(3) 天秤取引
【お題】死神、残り、増える
何時からか、巷ではこんな不可思議な噂が広まりつつあった。何でもとある手順、とある
条件を満たせば、自分と他人の“命を取引する”ことが出来るというのだ。話によって内容
はブレる──多少前後こそするが、大よそは以下のようなものである。
一つ。紙に間隔を空けた逆三角形を二つ描き、これを下線で結ぶ。更にその下、ちょうど
真ん中に位置に正三角形を描いたものを用意する。形状的に、デフォルメされた“天秤”を
イメージすると良い。
二つ。この左右の逆三角形の中にそれぞれ「Y」と「M」を、正三角形の中に取引したい
命の長さを書き記しておく。例えば一日分だと「1D」となるし、一ヶ月分だと「1M」、
一年なら「1Y」と言った所だ。前者二つはおそらくYouとMeを意味するのだろう。
三つ。M側の逆三角形に、命を渡す者にまつわる品を置く。一番成功し易いのは血や毛髪
といった体組織の類だと云うが、場合によっては長い間使い込んだ私物等でも良いらしい。
Y側の逆三角形も同じように、命を渡される側にまつわる品を置いておく。
四つ。これら準備を整えた上で、二十六時六分六秒──午前二時六分六秒ぴったりに、正
三角形の中へ黒インクを一滴垂らす。取引の意思を持ち、実行する合図だ。
もしこれら一連の手続きにミスが無く、命の受け渡しが許可された時、立ち会った者達は
目の当たりにする事になるだろう。取引成立の証。ひとりでに紙を焼き尽くす、この世のも
のとは思えない漆黒の炎が──。
***
「な~んてことが起こるらしいぜ? だからさ、見せてくれよ? どうせパッとしない一生
を送るんなら、俺達にその分の時間を分けてくれても良いよなあ? なあ!?」
「ひい……ッ!!」
ある時、そんなまことしやかに囁かれる噂を、面白半分の悪ノリで確かめようとした少年
達がいた。見るからに柄の悪い──不良、苛めっ子と呼んで差し支えない三人組が、そう長
らく自分達のターゲットにして“遊んで”いる小柄な少年を呼び付けて迫る。
「で、でも……。も、もし本当に寿命を受け渡し出来ちゃったら……」
「ばっか。そんなことある訳ねえだろ? 大方何処かの、オカルトマニアの創作話に尾ひれ
がついたってオチだろうが」
「だからお前で試してるんじゃねーか。万が一お前が死んだって、誰も困りはしねえもんな
あ。愚図で鈍間のてめぇなんかよお~?」
ぎゃはははは!! 苛めっ子グループは下品に笑っていた。何時ものように、最早それが
当たり前の運命であるかのように、この小柄な少年をその存在ごと蔑ろにして邪悪な口撃を
浴びせかけている。
「……」
少年は黙り込んでいた。彼らに何か口答えをすれば、また殴る蹴るの暴行を加えられると
知っていたからだ。呼び出された夜中の廃屋。その一角のボロ机の上に件の準備が整えられ
た紙が広げられ、後は儀式実行の時刻を待つのみとなっている。
デフォルメされた図形、天秤型。その正三角形の中には「100Y」──要するに自分に
死ねと言っているようなもの。
「今何時だ?」
「もうちょっとで二時五分だ。四十五、四十六、四十七……」
「カウントはしっかり見とけよ? ここまでやっといて、死に切れませんでした~ってなっ
ても白けるぜ?」
「ちげえねえ!」「がははは!」
「……」
だから少年は、この噂を試すぞと命令された際、独り本来ならばあり得ない妄想に耽って
いた。もしかしたらもしかすると……。けし掛けてくる側が全く信じていないその噂が起こ
すという“奇跡”を、逆に利用してやろうと目論んでいたのだった。
(何で僕が……こんな奴らに……ッ!!)
憎しみだった。復讐という選択肢だった。目の前には自分の髪と、三人のリーダー格の髪
が一本ずつ抜かれて、それぞれ「M」と「Y」の逆三角形の中に置かれている。
ギリギリと、密かに唇を噛み締める。ただ肉体的に貧弱だから、気弱だから、いつもいつ
も良いように顎で使われる。頭の中で何度、こいつらをぶち殺しただろう。せめて自分に力
があれば。いや、この真ん中の筋肉ダルマさえどうにか出来れば……。
(今だ!)
即ち、自分ではなく奴を。少年は暗がりの中、彼らがスマホの時計を見つめてこちらへの
注意が向いていない隙を突き、置かれていた髪の毛をこっそり取り替えたのだった。昼間の
明るい内だったら勘付かれたかもしれないが、この懐中電灯頼りの明るさなら見分けなど付
かないだろう。「三、二、一!」直後、件の時刻──二十六時六分六秒になるのと同時に、
三人組の一人が狂気に侵された笑いでもって黒インクを垂らす。
「ひゃははは! 死ねやぁぁぁー!!」
だが……斃れたのは果たして、このリーダー格の少年だったのだ。まさか本当に噂通りの
異常現象が起こるなど、端から信じてはいなかったのだろう。精々噂を真に受けて怖がり、
チビってしまう彼の醜態を見たいからと、冗談の心算で始めたことだ。
『……ト、リ……ヒキ……セイ、リツ……』
だからこそ、黒インクが正三角形に散った瞬間、轟と髪に黒い火の手が上がったのを見て
面々は顔面蒼白になった。何よりその炎の中から、まるで地獄の底から絞り出すような何者
かの声が、噂が単なる噂ではなかったのだと知らしめる。思い知らされる。
「ひっ!? ひいッ!?」
「お、おい! 馬鹿、幾らなんで冗談が過ぎるって! こんな手品まで用意して──って、
あれ?」
三人組の内、取り巻きの二人が異変に気付いたのは、その少し後の事だった。半ば逆ギレ
して、尚も目の前の現実が信じられず、このリーダー格の少年に激しいツッコミを入れよう
としたのだが……返事が無い。
彼は、二人のすぐ横で倒れていた。白目を剥いて苦悶の表情を浮かべ、まるで生気を根こ
そぎ吸い取られたように、見るも無惨に干乾びた状態で。
『ひっ──ッ!?』
二人は絶句した。本当的な恐怖に打ちのめされていた。頭が混乱し過ぎて、真っ白になっ
て、一体何が起きたのかを受け入れることを拒否している。
だが少年の方は、別の意味で震えていた。本当に憎き相手が目の前で死んだのだ。噂通り
の命の取引、彼の寿命がごっそり自分に移ったのかどうかは、はっきり言って自覚は無いの
だが……激しい動揺と一抹の達成感、そして急速に押し寄せてくる後悔に苛まれる。
「どっ、どうなってんだよ!? 何でこいつが、ミイラみたいに……!?」
「っ、そうだ! 死ぬんならそもそも、お前の筈だったろうが! てめえまさか、途中で何
かしたんじゃねえだろうな?!」
ふるふる。少年はゆっくりと立ち上がり、たっぷりと言葉なく首を横に振っていた。何度
も何度も、目の前の現実を受け止め切れずに怯えていた。
但しそれは、二人からイカサマを指摘されたことに対する動揺じゃない。ここまでしてく
れとは言っていない、ここまで無惨に殺して欲しかった訳じゃない──自分自身の罪悪感に
対する恐れであったのだ。
「違う……。違う、違う、違う! 僕は、僕はぁぁぁぁーッ!!」
その後の顛末は、実は未だよく判っていない。ただこの少年は、半狂乱しながら夜の廃屋
から逃げ出し、行方を眩ませてしまったと云われている。罪悪感に押し潰されたのか、或い
は生き残った二人からの報復を恐れたのか。
***
「流石にそれは、ホラー方面に盛り過ぎだよ。寧ろ使い方次第じゃあ、感動の物語になった
りするんじゃないかな?」
「感……動?」
何時からか、巷で広がり始めた不可思議な噂。それは夜中に怪しげな儀式を行うことで、
任意の相手間で命を、詰まる所“寿命”を受け渡しすることが出来るのだと云う。
昼下がりのカフェで、一組の学生カップルがお茶をしながら話していた。彼氏が妙に得意
げになって展開しようとする自論に、彼女の側が小首を傾げている。ちみちみと崩しながら
食べているパフェが、同じように傾いている。
「例えばさ? 病気で余命幾何な家族を助ける為に、ちょっとずつ寿命を分け与えるとか。
そういう善意の使い方だって出来る訳じゃない。やろうと思えば」
「あ~……。う~ん、どうなんだろ? それって死ぬまでの時間が延びても、病気自体が治
る訳じゃないんじゃない?」
「かもしれないけど。でも、タイムリミットが延びれば、その間にやることも出来るように
なる。もしかしたら、治療法だって見つかるかもしれない」
「そうかなあ?」
「そうだよ。少なくとも僕だったらそうする。大事な人が、もしそんなことになったら」
十中八九そんな話題の振り方は、この彼氏なりのアプローチの一環だったのだろう。だが
当の彼女は、色気より食い気のようだ。もきゅもきゅと、パフェを安定のローペースで口に
運び続け、暫し考え込んでいる。時にリアリストなのは寧ろ女性の方だったりするのだ。眉
唾な噂話を梃子にしているとはいえ、流石にそう感動の押し売りをされても困る。
「……そんなことになる前に、日頃から注意しておけばいいだけだと思うけど」
「……うん。それはご尤も。あ、すみません。僕にもコーヒー追加で」
あまり伝わらなかったことは察したのだろう。彼はイケメンスマイルを繕いつつも、通り
掛った店員に、もう一杯注文を頼む。一礼をして、店員は奥へと引っ込んでいった。店内で
は相変わらず、優雅で控えめなBGMが穏やかな一時を演出してくれている。
「皆が皆、そうやって好い使い方を出来るといいんだろうけどねえ……。大体その手順とか
の時点で不穏増し増しだし。血とか毛とか」
「あ~……。ホラー話で盛りたいから、そういう内容に変わってるだけじゃ?」
「なら、感動物語バージョンだとどうなる?」
「う~ん……。やっぱりお互いの持ち物? 噂ともそう違わなくなる」
「お互いのそれが燃えちゃうんじゃ?」
「そ、それは……。命には替えられないからだよ、うん……」
基本的にダウナーだが、頭脳はしっかりしている彼女。所詮作り話、長々と留めておく話
題ではないのだけれど、彼氏の方はそれはそれで楽しかった。愛する彼女を連れ出せて、二
人で同じ時間を過ごす。それだけで今は幸せだった。
「君は夢見がちだなあ……。まあ、こういう無粋な考え方になっちゃうのは、学部の影響っ
て奴かなあ」
「そ、そんなことは無いさ。僕はいいと思うよ? リケジョ」
もきゅ。残るパフェをまた一掬い。彼女はまた暫くぼうっと、彼というよりは何も無い、
青空の下の虚空をたっぷり眺めてから言った。
「……命の量、か」
「ただ私の知っているその話には、もっと別の“裏技”があるらしいんだよねえ……」
***
今巷でまことしやかに囁かれている、命の取引が出来るというオカルト儀式。そのメイン
で知られている方法とは別に、実はもう一つの用途があるらしいと、最近若手の部下から聞
かされた。署内で初めてその噂話の派生形を聞いた時、彼は正直不快で眉を顰めた。
『上記の手順を全て、自分の血で描いて、相手側を空欄にする。そうすれば、相手を指定せ
ずに命だけを“買い取って”貰える』
先日、異臭がすると通報があって突入した古アパートの一室。彼や同僚の刑事達がそこで
目の当たりにしたのは、狭い室内で一様に事切れたと思しき、何人もの老若男女のミイラの
ように干乾びた死体だった。
一体、どんな猟奇殺人だ……? 当初こそ、彼らは思わずその異様さに面を食らったが、
遺体には致命傷らしき損耗も無かった。辛うじて見つかったのは、彼らが囲んでいたテーブ
ルの周りに散らばっていた、燃え滓の一部──件の血描き図面の切れ端及び、彼らが生前自
殺願望を抱いて知り合ったらしいという、SNS上の情報だけ。つまりは彼らは、誰かに殺
された訳ではなく、自ら命を絶ったのだ。儀式に命だけを“買い取って”貰うことで、事実
上の自殺が出来る──そんな、あまりに理解に苦しむやり方で。
「あんな馬鹿げた話が飛び交うなんざ、世も末だな……」
公務員、それも刑事が嘯くような言葉ではないが。
彼はいつぞや小耳に挟んだそんな情報を思い出しつつ、この日も現場に出向いていた。他
の同僚達も、大よそ考えることは似通っているらしい。皆、驚き呆れたような表情をしてい
る。まさか『死因・オカルト儀式』で片付けられる訳もないのだから。
「これで五件目ですか……。軽く三十人は超えてますね」
「マスコミがああも面白可笑しく表に出すから、真似する奴も増えるんだよ。本人達は満足
かもしれんが、後始末する側の身にもなって欲しいものだね」
言いつつ、先ずは一同静かに合掌。本当に彼らは、安らかに眠りに就くことが出来たのだ
ろうか? ……理性は否と言う。否と答えなければならない。少なくともこんなやり方で、
最期で、穏やかであるなどあってはならない。
「手口は、これまでと酷似していますね。皆でテーブルを囲み、例の紙を燃やす……。実際
の死因は一酸化炭素中毒でしょうか? ここの大家の話でも、発見前までは閉め切られてい
たと言いますし……」
「だとしても、家屋全体に全く延焼していないってのも妙だがな。一昔だと、練炭を使って
どうこうってのがあったが、そういう形跡は無さそうだ」
「本当に、命だけを吸われたんですかねえ?」
「馬鹿を言うな。そんな結論を持って帰っても、上や遺族が納得する訳無いだろうが」
ふう……。若手の一人からの、そんな発言にキッと戒める眼差しと言葉を投げ、彼は思わ
ず嘆息を吐いていた。彼らのような若年、自分達のような中年世代とでは大きく溝があるに
はあるのだろうが、それでもやるべき仕事は変わらない。容易に変質させていい筈がない。
「──全く、馬鹿にしてやがる」
『“買い取って”貰えさえすれば、後は何処かのもっと必要な誰かに行き渡る。もっと有効
活用して貰えるんだと。献血みたいなモンなんですかね?』
舐め腐りやがって。彼は苛々を隠し切れなかった。
それとこれとは訳が違うだろうが……。以前耳にした噂話の続きを思い出しつつ、今は亡
きこの犠牲者達の浅慮に憤る。旧い世代の大人には、命すら“コスパ”で捉えて且つ棄てよ
うという発想が無い。何よりも許せなかった。
(了)




