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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-126.May 2023
128/284

(3) 能力知

【お題】空気、眼鏡、役立たず

 榊は、とある中堅商社で人事部の一員として働いていた。

 性格は寡黙で慎重。黒い丸フレームの眼鏡と、びっちり刈り揃えた短髪、上から下まで黒

系一色のスーツ姿に包んだ長身がトレードマーク。就活生の大半は、その強面さに多かれ少

なかれ委縮することだろう。

「では次に、学生時代に打ち込んだことを教えて下さい」

「はい! 私は学生時代、英語サークルの部長として皆をまとめ、地域を訪れる外国人旅行

客と住民を繋ぐ架け橋として活動し──」

「……」

 その年も、社会に羽ばたこうとする若者の選考に、榊は他数名の同僚と共に臨んでいた。

事前の書類審査を通過した志望者を幾つかのグループに分け、本社ビル内の一室に呼んで直

に顔を、言葉を聞く。横並びの長机に着いていた同僚から投げ掛けられる質問に、順番の回

ってきた就活生は朗々としてアピールポイントを“読み上げ”る。

(紋切り型の原稿だな。大学側やセミナーの類がそう指導しているから、と言えば身も蓋も

ないが……こうも如何にも“作ってきました”的なエピソードを披露されても、最早何も感

じなくなってしまったな)

 ただ当の榊自身は、繰り返される彼らのテンプレな向上に、内心最早うんざりとした心地

すら覚えていた。

 面接は何も、うちの会社だけではないだろう。場数と言えば場数かもしれない。

 それでも誰も彼もが、似たような仕込みを──個々の苦悩があろう筈なのに丸暗記し、尚

且つ大人である自分達に対してそれをおくびにも出さずニコニコとしている姿が、榊にとっ

てはどうにも気味が悪かったのだ。不気味さが先に立つのだった。この場にいる他の同僚達

も、内心難しい表情かおで考えていることは似たり寄ったりな筈だ。

(一番避けたいのは、口先だけで実の伴っていない人材を引いてしまうこと。業務内容次第

では、時に先ず言葉巧みさで繋ぐがひつような場面も無い訳ではないが……)

 さて……。

 そっと、榊はおもむろに目を細めた。黒い丸フレームの眼鏡越しに、今視ているグループ

の志望者達をざっと見渡してゆく。不審がられないように、視線を真っ直ぐに交わさないよ

う、慎重に観察を行う。

『──』

 するとどうだろう。榊が視ているレンズ越しの景色に、突如幾つものゲージのような横棒

や円グラフ、コンマ数桁単位で算出される数値の群れが現れた。

 それぞれは、彼が意識を向ける就活生一人一人の傍にぐるりと展開しているようだった。

しかし当の彼らも、同僚である他の人事担当者達も、榊の起こすこの現象に全く気付いてい

る様子は無い。

(ふむ。このアピール中の青年、内容にしては“語学”の値が低い。“忍耐力”も平均を下

回っている──性格としては短気の部類だな。やはりこの話、盛っているとみて間違いなさ

そうだ)

(それに比べて……。二つ隣の彼は、随分と緊張こそしているが、どの項目も満遍なく優秀

な値が出ている。気性も穏やかなようだ。志望動機は……そうそう『次の世代の子供達に、

物に不自由の無い暮らしをさせてあげたい』だったか。自身の幼少期と他人をイコールで結

ぶのはやや狭窄だが、きちんとビジョンを持っている人物は好感が持てる。多少折れる出来

事に見舞われようとも、自ら進もうとする道がある。意思がある)


 ***


 榊が現在の黒い眼鏡を愛用するようになった切欠は、彼が入社して間もない頃。元々希望

していた部署とは違う配属先になり、これからどうやって仕事に向き合ってゆこうかと独り

思い悩んでいた時期だった。

『──そこのお兄さん、お兄さん』

『? もしかして……私か?』

『そうさね。厳つそうだけど根っこは大分慎重な、繊細さんなあんだだよ』

 所用で出掛けていた帰り道、その途中にあった駅前通り近くの商店街で、若き日の榊はそ

う不意に誰かに呼び止められていた。ざわめき、自分のことなど誰も注目してくれる筈もな

い雑踏。その中で唯一、気のせいかと思ったが間違いなく、一人の露天商らしき老婆がこち

らに手招きをしてニタニタと嗤っていたのだった。むっと、思わず警戒心を強めて険しい顔

つきになり、されど何となく無碍にも出来ずに歩み寄ってゆく。

『……何ですか、お婆さん。私も色々立て込んでいますので……』

『お前さん、眼鏡を一つ買ってゆかないかい? 今なら安くしておくよ?』

 露天商なのだから当然と言えば当然だが、老婆の目的は商売だった。御座の上に組まれた

竹や木組みの引っ掛け棚に、一見する限りはガラクタのような小物類がごちゃごちゃとぶら

下げられている。

 その中でも、彼女が榊に勧めてきたのは、一個の黒い丸フレームの眼鏡だった。

『お前さん、目が悪くなってきているんじゃないかい? なのにコンタクトも着けずにいた

ら、そりゃあ年がら年中睨むような顔になっちまうさ。勤め人なら印象は大事。特に他人と

相対する機会が多ければ尚の事ねえ』

『……』

 確かに、入社以来慣れないことの連続で、生活リズムもデスクワークも以前の比ではなく

なってきた自覚はある。それでも榊は、そんな指摘を見ず知らずの露天商からされたことの

方に正直驚いていた。もっと言えば、自尊心プライドの類がざわついていた。何故この老婆は、通り

すがりのサラリーマン一人の事情を、そこまで解っている?

『年の功、という奴じゃよ。お前さんも相応の年季と場数を踏みゃあ、同じとは言わずとも

似たような眼力は身に付くさね』

 ほれ。

 言われて再度差し出された黒眼鏡を、榊は結局受け取ってみることになってしまった。半

分怪訝、半分渋々といった具合に掛けてみる。レンズ越しに視える世界が、確かに先刻より

鮮明に映るようになった気がした。……妙に度が合っている。偶然か? いや、問題はそれ

よりも──。

『視えるかの? 儂の周りに、色々表示されとるじゃろ。それは儂の情報──お前さんが今、

儂のことを怪しく思い、その本性を知りたいと念じたからこそ発揮された、この眼鏡の真

骨頂じゃよ』

 驚いていた。老婆の言う通り、確かにレンズ越しに視える風景には、まるで未来の技術を

貼り付けたかのような、彼女にまつわる様々なデータが棒や円グラフ、或いは数値として随

時表示されていたのだった。

 商売歴、話術、審美眼。今月の売り上げに、実年齢──。

『こら。何レディーの秘密を覗いとるか。儂はまだピチピチの現役じゃわい』

 榊は思わず、眼鏡を外して複雑な表情でこの老婆を見下ろす。どうやら彼女自身は、この

眼鏡で自分に何が視えているのかを把握しているらしい。少なくとも本人は裸眼のようなの

だが……。いや、そもそも原理や理屈を求めても分かる筈も無いのか。

『貴女の悪戯、という訳ではないんですね』

『当たり前じゃ。儂とて商人あきんど。噓八百で商品を売りつけるなどプライドが許しはせんよ』

 それから榊は、暫く彼女の説明を聞きながら、道行く他人びとをこの黒眼鏡越しに観察し

てみていた。名前や年齢、生年月日から身長体重、出身地に職業、好き嫌いなどの個人情報

に始まり、先程老婆に対して視たような細分化された“能力”の類まで。

 どうやら表示される情報の多寡、ないし有無は、着けているこちらの意思次第でかなり調

整が利くらしい。少なくとも下手に表情かおに出しさえしなければ、相手には知られることすら

先ず無いだろう。

『……どうかの? その眼鏡を活用すれば、今よりもより良い仕事が出来るじゃろう。勿論

お前さん自身の成長も伴ってこそ、じゃがな。それに同じような眼鏡に替えておけば、視た

くない時はそもそも視えん。プライベートの時も安心じゃ』

 その替えスペアも、ここに用意しておる。

 言って老婆は、もう一つ取り出した黒い丸フレームの眼鏡──曰く視える機能の無い普通

の眼鏡も榊に見せて、抱き合わせでの販売を申し出てきた。

 上手いな。彼が思うよりもそれ以上に、気付けば先刻までの気鬱が和らいでいた事実に方

に驚いた。誰にも打ち明けていなかったとはいえ、自身の苦悩を見透かしてくれた彼女への

恩義めいた感情があったのだろう。或いはただ単純に眼鏡一つで、ここまでぼんやりしつつ

あった世界が明瞭になるものか、とも。

『……幾らです?』

『二つで千二百円じゃ。割れたり、新しい替え(スペア)が欲しくなったら、また此処に来れば良い。

まあ、いつも居るとは限らんがの』

 買った──!

 そうして若き日の榊は、この奇妙な眼鏡及び露天商の老婆の常連となったのである。


 ***


「どうだ? 今年の志望者達は」

「うーむ。悪くはないが、正直経験の偏りが激しい気がするな。つい去年まで、例の感染症

でろくにキャンパスライフを送れていなかったとはいえ……」

 幾つかの就活生グループの面接が終わり、榊とその同僚達は移動した別室で早速選定作業

に勤しんでいた。今度は長机を四つ四角に囲んだテーブルで。大量の履歴書と先程までの当

人達の様子を思い出しつつ、睨めっこしつつ、あーでもないこーでもないと決め手に欠けた

議論を繰り広げる。

「榊さんはどう思います?」

「……そう、ですね。私も高原さんと同じ感触です。大学四年間やそれ以前、各々の歩んで

きた道も経験も違う──限られてきた筈なのに、いざこうして面接を行ってみれば、皆似た

ようなアピールポイントで勝負しようとしている。柔軟性、という点で、正直不安材料に傾

いています。彼らも彼らで、必死ではあるのでしょうが……」

「でしょうねえ。かと言って、こちらが引き締めを強めれば強めるほど、より優秀な人材は

逃げてゆきますよ。大手に取られるのもですが、場合によっては全く違う業種に転向される

可能性もある」

「中途採用枠の余力を残しますか?」

「いや、それだと元々予定していた母数の確保が難しくなる。絶対条件ではないとはいえ、

中長期的に見れば我が社の次代を担う人材となる訳ですからね。今後の他社の動向、売り手

市場を考えると、絞る方のメリットは少ない」

「ピンポイントで精鋭を採れるんなら、話は別なんですがねえ……」

「……」

 案の定と言うべきか、ここ数年全体の傾向と呼ぶべきか、他の人事担当者どうりょう達も正直選考に

難儀している様子だった。欲を言えばより有能な人材を採りたいが、必ずしも狙った通りの

若者が現れるとは限らない。そもそも当社に志願してくれるかどうかという運要素がある。

何より自分達自身が、百パーセントで求められた任務をこなせる保証など何処にも無いのだ

から。

「ちなみに、現状目を付けてる子は?」

「あー。この子と、この子、あとこの子……ですかね」

「自分はこっちもイケるかなと思います」

「榊さんは?」

「……彼と、彼女、次点で彼でしょうか」

「うお? 大分自分達とは違いますねえ……。何というか、地味めな子がちらほら」

「私の記憶では、面接でもあまりしっかり喋れていなかったように思いますが……」

「……ご存じの通り、今回は面接だと、彼らも解って念入りに“用意”して来ているんです

よ。紋切り型のアピールになるのも、その現れですからね。それよりも私は、彼ら一人一人

が本来持っている能力を信じたい」

「そうは、言いましてもねえ」

「それで本当にスキルのある子を引いて来れるのは、榊さんぐらいですよ?」

 あはははは! 同僚達が、隠し切れない苦笑交じりでもって笑う。榊も自身、件の眼鏡の

力に頼った選考眼であるため、今回も例の如く強くは言えなかった。ただ黙して、皆の結論

にそれとなく彼らが付随してくるのを祈るぐらいしかない。

「……そんなことは無いですよ。私だって、百パーセントじゃあない」


 榊が独り呼び出されたのは、そんな採用活動もすっかり終わった年の暮れだった。妙に人

気が払われた感じのする会議室をノックし、中から『入れ』と短く声がする。榊は数拍目を

瞬いた後、控えめに『失礼します』と応じてノブを掴んだ。開いたドアの先、上座に人事部

の部長の姿がある。

「お呼びでしょうか、部長」

「ああ。ちょいと、面倒な話がな……」

 特に座って良いとも言われていないため、ある程度部長の斜め近くほどまで歩いて行って

直立不動。彼からの次の言葉を待つ。

 だがそんな、榊のあくまで淡々とした様子が、当の部長には気に食わなかったらしい。

「……榊。お前、自覚は無いんだな」

「? と、申しますと」

「ああ、いい。それならそれで、まだマシっちゃあマシだなと。まあ、あくまで俺個人とし

ては、だが」

「はあ……」

 いまいち要領を得ない。元々自分に輪を掛けて強面な部長ではあったが、言葉の節々から

はどうも自身が“板挟み”にあるかのような印象を受ける。

「端的に伝えよう。お前を、辞めさせたがっている連中がいる」

「!? な、何故です!? 誰からそんなことを……」

「何故、が先か。お前らしいっちゃらしいが……」

 正直榊には、全く身に覚えはなかった。フッと部長の方も、そんな自虐とも取れる笑みを

口角に零す。ギチッと、デスクチェアを回してこちらを正面に見据えると、続けた。

「お前が優秀だからだよ」

「……はい?」

「お前が、人事担当として優秀だからさ。これまでお前が関わってきた採用で、我が社は多

くの有能な社員達を集めることが出来た。売り上げや業務効率も上がったし、社全体として

はプラスだと言っていい。だがな……だがよ、組織ってのはそんな簡単なモンじゃねえって

ことさ。質問だ。有能な人材はたくさん増えた。なら、それ以前の──お前が関わる前に社

に入ってきた人間は?」

 そこでようやく、榊は部長の意図する所に気付き始めた。いや、正確には気付き始めざる

を得なかったと言うべきだろうか。敢えてそこまで言い、半分答えが出ていそうな所で止め

るということは、話の本質──今回呼び出しを食らった理由はそこにあるからだ。

「……そこまで有能ではない、と?」

「そう。まあ、仕事が出来ない訳じゃあねえんだ。だがお前らがじゃんじゃか“当たり”を

引いてくるのに比べりゃあ、まだまだ人間が出来上がっていなかった連中も相応に含まれて

る。仕事と人格は別問題と捉えることも可能ではあるんだろうがな……。だがさっきも言っ

たように、組織ってのはそう簡単なモンじゃねえんだよ。純粋な能力だけじゃあなく、もっ

と別の要素──派閥とか慣習とか、もっと言っちまえば“嫉妬”みたいな感情で動いちまう

ことはままあるんだよ。分かるだろ? 人事部うちは余所の部署ほど、渉外の比重が高い訳じゃ

ねえから、気を抜くと忘れがちだが」

「……」

 榊は黙り込む。同時に今自分は、現在進行形で“墜とされ”ようとしているのだという理

解が近付いて来ていた。向こうから駆け足でやって来ているのが──まるで尚も他人事のよ

うだが分かった。

 要するに、優秀な後輩ばかりがやって来るから、自分達の立場がないんだよ! と。

「お前の選考ノウハウは、確かに凄い。俺も一目置いてる。だが……それでも致命的な欠点

を挙げるとすれば、お前には“その後”が全くと言っていいほど無いんだよ。そりゃあ新人

一人一人を鍛えるのは、配属先──現場の仕事っちゃあ仕事なんだがな? お前は今まで、

自分の評判を端から端まで聞いたことがあったか? 末端の不平不満を聞いてきたか? 俺

も驚いたさ。何て低レベルな、しょうもない理屈をぶち上げて来やがんだコイツ、とは思っ

たさ。だがよう……実際それで現場がギクシャクして、場合によっちゃあどうしようもなく

なってる所も出てる。嫉妬や逆ギレも醜いモンだが、後輩達も後輩達で大概だぞ? 自分達

が優秀だと、段々判って図に乗り出す奴らもちらほら出てる。お互い変な所で意地を張っち

まうモンだから、通常業務どころの空気じゃあないんだと」

「それは──」

「馬鹿だよなあ。本当馬鹿だよ。だがこういうも現実なんだ。仕方ない。お前もまだまだ勉

強しなきゃいけないことがいっぱいあるってこった。……俺も、ギリギリまで粘ってみよう

とはしたんだがな。強ぇな、保身ってのは。既に“根回し”で負けてた」

 すまん。

 部長は最後にそう一言だけを漏らした。独白は終わり、これ以上の私情はもう挟んではい

られないという区切りの表明だろうか。

 そして盛大な嘆息の後、彼は告げたのだった。榊はこれを、まだ頭の中で整理がついてい

ないまま、聞かされることになる。霞む視界、現実と過去。記憶の中でかつてあの老婆に諭

された言葉が、不意に呼び起されていた。


『……どうかの? その眼鏡を活用すれば、今よりもより良い仕事が出来るじゃろう』

『勿論お前さん自身の成長も伴ってこそ、じゃがな』


「社長命令だ。お前は──クビになる」

                                      (了)

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