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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-125.April 2023
124/284

(4) 悔宗

【お題】才能、本、燃える

 ぱちぱちと、暗がりの中で火が焚かれていた。辺りを平等に塗り潰す夜闇に抗うように、

細長く立ち昇る緋色は揺らいでいる。

「……」

 焚かれていた、明らかに人為的に熾された火。そこにはじっと身動きせず、独りこの焚き

火を見つめる青年が立っていた。

 ぱちぱちと、暗がりの中でうねり、一分一秒ごとに形を変える赤い塊。

 その根元には、薪代わりの丸めた新聞紙の束と、幾つもの古びたノートやスケッチブック

が放り込まれていた。当然ながら、それらは程なくして灰と塵に変わるだろう。


 ***


 青年は、いわゆる作家の卵だった。漫画描きの、プロ志望未満。子供の頃から絵を描くの

が好きで、興味のままに色々な物語を手に取っては妄想に遊んだ。そんな彼が、やがて読む

だけの側から創る側に回ったのは、ある意味自然な流れだったように思う。

(──違う)

 しかし、童心とは歳月を経るにつれ忘れ去られてゆくものだ。只々単純に感情が摩耗する

というよりは、他ならぬ当人の“恥”が何かにつけて枷にになってゆくからだろうか? 彼

もまた、そんな俗人の例には漏れず、煩悶の中に暮らすようになって久しかった。


 楽しめればそれで良い。それは結局、余裕がある人間だから言えることで……。


 試行錯誤が足りない。練習が足りない。考えが足りない。

 楽しい世界を、物語を描こうとすればするほど、自らの妄想ひとりよがりとぶつからざるを得なかった。

如何に狭いものかと気付かずには通れなかった。気付けば青いながらもそこそこ大人にな

って、夢という形で漫画家という職業を捉えるようになったが、その頃にはすっかり彼の世

界は暗く淀んだものになってしまっていた。

 “真面目”に、そこに在る空想を形にしようとすればするほど、浮かび上がってくる姿は

総じて救われない。ことごとくその世界で生きる登場人物もの達が、明るく順風満帆な道を歩め

ずに苦悩していた。すれ違いやトラブル、困難といったイベントは、起承転結のスパイスと

なる──それは理屈では解っていても、彼はあまりにも自身の創る物語の中に、そんな苦難

の道を敷き過ぎていると感じてならなかったのだ。自覚があるというのに、止められない。

描きたかったものが、憧れが、いつしか暗い感情と入れ替わってしまった。そんなすぐ目の

前の現実に、他でもない彼自身が蝕まれてしまっていたのだろう。


(ふふっ……)

 切欠は、とある別作者の作品を読んでいた時の気付きだった。キャラクタ達の葛藤もあれ

ど、最後は皆が笑い合える幸せな結末。いわゆるハートフルな作風を持ち味とする同業同好

の士である。

 スマホ片手に、今日も一息。

 休憩中に何気なくサイトへと飛び、今月も更新があるかな? とチェックする。案の定、

コンスタントに描いているらしいこの人物の最新話は多くの読者達にも好評で、コメント欄

には今日も多くの賑わいが見て取れる。一緒に笑ったり、やきもきする作中のキャラクタ達

を応援したり。それがたとえ文字情報だけでも、好い意味でノリの良い掛け合いを目にする

だけでこっちも嬉しくなる。

(……)

 だからこそ、だった。彼は気付いてしまったのだ。半ば習慣、気に入った作品・作者達を

巡るルーティン。そこで自分も、名も顔も知らぬ誰かが笑い、ほっこりと温かくなっている

事実をいざ己に向けて客観視してとうてみれば、サァッと全くの真逆な感慨が心の内を喰らい出す。


(この人みたいな描き手が居るんなら、別に自分は要らないんじゃないか──?)


 はたしてそれは絶望。いや、悲観論へと振り過ぎる、彼が彼である悪癖か。遠因か。

 彼は思う。自分だってかつては、同じように明るくて優しい世界を創りたかった。せめて

物語の中だけでは、思うがままに“好き”で満たされたかった。職業としての漫画家を夢見

たのも、自分の描いた物語で誰かが優しくなってくれればと願ったからだ。色々嫌なことが

あるけれど、笑顔になる場面があちこちで増えれば、自分達の生きるこの現実もきっと優し

くなるだろうから……と。

 だというのに、実際はどうだ? 極々個人的なこと、歳月と共に擦れていった自分の心根

が、今や作風にまでガッツリと侵食し、悲劇や苦難しか描けなくなってしまっている。それ

も解った気取りの、きっと中途半端なもの揃いの。楽しませたい、救いたい。そんな動機で

は覆せなくなったからと、近場の憎しみや不平不満を燃料にするやり方が染み付いて。だが

そんなエネルギーの注ぎ方すらも、最近では正直通用しなくなってきた。何とか鞭打って描

かせようとも、どんどん頑なに──言い訳や閉塞感のアンテナばかりが立ち過ぎて、初心な

んて思い出せもしない。

 彼は、スマホを弄る手を止めていた。じっと、独り静かに、落とし穴にはまったように身

じろぎもせず画面を見つめる。

 肯定ではなく、否定がエネルギー。負の衝動へ堕ちて久しい自覚。

 かつて自分が憧れた姿が、その成果が、きっと此方が辿り着く以上に出来上がっている。

洗練されているように見える。勿論サイトの向こうの本人が、現実リアルで何を思っているかは分

からない。作品は綺麗な上澄みで、此方よりも輪を掛けて苦しんでいるのかもしれない。色々

と思い悩み、試行錯誤を繰り返しての今なのかもしれない。きっとそうなのだろう。明ら

かなレベルの差は、そうした一個の人間としての差とも言えるのだから。

(……)

 要するに、彼は虚しくなってしまったのだった。或いはかねてから感じていた、だけども

明確に認めてしまう訳にはいかなかった、自身の漫画描きとしての限界に向き合ってしまっ

たのだった。

 結論。その回答こたえは飛躍、だからネガティブなんだよと他人は哂うかもしれないと彼は思っ

た。冷徹に見下ろせば、知り得ぬ誰かが一人、競争に降りていった──勝ち負けですらなく、

勝手に悩んで勝手に潰れていっただけと取るのだろう。一人分席が空いたと、やはり知り

得ぬ誰かが一人、ほくそ笑むのかもしれない。


 もうこれ以上、描くのは辞めよう……。


 彼が意を決したのは、そんな経緯だった。勿論、そんな独りで悩み独り心折れたことを、

極論こたえをぶん投げたことを誰かが知る筈も無い。


 ***


 ぱちぱちと、薪と一緒にくべられた火の中で、古びたノートやスケッチブックが燃え崩れ

ようとしている。彼がかつて、子供心や練習の過程で描き残していた過去の全てだ。

 今度こそ、やるなら徹底的にだと彼は思った。中途半端に置いておくから、後々でまた未

練が出てきて辞め切れなくなる。痺れを切らして、気付けばまた戻って来てしまう。だから

一気に、取り返しの付かないぐらいにありったけを壊してしまおう。しまわなければ。

 アナログからPCに移った後のデータも、家を出る前に消してきた。後は道具回りの処分

だが、流石に焚火と一緒に燃やしてしまうのは難しい。物理的云々に加え、精密機器の類と

なると、流石に専門の業者に頼まないと拙いだろう。

「……?」

 しかし、ちょうどそんな時だった。

 どれだけぼうっとしていたのだろう? 古傷むかしを思い出していたのだろう? 目の前の焚火

は、それほど長時間燃え続けた様子でもない。彼ははたっと、斜め後ろから聞こえてくる声

に気付くと、弾かれるようにして思わず振り向いた。やろうとしている事がやろうとしてい

る事なため、騒ぎにならないよう人気には十分注意して来た筈だが……。

「──ッ、──ッ!!」

 他人がいた。いや、あれは本当に“人”だろうか?

 何時の間にか彼の斜め後ろ、少し離れた位置には、同じくこの焚火と向かい合うもう一つ

の人影が在ったのだった。

 酷く浅黒くて醜い、歪んだ顔立ちとボサボサの髪、角のように半端な凹凸が見える頭部。

背丈も明らかに成人男性よりも小さく、尚且つ酷い猫背も手伝って、実際以上にその姿は矮

小に感じられた。思わず目を見張り、彼が言葉を失っている間も、この“小鬼”らしき何者

かは必死に喘いでいた。焚き火の中で塵になってゆく、ノートやスケッチブックを見届けて

いた彼とはまた別の理由なにかで、この一部始終から目を離せない。

「ッ!! ッ!! ッ!! ッ~!!」

 忙しなく動かす眼球と、上下を繰り返す視線。

 ペンを持っていた。何故か“小鬼”は粗末なペンを握り、彼からの視線にも全く気付いて

いない様子で、一心不乱に同じく胸元に抱えた帳面に絵を描き残そうとしていた。燃え盛る

焚き火。その中で取り返しのつかない姿になってゆくノートやスケッチブック、或いは今こ

の瞬間の炎というものを、ひたすら貪欲に──文字通り縋り付くようにして写し取ろうと試

みながら。

                                      (了)

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