へと叫んだ。
「陽! こっちのお姉さんも鬼になりそう! 呪いの核は刺さったまま!」
「ああ!? そっちもかよ! こっちもこっちで片付けなきゃならんって時に……!」
ズザザザッと改めて放ツ鬼と距離を取り、得物は構えたまま、横目で麗の変貌を視認出来
る位置まで。
おそらくこの手のプロフェッショナルらしい二人のやり取りを視界に映しつつ、だが琴葉
は目の前で起こっている一連の出来事に心がついて来れなくなりつつあった。自分がそこま
で接点の無い部長はともかく、親友までがこんなことに……。彼女からの謂れのない罵倒に
気を病んで、文字通りの化け物に……。
「だが“溜ツ”の鬼なら、まだ可能性はある! 源、俺がこっちを押さえてる間に三浦に刺
さってる剣を抜け! 上手くいければ、完全に鬼化しちまう前に止められる!」
「えっ!? そ、そんなこと。出来る訳──」
「視えてんだろ!? 俺達に刺さってる呪いも、鬼になりかけてる先輩も三浦も! 友達を
助けたいんなら、腹ァ括れッ!」
なのに陽は、矢継ぎ早にそんなことを命じてくる。タメツ? さっきのハナツとはまた別
パターンということか。戸惑う琴葉に、レンはコクリと頷き返していた。どうやら彼女もま
た、彼の意見・指示に賛成のようだった。
「……放ツ鬼は、自身の抱える呪いを“外”に吐き出すことで、枷を失った存在。逆に溜ツ
鬼は、そうした誰かからの呪いを他人に押し付けることも出来ず、限界まで溜め込んでしま
った存在。呪い──苦しみの多くを占める剣の楔を抜けば、彼女が鬼化する症状を相殺出来
る筈。どれだけ彼女が、正気を維持できるかにもよる、けど」
「……」
小難しいことは分からない。もし今日のことが落ち着いたら、二人にはとことん詳しい説
明を要求しなければいけないだろう。それでなければ、割に合わない。ようやく入院生活か
らも解放されたのに、また災難に見舞われるなんてごめんだ。それもあの時以上の、明らか
にヤバそうな奴なんかは。
「分かった。抜けば、いいのね? 麗を助けられるのね?」
意を決して、琴葉は蹲って呪いの殻に呑まれようとする親友の前に立った。後方では陽と
放ツ鬼化した部長が、尚も激しく戦闘を繰り広げている。渦巻いて舞う炎と剣、その合間を
縫うようにして、彼がニッとこちらを見ていた。レンも見守る中、琴葉はずいっと麗の背中
から伸びる錆鉄の端っこ──刀剣の柄に当たる部分を握り締めて、抜いた。
「──ッ!!」
ずるりと。その感触は、思っていた以上に軽かった。レンの話しぶりからすれば、そもそ
も麗に関しては、自ら望んで蓄えた呪いではないらしいのだから当然か。解放されたかった
のだろう。気付かずずっと蓄え続けていたのだろうか? 事故以来ずっと、何かにつけて助
けられっ放しだったことが申し訳なかった。気付いてやれなかった自分が悔しかった。
でも、大丈夫。今度は私が。
引き抜いた勢いのままゆらりと、全身を一回転二回転。呪いと錆の固着から引き剥がされ
た麗の剣は、白く長い太刀のような形状だった。ざぷりっと。視界に透き通った水の礫が幾
つも弾け飛ぶ。同時にどうっと、文字通り憑き物が落ちたかのような元通りの麗が、そのま
ま静かに意識を手放して倒れた。
「麗!」
「……大丈夫。気を失っているだけです。暫くすれば目を覚ますでしょう」
「よかった……」
「ええ。これで貴女も、剣士の仲間入りです。少なくとも呪いが視える者として、この不毛
な連鎖を断ち切る術があります」
おい! お前ら、成功したんだな!? 成功したんだろうな!? 部長の放ツ鬼に再三の
炎斬撃を食らわせて、陽が肩越しにこちらを向いて叫んでいた。琴葉は暫く呆然としていた
が、レンにふいっと促されて歩き出した。麗は穏やかに眠っている。そっと場に横たえ、親
友の無事に微笑う。それはひとえに、もしかしなくても、自分がその主因である剣を一時的
とはいえ抜き取ったからなのだろうか。
「散々予定外だったが……。まあ結果オーライだ。源、お前も手ェ貸せ。俺達の持つこの剣
なら、先輩を呑み込んだ呪いの殻もぶち壊せる」
「無茶苦茶言うわね……。でも、それで麗が安心できるなら、断る理由なんて無いわよね」
陽と琴葉、灼熱の剣と流水の剣が互いに横並びになる。彼とは違って、剣を振り回す真似
などまるで経験が無いが、もう成り行きに任せるしかなかった。ヴォ、ア゛……。彼との交
戦で大分消耗──身体を覆う殻もひび割れ、あちこちが剥がれつつある部長の放ツ鬼が、よ
ろよろとこちらと相対する。
「陽、決めて!」
「おうよ!」
「先輩。直接恨みは無いですけど……。元に戻ってください!」
(了)




