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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-126.May 2023
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(2) 回帰少女

【お題】夏、海、主従

 何時だって何処だって、気付けば足元に水面それは迫ってくる。ざざん、ざざんと静かに寄せ

ては返し、私と私の周りのものをことごとく吞み込もうとする。その隙を、窺っているかの

ように視える。

(──私、おかしいのかなあ)

 今日も今日で、学校へ行く途中から“水浸し”だ。まだ眠い目を擦りながら、何とか遅刻

はしないぐらいの時間に家を出ることは出来たけど、ふいっと気が付いた時にはざざん、ざ

ぶん。膝下数センチぐらいまで、辺り一面に水が張っている。いつも見慣れた光景。登校中

の他の子や、駅に向かうスーツ姿のおじさん・お姉さん達の間にも構わず広まっているし、

何より街の形そのものが沈む手前なんだ。

 ……だというのに、こんな状況が目の前に広がっているのに、私以外の人間は皆まるで気

付いていなくて。そもそも水圧に負けて歩き難そうとか、ぐしょぐしょに濡れているとか、

そういう変化は一切なくて。


 これは幻。私だけが、私の脳味噌だけが勝手に映し出してる光景なんだと解ってからは、

寧ろ「ああまたか」ぐらいの印象しか受けなくなった。

 とはいえ、私の見ている“普通”と、他の人達が見ている“普通”が違うってことには変

わりなくて……。まだ小さい時は随分と変な目で見られた。だからか、当時から私のことを

知っている子や周りの大人達は、今も私をおかしな子扱いする。流石に高校生になった今と

なっては、表立って口には出さなくなっているけれど、腹の中では変わってないことぐらい

私でも解ってるんだ。どいつもこいつも、隠れてヒソヒソと。……別にそれは、歳相応の分

別とか大人になったからじゃない。あんまり直接弄っていたら、自分までおかしな人間扱い

されかねないと学習したからだと思う。要するに保身だ。改心したとか、そういう類のもの

じゃあ絶対無い。

「おはよう~、稟」

「うん。おはよう」

「なぁに? 朝からテンション低い表情かおして~。昨夜あんまり眠れなかった?」

「ん~……。まあ、そんなとこ。というか、これが基本地だよ」

 あっははは! そっか~。

 学校から直接延びる大通りまで来て、見知ったクラスの友達と合流する。挨拶は女子同士

でも大概こんなもので、多分言った本人はそこまで深刻に考えてすらいないんだろうけど、

毎度毎度内心どう濁したものかと悩む。

 私が視ている水面に彼女もがっつり浸かっているけれど、やはり気付いている様子も気に

している様子も無い。事情も知らない──私自身が、昔馴染みの密度が多過ぎる環境を嫌っ

て、敢えて遠めの学校を選んだんだから、こっちから不満を悟られちゃあいけないんだ。そ

れはそれとして、デリカシーというか、もうちょっと考えてものを言った方が良いとは思う

けど。

(……やっぱ、そんな酷い顔してるのか。私)


 学校に着いてから授業中、気付いたら街をすっぽり覆っていた水面が引いていることに気

付いた。迫り上がってくる時もそうだし、消える時もそう。何時もあれは、私の意思とは関

係ない所で満ちたり引いたりを繰り返しているらしい。

 教室の席から窓の方を眺め、街の変化を観ていた。ガラス越しに私の顔もちらっと反射し

ていて、朝琴絵ともだちに言われた通り、辛気臭い自分の顔が映っている。首筋ぐらいまでバサつき

気味に伸びた髪と、じとっと据わった目。……少なくとも陽キャじゃないことは、元から分

かってるつもりだけど。

(ん──?)

 教師の声が、入眠ASMRみたいに聞こえてきたなあと思っていた矢先、消音モードにし

ていたスマホにメッセージが入った。お父さんからだ。用件は大体予想が付いている。

『稟。今日もお父さん、仕事が遅くなるから、先にご飯済ませておいて下さい』

『了解』

 私とお父さんは、もう長い間アパートで二人暮らし。何が楽しいのか──ううん、仕事に

逃げてる感があって、直接顔を合わせてやり取りするってことは随分と少なくなった。昔は

お母さんが入ってる、海辺のホスピスによく一緒に足を運んでいたけど、年月が経つごとに

その頻度はどんどん減っていった。最初は週に一回二回は必ずぐらいだったのに、今じゃあ

月に一回あれば多い方。私はともかく、お父さんはもう長いこと「忙しい」からと時間を取

れていない筈。二~三ヶ月? 半年? 一年? ただ単純に、お互いの都合が合わないって

時も、あったんだろうけど。

(……それにしたって、薄情者だよ。お母さんが満足に動けないからって、ぽいっと捨てて

自分は都会で便利ライフだもん。だったら何で……結婚したのよ)

 苛々していた。向こうも向こうで、言い分の一つや二つあるんだろうけど、逆にいざ面と

向かったら喧嘩しそうな気がしてならない。それが私の正直な感覚だった。年頃の娘が云々

とか以前の話だ。

 ただ気付いたら生まれてきて、私だと自覚して、でも別に望まれている人間だとかそうい

う訳でもない。誰も彼も、大体そんなものだと言われたらそうなのかもしれないけど……や

っぱり虚しいだけだから。寧ろ何もかも水の中に沈んで、消えてしまえばいいのに、だなん

てことを夢想するおもう


「お疲れ~」「お疲れ~」

「また明日ね~」

「どうする? 今日もカラオケ行く?」

「う~ん、どうしよっかなあ。今月お小遣い結構減ってきたし……」

 放課後。今日も一日眠気を押して起き、徒に自由を拘束されるような時間が終わった。昇

降口で他の子達の駄弁りや、部活に向かう子達の駆け足が聞こえてきたりはするけれど、私

は特に用事もなければ部活にも入っていない。大体は一人で、そのまま帰るっていうパター

ンが多い。

「あっ、稟~。今帰り?」

「うん。琴絵は……バレー部?」

「そ。大会が近くなってきたからねえ。あたしはともかく、先輩達にとっては最後の夏にな

る訳だし」

「そっか。まあ、怪我しない程度に頑張りなさいな」

 運動着姿に着替えていた琴絵と遭遇し、二言三言話してまた分かれて。

 わざわざ私の方へ声を掛けに来なくてもいいのに……。同じ部活の子達だろう。彼女が戻

ってゆくその一団の面々が、ちらっとこちらを見て眉を顰めているのが見えた。

『ちょっと、日野ちゃん』

『あの子、三組の和泉さんでしょ? あんまり関わらない方が良いよ?』

『陰気だし、何か訳ありだっていうし……。ほら、見た感じも濡れた後みたいなさ?』

(聞こえてるんだよ。こん畜生が)


 昼下がりの通学路を戻り、独りゆっくりと家に向かう。とはいえ、今日も今日とてお父さ

んは夜遅くまで帰って来ないから、別に急いで帰る必要はないんだけど。まあ、洗濯やら掃

除が溜まるかなあってぐらいで……。一人で食べるなら、何処かでコンビニにでも寄って適

当に買って帰ればいいし。

「……」

 正直、むしゃくしゃしていた。言うまでもなく昇降口でのこと。それだけじゃなく、今の

今まで積み重なってきた、色んな私と私の周りの境遇についての不満諸々。

 辛い誰かっていうのなら、他にもごまんといる。あんたが世界で一番不幸なんだ、みたい

に思うんじゃないよ──何処かで、耳にタコが出来るほど聞いた言い回しがリピート再生さ

れるけれど、だからどうしたとむっすり。私は私の今が嫌いなんだ。不機嫌なんだ。

(濡れた感じ、ねえ……。またべたついてきてるのかあ。こりゃあこの分だと“こっち”も

かなあ?)

 ちょっとばかり周りの人通りも気にしつつ、髪先を弄ったり袖の下を掻いたり。

 琴絵に陰口(になってなかったけど)を叩いていた子達の言っていたことは、実はそこま

でデタラメじゃあなかったりする。気付けば髪がじとっと湿り気を帯びてくるのは前々から

だし、加えてここ何年かは妙に肌がカサつくようになった。……いや、厳密には角質? が

やたらボロボロ取れるみたいなのだ。特にお風呂に入った後なんかは凄い。腕や脚、時には

頬や背中まで、皮膚のあちこちがマス目を作ったみたいに浮き立ち、ごそっと取れる。気味

が悪くて何かの病気かと疑ったけど、お父さんは「本当か?」「気のせいじゃないのか?」

だのの一点張り。妙に焦ってた感じはしたけど、結局娘を病院へ引っ張ってゆくみたいな甲

斐性も見せることなく仕事に逃げるばかりだった。私も、症状が症状だけに、下手に誰かに

見て貰いたくはなかった。少なくとも現状、痛みとかそういうのは無いし。

(寧ろごそっと取れた後は、お肌つるつるになるしなあ……。新陳代謝が凄い、とか?)

 思い出しながら、ぐぐっと背伸びをする。

 季節はそろそろ夏へのカウントダウン。梅雨明けの空は青く綺麗で、見上げているだけで

気持ちが良い。これに街のコンクリートジャングルが無ければ最高なのだけど。そう言えば

あれだけ朝の内は水浸しだった“水面”も、昼からはすっかり視なくなった。

(どうせ暇だし……。久しぶりに行ってみるかな)


 駅で乗る電車を、自宅近くまで行くものとは違う便を使い、ぐんと街から離れる。都会の

喧騒って奴から解き放たれて、やって来たのは海辺の小さなリゾート地。お母さんが長い間

暮らしている、ホスピスが建っている地域だ。のんびりとした空気、遮るもののない空。私

は胸一杯に潮風を吸い込みながら、ゆっくりと海岸沿いの道路脇を進んでゆく。

「~~♪」

 やっぱり、此処はいい。空気も圧迫感の無さも、人の圧も。地方の小さなリゾート系だか

らと言えばそうなのだけど、解放感が違う。普段ずっと街の中に居て、大体同じようなルー

ティンで過ごしているものだから、気付かない内に身も心もバキバキに硬くなっているんだ

ろう。お父さんとはもう、長いこと一緒に来なくなってしまったが、今ではこうして一人で

時々遊びに来ている。必要なリフレッシュ成分を摂取しに来ている。

(お母さん、元気かなあ? いや、そもそも今日開いてるかどうか分かんないけど……)

 記憶の中の、前回会ったお母さんは、昔と変わらずに優しく微笑んでいた。それがずっと

ベッドの上、シーツに腰から下を隠した姿勢ばかりというのは正常ではないんだろうけど。

それでもこっちに、リフレッシュがてら顔を見に行くのは、私の密かな楽しみでもあった。

とはいえお小遣いには限度があるし、お父さんもどうやら私が一人で会いに行っていること

に、必ずしも肯定的ではないっぽいんだよね……。

(ええい。あんな親父はいいんだ。私はお母さんが、元気でいてくれればそれで……)

 歩く。歩く。歩く。海沿い道の壁の上、そこをバランスを取りながら歩く。

 欲を言えば、この隣に彼氏でもいればもっと楽しんだろうけど──無理だよねえ。私自身

あんまり男受けしないタイプだっていう自覚はあるし、そもそも同性の友達レベルですら、

普段どう付き合ってゆけばいいのか分かりかねている所がある。あれ? 私、もしかしなく

ても重症?

 まあ、いいや。

 潮風が気持ち良い。海鳥の合唱が、遠くから聞こえる。目を閉じても感じる、一面に広が

る夏の青い晴れ空。すぐ向こう、近くで寄せては返す波の音。

 ……本当に、不思議。同じ波の音、水がたっぷり溜まっている気配なのに、どうしてもこ

うも違うんだろう? 心地良く感じるんだろう? きっとずっと前から、私には何処か根っ

この部分で馴染むものがあって──。

「??」

 ちょうど、そんな時だった。ふと妙に辺りが静かになったなと思って目を開いてみたら、

辺り一面がまた“水没”していた。町の様子に慌てふためく気配は無いにも拘らず、私の目

には明らかに大量の水に埋もれた光景。……また視えてきた、迫り上がってきたのかと思っ

てげんなりした。でもすぐに、違和感に気付いた。

 嫌な感じじゃない。水だって、綺麗。むこうで視るような、仄暗くて何となく汚い感じではな

く、もっと純粋に澄んだ──珊瑚色を中に含んだ、所々透明な色──。

「齢十六。選択の時はもう十分に満たされております。この景色が視えるということは、や

はり貴方様は“こちら側”に強く惹かれておられるのでしょう」

 だから、びっくりした。突然ぽつりと、誰かのそんな詩を読むみたいな口調の声が聞こえ

てきたんだから。加えてどうやら、これは何も私の空耳じゃなく、他でもない私に向けて投

げ掛けられていた言葉だったようで……。

「!? 誰?」

「嗚呼。そう身構えないでいただきたい。確かに、私どもを憶えていないのは無理もない事

でしょうが……」

 一言で言うと、イケメンだった。但し大分独特なファッションの。足元の水面、珊瑚色と

よく合う淡い青を基調にした民族衣装、みたいな恰好に身を包んだ長身の男性。額や胸元、

袖口なんかに四角い渦巻きの模様を施したデザインと、こちらに向けて優雅な挨拶。右手を

胸元に折って、もう片方を斜めに。端正な顔立ちと頭を気持ち下げ気味に。

 え? 何? 何このイケメン。

 それにこの人……腕が私と一緒。皮膚がマス目みたいに──そう、鱗みたいに綺麗な碧色

に光ってる。全身も、何処となく滴ってる。

「お迎えに上がりました、姫様。本日は上陸館しせつの用意も出来ております。殿下も既に、姫様

のご到着をお待ちしている所でございます」

「え──」

 姫? 殿下? 施設? って、お母さんの……ホスピス?

 最初、私はいまいち要領を得なかった。目の前の光景がやっぱり、いつも通りの幻なんだ

と理解を拒んでいるように思えた。

 だけど目の前の彼は、とてもじゃないけど作り物の偽者には見えない。私の想像に過ぎな

かった世界に、こんなにもリアルな他人だれかがいるだなんて。

「……。お父上、忠雄様は、何も話してはおられないのですね」

「宜しいでしょう。では僭越ながら、お連れがてら私が全てをお話致します」

                                      (了)

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